歴代バラエティ視聴率ランキング。 ドラマ視聴率ランキング歴代TOP52【2020最新版】

歴代ドラマ視聴率ランキング

歴代バラエティ視聴率ランキング

nhk. スポンサーリンク 朝ドラ歴代視聴率ランキング・ワースト10 サントラ購入。 「波美のテーマ」名曲だな。 朝ドラ最強BGM候補楽曲だわ。 2000年代に入ってから、動画配信サービスが充実してきたことも朝ドラの視聴率低下の要因かも知れませんね。 スポンサーリンク 朝ドラ歴代視聴率ランキング・平成編 平成4年 おんなは度胸 橋田壽賀子さん原作、泉ピン子さん主演です。 平成の視聴率ランキングも社会現象になるほどの人気を誇った作品ばかりですね。 個人的には、「ふたりっ子」の三倉茉奈さん、三倉佳奈さんが印象に残っています。 朝ドラ歴代視聴率一覧 1960年代 ドラマ名 初回視聴率 最高視聴率 平均視聴率 放送時期 娘と私 記録なし 記録なし 記録なし 1961年 あしたの風 記録なし 記録なし 記録なし 1962年 あかつき 記録なし 記録なし 記録なし 1963年 うず潮 23. 歴代ヒロインの中で、視聴率の割に人気の無かったのは、一体どのヒロインなのでしょうか。 その歴代ヒロインは、朝ドラ第98作目「半分、青い。 」で、永野芽郁さんが演じた楡野鈴愛です。 永野芽郁さんは、「半分、青い。 」放送後、大ブレイクした女優のひとりですし、演技力にも定評があります。 歴代の朝ドラと比べても「半分、青い。 」の視聴率は決して悪くありませんでした。 「半分、青い。 」の視聴率は、最高視聴率24. 5%、最低視聴率14. 8%、平均視聴率21. 1%と、「半分、青い。 」の前に放送された「わろてんか」の平均視聴率20. 1%よりも高い数字です。 にも拘わらず、歴代のヒロインの中でも人気が無かったのは、どんな理由があるのでしょう。 その理由として考えられるのが、ストーリーの急展開ぶりと鈴愛のキャラクター自体が原因だったと思います。 ストーリーの展開がガラリと変わり、視聴者側がヒロインの鈴愛に感情移入出来にくい状態に陥った点と、鈴愛が夫に対して「死んでくれ」とキツイ言葉を浴びせたり、自分が幼なじみの律 佐藤健 をフッたにも関わらず、律が別の人と結婚して、後々のストーリーで、律が「裏切った」発言をするなど、共感出来ない部分がありました。 「半分、青い。 」は、漫画家になるという大きな目標を達成し、目標達成後のヒロインの「人生の成功」までを描いた作品。 個人的な意見として、これまでの朝ドラでは、挫折しても「ひとつの目標」のために邁進し、その結果、人生を成功させるというヒロインが多いように思いますが、鈴愛の場合は、「人生の最終的な成功」に重きを置いたキャラクターに感じました。 特にストーリー中盤以降は、悪く言えば明確な目標がなく、いろいろなものに手を付けてふわふわしている感じでした。 このいつもと違うヒロイン像に違和感を覚えた方も多かったのではないかと思います。 朝ドラ以降あまり売れなかったヒロインは? 連続テレビ小説「さくら」の高野志穂さん。 — カエル岩 kaeruiwa1963 朝ドラでヒロインを務めたことで、その後大ブレイクする女優たちが多くいる一方、朝ドラのヒロインを演じたにも関わらず、その後、あまり売れなかった歴代朝ドラヒロインたちもいます。 ここからは、朝ドラヒロイン後、あまり売れなかった女優たちについてご紹介します。 インスタにも着物姿をPostしてるけど、こちらには紬の振袖姿はなかった。 — はすね myhan162 「天花」は、祖父から物や人に愛情を持って接することの大切さを教わった天花が、保育士を目指すというストーリー。 元々、ファッション雑誌「non-no」の専属モデルでしたが、初めて受けたドラマのオーディションが「天花」のヒロインオーデションで、演技未経験ながら2367人の中からヒロインに選ばれました。 元々、「BOYSTYLE」というアイドルグループで活動していましたが、2005年に「風のハルカ」のヒロインオーディションを受け、2005名の中から見事にヒロインとなりました。 「風のハルカ」でヒロインを演じて以降も2008年に放送されたドラマ「ROOKIES」ではヒロインの八木塔子役を演じ、2009年に公開された劇場版「ROOKIES -卒業-」にも出演。 その後は、ドラマへのゲスト出演か脇役がほとんどとなっています。 高野志穂さんは、両親の仕事の関係上、バーレーン、シンガポール、ロンドンなどに滞在し、高校の時に帰国しています。 帰国後、ほとんど演技経験のない状態で、「さくら」のヒロインオーディションに合格しました。 「さくら」でヒロインを演じて以降、2003年に放送されたドラマ「赤ちゃんをさがせ」や2005年に放送されたドラマ「RUN AWAY GIRL 流れる女」で主演を務めた後は、ドラマへのゲスト出演、脇役がほとんどになってしまいます。 時代劇の役ですね。 当時にタイムスリップしたら、とんでもなく長身の女性です。 — 静岡ジン szgmt 「わかば」は、阪神・淡路大震災で父親を失った若葉が、大学でガーデニングを勉強し、父と夢見た「緑豊な家」を作るため邁進するストーリー。 2004年に放送されたドラマ「エースをねらえ!」の第5話にゲスト出演はしていますが、ほとんど演技経験のない状態で、「わかば」のヒロインオーディションを受け、1913人の中からヒロインに選ばれました。 「わかば」でヒロインを演じて以降、メジャーなドラマや映画への出演本数は多いものの、主演を演じることはほとんどありません。 この4人の経歴を見ると、ほとんど演技経験のない状態からいきなり朝ドラヒロインに抜擢されており、個人的には選ばれた側も後々のことを考えると可哀そうに思えます。 現在は、ある程度演技実績のある若手女優を起用する傾向になっているので、ヒロインを演じた後に鳴かず飛ばずはなくなっているように感じます。 まとめ 朝ドラの歴代視聴率ランキングを紹介しました。 「平均視聴率総合トップ10」、「平均視聴率総合ワースト10」、「平成の平均視聴率トップ10」とそれぞれご紹介しましたが、どの視聴率を見ても今現在の民放を含めたドラマで、一桁台のドラマも軒並みある中、全て二桁台に入っていることで朝ドラの人気を改めて感じました。 ちなみに最新の「まんぷく」の平均視聴率は、「21. 2019年4月1日から始まる「なつぞら」が、どんな視聴率を叩き出すのかも楽しみですね。 朝ドラの歴代ヒロインをまとめました.

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テレビのクイズ・バラエティ 歴代最高視聴率の人気番組をランキング形式でご紹介

歴代バラエティ視聴率ランキング

ドラマ視聴率ランキング 全 939件 101 - 150件 表示 順位 作品名 平均視聴率 最高視聴率 1位 19. 9 % 34. 1 % 2位 19. 7 % 19. 7 % 3位 19. 7 % 25. 0 % 4位 19. 6 % 26. 3 % 5位 19. 5 % 26. 9 % 6位 19. 4 % 23. 7 % 7位 19. 4 % 24. 1 % 8位 19. 4 % 22. 4 % 9位 19. 3 % 28. 1 % 10位 19. 2 % 21. 0 % 11位 19. 2 % 20. 3 % 12位 19. 2 % 21. 4 % 13位 19. 2 % 22. 7 % 14位 19. 2 % 21. 1 % 15位 19. 1 % 24. 4 % 16位 19. 0 % 24. 4 % 17位 19. 0 % 20. 9 % 18位 18. 9 % 22. 3 % 19位 18. 9 % 20. 8 % 20位 18. 9 % 17. 0 % 21位 18. 9 % 21. 1 % 22位 18. 8 % 22. 4 % 23位 18. 8 % 16. 6 % 24位 18. 8 % 22. 6 % 25位 18. 7 % 22. 9 % 26位 18. 7 % 24. 4 % 27位 18. 6 % 22. 3 % 28位 18. 5 % 20. 0 % 29位 18. 5 % 21. 2 % 30位 18. 5 % 22. 6 % 31位 18. 5 % 19. 3 % 32位 18. 4 % 21. 2 % 33位 18. 4 % 23. 4 % 34位 18. 3 % 18. 3 % 35位 18. 3 % 21. 7 % 36位 18. 3 % 20. 5 % 37位 18. 2 % 22. 4 % 38位 18. 2 % 24. 7 % 39位 18. 1 % 23. 6 % 40位 18. 1 % 14. 9 % 41位 18. 0 % 22. 2 % 42位 18. 0 % 20. 5 % 43位 17. 7 % 20. 1 % 44位 17. 7 % 22. 6 % 45位 17. 6 % 20. 3 % 46位 17. 6 % 18. 6 % 47位 17. 5 % 23. 5 % 48位 17. 4 % 23. 0 % 49位 17. 4 % 17. 4 % 50位 17. 4 % 20. 9 % 3年前、新平(佐藤浩市)の浮気がもとで離婚した結女(浅野温子)は、14歳の娘、遥(ともさかりえ)との2人暮らし。 料理学校の講師をしている。 元夫婦と娘は毎月1回、夕食を共にしている。 今月は、遥の誕生日と重なり、盛りあがる。 結女と遥とが帰宅した時、外国小包が届いている。 遥は送り主を知らないが、4歳の時から送られている。 新平と結女は、東京の下町で生まれ、育った。 その遥は、神丘女学館の2年。 登校途中、自分たちの担任となる芝木貢(織田裕二)と知り合う。 貢は、音楽教師の初音(富田靖子)と同棲中だ。 貢は突然、家庭訪問をすることを決め、学級委員長の遥の家を訪ねた。 そこで貢は結女に「ぼくを覚えていませんか」と言う。 貢は、かつて結女が愛していた邦生の弟。 邦生は遥の父親でもあった。 新平は、その事情を知りながら結女と結婚していたのだった。 邦生は5年前に死に、それ以来テープを送り続けたことを明かした貢は、新平へのシットをこめながら、結女に対して「人生をやり直して・・・」と言うのだった。 配信なし 5月12日の早朝、国電蒲田操車場内で、男の殺害死体が発見された。 前日の深夜、蒲田駅近くのトリスバーで、被害者と連れの客が話しこんでいたことが判明するが、被害者のほうは東北訛りのズーズー弁で話し、また二人はしきりと「カメダ」の名前を話題にしていたという。 当初「カメダ」の手がかりは掴めなかったが、ベテラン刑事の今西栄太郎は、秋田県に「羽後亀田」の駅名があることに気づく。 付近に不審な男がうろついていたとの情報も得て、今西は若手刑事の吉村と共に周辺の調査に赴く。 調査の結果は芳しいものではなかったが、帰途につこうとする二人は、近年話題の若手文化人集団「ヌーボー・グループ」のメンバーが、駅で人々に囲まれているのを目にする。 「ヌーボー・グループ」はあらゆる既成の権威を否定し、マスコミの寵児となっていたが、メンバーの中心的存在の評論家・関川重雄の私生活には暗い影が射していた。 他方、ミュジーク・コンクレート等の前衛音楽を手がける音楽家・和賀英良は、アメリカでその才能を認められ名声を高めることを構想していた。 殺人事件の捜査は行き詰まっていたが、養子の申し出から、被害者の氏名が「三木謙一」であることが判明する。 養子の三木彰吉は岡山県在住であり、三木謙一が東北弁を使うはずがないと述べたため、今西は困惑するが、専門家の示唆を受け、実は島根県出雲地方は東北地方と似た方言を使用する地域であること(雲伯方言、出雲方言)を知り、島根県の地図から「亀嵩」の駅名を発見する。 