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日本語の意外な歴史

日本語 起源 2ch

45 ID:onabTDUW9. net 全国各地に点在する神社。 初詣や七五三、合格祈願など、訪れる機会は多く、我々日本人にとって非常に馴染みのあるものといえよう。 ところで、普段あまり意識したことはないかもしれないが、そもそも神社の社殿は日本古来のものなのだろうか。 「教えて!goo」にも「日本の『神社』は日本古来のものか、日本化されたものなのか、外国のものなのか?」という質問がよせられている。 そこで今回も、日本宗教史研究家である渋谷申博さんに、神社の歴史などについて尋ねてみることにした。 「社殿の起源については、諸説あります。 かつての説では、古くは社殿がなく、聖地に神籬(ひもろぎ)のような仮設の依り代を置いて神祭をしたとされていました。 しかし最近では、弥生時代の巨大神殿の存在が知られるようになり、社殿の起源をそこに求める説も出ているようです」(渋谷さん 神社には多くのロマンがありそうだ。 「もっとも、山や滝、巨石を御神体とする神社は、これを社殿に入れるわけにはいかないので、露天祭祀(ろてんさいし:青空の下で神や祖先をまつること)が起源の神社も少なくありません。 現在も大神神社(おおみわじんじゃ、奈良県)や金鑚神社(かなさなじんじゃ、埼玉県)などは、本殿を持たない神社として知られています」(渋谷さん 本殿すら持たない神社が存在するとは……。 御神体の形もさまざまあるようで、実に興味深い。 「もともと神社においては祭祀が行なわれることが重要で、社殿の有無は二次的なことです。 そのため、鳥居や聖地を結界する瑞垣さえあれば、神社としては成立可能といえます。 また、社殿配置に決まりはなく、寺院のような四天王寺式伽藍配置 してんのうじしきがらんはいち ・飛鳥寺式伽藍配置といったものはありません。 なお本殿は、南向きが多いのですが、北向きなどの場合もあります」(渋谷さん 社殿がなくても神社が成立するというのは驚きだ。 神社の主要な施設について改めて説明してもらった。 「神社の主要な施設としては、以下のようなものが挙げられます」(渋谷さん 本殿:御神体を奉安する社殿。 神社でもっとも重要な建物 拝殿:本殿を礼拝するための社殿 摂社(せっしゃ)・末社:境内にある小さな神社(本殿だけのことが多い)。 摂社は本殿の御祭神にゆかりの神を祀る社で、末社より大きいことが多い 神楽殿(舞殿):神楽・芸能などを神に奉納するための社殿 手水舎:手と口を清める(禊の代用)ための施設 社務所:神社の事務などを行なう場所、神札・朱印などの授与所を兼ねることも 狛犬:正確には獅子・狛犬。 境内を守る霊獣。 稲荷社の狐は神使(しんし)といって神のお使い。 天神社・天満宮の牛なども神使 宝物殿:神社の宝物を納める施設。 参拝者に公開する博物館のこともある 鳥居:聖域との境界を示す象徴的な門。 神社のシンボル。 起源などは謎 神門:神社の門。 二階建てのものは楼門という。 脇間に随神(随身)像を置くものは随神門ともいう。 すべての神社にあるわけではない 改めて見てみると、非常にたくさんの施設があることに驚かされる。 また、鳥居の起源が不明というのも意外だった。 「寺院は仏教とともに伝わったもので、言うまでもなく外来です。 神社が神のための空間(施設)であるのに対し、寺院は修行し悟りを得る人間のための空間になります。 寺院建築は柱を礎石の上に立て、丹 に などの塗料を使い、瓦を屋根に載せるなど、同じ木造建築でも社殿建築とは大きな違いがあるのです。 法隆寺が千年以上持ちこたえたのは、寺院建築であったことが理由になります。 いっぽう、神社に式年遷宮 しきねんせんぐう の制度があるのは、耐久年数が短いことも理由のひとつです。 仏教は日本に建築・工芸などの最先端技術を伝えました。 61 ID:FeKk3qkL0. 27 ID:2VXIUDeF0. 42 ID:eHk9xilL0. 54 ID:DKnX79wW0. 54 ID:289ZJ8Dc0. 51 ID:ilLQkjWg0. 37 ID:ZmcAjDIA0. 03 ID:5SPW0KXD0. net たしか、あのややこしい軒の構造は中国から輸入した免震構造の技術だったはず。 85 ID:2VXIUDeF0. 31 ID:z2d48tnj0. 78 ID:Qkw8p9Ey0. 02 ID:KqNNFULy0. 45 ID:GNTEzc4O0. 03 ID:3h7GO5F00. 84 ID:DhHPFnNB0. 41 ID:mAtU7gIK0. 32 ID:lE35QYEN0. 63 ID:uht72rcQ0. 85 ID:qOBNn5xl0. 08 ID:CaqeioVl0. net 和歌山南部の無社殿神社群。 