大山 ね ず のみ こと しんじ きょう かい。 九州の神社:鹿児島県・枚聞神社(指宿市)

奥の細道・東北前編

大山 ね ず のみ こと しんじ きょう かい

弘法大師霊場巡拝の仕方 津軽弘法大師霊場のお参りの方法 津軽弘法大師霊場のお参りする場所が分かりづらくご迷惑おかけしております。 各札所では、本堂中央にはお寺の御本尊をお祀りして、お大師さんは脇のほうにいることが多いです。 (御本尊が弘法大師のお寺を除いて) また、大師堂というお大師さんをお祀りしているお堂を構えているお寺は多くはありません。 そのため、お大師さんのお参りには本堂内に安置されている入定大師像か、屋外に建立されている修行大師像をお参りしていただくことになります。 具体的な参拝する場所については各札所の和尚さまの指示に従ってお参りをして下さい。 また、お寺が無人の時には、皆様にはロウソク・線香の火の始末やお供え物のお菓子など(動物やカラスによる被害がありますので)にご注意いただきまして、ありがとうございます。 これからも霊場が続きますように皆様のご信心をよろしくお願いいたします。 弘法大師霊場巡拝次第 弘法大師霊場の巡拝の仕方はこのようになります。 一般的には「3、懺悔文」~「8、三昧耶戒真言」は省略されることが多いです。 項目をマウスでクリックするとお経の説明に飛びます。 丁寧な弘法大師霊場巡拝次第• 1、三礼(さんらい) 一般的に神社では「二礼・二拍手・一礼」でお参りしますが、仏教では「三礼」をします。 正座をして、額を前の畳に付くように前屈みになり、両手は前に伸ばして頭の辺りに置き、手のひらは上に向けて三回軽く招く動作をします。 これは、仏様の御足を頂くという意味があります。 しかし、実際に体を伸ばす場所をとる事は困難ですので、合掌をして軽く会釈する方法でもよいでしょう。 これからお参りをするにあたって、心を静めて仏様に帰依する気持ちになる事が大切です。 2、開経偈(かいきょうげ) むじょうじんじんみみょうほう 無上甚深微妙法 ひゃくせんまんごうなんそうぐう 百千万劫難遭遇 がこんけんもんとくじゅじ 我今見聞得受持 がんげにょらいしんじつぎ 願解如来真実義 お経を開くときにお唱する偈文(げもん・漢詩のような形式にまとめられたお経)です。 ほとんどの宗派でお経を読む前にお唱えします。 意味は、「この上なく深い真理の法(仏教の教え)は、どれほどの時を経ても出会う事は難しい。 私は今、その教えを知り、それを実践していこうとしている。 願わくは仏陀の悟りを体得できますように。 」といった感じです。 お経を読む前の宣誓文になります。 3、懺悔文(さんげもん) がしゃくしょぞうしょあくごう 我昔所造諸悪業 かいゆうむしとんじんち 皆由無始貪瞋癡 じゅうしんごいししょしょう 従身語意之所生 いっさいがこんかいさんげ 一切我今皆懺悔 「今まで行ってきた悪い行いを懺悔します」という誓いをします。 4、三帰(さんき) でしむこう じんみらいさい 弟子某甲 尽未来際 きえぶつ きえほう きえそう 帰依仏 帰依法 帰依僧 「仏法僧の三宝に帰依します」という誓いをします。 仏法僧とは、悟りを開いた仏、仏教の教え、修行者の集まりを意味します。 5、三竟(さんきょう) でしむこう じんみらいさい 弟子某甲 尽未来際 きえぶっきょう きえほうきょう きえそうきょう 帰依仏竟 帰依法竟 帰依僧竟 竟は終わるという意味で、「仏法僧に帰依をする誓いを立て終わりました」という確認の言葉です。 6、十善戒(じゅうぜんかい) でしむこう じんみらいさい 弟子某甲 尽未来際 ふせっしょう ふちゅうとう ふじゃいん ふもうご ふきご 不殺生 不偸盗 不邪婬 不妄語 不綺語 ふあっく ふりょうぜつ ふけんどん ふしんに ふじゃけん 不悪口 不両舌 不慳貪 不瞋恚 不邪見 してはいけない事を10項目にまとめ、それを行いませんという誓いです。 7、発菩提心真言(ほつぼだいしんしんごん) オン ボウジシッタ ボダハダヤミ 菩提心とは悟りを求めようとする気持ちです。 その菩提心を起こしますという誓いをします。 8、三昧耶戒真言(さんまやかいしんごん) オン サンマヤ サトバン 最後に、これらの誓いを立てた結果、自らと仏さまとが一体となったという宣言です。 