うなずき トリオ。 オレたちひょうきん族のコーナー一覧

渡辺正行

うなずき トリオ

詳細は「」を参照 ビートたけし扮するタケちゃんマンと明石家さんま(初回は高田純次)扮するブラックデビル等の敵キャラによる。 人気ドラマや映画のパロディが多かった。 アミダババアの唄はサザンオールスターズの桑田佳祐がを行った。 ひょうきんベストテン [ ] 当時の人気音楽番組『』()のパロディコーナー。 正式名称は『 オレたちひょうきん族ザ・ベストテン』。 オープニングと最初のCMとを隔てて、最初に登場したコーナーであったため、時間にして20:05頃(多少前後することもあったり、後述の「ひょうきんお茶の間ショッピング」がオープニング前に入った場合は、所定よりさらに約5~10分遅れることもあった)。 なお、コーナー全体の放送時間が約15分だったことから、10位~1位までの曲をすべて紹介することは出来ないため、司会者の挨拶の後、10位~4位の曲を「ザ・ベストテン」で言う20位~11位の曲のランキングに当てはめて発表し(1曲につき約10秒)、スポットライトを挟んで上位3曲を紹介する形式になっていた。 時間帯が20時台前半なのは、当時の裏番組である『』の前半コントと、本番組のメインコントである「」が両方見られるように配慮したためとされる。 初期の司会は、との声色を使う栗山順子が担当したが、短期間で降板。 その後は男性メイン司会者がと、女性サブ司会者は当時の山村美智子(現・)に交代。 山村降板後はが、寺田降板後は(いずれも当時フジテレビアナ)がそれぞれ務めた。 当時テレビ局のアナウンサーはニュース番組でニュースを読むことが中心であり、バラエティ番組に出演することは滅多になかった。 だが、このコーナーに山村美智子、寺田理恵子、長野智子の女性アナウンサーが出演したことで、その後の女子アナウンサーのタレント化に先鞭をつける形となった。 加えて、山村や寺田はこれが縁でレコードデビューも果たしている。 また紳助の司会者としての基礎を築いたコーナーでもあり、後に紳助は『』(系)においてと二人で、本物の歌謡ランキング番組の司会者に起用された。 さらに長野はに転向後、『ザ・ベストテン』番組終了後の1991年3月から約1年間放送された『』(TBS系)の司会役を務め、そして1991年10月にで放映の『今夜だけ! ご本家復活ザ・ベストテンスペシャル』と、及び同年12月に放送の『総決算! ザ・ベストテン1991年末スペシャル』(共にTBS系)でも、と一緒に司会者として登場した。 スタート当初こそ、レギュラーの出した曲でランキングを形成し、の代わりに東京花柳社中を使うなどの忠実なパロディであったが、途中からレギュラーによる歌真似(による、山田邦子による、によるなど)と、一般のタレントやゲスト芸人を普通に登場させツッコミも無しに歌を歌わせる(稲川淳二による西城秀樹、坂田利夫による田原俊彦、ウイリー沖山による吉川晃司等)事が中心になった。 「とフラワーダンシングチーム」(安全ヘルメットに革靴、海パン一丁)が初登場した1983年以降はゲストが歌っている最中に驚かせたり笑わせる、といったのが定番となっていた。 フラワーダンシングチームが「すもうダンサーズ」に変身した以降も、「バレリーナ団」や「ちょうちんブルマーズ」、片岡鶴太郎らがに扮した「ピヨコ隊」(アヒル型衣装)など、基本的な系統は引き継がれた。 西川のりおがひょうきんベストテンで毎週出るようになったのは、フラワーダンシングチームが結成されてからである。 本物の歌手も数組登場していたが、中には本家ベストテンに殆ど出演したことのない歌手(、等)が登場し、視聴者を驚かせた。 なお、ひょうきんベストテンのテーマ曲はザ・ベストテンとも全然違い、「WITH THE FORCE OF NATURE」(高橋達也と東京ユニオン)が使われた。 因みに本家のザ・ベストテンでは、スタジオに1位の歌手が出演した場合には天井に吊るされたを本人が割って祝福するものだった。 主にベスト3やスポットライト(基本的に女性アイドルなどのゲスト初期はレギュラーが出していた歌が中心)に選ばれた人が歌っていた。 なおかつ、ザ・ベストテンやにもランクインしない曲(それも、大半がこのコーナーのみのオリジナル曲)が1位になったり、スポットライトに登場した歌手の曲が次週に必ずランクインするなど、番組スタッフ・出演者の好き勝手にやっていた。 なお本家のザ・ベストテンは曲はランキング対象外であったが、このコーナーでは洋楽曲もランクインしていた。 等の収録後のを日本武道館等として中継もしていた。 歌っている最中に天井から風船などが降ってくる、水上スキーに乗って歌っている最中、牽引しているボートからロープを切られて水中に転落するなど笑いを取る演出も行われた。 この番組から生まれたオリジナル曲から一般の音楽界に名を知らしめた曲も少ないながら実は存在する。 がに一時期出演していた頃に演じていたキャラクター「」に扮して歌った、の作詞・プロデュース曲「ホタテのロックンロール」(実際は、内田が歌ったテーマ曲の替え歌)がその代表例。 あまりの好評ぶりからシングルが発売され、32万枚のセールスを記録し、ついにはホタテマンがのCMに起用され歌唱する事態となった(曲はホタテのロックンロールではない)。 また、は「ベストテン等は無理だけどひょうきんベストテンなら200票あればランクインできる! 」と組織票を呼びかけた。 結果、松戸競輪のテーマ「走れ! 自転車」は念願のランクイン(1983年7月9日放送分で第4位)を果たした。 ・放送の『』にて約21年ぶりに復活し、司会もレギュラー時代および『26時間テレビ』総合司会の島田紳助(コーナーでの表記は「森紳助」 )、が担当した。 中村は自らを4代目アナと発言した。 また中村が、「20年ぶりのひょうきんベストテン」という発言をしたが、このコーナーは1988年に終了しているため、実質的には21年ぶりであった。 また、この日の放送で紳助が言うには、仕掛けは制作当時から全て「 」だったらしい(出演者、関係者には何も知らせず、突然や、フラワーダンサーズを出させたり、部屋に閉じ込めの雨を降らしたりして、当時の神聖的な存在だったアイドル達をその地位からバラエティに引きずり落とし、マネージャーを怒らせた逸話が残っている)。 エンディングにはには本家同様記念撮影もあったが、シャッターを切った瞬間に煙幕が上がるなど記念撮影の意味がなくなる演出が常態化していた。 またラサール石井によると、ベストテンのエンディング収録は毎週8時間かかっており、主にイジリが多かったという。 ネタ一覧 [ ] この節に。 事項を箇条書きで列挙しただけの節は、本文として組み入れるか、または。 ( 2009年7月) ここでは一部を紹介する。 片岡鶴太郎:近藤真彦(初代)、、、、(2代目)、、、、、、、、ピヨコ隊隊長(をモチーフ)、(山田邦子と)、、• 山田邦子:松任谷由実、、、、、、、、、、、、「」のサリー、花村よし子(よっちゃん)、(初代)、、(初代)、、、、、チェリッシュ・、、• この中で、特に島倉千代子は番組内での山田のモノマネにより「」が若年層にまで受け大ヒット(このことは島倉本人も公認)。 