古座川町の滝ノ拝矢倉神社、洞尾矢倉神社は、なかなかだった。 36 ID:1zxRb5qO0. net 神社建築の起源は、 渡来人から伝えられた仏教建築にびっくらこいたわれらの先祖が、 寺をパクッて建物を建てたのが始まりだ。 仏教では、信仰のために経典や仏像があり、それを安置するために建築がなされた。 そうしてできた仏教寺院の外側だけをパクッて作られたのが神社の建物。 中はがらんどうだ。 神社の本体は、建物そのものではなく建物の周りの森だ。 森には神が宿るというのが、呪術的非合理的なオレらの先祖から受け継いだメンタルだ。 89 ID:qVKHOqpi0. 58 ID:5SPW0KXD0. net 大事なのは作りの派手さではなく「想い」だからね。 34 ID:scTdPJjE0. 29 ID:scTdPJjE0. net 初詣に行ってもお賽銭も上げないから鈴にも触れない 鈴なんて無い神社、初詣の人が多く鈴を鳴らすまで到らない神社もあるからどうでも良いらしい 中途半端な蘊蓄をのたまうバカもいるけどね 俺なんて異例で4年間も祭りで稚児を務めたから神様とは友だちみたいなものだ。 13 ID:FM0E7lZZ0. 28 ID:pxgCRh4e0. 46 ID:F5B2OSf20. net 神社の高床式って、あのぐらいの高さの津波が来ることを最初から想定してんじゃね。 17 ID:fZXf8UXJ0. 93 ID:KqNNFULy0. 09 ID:tgsQZKTw0. 48 ID:5SPW0KXD0. 35 ID:scTdPJjE0. 80 ID:fZXf8UXJ0. 82 ID:6P6UMZ620. net 社殿は出雲系か? 大和は三輪山信仰から始まってるからなあ。 81 ID:L1sCZs2r0. net 伊勢の伊勢神宮の今の社殿が出来たのは、奈良の法隆寺建立の後なのです。 要するに、瓦を使っての大きな建物を建てることが出来るのに、 天皇家は、あの、今の社殿を建てなければならない、出自からの必然性があったのです。 当時に、天皇家は、いわゆる伝統を継承したのです。 つまり、法隆寺の大瓦の大伽藍は、天皇家の伝統ではなく、伊勢神宮の社殿が、 天皇家の出自と、それからの伝統なのです。 23 ID:byyvi2j10. net しめ縄はヘビの交接を表す。 つまり多産信仰 御幣はカミナリを表す。 72 ID:pZ4PSzR20. 35 ID:x2Mj5sAG0. 63 ID:Tm4IOjpr0. 03 ID:L1sCZs2r0. net 京都府の元伊勢神社の"御神体"は、空間です。 つまり、鏡などの物ではありません。 太陽神が地上に降りてくる空間が御神体になっております。 29 ID:pZ4PSzR20. net ツングース、ギリヤーク族などの習俗の中には、墓地の入り口に鳥居を置くもの がある。 この「鳥居」には実際に鳥が刻んであったり、または鳥を彫刻したものが 吊るしてある。 23 ID:qz6W3tfi0. 03 ID:D4aClPyy0. net おられます。 96 ID:8wumv8fe0. net それね。 70 ID:pZ4PSzR20. net 仮に鳥居が純粋に日本由来のものであり、朝鮮からの渡来ではないとしよう。 鳥居の起源は日本国内で、鳥居は日本的なものであるとする。 しかしその場 合でも、なお日本の鳥居に類似のものが朝鮮半島から沿海州にかけて存在 していたという事実は否定できない。 89 ID:fqIDd92f0. 11 ID:tkEfOJw90. 98 ID:pZ4PSzR20. 66 ID:EG61MSPT0. net 韓国からやってきた渡来人が縄文ジャップに土木や木造を教えてやったので間違いないだろう。 24 ID:qj3wWHJE0. net 多次元宇宙を支持する学者が多数いて 時空がよくわからないから、あんまり否定しないほうがいいね。 偶然の一致や予知のような不可解なことを とりあえず神様と呼んでいるだけかもしれんし。 61 ID:scTdPJjE0. net 東南アジアの村の結界が起源で、 朝鮮半島のトーテムポールもその亜種という説はある。 70 ID:FTVl8K4F0. net 白村江以前の歴史は全て後世の創作。 93 ID:L1sCZs2r0. net 鳥居は、とまり木という見方が中心と思いますが、女性の性器の入り口との説もあります。 78 ID:lE35QYEN0. net ないねw すみません、既婚者です 神社界もコロナで暇だよ〜 元々春〜秋は閑散期だけど、1年くらい状態が続くと、ちょっと危ない神社も 出てきそう。 58 ID:scTdPJjE0. 74 ID:pxgCRh4e0. 61 ID:fqIDd92f0. net つうか、大社造り・神明造りの起源がタイのアカ族の穀物倉庫というのは、 もはや疑いのない所だと思うけど。 net チャンスンやソッテは鳥居じゃねーなw 総レス数 1001 258 KB.