真言宗で言う即身成仏や、巡礼の同行二人の心に通じます。 9、般若心経(はんにゃしんぎょう) ぶっせつまーかーはんにゃーはーらーみーたーしんぎょう 仏説摩訶般若波羅蜜多心経 かんじーざいぼーさーぎょうじんはんにゃーはーらーみーたー 観自在菩薩行深般若波羅蜜多 じーしょうけんごーうんかいくーどーいっさいくーやく 時照見五蘊皆空度一切苦厄 しゃーりーしーしきふーいーくうくうふーいーしきしきそくぜー 舎利子色不異空空不異色色即是 くうくうそくぜーしきじゅーそうぎょうしきやくぶーにょーぜー 空空即是色受想行識亦復如是 しゃーりーしーぜーしょうほうくうそうふーしょうふーめつふーくーふーじょう 舎利子是諸法空相不生不滅不垢不浄 ふーぞうふーげんぜーこーくうちゅうむーしきむーじゅーそうぎょうしきむーげんにー 不増不減是故空中無色無受想行識無眼耳 びーぜっしんいーむーしきしょうこうみーそくほうむーげんかいないしー 鼻舌身意無色声香味触法無眼界乃至 むーいーしきかいむーむーみょうやくむーむーみょうじんないしーむーろうしーやく 無意識界無無明亦無無明尽乃至無老死亦 むーろうしーじんむーくーしゅうめつどうむーちーやくむーとくいー 無老死尽無苦集滅道無智亦無得以 むーしょーとっこーぼーだいさったーえーはんにゃーはーらーみーたー 無所得故菩提薩埵依般若波羅蜜多 こーしんむーけーげーむーけーげーこーむーうーくーふーおんりーいっさいてんどう 故心無罣礙無罣礙故無有恐怖遠離一切顛倒 むーそうくーぎょうねーはんさんぜーしょーぶつえーはんにゃーはーらーみーたー 夢想究竟涅槃三世諸仏依般若波羅蜜多 こーとくあーのくたーらーさんみゃくさんぼーだいこーちーはんにゃーはーらーみーたー 故得阿耨多羅三藐三菩提故知般若波羅蜜多 ぜーだいじんしゅぜーだいみょうしゅぜーむーじょうーしゅぜーむーとうとうしゅ 是大神呪是大明呪是無上呪是無等等呪 のうじょーいっさいくーしんじつふーこーこーせつはんにゃーはーらーみーたー 能除一切苦真実不虚故説般若波羅蜜多 しゅーそくせつしゅーわつぎゃーてーぎゃーてーはーらーぎゃーてーはらそうぎゃーてー 呪即説呪曰羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦 ぼーじーそわかーはんにゃーしんぎょう 菩提薩婆訶般若心経 ここからお経が始まります。 お唱えするお経は何でも構いませんが、一番短くて宗派を問わずに使われている般若心経が一般的です。 実際の読み方に近い振り仮名を付けました。 真言宗では題の頭に仏説が付きます。 句読点が付いている経本もありますが、句読点は意味で見た場合の文章の区切りなので、お唱えする時の息継ぎの区切りではありません。 息継ぎは、自分の息が続かなくなった時に自由にして構いません。 お参りした後に納経帳に頂くご朱印は、お経を納めた証としてのご朱印です。 本来は写経を納めて頂くものですが、現在では読経で納めて頂くのが一般的です。 10、本尊ご真言(ほんぞんごしんごん) なむ ほんぞん かいえ 南無本尊界会 各寺院のご本尊の真言(サンスクリット語の仏様への唱え言)をお唱えします。 しかし、真言でお唱えする事は難しく、本尊の仏様によってお唱えする真言が違うので、「本尊様を拝みます」と言う意味の「南無本尊界会」をお唱えします。 尚、「南無」はサンスクリット語で「帰依します」という意味です。 11、光明真言(こうみょうしんごん) オン アボキャベイロシャノウ マカボダラマニ ハンドマジンバラ ハラバリタヤウン 光明真言は大日如来を意味する唱え言です。 次の南無大師遍照金剛と同じです。 12、ご宝号(ごほうごう) なむ だいし へんじょうこんごう 南無大師遍照金剛 「遍照金剛」は大日如来を指す言葉で、お大師さまが唐で伝法灌頂を受けた際の灌頂名が「遍照金剛」でした。 そのために、「弘法大師」の大師号を頂いたお大師さまには「南無大師遍照金剛」とお唱えします。 13、回向文(えこうもん) ねがわくは このくどくをもって あまねくいっさいにおよぼし 願くは この功徳をもって あまねく一切に及ぼし われらとしゅじょうと みなともに ぶつどうをじょうぜん(ことを) われらと衆生と みなともに 仏道を成ぜん(ことを).

