兵站線確保。 人材確保は兵站線(Logistics) ーnote始めます|Kenji ー佐原賢治ー|note

艦これ「兵站線確保!海上警備を強化実施せよ!」攻略・編成例

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スポンサードリンク さて今回は、2020年4月16日発売の週刊ヤングジャンプ掲載漫画『キングダム』の最新639話のネタバレ・あらすじの考察・予想をご紹介していきます! 638話では、鄴(ぎょう)へ食糧が届きましたが、この食糧が斉から届けられたことが判明しました! 通常の倍の値段で秦が斉から食糧を買うこと。 これが王翦(おうせん)が鄴攻めの前に昌平君に行った頼み事だったことも判明しましたね。 この策を言う時に、王翦は介億(かいおく)と昌文君を人払いした上で昌平君だけに伝えていました。 それだけ慎重に扱った情報でしたが、この策で見事に李牧の裏をかくことに成功します。 とはいえ李牧がもしも趙王から邯鄲(かんたん)に呼ばれていなかったら・・・ 邯鄲への車の中でその手に気づいた李牧が対策を講じることができた可能性もあったのかもしれません。 ただ李牧が斉からの食糧搬入に気づいたタイミングは遅かったですし、もしかしたら李牧が邯鄲に呼ばれていなくても、斉から鄴への食糧の搬入は成功していたのかもしれません。 これで鄴の陥落が確定したことになったはずですが、次の639話ではどのような展開が待っているのでしょうか? 李牧の処分に注目が集まる展開になると思われますが、果たしてどのような処分が李牧に下されるでしょうか? それでは2020年4月16日発売の週刊ヤングジャンプ掲載漫画『キングダム』の最新639話のネタバレ・あらすじの考察・予想をご紹介していきます。 最後までお楽しみください! スポンサードリンク キングダムネタバレ最新話639話『秦は列尾を取り返す?!』 斉と趙での軍事衝突が起こる?! 秦の水軍のほぼ全軍を使ったために、趙の水軍も全軍が東の秦に向けて引っ張り出されました。 この状況を作り出した上で斉から食糧を購入する。 ある意味では秦の水軍のほぼ全てをおとりにしての作戦でもあり、負けたら本当に壊滅的な打撃を受けるところでしたね。 ヒヤヒヤものの勝利だな。 それが王翦の頼み事であり、驚くべき方法での食糧調達方法でした。 秦は斉に倍の値段で食糧を買うことを持ちかけていて、その取引場所が鄴であっただけ。 そして秦の大規模な水軍が趙の水軍の全軍を西側に引っ張り出していただけに、趙の東にある斉はその水軍を難なく趙の領内に向かわせることに成功しています。 ここからはカイネが趙軍を呼んでいましたので、ここで斉と趙の間で小さな軍事衝突が起こるかもしれません。 この斉からの食糧運搬のために秦軍も展開していましたが、秦軍は食糧が乏しくなっていた中でその強さを発揮しにくいかもしれません。 とはいえ趙軍も疲労の色が濃く、鄴を取り巻く桓騎を討ち取ることは全くできない状態でした。 ここで趙軍が攻めてきたとしても、斉も全く軍隊を連れてきていない訳ではないはずで、無傷の斉軍と趙軍の戦いは斉に軍配が上がるのかもしれません。 鄴の完全攻略が成功したことが明らかに?! またそうなると鄴へは斉からの食糧運搬が完了すると思われますので、鄴の完全攻略が成功したことが明らかになると思われます。 このことで鄴の城内が歓喜の渦に包まれることが想定されますし、このことが他の国にも知れ渡るのかもしれません。 魏の呉鳳明(ごほうめい)や楚の媧燐(かりん)など、中華の名将はことごとく秦の鄴攻めが失敗に終わると考えていましたので、王翦への驚きと恐れが中華全土に広がる展開が639話で描かれることが考えられます。 スポンサードリンク 秦は列尾を取り返す戦いを始める?! また斉から鄴へ食糧運搬が成功したとはいえ、ここから鄴へ食糧を継続的に運搬する方法を見つけないといけないはずです。 そうしないと現時点では鄴も橑陽(りょうよう)も趙軍に包囲されていますので、これからも包囲が続けられるかもしれませんし、そうなると鄴はまたいつかは食糧が尽きることになるかもしれません。 それは橑陽も同じことで、鄴には斉から大量の食糧が搬入されたと思いますが、列尾にフタをされたままでは息苦しさがあるはずです。 そこで秦は列尾を取り返す戦いを始めることも予想されます。 李牧は列尾をあえて弱く造っていましたが、それは取り返しやすくするためでした。 この列尾には扈輒(こちょう)将軍が陣取っていたものの、鄴と秦側からの挟撃作戦を取ることができれば、列尾は再び秦の手に落ちてしまうことになるのかもしれません。 論功行賞は列尾を取り返した後?! そしておそらく秦の論功行賞は、列尾を取り返して鄴の武将が咸陽(かんよう)に戻ってからなのかもしれませんね。 列尾を趙側に抑えられたままでは、鄴や橑陽の食糧は尽きてしまうことはもちろん、政と鄴攻めに参加した王翦など武将が顔を合わせることもできないままです。 鄴攻めに参加した武将が咸陽に戻るのか? はたまた政が鄴に向かうのかは分かりませんが、論功行賞は列尾を取り戻した後と考えるのが自然のようには思います。 そしてそれまでは秦の鄴攻めは完了しないと言っても良いかもしれませんね。 スポンサードリンク キングダムネタバレ最新話639話『斉とのやり取りが描かれる?!』 斉王・王建とのやり取りは?! 斉王・王建の久しぶりの登場でしたね。 大きな利益が出る取引であれば乗ってくるのは間違いないところ。 斉の水軍にも被害が出ないように秦の水軍のほぼ全軍を出陣させたのだと思いますが、これから色んな場面で斉の動きがポイントになってくるかもしれませんね。 638話のラストシーンでは、秦からの申し出は倍の値段で食糧を買うということが明らかになっています。 このこともそうですが、斉の水軍に被害が出ないように秦の水軍のほぼ全軍を出動させることも、斉王・王建との交渉の時には話したのではないか?と思います。 もしも秦が水軍を出さずに斉から食糧を調達しようとしても、斉王・王建は斉の水軍の被害を考えたはず。 その憂(うれ)いを取り除くことが、交渉成立に欠かせない要件だったように思います。 秦の水軍が出たことを確認して斉の水軍が出発?! しかし秦が水軍を出すと口だけで言って、それを信じて斉が水軍を出したとして、実は秦は水軍を出していなかったら・・・ その時には斉の水軍は、趙の水軍と戦わざるを得なくなってしまいます。 そうした愚かな判断を、斉王・王建はしないはずですし、斉にも軍事に精通した人物が存在しているはずですね。 スポンサードリンク キングダムネタバレ最新話639話『李牧が邯鄲に到着する?!』 李牧が邯鄲に到着?! 李牧も王翦(おうせん)の打つ手に気づいたものの、時すでに遅かったですね。 王印の騎士団から邯鄲に連れていかれる馬車の中では打てる手がありませんでした。 しかし秦の水軍のほぼ全てを出しての作戦でもあり、李牧を出し抜くにはそれだけのことをする必要があったということですね。 まず李牧が邯鄲(かんたん)に到着する場面からスタートします。 そして邯鄲に到着してからは、李牧が感じていた妙な胸騒ぎが現実になっていることを李牧が知る場面が描かれることでしょう。 また李牧の趙王・悼襄王(とうじょうおう)への不信感を増大させる出来事になるといっても過言ではないはず。 このタイミングで私を捕らえるとは・・・ 空気が読めない悼襄王との亀裂が深まることになるのかもしれません。 趙王は趙軍の撤退を命じる?! またここからまだ鄴は兵站(へいたん)線を確保する必要があるはずですが、空気の読めない趙王は鄴が落ちたと判断。 趙の悼襄王が李牧の責任を激しく問い詰める場面が描かれることも予想されます。 また鄴や橑陽を取り囲んでいた趙軍の全軍撤退を命じるかもしれません。 どこまでも空気を読めず、適切な状況判断ができない趙王。 その愚かな姿が浮かび上がってくるのかもしれませんね。 李牧は鄴の兵糧攻めを進言?! または李牧は朱海平原の敗戦の責任を問われる場面で、鄴の兵糧攻めを進言するのかもしれませんね。 斉から鄴へ大量の食糧が運び込まれたと思いますが、再び同じようなことを起こされないために趙の水軍を東へ警戒させる。 秦の水軍はほぼ全軍を出動させていて大敗北を喫していますので、秦から黄河経由で鄴へ食糧を運搬することは難しくなったと考えられます。 あとは陸上から鄴へ食糧を補給することを防いでいき、鄴の食糧が尽きかける頃にまた鄴の包囲網を強めていく。 ただ王翦も李牧がこうした動きをすることを読んでいるはずですし、秦が列尾を取り返すなど鄴への兵站(へいたん)線確保のために何か動いてくることも予想されます。 趙王の交代劇が描かれる?! また秦の鄴攻めがあったこの年、史実では趙の悼襄王(とうじょうおう)が死去することになっています。 ただ李牧は太子・嘉(か)が即位すれば、趙に光が差すと考えていたものの、史実では悼襄王の次の王は太子・嘉ではありません。 この太子・嘉の弟が即位して幽繆王(ゆうぼくおう)となります。 どういういきさつで太子・嘉ではなく、その弟が王に即位することになったのか? それは定かではありませんが、趙王の即位に関するゴタゴタ劇が描かれるのかもしれませんね。 スポンサードリンク 『キングダム ネタバレ 最新話 639話』まとめ 昌文君や介億(かいおく)を人払いしてまで昌平君だけに伝えたかった内容は、斉からの食糧輸送の手段でした。 それだけ厳密に取り扱う必要があった情報ということで、もしもこれが漏れてしまえば最終的に負けることになりますから当然かもしれません。 しかし秦の水軍もおとりでしたね。 そんな時に鄴の門が開いて何事かと思えば、大量の兵糧が運び込まれてくることになりました。 鄴の城内にいた兵たちにとっては兵糧が来たことが大切であり、どこから来たのかは考えてもいなかったようですが、この食糧を運び込んだのは秦からではなく斉からでした。 そしてこのことが王翦が昌平君へ行った頼み事であったことが明らかになりました。 さて鄴に食糧が搬入されて一息つけたところですが、これで戦いが終わったと考えるのは早計という気がします。 ここから兵站線の確保が課題になるはずで、639話ではまず列尾を取り戻す戦いが描かれる可能性があると思います。 または斉との交渉のやり取りが描かれるかもしれませんし、李牧が邯鄲に到着してから敗戦の責任を追及される場面が描かれるのかもしれません。 または鄴に食糧が大量に運び込まれたのであれば、鄴を攻め落とすことは不可能と考えて趙は軍隊を引き揚げるのかもしれません。 しかし兵站線確保のために鄴を完全に制圧するまでに様々な展開があると思いますが、それではここで週刊ヤングジャンプの掲載漫画『キングダム』の最新639話のネタバレ・あらすじ考察・予想を終わります! 最後まで読んでいただいて、ありがとうございました!.

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【二期】マンスリー任務:兵站線確保!海上警備を強化実施せよ!