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日本語の起源と系統について語ろう @ [言語学板]

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81 0. 64 0. 89 0. net ウラル語族ってアルタイ諸語との関連は否定されてたんじゃないっけ。 wikiではそう説明されてる。 43 0. 17 0. 19 0. 77 0. net それゆえにクレオール説の一種といえる。 98 0. 44 0. 41 0. net 安本説は印欧語族のような系統論は日本語には成り立たないという仮説でしかないだろう。 つまり系統論議を放棄しているといえる。 63 0. net 「古極東アジア語族」、ビルマ語系、インドネシア・カンボジア語系、などが「流入」して日本語を形成した「流入論」と言っているな。 それならシナ語、梵語、ポルトガル語、オランダ語、英仏独語も「流入」しているんだが、系統とは関係ないことになる。 71 0. 33 0. 10 0. 71 0. 26 0. 62 0. 69 0. net 日本には間接的だがインドの五十音図が入って仮名成立に関与しているぞ。 漢字を崩したとされているが凡字に似た形の仮名もある。 95 0. 31 0. 57 0. net 安本は「系統」という概念を日本語に適用すること自体に批判的だ。 97 0. 89 0. 33 0. net ということは日本語とアルタイ諸語、朝鮮語、アイヌ語、南島語などの系統論議は無駄という否定的な結論が残るだけだな。 55 0. net アウストロネシア語族 でも、タイ語族との関係や、ニューギニアの方のどっちつかずな言語の分類など、未だにその輪郭の線引きは地味にぼやけてる タイ語族との関係でいうと、チャム語が単にアチェあたりからの移民が持ち込んだと決めつけるには、あまりにインドシナでのAN語族は多様性が高すぎるんだよな チャムのほかにエデ・ジャライ・チュム・ラグライ。 しかも海岸から離れた山中にいるし。 01 0. 29 0. 60 0. net タイ語の系統論は、隣のキン族(いわゆるベトナム人)が、 言語的には、まさかの「クメール同系」というショックの余波で、なんだか漂流してるよなあw 俺は、未だに、シナ・チベットとタイ・カダイを別枠とすべき理由が、よくわからない。 「漢語のブラックホール性」の意味が、体感としてさっぱりわからない欧米人が、 シナ祖語をチベット語寄りと判断したため、タイ語が追い出されただけなんじゃなかろうか。 漢語は、漢字を媒体に、ブラックホール的に語彙を飲み込んでいくことそれ自体が本質なので、 チベットとタイが違うことをいくら力説しても、シナ祖語は話が違う。 80 0. net 漢字では、音韻変化程度では表記が変わらないんだよな。 45 0. 38 0. net 日本でも戦前まで蝶々をテフテフと書いていただろ。 今でも「は」「を」「へ」と書いている。 53 0. 95 0. net thru through ,nite night 等 英語では俗な表現では発音に即した表記がされることがある また、文字化が遅かった言語では、あきらかに近縁と判明してる言語群の間でも、各言語の現在の発音をそのまま反映させて、表記のすり合わせをしないんじゃないの? ポリネシア諸語やバントゥ諸語とか。 66 0. 21 0. 60 0. net ありがとうございます。 AN語ってオーストロネシア語の略だったんですね。 51 0. net watakusi ha tehutehu wo tukamaheyou to yama he ikimasita. 50 0. 67 0. 85 0. net sau ihu mono ni watasi ha naritai. 24 0. 11 0. net ポリワノフとラムステッドからほとんど進展はないんだろ。 03 0. 06 0. 74 0. net なら世界のどこかで日本語と同系の言語が発見される 1002 : 2ch. net投稿限界:Over 1000 Thread 2ch. netからのレス数が1000に到達しました。 総レス数 1002 301 KB.