今西は亀嵩近辺に足を運び、被害者の過去から犯人像を掴もうとするが、被害者が好人物であったことを知るばかりで、有力な手がかりは得られないように思われた。 続いて第二・第三の殺人が発生し、事件の謎は深まっていくが、今西は吉村の協力を得つつ苦心の捜査を続ける。 他方「ヌーボー・グループ」の人間関係にも微妙な変化が進んでいた。 長い探索の末に、今西は犯人の過去を知る。 捜査はやがて、本浦秀夫という一人の男にたどり着く。 秀夫は、石川県の寒村に生まれた。 父・千代吉がハンセン病にかかったため母が去り、やがて村を追われ、やむなく父と巡礼(お遍路)姿で放浪の旅を続けていた。 秀夫が7歳のときに父子は、島根県の亀嵩に到達し、当地駐在の善良な巡査・三木謙一に保護された。 三木は千代吉を療養所に入れ、秀夫はとりあえず手元に置き、のちに篤志家の元へ養子縁組させる心づもりであった。 しかし、秀夫はすぐに三木の元を逃げ出し姿を消した。 大阪まで逃れた秀夫は、おそらく誰かのもとで育てられた、あるいは奉公していたものと思われる。 その後、大阪市浪速区付近が空襲に遭い、住民の戸籍が原本・副本ともに焼失した。 当時18歳の秀夫は戸籍の焼失に乗じて、和賀英蔵・キミ子夫妻の長男・和賀英良として年齢も詐称し、新たな戸籍を作成していた。 一連の殺人は和賀英良こと本浦秀夫が自身の過去を知る人間を消すためのものだったのである。 配信なし 平治の乱で平清盛に敗れた源義朝の愛妾・常盤御前は、三人の子を連れて京を逃れるが実母が平家方に捕らえられている事を知り、清盛に出頭する。 清盛により、末子・牛若(後の義経)との生活を許された常盤であったが、清盛との関係がその正妻・時子の知るところとなり、常盤は清盛の元を去り、牛若は鞍馬寺に預けられる事になった。 清盛を実の父と信じて疑わず、清盛が目指そうとする「新しき国」に淡い憧れを抱いていた牛若は、自分がその敵である義朝の子である事を知り、愕然とする。 やがて逞しい青年へと成長し、奥州の藤原秀衡のもとへ身を寄せた義経は、兄・頼朝のもとへ参じて源平の戦いに身を投じる。 しかし、清盛をはじめとする平家方を敵と割り切る事ができない。 そして同じ源氏である木曽義仲と戦わねばならない葛藤…、兄弟としての情を求める義経は武家政権のリーダーとして理を重んじる頼朝と徐々にすれ違っていくようになる。 配信なし 主人公は、北海道の女満別在住で、小さな小学校の教員である平泉玩助。 ある日、「恋人」と決め込んで、猛烈アタックを掛け続けていた、幼なじみの松永まさ子が上京。 同時に教え子の清も、父と暮らすとして都会の小学校へ転校してゆく。 その直後、生徒数減少によって勤務先の音根別小学校の統廃合が確定。 玩助は東京へ出かけ、まさ子と清に会う。 しかし北海道に帰った玩助に清の自殺が知らされる。 転校した小学校でいじめられ、新しい家族に馴染めなかったのだ。 ショックを受けた玩助は、一年後、東京の小学校に赴任。 担任となった4年3組の生徒達に「北海道では、良い先生ではなかったが、幸せな先生だった」と挨拶。 そして近くに住むまさ子に、再びアタックを開始した。 全校生徒数10名の小規模校と1学年3クラスの大規模校のギャップの中、迷い苦悩しながら成長してゆく玩助の日々が始まる。 舞台は東都中央病院高度救命救急センター。 首都直下地震の発生を想定し第二関東大震災に遭遇した東京近郊の一都市を舞台に、災害医療に奮闘する救命医療チームの苦悩と活躍を描いた。 第1シリーズで研修医として登場した小島楓が、正式にシリーズに復活することが話題となる。 本作では小島も一流の救命医として活躍する。 阪神・淡路大震災から10年経った2005年1月に放送された。 第3シリーズ最終回の翌週に、アナザーストーリー「看護師たちの救命救急センター」が放送された。 看護師の佐倉亮太と大友葉月を中心とした特別ドラマと第3シリーズの総集編で構成され、東京が震災に見舞われた半年後にテレビ番組の取材で震災当時を振り返るという設定となっている。 若葉会総合病院の元気印ナースいずみ(観月ありさ)が帰ってきた。 いずみは「4年目のベテランナース!」とエネルギー満タンだ。 外科医・沢田(長塚京三)と結婚した翔子(松下由樹)夫婦に無事女の赤ちゃんが誕生。 沢田は、娘の誕生にデレデレ。 産休が明けた翔子は、主任として職場復帰。 しかし、翔子が休んでいる間主任を代行していた大島(伊藤かずえ)は、面白くない様子。 赤木は、派手な格好で、初日から遅刻出勤、ナース服に着替えると、いずみも驚く超ミニ姿。 いずみは翔子から、赤木の教育係を仰せつけられるが、二人の間には、早くも対抗心丸出しの火花が飛び交う。 外科医局には研修医・高杉(藤木直人)が登場した。 高杉は、先輩医師・浜野(石原良純)の厳しい指導に合う。 病室に響く危惧の壊れる音、大きな声の怒鳴り合い。 婦長・根本(吉行和子)のため息が聞こえてきそう。 ちょっとドジだが、元気いっぱい。 何事にも真正面から立ち向かいう健康ナースいずみが、どんな活躍をするのか楽しみだ。 東京の大学病院で外科医をしていた五島健助が星野正一とともに漁船に乗り込み、本土(沖縄本島)から6時間かかる志木那島をめざして洋上を行くところからドラマは始まる。 それは島の診療所に常駐してくれる医師を長年さがし続けている、志木那村役場の民生課長星野の要請だった。 星野の娘で看護師の彩佳や役場の職員で診療所事務長の和田[注 3]をスタッフとして張り切る五島だったが、それまでの経緯から島の医師を信用しない島民らは全く診療所に寄りつかない。 最初の患者となった島の少年から感謝のしるしとして贈られた診療所の旗に「ドクターコトー診療所」と記されていたため、以来五島は島民からコトーと呼ばれることになる。 コトーの医師としての技量の確かさと誠実な人がらはしだいに島民らに受け入れられ、交流を深めていった。 そんななかコトーが大学病院を辞めるきっかけとなった医療事故の関係者巽謙司が来島し、最終話に向けて島民を巻きこむ大波乱となる。 配信なし OLの神埼茜(小泉今日子)は、同じ会社の永井(竹野内豊)と婚約し、幸せの真っ只中にいた。 一方、妻から突然、離婚を言い渡された高沢幸一郎(中井貴一)は、娘の由紀(西秋愛菜)に手紙を送った。 ふとした偶然で茜がこの手紙を拾ったことから彼女の運命が変わり始める。 由紀が父親と暮らしたがっていることを知った茜は、何とか由紀を幸一郎に合わせようとする。 一方、由紀の親権問題で裁判をすることを決意した幸一郎だが、妻の側に付いたのは名うてのやりて弁護士安達薫(常盤貴子)だった。 裁判で負けた幸一郎だったが、幸一郎に好意を持つ薫は、幸一郎と由紀が暮らせるよう腐心して、これに成功する。 茜の心変わりを知った妹の比奈子(坂井真紀)は、姉と永井が巧くいくようにと画策する。 実は永井は比奈子が高校生の頃に雨でびしょぬれとなっていた比奈子に傘を手渡した人物であり、以来、比奈子がずっと心に秘めていた相手だった。 そして、比奈子は姉の婚約者である永井を諦め、自分と同じ花屋で働く落合(草彅剛)と付き合うようになる。 比奈子の葛藤に気づいた茜だが、もう幸一郎への気持ちを抑えきれなくなった茜は、永井との婚約を白紙にして、東京タワーに向かう。 そして星が好きな二人は偶然タワーの展望台で落ち合い、ようやく二人の恋が始まるのだった。 ドラマ『コード・ブルー』が誕生したのは「救急医療用ヘリコプターを用いた救急医療の確保に関する特別措置法」(ドクターヘリ特別措置法)が公布された2007年の翌年。 まだドクターヘリの認知度が世間一般に高くない中、配備を促進することを目的とした同法公布後に『コード・ブルー』が放送されたことは意義深いことでした。 『コード・ブルー』(以後1stシーズン)はフライトドクターを目指し全国から翔陽大学附属北部病院救命救急センターに集った藍沢耕作(山下智久)、白石恵(新垣結衣)、緋山美帆子(戸田恵梨香)、藤川一男(浅利陽介)といった医師たちが、出会うところから始まりました。 さらにドクターヘリで既にフライトナースとして信頼を得ていた冴島はるか(比嘉愛未)とも、時にぶつかり、時に助け合いながら生死を左右する難問に日々向き合いながら次第に成長していく姿が描かれました。 最終話ではトンネル多重衝突事故の大惨事の中、人命救助に必死に向き合う5人の姿が描かれた。 スペシャル(2009年)ではトンネル事故後、謹慎していた5人が勤務に復帰した日に発生した列車脱線事故でのドラマが描かれました。 セカンドシーズン(2010年)は、フライトドクターの研修修了認定まであとわずかとなった彼ら4人の姿を中心に描かれました。 クライマックスでは飛行機墜落によるドクターヘリの要請が入ります。 一回り成長した彼らが惨状を前に瞬間、瞬間に決断を迫られる中、命を守ることを第一に一人一人と向き合う姿が描かれました。 全作を通じ、緻密な取材に基づくリアルな医療現場を描くと同時に、一人一人の個性を丹念に描き出す人間ドラマが大きな感動を呼びました。 脚本はいきいきとしたセリフと人間描写で若者の絶大な支持を得ている宮藤官九郎。 そして監督はスタイリッシュな演出が光る河毛俊作。 これは21世紀のサラリーマン版「ビックウェンズデー」なのです。 2001年になったら宇宙に行けると思っていた旅行会社に勤める主人公・小林(織田裕二)。 30歳になったら実家の旅館を継ぐという父との約束から1年が過ぎ、同棲していた彼女も出ていった。 ある日、見合い相手を連れて上京するという強硬手段に出た父に何となく会いづらい小林は、道草にふらりと立ち寄った野球場で2人の男と出会う。 食品会社でメンマを売る営業マンで、得意先のラーメン屋の娘との結婚話に悩む鈴木(ユースケ・サンタマリア)と、一見エリート実は悩める次男坊で広告代理店に勤める田中(市川染五郎)。 ひょんなことで知り合った2人に不思議な共感を覚えた小林は・・・。 民放連賞、ATP賞ともに最優秀賞に輝いた連続ドラマW「空飛ぶタイヤ」のスタッフが送る社会派ドラマ。 「その特許がなければロケットは飛ばない…」町工場が取得した最先端特許をめぐる、中小企業と大企業の熱き戦いを描いた新時代の社会派ヒューマンドラマ。 かつて研究者としてロケット開発に携わりながら、今は実家の小さな町工場を経営する主人公・佃航平に三上博史、ロケットエンジンの特許技術をめぐって主人公と相対する大企業の宇宙航空部部長・財前道生に渡部篤郎、特許裁判のスペシャリストとして佃を支える弁護士・神谷涼子に寺島しのぶ、ほか、池内博之、綾野剛、原田夏希、眞島秀和、光石研、小市慢太郎、水野真紀、古谷一行ら実力派キャストを迎え、夢と現実の間で戦い葛藤する者たちを丹念に描き出す。 熱き情熱を胸に宇宙への夢を紡ぐ人々の感動の物語は、高い志を抱き、決して諦めず、誠実に努力を重ねることの大切さを改めて教えてくれるに違いない。 水と油のように正反対の2人が、運命的な再会の後、対立し合いながらもやがて理解し合うまでを、おしゃれに、華麗に、おかしく描き出す大人のためのライトコメディー。 鷹宮真(松嶋菜々子)はアメリカ3大ネットワークのニュース記者として活躍していたが、日本のテレビ局のJBCテレビからヘッドハンティングされ、視聴率が低迷するニュース番組のチーフプロデューサーとなる。 一方、同じ頃JBCテレビ入社以来バラエティ番組製作部に携わっていた永瀬洋海(福山雅治)は、数々悪評をたてながらも番組の成功に守られて好き勝手に振る舞っていた事から、上司の指示で報道局に転属された。 