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<参考> 軍票は、事実上、通貨ではありません。 日本の通貨である「円」との互換性もなく、日本が負けた時は紙くずとなる手形みたいな存在でした。 軍票は、民間経済がそれなりの規模で存在する大陸に派遣された日本軍で使用されました。 日本軍が、長期間駐屯して軍票で食糧を徴発続け、次の目的地に進んだ後には、余分の食糧が全くなく、軍票の山が残ることになります。 食糧を日本軍に徴発され軍票を押しつけられた人が、その軍票で他人の食糧を手に入れようとしても、日本軍に徴発された何十分の一の量の食料しか手に入りません。 東南アジアの田舎に行けば、探せば日本人相手に新品の軍票の札束を、「おみやげ」に売ってくれるところもあります。 反対に、通貨である「日本円」は大歓迎だったようです。 たまたま、主計に軍票がなく、手もとの「日本円」に余裕がある場合、例外的に軍票ではなく「日本円」で支払われたケースがあるようです。 海岸地帯の日本の経済活動が活発な所に持っていけば、工業製品を買うこともできるため、軍票とは反対にきちんと流通したようです。 No.5の方の記載にもあるように、中国戦線においては「何年も交代の兵員がこないまま、戦線で戦い続ける。 」状態=兵員補給の崩壊です。 アメリカとの戦争が始まり、太平洋の島々で戦い始める以前に、中国戦線で補給の崩壊が起こっています。 これは、軍備に劣る「大陸国家」の基本である、決定的な敗北をしないようにしながら、相手の軍の消耗を誘いながら、どんどん内陸に退却していくことで、敵軍の戦争継続を不可能にする戦略です。 この場合、双方における勝ち負けの認識が異なります。 ・大陸国家の方は、「負けなければ勝ち」という勝敗認識。 ・侵攻軍の方は、「勝てなければ撤退するしかない。 つまり負け。 」という勝敗認識。 この補給崩壊の中で、戦争を継続したことで、日本軍兵士の意識がどんどん変化していきます。 ・第一次世界大戦時の日本軍に捕虜となった人々の状況 給料支給・物品購入も可能・遠足あり・近隣住民との交流音楽会あり。 坂東俘虜収容所 青野ヶ原俘虜収容所 ・義和団事件(1900年:団匪事変) 岡村寧次大将資料 「嘗て聞いたところによれば、北京附近の中国古老は、団匪事変のとき、欧米各国兵が掠奪強姦の限りを尽くしたのに、ただ独り日本兵のみが、軍、風紀森厳にして寸毫も冒すことなかったことを回想し、どうして今の日本兵がかくも変わったのかと痛嘆したという。 」 中国戦線の長期化で、日本軍の補給余力がほとんど失われた状態で戦争を継続した結果、 ・日本軍兵士に対する人権軽視が常態化 =日本軍に関係する人々に対する人権軽視(兵士自身に対する扱いと同等であっても、人権軽視となってしまう。 多くの人間が一か所で生活し、寝食を共にするので、大規模な伝染病が発生すれば、大部隊でも戦闘力が無くなってしまう。 (昔、昭和30年代の日本でも、「旅行に行けば生水を飲まない。 」と言うのは、常識でした。 ) バターン要塞のように、長期間の籠城で、食料が尽きて開城と言うような、兵士の体力が低下した状態の場合、生水を飲めば死ぬという状況です。 ですから、日本軍の防疫班が十分な量の水を供給出来なければ、死者が続出する事態となります。 実質的には、日清戦争からでしょう。 日清戦争では、兵力不足から、軍属として民間人を雇い軍夫として兵站にあたらせましたが、逃亡やサボタージュで、前線糧秣も不足し、敵に糧を求める羽目になりました。 そこからが、スタートだと思います。 メッケルが輜重の大切さを語りましたが、受講した日本人の感覚では、梅干でも持って行けば良いだろうとの物でした。 貧乏陸軍の日本は、戦闘に関する物、武器だけ精一杯で、必然的に糧は敵に求める物だったのです。 もう、日中戦争時は、国家総動員で、部隊数も急激に増え、大っぴらに、現地徴発が当たり前のことになりました。 作戦計画として、戦略的に行われた、糧は敵に求める作戦こそ、インパール作戦です。 現地住民の意志にかかわらず、略奪が日常茶飯行われた思われている様ですが、必ず経理将校が、対価として、軍票で払っています。 それが、時価に合っていたかは別の問題ですが・・・。 変な精神主義の司令官は、兵站を考えませんでしたが、真っ当な司令官は兵站を考えていました。 攻勢終末点を良く理解していました。 貧乏日本陸軍には、作戦参謀はいましたが、兵站参謀はいませんでした。 これは、明治から始まっています。 一応、兵站は作戦参謀の領域という事になっていましたが、二の次でした。 陸軍の兵站は、明治のスタートから、つまずいていたのです。 戦国時代でも、兵糧攻めは有効な 手段で現地調達は例えば羽柴秀吉が金にものを言わせて城の近隣の食糧を買い占めて 兵糧攻めを促進したことがあります。 現地調達は 古くから行われていた手段で それこそ、強奪していました。 ですから いつからとの 答えとしては 日本軍が明治時代に結成される以前からあった戦法であるところから 最初から が答えでしょう。 しかし、先に書いたように占領政策においては、占領地の人々との衝突を避けることが 重要なので 兵糧の心配が なければ、近代では無闇に強奪は しない方針だったと思われます。 太平洋戦争で 日本軍の占領地域が広大になり 補給がうまくいかなくなった頃は 背に腹は変えられないので 強奪が目立つようになったと思われます >旧日本軍は兵站線を確保せず ノンノンノン。 曲がりなりにも大日本帝国陸軍におかれましては日露戦争にも勝利した一級の軍隊であり、少なくともアジアでは最強、つまり最も近代的な陸軍だったんですよ。 だって日本軍以外に(ボロかったとはいえ)戦車を持ってる軍隊なんてなかったんだもの。 例えば補給切れで悪名高いガダルカナルの戦いですが、実は陸軍は結構食糧輸送にも力を入れていて、日本軍の拠点だったエスペランス岬近辺には結構食糧が山積みされていたそうです。 だけど実際には「ガ島は餓島だった」なんて話があったわけですよね。 なんでそうなったのか。 問題は、「岬の基地から前線部隊にどうやって運んでいくか考える人がいなかった」んです。 流通の世界では「ロジスティクス」という考え方があります。 「必要な物資を、必要な場所に、必要な分送るためにはどうすればよいか」という手法です。 実は阪神淡路大震災のとき、全国から支援物資が神戸に届けられましたが、それを仕切る人がおらず、避難所では毛布が足りなくて困っているのにどこかのセンターに毛布が山積みになっているなんてことが多々起きたんですね。 その反省を踏まえて、東日本大震災のときはあのヤマト運輸が社員を即座に被災地に派遣して、支援物資は集積基地に集めてそこで片っ端から中を開けて中身を分類して整理し、必要なところに運べるように手配をしました。 このときの迅速かつ正確な活動は海外の災害対策の専門家からも絶賛された程でした。 そういうヤマト運輸みたいな人が日本軍にはいなかったのです。 それが「日本軍の補給軽視」といわれるゆえんなのです。 私たちが思い込んでいるほど乱暴ではなかったのですよ。 ただ、システムが非合理的でお粗末だったのです。 ただ、この「ロジスティクス」という考え方とノウハウは、アメリカ軍が第二次大戦のときに作り上げたシステムを戦後に流通業に転用したものですから、まあアメリカ軍が本家といえば本家なのです。 アメリカ軍というところは本当にこういうところが実に合理的な軍隊なんですな。 日米両軍が想定をはるかに超える長い戦いとなったペリリュー島の戦いでは、前線の兵士が飢えでバタバタ死ぬってことはありませんでした。 もちろん補給が受けられないわけですから長く戦えるように食料なども必要最小限で戦っていたわけですから前線の兵士は飢えとも戦っていたと思います。 でもインパール作戦のような悲劇はなかったわけです。 それはなぜかというと、事前にそれだけの蓄えをしていたからです。 決して補給を軽視して精神至上主義で戦っていたわけではないんですね。 太平洋戦争の日本陸軍には、世間のイメージとは真逆のこんなエピソードがあるんです。 緒戦で大勝利を得た海軍は非常に意気盛んで、戦略会議のときに海軍側は「もーこうなったらハワイ島も攻略しちゃうもんね。 陸軍さん、部隊の確保をよろしく」と言い出します。 すると陸軍側は冷静に「バカじゃねえの。 そんだけの部隊を維持できる補給が続かねえじゃねえか。 寝言は寝て言え」とツッコんでるんですよね。 ただ、補給システムはすごーく貧弱ではあったのです。 どこらへんがどう貧弱だったかは、話が長くなりますのでお礼で「もっと知りたい」といっていただければ補足いたします。 現地調達は徴発と言います。 これには軍発行の徴発票を添付して徴発された側は金銭に換えます。 基本はこのようにして売買契約を します。 占領地において 最も重要なことは一般市民に対して不利益を与えないことです。 不利益を与えてしまうとその後の占領政策において民衆の不満を招き、うまくいきません。 この基本を守ろうとはしますが 日本が太平洋戦争にのぞんだ時は 軍人が総数として約一千万人おり 国民の十人に 一人が兵士でした。 日華事変の長期化で国民生活は困窮を極めていて兵士への食糧供給も ままなりませんでしたが国は兵士の食糧供給を優先課題としていました。 しかし船で運ぶわけですが戦時中のため船の安全運行が確保されていません。 護衛艦をつけてはいますが何隻かは敵の潜水艦に沈没させられました。 また、中国戦線においては、中華民国国民党軍は 清野政策という 非合法な作戦を 採用していて 撤退の際に田畑を焼き払い、日本軍の徴発活動を妨害しました。 内地からの支援物資が届かず、現地調達である徴発もままならない状態に追い込まれた部隊も多々あります。 それでも部隊は近隣の昆虫や動物を食糧にしました。 また自分たちの食糧さえままならないので捕虜も釈放したり、一部では捕虜を殺害したりもしました。 そういった追い込まれた部隊では 現地民に対して 暴力的に物資を 徴収したことを 否定はできないでしょう。 物資の補給は 内地に物資が豊富にあり それが安全に船で届き また現地民に対して徴発という売買契約を行うことではじめて補完されるのですが 内地に物資はなく安全に運ぶこともできず 現地の田畑は焼き払われているような状況下にあれば それは やむを得ず現地民から 食糧を奪うこともあったでしょう。 事後判断として それはいけないことだとするのは 簡単ですが それでは、その 部隊に死ねと 言うのでしょうか? 戦時下の生死が かかった場面に おいて モラルの厳守が どれほど有効なのでしょうか? それでも、強行手段は最後まで 取らないでいた 部隊の方が多いのですが 強行手段にでて 現地民を襲撃した部隊もあることは事実です。 それを私は責める気にはなれませんが A ベストアンサー たしかに日本軍は兵站に関しては評判は良くはありませんでしたが、それは程度の差はあってもどこの国の軍隊でもそれなりに問題はありました。 それでも「マレー侵攻作戦」に見られるように、兵站準備の周到さによって作戦を成功に導いた例があります。 兵站自体の陸軍内部の立場は事実として軽んじられていましたが、それでもその兵站畑の中から将官も出ていますし、あの石原莞爾のように兵站に関しての重要度を常に周りに説いていた人物もいます。 ではなぜ日本の兵站思想の貧しさの好例として常に挙げられる、「インパール」や「ガダルカナル」のような悲劇が起こったのでしょうか。 一つにはとにかく日本軍が貧しかったということがあります。 「日清日露戦争」や「日中戦争」に見られるように、銃剣突撃や白兵戦を常に攻撃の主体においていたのには、この貧しさが大きな原因となっています。 つまり、攻撃前の十分な準備射撃には膨大な弾薬が必要となりますが、これを用意できなかった(あるいは惜しんだ)ため、結果的に肉弾による最後の決戦に挑んだということです。 