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日本語の起源と系統について語る 3

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謎に包まれてきた日本語の起源 日本語はどこから来たのかという問題は、ずいぶん前から様々な学者によって論じられてきましたが、決定的な根拠が見つからず、大いなる謎になってしまった感があります。 しかしながら、筆者の研究によってようやくその全貌が明らかになってきたので、皆さんにお話ししようと思い立ちました。 日本語は、朝鮮語、ツングース諸語(エヴェンキ語、満州語など)、モンゴル諸語(モンゴル語、ブリヤート語など)、テュルク諸語(トルコ語、中央アジアの言語など)と近い関係にあるのではないか、あるいはオーストロネシア語族(台湾、フィリピン、インドネシア、マレーシア、オセアニアなどの言語から成る言語群)と近い関係にあるのではないかというのが従来の大方の予想でしたが、これらの予想はポイントを外しています。 中国語を見て全く違うと感じた日本人が、日本語は北方の言語と関係があるのではないか、南方の言語と関係があるのではないかと考えたのは、至極当然のことで、北方の言語と南方の言語に視線を注ぐこと自体は間違っていません。 問題なのは、北方のごく一部の言語と南方のごく一部の言語に関心が偏ってしまったことです。 上記の言語のうちで、朝鮮語、ツングース諸語、モンゴル諸語、テュルク諸語は、日本語によく似た文法構造を持つことから、日本語に近縁な言語ではないかと盛んに注目されてきました。 同時に、ツングース諸語、モンゴル諸語、テュルク諸語は、互いに特に近い関係にあるとみなされ、いわゆる「アルタイ語族」という名でひとまとめにされることがしばしばありました。 日本語の起源をめぐる議論は、このような潮流に飲まれていきました。 しかしながら、筆者がこれから明らかにしていく歴史の真相は、かなり違います。 日本語は、朝鮮語、ツングース諸語、モンゴル諸語、テュルク諸語と無関係ではないが、別の言語群ともっと近い関係を持っているようなのです。 実を言うと、筆者は日本語やその他の言語の歴史に興味を持つ人間ではありませんでした。 筆者は若い頃にフィンランドのヘルシンキ大学で一般言語学や様々な欧州言語を学んでいましたが、その頃の筆者の興味は言語と思考の関係や外国語の学習理論などで、もっぱら現代の言語に関心が向いていました。 歴史言語学の講義もありましたが、特に気に留めていませんでした。 筆者が言語の歴史について真剣に考えるようになったきっかけは、ロシアの北極地方で少数民族によって話されているサモエード諸語との出会いでした。 サモエード諸語は、フィンランド語やハンガリー語と類縁関係にある言語です。 フィンランド語とハンガリー語はヨーロッパの中では異色の存在で、北極地方の少数民族の言語と類縁関係を持っています。 フィンランド語、ハンガリー語、サモエード諸語などから成る言語群は、「ウラル語族」と呼ばれます。 言語学者が使う「語族」という用語について若干説明しておきます。 私たちが万葉集や源氏物語の言葉を見ると、「読みにくいな」と感じたり、「なにを言っているのかわからないな」と感じたりします。 言語は時代とともに少しずつ変化しています。 言語は単に変化するだけでなく、分化もします。 ある程度広い範囲で話されている言語には、地域差が生じてきます。 この地域ごとに少しずつ異なる言葉が方言です。 しかし、これらの方言が地理的に隔たってさらに長い年数が経過すると、最初は小さかった方言同士の差が大きくなっていき、やがて意思疎通ができないほどになります。 あまりに違いが大きくなれば、もう方言ではなく、別々の言語と言ったほうがふさわしくなります。 一律の学校教育やマスメディアが発達していない時代には、この傾向は顕著です。 ある言語が別々の言語に分化するのです。 分化してできた言語がさらに分化することもあります。 言語学では、おおもとの言語と分化してできた諸言語をまとめて「語族」といいます。 世界で最もよく知られている語族は、インド・ヨーロッパ語族と呼ばれる語族で、英語、ドイツ語、フランス語、ロシア語などはこの語族に属します。 例えるなら、イヌ、オオカミ、キツネ、タヌキが共通祖先を持っているように、英語、ドイツ語、フランス語、ロシア語は共通祖先を持っているということです。 日本語とウラル語族 英語などが属するインド・ヨーロッパ語族は巨大な言語群ですが、フィンランド語やハンガリー語が属するウラル語族はこじんまりとした言語群です。 ウラル語族の言語は、ロシアの北極地方から北欧・東欧にかけて分布しています。 地理的に遠く離れているので、ウラル語族の言語は一見したところ東アジアの言語、特に日本語とはなんの関係もないように見えますが、実はここに大きな盲点があります。 日本語の歴史を考えるうえで大変重要になるので、ウラル語族の話を続けます。 以下にウラル語族の内部構造を簡単に示します。 ウラル語族の言語を研究する学者の間に意見の相違がないわけではありませんが、上の図は従来広く受け入れられてきた見方です。 ウラル語族の言語は、まずフィン・ウゴル系とサモエード系に分かれ、フィン・ウゴル系はそこからさらにフィン系とウゴル系に分かれます。 