また、山田自身も当時30年来の島倉ファンだった父を収録現場に呼んで、島倉との対面をさせるという親孝行をしている。 :、、、、、桂三枝(現・)、、、()、• :、、芦屋雁之助(初代)、、、、、、、、、、、、加藤晴子(あみん)、()• 西川のりお:、 赤信号と 、、(ぼんちおさむと)、(同)、(同)、(同)、、人形、のりPマン、、 同• :(初代)、(2代目)、(2代目)、(西川のりおと)(同)、(同)、光GENJI(同)、、、少年隊 同• : のりおと 、、(ヒップアップと)、、 西川のりおと 、、、 島崎俊郎と• :、、(赤信号やと)、、、、(以上、島崎)、• :、、、、、光GENJI• :、、、、、• (天久美智子):• 力也(安岡力也):• :(初代)• :、(初代)• 明石家さんま:、、、、(池田まさる・くず哲也・マギー司郎らと共演)、サザンオールスターズ()、山下達郎、(2代目)・• ビートたけし:(チョー・ヨンピル。 何故か韓国語で歌っている)、• :わらべ• 池田勝():(さんまらと共演)• :上田正樹(同上)• :上田正樹(同上)• :とんねるず• 島田紳助:、光GENJI• :小泉今日子 子役の為スポーツに挑戦する時、下半身に大人が入り首だけが浅川というパターンだった• 襲名型の(何代目~と呼ばれる)ネタ• 松本竜介:(初代)• :田原俊彦(2代目)• :田原俊彦(3代目)• :田原俊彦(4代目)、、テレサ・テン(2代目)• :近藤真彦(2代目)• :近藤真彦(3代目)• :近藤真彦(4代目)• :(初代)、• :松田聖子(2代目)• :松田聖子(3代目)• :松田聖子(4代目)、中森明菜(4代目)、原田知世(3代目)、(初代)• :中森明菜(2代目)• :中森明菜(3代目)• :欧陽菲菲(2代目)• :(初代)• :(初代)、• :風見しんご(初代)、、のヒロシ• :玉置浩二(2代目)、長渕剛(2代目)• :菊池桃子 名義 2代目)• :(2代目)• : 2代目• これ以外にも、レギュラー陣が歌を発表した際はこのコーナーで披露された(ビートたけし『』、明石家さんま・島田紳助『』、片岡鶴太郎『』など)。 なかでもビートたけしの『』のVTRはレギュラー陣に「一番面白い」と評されるなど、伝説になっている。 また、ビートきよし、松本竜介、島田洋八の3人で結成された「 うなずきトリオ」が歌った『 うなずきマーチ』(プロデュース)などは特に有名である。 後期になるとろくに歌も歌わずコントになる場合も多い。 1986年10月頃から笑い声が無くなり、現場での生の笑い声のみが残るようになった。 ウガンダの和風スリラーが1984年度優秀賞を受賞している。 ひょうきん歌謡大賞 [ ] 毎年年末に放送されていた企画で、とを足して2で割ったようなパロディ。 第5回ではの最優秀新人賞受賞に西川のりお扮するが怒って、審査員に文句を言い反対に殴られると言う、1983年の歌謡大賞の裏側を彷彿とさせるシーンもあった。 賞は新人賞、歌謡賞、ひょうきん歌謡大賞の3つがあり選考基準は特に無いが、のりおによるとひょうきん歌謡大賞は両親の登場がある為、両親が収録日に参加、顔出しに承諾してくれた人が受賞させられたらしい。 テーマ曲はFNS歌謡祭と同じ「花咲く歌声」である。 また第6回ではプレゼンターに当時「」で人気の出ていた(本物)と(さんま扮する)が出たこともあった。 ひょうきんニュース [ ]• キャスターは本名で出演。 初代 - 長谷川公彦(島田紳助)、酒井スエ子(今くるよ) 2代目 - 杉本高文(明石家さんま)、山田邦子 3代目 - 小林進(ヒップアップ)、山田邦子 天気予報 - 南出繁• テーマ曲はのの第4曲「木星」。 のような音だけだったときもある。 このコーナーの構成作家は高田文夫で、高田曰くひょうきん族で最初に作られたコーナーである。 キャスターが初代から2代目の途中までは、独立したコーナーであり、ひょうきんベストテンやタケちゃんマンと同じくらいの時間を割いて放送していた。 コーナータイトルの後に必ず『このニュースはすべてデッチ上げのニュースです。 見終わった後すぐに忘れて下さい。 』という旨の字幕が流れていた。 タケちゃんマンで明石家さんまのブラックデビルが定着した後はスポットニュースのように、コーナー内で随所に挟み込まれる形になった。 うなずきトリオ [ ] (ビートきよし、松本竜介、島田洋八)がコントや架空のラジオ番組(オールナイトひょうきん)を展開する。 後に彼らによる「 うなずきマーチ」なる曲が発表され、などで歌われていた。 また、富山県が一躍全国的に知られる要因となった。 ひょうきんプロレスアワー [ ] 芸人がプロレスラーに扮し、本物のプロレスのリングで闘うという、不定期コーナー。 景山民夫(=フルハム三浦(後述))が大根で殴られ骨折したり、オール阪神(=ミスター・タイガー(後述))が股裂きにあい、股を切るなど出演者が本当に体を張って演じた。 無敵を誇る紳助組に、悪玉のシャープ兄弟がその打倒に執念を燃やすといった図式で、初戦では紳助組が勝利(その際に前述の「股裂け」事件が起きた)、執念の末に得た再戦ではシャープ兄弟が勝利、そしてその決着戦は、で行われたの実際の大会を間借りする形で行われた(結果は紳助組のタイトル奪還)。 コーナー自体は全日本女子プロレス興業の協力を仰ぎ、当時フジテレビが放映した「」のスタイルを踏襲していた。 実況は「全日本女子プロレス中継」のメインアナでもあったが務めた(後年、志生野は「」の1コーナー『異種格闘技戦・格闘王への道』や「」の1コーナー『格闘女神MECHA』でも実況を担当している)。 またごく初期には、後に実際の女子プロレスで「極悪レフェリー」として名を馳せたがレフェリー兼リングアナを務めていた。 その後は、実際のプロレスの忠実なパロディとなり、島崎が、鶴太郎が、さんまがに扮するなどした。 一時はの協力を仰ぎ、扮するや扮するレフェリー等、必ず時代に活躍したレスラー のパロディ が登場した。 この時期は志生野アナ(前述)だけでなく、アナが実況を担当したこともある。 また、紳助扮する「ふるい立ち伊知郎」が実況を、たけし扮する「大山マスタチ」なる武道家、違うスポーツの解説者であった、が務めたりした。 フリーとなったが、謎の覆面実況アナウンサー「・」(しばらく後「ふるい立ち伊知郎」と改名=正確には2代目)として登場した前後には、コーナーの方向性が大きく変わり、社会ネタのパロディが中心となった。 が(当時盛んに騒がれたのがモデル)のリングネームで登場し、高田文夫のジミー江古田(モデルは)やグレート義太夫扮するジャーナル中江(のがモデル)と闘ったり、タイガー・ジェット・なるレスラー(竜介)が登場した。 この時期に解説を務めたのは、たけし扮する審判部長「ジャマモト・コタツ」(のパロディ)で、「フジテレビ内部抗争」として行われたVS. 