視聴率至上主義者の真と、番組は人生を楽しむ為の道具とうそぶく洋海。 性格も番組に対する考えも正反対の2人だが、学生時代は恋人同士だった。 そんな因縁もあって対立し合いながらも次第に関係を修復し、さらに理解を深めていく物語である。 被告である安藤貴和は結婚を前提に付き合う男性たちを保険金目的で殺していた「世紀の悪女」と言われて世間で叩かれ、証拠も揃っていて控訴審でも死刑判決は確実であったが、古美門はあえて控訴審の弁護を引き受けることとなった。 いつもの戦術で裁判は有利に進んだかに思われたが、被告人質問で貴和が改めて「殺人」を法廷の場で認めてしまう。 結果、控訴審は棄却となり、貴和の死刑判決は確定となった。 それは、無敗の敏腕弁護士・古美門研介の、弁護士人生初の敗北でもあった。 金と名誉をこよなく愛する古美門研介が、貴和の死刑判決を覆すことで名誉の回復を果たすことを軸に、第2期の物語は展開する。 パン製造会社の函館支店に勤めている井出春海(江口洋介)は、飛行機で東京へ出張することに。 春海は高所恐怖症。 飛行機が離陸のため動き出したとたん、もうパニック状態。 とめてくれと叫び、スチュワーデスの奥野小百合(鈴木杏樹)にしがみつく。 そして手にしていた大事な契約書をクシャクシャにして破ってしまい、会社からクビを言い渡される。 春海の祖母きみ(南美江)は賄付きの下宿屋「ふじみ館」を開いている。 しかし、急病で入院。 考えた末、春海が下宿屋を続けることに。 そんな折り、下宿屋の隣に、スチュワーデスの寮ができた。 引越してきた小百合と再会した春海は自己紹介をした。 金田一二三男(木村拓哉)はミラクル魔法瓶企画開発営業部の課長。 会社の後輩、同僚からも愛され、そのキャラクターが買われて、難しい商談がうまくいくこともあるほど。 社内では、大屋敷巌社長(中村敦夫)が亡くなり、息子の統一郎(藤木直人)が社長を引き継ぐことを社内放送が伝えていた。 大屋敷巌社長は息を引き取る寸前、息子、大屋敷統一郎にあることを告げていた。 父の最後の言葉を聞きはっと目を開く統一郎。 その意外な事実とは・・・。 ある日、金田一のもとに災難がふりかかる。 非常に機密性の高い情報を会社から持ち出したという罪をかぶされ、会社を追われることになってしまったのだ。 上司の模合謙吾(中井貴一)から「いったい何をしでかしたのか」と問い詰められるが全く身に覚えのない金田一。 模合も彼がそんなことをするはずはないと上司に疑問を呈するが黙っていた方が身のためと言われ、それ以上追及することは一切しなくなる。 一方、金田一の後輩、榎本小太郎(藤ヶ谷太輔)は目の前の状況を信じられないのだった。 会社の経理部では、不明金欄にゼロ円が並ぶことを何よりもの生きがいにしている女性社員、二階堂彩矢(香里奈)の姿が。 金田一とは無縁だったはずの彼女もまた、金田一にまつわるある資料の不明点を追及したがために事件に巻き込まれていく・・・。 職ばかりか金田一はなぜか住んでいた家も突如失い、唯一の通信手段だった携帯電話も失い一気に都会の難民と化す。 途方に暮れていた彼が出会ったのは幼い兄弟、鞠丘貫太(前田旺志郎)と両太(田中奏生)だった。 金田一は彼らに無一文で生きていくすべを学ぶことに。 金田一二三男のゼロからのスタートが今始まる・・・。 教頭を勤める猿渡五郎(生瀬勝久)は、理事長の赤城遼子(江波杏子)から3Dをうまくまとめるよう命ぜられるが、まったく歯が立たない。 そこで自分の立場が危ういと感じた猿渡は 「不良たちを黙らすことのできる教師を連れてくる」 と宣言し、南の島へ向かった。 久美子は南の島から帰り、赤銅学院高校の教師として働くことになった。 担任となった3年D組は、緒方大和(髙木雄也)、本城健吾(石黒英雄)、神谷俊輔(三浦翔平)と、風間 廉(三浦春馬)、市村力哉(中間淳太)、倉木 悟(桐山照史)の2つのグループが敵対していた。 教師たちの話によると、1、2年の時に別々のクラスの番長格だった大和と廉が、3年で同じクラスになったため対立するようになったらしい。 教室でもケンカや衝突が絶えない生徒たちに久美子はこれまでの教え子たちとは違う何かを感じた。

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視聴率

歴代バラエティ視聴率ランキング

概説 [ ] かつては「聴視率」という言い方もされていた。 視聴率の測定は基本的に、世帯に設置されるに接続した専用の機器から得られるデータを基にしている。 地域や調査内容によっては、式のによる調査を行っているものもある。 「視聴率」はその時刻に「テレビの電源が入っていた世帯からの割合」で測るものではなく、「調査対象世帯全体に対する割合」である。 例えば、100世帯がテレビ視聴率計測の対象だったとした場合、そのうちの「1世帯がテレビをつけていた状態」とする。 しかし、「残りの99世帯がテレビを消していた状態」の場合、つけていた1世帯が視聴していた番組の視聴率は100パーセントではなく、1パーセントとなる。 電源が入っていた世帯からの割合で測る場合は、それぞれの局の割合を「番組視聴占拠率」と呼ぶ。 "平均視聴率"は毎分0秒の時の視聴率(瞬間視聴率)の平均で求められており、一番組中で最も高かった瞬間視聴率を用語で"瞬間最高視聴率"として考慮することもある。 なお瞬間視聴率、瞬間最高視聴率という言葉はマスコミによる造語 で、「」ではそれぞれ毎分視聴率、毎分視聴率の最高値という。 視聴率というものを調査する意義は、大きく分けて以下の、• 各種番組の視聴率から、国民の関心の高さを探る• 視聴率の移り変わりから社会の動きを知る• テレビの媒体力や広告効果のひとつの指標として提示することで、利用に対して広告料をもらう根拠とできる といったものがある。 日本では、2014年7月に初めて録画率を表す「録画視聴率」が公開された。 アメリカ合衆国 [ ] 調査 [ ] では、1950年代以降、視聴率調査はが業務を独占している。 ニールセン・メディア・リサーチ社はニューヨークに本社をおくマーケットリサーチ会社である。 調査方法は、アメリカ合衆国全国調査は1987年よりピープルメーター方式(それ以前は日記式アンケート)、地域調査は1週間分の日記式のアンケートを郵送する方式に加えて、2003年後半から2004年前半にピープルメーター方式を導入した。 ニールセン調べにおける全米の視聴率歴代最高はの『』最終回で記録した60. 以後、それまで視聴者数歴代最高だった 『マッシュ』最終回の記録が、『スーパーボウル』のテレビ中継によって次々と更新されている。 視聴率測定における時間帯区分(プライムタイム) [ ] ニールセンの調査では、月曜〜土曜の20時から23時及び日曜の19時から23時を特に視聴率の高い「プライムタイム」としている。 これは日本の調査での「プライムタイム」とは異なる。 日本 [ ] 歴史 [ ] における視聴率は記録に残っているものでは、に「」が年に2回、訪問面接法による調査を開始したのが最初である。 「NHK放送文化研究所」による調査は、に調査方式を配付回収法に変更した。 数か月に1回、1週間分の個人視聴率の調査・発表を行っている。 にはが年に4回、日記式のアンケートによる調査を開始した (電通による視聴率調査は1月が最終。 以後の調査は「」へ引き継がれる )。 では電通大阪支社と、の3者が「放送調査委員会」を組織して実施した。 当時まだ少なかったテレビ所有世帯を探して毎日訪ね、5分刻みで記入できる翌日の番組表を渡して書き込んでもらい、回収した。 集計は約一カ月かかった。 視聴率をより早く知りたいという企業の要望に対応するため、毎日放送はその後、独自に電話調査を開始した。 にを突き刺し、穴が開いたページの一般家庭を調査対象としてリストアップ。 電話をかけて「テレビはありますか」「どなたが見ていますか」「見てるのは、どのチャンネルですか」の3項目を質問した。 「テレビはない」と怒鳴られることもあったという。 には が同じく日記式のアンケートによる調査を年に4回開始し、には年12回(毎月)に拡大した。 4月、が日本に進出し測定機械による世帯視聴率調査を開始し、12月からは社も調査を開始した。 当時は測定器を該当する世帯のテレビに取り付け、情報を紙テープに記録するオフラインメータ方式 で、調査員が記録テープを回収 した後に集計を行っていたため、前週の視聴率が翌週に判明する状態であった。 9月26日、関東地区にてビデオリサーチが開発した「ミノル・メーター」 を使用し、通信回路()を経由して情報を自動回収するオンラインメータ方式 による調査を開始したことにより、翌日には視聴率が判明するようになった。 長らくこのニールセンとビデオリサーチの2社が日本国内における世帯視聴率を測定していたが、3月にニールセンが日本国内における視聴率調査から撤退し 、それ以後は、世帯視聴率はビデオリサーチの測定した結果のみが用いられることとなった。 ニールセン撤退の理由は機械式個人視聴率調査の導入に関して民放キー局と意見が対立したからだとされる。 春にの業界で起こった論争をきっかけに機械式個人視聴率調査の導入問題が起こる。 11月にニールセンが三井造船系列の企業が開発した「Vライン」を使用した機械式個人視聴率調査を開始したが、Vラインの調査精度に疑問を唱えていたテレビ局側が猛反発し、実際になどがニールセンとの契約解除に踏み切る。 1997年にはビデオリサーチも機械式個人視聴率調査を導入するが、これに伴い調査費用が高騰。 結果的にこれがニールセンの撤退に繋がったとされる。 2006年8月よりケーブルテレビ会社の(J:COM)が、番組供給事業者向けに(STB)の双方向機能を使った「デジタル視聴率」の提供を開始した。 2011年7月4日にビデオリサーチは、フルセグ放送が視聴できるデスクトップパソコンとのを「パソコンテレビ」として視聴率の調査対象に加えた。 また、同年7月24日以降、アナログ放送が終了したエリアでは、調査対象がデジタル放送を視聴できる世帯のみとなっている。 2015年1月から提供を開始している。 関東地区に限り、2016年の年度下期から(同年10月3日調査分から)は調査世帯数の増加に合わせ、従前のリアルタイム視聴率に加え、タイムシフト視聴率も調査対象に正式に加わった。 「リアルタイム視聴率」と「タイムシフト視聴率」の和集合の数値 を「総合視聴率」とも呼んでいる。 2018年の「年度」から(同年4月2日調査分から)関西地区でも、同年の「年間下期」から(同年7月2日調査分から)名古屋地区でも、それぞれタイムシフト視聴率の調査を各地区のリアルタイム調査全世帯600に拡大予定。 日本の視聴率はパーセンテージのみの発表で、アメリカとは異なり視聴者数は発表されなかったが、2018年7月23日にビデオリサーチは、の日本代表戦4試合の生中継における、日本全国での「リアルタイム総視聴者数」の推計を発表し 、続いて2019年1月15日に、2018〜2019年の年末年始(12月30日~1月3日)の恒例番組における、日本全国での「リアルタイム総視聴者数」の推計を発表した。 調査 [ ] では、測定する有力会社が「」1つのみになった2000年3月以降、同社の調査結果が世帯のリアルタイム視聴率とされている。 「ビデオリサーチ」の場合、機械式の視聴率調査は、、、、、、、、・、、の11地区で毎日、、、、、、、、(・)、、、、、、、、の16地区で毎月の第1月曜日 4月と10月は第2月曜日 から2週間、それぞれ調査期間を設けて調査を行っている。 標本数は関東は900、関西、名古屋の2地区で600、それ以外の地区は200である。 