フィンランド語はフィン系に属し、ハンガリー語はウゴル系に属します。 サモエード系の言語は、ロシアの北極地方に住む少数民族によって話されています。 現在残っているサモエード系の言語はネネツ語、エネツ語、ガナサン語、セリクプ語の四つのみで、特に後の三つは消滅の危機にあります。 サモエード系の言語は、フィンランド語やハンガリー語と同じウラル語族の言語ですが、フィンランド語やハンガリー語とは文法面でも語彙面でも著しく異なっています。 同じ言語から分かれた言語同士でも、別々の道を歩み始め、何千年も経過すれば、似ても似つかない言語になってしまいます。 特に、サモエード系の言語が辿った運命とフィンランド語・ハンガリー語が辿った運命は対照的です。 サモエード系の言語は、北極地方にとどまり、他の言語との接触が比較的少なかったために、昔の姿をよく残しています。 それに対して、フィンランド語とハンガリー語は、有力な言語がひしめくヨーロッパに入り込み、大きく姿を変えました。 サモエード系の言語は、いわば「生きた化石」です。 人類の歴史を解明するうえで、大変重要な言語です。 サモエード系の言語との出会いは、筆者にとってショッキングな出来事でした。 これ以降、筆者は言語の歴史について本格的に研究し始めることになります。 筆者が初めてサモエード系の言語を見た時には、「文法面ではモンゴル語やツングース諸語に似ているな」という第一印象を受けました。 しかし、よく調べると、「あれっ、語彙面では日本語に似ているな」という第二印象を受けました。 少なくとも言語の根幹をなす基礎語彙に関しては、モンゴル語やツングース諸語より、ウラル語族のサモエード系の言語のほうが日本語に近いと思いました。 なんとも不思議な感じがしました。 なんで日本の近くで話されているモンゴル語やツングース諸語より、北極地方で話されているウラル語族のサモエード系の言語のほうが日本語に近いんだろうと考え始めました。 様々な言語を見てきましたが、サモエード系の言語には今までにない特別なものを感じました。 なにか重大な秘密が隠されている予感がしました。 フィンランド語とハンガリー語だけを見ていた時は気づかなかったのですが、サモエード系の言語を介しながらフィンランド語とハンガリー語を見てみると、やはりフィンランド語とハンガリー語にも日本語との共通語彙があります。 日本語の中にある、ウラル語族と共通している語彙、そしてウラル語族と共通していない語彙を見分けていくうちに、二つの疑問が頭に浮かんできました。 一つ目の疑問は、日本語の祖先とウラル語族の言語の祖先の接点は地理的にどの辺にあったのだろうという疑問です。 二つ目の疑問は、日本語の中にある、ウラル語族と 共通していない語彙はどこから来たのだろうという疑問です。 日本語の中には、ウラル語族と共通している語彙も多いですが、共通していない語彙も多いのです。 東アジアには黄河文明とは違う文明が存在した ウラル語族の各言語の語彙を研究するうちに、ウラル語族が日本語だけでなく、モンゴル語、ツングース諸語、朝鮮語、さらには中国語にもなんらかの形で関係していることが明らかになってきたので、ウラル語族の言語と東アジア・東南アジアの言語の大々的な比較研究を開始しました。 着実かつ合理的に歴史を解明するため、考古学および生物学の最新の研究成果を適宜参照しました。 考古学も生物学も近年めざましい発展を遂げており、数々の重要な発見がありました。 かつては、メソポタミア文明、エジプト文明、インダス文明、そして東アジアの黄河文明が並べられ、世界四大文明と呼ばれていました。 ところが、その後の発見によって、東アジアには黄河文明のほかに二つの大きな文明が存在したことがわかってきました(このテーマを包括的に扱った書籍はいくつかありますが、考察の広さ・深さの点でShelach-Lavi 2015が優れています)。 その二つの大きな文明とは、長江文明と遼河文明(りょうがぶんめい)です。 日本列島で縄文時代が進行する間に、大陸側はこのようになっていたのです。 黄河文明と長江文明に比べて、遼河文明は知名度が高くないかもしれません。 しかし、遼河文明は、日本語の歴史を解明するうえで重要な鍵を握っているようなのです。 生物学が発達し、人間のDNA配列が調べられるようになりました。 DNA配列は、正確には「DNAの塩基配列」といい、アデニンA、チミンT、グアニンG、シトシンCという四種類の物質が作る列のことです。 最近では、生きている人間のDNA配列だけでなく、はるか昔に生きていた人間のDNA配列も調べられるようになってきました。 大変興味深いことに、遼河文明が栄えていた頃に遼河流域で暮らしていた人々のDNA配列を調べた研究があります(Cui 2013)。 人間は父親と母親の間に生まれるので、子のDNA配列が父親のDNA配列と100パーセント一致することはなく、子のDNA配列が母親のDNA配列と100パーセント一致することもありません。 しかし、父親から息子に代々不変的に受け継がれていく部分(Y染色体DNA)と、母親から娘に代々不変的に受け継がれていく部分(ミトコンドリアDNA)があります。 代々不変的に受け継がれていく部分と書きましたが、この部分にも時に突然変異が起きます。 