戦においては、「」憎しとばかりに試合に割って入りながら、なんですかマンの乱入を逆に呼び込んでしまい、最終的に「審判部長がフォール負けするという四次元的な結果」(ふるい立ち伊知郎・談)を残したこともある。 一度プロレスのリングの都合がつかず、仕方がなくボクシングのリングで収録したことがある。 外見は似ているがマットの構造が異なり、弾まず硬いマットに演者は苦痛の表情を見せた。 なお、このコーナーの番組内での類似企画として「異種格闘技戦『北野武蔵(北野流空手道十段=たけし)VS. アルギン・ジェット・シン(全米マーシャルアーツ王者=紳助)』」「プロボクシング・世界ひょうきんジュニアライト級タイトルマッチ『ピストン北野(たけし)VS. ホセ・メンドクサ(メキシコ=サブロー)』」がある。 後者は2試合行われたが、そのうちの1試合はの協力を得て、のリングで行った。 ひょうきん懺悔室 [ ] 詳細は「」を参照• 1983年10月1日スタート。 ブッチー武者が 神様役、番組プロデューサーの横澤彪(2代目は三宅恵介)が 神父役を務めた番組の最後の名物コーナーである。 ひょうきん絵かき歌 [ ] 民謡「(シュワジュペチカ)」のサビパートのピアノ伴奏とコーラス隊(男女混合)の合唱に合わせて、山田邦子が絵を描くコーナー。 コーラス隊は独自のオープニングテーマも歌っていた。 序盤は普通の絵描き歌だが、最終的には下ネタになったり、他の「ひょうきん族」でおなじみのネタにちなんだ物まで出てくる。 中にはホワイトボードを回転させることで絵が完成したり、描いたスプーンをこすっても曲がらないことで超能力のない証明をしたりと視聴者を唸らせる作品もあった。 視聴者からの投稿も受け付け、作品の出来によって山田から花丸をもらえたり、描き終わるなり「バカ野郎! 」と叱られたりしていた。 絵とはまったく関係ない「コーラス隊の皆さんの私服姿が見たい」という視聴者からのリクエストに対し、見事に応えて披露したこともあった。 なお視聴者からの募集のあて先(フジテレビだが局留)もコーラスで行われていたが、その曲は毎回「森へ行きましょう」でない曲を週替わりで使っていた。 1982年10月23日〜1984年の秋頃まで続いた。 当時山田が出演した牛乳のCMではこのコーナーを模した演出が使われ、「ひっくり返せばモーモーちゃん」という絵描き歌を披露していた。 ラブ・ユー・貧乏 [ ]• 1986年10月にスタートしたコーナー。 さんまの司会で何人トリオが己の貧乏自慢をしてもらう(1番:、2番:、3番:)。 一人ずつネタが終わると(この時点のバンマス・リードヴォーカルは森聖二)の「」の「東京」の部分を「貧乏」に変えた替え歌を歌う(他パターンあり)。 そして、最後にわざわざ来てくれているロス・プリモスに物乞いの一言で締めくくられる。 「ラブユー貧乏」の他、同じくロス・プリモスの代表曲「たそがれの銀座」を使用した「たそがれの貧乏」も放送された。 元々はさんまが出演していた舞台やラジオ番組「」で、何人トリオの3名が「難民トリオ」名で「」を流しながら行っていたもので、ビートたけしがで謹慎となり代替企画を探していた番組スタッフにさんまが推薦した企画である。 その後、ロス・プリモスがネタ切れによる降板を拒否したため、なんでもやると言う条件で「ラブユー貧乏ちゃん」(代わりにロス・プリモスメンバーと強面のマネージャー)、「貧乏DEデート」(クイズ)が行われるようになった。 また、「ラブユー貧乏」はオリジナルの歌詞を加えてロス・プリモスのレコード・カセットテープとしてリリースし、ヒットした(詳細はを参照)。 『』では「21世紀のを探せ!」を募集してこのコーナーを再現した。 放送の『』()「明石家さんま生誕60周年記念スペシャル」で、オープニングにて明石家メンバーがさんまに因んだエピソードの替え歌で再現した。 冒頭:アナ、1番:、2番:、3番:村上ショージ。 現在の(、峰たかし、佐藤幸輝の3名)も登場した。 かまへんライダー [ ] 1988年10月22日にスタートした、番組末期の代表的なコーナー。 明石家さんまがらを連れた計5人で街中ロケを行うもので、『』と『』のパロディ。 オープニングBGMは当コーナー開始前後まで放送されていた『』の挿入歌『オーラに輝け! グレートファイブ』のインストを使用。 各人スーパー戦隊シリーズのように色分けされていた。 レッドは明石家さんま、ブルーはラサール石井、イエローは村上ショージ、グリーンは前田政二、ピンクはMr. オクレ。 5人乗りのに乗って現れるが、きついカーブを曲がれないので、一度降りて自転車を持ち上げなければならないところが滑稽だった。 素人相手に仕事の手伝いなどをし、礼を言われると「カマヘン、カマヘン」と返していた。 同時期にフジで放送されていた『』のコント「」とよく比較されていたが、現場勝負でストーリー性がないこともあり、人気でいうと圧倒的に負けていた(メンバーの誰かが何か失態する度にさんまが「そらぁ(当然)ノリダーに負けるわなぁ」と愚痴を零していた)。 訪問先でも、「我々は仮面ノリダーではありませんよ」と言っていた程である。 しかし、「よいとこ、一度はおいで、ジョイナ、」と街へ出動する時に歌っていた事もあり、から感謝状を贈られて草津温泉に招待された。 また、同様の移動法での「ヤレン、ソーランソーランソーランソーランソーランソーラン、ハイハイ」の「ハイハイ」の部分で這って歩くバージョンがある。 また、このコーナーで、さんまがの歌い方(曲目 「REAL」)についてコメントしたことがきっかけとなり、大江がこのコーナーにゲスト出演したことがある。 」とかまへんライダー達にさんざん突っ込まれてしまっている。 仮面ノリダーと異なり、本家『ライダーシリーズ』と『ゴレンジャー』の原作者であると放送局(・・)・にパロディ化の許諾をもらっていたためか、番組が復刻版DVDでソフト化された際に収録された。 本家の「仮面ライダー」では「変〜身!! 」と叫ぶのが定番となっていたが、かまへんライダーは「変〜態!! お父ちゃんやめてやめて!! 」が決め台詞だった。 レンタルビデオドラマコント [ ] 番組末期。 「ひょうきんビデオ」と言う名前のパロディ。 オープニングは豆腐屋から転職し、レンタルビデオ店を経営する店長のたけしがバナナ滑りに拘るコントをする。 その後、理髪店兼ビデオ店、交番のビデオ店「駐在さん」等のコントから始まり、オープニングをはさんで番組前半、ドラマや時代劇などといったドラマ風コントを放送。 最初はあることをすることで、店主のたけしが「ひょうきん大河ドラマ」などのビデオをレンタルしていた。 8つの顔を持つ男 [ ] 1989年4月15日スタート。 番組最末期の「タケちゃんマン」終了後に後を継いだドラマ仕立てのコントコーナー。 ビートたけし扮する怪盗・8つの顔を持つ男が現在・過去・未来の行き来しその名の通り「牛田モー(のもじり)」など様々な名前や顔を持ち盗みを働く。 コーナーの流れはタケちゃんマンと同じだが前者が一応正義のヒーローだったのに対し、こちらは悪人という設定。 