旧日本陸軍では日清日露戦争当時から、戦闘時における砲弾や銃弾の不足に常に悩まされていましたが、これは製造能力が無かったというよりは、やはり弾を惜しんで一発必中的を推奨する軍内部の精神的な悪癖がありました。 もうこれは日本の文化といっても良いもので、現在に至るも自衛隊での訓練における弾薬の一人当たりの消費量は、南米の小国であるニカラグアのそれよりもはるかに少ないということも、なんだか笑ってしまうほどの哀しい文化だというしかありませんし、警察や海保なども似たり寄ったりの状況です。 質問にある「糧が敵に因る」や「現地調達」という思想は元々旧日本軍からでた発想で、外国から強いられた発想ではありません。 旧日本陸軍に大きな影響を残し、陸軍参謀本部の生みの親でもあるドイツ軍人メルケル少佐は、つねにその講義の中で兵站や補給の重要性を説いていました。 旧日本軍が兵站戦でも敗北した理由のもう一つに、戦線での制空権と制海権の喪失があります。 いくら補給をしたくとも、途中でその輸送艦船が壊滅させられればどうしようもありません。 それでも「ガ島」の例にあるように、「ネズミ輸送」とか「アリ輸送」などのように揶揄されながらも、必死に補給を続けようとしていましたし、「インパール」にしても輜重出身であった第15軍参謀長の小畑少将が、その兵站無視の無謀な作戦に最後まで抵抗をしていました。 よくアメリカ軍の補給能力の高さが取りざたされますが、それも相対的な戦局の有利があってのことです。 そのアメリカでさえ細かな戦闘を取り上げれば、それなりに補給に苦しめられた戦線が多々ありました。 ただアメリカのすごいところは、一旦これは必要不可欠なものだと理解したら、官民上げての協力体態勢を即座に構築し、一丸となってことに当たる覚悟の良さです。 倒的な物量、言い換えれば国内での大量生産体制があってのことでもありますが、アメリカの思考方法の柔軟さは今でも見習うべきところがあります。 第一次湾岸戦争(イラクを第二次と呼ぶならばですが)で見せた、あの圧倒的なロジスティック能力と物量を見るにつれ、この国はやはり戦争の時になればなるほど生き生きとするんだなとあきれるばかりでした。 閑話休題 今に至る日本軍兵站思想の貧しさを非難する風潮は、たしかに事実として部分的には当たってはいます。 旧陸大の輜重科を卒業し輜重将校になったのは、全卒業生の1パーセントにも満たないし、その中から大将までに登りつめたものもいません。 それは明治維新の幾多の戦闘において、新政府側がその輜重業務を当時の地域の博徒(つまりはヤクザですね)達に任せていたことが、後々までに輜重に対しての悪いイメージを遺していったという面もあるかもしれません。 旧日本海軍にしても輸送関係の部署を「ボロ士官の捨て所」とよんで侮蔑していましたので、この前近代的な伝統は根深いものがありました。 しかし前述したように、軍部内部にも心ある人物はいて兵站に関する重要性を常に説いていましたし、大きな犠牲を払いながらも補給を継続しようとする意思と行動を続けていたことも事実です。 しかしあまりにもその数が少なく、兵站に関しての人材不足はやはりどうしようもなく、旧日本軍の大きな欠点でした。 それに軍内部に大きな発言力を持った、輜重畑出身の高官がいなかったことも日本にとっては不幸なことだったと思います。 たしかに日本軍は兵站に関しては評判は良くはありませんでしたが、それは程度の差はあってもどこの国の軍隊でもそれなりに問題はありました。 それでも「マレー侵攻作戦」に見られるように、兵站準備の周到さによって作戦を成功に導いた例があります。 兵站自体の陸軍内部の立場は事実として軽んじられていましたが、それでもその兵站畑の中から将官も出ていますし、あの石原莞爾のように兵站に関しての重要度を常に周りに説いていた人物もいます。 ではなぜ日本の兵站思想の貧しさの好例として常に挙げら... A ベストアンサー まあ、漫談です。 ソヴィエト軍はバルバロッサ作戦当初にその主体が壊滅したので、1941年のタイフーン作戦を乗り切って以降の部隊が、みな新兵、という特徴がありました。 また旧式の機械装備も壊滅したので、結果的に機械装備が新式のものにいれかわりました。 T-34は名高い戦車ですが、他につかえる戦車が当初はなくなってしまっていたから使った、というのが実態です。 最新装備と新兵がまぜこぜになった軍隊が、モスクワ正面の戦いを乗り切った、1942年当初のソ連軍でありました。 もちろん精鋭であり戦略予備といえるシベリアの部隊はありましたが、ノモンハンのときに日本の帝国陸軍と正面衝突を初めてして大損害をうけた経験から、軽々しく欧州戦線に移動させるつもりに、ソ連軍指導部はなれなかったのです。 そのノモンハンのソ連軍総司令官が、スターリン直々に任じられたジューコフでした。 ジューコフは、 1 ソ連軍は弱い 2 だから勝つためには、敵より多くの兵器と兵士を前線に惜しみなく投入し、その重みで押しつぶすしかない 3 だから、兵士も戦車も大砲も、とにかく数をあつめる ということを、理解していたので、必要なだけの兵力を敵がつぶれるまで投入しました。 当然ながら自分より強い相手を数でつぶすのですから、犠牲はふえます。 さらに、この考えをスターリンも支持したので、党、治安組織、軍事思考、動員体制、といったソ連という国家の戦争体制そのものが、勝てるまで人命も装備も前線に突っ込むように構築され、上から下まで人命軽視というより、人命より目的達成、のドクトリンが徹底しました。 目的達成が勝利なら、なおよし、です。 そのような体制のもとで運用されたソ連軍の基本的ドクトリンは、 最低でも幅50kmの線に分厚く、最低でも敵の3倍、普通なら5倍、理想は7倍の二陣の部隊を結集させ、 まず砲撃と航空攻撃だけで相手の6割に損害をあたえ、 そして第一陣が弱った敵に突っ込みその第一陣が自分の損害を省みず敵をなぐるだけなぐったら、 味方第一陣の残骸を乗り越えて無傷の第二陣が第一陣と戦ってボロボロになった敵を蹂躙する、というものでした。 装備は更新されたし、戦車・武器も疎開した工場と米英のレンドリースでそろえてはいるが、兵士の教育が低い軍隊にむずかしいことはあまりできません。 字の読めない兵士が珍しくないどころか、ロシア語がわからない兵士も珍しくありません。 なので、時には下級将校は選挙で選び出され、そのような将校には反抗するものを軍法会議抜きで「処分」する権利はあたえられました。 戦争をしている国家と党に異を唱える者はいらない世界です。 また、女性が前線で銃をとったり、戦車兵をやったり、戦闘機・爆撃機パイロットをしたりしたのも、ソ連軍だけでした。 この残酷な単純化となりふりかまわなさが、精鋭のドイツ軍相手に血を流しつつも、ソ連軍を勝たせたのです。 まあ、漫談です。 ソヴィエト軍はバルバロッサ作戦当初にその主体が壊滅したので、1941年のタイフーン作戦を乗り切って以降の部隊が、みな新兵、という特徴がありました。 また旧式の機械装備も壊滅したので、結果的に機械装備が新式のものにいれかわりました。 T-34は名高い戦車ですが、他につかえる戦車が当初はなくなってしまっていたから使った、というのが実態です。 最新装備と新兵がまぜこぜになった軍隊が、モスクワ正面の戦いを乗り切った、1942年当初のソ連軍でありました。 もちろん精鋭... A ベストアンサー 銃は、航空機、戦車、潜水艦のいわゆる三大新兵器とは違う「熟練した兵器」ですので、寿命は桁外れに長いです。 ほかに寿命の長い兵器は、歴史的に見ると刀剣があります。 日本刀は、太刀~打刀に変わったりと、若干の変更がありますがおおむね形は変わりません。 これは刀は、熟練した兵器であり、戦術的な変革がなければ、仕様を変える必要がない代物だったといえるでしょう。 さて、三八式についてですが、これも似たようなものです。 諸外国の兵器と比べた場合の旧式度合いについては、すでに前に語られていますね。 新しいともいえませんが、それほど古いともいえません。 つまり、ボルトアクション式では、すでに三八式は「決定版」ともいえる代物だったのです(No12の方が言っているように日本人にとって扱いやすいのも大きい)。 決定版なので、それ以上のものは戦術的転換がないかぎりは不要です。 現在でもピストル、小銃などは50年以上前の設計の物だって十分現役で使っている国もあります。 これらは現代の戦術では決定版足りえる代物だからです。 さて、先ほどから「戦術」という言葉を使っていますが、これが、三八式におきた一つ目の悲劇です。 時代は第1次大戦、火器は「小銃による打ち合い(砲は補助的)」から「重砲と機関銃(小銃は補助的)」による戦術に「転換」しました。 つまり三八式の作られた時代の戦術概念と第2次大戦では大きく様相が変わったのです。 基本的に新しく作られた戦術というのは、前に使われていた戦術よりも優れています(優れているから採用される)。 つまり、三八は世界的な戦術である、火砲、機関銃の大量使用による弾幕戦と戦うようには対応していません。 諸外国のようにそれらの「補助兵器」として使うならば十二分の性能だったでしょう。 当時の戦術において勝利を決めるのは火砲、機関銃、戦車といった兵器で、小銃はすでに勝利を左右する兵器ではなくなっていました。 しかし、日本軍にはそれらで力のある兵器はありません。 勝利を左右する兵器を持っていない軍隊と、勝利を左右する兵器を大量保有している国が戦えば・・・どうなるかはわかりますね? 日本軍が、(あくまでボルトアクションから進歩した存在であり、補助兵器の域を出ない自動小銃はともかくとして、です。 諸外国がこれの更新を遅らせたのは、他に国力を注いでいたためです)火砲や機関銃の大量配備を嫌ったのは、塹壕戦による経験が薄かったために有効性を信用しきっていなかったのもありますが、最大の理由は、工業力がこれらの兵器を「全軍にいきわたらせて、かつ戦えるだけ」の力を持ち合わせていなかったことです。 国力と軍事力の兼ね合いが著しく悪いとも見れます。 海軍でもいえますが、国力以上の軍事費は維持費や更新費用の面で国家を破綻させます。 弾薬についてもそうです。 自国の国力でまかなえる以上の弾薬を使う軍隊を持てば、補給にひずみが生じて、供給が追いつかなくなります。 かといって軍隊を減らすわけにもいかない状態ですし、そのおかげで更新(つまり戦術転換)に使う国力もない。 新しい戦術では弾薬を多く使うので、転換したところで維持できるだけの国力もない(諸外国は生産量を増やしたのですが、日本ではそれができるだけの国力すら残っていなかった)。 日本軍が抱えていたひずみとかゆがみが、小銃にも現れているのです。 もう一つの悲劇が、1つ目の後半とかぶりますが日本の工業力の低さです。 当時、日本の技術力はとにかく欧米に追いつけということでタッチアップを図っていましたが、まだまだ追いついていません。 よく「日本の技術力は世界一だった。 アメリカに物量で負けた」なんていう人がいますがこれは大間違いです(空技廠から上がってきた航空機の図面で、「この部分は鋳型をつかった鋳造で」となっていても金型が作れずに削り込み部品にしたというのはよく聞く話です。 つまり当時の技術はその程度)。 中でも惨憺たる分野が重工業全般の中でも最重要分野の鉄鋼業でして、製鉄も自国では補完できない、鋳型技術も低い状態です。 さらには、精密機械技術が発展途上でして、とにかく精度が悪い(戦前の日本兵器において「統一規格」はありません。 というより作れなかったのです。 精度が維持できないのですね)。 そのため小銃ですら調整しないと命中精度が維持できない上、部品の互換性がない。 これは前線において問題です。 別々の箇所が壊れた銃をばらして一つの壊れていない銃にするというのは、軍隊ではある程度普通ですが、日本ではこれが出来ない。 