つまり、その部分のDNA配列のある箇所が変化するのです。 変化していないY染色体DNA配列を持つ男性がそれを息子に伝える一方で、変化したY染色体DNA配列を持つ男性がそれを息子に伝えるということが起き始めます。 同様に、変化していないミトコンドリアDNA配列を持つ女性がそれを娘に伝える一方で、変化したミトコンドリアDNA配列を持つ女性がそれを娘に伝えるということが起き始めます。 こうして、時々起きる突然変異のために、Y染色体DNAのバリエーション、ミトコンドリアDNAのバリエーションができてきます。 人類の歴史を研究する学者は、このY染色体DNAのバリエーション、ミトコンドリアDNAのバリエーションに注目するのです。 先ほど述べた遼河流域の人々のDNA研究は、Y染色体DNAのバリエーション(例えば、C系統か、D系統か、N系統か、O系統か)を調べたものです。 その結果はどうだったでしょうか。 古代の人々の研究なのでサンプル数は限られていますが、それでも大まかな傾向は十分に捉えられています。 遼河文明が栄えていた頃の遼河流域では、当初はN系統が圧倒的に優勢だったが、次第にO系統とC系統が増え(つまり他の地域から人々が流入してきたということ)、N系統はめっきり少なくなってしまったようです。 現在の日本、朝鮮半島、中国では、N系統はほんの少し見られる程度です(Shi 2013)。 対照的に、ウラル語族の言語が話されているロシアの北極地方からフィンランド方面にかけてN系統が非常に高い率で観察されています(Rootsi 2007)。 見え始めた日本語の正体 筆者もウラル語族の言語が東アジアの言語と深い関係を持っていることを知った時には大いに驚きましたが、考古学・生物学の発見と照らし合わせると、完全に合致します。 日本語がウラル語族の言語と深い関係を持っていることは非常に興味深いですが、もう一つ興味深いことがあります。 日本語の中には、ウラル語族と共通している語彙も多いですが、共通していない語彙も多く、ウラル語族とは全く異なる有力な言語群も日本語の形成に大きく関与したようなのです。 ウラル語族の言語と東アジア・東南アジアの言語の大々的な比較研究を行い、様々な紆余曲折はありましたが、漢語流入前の日本語(いわゆる大和言葉)の語彙構成が以下のようになっていることがわかってきました。 「ウラル語族との共通語彙」も多いですが、「黄河文明の言語との共通語彙」と「長江文明の言語との共通語彙」も多く、この三者で漢語流入前の日本語の語彙の大部分を占めています。 「その他の語彙1」というのは、日本語が大陸にいた時に取り入れた語彙で、「ウラル語族との共通語彙」にも、「黄河文明の言語との共通語彙」にも、「長江文明の言語との共通語彙」にも該当しないものです。 「その他の語彙2」というのは、日本語が縄文時代に日本列島で話されていた言語から取り入れた語彙です。 漢語流入前の日本語の語彙構成の特徴的なところは、なんといっても、語彙の大きな源泉が三つあることです。 三つの有力な言語勢力が交わっていたことを窺わせます(遼河文明と黄河文明と長江文明の位置を思い出してください)。 「日本語の意外な歴史」では、ウラル語族との共通語彙、黄河文明の言語との共通語彙、長江文明の言語との共通語彙、その他の語彙1、その他の語彙2、いずれも詳しく扱っていきます。 では、日本語およびその他の言語の歴史を研究するための準備に取りかかりましょう。 外国語の単語の表記について 英語と同じようなアルファベットを使用している言語では、それをそのまま記します。 言語学者が諸言語の発音を記述するのに使う国際音声記号(IPA)というのがありますが、音韻論の専門家でない限り、多くが見慣れない記号です。 そのため、本ブログではIPAの使用はできるだけ控えます。 特に朝鮮語は、IPAを用いて記すと複雑になるため、市販されている初心者向けの韓国語の文法書で採用されている書き方にならいました。 一般の読者にとって見慣れない記号を用いる場合には、補助としてのカタカナ表記を付け加えます。 慣習を考慮し、ヤ行の子音は基本的に、北方の言語(ウラル語族の言語など)では「j」で表し、南方の言語(中国語、東南アジアの言語)では「y」で表します。 古代中国語のアルファベット表記の仕方は、Baxter 2014に従います。 参考文献 Baxter W. et al. 2014. Old Chinese: A New Reconstruction. Oxford University Press. Cui Y. et al. 2013. Y chromosome analysis of prehistoric human populations in the West Liao River Valley, Northeast China. BMC Evolutionary Biology 13: 216. Rootsi S. et al. 2007. A counter-clockwise northern route of the Y-chromosome haplogroup N from Southeast Asia towards Europe. European Journal of Human Genetics 15: 204-211. Shelach-Lavi G. 2015. The Archaeology of Early China: From Prehistory to the Han Dynasty. Cambridge University Press. Shi H. et al. 2013. Genetic evidence of an East Asian origin and paleolithic northward migration of Y-chromosome haplogroup N. PLoS One 8 6 : e66102. の記事にアクセスしてくださる方が多く、大変感謝しております。 