一方、明石家さんまは「トン・ティン・タン教祖(トン・ティン・タンカッパ)」の固定キャラを持っていた。 ここで使われた効果音には『』(第3シリーズ)と同じ物が使用された。 番組末期の中では人気が高かったコーナーだったが番組終了が決まったためわずか4ヶ月弱で終了。 オープニングコーナー [ ] オープニングコント [ ] 初期は様々なシチュエーションにおいて、「オレたちひょうきん族!」のタイトルコールでオチをつけるコントだった。 後期の特徴的なシーンとしてはたけしとたけし軍団がまとめて会社員として出演したものがある。 後期ではたけしがこれぐらいしか出ない場合もある(熊うっちゃり酒造)。 CSで放送された中でも、「俺にも、佐世保!」はネット上や、でネタにされている。 記念すべき第1回目は「晩餐会」だった。 初期の主なオープニングコントのシチュエーション:晩餐会、ビリヤード、オーケストラ、、病院、お花見、『8時だョ!全員集合』のOP、少年少女合唱隊、嫁ぐ日等。 今週のひょうきんハイライト [ ] オープニングで今週の見所を紹介するコーナーだが司会のアナが一言も笑わず、きっちりと台本どおりプロの仕事をするのを隣の山田邦子が業を煮やしレギュラー陣を乱入、一発芸をさせたり素人時代にに参加していた時の映像をドッキリで流したりしてどうにかして牧原アナにNGを出させるコーナーに変わっていった。 爆笑!第一回輝け全日本東西お笑い芸能人夢のオールスター対抗紅白ゲーム大合戦スペシャル [ ] ナンシー邦 山田邦子 司会。 汽車には普通 10秒 、急行 7秒 の時間制限がある。 あまりにも長過ぎるタイトルだったため徐々に略され決勝戦では「爆笑!スペシャル」とコールされた。 よく見りゃ有名人?! [ ] 1984年に放送。 週替わりの司会者二人が自分の知り合い、友達(一般応募は無し)で有名人に似ている人を連れてきて(限りなく微妙な所)審査員がどっちが似ているかを審査をする。 最後に「よく見りゃ賞」という一番似ていた人を決め、1985年1月5日のグランドチャンピオン大会に出場した。 初代グランプリは当時当番組のアシスタントディレクターで、現在構成作家として活動を続けている藤沢めぐみがに似ている人として選ばれた。 また、当時当番組のディレクターであったがに似ている人としてグランドチャンピオン大会に進んだ。 第2弾として85年2月2日に「よく見りゃ動物?! 」を開催したが、わずか1週で打ち切られた ひょうきんスター誕生 [ ] 1985年12月7日にスタート。 『』のパロディで、司会がとと、本家の声優・三人娘の組み合わせを踏襲している。 の項目を参照。 関根くんの知られてる世界 [ ] 関根勤演ずる文化人類学赤子研究家、クストー関根とアシスタントのアナが赤ちゃんの動作を見守りながらいろいろなコメントを述べる。 さんま・関根のひょうきん歌謡学院 [ ] さんま扮するデビュー前の学生杉本と関根扮する教師がゲストの歌う歌詞にいろんな表現、合いの手をつけて歌わせる。 後にの大日本意味なし教でこのコーナーのリメイクが放送され、オチを付けず面白い所だけを放送する構成もマンション物語の基本となった。 宅配ピザドラマコント [ ] 番組末期。 オープニングの会社コントから派生したけしが宅配ピザに注文するのだが、指定時間内に届けられなかったら無料であることをいいことに、超遠回りの経路を指定して配達するように注文する。 さらには配達員()が配達途中の経路上に仕掛けられた罠にひっかかったこともあった 前半の歌謡コーナー(ベストテン終了後) [ ] ひょうきんスタープロポーズ小作戦 [ ] ひょうきんベストテン終了後に開始したコーナー。 のパロディ。 島田紳助と長野智子の司会で、男女4人が登場し、フィーリングカップルを行い、カップルを決定。 その後、ゲスト歌手が歌を歌うという形式。 男女4人のうち、ゲスト歌手以外は、全てレギュラー陣によるものまねだった。 事実上の次コーナー、ひょうきんお笑いジョッキーが始まるまでのつなぎ企画。 歌えるパブ「ひょうきん」 [ ] 番組末期。 会員制のパブという設定。 有名人のものまねをしたタレントたちが集まるパブという設定。 後半はゲストがスタジオライブをする。 このコーナーのおなじみの言葉はによる「やきそばできました」。 ひょうきんお笑いジョッキー [ ] 番組末期。 ゲストを呼び、ゲストの生歌とレギュラーの生歌を交え、トークを展開していく。 歌えるパブひょうきんの鹿の首(のりおとおさむ)をゲストがなじる。 ひょうきん芸能フラッシュ [ ] 番組最末期。 島田紳助と大島智子の司会で、最新の芸能情報を紹介する。 山田邦子とそのまんま東の・ネタや 片岡鶴太郎のネタ、西川のりおのネタがヒット。 「ひょうきんベストテン」からの音楽コーナーを一応継承しているものの、ほとんど音楽ネタは使われることがなかった。 ミニコーナー [ ] 漫才コーナー [ ] 番組開始から半年後は、まだMANZAIブームの引きずりにより、番組の途中で公開漫才ライブが行われた。 放送されたものは前述のうなずきトリオの他、以下のユニットがある。 やかましトリオ(おさむ・のりお・洋七)• なかよしコンビ(まさと・上方よしお)• のりおとのりお 西川のりお・大平シロー• ザ・さんシロー(明石家さんま・太平シロー)• MANZAIもどき サブローシローによる、当時の10組の人気漫才師のコピー漫才• 元アイドル漫才「ザ・アイドリング」(・あいざき進也)• コピー・ザ・ツービート 片岡鶴太郎・若人あきら• 恋人マンザイ(横山たかし・春やすこ、横山ひろし・春けいこ)• ご本人と漫才(ものまねとそのご本人との漫才、太平サブローと浜村淳(本人)、明石家さんまと上田正樹等)• 同級生漫才(九十九一・里見まさと)• 夫婦漫才(ビートたけし・、片岡鶴太郎と夫人)• 業務上漫才(ぼんちおさむ・「ザ・ぼんち」マネージャー) ヒップアップのひょうきんな青春 [ ] 1981年~82年に行われた、当時一番若手だったヒップアップのネタ見せ。 途中からは視聴者からお題の募集をした。 コーナー初期はタイトルアニメーションやテーマソングも存在したが、後に自然消滅した。 想い出しましょうあの人を [ ] 番組初期にたけしが担当していたコーナーで、たけしが懐かしのタレントのVTRを見ながらコメントをする。 担当は。 初期にあった企画『伊丹幸雄コーナー』の完全コピーであった事をたけしは『ビートたけしの幸せひとり占め』内で漏らしている。 ひょうきんCM [ ]• 初期 カメラのひょうきん、 ひょうきんゴルフ、 サウナひょうきん、 ひょうきんローン等のローカル風CMをやっていた。 出演は横澤プロデューサーやひょうきんディレクターズ他スタッフによるもの。 この種類はの時間帯に入れ本当のCMであるかのように流していた。 中期以降 1983年後半~1986年初頭は当時の人気CMのパロディとなった。 こちらも担当ディレクターが多数出演しているものも多い。 また、商品のかわりに、 ひょうきん族の台本が出ていた。 