つまり不経済な状態です。 また、弾薬の製造精度も悪いため、弾詰まりが多い。 これは自動小銃のほうで批判されますが、こちらについては「吐き出す量が多いためハズレに当たる確率が高い」だけなのです(まあ、自動小銃のほうが若干弾詰まりを起こしやすいというのはありますが・・・)。 ながくなりましたが、結局は日本と日本軍の構造上の問題なのです。 日本において三八式が評判が悪いのは、本来的に責任はない三八式に、日本の抱える問題を添付してしまっているからです。 結局問題は日本自体にあるのです・・・ というわけで、三八自体の設計は優秀ですし、ボルトアクション式小銃の決定版でもあります。 銃は、航空機、戦車、潜水艦のいわゆる三大新兵器とは違う「熟練した兵器」ですので、寿命は桁外れに長いです。 ほかに寿命の長い兵器は、歴史的に見ると刀剣があります。 日本刀は、太刀~打刀に変わったりと、若干の変更がありますがおおむね形は変わりません。 これは刀は、熟練した兵器であり、戦術的な変革がなければ、仕様を変える必要がない代物だったといえるでしょう。 さて、三八式についてですが、これも似たようなものです。 諸外国の兵器と比べた場合の旧式度合いについては、すでに前に語られてい... A ベストアンサー 余裕があったんじゃなくて、 太平洋戦線では多くの島で屯田命令がでて 兵士たちは自給自足するように命令されたのです。 これは要するに補給船の不足と 制海権を失ったために事実上不可能になったためす。 マヌケで有名な辻参謀なんか ジャングルを探せば食べ物が見つかると思ってたようですが 実際にはジャングルは世界でも有数の非常に痩せた土地で 1人分の食料を得るのに広大な土地を歩き回る必要があって とても部隊が食っていけるような状況ではなかったのです。 だからニューギニアなどでは原住民の村を襲ったりして食料を手にし、 最終的には餓死よりもマシというので 米-オーストラリア軍に対して絶望的な突撃をして9割以上が戦死したという 世界戦史上最も凄惨な戦いとなったのです。 ニューギニア戦線はそれで有名です。 ガダルカナルも餓死で有名ですがね。 元来は内地からの補給が不可欠です。 大勢の人間を養えるような 食料自給能力がないわけですから。 ベトナムなどで終戦まぎわにベトナム人が大量に餓死したのは 日本軍が軍隊用に供給するために米を過剰に奪ったからです。 おかげでベトナム人の食うものがなくなったというわけ。 そういう現地民に迷惑をかけても途中で輸送船が沈んだり 空爆にあったりで、日本の兵站システムは全く機能していなかったというのが現実です。 余裕があったんじゃなくて、 太平洋戦線では多くの島で屯田命令がでて 兵士たちは自給自足するように命令されたのです。 これは要するに補給船の不足と 制海権を失ったために事実上不可能になったためす。 マヌケで有名な辻参謀なんか ジャングルを探せば食べ物が見つかると思ってたようですが 実際にはジャングルは世界でも有数の非常に痩せた土地で 1人分の食料を得るのに広大な土地を歩き回る必要があって とても部隊が食っていけるような状況ではなかったのです。 だからニューギニアなどでは原住... A ベストアンサー 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。 リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。 seesaa. html 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共和党政策が旧保守主義 右派リバタリアン で、それ以後を新保守主義 ネオコン といい保守と名乗っていますが、実態は左派リバタリアン 左派が保守に転換し、現状を保守する為に革新的手法 戦争など過激な改革を許容する を執ると言う主義 です。 自由主義の反対となる統制主義も左派だと共産主義や社会主義、比べると右派に成るイギリスの「ゆりかごから墓場まで 高福祉政策 」などが有ります。 簡単に言うと、積極的に変えようとするのが左派で、変わらないように規制するのが右派です。 そして変える方向 変えない方向 が自由か統制かで分類できます。 日本には明確に保守を謳う政党が無いので、イメージがわき難いのかも知れませんが…。 自民・民主党は中道で、共産党は左派統制主義ですから…。 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。 リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。 seesaa. html 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共... A ベストアンサー 金鉱脈がどう生成されるかに付いては色々な意見が有ります。 最近有力な説は次の様なものです。 マントルの高熱で地下深くに閉じ込められた水が高温高圧になり、 それにイオン化した金が溶け出す。 この金イオンを含む高温高圧熱水が地層中の割れ目を通り地上に出る 過程で減圧冷却され、金として岩石中に析出し、金鉱脈が生成される。 火山国で地震国である日本には、当然金鉱脈が多く、それも比較的 地表に近い所にあります。 見つけ易い所にあるわけです。 これを探して採掘していたのが、戦国時代から江戸時代末までの状況です。 当時の技術で見つけることができ、掘り起こせる範囲の金はほぼ取りつくされて しまいました。 あらゆる大名が自領地を掘ったわけですから。 現在は金鉱脈生成の過程も解明され、地質学的知見も深まり、探索 技術も進歩し、世界的な金鉱脈が日本で続々と発見されています。 一番有名なのは、鹿児島の菱刈鉱山(住友金属鉱山)ですが、 大分県九重、山形県大峠、北海道東部(釧路周辺)にも金鉱脈が 発見されています。 下記URLの【黄金の国ジパングは復活するか】を見てください。 iforum. html 菱刈鉱山の金品位は世界屈指ですが、他の鉱脈もそれに劣らない と言われています。 さて、これ程の金鉱脈を持ちながら日本での生産は何故菱刈だけなのか は次の理由からです。 掘って生産量を挙げても金相場が下がるだけで住友金属鉱山には 投資に合うメリットは無いのだそうです。 それで現在の菱刈が枯れたら 次の鉱区を開発する予定だそうです(直接聞いた話)。 金鉱脈発見ラッシュから20年以上も経つのに、菱刈はまだ枯れそうも ありません。 例外的に、日本政府が金本位制への復帰を宣言し住友金属鉱山から 増産分の金を定額で買う、住友金属鉱山が経営不振に陥り金の増産を 行わざるを得なくなる、等が起れば日本は再び「黄金の国ジパング」 に成るかもしれません。 現在は「赤金(借金)の国ジパング」です。 金鉱脈がどう生成されるかに付いては色々な意見が有ります。 最近有力な説は次の様なものです。 マントルの高熱で地下深くに閉じ込められた水が高温高圧になり、 それにイオン化した金が溶け出す。 この金イオンを含む高温高圧熱水が地層中の割れ目を通り地上に出る 過程で減圧冷却され、金として岩石中に析出し、金鉱脈が生成される。 火山国で地震国である日本には、当然金鉱脈が多く、それも比較的 地表に近い所にあります。 見つけ易い所にあるわけです。 これを探して採掘していたのが、戦国時代から江戸時代... A ベストアンサー めどはやまと言葉ではないでしょうか。 もしそうなら漢字は当て字であり、どちらが正しいというものでもなく、世間で一般的にどう使い分けされているかということに過ぎないと思います。 広辞苑ではめど(目処)もくと(目途)と分けて記載されているだけで説明がなく 不親切です。 朝日新聞社の漢字用語辞典では、めど(目処、目途)とあり、私のPCでも、めどで両方が転換できます。 解決のめどがつくとか、目標達成のめどが立ったなどと使われるので、 ものごとがその完成、実現にちかずいたということを意味し、目標とは若干ニュアンスが異なると思います。 目標は高くとは言いますが、目途(目処)は高くとはいいませんね(この部分は蛇足です) A ベストアンサー まず言っておきたいのは、領土(図体)が大きくなりすぎた事を念頭に入れておいて下さい。 政治的には領土が広すぎた為に軍司令官や属州総督を派遣するといったシステムが多かった様です。 と言うのも東西だけで言うと最盛期にはスペインのジブラルタル海峡からロシアの黒海沿岸やイラク北部に跨っていました。 今でこそ飛行機で何時間といった距離ですが当時は風任せ・人力便りのガレー船と徒歩や馬で街道を進むしか方法が無かった時代です。 そんな交通事情では例えば蛮族(周辺住民)の組織的な侵略や略奪。 或いは自然災害や飢餓等で一々首都ローマの皇帝に指示を貰って動いていたら今の日本のお役所仕事よりも状況は悪化します。 なので担当者を派遣して急場は彼らが処理して根本的な対処(立法や公的資金の注入。 軍の配置等)は事後報告を受けた皇帝が担当することになりました。 しかし皇帝が後継者を残さずに死んだりネロ等の様に住民や元老院に見放された皇帝が出てきたらついムラムラっと支配欲に燃える人も多かったりします。 それが上り坂の時代ならば多少は許容されるのですが下り坂で蛮族の侵入が重なったりしたら内乱に乗じられたりする訳です。 経済的には政治的な内容と重なりますが内乱と蛮族の侵入が重なるとどうなると思いますか? ここでは北アフリカを挙げたいと思います。 内乱等で軍隊が指揮官の皇帝即位の為に他のライバルを武力討伐する為に他の地域へ移動すると周辺民族が侵入してきます。 彼らは簡単に言うと銀行強盗の群れだったので街や村を略奪して回ります。 そうすると住民は暴力を嫌って難民となり他所へ流れて行くことになります。 基本的に経済は農作物や鉱山からの収益或いは貿易で成り立ちますし農業はそれらの基本です。 そして農地は常に人が手入れしないと荒れる物です。 信じられないかもしれませんが当時の北アフリカは砂漠では無く穀倉地帯だったんです。 で荒れるに任せて砂漠化しました。 これは他の地域では荒地になったり森林になったりして収穫は激減していったのです。 しかも強盗は略奪する物が無ければ支配して搾り取る方法にして居座り続ける事を始めたので二重の意味でダメージになりました。 宗教的には色々ありますが政治的・経済的行き詰りとキリスト教の普及が重なった事が大きいでしょう。 ローマ古来の神々は我々を見捨ててしまった。 そんな思いに駆られたローマ人の心のスキマにキリスト教は漬け込んだんです。 曰く、今の状況は真の神を蔑ろにしたローマ人の所業のツケである。 曰く、しかし真の神に帰依すれば救済されるとでも言ったのでしょう。 ここで最後の審判で救われると言うのがミソです。 来るかどうかも分からない最後があると言って置きながらそんなものは20世紀が終わってもありはしなかったのですからね。 まぁこれは今だから言える事ですし当事者はパニックで冷静に考える余地が無かったのですけど。 それからカトリック教会とローマ法王という形で国家内にもう一つの国家を作り上げて寄生されたのも痛かったですね。 飢饉で神父やシスターが難民にパンを配る・・・美しい光景ですが何の解決にもなっていません。 解決するには行政サイドが動くしか無いのですがガタガタの帝国にはそんな力は残されていなかった。 これでは教会に入る人が増えるし帝国に見切りをつける人が増えるのは止め様がありません。 最後に追加ですが戦争のやり方が変ったのも重要です。 かつては重装歩兵が主力を担っていたのが騎兵に取って代わりました。 単純に考えて甲冑と槍で済んでいたのが追加で馬が加わります。 これがクセモノでして俗に牛飲馬食と言う言葉がありますがこれは飲み食い意が激しいのを牛馬に例えた言葉ですが馬を飼うには餌場を順々に回る遊牧生活か金で買って入手するしか方法がありません。 