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大山ねずの命神示教会について 親の希望で私が子供の頃から入会してま

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大山ねずの命神示教会とは、1953年に設立した新興宗教です。 信仰対象は「大山ねずのみこと」です。 稲飯定雄さん改め供丸斎さんという方が精神疾患の中「大山ねずのみこと」に助けて貰うように言われたらしく風呂屋をやめて横浜に作られた宗教です。 現在信者数は約80万人です。 特にこの宗教は、大山ねずの命が唯一の絶対神であるという教えもあるので、危険が高いかもしれないです。 ちなみに教義に「争うな」という言葉があるので、これを実践している信者であれば、しつこい勧誘は病気でない限りしないでしょう。 他の新興宗教も同様にお金かかる事もありますが、金欠になる可能性がありますね。 他の宗教に関して客観的にみれなくなったら特に危険ですね。 あらゆる事をわかっている上でこの大山ねずの命神示教会という宗教を選択しているなら危険性がないでしょう。 さて、この大山ねずの命神示教会の信者として噂される芸能人をご紹介させて頂きます。 眞子様の婚約者である小室圭さんの母親は大山ねずの命神示教会信者です。 親が特定の宗教に入っていると自然とその子供が生まれたと同時にその宗教の信者になる事がよくあり、現在の有無はわかりませんが、小室圭さんの母親が大山ねずの命神示教会信者だったのは本当のようです。 確実な芸能人はこの3人だけなのですが、新興宗教という事で、樹木希林さんやゆずの北川悠仁さんも、大山ねずの命神示教会信者では?と勘違いされる方もいます。 確かに無宗教の人にとっては、どの新興宗教も同じに思えてしまう傾向はあるかもしれませんね。 最後に事件についてです。 これを起こしたのが大山ねずの命神示教会信者の元信者という事で、危険性が指摘されてます。 宗教に依存するのは、もともと精神的に弱かったりするケースも多々あり、それを救えなかった、救う力がなかったともいえるのではないでしょうか。 食べていいものか悪いものかの「大山ねずの命」のお言葉は降りてこなかったようです。 それとも、よく言われる食中毒を起こしたのも人生勉強という事でしょうかね。 樹木希林さんも新興宗教信者という事で、大山ねずの命神示教会信者と勘違いされる芸能人ですが、違います。 樹木希林さんの信仰する宗教は希心会という宗教団体です。 大山ねずの命神示教会教義と共通点としては、家族と仲良くという理念だと思われます。 樹木希林さんは、この宗教の考えがあってかどうかはわかりませんが、旦那さんである内田裕也さんと離婚しないというのは、この宗教観のためと予測する方もいます。 ちなみに、内田裕也さんと樹木希林さんの子供である内田也哉子さんは、本木雅弘の奥さんです。 樹木希林さんが入信した希心会は法華経の新興宗教です。 家族の幸せがのちに世界の幸せに繋がると考えらている宗教です。 この教義が樹木希林さんが離婚しないと考えられる理由の一つになってます。 樹木希林さんだけでなく、家族ともに希心会という新興宗教で、他の芸能人として、平みちさんや司このみさんがいますが、この方々と樹木希林さんが仲が良いかはわかりません。 小室圭さんは、眞子様の婚約者です。 皇族との結婚という事で、小室圭さんは有名人になってしまいました。 本人の性格はもとより、身内の事も調べられ週刊誌に載る事になってしまいました。 