の項目にあるとおり裏番組を茶化したものまであった。 モデル企業・商品・団体 [ ]• 公共広告機構(現:)• - シーズンが迫ってきた頃に「大正漢方胃腸薬」のパロディをしていた。 他、順不同 このような番組タイトルを含んだCMパロディは、後に「とんねるずのみなさんのおかげです」、「邦ちゃんのやまだかつてないテレビ」、「」等でも同じ手法で行っていた。 ひょうきんお茶の間ショッピング [ ] 1982年10月2日開始。 当時よく放送されていた、「二光(に社名変更した後に、2017年にへ吸収合併)お茶の間ショッピング」のパロディで進行は九十九一と春けいこ。 番組収録で使われたセットの一部が商品として出された。 また、(当然番組の作り物)などの時事ネタをテーマにした商品もあった。 商品によっては「20億円」とか、「凄すぎて価格が付けられません」といったモノまで登場した。 もちろん発注先の電話番号や申込方法 はデタラメだったが、それでもフジテレビ宛に購入希望の電話がかかってくる事が多かった。 その為、その後は「いずれもタダ」という触れ込みで番組の宛先を表示する視聴者プレゼントの形になった。 また「二光~」が電話の呼鈴で始まっていたのに対し、「ひょうきん~」はの音 後にが電話番号表示時に使用 で始まっていた。 この趣向は後の『』や『』でも同様のコーナーが生まれている。 ひょうきん連続テレビ小説 [ ] 番組初期から、懺悔室が始まるまで行われたミニドラマ。 メロドラマ [ ] のをパロディにしたドラマコーナー。 さんまがメインで、ギャグはほとんど言っていいほど入ってはいなかった。 重厚なストーリーを重視しての作風で8話2週完結の体裁で冒頭と番組の前半と番組の後半とエンディングで放送された。 テロップも「 2分後につづく」(オープニング・提供・CMの後)「 番組の後半につづく」「 CMの後につづく」「 次週につづく」最終回では「 終」と表記をしていた。 ただし、東海テレビと各作品の著作権を持つ制作会社(・・などに)に許可無く無断でパロディ化したためか、番組がDVDソフト化された際にはこのコーナーは入っていない。 のりおのまかせなさい! [ ] 西川のりおのギャグ「まかせなさい! 」から生まれたコーナーでのりおと帯同ディレクターがいろんな所へ行って便利屋仕事をするという(風呂掃除や老人の話相手など)もの。 あまりに地味でほんの数回しか放送されず、そのうち一回はボツにされたと本人は愚痴っていた。 ひょうきん朗読の部屋 [ ] やなど著名なに商品の取扱説明書や漫画、の詩を朗読させる。 後に同じくフジテレビで放送されたバラエティ番組「」でによるこのコーナーのリメイク版が放送された。 在庫一掃コーナー [ ] 1984年ごろに設けられたコーナー。 司会の島田紳助と・トニー黒岩などビートたけし扮する(ただし姿は全く変わらない)コメンテーターが漫才ブーム~番組初期の頃にかつて活躍していたお笑い芸人が出していたを紹介し、時にはそれに加えも送付して視聴者プレゼントにしていた。 プレゼントという名の 拷問だとたけしは語った。 のりおとにらめっこ [ ] 「テレビ」というテレビゲームに西川のりおが登場している、という設定のミニコーナー。 のりおは「」や「」等に扮しているのだが、突然カツラが外れるなど、あの手この手で視聴者を笑わせにかかるものだった。 どんな展開でも最後は「あなたの負け」という画面が表示される。 のりおの変化する顔の部分がランダムに選ばれる事により、実際に顔の一部分が特殊メイクで変化する「のりおと整形にらめっこ」というバージョンもあった。 ひょうきん史上最大のクイズ [ ] 「~は何と言ったでしょうか? 」という形式の問題を出し、視聴者に答えを考えてもらうという現在で言うところの形式の先駆け。 日本の御作法講座 [ ] 日本の火消を着たが司会。 レギュラーが作法の先生で日本での電話の取り方等を一つずつ段階を踏んで説明する。 途中から日本人がよくする仕草が登場(今で言う)「これは日本では、ですのでやらないと失礼に当たります。 」ともっともらしく話す。 デーブは説明中英語 吹き替え: で話しているが逐一チェックされ誤訳も懺悔の対象になる。 今週の思いつき小細工 [ ] 用意されたセットでレギュラー達の笑いのセンスを競う一発勝負。 趣向を凝らす者もいれば、やっつけ仕事で叫ぶだけ(おさむ)、人間打楽器(渡辺。 下半身丸出しで股間のものを左右に振って音に出す)、セットを破壊(ビートたけし)と様々。 源さんの日記〜ある老人の一言より〜 [ ]• 片岡鶴太郎扮する「 源さん」(本名:片岡源右衛門)と言う名の老人が街中に飛び出し、源さんが不快に思うことを「思わずこう言いそうになった」のナレーションの後にテロップが表示され、最後に源さんがリアクションを取り、直後に「でも、言わなくて良かった。 なぜなら、それが源さんなのだから…」というナレーションで締めくくるミニコントドラマ。 基本的に他のレギュラー陣の参加は無し。 2009年8月に放送された「ひょうきん族話の泉」で、撮影当時、片岡鶴太郎は演出した三宅ディレクターから、これは風刺であり、過剰な演技は極力するなと言われたと明かした。 ナレーションはが担当。 サブタイトル( ある老人の一言より以外に)も何度か変貌があった。 ひょうきん私の秘密 [ ]• 『』のパロディーコーナー。 1986年4月から始まったコーナー。 アナウンサー(当時)進行による番組レギュラー陣の自慢・秘密話を持ち込んでクイズにする内容。 解答者にはレギュラー陣が「ひょうきんベストテン」「ひょうきんスター誕生」等で扮していたものまねキャラが携わっていた。 このコーナー担当は佐藤。 曰く「流行が一回りしたから古い感じのコーナーが新しい」と言って始まったらしい。 コーナー自体は長く続かず、紳助はひょうきんベストテンで、「皆さん、(佐藤が方針の間違いに気づくまで)付き合ってあげて下さい。 」と言っていた。 ひょうきん夏休み宿題ダービー [ ] 1986年、1987年の夏休み宿題シーズンに放送。 ひょうきん族では珍しい、知的クイズコーナー。 司会はラサール石井。 アシスタントは。 レギュラー陣が、国語算数理科社会に関する、様々な問題に挑戦する。 ひょうきん夏の思い出 [ ] レギュラー陣が、夏休みの思い出という名の自虐ネタを披露。 電車談話室 [ ] 1989年2月18日スタート。 末期のミニコーナー。 夜の帰宅の車内で一般人役のレギュラーが芸能界を引退しになったという設定のゲストと偶然乗り合わせトークを展開する。 ひょうきんアライグマ劇場 [ ] 西川のりお演じる瞬きのできる着グルミ、のノンノン君がさんま、サブロー・シロー・紳助らとジェスチャーで触れ合おうとするも、逆にのりおが生み出してきた一発ギャグを要求されるなどいじられまくる。 このアライグマの着ぐるみは放送300回記念スペシャル内で放送されたジェスチャーゲームコーナーでも利用された。 第1話:「森の気のいいノンノン君」の巻/1988年10月8日放送。 ひょうきん名画の旅 [ ] 妖精役の山田邦子が名画に隠された裏エピソードを発見する。 