しかも手綱や鞍を付けないと乗れませんし牧場や厩舎を作ったり練習の為の馬場も必要です。 これは何故かと言うと大陸の東のモンゴルとかの遊牧民が食い詰めてヨーロッパ方面に移動しました。 と書くと穏やかですが戦争しながら原住民を土地から追い出して居座ると言う形で成されました。 それでゲルマン人も食い詰めてローマに・・・と言うわけです。 なので力関係では負けてるので弱ってるローマで略奪や居座りして新生活を始めよう・・・とそういう次第なんです。 纏まりが無く内容が重複した文章ですがそう私には見受けました。 まず言っておきたいのは、領土(図体)が大きくなりすぎた事を念頭に入れておいて下さい。 政治的には領土が広すぎた為に軍司令官や属州総督を派遣するといったシステムが多かった様です。 と言うのも東西だけで言うと最盛期にはスペインのジブラルタル海峡からロシアの黒海沿岸やイラク北部に跨っていました。 今でこそ飛行機で何時間といった距離ですが当時は風任せ・人力便りのガレー船と徒歩や馬で街道を進むしか方法が無かった時代です。 そんな交通事情では例えば蛮族(周辺住民)の組織的な侵略や略奪。 A ベストアンサー 戦死者数は130万人を超えるとされていますが(原朗「戦時統制経済の開始」『岩波講座日本歴史20』近代7)、単なる戦死というより、日本軍は飢餓とも戦っていました。 これこそ無謀な戦争といえる現実でした。 NHK取材班編 太平洋戦争 日本の敗因2「ガダルカナル 学ばざる軍隊」(角川文庫) >アメリカ軍は結局この日本軍の撤退の動きにまったく気がつかず、奇跡的な成功だったといわれる。 これは『戦争叢書・南太平洋陸軍作戦2』によれば、1万0665人であった。 これはガダルカナルに上陸した総人員3万1358人のおよそ三分の一であった。 戦死・行方不明は合わせて2万1138人、そのうち戦闘で死亡した兵士は5000人ほどと推定され、残りの1万5000人以上が飢えと病に倒れたのであった。 精神論だけで勝とうとする日本軍の指導者について以下のように記載してあります。 >またアルビン・クックス教授は、このノモンハン事件(死傷率70%)の失敗が太平洋戦争でも繰り返されたもう一つの大きな点は、事件の指導者(辻正信、服部卓四郎)が責任も取らずに再び太平洋戦争も指揮したことにあるとしている。 インパール作戦でも半数は補給作戦もなく、飢えと病で死んでいます。 NHK取材班「責任なき戦場 インパール」(角川文庫) 戦死者数は130万人を超えるとされていますが(原朗「戦時統制経済の開始」『岩波講座日本歴史20』近代7)、単なる戦死というより、日本軍は飢餓とも戦っていました。 これこそ無謀な戦争といえる現実でした。 NHK取材班編 太平洋戦争 日本の敗因2「ガダルカナル 学ばざる軍隊」(角川文庫) >アメリカ軍は結局この日本軍の撤退の動きにまったく気がつかず、奇跡的な成功だったといわれる。 これは『戦争叢書・南太平洋陸軍作戦2』によれば、1万0665人であった。 これはガダルカナルに上陸した総人員3... Q 太平洋戦争中、日本は負け戦も勝ち戦と虚偽の発表を連発してきましたが、普通に考えてバレバレだと思うんですが、なぜ国民は信じ続けていたのでしょうか? ・開戦からの戦果を総合すると空母50隻撃沈くらいになるはずなのに、内地には艦載機が押し寄せてくる。 対する日本の戦闘機は殆ど見ない。 ・パイロットや水兵は途中何度も内地に帰ってきて休暇を取って国民と接触しています。 そこで戦地の悲惨な状況が国民に漏れる。 いくら緘口令があっても全員が新聞報道どおりの嘘をつき続けるのは難しいと思います。 実は日本は負けてる」と噂になっても良いような気がしますが、勝っていると信じている人が多かったそうです。 なぜですか? A ベストアンサー >普通に考えてバレバレだと思うんですが、なぜ国民は信じ続けていたのでしょうか? 大本営発表は、レイテ湾会戦以降誰も信じていませんよ。 レイテ湾敗北後、軍部は「兵士に、緘口令」を命じましたが「口に戸を立てる事は不可」です。 色んな情報が、正確に日本に流れています。 田舎に住んでいた私の爺さんも、知っていましたし・・・。 >勝っていると信じている人が多かったそうです。 なぜですか? 「負けている」と一言でも言うと、非国民・国賊として憲兵・特高に逮捕されて拷問が待っています。 逮捕されないまでも、村八分です。 今でも、中国・韓国の報道を見れば理解出来るでしよう。 自国・自政府に都合の悪い事は、全て「無かった事に!」が合言葉ですよね。 報道機関では、一切報道しません。 韓国人も、皆が皆「加害者(日本)の罪は、1000年たっても消えない(朴大統領)」「天皇は、土下座して謝罪しろ(明博前大統領)」と思っている訳ではありません。 反日行動をすると、韓国政府から報奨金が貰えるので「小遣い稼ぎ」で行っているに過ぎません。 ^^; 韓国南部では、北九州発の日本の番組を見る事が出来ますからね。 福島原発事故に関して、大本営(東京電力広報・政府)発表を信じる人が少ないのと同じです。 (笑) 民主党政権時の枝野幸男官房長談話は、大本営発表!と看做されていましたよね。 当時も今も、同じです。 >普通に考えてバレバレだと思うんですが、なぜ国民は信じ続けていたのでしょうか? 大本営発表は、レイテ湾会戦以降誰も信じていませんよ。 レイテ湾敗北後、軍部は「兵士に、緘口令」を命じましたが「口に戸を立てる事は不可」です。 色んな情報が、正確に日本に流れています。 田舎に住んでいた私の爺さんも、知っていましたし・・・。 >勝っていると信じている人が多かったそうです。 なぜですか? 「負けている」と一言でも言うと、非国民・国賊として憲兵・特高に逮捕されて拷問が待っています。 逮捕さ...

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キングダムネタバレ最新話639話『鄴の兵站線確保のために秦が起こす行動とは?!』

兵站線確保

<参考> 軍票は、事実上、通貨ではありません。 日本の通貨である「円」との互換性もなく、日本が負けた時は紙くずとなる手形みたいな存在でした。 軍票は、民間経済がそれなりの規模で存在する大陸に派遣された日本軍で使用されました。 日本軍が、長期間駐屯して軍票で食糧を徴発続け、次の目的地に進んだ後には、余分の食糧が全くなく、軍票の山が残ることになります。 食糧を日本軍に徴発され軍票を押しつけられた人が、その軍票で他人の食糧を手に入れようとしても、日本軍に徴発された何十分の一の量の食料しか手に入りません。 東南アジアの田舎に行けば、探せば日本人相手に新品の軍票の札束を、「おみやげ」に売ってくれるところもあります。 反対に、通貨である「日本円」は大歓迎だったようです。 たまたま、主計に軍票がなく、手もとの「日本円」に余裕がある場合、例外的に軍票ではなく「日本円」で支払われたケースがあるようです。 海岸地帯の日本の経済活動が活発な所に持っていけば、工業製品を買うこともできるため、軍票とは反対にきちんと流通したようです。 No.5の方の記載にもあるように、中国戦線においては「何年も交代の兵員がこないまま、戦線で戦い続ける。 」状態=兵員補給の崩壊です。 アメリカとの戦争が始まり、太平洋の島々で戦い始める以前に、中国戦線で補給の崩壊が起こっています。 これは、軍備に劣る「大陸国家」の基本である、決定的な敗北をしないようにしながら、相手の軍の消耗を誘いながら、どんどん内陸に退却していくことで、敵軍の戦争継続を不可能にする戦略です。 この場合、双方における勝ち負けの認識が異なります。 ・大陸国家の方は、「負けなければ勝ち」という勝敗認識。 ・侵攻軍の方は、「勝てなければ撤退するしかない。 つまり負け。 」という勝敗認識。 この補給崩壊の中で、戦争を継続したことで、日本軍兵士の意識がどんどん変化していきます。 ・第一次世界大戦時の日本軍に捕虜となった人々の状況 給料支給・物品購入も可能・遠足あり・近隣住民との交流音楽会あり。 坂東俘虜収容所 青野ヶ原俘虜収容所 ・義和団事件(1900年:団匪事変) 岡村寧次大将資料 「嘗て聞いたところによれば、北京附近の中国古老は、団匪事変のとき、欧米各国兵が掠奪強姦の限りを尽くしたのに、ただ独り日本兵のみが、軍、風紀森厳にして寸毫も冒すことなかったことを回想し、どうして今の日本兵がかくも変わったのかと痛嘆したという。 」 中国戦線の長期化で、日本軍の補給余力がほとんど失われた状態で戦争を継続した結果、 ・日本軍兵士に対する人権軽視が常態化 =日本軍に関係する人々に対する人権軽視(兵士自身に対する扱いと同等であっても、人権軽視となってしまう。 多くの人間が一か所で生活し、寝食を共にするので、大規模な伝染病が発生すれば、大部隊でも戦闘力が無くなってしまう。 (昔、昭和30年代の日本でも、「旅行に行けば生水を飲まない。 」と言うのは、常識でした。 ) バターン要塞のように、長期間の籠城で、食料が尽きて開城と言うような、兵士の体力が低下した状態の場合、生水を飲めば死ぬという状況です。 ですから、日本軍の防疫班が十分な量の水を供給出来なければ、死者が続出する事態となります。 実質的には、日清戦争からでしょう。 日清戦争では、兵力不足から、軍属として民間人を雇い軍夫として兵站にあたらせましたが、逃亡やサボタージュで、前線糧秣も不足し、敵に糧を求める羽目になりました。 そこからが、スタートだと思います。 メッケルが輜重の大切さを語りましたが、受講した日本人の感覚では、梅干でも持って行けば良いだろうとの物でした。 貧乏陸軍の日本は、戦闘に関する物、武器だけ精一杯で、必然的に糧は敵に求める物だったのです。 もう、日中戦争時は、国家総動員で、部隊数も急激に増え、大っぴらに、現地徴発が当たり前のことになりました。 作戦計画として、戦略的に行われた、糧は敵に求める作戦こそ、インパール作戦です。 現地住民の意志にかかわらず、略奪が日常茶飯行われた思われている様ですが、必ず経理将校が、対価として、軍票で払っています。 それが、時価に合っていたかは別の問題ですが・・・。 変な精神主義の司令官は、兵站を考えませんでしたが、真っ当な司令官は兵站を考えていました。 攻勢終末点を良く理解していました。 貧乏日本陸軍には、作戦参謀はいましたが、兵站参謀はいませんでした。 これは、明治から始まっています。 一応、兵站は作戦参謀の領域という事になっていましたが、二の次でした。 陸軍の兵站は、明治のスタートから、つまずいていたのです。 戦国時代でも、兵糧攻めは有効な 手段で現地調達は例えば羽柴秀吉が金にものを言わせて城の近隣の食糧を買い占めて 兵糧攻めを促進したことがあります。 現地調達は 古くから行われていた手段で それこそ、強奪していました。 ですから いつからとの 答えとしては 日本軍が明治時代に結成される以前からあった戦法であるところから 最初から が答えでしょう。 しかし、先に書いたように占領政策においては、占領地の人々との衝突を避けることが 重要なので 兵糧の心配が なければ、近代では無闇に強奪は しない方針だったと思われます。 太平洋戦争で 日本軍の占領地域が広大になり 補給がうまくいかなくなった頃は 背に腹は変えられないので 強奪が目立つようになったと思われます >旧日本軍は兵站線を確保せず ノンノンノン。 曲がりなりにも大日本帝国陸軍におかれましては日露戦争にも勝利した一級の軍隊であり、少なくともアジアでは最強、つまり最も近代的な陸軍だったんですよ。 だって日本軍以外に(ボロかったとはいえ)戦車を持ってる軍隊なんてなかったんだもの。 例えば補給切れで悪名高いガダルカナルの戦いですが、実は陸軍は結構食糧輸送にも力を入れていて、日本軍の拠点だったエスペランス岬近辺には結構食糧が山積みされていたそうです。 