大山ねずの命神示教会と小室圭さんの関係は祖母から始まります。 小室圭さんの祖母がリウマチで悩まされ、大山ねずの命神示教会信者になる経緯がありました。 お母様も大山ねずの命神示教会信者という事で、小室圭さんも信者では?という噂も流れました。 記者会見では、この大山ねずの命神示教会との関係について聞いてほしいというネットでの意見もありましたが、すでに婚約している訳で、その質問はタブーとされたのでしょう。 もっといってしまうとタブーとされ、真実がわからない状態のため、小室圭さん自体大山ねずの命神示教会信者では?とも思われてしまう要因になっているようです。 これを起こしたのが大山ねずの命神示教会信者の元信者という事で、危険性が指摘されてます。 宗教に依存するのは、もともと精神的に弱かったりするケースも多々あり、それを救えなかった、救う力がなかったともいえるのではないでしょうか。 食べていいものか悪いものかの「大山ねずの命」のお言葉は降りてこなかったようです。 それとも、よく言われる食中毒を起こしたのも人生勉強という事でしょうかね。 ただ、これらの事件で評判落としてしまいましたね。 ゆずの北川悠仁さんは新興宗教に関係しているので、新興宗教というくくりで、ファンから大山ねずの命神示教会信者では?と勘違いされている方もいるようです。 ゆずの北川悠仁さんが入信している宗教は、かみながらのみちというもので、教主が北川慈敬さん、つまりゆずの北川悠仁さんの母親です。 ですから、ゆずの北川悠仁さんは、大山ねずの命神示教会信者ではなく、かみながらのみちという新興宗教です。 かみながらのみちの建物には、ゆずの北川悠仁さんが奉納したと書いてある柱もあり、多少なりとも、ゆずの歌に、かみながらのみちという新興宗教の教義が含まれているかもしれないですね。 人は様々な考えがあるのは、日本人誰もが認める事ですが、誰か一人の立ち上げた宗教に乗っかるとヤバイと思われる傾向がありますね。 熱狂的なファンのようなものかもしれませんね。 ゆずのファンは普通だけど、家まで調べる熱狂的なファンはヤバイという事でしょう。 宗教関係なくゆずの本当のファンはゆずが好きなのは変わらないでしょうね。

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GO! GO! 嵐山 3 : 神社明細帳

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日本神話の神。 伊奘諾尊 いざなぎのみこと ・伊奘冉尊 いざなみのみこと の子。 天照大神 あまてらすおおみかみ の弟。 大国主命 おおくにぬしのみこと のこと。 八岐大蛇 やまたのおろち 退治神話にみえる神。 八岐大蛇にのみこまれようとするところを、素戔嗚尊 すさのおのみこと にたすけられて結婚する。 6世の孫に大己貴命 おおなむちのみこと 大国主神 がある。 饒速日 にぎはやひの 命の孫。 物部 もののべ 氏の祖といわれる。 古事記では、 大国主命いわれて、国づくりの神とされる。 天地開闢において伊弉冉 いざなみ とともに生まれた。 本州・四国・九州等の島々、石・木・海・水・風・山・野・火など森羅万象の神をもうけた。 天照大神の父神。 伊弉諾命 いざなぎのみこと の妻。 「大日渚ク貴命」と表示されている時は「渚ク」が文字化けしています。 記紀 古事記・日本書紀 では、治世中に多数の渡来人が来て漢字や儒教、養蚕など大陸の文物・技術を伝えた。 騎馬民族説では、朝鮮から渡来した征服王朝ともいう。 