例えば、笛を吹く少年はなぜ縦軸なのかというと、横にお囃子と東京コミックショーがいるから、など。 Hyokin Kuning Show [ ] 山田邦子扮する好奇心いっぱいの女の子クーニンは、悩みはじめるとクーニンエイトに変身し、仲間の怪人たちと相談する。 クーニンエイトに変身すると、頭がフジテレビの旧ロゴマークである8になる。 なお、仲間の怪人は、それぞれ他局をモチーフに擬人化したもの。 日本女 NHK• 東京ドーム男(日本テレビ)• 印篭男 TBS• テレビカメラ女(テレビ朝日)• 紙男(テレビ東京) シネひょうきん [ ] 番組末期のコント企画。 映像はカラー のノリでギャグが繰り広げられた。 その他 [ ] ひょうきん族だよ全員集合 [ ] であった「」のパロディ。 関東の公民館、ホールを使い、公開収録。 オープニング・エンディングは本家「全員集合」とほぼ同じフォーマット(・の替え歌)であった。 主に、明石第三小隊と山田邦子の物真似。 各コーナーの延長版、親睦イベントを実施した。 ひょうきんスペシャル [ ] 春・秋の番組改編時と年末年始に行われる拡大版。 タイトルには「春の~」「秋の~」「年忘れ~」「新春~」と付けられる。 こちらも『8時だョ! 全員集合』を意識した作りで、通常7時台はスペシャル企画(主にさんまとたけしのトーク、公開懺悔)で8時に通常プログラムをパワーアップさせた内容でベストテンを名曲プログラムやひょうきん歌謡大賞、タケちゃんマンにミュージカル要素を加えたプログラムになっており、基本プログラムをあまり崩さなかった。 『全員集合』の終了後は公開懺悔に加え、これまで放送したタケちゃんマンの名シーンをで視聴者から形だけ受け付ける形(実際、受付電話番号が出ないので直接フジテレビに掛けてもつながらない)を取っていた。 通常の「ひょうきん族」とは別番組扱いとなっている。 なお、1983年の元日には『』の前枠として「ひょうきんスペシャル」を編成。 『 初笑い! ひょうきんスペシャル ワイド生放送』と題し、生放送で行われた。 その他テレビ番組のパロディ [ ]• ひょうきんPM(:日本テレビ・)• 3時のおまえ(別バージョンで「3時のあんた」もあり)(:フジテレビ)• 遠くへ行きたくない(:読売テレビ)• のくいしん坊! ぶあんざい(:フジテレビ)• ひょうきんトゥナイト(:テレビ朝日)• BOU-ブー(:)• ひょうきん発20時(:)• 夏休み親のための宿題ダービー(:TBS)• びったしガン・ガン(:TBS)• ひょうきんアベック歌合戦(:読売テレビ)• ひょうきんTVスクランブル(:日本テレビ)• ひょうきんスペシャル(大川口浩探検隊シリーズ)(川口浩探検隊シリーズ:)• YOUNG HO! (:毎日放送)• ひょうきんこの店あの店(:テレビ朝日)• ひょうきんスポーツ教室(:NHK教育)• 男女7人冬物語(:TBS) 他 脚注 [ ]• 山村美智 Official Blog(2015年3月7日記載)• DVD版では著作権法上の都合で、メロディーが少し異なる類似曲に差し替えられている。 直前のコーナーであるスペシャル内で日ごろお世話になっているがわからず「森紳助に名前を変えてやる! 」と発言したことにより一時的ではあるが改名。 2011年4月10日放送の爆笑問題日曜サンデーより• に放送された回では、たけしが「山田邦子です」と言い張って山田の席に座った事もある。 1981年10月24日放送分のオープニングコントは『8時だよ!全員集合!』バージョン、同年12月は同じく「全員集合」内の少年少女合唱隊バージョンで行われた。。 から騒ぎ担当プロデューサー・の出身地()に因んで。 『ビートたけしの幸せひとり占め(文庫版)』刊、P99。 「お申し込みは御葉書かで」などと紹介していた。

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うなずきトリオ

うなずき トリオ

来歴 [ ] 出身。 立(現:立)国吉中学校、、卒業。 大学時代はに所属し、同会に受け継がれたである「 紫紺亭志い朝」(6代目)を5代目だったから受け継いだ。 大学在学中の、養成所に入所し、一級上の、同期のと共にグループ「」を結成。 「赤信号」のリーダーとして活躍した。 に制作の『』でデビューし、コントなどで人気を博す。 からまでで放送された『』で、(逸見の死後は当時の)を補佐するサブ司会者を務めた。 逸見を立てつつ場を盛り上げる司会ぶりが高く評価され、には多くのテレビ番組でサブ司会者として起用される。 業界内外で「芸能界のスーパーサブ」の異名をとった。 9月に18歳年下の一般人女性と結婚し、翌1月24日(渡辺44歳の誕生日)に女児が誕生した。 若手お笑い芸人の育成にも積極的で、から「」を主宰している。 同大会は所属事務所の枠を取り払った門戸の広いお笑いライブで、過去にはを筆頭に、、ら、のちに名声を博すことになるお笑い芸人たちも多数出演していた。 このほか、若手お笑い芸人の登竜門とされてきた でもから審査員を務めている。 が主催する漫才コンクール「」では・・・・・大会の決勝戦で審査員を務めた。 このほか、吉本興業が主催するコンクール「」の・大会や、吉本興業が主催する漫才コンクール「」の・大会でも決勝戦の審査員を務めた。 からは「」及び「」の舞台公演にレギュラーメンバーとして参加し、明治大学落語研究会の先輩でもあるとともにの継承と発展に取り組んでいる。 人物 [ ] 芸風 [ ]• 赤信号時代に披露したやなどをネタにしたコントが好評を博し、そのコントの役柄である「リーダー」がいつしか渡辺の愛称として定着するようになった。 コント赤信号が事実上休止状態となった後もテレビ番組の共演者からは「リーダー」と呼ばれることが多い。 のはかつて渡辺の付き人をしていた。 五段の持ち主である。 中学・高校と学校の剣道部に所属し、高校時代には関東高校剣道大会に出場した経験がある。 『』『』『』などの企画でその腕前を披露したことがあるほか、『』では「体育会TV剣道部」のキャプテンとして剣道部や、らと対決した。 「笑い上手」としての一面がある。 長年レギュラー出演していた『』(2014年9月放送終了)では、同じく「笑い上手」のと共に番組を盛り上げていた。 涙脆い一面がある。 中年期以降はその傾向がさらに強まり、特に自身に子どもが生まれてからは番組で見せられる視聴者投稿ビデオなどに映った子どもの懸命な姿を見ては涙をこぼし、動物の健気な様子を見ては飼っていた愛犬を思い出して涙ぐむことがしばしばある。 また、自身がレギュラー出演する番組の最終回においても、番組終盤で感極まって号泣する事が多い。 プライベート [ ]• 中高生時代に通っていた剣道道場や大学の落語研究会などでも上下関係を教えられたが、芸能界での師匠であるから芸事での先輩後輩のありかたを厳しく教えられた。 後輩への指導は厳しいが、仕事や稽古が終わると必ず労いの言葉をかけ、時には食事を振る舞うなど面倒見もよい。 