だけど実際には「ガ島は餓島だった」なんて話があったわけですよね。 なんでそうなったのか。 問題は、「岬の基地から前線部隊にどうやって運んでいくか考える人がいなかった」んです。 流通の世界では「ロジスティクス」という考え方があります。 「必要な物資を、必要な場所に、必要な分送るためにはどうすればよいか」という手法です。 実は阪神淡路大震災のとき、全国から支援物資が神戸に届けられましたが、それを仕切る人がおらず、避難所では毛布が足りなくて困っているのにどこかのセンターに毛布が山積みになっているなんてことが多々起きたんですね。 その反省を踏まえて、東日本大震災のときはあのヤマト運輸が社員を即座に被災地に派遣して、支援物資は集積基地に集めてそこで片っ端から中を開けて中身を分類して整理し、必要なところに運べるように手配をしました。 このときの迅速かつ正確な活動は海外の災害対策の専門家からも絶賛された程でした。 そういうヤマト運輸みたいな人が日本軍にはいなかったのです。 それが「日本軍の補給軽視」といわれるゆえんなのです。 私たちが思い込んでいるほど乱暴ではなかったのですよ。 ただ、システムが非合理的でお粗末だったのです。 ただ、この「ロジスティクス」という考え方とノウハウは、アメリカ軍が第二次大戦のときに作り上げたシステムを戦後に流通業に転用したものですから、まあアメリカ軍が本家といえば本家なのです。 アメリカ軍というところは本当にこういうところが実に合理的な軍隊なんですな。 日米両軍が想定をはるかに超える長い戦いとなったペリリュー島の戦いでは、前線の兵士が飢えでバタバタ死ぬってことはありませんでした。 もちろん補給が受けられないわけですから長く戦えるように食料なども必要最小限で戦っていたわけですから前線の兵士は飢えとも戦っていたと思います。 でもインパール作戦のような悲劇はなかったわけです。 それはなぜかというと、事前にそれだけの蓄えをしていたからです。 決して補給を軽視して精神至上主義で戦っていたわけではないんですね。 太平洋戦争の日本陸軍には、世間のイメージとは真逆のこんなエピソードがあるんです。 緒戦で大勝利を得た海軍は非常に意気盛んで、戦略会議のときに海軍側は「もーこうなったらハワイ島も攻略しちゃうもんね。 陸軍さん、部隊の確保をよろしく」と言い出します。 すると陸軍側は冷静に「バカじゃねえの。 そんだけの部隊を維持できる補給が続かねえじゃねえか。 寝言は寝て言え」とツッコんでるんですよね。 ただ、補給システムはすごーく貧弱ではあったのです。 どこらへんがどう貧弱だったかは、話が長くなりますのでお礼で「もっと知りたい」といっていただければ補足いたします。 現地調達は徴発と言います。 これには軍発行の徴発票を添付して徴発された側は金銭に換えます。 基本はこのようにして売買契約を します。 占領地において 最も重要なことは一般市民に対して不利益を与えないことです。 不利益を与えてしまうとその後の占領政策において民衆の不満を招き、うまくいきません。 この基本を守ろうとはしますが 日本が太平洋戦争にのぞんだ時は 軍人が総数として約一千万人おり 国民の十人に 一人が兵士でした。 日華事変の長期化で国民生活は困窮を極めていて兵士への食糧供給も ままなりませんでしたが国は兵士の食糧供給を優先課題としていました。 しかし船で運ぶわけですが戦時中のため船の安全運行が確保されていません。 護衛艦をつけてはいますが何隻かは敵の潜水艦に沈没させられました。 また、中国戦線においては、中華民国国民党軍は 清野政策という 非合法な作戦を 採用していて 撤退の際に田畑を焼き払い、日本軍の徴発活動を妨害しました。 内地からの支援物資が届かず、現地調達である徴発もままならない状態に追い込まれた部隊も多々あります。 それでも部隊は近隣の昆虫や動物を食糧にしました。 また自分たちの食糧さえままならないので捕虜も釈放したり、一部では捕虜を殺害したりもしました。 そういった追い込まれた部隊では 現地民に対して 暴力的に物資を 徴収したことを 否定はできないでしょう。 物資の補給は 内地に物資が豊富にあり それが安全に船で届き また現地民に対して徴発という売買契約を行うことではじめて補完されるのですが 内地に物資はなく安全に運ぶこともできず 現地の田畑は焼き払われているような状況下にあれば それは やむを得ず現地民から 食糧を奪うこともあったでしょう。 事後判断として それはいけないことだとするのは 簡単ですが それでは、その 部隊に死ねと 言うのでしょうか? 戦時下の生死が かかった場面に おいて モラルの厳守が どれほど有効なのでしょうか? それでも、強行手段は最後まで 取らないでいた 部隊の方が多いのですが 強行手段にでて 現地民を襲撃した部隊もあることは事実です。 それを私は責める気にはなれませんが A ベストアンサー たしかに日本軍は兵站に関しては評判は良くはありませんでしたが、それは程度の差はあってもどこの国の軍隊でもそれなりに問題はありました。 それでも「マレー侵攻作戦」に見られるように、兵站準備の周到さによって作戦を成功に導いた例があります。 兵站自体の陸軍内部の立場は事実として軽んじられていましたが、それでもその兵站畑の中から将官も出ていますし、あの石原莞爾のように兵站に関しての重要度を常に周りに説いていた人物もいます。 ではなぜ日本の兵站思想の貧しさの好例として常に挙げられる、「インパール」や「ガダルカナル」のような悲劇が起こったのでしょうか。 一つにはとにかく日本軍が貧しかったということがあります。 「日清日露戦争」や「日中戦争」に見られるように、銃剣突撃や白兵戦を常に攻撃の主体においていたのには、この貧しさが大きな原因となっています。 つまり、攻撃前の十分な準備射撃には膨大な弾薬が必要となりますが、これを用意できなかった(あるいは惜しんだ)ため、結果的に肉弾による最後の決戦に挑んだということです。 旧日本陸軍では日清日露戦争当時から、戦闘時における砲弾や銃弾の不足に常に悩まされていましたが、これは製造能力が無かったというよりは、やはり弾を惜しんで一発必中的を推奨する軍内部の精神的な悪癖がありました。 もうこれは日本の文化といっても良いもので、現在に至るも自衛隊での訓練における弾薬の一人当たりの消費量は、南米の小国であるニカラグアのそれよりもはるかに少ないということも、なんだか笑ってしまうほどの哀しい文化だというしかありませんし、警察や海保なども似たり寄ったりの状況です。 質問にある「糧が敵に因る」や「現地調達」という思想は元々旧日本軍からでた発想で、外国から強いられた発想ではありません。 旧日本陸軍に大きな影響を残し、陸軍参謀本部の生みの親でもあるドイツ軍人メルケル少佐は、つねにその講義の中で兵站や補給の重要性を説いていました。 旧日本軍が兵站戦でも敗北した理由のもう一つに、戦線での制空権と制海権の喪失があります。 いくら補給をしたくとも、途中でその輸送艦船が壊滅させられればどうしようもありません。 それでも「ガ島」の例にあるように、「ネズミ輸送」とか「アリ輸送」などのように揶揄されながらも、必死に補給を続けようとしていましたし、「インパール」にしても輜重出身であった第15軍参謀長の小畑少将が、その兵站無視の無謀な作戦に最後まで抵抗をしていました。 よくアメリカ軍の補給能力の高さが取りざたされますが、それも相対的な戦局の有利があってのことです。 そのアメリカでさえ細かな戦闘を取り上げれば、それなりに補給に苦しめられた戦線が多々ありました。 ただアメリカのすごいところは、一旦これは必要不可欠なものだと理解したら、官民上げての協力体態勢を即座に構築し、一丸となってことに当たる覚悟の良さです。 倒的な物量、言い換えれば国内での大量生産体制があってのことでもありますが、アメリカの思考方法の柔軟さは今でも見習うべきところがあります。 第一次湾岸戦争(イラクを第二次と呼ぶならばですが)で見せた、あの圧倒的なロジスティック能力と物量を見るにつれ、この国はやはり戦争の時になればなるほど生き生きとするんだなとあきれるばかりでした。 閑話休題 今に至る日本軍兵站思想の貧しさを非難する風潮は、たしかに事実として部分的には当たってはいます。 旧陸大の輜重科を卒業し輜重将校になったのは、全卒業生の1パーセントにも満たないし、その中から大将までに登りつめたものもいません。 それは明治維新の幾多の戦闘において、新政府側がその輜重業務を当時の地域の博徒(つまりはヤクザですね)達に任せていたことが、後々までに輜重に対しての悪いイメージを遺していったという面もあるかもしれません。 旧日本海軍にしても輸送関係の部署を「ボロ士官の捨て所」とよんで侮蔑していましたので、この前近代的な伝統は根深いものがありました。 しかし前述したように、軍部内部にも心ある人物はいて兵站に関する重要性を常に説いていましたし、大きな犠牲を払いながらも補給を継続しようとする意思と行動を続けていたことも事実です。 しかしあまりにもその数が少なく、兵站に関しての人材不足はやはりどうしようもなく、旧日本軍の大きな欠点でした。 それに軍内部に大きな発言力を持った、輜重畑出身の高官がいなかったことも日本にとっては不幸なことだったと思います。 たしかに日本軍は兵站に関しては評判は良くはありませんでしたが、それは程度の差はあってもどこの国の軍隊でもそれなりに問題はありました。 それでも「マレー侵攻作戦」に見られるように、兵站準備の周到さによって作戦を成功に導いた例があります。 兵站自体の陸軍内部の立場は事実として軽んじられていましたが、それでもその兵站畑の中から将官も出ていますし、あの石原莞爾のように兵站に関しての重要度を常に周りに説いていた人物もいます。 ではなぜ日本の兵站思想の貧しさの好例として常に挙げら... A ベストアンサー まあ、漫談です。 ソヴィエト軍はバルバロッサ作戦当初にその主体が壊滅したので、1941年のタイフーン作戦を乗り切って以降の部隊が、みな新兵、という特徴がありました。 また旧式の機械装備も壊滅したので、結果的に機械装備が新式のものにいれかわりました。 T-34は名高い戦車ですが、他につかえる戦車が当初はなくなってしまっていたから使った、というのが実態です。 最新装備と新兵がまぜこぜになった軍隊が、モスクワ正面の戦いを乗り切った、1942年当初のソ連軍でありました。 もちろん精鋭であり戦略予備といえるシベリアの部隊はありましたが、ノモンハンのときに日本の帝国陸軍と正面衝突を初めてして大損害をうけた経験から、軽々しく欧州戦線に移動させるつもりに、ソ連軍指導部はなれなかったのです。 そのノモンハンのソ連軍総司令官が、スターリン直々に任じられたジューコフでした。 ジューコフは、 1 ソ連軍は弱い 2 だから勝つためには、敵より多くの兵器と兵士を前線に惜しみなく投入し、その重みで押しつぶすしかない 3 だから、兵士も戦車も大砲も、とにかく数をあつめる ということを、理解していたので、必要なだけの兵力を敵がつぶれるまで投入しました。 当然ながら自分より強い相手を数でつぶすのですから、犠牲はふえます。 さらに、この考えをスターリンも支持したので、党、治安組織、軍事思考、動員体制、といったソ連という国家の戦争体制そのものが、勝てるまで人命も装備も前線に突っ込むように構築され、上から下まで人命軽視というより、人命より目的達成、のドクトリンが徹底しました。 目的達成が勝利なら、なおよし、です。 そのような体制のもとで運用されたソ連軍の基本的ドクトリンは、 最低でも幅50kmの線に分厚く、最低でも敵の3倍、普通なら5倍、理想は7倍の二陣の部隊を結集させ、 まず砲撃と航空攻撃だけで相手の6割に損害をあたえ、 そして第一陣が弱った敵に突っ込みその第一陣が自分の損害を省みず敵をなぐるだけなぐったら、 味方第一陣の残骸を乗り越えて無傷の第二陣が第一陣と戦ってボロボロになった敵を蹂躙する、というものでした。 