漢字を見て不思議に思うことは結構あるでしょう。 不思議な漢字の話をもう一つしておきます。 例えば、「流、浮、沈、泳、溺」などはだれが見ても納得できます。 しかし、「決」はどうでしょうか。 これはなかなかの難問です。 昔の人々は、河川の水が人の住んでいるところに押し寄せてこないように、防御を固めていました。 具体的には、河川の横に土を盛り固めて、高くしていました。 これが、堤防(ていぼう)、堤(つつみ)あるいは土手(どて)と呼ばれるものです。 河川の左右に堤防が長く伸びることになります。 しかし、水が堤防の一部を破壊してしまうことがありました。 長く伸びていた堤防が切れてしまうわけです。 このようにして堤防を切ることを意味していたのが、古代中国語のkwet 決 クエトゥなのです。 比喩的な「堰(せき)を切る」という言い方はよく耳にするでしょう。 日本語のkiru 切る という語を思い起こしてください。 この語は「食べきる、走りきる、読みきる」のように使われることもあります。 切ることを意味する語は、終わらせることを意味するようになることが多いです。 切るというのは、続かないようにすることという見方もできます。 英語のdecide 決める は、切ることを意味したラテン語のdecidereから来ています。 kimeru 決める とkimaru 決まる は、古い日本語には見当たらず、比較的新しい語のようです。 異なる形ができて、異なる意味を担うようになったということです。 現代の日本語に、makaritooru 罷り通る という語があります。 堂々と通用することを意味します。 特に、通用してはならないはずのことが堂々と通用する時によく用いられます。 このように理解しておけば、makaritooru 罷り通る という言葉を一応無難に使うことはできます。 しかしこの言葉には、実は大変複雑な歴史があります。 その話をする前に、前回の記事のおさらいをしましょう。 「山」を意味する語から「大きさ」を意味する語と「多さ」を意味する語が生まれたわけですが、「山」を意味する語から「高さ」を意味する語が生まれることももちろんあります。 山を意味するtakaから生まれたのが、takasi 高し 、take 岳 、take 丈 です。 ここで大いに注意したいことがあります。 「山」を意味する語が「高さ」を意味するようになることは多いですが、「高さ」を意味する語が「人間の体のうしろ側」を意味するようになることも多いのです。 例えば、ウラル語族のフィンランド語にはtakana うしろに、うしろで という語があり、ハンガリー語にはdagad 高まる、盛り上がる、膨らむ、腫れる という語があります。 フィンランド語では、takaの意味が「高さ」から「うしろ」に変化しています。 背中を合わせて背比べをしているうちに、このような変化が起きると考えられます。 日本語にはse 背 という語があるので、フィンランド語のような意味変化はよく理解できますが、筆者にとって意外だったのは、「人間の体のうしろ側」を意味していた語が「高さ」を意味するようになるケースより、「高さ」を意味していた語が「人間の体のうしろ側」を意味するようになるケースのほうが多いということでした。 oosu 仰す の名詞形がoose 仰せ です。 「仰せある通り(おおせあるとおり)」が短縮して「仰る通り(おっしゃるとおり)」という表現も生まれました。 目まぐるしい展開ですが、最も重要なポイントは、人や荷物を背負わせることを意味していた語が、抽象的ななにか(役割、責任、義務など)を背負わせることを意味するようになるという点です。 古代北ユーラシアで水のことをmark-、mirk-、murk-、merk-、mork-(mar-、mir-、mur-、mer-、mor-、mak-、mik-、muk-、mek-、mok-)のように言っていた巨大な言語群を思い出してください。 やはり、「高さ」と「人間の体のうしろ側」には密接な関係があります。 ここで注目したいのが、奈良時代の日本語のmaku 任く とmakasu 任す という語です。 しかし、はじめから抽象的な語であったとは考えられません。 奈良時代の日本語には、maku 任く という動詞に加えて、maku 罷く という動詞がありました。 maku 任く は、君主や朝廷が任命して派遣することを意味していました。 本来なら、以下のようになりそうです。 このようなややこしい事情があります。 maku 負く という動詞の存在も、そのことを示唆しています。 古代中国語のbjuw 負 ビウウは、もともと背負うことを意味していましたが、最終的に負けるという意味を獲得しました。 