を趣味としており、時間を工面してはラウンドを回っている。 スコアはセミプロ並の79をマークしている。 50歳ぐらいの頃、出演した舞台公演の初日にこれまで経験したことがないほどあがってしまい、それ以降も「血が逆流する」ような状態が治まらなくなった。 知り合いの医師に相談したところ、男性のの一つであると診断されたが、薬を服用することで完治した。 特技 [ ] コーラの一気飲み [ ] ()の一気飲みが特技である。 かつてレギュラー出演していた『』(フジテレビ系列)では、一般出場者が渡辺とコーラの一気飲み対決をするゲームコーナー「13日の月曜日」が設けられたが、同コーナーで渡辺はほぼ無敵を誇った。 しかし、一般出場者に一度だけ負けたことがあり、終了後の楽屋にプロデューサーのが訪れて一言「負けちゃったね」という言葉を残した際に「このコーナーは負けちゃいけないんだ」と初めて理解したとのこと。 『』(TBS)でこの技を披露した際は、スポンサー(当時:、現:)の都合上、を一気飲みした。 本人が打ち明けたところによると、一気飲みのコツは「無理をすること」と「我慢をすること」。 また、冷えたものではなく常温のコーラでないと「喉が締め付けられるために飲みにくい」と語っている。 オールスター感謝祭 [ ]• 番組改編期である春と秋の土曜日に生放送されているの特別番組『』では、秋の初回放送から解答者としてすべての回に皆勤して出演し、事実上の番組レギュラーを担っていた。 しかし、春の第48回放送を最後に番組への出演が途絶えている。 午前(19日深夜)に放送されたTBSのバラエティ番組『』が『オールスター感謝祭』全47回(調査当時)でクイズ正解数が多かった芸能人を調査したところ、渡辺が計1180問を正解した正解数第1位の出場者であることが判明した。 ちなみに、第2位はであった(2015年1月時点での結果)。 家族・親族 [ ]• と同様に兄と姉が一人ずつおり、渡辺の兄が渡辺の出身地であるいすみ市で焼き鳥屋を経営している。 渡辺の兄によれば、焼き鳥屋なのにラーメンを食べに来る客が多いとのことである。 『』の「相手が書かない答えでシュート PKクイズ」でこの焼き鳥屋のメニューを当てるクイズが出題されたが、系のメニューよりが多いと指摘された。 先述通り、第一子の長女は渡辺の44歳の誕生日である2000年1月24日に誕生した。 渡辺にとっては44歳にして初めて授かった子ということもあり、長女を溺愛している。 学校行事には極力参加する子煩悩である。 女性マネージャーの夫は浜谷健司()である。 TBSのバラエティ番組『』にゲスト出演した際、収録数時間前に母親が亡くなった事実を周囲には伏せていたものの、にその事実を言い当てられた。 渡辺は人目をはばからず号泣し、細木は「今日はよく来てくれました」と渡辺を気遣った。 出演 [ ] 現在の出演番組 [ ] レギュラー [ ]• () 不定期 [ ]• (テレビ東京) 特別番組 [ ]• (レギュラー放送:2003年4月 - 2004年3月、不定期放送:2004年6月 - 、)• (レギュラー放送:1994年4月11日 - 2011年3月28日、不定期放送:2017年1月 - 、TBS) - 副支配人(司会) 過去の出演番組 [ ] テレビ番組 [ ]• - 1989年、)• (1985年4月 - 1989年9月、フジテレビ)• (1988年10月 - 1994年9月、) - 副店長(司会)• 新装開店! SHOW by ショーバイ!! (1994年10月 - 1995年9月、日本テレビ)• 新装開店! SHOW by ショーバイ2(1995年10月 - 1996年9月、日本テレビ)• (1988年 - 1992年、日本テレビ) - 2代目国内リポーター• (1989年、) - 4代目男性司会者• (1990年 - 1991年、日本テレビ)• (1991年、)• (1991年 - 2015年、TBS)• (1992年 - 1994年、日本テレビ)• (1992年 - 1994年、) - 司会• (1992年 - 1993年、日本テレビ)• (1992年 - 1993年、TBS) - 司会• 1992年 - 1993年、) - アシスタント• ダウトをさがせII(1994年 - 1995年、毎日放送) - 司会• ダウトをさがせR(1995年、毎日放送) - 司会• (1992年4月 - 1996年3月、TBS)• (1996年4月 - 2014年9月、TBS)• (TBS) - 副支配人(サブ司会)• (1992年10月 - 1993年9月、TBS)• (1993年10月 - 1994年3月、TBS)• (1994年4月 - 2011年3月、TBS)• (1993年 - 1996年、日本テレビ)• (1993年 - 1994年、テレビ朝日)• (1994年 - 1995年、テレビ朝日)• (1996年 - 1998年、TBS) - 司会• (1998年 - 2001年、毎日放送) - サブ司会• (1998年 - 1999年、テレビ朝日) - 司会• (1998年4月 - 2001年3月、)• 秘密の爆笑大問題(2001年4月 - 2002年3月、札幌テレビ)• 秘密の超爆笑大問題(2002年4月 - 2002年9月、札幌テレビ)• (1999年 - 2000年、TBS)• (1999年 - 2002年、)• (2000年、テレビ東京)• (2001年 - 2002年、)• (2002年 - 2004年、中京テレビ)• 高田・大竹・渡辺のオヤジ三人旅(2001年 - 2009年、中京テレビ)• (特番時代、テレビ東京) - 司会• (2004年 - 2005年、テレビ東京)• (フジテレビ) - 準レギュラー• (2006年10月 - 2007年3月、)• (2007年4月 - 2008年9月、)• (2007年6月 - 2008年3月、、金曜日 )• (2008年 - 2011年、) - コーナー司会• (2016年 - 2017年、テレビ朝日)• 帰れまサンデープラス(2016年 - 2017年、テレビ朝日) ラジオ番組 [ ]• (1988年 - 1990年、)• ナベの(1988年 - 1989年、)• (TBSラジオ) - 2020年5月3日 ・5月10日 テレビドラマ [ ]• (1984年、テレビ東京)• (1988年、フジテレビ) - 砂田順平 役• (、NHK) - 兵三 役• (1988年、)• 気ままな女シリーズ 落合夫妻の悪妻だから夫はのびる 前後編(1988年、テレビ朝日)- 役• (1989年 - 1990年、朝日放送) - 田宮 役• (1989年 - 1992年、日本テレビ) - 四方晴夫 役• (1991年 - 1992年、テレビ朝日) - 工藤鉄夫刑事 役• (1992年、朝日放送) - 安井 役• ざけんなヨ!! 7「主婦が綺麗で何故悪い! 