なお、放送エリア内に地元民放テレビ局が3局以上あることが機械式視聴率調査の条件のため、、、、、では機械式視聴率調査は行われていない。 CSデジタル放送・・などは一括して「その他の局」という扱いとなり、個別の数字は特に公表されていない が、の、移行後の、などはNHKがビデオリサーチに対して特別に依頼の上、測定される。 については、12月の開始当初は対象外 としていたが、普及に合わせてデジタル対応の調査機器への更新が進められた。 BSデジタル放送については、2015年4月よりが機械式調査に移行したことにより、地上波とは若干条件が異なるものの視聴率が測定・公表される。 ただし有料チャンネルは除かれる。 や携帯受像機による視聴は機械式調査ではカウントされていない。 録画による視聴(タイムシフト視聴率)に関しては、2016年10月3日の調査分から関東地区に限り測定されている。 なお、というものは別途存在する。 一般に関東、関西、名古屋地区などで、・で15パーセントを超えるとヒット作と言われるものが多く、逆に10パーセントを切ると「一桁」として視聴率が低迷していると言われるものが多い。 各社、特ににとってはこの数値が1ポイント増減しただけで利益やの営業活動に大きく響くため、視聴率を重視している。 全国の世帯から徴収するで成り立つは「視聴率に左右されないテレビ局」を謳っている が、NHK以外のメディアにおいて「NHKも民放と同様、あるいはそれ以上に視聴率を意識している」との見解が示されているか、またはそれを前提とした報道・評論がされている例も多い。 また、かつてNHKの気象情報に出演していたでのは、「チャンネルを変えられないようにとの指示が出ていた」と証言している。 これまでの関東地区における最高視聴率は「ビデオリサーチ」が視聴率調査を開始した以降ではの『』で記録した81. 4パーセントであり(-に行われていた「」による調査でも『第14回NHK紅白歌合戦』の89. 8パーセントが最高)、「ビデオリサーチ」以前も含めた最高視聴率は、の中継・対戦で記録した96. 1パーセント(調べ) である。 「ビデオリサーチ」調査における関東地区の視聴率では、NHK総合がからまでの24年間、各民放キー局を押しのけて、連続して1位を獲得していた。 以降は民放局がその座を獲得する例が多くなった。 「ビデオリサーチ」調査では『』があることなど(後述)から、年間視聴率1位はNHK総合の番組という例が多い。 までNHK総合の番組が年間視聴率1位の座を譲ったことがなかった(紅白についてもまで年間視聴率1位の座を譲ったことがなかった)。 以降は年によっては民放番組(主に国際スポーツ中継の日本戦)が年間視聴率1位を獲得する例もある。 在京局歴代最高視聴率(ビデオリサーチ調べ、・世帯・リアルタイム) 放送局 番組名 放送日 放送時間 長さ 視聴率 (昭和38年) 21:05 - 23:45 160分 81. 在京民放の局別歴代最高視聴率は日本テレビを除き全局 予選・本選の戦が、またNHK総合()以外は全局共にが獲得している。 視聴率測定における時間帯区分 [ ] ゴールデンタイム・プライムタイム [ ] 冒頭で述べた通り、(からまで2社体制で視聴率調査をしていた)「ニールセン」と「ビデオリサーチ」とで、最もテレビの視聴が高い時間帯の基準が両社で異なっていたからによるものとされている。 米国に本社を持つ「ニールセン」では、米国基準で最もテレビの視聴が高い時間帯を設定し、これを19時から23時までとして「プライムタイム」と呼んだ(ただし実際の米国における「プライムタイム」の時間帯は前述のように日本のそれとは異なる)。 これに対し、「ビデオリサーチ」は日本独自の基準として、最もテレビの視聴が高い時間帯を19時から22時までとして「ゴールデンタイム」と呼んだ。 なお、この2区分の調査は、ニールセンの「プライムタイム」は4月の調査開始当初から、「ビデオリサーチ」の「ゴールデンタイム」も12月の調査開始当初から始めた。 しかし「ビデオリサーチ」もから「プライムタイム」の調査を開始し、現在に至っている。 三冠王・四冠王 [ ] 日本の放送局が視聴率を評価する際に使う表現で、下記3区分すべてで平均視聴率がトップの放送局を指して「三冠王」と呼ぶ。 (19時-22時)• (19時-23時)• (6時-24時) 上記に加え、日本テレビでは(6時-19時、23時-24時)でも視聴率がトップであれば「四冠王」と呼んでいたが、2012年度からはノンプライムを内部参考化したため、こう呼ばれることはなくなった。 テレビ朝日では プライム2 (23時-翌日1時)でも視聴率がトップであれば、「四冠王」と呼ぶ。 なお、NHKおよびTBS・テレビ東京・フジテレビにおいて、公式にはいずれの意味の「四冠王」の表現を用いていない(フジはかつてノンプライムの放送区分を用いて四冠王を称していたことがあった)。 視聴率三冠王(NHKを入れたすべての在京テレビ局で)の第1号はTBSで、に1度達成している。 当時は『』『』『』『』と言った土曜日の19時より22時台手前まで連続して超人気番組を同局で編成していたことや、平日においても「」「」などの高視聴率番組が存在したことが主な要因であった。 なお、この年のTBSの全日視聴率はNHKと同率であった(10. 1%)。 とはいえ、この頃のNHKのやの視聴率が2018年現在の2倍以上であったことなどを考慮すると、民放局での三冠達成は、業界内では画期的な出来事であった。 後半に、フジテレビが「三冠王」を使い始めた。 フジテレビはからまでの12年間、連続して三冠王となったが、これは在京 民放局5局の中での三冠王である(NHKを含めた中での三冠王となったのはとからの合わせて5年間で、それ以外の年はNHKがフジテレビの全日視聴率を上回っていた)。 なお、1993年のフジテレビの全日視聴率は、日本テレビと同率であった。 一方で、年度視聴率においても、フジテレビは1982年から1992年までの11年間は連続して三冠王となったが、やはりこちらも在京 民放局5局の中での三冠王であった(1990年になってやっとNHKの全日視聴率を含めて完全三冠王となったが、長くは続かず、NHKを含めた在京6局の中での三冠王は結局、1992年度までの3年だけであった)。 その後、日本テレビが「四冠王」の表現を使い始め、バラエティー番組やプロ野球巨人戦の中継が好調に推移したことで、同社が(NHKを含めた在京6局の中での)年間視聴率四冠王の座をからまでの10年間、連続して獲得した(1994年の日本テレビは、全日は単独で首位だったが、ゴールデンタイム、ならびにプライムタイムのそれぞれの年間視聴率でフジテレビと同率であった )。 一方で、年度視聴率においては、日本テレビは1994年から2002年までの9年間、連続して三冠王だったが、1993年度は全日のみ首位(ゴールデン、プライムはフジの二冠)、2003年度はプライム以外の三冠だった(プライム首位はフジ)。 以降は、フジテレビが年間、および年度視聴率の三冠王をまで7年連続で獲得(NHKを含めた在京6局中)。 は日本テレビが8年ぶりに年間視聴率三冠王を奪還した(こちらもNHKを含めた在京6局中。 ただし、全日はフジテレビと同率であった)。 しかし、はテレビ朝日が年間視聴率で、開局以来初のプライム首位を獲得し、日本テレビの2年連続三冠王達成はならなかった(日本テレビは全日、ゴールデンの二冠)。 さらに、2012年の年度視聴率、ならびにの年間視聴率では、テレビ朝日がゴールデン、プライムの二冠を達成した(全日は共に日本テレビが首位)。 以降は再び日本テレビが三冠王を連年獲得している。 視聴率争い [ ] 視聴率がテレビ局の評価の指針となる場合があるため、国や時代、時間帯を問わず視聴率争いは行われている。 ここではその代表的なものをあげる。 日本 [ ] 土曜20時戦争 [ ] の『』(-)が「 お化け番組」と呼ばれる程の凄まじい人気を誇ったことで発生した。 「」および「」も参照 他局への影響は大きく、当初『』で優位だったライバルのは対抗する番組『』を企画するも2ヶ月で打ち切られ、その後は時代劇を中心としたドラマ路線に変更するも悉く放送終了し、土曜20時枠は「鬼門」とまで言われた。 1974年にがから抜けて暫くは『』の成功もあって視聴率が逆転したが、の「」のヒットで再び逆転、以後、『』( - )が登場するまで、他局が対抗出来る番組は無く、女子チーム「」の試合をメインとした『』(1978年)が目立つ程度だった。 中には『』のように大々的な番宣キャンペーンを行ったにも関わらず、放送回数6回で打ち切りになったものも存在した。 日本テレビは『』を放送するも振るわず放送枠を移動。 それらの番組はスタート当初は健闘したものの、次第に子供視聴者も『8時だョ! 全員集合』を選ぶ傾向が強くなったため、視聴率は回復しなかった。 このため1時間枠に戻したものの、それでも開始の主演時代劇『』までヒットしなかった。 特に1976年5月に『』(第1シリーズ)終了後、同年10月開始の時代劇『』までの間は、定時番組は置かずに単発枠()を編成し、『』や劇場版『』などの子供向け番組を特番扱いで放送する状態だった。 詳細は「」、「」、および「」を参照 では、(昭和45年)に『』、(昭和47年)に『』といった、後年日曜日に放送する番組を放送したが、『全員集合』には追い付けず、(昭和49年)に海外ドラマ『』を導入して大ヒットさせる。 これが現在まで続く『』に受け継がれる。 では中盤から3ヶ月程度の番組が連発し、1978年(昭和53年)より90分単発特別番組枠『』を開始、以後何度か中断を置きながら単発枠を継続した。 だがその単発枠中断時に放送した番組は各局同様苦戦が続き、特に1980年(昭和55年)10月に、主催プロレス中継『』を月曜20時から移動するも、先述の『ピーマン白書』と最下位を争う状態で、遂に翌1981年3月にはレギュラー放送を打ち切り、同年8月の団体崩壊につながってしまう。 詳細は「」を参照 当時のドリフの人気を示すエピソードとして、タレントのは自分はドリフ(全員集合)を見たかったが、家では父()が出ている野球中継を見ていた。 月曜日、自分は学校でドリフの話についていけなかったと当時を回顧した。 (昭和56年)10月改編で、フジテレビはに乗り『オレたちひょうきん族』(以下『ひょうきん族』)を放送開始。 開始直後の視聴率は伸び悩んだが、ドリフの不祥事(、の「競馬事件」)や、「囚人コントのギロチン事件」が大きく響いた事もあり、以降『ひょうきん族』は徐々に視聴率を獲得し、1984年の年間視聴率でついに全員集合を逆転、翌1985年(昭和60年)10月改編で全員集合は終了した。 翌1986年1月、全員集合の後継番組『』(以下『加トケン』)が放送されると、番組内の『おもしろビデオコーナー』が人気になり徐々に『加トケン』が視聴率を獲得、同年12月に起きたにより、『ひょうきん族』の看板タレントだったが抜けたこともあり、『ひょうきん族』を逆転。 (平成元年)10月改編で『ひょうきん族』は放送終了となった。 詳細は「」および「」を参照 に入ると『加トケン』への対抗として、『』()、『』(フジテレビ 以下『やるやら』)が放送開始。 テレ朝『暴れん坊将軍』と合わせて、人気4番組による争いとなる。 争いは2年ほど続いたが、まず『加トケン』が1992年4月、『』としてリニューアルするも、これが裏目に出てしまい、視聴率が急速に低迷し、同年9月に終了。 