装備は更新されたし、戦車・武器も疎開した工場と米英のレンドリースでそろえてはいるが、兵士の教育が低い軍隊にむずかしいことはあまりできません。 字の読めない兵士が珍しくないどころか、ロシア語がわからない兵士も珍しくありません。 なので、時には下級将校は選挙で選び出され、そのような将校には反抗するものを軍法会議抜きで「処分」する権利はあたえられました。 戦争をしている国家と党に異を唱える者はいらない世界です。 また、女性が前線で銃をとったり、戦車兵をやったり、戦闘機・爆撃機パイロットをしたりしたのも、ソ連軍だけでした。 この残酷な単純化となりふりかまわなさが、精鋭のドイツ軍相手に血を流しつつも、ソ連軍を勝たせたのです。 まあ、漫談です。 ソヴィエト軍はバルバロッサ作戦当初にその主体が壊滅したので、1941年のタイフーン作戦を乗り切って以降の部隊が、みな新兵、という特徴がありました。 また旧式の機械装備も壊滅したので、結果的に機械装備が新式のものにいれかわりました。 T-34は名高い戦車ですが、他につかえる戦車が当初はなくなってしまっていたから使った、というのが実態です。 最新装備と新兵がまぜこぜになった軍隊が、モスクワ正面の戦いを乗り切った、1942年当初のソ連軍でありました。 もちろん精鋭... A ベストアンサー 銃は、航空機、戦車、潜水艦のいわゆる三大新兵器とは違う「熟練した兵器」ですので、寿命は桁外れに長いです。 ほかに寿命の長い兵器は、歴史的に見ると刀剣があります。 日本刀は、太刀~打刀に変わったりと、若干の変更がありますがおおむね形は変わりません。 これは刀は、熟練した兵器であり、戦術的な変革がなければ、仕様を変える必要がない代物だったといえるでしょう。 さて、三八式についてですが、これも似たようなものです。 諸外国の兵器と比べた場合の旧式度合いについては、すでに前に語られていますね。 新しいともいえませんが、それほど古いともいえません。 つまり、ボルトアクション式では、すでに三八式は「決定版」ともいえる代物だったのです(No12の方が言っているように日本人にとって扱いやすいのも大きい)。 決定版なので、それ以上のものは戦術的転換がないかぎりは不要です。 現在でもピストル、小銃などは50年以上前の設計の物だって十分現役で使っている国もあります。 これらは現代の戦術では決定版足りえる代物だからです。 さて、先ほどから「戦術」という言葉を使っていますが、これが、三八式におきた一つ目の悲劇です。 時代は第1次大戦、火器は「小銃による打ち合い(砲は補助的)」から「重砲と機関銃(小銃は補助的)」による戦術に「転換」しました。 つまり三八式の作られた時代の戦術概念と第2次大戦では大きく様相が変わったのです。 基本的に新しく作られた戦術というのは、前に使われていた戦術よりも優れています(優れているから採用される)。 つまり、三八は世界的な戦術である、火砲、機関銃の大量使用による弾幕戦と戦うようには対応していません。 諸外国のようにそれらの「補助兵器」として使うならば十二分の性能だったでしょう。 当時の戦術において勝利を決めるのは火砲、機関銃、戦車といった兵器で、小銃はすでに勝利を左右する兵器ではなくなっていました。 しかし、日本軍にはそれらで力のある兵器はありません。 勝利を左右する兵器を持っていない軍隊と、勝利を左右する兵器を大量保有している国が戦えば・・・どうなるかはわかりますね? 日本軍が、(あくまでボルトアクションから進歩した存在であり、補助兵器の域を出ない自動小銃はともかくとして、です。 諸外国がこれの更新を遅らせたのは、他に国力を注いでいたためです)火砲や機関銃の大量配備を嫌ったのは、塹壕戦による経験が薄かったために有効性を信用しきっていなかったのもありますが、最大の理由は、工業力がこれらの兵器を「全軍にいきわたらせて、かつ戦えるだけ」の力を持ち合わせていなかったことです。 国力と軍事力の兼ね合いが著しく悪いとも見れます。 海軍でもいえますが、国力以上の軍事費は維持費や更新費用の面で国家を破綻させます。 弾薬についてもそうです。 自国の国力でまかなえる以上の弾薬を使う軍隊を持てば、補給にひずみが生じて、供給が追いつかなくなります。 かといって軍隊を減らすわけにもいかない状態ですし、そのおかげで更新(つまり戦術転換)に使う国力もない。 新しい戦術では弾薬を多く使うので、転換したところで維持できるだけの国力もない(諸外国は生産量を増やしたのですが、日本ではそれができるだけの国力すら残っていなかった)。 日本軍が抱えていたひずみとかゆがみが、小銃にも現れているのです。 もう一つの悲劇が、1つ目の後半とかぶりますが日本の工業力の低さです。 当時、日本の技術力はとにかく欧米に追いつけということでタッチアップを図っていましたが、まだまだ追いついていません。 よく「日本の技術力は世界一だった。 アメリカに物量で負けた」なんていう人がいますがこれは大間違いです(空技廠から上がってきた航空機の図面で、「この部分は鋳型をつかった鋳造で」となっていても金型が作れずに削り込み部品にしたというのはよく聞く話です。 つまり当時の技術はその程度)。 中でも惨憺たる分野が重工業全般の中でも最重要分野の鉄鋼業でして、製鉄も自国では補完できない、鋳型技術も低い状態です。 さらには、精密機械技術が発展途上でして、とにかく精度が悪い(戦前の日本兵器において「統一規格」はありません。 というより作れなかったのです。 精度が維持できないのですね)。 そのため小銃ですら調整しないと命中精度が維持できない上、部品の互換性がない。 これは前線において問題です。 別々の箇所が壊れた銃をばらして一つの壊れていない銃にするというのは、軍隊ではある程度普通ですが、日本ではこれが出来ない。 つまり不経済な状態です。 また、弾薬の製造精度も悪いため、弾詰まりが多い。 これは自動小銃のほうで批判されますが、こちらについては「吐き出す量が多いためハズレに当たる確率が高い」だけなのです(まあ、自動小銃のほうが若干弾詰まりを起こしやすいというのはありますが・・・)。 ながくなりましたが、結局は日本と日本軍の構造上の問題なのです。 日本において三八式が評判が悪いのは、本来的に責任はない三八式に、日本の抱える問題を添付してしまっているからです。 結局問題は日本自体にあるのです・・・ というわけで、三八自体の設計は優秀ですし、ボルトアクション式小銃の決定版でもあります。 銃は、航空機、戦車、潜水艦のいわゆる三大新兵器とは違う「熟練した兵器」ですので、寿命は桁外れに長いです。 ほかに寿命の長い兵器は、歴史的に見ると刀剣があります。 日本刀は、太刀~打刀に変わったりと、若干の変更がありますがおおむね形は変わりません。 これは刀は、熟練した兵器であり、戦術的な変革がなければ、仕様を変える必要がない代物だったといえるでしょう。 さて、三八式についてですが、これも似たようなものです。 諸外国の兵器と比べた場合の旧式度合いについては、すでに前に語られてい... A ベストアンサー 余裕があったんじゃなくて、 太平洋戦線では多くの島で屯田命令がでて 兵士たちは自給自足するように命令されたのです。 これは要するに補給船の不足と 制海権を失ったために事実上不可能になったためす。 マヌケで有名な辻参謀なんか ジャングルを探せば食べ物が見つかると思ってたようですが 実際にはジャングルは世界でも有数の非常に痩せた土地で 1人分の食料を得るのに広大な土地を歩き回る必要があって とても部隊が食っていけるような状況ではなかったのです。 だからニューギニアなどでは原住民の村を襲ったりして食料を手にし、 最終的には餓死よりもマシというので 米-オーストラリア軍に対して絶望的な突撃をして9割以上が戦死したという 世界戦史上最も凄惨な戦いとなったのです。 ニューギニア戦線はそれで有名です。 ガダルカナルも餓死で有名ですがね。 元来は内地からの補給が不可欠です。 大勢の人間を養えるような 食料自給能力がないわけですから。 ベトナムなどで終戦まぎわにベトナム人が大量に餓死したのは 日本軍が軍隊用に供給するために米を過剰に奪ったからです。 おかげでベトナム人の食うものがなくなったというわけ。 そういう現地民に迷惑をかけても途中で輸送船が沈んだり 空爆にあったりで、日本の兵站システムは全く機能していなかったというのが現実です。 余裕があったんじゃなくて、 太平洋戦線では多くの島で屯田命令がでて 兵士たちは自給自足するように命令されたのです。 これは要するに補給船の不足と 制海権を失ったために事実上不可能になったためす。 マヌケで有名な辻参謀なんか ジャングルを探せば食べ物が見つかると思ってたようですが 実際にはジャングルは世界でも有数の非常に痩せた土地で 1人分の食料を得るのに広大な土地を歩き回る必要があって とても部隊が食っていけるような状況ではなかったのです。 だからニューギニアなどでは原住... A ベストアンサー 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。 リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。 seesaa. html 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共和党政策が旧保守主義 右派リバタリアン で、それ以後を新保守主義 ネオコン といい保守と名乗っていますが、実態は左派リバタリアン 左派が保守に転換し、現状を保守する為に革新的手法 戦争など過激な改革を許容する を執ると言う主義 です。 自由主義の反対となる統制主義も左派だと共産主義や社会主義、比べると右派に成るイギリスの「ゆりかごから墓場まで 高福祉政策 」などが有ります。 簡単に言うと、積極的に変えようとするのが左派で、変わらないように規制するのが右派です。 そして変える方向 変えない方向 が自由か統制かで分類できます。 日本には明確に保守を謳う政党が無いので、イメージがわき難いのかも知れませんが…。 自民・民主党は中道で、共産党は左派統制主義ですから…。 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。 リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。 seesaa. html 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共... A ベストアンサー 金鉱脈がどう生成されるかに付いては色々な意見が有ります。 最近有力な説は次の様なものです。 マントルの高熱で地下深くに閉じ込められた水が高温高圧になり、 それにイオン化した金が溶け出す。 この金イオンを含む高温高圧熱水が地層中の割れ目を通り地上に出る 過程で減圧冷却され、金として岩石中に析出し、金鉱脈が生成される。 火山国で地震国である日本には、当然金鉱脈が多く、それも比較的 地表に近い所にあります。 見つけ易い所にあるわけです。 これを探して採掘していたのが、戦国時代から江戸時代末までの状況です。 当時の技術で見つけることができ、掘り起こせる範囲の金はほぼ取りつくされて しまいました。 あらゆる大名が自領地を掘ったわけですから。 現在は金鉱脈生成の過程も解明され、地質学的知見も深まり、探索 技術も進歩し、世界的な金鉱脈が日本で続々と発見されています。 一番有名なのは、鹿児島の菱刈鉱山(住友金属鉱山)ですが、 大分県九重、山形県大峠、北海道東部(釧路周辺)にも金鉱脈が 発見されています。 