ロバート ハンセン。 女性を標的に“人間狩り”を行なった連続殺人犯 ロバート・ハンセン

FBIを裏切ったスパイ、ロバート・ハンセンの伝記

ロバート ハンセン

ヴェルナー・クニーセクという男 ヴェルナー・クニーセクは1946年11月17日、オーストリア・ザルツブルグに私生児として生まれた。 父親とは会ったことがないという。 学校の成績は優秀だったらしいが、学校の寮を度々逃げ出して精神科医にかかり、自殺未遂の経験もあったようだ。 ごく若い時期から暴力を伴う性的妄想を募らせていたらしく、14歳の時には年上の女性とSM行為に浸っていたらしい。 息子を危険視した母親を鬱陶しく思ったのか、その妄想が母親に向いたのかは不明だが、15歳の時にはついに母親をナイフで滅多刺しにする事件を起こすに至り、この殺人未遂で懲役4年を課せられた。 さらには釈放後の1972年、当時73歳の老女を銃で射殺する事件を起こしている。 この事件で再び逮捕され、クニーセクは懲役7年6ヶ月に処せられた。 ヴェルナー・クニーセク。 より引用 刑務所の中でも、クニーセクの殺人への欲求は膨らむばかり。 そして1980年、ついに釈放されたクニーセクはオーストリア史上に残る残忍な事件を起こす。 ザンクト・ペルテンの一家3人惨殺事件 1980年1月16日、仕事を探すために3日間だけ釈放されたクニーセクは、街に出ると早速ピストルを購入、ザンクト・ペルテンへと電車で移動した。 カーペットのセールスマンを装ってタクシーに乗って住宅地に向かったクニーセクは、一軒の家に目をつけた。 この家にはガートルード・アルトレイター(当時56)、その息子ウォルター(27)、娘のイングリッド(25)が住んでいた。 間借りしていた21歳の男性がいたらしいが、たまたまこの日は不在だった。 クニーセクはこの一家と以前より面識があったらしい。 その日の夕方、クニーセクがバスルームの窓から室内に侵入すると、家の中にいたのはウォルターだけだった。 ウォルターは車椅子で生活を送っており、あっけなくクニーセクに拘束されてしまった。 やがて母と妹が帰宅した。 ウォルターを人質に取られていたためか、2人もすぐに縛られてしまった。 強盗だと信じた一家は金目のものや2万シリングの小切手を渡したが、クニーセクの真の目的はここからだった。 その晩、クニーセクは一家を一人ずつ拷問し、殺害した。 最初はウォルターで、散々に殴った後に家族の目の前で絞殺したのである。 次は母ガートルード。 ショックからか心臓の発作で苦しむ彼女に、クニーセクは薬を飲むよう強要したという。 そして、落ち着きを取り戻したら改めて暴行、殺害している。 そして最後はイングリッドの番だった。 3人のうち最もひどかったのが彼女への暴行で、その遺体は血まみれであざとやけどだらけだったそうだ。 数時間に渡る暴行中、イングリッドの婚約者が電話をかけてきた。 電話に出たイングリッドは「今忙しい」と話したそうだが、もちろんその横にはクニーセクがいた。 一家3人とその飼い猫を殺害したクニーセクは満足したのか、その晩は血まみれの現場で自らが手を下した3人と並んで眠った。 そして翌朝、3人の遺体をアルトレイター家の車のトランクに入れて街に出た。 小切手を換金して豪遊するクニーセクの様子があまりに異様だったのか、早々に警察へと通報があった。 警察はすぐにアルトレイター家が襲われて一家が行方不明になっていることに気づき、その日のうちに死体が詰め込まれた車を発見、クニーセクを逮捕した。 クニーセクは終身刑を言い渡され、現在も刑務所で服役中とみられる。 参考 英語.