一方の『やるやら』も1993年6月、収録時の事故により放送が急遽打ち切られると『』(以下『めちゃイケ』)の放送まで再びフジテレビの土曜20時枠は「鬼門」となった。 詳細は「」および「」を参照 TBSは(平成5年)、『』をスタート。 当初は『マジカル』に苦戦したが、『マジカル』の木曜日への移動により安定した視聴率を獲得し「親が子どもに見せたい番組」の上位にランクインされる人気番組になった。 フジテレビも1996年に『めちゃイケ』をスタートさせると視聴率を獲得、1978年の放送以来、常に安定した人気を保っていた『暴れん坊将軍』を移動させた。 2000年4月に『どうぶつ奇想天外! 』が日曜20時に移動すると、しばらくは『めちゃイケ』の独走状態であったが、に放送開始した日本テレビ『』の台頭により、同番組に陰りが見え始めてくる。 2006年度には『世界一受けたい授業』が『めちゃイケ』を上回ることも珍しくなくなった。 追いうちをかけるように、2008年にTBSでドラマ『』が放送され、これが顕著となり、同番組が終わった後も視聴率が回復しなかった。 その後『めちゃイケ』は特別企画を中心に視聴率を稼いでいたが、2010年以降はテレビ東京の『』が「」を中心に人気を集め、中には『めちゃイケ』を凌ぐ視聴率を記録する回もあり 、『めちゃイケ』の独走状態ではなくなった。 2015年からはNHKの『』も人気を集めており、『めちゃイケ』の視聴率は降下、最終的に『めちゃイケ』は2018年(平成30年)4月改編で終了することとなった。 詳細は「」を参照 土曜19時枠でも1970年代から1980年代までは『』(制作。 第2期)と『』を擁したTBSの独走状態となって他局は苦戦を強いられた。 日本テレビは1985年10月にを同曜夕方枠から19時枠に移動して、6年半ぶりにゴールデンタイムの生中継を復活するも、2年半で日曜22時半の録画中継枠への枠移動に追い込まれた。 フジテレビは18時枠の看板であった『』を19時枠に移動させるも、視聴率を奪えずシリーズ自体終了に追い込まれ、さらに長寿番組だった『』も打ち切られる事態となった。 1991年10月にフジが『』を、テレビ朝日は翌1992年3月に『』をそれぞれ投入して、ようやくTBSの勢いを止めることに成功したが、そこまで10年以上の時間を要した。 また、同じフジテレビ系列である関西テレビは『クイズダービー』(関西では毎日放送が放映)の裏番組が『部長刑事』だったこともあり、さらに厳しい戦いとなった(後述の「」を参照)。 『ピンポンパン』放送開始当時は両番組の間で放送時間が重複していなかった が、2年後の1968年4月に『ピンポンパン』が番組枠を5分拡大して45分番組になると同時に放送時間を8:00 - 8:45となり、一部時間帯で『こどもショー』と重複したことで視聴率争いが始まった。 『こどもショー』は翌1969年4月に放送時間を15分拡大して全曜日で7:15 - 8:30の1時間15分の番組となり、『ピンポンパン』と重複する時間が15分から30分に拡大するも、この頃より番組が徐々に認知され始めた『ピンポンパン』に視聴者が移行したことと、生放送からVTR放送に移行したことで新鮮さが失われた部分が出たことで、『こどもショー』は重複時間帯に入った時間以降の視聴率に陰りが見え始めた。 対する『ピンポンパン』は同じ1969年4月に平日と同じ8:00 - 8:45の放送時間帯で土曜日版も放送するようになり、重複時間帯のみだったとはいえ、視聴率争いは徐々に激化するようになった。 しかしながら、同年10月に『こどもショー』が番組編成の都合上で7:15 - 8:00に放送時間を縮小したことで一旦は『ピンポンパン』との放送時間帯の重複が解消され、視聴率争いは一旦休戦状態となった。 対する『こどもショー』は、1970年10月に満を持して日曜日版を7:15 - 7:55の40分番組として放送するようになり、1971年4月にはその日曜版を5分拡大して7:15 - 8:00の45分番組となったが、視聴率の伸び悩みを解消するまでには行かなかった(一方の『ピンポンパン』は日曜日版の放送は行わなかった)。 しかし同年6月より日曜版を子供視聴者参加型歌合戦「コンちゃんのトンカチうたじまん」(司会 - 、 当時局アナ 、審査委員長 - )に変更し、1975年3月まで続く人気企画となった。 しかし1972年1月に『こどもショー』が7:25 - 8:15に放送時間帯を移動したことで再び『ピンポンパン』と一部時間帯 8:00 - 8:15 で重複することとなり、重複時間帯における両番組間での視聴率争いが再開する。 一方の『ピンポンパン』は引き続き「ピンポンパン体操」など、一部のコーナーは引き続き大好評だったものの、重複時間帯で視聴率を落とすこととなった。 その2年後の1974年4月、『こどもショー』は放送時間を7:00 - 7:45に移動して5分短縮、『ピンポンパン』も8:00 - 8:40にして『こどもショー』と同じく5分短縮したため、重複する時間が解消。 重複時間帯での視聴率争いは再び休戦となった。 しかしこの時期の『こどもショー』は頻繁に出演者を変更、1973年11月にはお姉さん役を、マスコットをニャンダ(声 - )に変更、その海老名が体操のお兄さん役のと結婚したことで、1975年からはお姉さん役をに変更した(ニャンダは継続)。 1975年10月、フジテレビは同じく子供向け番組である『』(以下『ポンキッキ』)の放送時間帯が昼から朝に移動し、『ピンポンパン』の次の番組として8:15 - 8:45の枠で放送するようになり、その影響を受けて『ピンポンパン』は、平日に限り、7:45 - 8:15に放送時間を移動した(土曜日版も8:00 - 8:30に放送時間を縮小)が、開始から3年を経過していても「ピンポンパン体操」が依然として人気であり、また同年4月より子役男性グループのをレギュラー陣に加え、お姉さん役も を起用するなど、著しい勢いで人気上昇していた『ピンポンパン』の視聴者が、『ポンキッキ』も引き続き視聴すると言う効果を生んだ。 その『ポンキッキ』では、との斬新なキャラクターや、番組でかかっていた楽曲「」で話題となった。 なお、『ポンキッキ』は土曜日の放送は行わなかった。 対して、『こどもショー』の放送時間は、この時点では従来通り7:00 - 7:45のままであったので、2番組と重複する時間帯は引き続きなかったままであった。 その『こどもショー』は同時期に内容を大幅に変更、平日は2部に分け、2部は今までの「こどもショー」だったが、1部は「トンカチうたじまん」の後継「こどものどじまん」の曜日別戦、そして土曜は「こどものどじまん」のチャンピオン大会、日曜は観客である子供から参加者を募って歌わせる「こどものどじまん とびいりのどじまん大会」に変更、これに伴い「のどじまん」の司会は大村崑・石川アナから(後に)、審査委員長は(後に)にそれぞれ変更した。 また1年後の1976年9月には日曜版を変更、番組で結成した少年野球チーム「おはよう! こどもショー モーニングス」が全国各地の少年野球チームとの試合を中継する「スポーツ・スペシャル 小学生野球大会」(実況 - 、解説 - )となった。 ところが、1977年4月に『ピンポンパン』が7:30 - 8:00に放送時間を10分縮小するも15分繰り上げ、『ポンキッキ』も8:00 - 8:30に連動する形で移動したが、同時に『こどもショー』も平日・土曜日版を7:45 - 8:25に移動した(日曜日版は7:00 - 7:45で不変)ことで、フジテレビの2番組と日本テレビの『こどもショー』の放送時間帯が完全に重複することとなり、ここに『ピンポンパン』と『ポンキッキ』VS『こどもショー』の視聴率争いがまたも始まることとなり、しかもその視聴率争いはこれまでよりも大きいものとなった。 『ポンキッキ』の時間移動効果もあり、フジテレビの2番組に視聴者が移行したことで急速に視聴率が激減した『こどもショー』側では、フジテレビの2番組に対抗する形で、1975年より1977年にかけてコーナーの再リニューアルを実施し、古くなったコーナーを廃止し、新たに番組のオリジナルソングを制定した上で、その楽曲を歌うコーナーなどを新設したり、の小学生版との触れ込みで、当時双子の女子小学生歌手であった をレギュラーで起用する(ただし、リトル・ピンクの起用は『ピンポンパン』のビッグ・マンモスへの対抗として起用した訳ではない)などのテコ入れを図ったものの、ガチャピンとムックの人気キャラクターや人気楽曲を徐々に輩出するようになる『ポンキッキ』と『ピンポンパン』に対して、『こどもショー』は次第に歯が立たなくなった。 またこの時期になると、『こどもショー』の出演者も、で人気が出たや、アイドル歌手の、そしてデビュー間もないアイドル歌手・などといった異色系まで出演する様になった。 『こどもショー』に追い打ちをかけるように、『ピンポンパン』は「にっこり町」を舞台にしたコメディのコーナーをメインに据えるようになり、『ポンキッキ』も徐々ににではあるが、歌以外のミニコーナーも充実させるようになった。 それどころか『こどもショー』は1978年4月より放送時間を『ピンポンパン』と全く同じ7:30 - 8:30となり、完全に競合してしまうようになった。 一方の『ピンポンパン』は同じく1978年4月より土曜日版の放送時間を平日と同じ7:30 - 8:00とした。 この時、人気が著しく落ちたものの、一部の親子での視聴者からはまだ支持されていた『こどもショー』に対して、再リニューアルも多数要望されていたが、他の番組との関連や、当時の日本テレビでは『こどもショー』以外の子供向け番組の縮小を実行に移していた事情 などもあり、再リニューアルを見送り、終了することとした。 『こどもショー』は、まず1979年3月2日に平日版を終了。 最終日は14年間の総集編を放送した(次番組は情報番組『』)。 同年の翌3月3日には、土曜日版は日曜日版と同じ7:00 - 7:45に移動したものの、コーナーは「おはよう! のどじまん」程度しか設けられず、日曜日版も「小学生野球大会」を放送する程度までに整理されたことで、これらの版でも著しく視聴率が落ち、遂に1980年、『こどもショー』はフジテレビの2番組に敗れる形で番組を終了した。 日曜日版のみ『』が『こどもショー』の後継番組となったが、これもコーナー縮小の後、1987年に終了する。 『こどもショー』(とその後継の『サンデー』)が終了したことで、日本テレビでは一時期、本格的な子供向け番組から事実上撤退した。 同局で子供向け番組が再開されるのは21世紀に入った2002年の『』となるが、この番組も2004年に終了した。 『こどもショー』との視聴率争いに勝利した『ピンポンパン』と『ポンキッキ』の2番組は、前者は『こどもショー』終了後は『ズームイン』の影響もあって番組に陰りが見え始め、まず1980年4月より土曜版を廃止、1981年末には同番組のキャラクターであったカータン (声 - )をバビちゃんに交代させるも、人気を得るまでには至らず、また各コーナーも「ピンポンパン体操」や「にっこり町」以外の人気が低迷したこともあり、1982年3月に終了、以後はアニメの再放送枠になる。 『ポンキッキ』は依然として大人気番組であり、またとなったが、これも局側の事情で1993年秋に大人気の状態を維持したまま終了し、情報番組に衣替えした。 ただし『ポンキッキ』は『ポンキッキーズ』に改題し、同時に時間移動を行った上で放送するようになった。 またこの間の1992年10月には、を多用した異色の子供番組『』を開始、10年半振りに子供番組2体制に戻るも、1年半で終了した。 