一 由緒 ゆいしょ 創立年月不詳。 建御雷命 たけみかづちのみこと 、経津主神 ふつぬしのみこと と共に日本三大軍神の一柱に数えられている。 火除けの神。 一 由緒 ゆいしょ 不詳 ふしょう 明治四年 1871 中、村社届濟 とどけずみ。 明治二十二年 1889 七月六日社殿改築許可 明治三十六年 1903 四月二十日上地林 あげちりん 壱反五畝壱歩境内編入許可。 伊奘諾尊 いざなぎのみこと ・伊奘冉尊 いざなみのみこと の子。 天照大神 あまてらすおおみかみ の弟。 由緒 明治四十年 1907 六月六日字尾根無格社愛宕神社、境内社八坂神社、字上耕地無格社小女郎神社、字清水無格社稲荷神社ノ四社ヲ境内神社トシテ移轉合祀ス。 由緒 明治四十年 1907 六月六日、字馬内無格社八幡神社、字藤塚無格社日枝神社、字蟹沢無格社山神社ノ三社ヲ境内神社トシテ移轉合祀ス。 日本神話の神。 伊奘諾尊 いざなぎのみこと ・伊奘冉尊 いざなみのみこと の子。 天照大神 あまてらすおおみかみ の弟。 大国主命 おおくにぬしのみこと のこと。 八岐大蛇 やまたのおろち 退治神話にみえる神。 八岐大蛇にのみこまれようとするところを、素戔嗚尊 すさのおのみこと にたすけられて結婚する。 6世の孫に大己貴命 おおなむちのみこと 大国主神 がある。 依テ経基王再ニ當社 とうしゃ ヲ修繕 しゅうぜん シ四方四種ノ村落ニ祀テ八宮神社ト号シ、法施トシテ仁王會六万部御修行有、之今ニ六万塚・六万坂ト申所アリ、城跡モ僅 わずか ニ存ス。 此言詳 つまびらか ナラスト雖 いえども モ傳 つたえ テ有之今ニ春秋両度祭典ヲ成シ、皇國安全ノ祠祝ヲ奉ス。 -961。 平安時代中期の武将。 父が清和天皇の第六皇子貞純親王であったので六孫王と号す。 天照大神と素盞鳴尊が誓約をした時、天照大神の八尺勾玉を天真名井の水で清め、素盞鳴尊が噛み砕き、それを吹き出すとその息 狭霧 から、正勝吾勝々速日天忍穗耳命 まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと、正哉吾勝勝速日天之忍穂耳命 、天菩卑命 あめのほひのみこと、天穂日命 、天津日子根命 あまつひこねのみこと、天津彦根命 、活津日根命 いくつひこねのみこと、活津彦根命 、熊野久須毘命 くまのくすひのみこと、熊野夫須美神 という五柱の神々が生まれた。 国や家庭、事業の安泰を司る神。 伊弉諾尊 いざなぎのみこと の娘。 太陽神。 武神、軍神、農耕神、狩猟神。 食物の神。 田の神。 伊奘諾尊 いざなぎのみこと ・伊奘冉尊 いざなみのみこと の子。 天照大神 あまてらすおおみかみ の弟。 学問・書・詩文にすぐれ、菅公と称され、後世、天満天神として祭られる。 これにより埼玉の場合は大宮の氷川神社を官幣大社(かんぺいたいしゃ)、次を県社、郷社、村社、無格社と定めた。 村の鎮守は村社となった。 この社格制度は敗戦により1946年 昭和21 に廃止になった。 皇統では、第14代仲哀天皇と第16代仁徳天皇の間の第15代天皇 在位、西暦270年〜310年 であるが、4世紀末から5世紀初頭の頃在位したとみられる大王。 記紀 古事記・日本書紀 では、治世中に多数の渡来人が来て漢字や儒教、養蚕など大陸の文物・技術を伝えた。 騎馬民族説では、朝鮮から渡来した征服王朝ともいう。 明治四年 1871 中村社 そんしゃ 届濟 とどけずみ。 明治三十二年 1899 五月二十二日八幡神社ヲ八宮神社ト訂正ス。 