」(1994年、フジテレビ) - 大森恵一 役• (2005年、フジテレビ) - 柳澤将忘 役• (2007年、NHK) - 竹谷 役• (TBS) - 漆田錦次 役• 第8シリーズ 第7回『金八 生徒 女形競艷』(2007年11月22日)• 第8シリーズ 最終回『サヨナラ金八先生』(2008年3月20日)• 第5話(2009年11月18日、TBS) - 川上警部 役• (2013年10月、) - 松戸隆 役• 第5話(2013年11月9日、NHK) - 池田昌伸 役• 第26話 - 第30話(2014年10月6日 - 10日、) - 殿村 役• SEASON2 第12話(2016年6月20日、) - 鶴二郎 役• 1986年• (1987年、新人賞受賞) - 幸三 役• 1988年• (1988年) - 秋山 役• 1988年• 1992年• 1995年• 1996年• (1996年) - 安売り大魔王店員 役• (2014年) ビデオシネマ [ ]• 平成恋愛大図鑑 土下座物語(1991年、)• 急遽再結成公演 喜劇 芸人誕生物語(2005年、)• 帰ってきた座長奮闘公演 喜劇 俺たちに品格はない(2008年、)• 楽曲争奪ミュージカル 静かなるドンチャン騒ぎ(2006年、サンシャイン劇場)• 狼少女伝説 TOH!! (2007年、)• 座長30周年記念公演 男と女と浮ついた遺伝子(2010年、サンシャイン劇場・)• 三宅裕司舞台復活記念! 落語日本花吹雪〜出囃子は殺しのブルース〜(2012年、サンシャイン劇場・)• 一座結成10周年記念公演 笑劇のミステリー〜天使はなぜ村に行ったのか〜(2013年、サンシャイン劇場・)• 進出記念公演 天然女房のスパイ大作戦(2014年、)• 新橋演舞場進出第2弾 爆笑ミステリー プリティウーマンの勝手にボディガード(2015年、新橋演舞場)• 新橋演舞場シリーズ第3弾 熱闘老舗旅館 ヒミツの仲居と曲者たち(2016年、新橋演舞場)• 新橋演舞場シリーズ第4弾 フルボディミステリー 消えた目撃者と悩ましい遺産(2017年、新橋演舞場)• 新橋演舞場シリーズ第6弾 東京喜劇 翔べないスペースマンと危険なシナリオ〜ギャグマゲドンmission〜(2019年、新橋演舞場)• 伊東四朗一座・熱海五郎一座合同公演• 喜劇 日本映画頂上決戦〜銀幕の掟をぶっとばせ! 〜(2009年、)• 三宅裕司生誕60周年記念 こんにちは赤ちゃん(2011年、)• (2010年8月26日 - 8月29日、) - 増田のおっさん 役• 50周年記念公演 下町のヘップバーン(2019年1月6日 - 20日、) - 溝口栄次 役 CM [ ]• 「豆スナックジャック」• 「Dr. ASSY(ドクターアッシー)」 著書 [ ]• ぐわわわん(2006年、双葉社) 脚註 [ ]• (2019年10月1日、)• (2017年10月30日、Ameba News)• (2012年12月30日、)• (2014年7月13日)• (2015年1月17日、)• (2015年1月25日、)• (2014年4月9日、)• 渡辺本人は当該回には出演していない。 gooテレビ 2015年1月20日. 2018年6月14日閲覧。 が運行する臨時急行列車のガイドアナウンスでこの店が紹介される。 2005年6月17日. 2018年6月14日閲覧。 冬と夏に放送される年2回の特別番組。 レギュラー放送の『』に引き続き、渡辺は副支配人役として司会を務める。 『ムーブ』時代にはと、『II』時代には自身の結婚記念で、合わせて2度プレイヤーゲストとして出演したことがある。 なお、同じくコント赤信号のメンバーであるも金曜日に月1回出演している。 月1回放送されたとによる「チーム対抗大喜利合戦」でコーナー司会を務めた。 放送の中では「審査委員長」と呼称されていた。 TBSラジオ 2020年5月3日. 2020年6月14日閲覧。 TBSラジオ 2020年5月10日. 2020年6月14日閲覧。 メディア芸術データベース. 2016年8月6日閲覧。 外部リンク [ ]• - (英語)• - テレビ人名録•

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うなずきトリオ

うなずき トリオ

メンバー [編集 ] ( - 、リーダー ) 本名は 兼子 二郎(かねこ にろう)。 ツービートのツッコミ担当で、相方は。 (まつもと りゅうすけ、 - 、サブリーダー) 本名は 松本 稔(まつもと みのる)。 紳助・竜介のツッコミ担当で、相方は。 2006年、のため死去。 ( - ) 本名は 藤井 健次(ふじい けんじ)。 由来 [編集 ] ユニット名は、番組プロデューサーのが命名。 「うなずき」はの「竜介・きよし・洋八の3人を組ませて漫才をやらせてたらどうなるかって? 竜介が『んなアホな! 』、洋八が『なんでやねん! 』、きよしさんが『よしなさい! 』って、うなずくだけの漫才になる」というネタに由来している。 うなずきマーチ [編集 ] 「 うなずきマーチ」 うなずきトリオ の うなずきマーチ B面でうなずいて リリース 1982年1月1日 規格 () チャート最高順位• 55位() うなずきトリオ シングル 年表 - うなずきマーチ (1982年) - テンプレートを表示 うなずきマーチは、うなずきトリオによる楽曲。 発売 キャニオンレコード 7A0138• 作詞・作曲:、編曲:(大瀧詠一の変名)• では最高55位、100位以内に10週チャートインを記録した。 B面は作詞作曲編曲は同じ、構成:による「B面でうなずいて」。 番組の企画で読みが同じ(地元局のも放映)で歌ったこともあった。 備考 [編集 ]• また、うなずきコンビは4月にきよし・洋八で再結成された。 現在でも定期的に吉本の劇場中心に舞台を勤める。 2006年、『』で設けられた 「平成のうなずきトリオを作れ! メンバーは()・()・()の3名。 番組内で平成版の「うなずきマーチ」の歌詞を作って((ますだおかだ)と番組リスナーによる作詞)録音し 、デビューも目指していたが大瀧詠一からの返事がなかったため頓挫した。 メンバーの一人、松本竜介が亡くなる半年前()に、の『』に3人揃って出演。 竜介にとってはこれが最後のテレビ出演となった。 番組出場時、から「何故あなたは紳助みたいにならなかった?」と聞かれ、本人は「何ででしょうね」と笑いながら回答していた。 うなずきトリオの兄弟ユニットとして、・・があった。 トリオでも洋八ときよしは「自分の方がしゃべりができる」というライバル意識が強く仲が悪いそうである。 このユニットのテーマソングとしてさがね作詞の楽曲「前に進め」が制作され、PVも作られた。 脚注 [編集 ]• 、、2006年9月6日。 、増田英彦オフィシャルブログ、2008年11月25日。 1989年10月7日のひょうきん族総集編でのこと 関連項目 [編集 ]• - 2000年代以降に「コンビで印象の薄い側の芸人」に対して使われる呼び名。

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