これらの他、1973年4月にはでも子供番組『』を開始。 当初は日曜だけの放送だったが、NETが1974年4月より教育専門局から一般局に変更されるのに先駆け、1973年10月より平日10時台に変更、その後は『』に改題したり、枠を10時台や16時台などに変えていたが、1975年10月より8:01 - 8:30に変更、『こどもショー』や『ピンポンパン』・『ポンキッキ』と三つ巴の戦いとなるも壁は厚く、半年で『』に改題して10時台や16時台で放送、その後1978年4月より2年振りに8:00 - 8:30に戻り、お姉さん役も『あそびましょ』時代からのからに交代して、再び三つ巴(今度は『ピンポンパン』は関わらず)となるも、壁の厚さとお姉さんの交代がうまくいかず、またも半年で16時台に移動、同時にお姉さん役も・に変更、1980年まで続いた。 日曜ゴールデンタイムクイズ番組戦争 [ ] 1963年より毎日放送の制作によって全国ネットによる放送を開始した『』(以下『アップダウン』)は、放送時間を19時から19時30分までの30分番組ながらも、20年以上に及ぶ長寿番組となった。 『レッドビッキーズ』終了後、『』からクイズ路線を復活、そして翌1983年3月に、朝日放送(現)がこれまで関西ローカルの番組で日曜日午前11時台に放送していた『』(以下『双六ゲーム』)を『アップダウン』と全く同じ放送時間帯に移動させて全国ネット化したことで同番組の裏番組となり、ここに本格対決が始まった。 純粋に出題者がクイズの問題を出してそれに解答者が答えるという、当時は一般的なクイズ番組のシステムであった『アップダウン』に対して、『双六ゲーム』はクイズに正解すれば双六にチャレンジする権利が与えられる、ゲーム性を混在させた斬新な番組構成が視聴者に大受けし、『アップダウン』は急速に視聴者を『双六ゲーム』に奪われる形で視聴者が激減した。 このため同年10月に『アップダウン』は大幅なテコ入れを実施することを決め、司会をアナウンサーのから俳優のに交代し、「この人クイズ」などの廃止とそれに代わる「リポータークイズ」「シンクロクイズ」を新設しクイズのルールも一部変更。 番組セットも全面的に更新した。 ところがこのテコ入れは失敗に終わり、クイズのルールも1984年4月に一部を除き元に戻すなどの迷走状態になった。 その一方で『双六ゲーム』は司会のによる進行が話題となったことで、一気に視聴率を上げた。 『アップダウン』とは対照的に、『双六ゲーム』では番組の内容をあまり変えなかった(全国ネット化時にオーロラコースの追加と他の解答者とコマが重複した場合に6つ下げるルールを逆に6つ進ませるルールに変更した程度)。 1984年に入っても『アップダウン』は視聴率の低下に歯止めがかからず、1985年には特別番組やスポーツ中継で中止になることも多くなった。 その1985年には、8月12日に番組の存続を事実上絶たせた要因の一つとなった航空機事故となる「」が発生、これにより日本航空の番組協賛を自粛せざるを得ない状況となったこともあり、毎日放送は同年秋に『アップダウン』の終了を決断した。 『アップダウン』の終了後は、同じクイズ番組ではあるが、最初期を除き芸能人出演型のクイズ番組である『』を開始させたが、この番組が芸能人出演型にリニューアルされた4月6日以降は、芸能人と司会のとのトークのやり取りが好評を得たこともあり、視聴率が急速に上昇し、以後番組終了までの間、高視聴率でしかも安定した視聴率を維持する番組となった。 一方の『双六ゲーム』は、『アップダウン』との視聴率争いに勝利を納めた1985年秋以降も高い視聴率を維持していたものの、翌1986年春に大人気番組のまま終了した。 木曜21時戦争及びとんねるず包囲網 [ ] 1970年代後半から80年代前半にかけて、木曜21時はの『』(以下『ベストテン』)が一強状態であったが、1988年頃になると、『ベストテン』の人気にも陰りが出始め視聴率が1桁の回もあった。 レギュラー初回は14. 詳細は「」および「」を参照 『おかげです』はその年から1994年 まで6年連続で年間バラエティ番組平均視聴率ランキング第1位を獲得することになった。 TBSはベストテン終了後の1989年10月、この時間帯を13年ぶりに連続ドラマ枠として、『』を皮切りに、翌年10月からスタートした『』に代表されるホームドラマや、の人気漫画を実写ドラマ化した『』、後述の『』をレギュラー放送では7年ぶりに復活、それらの作品を人気ドラマとして定着させ、テレビ朝日も『』を維持。 テレビ東京の『』もコアな視聴層を固めた。 2000年代以降はテレビ朝日が『』、『』、『』など主演作のヒットに恵まれ、また日本テレビは、1995年10月からスタートした『』を皮切りに、『』、『』、『』といったバラエティー番組も支持を得て、再びこの時間帯の視聴率争いが激化。 そして(平成30年)4月改編で『おかげでした』も終了して、この時間帯の視聴率争いはさらに激しいものとなっている。 詳細は「」および「」を参照 『Nステ』の放送が始まると中高生にわかりやすいニュースをコンセプトにした内容が功を奏し高視聴率を獲得したが、TBSの首脳陣は一連の久米の行動に激怒。 諏訪博会長の号令により「報道のTBS」の面子と社運を懸けて、打倒『Nステ』を目指し22時台のニュース帯番組を製作し『Nステ』にぶつける計画を立てた。 しかし計画はキャスター選びから難航した。 当初、白羽の矢を立てたのは久米の共演者黒柳徹子だった が、黒柳が拒否すると朝日新聞社員だったにキャスター就任を要請した。 ところがテレビ朝日がTBSに猛反発、遂には朝日新聞とTBS両社のトップ会談が開かれる事態になった。 その後TBSは、をキャスターに据えて1987年10月から『』(以下プライムタイム)をスタートしたが、視聴率で『Nステ』に勝てないばかりか森本に女性スキャンダルが発覚。 1年で森本は降板し、新たにをキャスターに迎え、『』に変更するも、結局『プライムタイム』放送開始から2年後の1989年9月、22時台のニュース帯番組から撤退した。 その後、TBSは筑紫をキャスターに据えた『』を翌月から放送開始した。 詳細は「」を参照 札幌戦争 [ ] 地区のにおける視聴率争いで、(STV)が1991年10月に始めた『』を中心としたものである。 1989年10月、(UHB)が道内初の夕方ワイド番組となる『』をスタートさせた。 視聴率は当初苦戦していたが、次第に2桁を取る週が出るようになる。 STVは2年後のに『どさんこワイド』をスタートさせる。 『どさんこワイド』も『TVポテトジャーナル』同様、視聴率は当初は苦戦したものの、次第に視聴率が向上する。 『どさんこワイド』の成功を受け、(HBC)は1993年10月に『』を16時から19時までの3時間、『』を内包する形で開始するが、STVも『どさんこワイド』の放送時間を『テレビ一番星』と同じ16時から19時までの時間帯まで拡大させ、両番組が同じ時間帯で放送されることになり、結局「一番星」は1年で終了。 短期間で終了に追い込まれた。 その後夕方ワイド番組はHBC・STV・UHBの巴戦が続いていたが、UHBは1993年10月に『TVポテトジャーナル』から番組名を変更した『ポテト』を1994年9月に終了させ、ドラマの再放送枠に戻る。 その後(HTB)が1999年4月に『』を17・18時台でスタートさせ夕方ワイド番組の視聴率争いに参入した。 さらには2002年にはNHK北海道が『』を、2003年にはTVhも『』をそれぞれスタートさせ、夕方ワイド番組争いに参入するがどちらも撤退した。 2003年4月にHTBは『 現・イチオシ!! 』にリニューアル。 2006年4月、HBCは16時台『ビタミンTV』および18時台の『テレポート2000』を合体させた新番組『』をスタート。 その後、2010年には『(現・今日ドキッ! )』をスタート。 2011年4月、一時期夕方ワイド番組から撤退したUHBは夕方ワイド番組『』をスタートさせた。 その後、2014年には午前の『さあ! トークだよ』を終了させ自社制作のローカルワイド帯番組を午後に集約。 今までの『U型テレビ』をリニューアルさせ、『』・『』・『』を編成。 14時から19時までの大半を自社制作のローカルワイド帯番組が占める事となった。 しかし同年10月『U型ライブEXPRESS』の打ち切りを発表、夕方の大型改編は大失敗に終わる。 2015年、UHBはこれまで放送されてきた『U型ライブ』・『Super NEWS U』の枠を統合させた新番組『』がスタート。 なおUHBにとっては、開局以来初めて3時間の自社制作大型情報ワイド番組を編成。 には『 みんテレ』を正式タイトルに変更して実質新番組扱いとしてリニューアル。 2020年4月改編にて『みんテレ』を約1時間に短縮した。 金曜20時戦争 [ ] 1970年代から1980年代にかけて金曜20時に放送された『』(日本テレビ)と『』(テレビ朝日)、TBSのドラマ・バラエティ番組の視聴率争いを中心としたものである。 『太陽にほえろ』と『ワールドプロレスリング』の両番組は、ほぼ同時期にスタートし同時期に終了や枠移動を行っている。 当時、日本プロレスの中継は日本テレビとNET(現テレビ朝日)の2局で放送を行っていたが、日本プロレスの意向により日本テレビは中心の試合を、NETはの試合を中心に放送していた。 その後、日本プロレスから猪木が除名されたことを機に、NET首脳陣は馬場の試合中継を要求、日本プロレス幹部がこれに応じたため日本テレビ側が激怒、1972年5月、放送していた『』を打ち切り、7月21日から金曜夜20時枠に刑事ドラマ『太陽にほえろ』の放送を開始した。 「」および「」も参照 一方のNETは、1週間後の7月28日より同じく金曜夜20時枠に『NET日本プロレスリング中継』のタイトルでプロレス番組を開始した。 当初、日本テレビは『太陽にほえろ』の放送を1クールで終了させ 10月から馬場が設立したの中継番組を『ワールドプロレスリング』に直接ぶつける計画があった。 しかし、『太陽にほえろ』が高視聴率を記録したため『全日本プロレス中継』は土曜夜20時枠に放送し、お化け番組と称された『8時だョ! 全員集合』にぶつけることとなった。 その後、『太陽にほえろ』が新人や無名俳優を主演の新米刑事として出演させ、成長させるパターンで安定した視聴率を稼いだのに対し、『ワールドプロレスリング』がアントニオ猪木を中心とした「過激なプロレス」と異種格闘技路線で高視聴率を挙げた。 「」および「」も参照 両番組のために低迷していたは秋から、『』として学園ドラマの『』(以下『金八先生』)を放送。 『金八先生』は放送開始するや瞬く間に巷の話題となって視聴率が毎回上がり続け、視聴率争いは三つ巴となる。 『金八先生』は半年後の終了前には30パーセントを超える視聴率を毎回獲得して『太陽にほえろ』と『ワールドプロレスリング』を完全に逆転した。 特に『金八先生』第1シリーズの最終回は関東地区で39. 9パーセントの視聴率を記録した。 同日、『太陽にほえろ』は400回スペシャルを放送したが視聴率は『金八先生』の半分以下18. 8パーセントに終わる。 『金八先生』第1シリーズ終了後もTBSは『金八先生』と舞台設定を同じにした学園ドラマ、通称・『桜中学シリーズ』をこの時間帯に敷いてリードを保った。 同年8月に崩壊したの残党(、、)によって結成された「」や、率いる「維新軍団」(結成当初は「はぐれ狼軍団」や、「革命軍」とも呼ばれた。 )を登場させ、猪木率いる「新日正規軍」を加えた三つ巴の軍団抗争や、正規軍・と維新軍団・長州との「名勝負数え歌」が人気を呼んだ。 