明治四十年 1907 四月十日大字越畑字冨士山無格社浅間神社、字幡後谷前無格社雷電社、字柳原無格社神明社、字社宮司無格社社宮司社、字後谷無格社山神社、字下串引無格社大天獏社、字大堂無格社八大社、字清水無格社八幡社ノ八社ヲ本社ニ合祀 ごうし ス。 大正九年 1920 四月十五日竣工。 源氏姓を賜り、源氏姓の祖。 後に平将門追討の征東副将軍になる。 鴻巣市には「伝源経基館跡」県史跡がある。 拝殿と本殿の間にある。 『 』さんの「 」。 一 境内 五百三十二坪 昭和廿三年 1948 四月廿七日 五二九坪 決 昭和二十五年 1950 三月二十八日 五三三坪五合 一 氏子 貮拾戸 一 境内神社 将軍社 祭神 坂上田村麿 さかのうえたむらまろ 由緒 當社古記録等傳フル無ク創立年紀詳 つまびらか カナラス。 其時夏六月一日ナリシモ不時降雪寒気強カリシヨリ土人麦藁 むぎわら ヲ将軍ニ焚 た キテ暖 だん ヲ與ヘリ。 其后 そのご 土人将軍ノ功徳 くどく ヲ賞シ之ヲ祭祀崇敬セリト云フ。 現今年々六月一日土人麦藁ヲ焚キテ祭事ヲナスハ古ヨリ例ナリ。 伝えではその権現社は藤原利仁がこの地を通ったとき休んだ塚の上にあった。 将軍沢の名はこれに由来すると記されている。 藤原利仁は平安時代中期の武人で、鎮守府将軍 ちんじゅふしょうぐん である。 記紀 古事記・日本書紀 では、治世中に多数の渡来人が来て漢字や儒教、養蚕など大陸の文物・技術を伝えた。 騎馬民族説では、朝鮮から渡来した征服王朝ともいう。 神社を分かって官社と諸社とし、諸社をさらに府社・藩社 廃藩置県とともに府・県社となる ・県社・郷社に分けた。 県社の下が郷社、その下が村社、それ以下が無格社。 この社格制度は1946年 昭和21 2月2日廃止された。 太政官達:明治四年 1871 七月四日郷社定則「郷社は凡戸籍一区に一社を定額とす。 仮令は二十ケ村にて千戸許ある。 一郷に社五ケ所あり。 一所各三ケ村五ケ村を氏子場とす。 此五社の中式内か或は従前の社格あるか又は自然信仰の帰する所か凡て最首となるべき社を以て郷社と定むべし。 余の四社は郷社の付属として是を村社とす。 『日本書紀』によれば仲哀天皇・神功皇后の子で、在位41年、110歳 古事記では130歳 で没した。 品陀真若 ほむたのまわか 王の女の仲姫。 応神天皇の母。 郷民之ヲ産土神 うぶすなかみ ト尊崇セリ。 其後八幡太郎源義家木曽左馬頭源義仲大将軍源頼朝及夫人北條政子等厚ク信仰アリテ何レモ神田 しんでん ヲ寄附セラレ造營ヲ加ヘラル。 左傍ニ貞和四 じょうわ 戌子 つちのえね 年 1348 七月日大工兼泰 かねやす トアリ其他ノ文字磨缺 まけつ シテ讀ム可カラス。 斯 これ 二華鬘ノ神寶ト云ヒ傳フ。 徳川代々将軍ヨリ朱印ヲ以テ該地 がいち ヲ賜ハレリ。 東ハ上原 うえはら ノ谷。 西ハ小倉山 おぐらやま。 往古此邉ヨリ潮湧出セシアリ因テ鹽沢 しおさわ 鹽山 しおやま ノ名起リシト云フ。 当社ヨリ西々南凡 およそ 二丁半ニ木曽殿屋敷 きそどのやしき ト唱フル地アリ。 木曽義仲出生セシ所ト云フ。 義仲ノ父帯刀先生義賢 たてわきせんじょうよしかた ハ秩父次郎大夫義澄 よしずみ ノ養子トナリ当郷大蔵堀復 ま タハ上野國多胡庄 こうずけのくにたごしょう ニ居ヲ為セシカ。 久壽二乙亥 きゅうじゅ きのとい 年 1155 八月多胡庄ヨリ鹽山 しおやま ニ移ラントシテ大蔵堀ニ到リシ時兄源義朝ノ長子義平 よしひら ニ殺サル。 長子義高来リ住スルアリ亦厚ク崇敬セリト云フ。 帝王が天下を治めている期間。 御代 みよ。 日本の天台宗、比叡山延暦寺の開祖。 仏教徒。 過ぎ去った昔。 戦争による火災。 