人や荷物を身に受けることを意味していた語が、一般になにか負担になるものを身に受けることを意味するようになるのでしょう。 なにか負担になるものというのが、責任・義務であったり、損傷・ダメージであったりするわけです。 日本語のmaku 負く も、古代中国語のbjuw 負 と似た運命を辿った可能性があります。 大変複雑な話になりましたが、君主や朝廷の命を受けてどこかに行くことをmakaru(「任る」と書くべきところですが実際には「罷る」)と言っていたのです。 現代の日本語のmakaritooru 罷り通る に堂々とした感じが漂うのはそのためです。 makaritooru 罷り通る は、通ってはいけないところで通ることを意味しますが、それと同じように、makarimatigau まかり間違う は、間違ってはいけないところで間違うことを意味するようになったと思われます。 同じ語が大きいことと多いことを意味するのは少し変な感じがしますが、奈良時代の時点ではそうでした。 なぜ同一の語が大きいことと多いことを意味していたのでしょうか。 まず、水・水域を意味していた語がその隣接部分、特に盛り上がり、坂、丘、山などを意味するようになるパターンを思い出してください。 超頻出パターンです。 水・水域を意味していた語が山を意味するようになることがよくあるわけです。 ここに答えが隠されています。 の記事で使った図を、もう一度使います。 山は山でも、なにかがどんどん積み重なってできる山を思い浮かべてください。 この山を意味していた語が、大きいことを意味するようになったり、多いことを意味するようになったりするのです。 現代の日本語でも「大きくなったらなにになりたいか」と言ったりするので容易に理解できるでしょう。 フィンランド語にkattaa 覆う とkatto 屋根 があったり、ロシア語にkryt j 覆う クリーチとkrysha 屋根 クリーシャがあったりするように、「覆う」と「屋根」には密接な関係があります。 ここで気になるのが、古代北ユーラシアで水のことをam-、um-、om-のように言っていた巨大な言語群です。 ここから日本語のama 雨 、abu 浴ぶ 、aburu 溢る 、appuappu あっぷあっぷ などが来たと考えられることはお話ししました。 mとbとpの間は非常に変化しやすいので、am-、um-、om-のような形、ab-、ub-、ob-のような形、ap-、up-、op-のような形を考えなければなりません。 現代の日本語のoboreru 溺れる に注目しましょう。 oboreru 溺れる の前はoboru 溺る でした。 しかし、奈良時代の日本語を詳しく調べると、以下の四つの語があったようです(上代語辞典編修委員会1967)。 水を意味するopoまたはoboという語があって、これがappuappu あっぶあっぷ のように重ねられて、opo opoまたはobo oboと言っていた可能性があります。 母音が連続するのを好まない昔の日本語であれば、すぐにopopoかoboboになるでしょう。 水を意味していた語が水蒸気、湯気、霧、雲などを意味するようになるパターンです。 前回の記事の最後に、bukabuka ぶかぶか という語が出てきました。 水を意味するpurk-(pur-、puk-)のような語がpukapuka ぷかぷか になるのはわかりやすいですが、bukabuka ぶかぶか になるのはわかりにくいです。 しかし、今回の記事を読んだ後であれば、理解のための準備はできています。 bukabuka ぶかぶか は水・水域から直接生まれたのではなく、意味が水・水域から盛り上がりや山に移って、その盛り上がりや山から生まれた語なのです。 bukabuka ぶかぶか は大きいことを意味しています。 水・水域を意味していた語が盛り上がりや山を意味するようになり、盛り上がりや山を意味していた語が大きいことや多いことを意味するようになる話をしました。 今回の話を補強するために、英語のmuchの語源も補説で明らかにしておきます。 すでに述べたように、英語のmuchも大きいことと多いことを意味していました。 ここでインド・ヨーロッパ語族に目を向けると、ラテン語magnus 大きい や古代ギリシャ語megas 大きい のような語があります。 -nusと-sは形容詞を作る時に付けられるもので、その前のmag-とmega-が大きいことを意味しています。 ウラル語族とインド・ヨーロッパ語族の語彙を見ると、古代北ユーラシアの巨大な言語群で水を意味したmark-、mirk-、murk-、merk-、mork-(mar-、mir-、mur-、mer-、mor-、mak-、mik-、muk-、mek-、mok-)のような語が、盛り上がりや山を意味するようになり、さらに大きいことや多いことを意味するようになったのがわかります。 この語が、muchelを経て、muchになり、多いことのみを意味するようになりました。 参考文献 大野晋ほか、「岩波 古語辞典 補訂版」、岩波書店、1990年。 上代語辞典編修委員会、「時代別国語大辞典 上代編」、三省堂、1967年。

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