特に、後に維新軍団に加わるがタイガーマスクのマスクを剥ぎにかかるシーンが放送されると、タイガーの正体の見たさに視聴率が上昇した。 その反抗の影響と、『桜中学シリーズ』自体もシリーズを重ねて飽きられ始めると、再び三つ巴の様相となっていったものの、『桜中学シリーズ』は徐々に視聴率を落とし、ついに1983年3月、『』を最後に金曜20時枠での放送を終了した(『桜中学シリーズ』もスペシャル版を除くと、『金八先生』の第3シリーズとして、1988年10月に月曜21時枠で放送を再開するまで6年間中断したが、その後『金八先生』のみ、1995年10月からの第4シリーズ開始以降は、時折ブランクを挟みながら断続的に第8シリーズまで毎週木曜21時に放送され、前述の「木曜21時戦争及びとんねるず包囲網」に加わり、裏番組であるフジテレビ系のとんねるずのバラエティ番組と視聴率を争う事となる。 但し、2004年10月から放送の第7シリーズのみ、毎週金曜22時から放送された)。 詳細は「」および「」を参照 その後、5月にTBSが当時でも絶大な人気を誇っていたをメインに据えた、視聴者参加型バラエティ番組『』(以下『たけし城』 をスタートさせると、抜きんでた視聴率を稼ぐようになり、金曜20時の視聴率の覇権を収めた。 対する日本テレビは主演のの体調不良もあって、『太陽にほえろ』の終了を決断(石原未出演のを含めると、番組は翌1987年2月で終了。 石原は同年7月死去)。 テレビ朝日も『ワールドプロレスリング』を月曜20時へ移動させ、音楽番組『』(以下『Mステ』)の放送を開始した。 しかし、これら長寿番組だった両番組を打ち切り(『太陽にほえろ』)や放送時間変更(『ワールドプロレスリング』)に追いやった『たけし城』だが、前述のにより、看板だったビートたけしと番組に多く出演していた弟子のたけし軍団が芸能活動謹慎となったことで、番組を降板して一時の勢いが衰えてしまう。 彼らは事件から約半年後に番組に復帰したものの、番組開始当初の勢いを取り戻すことはできず、1989年4月に『たけし城』はレギュラー放送を終了した。 『Mステ』は2代目司会を務めるのカリスマ性と、所属男性アイドルグループのレギュラー出演に支えられて2019年9月まで継続したが(2019年10月改編で金曜21時に枠移動。 後枠として水曜23時台に放送していた『』の放送時間を変更させた上でゴールデンタイムに進出) 、全体を見渡すと金曜20時台の視聴率争いは再び混沌としていった。 「」も参照 一方、フジテレビは1979年秋に当時人気番組だった『』に対抗して『』を立ち上げるが視聴率が振るわず、わずか5ヶ月で打ち切られた。 1988年、『Mステ』や『たけし城』に対抗するため、を中心とした新番組の計画や『ひょうきん族』の放送枠移動の計画があったが、当時の昭和天皇の病状悪化による自粛ムードや、出演者側のスケジュールの問題などもあり中止になった。 正午戦争 [ ] 1960年代から1970年代後半にかけてTBSの『』、テレビ朝日の『』の2大番組が争っていた。 1970年代お昼の視聴率で苦戦していたフジテレビは1980年10月、に便乗し『』を放送。 それから2年後、漫才ブーム終焉後の1982年10月、『』の放送を開始する。 『笑っていいとも! 』は瞬く間に人気を博しに登録されるほどの人気番組になった。 1985年、をきっかけに『アフタヌーンショー』が打ち切られると、他局の番組に太刀打ちできる番組はなく、正午の時間帯は『笑っていいとも! 』の一人勝ち状態となったことから、視聴率争いは日本テレビ、TBS、テレビ朝日による2位争いに移行した。 は『』(以下『おもいっきりテレビ』)の司会に就任した際の記者会見で、目標を『笑っていいとも! 』ではなく当時時間帯2位だった『』に設定するなど2位争いが過熱した。 日本テレビは1987年、『おもいッきりテレビ』を放送。 当初は『笑っていいとも! 』をはじめ他局に苦戦したが、1989年に司会のが参議院選挙出馬のため降板。 みのもんたに司会が変わると、それまでの内容を一新した事が功を奏し、中高年を中心に人気が出始めた。 これで3局の2位争い一歩抜きん出て単独2位となったどころか、日によっては視聴率で『笑っていいとも! 』を逆転することもあり、ここに「みのもんた症候群」という造語までできた『おもいっきりテレビ』と、若者を中心に安定した人気を保つ『笑っていいとも! 』との2番組の戦いへと変わっていく。 一方、アフタヌーンショーの打ち切り以降、同時間帯で苦戦し2位争いから脱落していたテレビ朝日は、1996年に『』を放送。 再びワイドショー路線に回帰すると同時に視聴率も上向きになった。 2004年4月1日の離婚会見を独占生中継した際は『笑っていいとも! 』、『おもいっきりテレビ』を抑え、第2部(当時は12時 - 13時5分)で視聴率1位を獲得するなど 放送内容によっては『笑っていいとも! 』、『おもいっきりテレビ』を上回ることもあった。 特に1990年代は『新伍のお待ちどおさま』が終了すると、テレビ朝日同様に短命で終了する番組が続出、TBSの正午は死に枠とさえ言われた。 2000年開始の『』の放送以降苦戦を続けていたが、2012年『・午後』にて年間視聴率が同時間帯横並びトップを獲得した。 その後、日本テレビの『おもいッきりシリーズ』(おもいッきりテレビ・『』・『・第2部』)は2010年3月まで続き、その後『』を経て、2011年3月からは『』を放送。 2014年3月、フジテレビは人気番組『笑っていいとも! 』を終了させ、4月より『』を放送。 テレビ朝日も同年4月より長寿番組『徹子の部屋』の放送枠を移動し、2020年春改編にて13時に放送枠を再度移動した。 これにより平日正午の視聴率争いは再び混沌としている。 『部長刑事』はが「応援」という形で番組に協力していたこともあり、関西地区における土曜夜の顔番組であった。 そのためやなど他局は対抗する手段がなく、裏番組は軒並み打ち切りになっていた。 1970年、の(営業局長)が、打倒『部長刑事』を旗印に、に「新しい仮面のヒーロー番組を製作したい」という企画を依頼した。 そこでできた作品が『』である。 (番組のスタートは翌1971年4月。 ) 斉藤の目論見は成功し、『仮面ライダー』は、関東地区では第1話の視聴率は8パーセント台と低迷したものの、関西地区では20パーセント超えの視聴率をマークした。 やがて、放送開始から3ヶ月後には、仮面ライダー2号こと、捜査官・滝和也、ライダーガールズの新たなレギュラー入りや、の導入、それまでの暗く重苦しい作風から明るく華やかな作風への路線変更が功を奏し、人気番組へと成長。 ()の到来とともに、たちを中心とした にまでなった。 『仮面ライダー』がとして製作されたこともあり、『部長刑事』の視聴者層とほぼ被らなかったため、それ自体が2月まで続く放送(全98話)となり、以降も『』、『』、『』とシリーズ化され、『部長刑事』と視聴率を争う事となる。 尚、昭和第一次最終作である『』は、後述の毎日放送と朝日放送との間のにより、1975年4月から放送時間が土曜の19時に変更された。 これにより、約4年続いた『仮面ライダーシリーズ』と『部長刑事』との視聴率争いは終結した。 詳細は「」を参照 1975年に毎日放送と朝日放送との間でのネットチェンジがあったが、ネットチェンジ後も毎日放送は『部長刑事』への対抗として、関西地区では朝日放送時代には火曜夜に遅れネットで放送されていた『』を同時ネットに移行し、以後も『』や、『』、『』などを放送。 しかし、『部長刑事』もこれに対抗して、所々でを行い、毎回10パーセント前後の安定した視聴率を挙げていたが、『新・部長刑事 アーバンポリス24』からはマンネリ化もあり、視聴率で苦戦し始めた。 『部長刑事』は「外伝」を始めた2001年、ついに放送時間を土曜18時30分に移動した。 「部長刑事シリーズ」は、2002年3月まで放送開始から実に43年7か月の間、関西地区を中心に放送されたが、ABCテレビがのでかつ初放送がということもあってか、関東地区・名古屋地区をはじめとした他のネット局では別時間帯で放送されたり、放送されなかった回の存在、不祥事の間接的な原因になるなどした。 これは、の形式で他の放送局にネットされていたことによるものであった。 詳細は「」および「」を参照 関西地区「プレバト」一強状態 [ ] 2016年頃まで、この時間帯は視聴者層が主に主婦層の「(日本テレビ)と、若年層の「」(フジテレビ)の二強であり、「」(TBS系列・制作局MBS)と、放送開始から10年以上経過しマンネリが危惧されていた「」(テレビ朝日)は思うように視聴率が取れなかった。 打開策として「プレバト」は番組内容を単純化し、出演者に行っていた罰ゲームを廃止したところ、中年層が見るようになり視聴率が徐々に上昇した。 関東でも2017年頃から二桁の視聴率を取るようになり、「VS嵐」と互角の勝負をするようになった。 テレビ朝日も2016年9月に15年続いた「黄金伝説」を打ち切り、「」を2016年10月から放送している。 こちらも二桁を取ることもあるが、同時間帯民放4位に甘んじることが多い。 日テレは「得する人損する人」を打ち切り、2018年10月から「」を放送し、MCに内村光良とサンドウィッチマン、出演者にハナコやEXITなどのといった若い世代から好感度の高いキャストで「プレバト」に対抗した。 またファミリー層を取り込むために再現VTRに力を入れる、クイズ要素で映像を流すなどの演出を行い一定の成果が出た。 2020年になっても関西地区の「プレバト」一強は変わらず、高い視聴率で他局を圧倒し、4月9日放送分で19. 2000年代の他局は19時台に『』(TBSテレビ)や『』(フジテレビ)、20時台に『』(TBSテレビ)や『』(フジテレビ)、『』(テレビ朝日)などが放送されていたが、2010年代に入るとこれらの番組が視聴率低迷や不祥事などを理由に軒並み終了し、19時台には『』や『』(共にテレビ朝日)、『』(TBSテレビ)、20時台には『』や『』(共にTBSテレビ)、『』(フジテレビ)などが放送されたが、どれも『DASH』『イッテQ』『行列』の牙城を崩すには至らなかった。 2016年に入るとこの時間帯の争いが激化。 テレビ朝日が19時台に『』をスタートさせたり、フジテレビがフリーアナウンサーのをメイン司会に据えた2時間番組の『』をスタート。 さらにTBSも19時台に『タレント名鑑』の復活版『』、20時台に『』を参入させたが、どれも思うほどの視聴率は獲得できず、短期間で終了した。 しかし2018年に入ると、『DASH』は出演者の不祥事で、『イッテQ』は番組そのものに不祥事が発覚し、視聴率に陰りが見え始める。 そんな中、同年冬にはフジテレビが19時台に『ジャンク』を復活し、一定の成果を収める。 秋にはテレビ朝日で『』と『』がスタート。 なお、TBSは同時期に『』を開始しある程度の成功を収めるが、不適切な演出があったことが発覚し約1年後に打ち切られている。 時間軸 時期 日本テレビ TBS テレビ朝日 フジテレビ 19時台 2007年4月 ザ! DASH!! さんまのSUPERからくりTV 旅の香り 熱血! 平成教育学院 2007年7月 単発特番 2008年1月 大胆MAP 2009年4月 大人のソナタ 2009年11月 速報! それマジ!? 2018年1月 ジャンクSPORTS 2018年10月 坂上&指原のつぶれない店 ナニコレ珍百景 20時台 2007年2月 世界の果てまでイッテQ! どうぶつ奇想天外! 大改造!! 