平安初期の武人、征夷大将軍となり蝦夷 えぞ 征伐に大功をたてた。 乳飲み子。 出生地。 大神神社 おおみわじんじゃ の祭神。。 伊弉諾尊 いざなぎのみこと の子。 山をつかさどる神で、水の神、田の神としても信仰された。 伊奘諾尊 いざなぎのみこと ・伊奘冉尊 いざなみのみこと の子。 天照大神 あまてらすおおみかみ の弟。 由緒追記 昭和二年 1927 八月一日郷社ニ昇格。 仝年八月十三日神饌幣帛料供進神社 しんせんへいはくりょうきょうしんじんじゃ ニ指定セラル。 白山(はくさん)神社の総本宮である石川県白山比 しらやまひめ 神社の主祭神。 天地開闢において伊弉冉 いざなみ とともに生まれた。 本州・四国・九州等の島々、石・木・海・水・風・山・野・火など森羅万象の神をもうけた。 天照大神の父神。 伊弉諾尊 いざなぎのみこと と結婚し、国生みと神生みを行う。 火神を生んで死に、黄泉国 よみのくに 死者の国 を支配する黄泉大神となった。 学問・書・詩文にすぐれ、菅公と称され、後世、天満天神として祭られる。 一 由緒 ゆいしょ 天保十年 てんぽう 1839 ニ至リ再建、然後 しかるのち 明治三年 1870 氏子寄附ヲ以テ修繕 しゅうぜん ス。 これにより埼玉の場合は大宮の氷川神社を官幣大社、次を県社、郷社、村社、無格社と定めた。 村の鎮守は村社となった。 この社格制度は敗戦により1945年 昭和20 に廃止になった。 一 由緒 ゆいしょ 天治元年 てんじ 1124 九月十五日創立。 明治四年中 1871 村社届濟 とどけずみ。 郷社は県から、村社は村から奉納された。 由緒 不詳 ふしょう 大正二年 1913 九月二十三日同大字字宮山 みややま 村社六所神社境内社稲荷神社、同大字字陣屋 じんや 村社峯野神社 みねのじんじゃ 境内社稲荷神社、仝大字字長竹 ながたけ 無格社 むかくしゃ 稲荷神社ノ三社ヲ本社ヘ合祀ス 社殿 本殿 由緒 ゆいしょ 追記 ついき 大正二年 1913 九月二十三日同大字字宮山村社六所神社、字陣屋東 じんやひがし 村社峯野神社、同境内社琴平 ことひら 神社、字西ノ谷村社五龍神社、字宮田無格社巖島 いつくしま 神社ノ五社ヲ本社ヘ合祀ス 大正九年 1920 九月二十日本殿改築 かいちく 許可仝年十月二日竣工 しゅんこう 昭和十三年 1938 四月二十八日隣接 りんせつ 山林百三十三坪境内取擴 とりひろげ 竝 ならびに 上地 あげち 許可 2005年10月16日撮影 皇紀2552年は西暦1892年 明治25。 その体から五穀や家畜が生まれたという。 明治四年中 1871 村社書上濟 かきあげずみ。 明治三十七年 1904 四月二十日上地林 あげちりん 壱反九畝拾七歩境内編入許可。 明治四十年 1907 四月十七日同大字字城無格社 むかくしゃ 天神社及字本宿無格社稲荷神社ノ二社ヲ本社ト合祀ノ上社号日枝神社 ひえじんじゃ ヲ菅谷神社ト改称 かいしょう ス 明治四十一年 1908 五月二十二日官有溜池 かんゆうためいけ 五反六畝拾歩境内編入許可。 拝殿と本殿の間にある。 鬼鎮神社は大字川島にあるが、大字志賀とされている理由については、「」、「」を参照。 藤原氏の祖。 階隠 はしかくし ・日隠。 学問・書・詩文にすぐれ、菅公と称され、後世、天満天神として祭られる。 「うか」は「うけ」の転で穀物・食物を意味し、「たま」は霊の義。 五穀豊穣 ごこくほうじょう の神。 水の神。

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