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ロバート・ハンセン

ロバート ハンセン

ライアン・フィリップ(左)とエリック・オニール本人 FBI特別捜査官でありながら20年以上に渡りさまざまな極秘文章を旧ソ連のKGBに売り続けてきた男、と彼を探るためにおとり捜査を命じられた若手捜査官エリック・オニール。 実話を基にした2人をめぐる心理下の攻防戦を描くポリティカル・サスペンス映画『』で特別顧問を務めたオニール本人と、彼とともにこの事件を暴くチームを組むディーン・プリザックを演じるに話を聞いてみた。 「この映画は単なるサスペンス映画ではなく、ハンセン逮捕にかかわる人間心理に食い込んだドラマの一面も併せ持っている。 事務職であったハンセンは現場の捜査官になりたかったに違いない。 それを自分があのジェームズ・ボンドのようだと勘違いし、自身の人生を空想の世界におとしめてしまったのではないか」と、スパイ活動を行っていたハンセンに対して哀れみの感情を抱いていたとヘイスバートは語る。 オニールは映画化に際して監督兼脚本を務めたを得られたことがこの映画にリアリティと緊張感を生み出したと語る。 レイは脚本のコンセプトから書き直しまでオニールを全面的に信頼し、FBIの観点からみても今までで一番正確なFBI映画になったそうだ。 [PR] 「わたし自身を演じたライアン・フィリップはわたしにたくさんの質問をし、それを画面に生かしていった。 時には仕事以外の場所で会ったこともあった。 その方が人物をより理解することができるからね。 彼の演技には大変満足しているよ」と、フィリップの役作りに対する情熱を目の当たりにした彼は嬉しそうに語った。 現在、オニールはFBIを退き、弁護士という新たな道へ進み始めた。 一方、スパイ活動を行ったハンセンは逮捕され保釈なしの終身刑で服役中だという。 転落した人生のいきさつを描かれたハンセンは、いつどんな気持ちでこの映画を観ることになるのだろうか。 『アメリカを売った男』は20年以上もアメリカの国家機密を旧ソ連のKGBに売り渡していた実在のFBI捜査官のスパイ事件を映画化。 国も組織も巧妙に裏切り続けたハンセン()とそれを追う若手捜査官オニール(フィリップ)との攻防合戦を描いたリアリティあふれる作品となっている。 映画『アメリカを売った男』は3月8日よりシャンテシネにて全国公開 オフィシャルサイト.

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殺人博物館〜ロバート・ハンセン

ロバート ハンセン

命からがら逃げ出した少女 1983年6月13日、米国アラスカ州アンカレッジ警察に、トラック運転手から「裸足で手錠をかけられた若い女性を乗せた」との通報が入った。 女性は17歳の売春婦シンディ・ポールソン。 彼女は客の男に暴行を受けて監禁され、小型飛行機に乗せられてどこかへ連れ去られそうになったのを、命からがら逃げ出してきたのだと警察に話した。 その頃、アンカレッジ周辺では立て続けに女性の他殺遺体が発見されていた。 シンディの証言はこれらの事件と関連があるのではないかと疑われたが、彼女が犯人だと訴えたパン屋の男は、近隣住民からも好かれる善良な人物であり、警察の取り調べでも冷静に犯行を否認した。 警察は彼を信じて逮捕することはなく、むしろシンディの証言の信憑性が疑われた。 だがこの「善良な市民」ロバート・ハンセンこそ、30人以上の女性を密かに殺し続けていた連続殺人犯であった。 ロバート・ハンセン ハイスクール卒業後、一年間陸軍予備役に就き、その後は警察の教練教官となったハンセンは、この時期に一度目の結婚をしている。 しかし、1960年、ハンセンはスクールバズのガレージへの放火で逮捕され、刑務所にいる間に職も妻も失ってしまった。 さらに出所後の数年間は、窃盗の容疑で何度も逮捕されている。 1963年に再婚したハンセンは、1967年に妻と共にアラスカ州アンカレッジに移住した。 パン屋を営むかたわら、趣味の狩猟では地元の記録を塗り替えるなど、ハンセンは近隣住民からも好かれ、狩猟の名手として一目置かれる存在であった。 夫妻の間には二人の子も生まれた。 だがその裏で、ハンセンは売春婦を獲物に見立てた「人間狩り」ゲームを密かに始めていた。 ハンセンの狙いは主に十代の家出少女や売春婦だった。 声をかけた女性を自宅などに連れ込み、暴行を加えて拘束するというのが彼の手口だった。 その後、女性を連れて小型飛行機で郊外の人気のない荒野に行き、そこで女性を解放して、逃げ惑っているところを撃ち殺すのである。 この凶行は1983年10月に逮捕されるまで続いたが、その間、1977年にハンセンは窃盗容疑で逮捕されている。 この時には双極性障害と診断されているが、正式な治療は受けないまま釈放されている。 たびたび犯行を止める機会がありながら野放しにされていたハンセンであったが、逮捕のきっかけとなったのはFBI捜査官のプロファイリングと間一髪逃げ出したシンディの証言だった。 プロファイリングが示した吃音や女性への恨みといった犯人の特徴はハンセンと一致し、警察はついにハンセンの自宅を捜索し、隠し部屋から被害者たちの持ち物や犯行現場を記した地図、犯行に使われたライフルなどを発見したのである。 警察は4件の殺人事件については立証できたものの、ハンセンの余罪がさらに多いことは明らかだった。 結局ハンセンは司法取引に応じ、17人の遺体が埋められた場所の詳細を明らかにした。 うち12人は警察も把握していない事件だった。 その後、ハンセンは禁固461年の判決を受けて刑務所に収監され、2014年8月21日に75歳で死亡した。 判明している被害者は17人だが、実際には30人を超えていると言われている。 なお彼の事件は2013年に『フローズン・グラウンド』のタイトルで映画化された。 映画の最後には被害者たちの顔写真と名前が流れる。 参考 英語版。 顔写真はここから引用。

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