劇的ビフォーアフター ジャンクSPORTS 2009年4月 うたばん 2009年10月 オレたち! 2018年4月 坂上&指原のつぶれない店 2018年10月 消えた天才 ポツンと一軒家 2019年2月 でんじろうのTHE実験 2019年10月 日曜THEリアル! 2020年4月 バナナマンのせっかくグルメ!! 一方、NHK総合テレビの日曜日20時台の伝統枠である『』は近年、この民放の視聴率争いのあおりを受け低迷。 特に2019年度の『』に至っては、一桁台を連発し、同枠では歴代ワーストの視聴率をたたき出した。 しかし今も中高年を中心に視聴習慣が根強く、次作の『』では一気に視聴率が回復、時間帯1位の視聴率を獲得することも多い。 アメリカ合衆国 [ ] マンデー・ナイト・ウォー [ ] 詳細は「」を参照 後半のでは、米国を二分するプロレス団体のWWF(現・)と(解散し現存しない)が、月曜夜の同じ時間帯にプロレス中継(WWFの『MONDAY NIGHT RAW』、WCWの『MONDAY NITRO』)を放送しており、熾烈な視聴率争いが発生していた。 この視聴率争いは凄まじく、ライバル団体の放送を見て何の前触れもなしに対戦カードを変更する、視聴率で押されそうになると現地スタッフがに乱入を指令する、などの常軌を逸した演出も日常茶飯事であった。 当初はWCWが人気レスラーを起用しを生むなど優勢であったが、WWFが選手や社長一家の抗争を前面に出すアティテュード路線に変更することで巻き返し、ついにはWCWを解散に追い込んだ。 選挙特番 [ ] 日本 [ ] 国政選挙が行われるたびににおいて激しい視聴率争いが繰り広げられている。 公共放送であるNHKに対抗すべく民放では番組の演出に趣向を凝らすようになり、特に1970年代のフジテレビでは、選挙特番を放送するために休止する『』や『』(制作)の内容を流用、司会も・や・といった、流用番組の司会者が務めた。 1980年代に日本テレビで放送された『』では落選した候補者には、「」を流し、候補者の顔写真が落ちていくという演出を行った。 1989年以降、民放各局では視聴率獲得のため、スポーツ中継と開票速報を同時に行う番組編成を行ったり、多くのタレントや芸能人がコメンテーターとして出演させたりした。 また、NHKをはじめ各局がなどを元に独自の事前分析で他局より1秒でも早く選挙区の当落を判明させて放送するようになった。 一方で、当落の誤報を起こすようになり番組内で謝罪したケースも存在した。 2010年、テレビ東京がを司会に据えた『』をスタートさせたところ、わかりやすい解説やの幹部や候補者にとの関係について質問する姿勢、また当選した候補者や有名候補者への鋭い切り口が視聴者の好評を獲て、2010年以降4回連続 で民放1位の視聴率を記録、2013年の特番では初の2桁視聴率も獲得している。 Twitter TV エコー [ ] ビデオリサーチは番組価値を測る新たな指標として、「Twitter TV エコー」というサービスを開始した。 における「インプレッションユーザー数」「インプレッション数」「1分あたりのツイート投稿数」「ツイート投稿ユーザー数」の4つを基本指標としている。 インプレッション(ツイートの拡散)が多いのはバラエティ、ドラマなどで、少ないのはスポーツ番組、報道番組などで 、高齢層より若年層で視聴率とツイートは高い相関関係、投稿よりもインプレッション(表示)において視聴率とツイートは高い相関関係にある。 この節のが望まれています。 視聴率を題材にしたフィクション [ ]• 『』(1976年 - 1977年、)• ドラマ• (2003年、系列)• ゲーム• (1999年、) 関連書籍 [ ] いずれも日本における視聴率に関するもの。 「ビデオリサーチ」編 『視聴率の正体』 、1983年。 引田惣弥 『全記録 テレビ視聴率50年戦争-そのとき一億人が感動した』 、2004年。 藤平芳紀 『視聴率の正しい使い方』 、2007年。 岩本太郎 「視聴率の歴史と『これから』」 『』2004年3月号。 NPO法人放送批評懇談会50周年記念出版 『放送批評の50年』、2013年、761-767頁。 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• この5県は年に4~5回程度、日記式の視聴率調査が非公式に行われている。 宮崎県では8月を除く偶数月に1週間ずつ行われる• 調査機器自体がデジタル未対応という事情もあったが当時の放送エリアは親局受信エリアの一部に限られていたことや受信設備自体が上級指向のものに限られていたため。 の年間の全日視聴率は、NHK総合ととが10. 1パーセントで同率1位であった。 なお、この年(1978年)にはTBSが年間視聴率で3冠王を獲得している。 当時、フジテレビの『笑っていいとも! 』でもあるなしクイズをコーナーとして放送していた。 1966年時点での放送時間は『おはよう! こどもショー』は7:15 - 8:15、対する『ママとあそぼう! ピンポンパン』は8:15 - 8:55であった。 両名とも当時フジテレビアナウンサー。 ロバくんは敵役のガマ親分(声 - )と共に着ぐるみ人形からに変更して、引き続き登場、同時にロバくんの声はに変更された。 当時フジテレビアナウンサー。 酒井は1979年3月に番組を降板。 日本テレビエンタープライズ(現所属)のアイドル歌手であった。 このため、日本テレビ以外のテレビ局の番組には原則的に出演しなかった。 実際に1979年に『』を終了している。 実際には1987年に『』を放送していたが、これも本格的な内容ではなく、また大きな人気を得るまでには至らず、翌1988年で終了した。 がモチーフであった。 1980年 - 1981年放送の『』は後半からクイズを廃止した。 番組開始当初は金曜に限り23時からのままであった。 これは当時金曜22時枠に朝日放送制作の人気時代劇『』が存在していたからである。 スタートは『太陽にほえろ』が1972年7月21日、『ワールドプロレスリング』が1972年7月28日(放送開始時のタイトルは『NET日本プロレスリング中継』、1973年4月6日より中継番組として『ワールドプロレスリング』に改題)、終了が『太陽にほえろ』は1986年11月14日(第一期)、『ワールドプロレスリング』が1986年10月に放送枠移動• 実際、関連商品(特にやを模した子供用)は軒並みヒット商品となり、は人気が出すぎておまけの仮面ライダーカードだけを取ってお自体は捨てるという悪い行為が全国的に多発した。 放送当時仮面ライダーの記事を独占的に掲載したは、仮面ライダーバブルの最中に『』を創刊した程となっている。 この作品の連載終了後に、ビデオリサーチ社長時代の森崎実はコメントを発表し、会社創立以降、ミノル・メーター導入までの、視聴率調査の実態について自ら概説している。 「『渦』を脱出 視聴率調査 - 小説に書かれなかった調査会社のあれこれ」(『』1977年1月13日付掲載、また『松本清張全集 第40巻』(1982年、)付属の月報に全文が再掲されている)参照。 出典 [ ]• 『』1969年9月5日号でこの名称を使用している。 日刊スポーツ 2010年6月22日付• jp 2004年4月19日• ロバート・A・バーゲルマン、スティーヴン・C・ウィールライト『技術とイノベーションの戦略的マネジメント』、2012年、171頁。 、TSPスポーツ、2017年2月6日。 、BIZトピックス、2015年2月25日。 増田弘道『デジタルが変えるアニメビジネス』、2016年、90頁。 『放送五十年史 資料編』591頁。 『毎日新聞』夕刊2018年10月13日(社会面)2018年10月22日閲覧。 消費者情報トレンドボックス• 会社情報• 『全記録 テレビ視聴率50年戦争-そのとき一億人が感動した』19頁。 『放送批評の50年』762-763頁。 ビデオリサーチ、2016年8月26日発行、同年10月6日閲覧。 すなわち、両視聴率の重複分は2重にカウントしない。 ビデオリサーチ• スポーツ報知 2018年2月27日閲覧、同年3月1日閲覧。 、ビデオリサーチ、2018年7月23日。 、ビデオリサーチ、2019年1月15日。 、Screens、2019年1月16日 17時35分。 、産経ニュース、2019年1月23日 07時35分。 (2006. 12 、)• 週刊新潮(2019年12月23日作成). 2019年12月24日閲覧。 日本放送協会(2016年1月4日閲覧)• 2014年7時0分配信• ビジネスジャーナル2015年1月9日配信• 2010年12月25日11時38分配信(12月13日閲覧)• 6月17日15時30分配信(2015年12月13日閲覧)• (2014年1月7日配信)2016年1月4日閲覧。 産経ニュース. 2017年9月18日. 2017年9月19日閲覧。 日本放送協会編『放送五十年史 資料編』、日本放送出版協会、1977年、590-591頁。 日刊合同通信 2012年4月13日(金) 第57巻 第13791号による(参考:)。 なお、日本テレビでは2012年4月以降、この時間帯を「プラチナゾーン」と呼んでいる。 asahi. com 2012年1月2日• スポーツニッポン 2004年5月15日号• こどもショー」『』1972年6月8日付朝刊、23頁。 「ピンポンパン体操の歌のレコード 二週間で三十万枚 視聴率も押し上げる」『』1972年1月21日付朝刊、23頁。 1988年3月31日放送分関東地区・ビデオリサーチ社調べ• 1994年は3月まで放送された第2期のみの平均でトップを獲得。 10月から再開された第3期を含めた平均視聴率では5位となる。 山田修爾 『ザ・ベストテン』 ソニー・マガジンズ、2008年12月25日、205-208頁。 筑紫哲也 『ニュースキャスター』 集英社〈集英社新書〉、2002年6月• 「」『』7月号、。 石原慎太郎著『弟』より抜粋• 日刊ゲンダイ 2008年10月18日号• ビデオリサーチ社調べ• 関東地区・ビデオリサーチ社調べ• 夕刊フジ 2013年5月6日号• テレビ朝日(2019年8月27日作成). 2019年12月27日閲覧。 オリコン(2019年8月27日作成). 2019年12月27日閲覧。 2004年4月2日ビデオリサーチ社発表より• 読売新聞 夕刊より。 ビデオリサーチ社の調べでは関西地区20. 5パーセント• 『WWE マンデーナイトウォー』 、2004年6月25日。 ASIN B000244RVC• Rick Scaia,"," ,August 7, 2003. 2014年12月16日. 2014年12月21日閲覧。 2014年12月15日. 2014年12月21日閲覧。 2014年はテレビ朝日と同率1位。 、、、および。 2013年7月23日. の2013年7月29日時点におけるアーカイブ。 2014年12月21日閲覧。 ビデオリサーチ(2015年12月21日閲覧)• ビデオリサーチ(2015年12月21日閲覧)• ビデオリサーチ(2015年12月21日閲覧) 関連項目 [ ]• (BPO)• - の各機種用テレビ視聴・録画アプリケーション。 視聴者数や録画予約数を独自に計測している(トルミル情報)。 - のおよびレコーダー。 録画予約ランキングを独自に計測している(おすすめサービス)。 また、そのランキングをやから確認することもできる(RZスケジューラ)。 外部リンク [ ]•

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