下記URLの【黄金の国ジパングは復活するか】を見てください。 iforum. html 菱刈鉱山の金品位は世界屈指ですが、他の鉱脈もそれに劣らない と言われています。 さて、これ程の金鉱脈を持ちながら日本での生産は何故菱刈だけなのか は次の理由からです。 掘って生産量を挙げても金相場が下がるだけで住友金属鉱山には 投資に合うメリットは無いのだそうです。 それで現在の菱刈が枯れたら 次の鉱区を開発する予定だそうです(直接聞いた話)。 金鉱脈発見ラッシュから20年以上も経つのに、菱刈はまだ枯れそうも ありません。 例外的に、日本政府が金本位制への復帰を宣言し住友金属鉱山から 増産分の金を定額で買う、住友金属鉱山が経営不振に陥り金の増産を 行わざるを得なくなる、等が起れば日本は再び「黄金の国ジパング」 に成るかもしれません。 現在は「赤金(借金)の国ジパング」です。 金鉱脈がどう生成されるかに付いては色々な意見が有ります。 最近有力な説は次の様なものです。 マントルの高熱で地下深くに閉じ込められた水が高温高圧になり、 それにイオン化した金が溶け出す。 この金イオンを含む高温高圧熱水が地層中の割れ目を通り地上に出る 過程で減圧冷却され、金として岩石中に析出し、金鉱脈が生成される。 火山国で地震国である日本には、当然金鉱脈が多く、それも比較的 地表に近い所にあります。 見つけ易い所にあるわけです。 これを探して採掘していたのが、戦国時代から江戸時代... A ベストアンサー めどはやまと言葉ではないでしょうか。 もしそうなら漢字は当て字であり、どちらが正しいというものでもなく、世間で一般的にどう使い分けされているかということに過ぎないと思います。 広辞苑ではめど(目処)もくと(目途)と分けて記載されているだけで説明がなく 不親切です。 朝日新聞社の漢字用語辞典では、めど(目処、目途)とあり、私のPCでも、めどで両方が転換できます。 解決のめどがつくとか、目標達成のめどが立ったなどと使われるので、 ものごとがその完成、実現にちかずいたということを意味し、目標とは若干ニュアンスが異なると思います。 目標は高くとは言いますが、目途(目処)は高くとはいいませんね(この部分は蛇足です) A ベストアンサー まず言っておきたいのは、領土(図体)が大きくなりすぎた事を念頭に入れておいて下さい。 政治的には領土が広すぎた為に軍司令官や属州総督を派遣するといったシステムが多かった様です。 と言うのも東西だけで言うと最盛期にはスペインのジブラルタル海峡からロシアの黒海沿岸やイラク北部に跨っていました。 今でこそ飛行機で何時間といった距離ですが当時は風任せ・人力便りのガレー船と徒歩や馬で街道を進むしか方法が無かった時代です。 そんな交通事情では例えば蛮族(周辺住民)の組織的な侵略や略奪。 或いは自然災害や飢餓等で一々首都ローマの皇帝に指示を貰って動いていたら今の日本のお役所仕事よりも状況は悪化します。 なので担当者を派遣して急場は彼らが処理して根本的な対処(立法や公的資金の注入。 軍の配置等)は事後報告を受けた皇帝が担当することになりました。 しかし皇帝が後継者を残さずに死んだりネロ等の様に住民や元老院に見放された皇帝が出てきたらついムラムラっと支配欲に燃える人も多かったりします。 それが上り坂の時代ならば多少は許容されるのですが下り坂で蛮族の侵入が重なったりしたら内乱に乗じられたりする訳です。 経済的には政治的な内容と重なりますが内乱と蛮族の侵入が重なるとどうなると思いますか? ここでは北アフリカを挙げたいと思います。 内乱等で軍隊が指揮官の皇帝即位の為に他のライバルを武力討伐する為に他の地域へ移動すると周辺民族が侵入してきます。 彼らは簡単に言うと銀行強盗の群れだったので街や村を略奪して回ります。 そうすると住民は暴力を嫌って難民となり他所へ流れて行くことになります。 基本的に経済は農作物や鉱山からの収益或いは貿易で成り立ちますし農業はそれらの基本です。 そして農地は常に人が手入れしないと荒れる物です。 信じられないかもしれませんが当時の北アフリカは砂漠では無く穀倉地帯だったんです。 で荒れるに任せて砂漠化しました。 これは他の地域では荒地になったり森林になったりして収穫は激減していったのです。 しかも強盗は略奪する物が無ければ支配して搾り取る方法にして居座り続ける事を始めたので二重の意味でダメージになりました。 宗教的には色々ありますが政治的・経済的行き詰りとキリスト教の普及が重なった事が大きいでしょう。 ローマ古来の神々は我々を見捨ててしまった。 そんな思いに駆られたローマ人の心のスキマにキリスト教は漬け込んだんです。 曰く、今の状況は真の神を蔑ろにしたローマ人の所業のツケである。 曰く、しかし真の神に帰依すれば救済されるとでも言ったのでしょう。 ここで最後の審判で救われると言うのがミソです。 来るかどうかも分からない最後があると言って置きながらそんなものは20世紀が終わってもありはしなかったのですからね。 まぁこれは今だから言える事ですし当事者はパニックで冷静に考える余地が無かったのですけど。 それからカトリック教会とローマ法王という形で国家内にもう一つの国家を作り上げて寄生されたのも痛かったですね。 飢饉で神父やシスターが難民にパンを配る・・・美しい光景ですが何の解決にもなっていません。 解決するには行政サイドが動くしか無いのですがガタガタの帝国にはそんな力は残されていなかった。 これでは教会に入る人が増えるし帝国に見切りをつける人が増えるのは止め様がありません。 最後に追加ですが戦争のやり方が変ったのも重要です。 かつては重装歩兵が主力を担っていたのが騎兵に取って代わりました。 単純に考えて甲冑と槍で済んでいたのが追加で馬が加わります。 これがクセモノでして俗に牛飲馬食と言う言葉がありますがこれは飲み食い意が激しいのを牛馬に例えた言葉ですが馬を飼うには餌場を順々に回る遊牧生活か金で買って入手するしか方法がありません。 しかも手綱や鞍を付けないと乗れませんし牧場や厩舎を作ったり練習の為の馬場も必要です。 これは何故かと言うと大陸の東のモンゴルとかの遊牧民が食い詰めてヨーロッパ方面に移動しました。 と書くと穏やかですが戦争しながら原住民を土地から追い出して居座ると言う形で成されました。 それでゲルマン人も食い詰めてローマに・・・と言うわけです。 なので力関係では負けてるので弱ってるローマで略奪や居座りして新生活を始めよう・・・とそういう次第なんです。 纏まりが無く内容が重複した文章ですがそう私には見受けました。 まず言っておきたいのは、領土(図体)が大きくなりすぎた事を念頭に入れておいて下さい。 政治的には領土が広すぎた為に軍司令官や属州総督を派遣するといったシステムが多かった様です。 と言うのも東西だけで言うと最盛期にはスペインのジブラルタル海峡からロシアの黒海沿岸やイラク北部に跨っていました。 今でこそ飛行機で何時間といった距離ですが当時は風任せ・人力便りのガレー船と徒歩や馬で街道を進むしか方法が無かった時代です。 そんな交通事情では例えば蛮族(周辺住民)の組織的な侵略や略奪。 A ベストアンサー 戦死者数は130万人を超えるとされていますが(原朗「戦時統制経済の開始」『岩波講座日本歴史20』近代7)、単なる戦死というより、日本軍は飢餓とも戦っていました。 これこそ無謀な戦争といえる現実でした。 NHK取材班編 太平洋戦争 日本の敗因2「ガダルカナル 学ばざる軍隊」(角川文庫) >アメリカ軍は結局この日本軍の撤退の動きにまったく気がつかず、奇跡的な成功だったといわれる。 これは『戦争叢書・南太平洋陸軍作戦2』によれば、1万0665人であった。 これはガダルカナルに上陸した総人員3万1358人のおよそ三分の一であった。 戦死・行方不明は合わせて2万1138人、そのうち戦闘で死亡した兵士は5000人ほどと推定され、残りの1万5000人以上が飢えと病に倒れたのであった。 精神論だけで勝とうとする日本軍の指導者について以下のように記載してあります。 >またアルビン・クックス教授は、このノモンハン事件(死傷率70%)の失敗が太平洋戦争でも繰り返されたもう一つの大きな点は、事件の指導者(辻正信、服部卓四郎)が責任も取らずに再び太平洋戦争も指揮したことにあるとしている。 インパール作戦でも半数は補給作戦もなく、飢えと病で死んでいます。 NHK取材班「責任なき戦場 インパール」(角川文庫) 戦死者数は130万人を超えるとされていますが(原朗「戦時統制経済の開始」『岩波講座日本歴史20』近代7)、単なる戦死というより、日本軍は飢餓とも戦っていました。 これこそ無謀な戦争といえる現実でした。 NHK取材班編 太平洋戦争 日本の敗因2「ガダルカナル 学ばざる軍隊」(角川文庫) >アメリカ軍は結局この日本軍の撤退の動きにまったく気がつかず、奇跡的な成功だったといわれる。 これは『戦争叢書・南太平洋陸軍作戦2』によれば、1万0665人であった。 これはガダルカナルに上陸した総人員3... Q 太平洋戦争中、日本は負け戦も勝ち戦と虚偽の発表を連発してきましたが、普通に考えてバレバレだと思うんですが、なぜ国民は信じ続けていたのでしょうか? ・開戦からの戦果を総合すると空母50隻撃沈くらいになるはずなのに、内地には艦載機が押し寄せてくる。 対する日本の戦闘機は殆ど見ない。 ・パイロットや水兵は途中何度も内地に帰ってきて休暇を取って国民と接触しています。 そこで戦地の悲惨な状況が国民に漏れる。 いくら緘口令があっても全員が新聞報道どおりの嘘をつき続けるのは難しいと思います。 実は日本は負けてる」と噂になっても良いような気がしますが、勝っていると信じている人が多かったそうです。 なぜですか? A ベストアンサー >普通に考えてバレバレだと思うんですが、なぜ国民は信じ続けていたのでしょうか? 大本営発表は、レイテ湾会戦以降誰も信じていませんよ。 レイテ湾敗北後、軍部は「兵士に、緘口令」を命じましたが「口に戸を立てる事は不可」です。 色んな情報が、正確に日本に流れています。 田舎に住んでいた私の爺さんも、知っていましたし・・・。 >勝っていると信じている人が多かったそうです。 なぜですか? 「負けている」と一言でも言うと、非国民・国賊として憲兵・特高に逮捕されて拷問が待っています。 逮捕されないまでも、村八分です。 今でも、中国・韓国の報道を見れば理解出来るでしよう。 自国・自政府に都合の悪い事は、全て「無かった事に!」が合言葉ですよね。 報道機関では、一切報道しません。 韓国人も、皆が皆「加害者(日本)の罪は、1000年たっても消えない(朴大統領)」「天皇は、土下座して謝罪しろ(明博前大統領)」と思っている訳ではありません。 反日行動をすると、韓国政府から報奨金が貰えるので「小遣い稼ぎ」で行っているに過ぎません。 ^^; 韓国南部では、北九州発の日本の番組を見る事が出来ますからね。 福島原発事故に関して、大本営(東京電力広報・政府)発表を信じる人が少ないのと同じです。 (笑) 民主党政権時の枝野幸男官房長談話は、大本営発表!と看做されていましたよね。 当時も今も、同じです。 >普通に考えてバレバレだと思うんですが、なぜ国民は信じ続けていたのでしょうか? 大本営発表は、レイテ湾会戦以降誰も信じていませんよ。 レイテ湾敗北後、軍部は「兵士に、緘口令」を命じましたが「口に戸を立てる事は不可」です。 色んな情報が、正確に日本に流れています。 田舎に住んでいた私の爺さんも、知っていましたし・・・。 >勝っていると信じている人が多かったそうです。 なぜですか? 「負けている」と一言でも言うと、非国民・国賊として憲兵・特高に逮捕されて拷問が待っています。 逮捕さ...

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