痛みは消えないままでいい。 米津玄師 「痛みは消えないままでいい」

60すぎたら「やってはいけない手術」【膝の痛み編】(週刊現代)

痛みは消えないままでいい

新年度初日の出勤。 毎年決算で忙しい一日となる。 社員の異動もあるので、職場はバタバタだ。 忙しいこともあってか、体の痛みがほとんどなかった。 膨満感もなし。 体の痛みもなし。 お腹のポッコリは相変わらずで、違和感は多少あるが、体の痛みがないだけでかなり快適だった。 当たり前の話だが、痛みがないというのはいいことだ。 今までの体調がどれだけありがたかったか、ここにきて痛感している。 今日のような忙しさの方がいい。 忙しさと仕事に集中できれば痛みも何も感じないまま一日が終わるのに。 薬も効いてきているのかもしれない。 しばらく様子見が続くが、悪くはなさそうだ。 疲れたので寝ないと! おやすみなさい。 miyabi9843.

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根管治療後の痛みが消えないままの根充を説得され了承してしまった

痛みは消えないままでいい

さんの『告解』を読みました。 題名の『こっかい』とは、の幾つかの教派において、 罪の赦しを得る儀式、告白の行為のことだそうです。 罪を犯した人がどれほどの償いの気持ちを持っているのかは 他人にはわかりようがない。 しかも、今回は、加害者本人を主人公として、書いています。 そうなんだ。 逃げ続けているかぎり、人は心から笑えなくなるんだと思う (中略) いつかおまえが心から笑えることがあってほしいと願う。 Sankei0727 林民夫さんの小説『糸』を読みました。 監督の同名映画のノベライズですが、小説としても完成度が高いと思います。 そもそも、林民夫さんは小説家ではありません。 映画『糸』の脚本家さんです。 さらに言えば、映画も、さんの歌をモチーフに、企画されたものです。 しかも、皮肉と言うか、不思議なことに、映画はまだ公開されてません。 林民夫さんの小説は、主人公の二人と、二人が出逢う人々、 その一人一人について、丁寧に、丁寧に、さんの歌詞のごとく、 一本ずつ、縦糸と横糸のように、書いています。 口に出された台詞や情景の描写だけでなく、 水面下に沈んだ氷山の7分の6の部分までも、書き込んでいます。 「第一章 縦の糸」は、 漣と、彼が出逢う4人が交互に記されます。 ( )内は演じた役者です。 竹原直樹()、 後藤弓(馬場ふみか)、 桐野香()、 山田利子() 「第二章 横の糸」は、 葵と、彼女が出逢う2人が交互に記されます。 矢野清()、 水島大介() 「第三章 ふたつの物語」は、 漣の義父と実父、 葵を支えた2人が記されます。 桐野昭三(永島敏行)、 高橋英和、 高木玲子()、 冴島亮太() 「第四章 逢うべき糸」は、 漣と 葵を身守った2人と、 漣の子が記されます。 富田幸太郎()、 村田節子()、 高橋結() 総勢で15人。 一人一人の生き様と思いが交錯し、まるで無数の糸が 重なり合って、織り込まれた、壮大な一片の布のようになっています。 縦の糸はあなた 横の糸は私 逢うべき糸に 出逢えることを 人は仕合わせと呼びます あくまでも印象ですが、なんだか、平成って、そんな時代だったという気がします。 映画の公開が楽しみです。 瀬々監督の演出と豪華な俳優たちの演技によって、 林民夫さんが小説で書いた水面下の氷山の7分の6が、どのようになっているのか? 期待が高まります。 Sankei0727 呉勝浩さんの最新作『スワン』を読みました。 巨大ショッピングモール「湖名川シティガーデン・スワン」で起きた 無差別銃撃事件で、犯人の一人に捕まり、生き残った女子高生が主人公の話です。 彼女は、当初の被害者の立場から、一転して、 加害者のようにマスコミやネットで激しいバッシングに遭います。 わかってる。 通じない。 こちら側の言い分は通じない。 彼らにとって事件は客席から眺める「物語」で、山路は「登場人物」で、 記者会見は「場面」だった。 表情やしゃべり方は「お芝居」とみなされ、 カメラのフラッシュは「演出」だった。 そしてこの「物語」は、 観客が望むとおりに「改変」される。 無責任につぶやかれる有象無象の意見はたいてい、馬鹿げているのだ。 けれど馬鹿げていると切り捨てるには強い精神力が要る。 そうしないとささやかな毒がちょっとずつでも心にたまり、 やがて内部をむしばんでしまう。 あの瞬間の行動や決断は、あの場面の、あの空気だったり感情の流れ、明るさ、 すすり泣きや息づかいや温度といったすべてによってつくられていたから。 「説明すればするだけ、ちがってしまう」 誰にも伝わらない。 (中略)同じ場所と時間を共有していても。 事実を共有していても。 「だから……起こったことだけ、言葉にすることしかできない。 そうなんだから、そういうことなんだって、受け止めるしか」 期待に違わず、呉勝浩さんらしい重い内容でしたが、読みごたえのある作品でした。 第73回、第41回、第162回候補作です。 もしかしたら、将来、映画化されるかもしれません。 Sankei0727 22才の死は、あまりに早過ぎます。 ネットで叩かれ、非難され、追い詰められ、もう自分には居場所がない、 他に選択肢が無いと、思い詰めてしまったのでしょう。 昔、さんが歌った歌があります。 発表当初は、その過激な歌詞から物議を醸しました。 その曲は、いきなり 「生きてることが辛いなら いっそ小さく死ねばいい」 で始まります。 この部分の歌詞が、自殺を推奨すると言われました。 しかし、その後は 「生きていることが辛いなら わめき散らして泣けばいい」 「生きていることが辛いなら 悲しみをとくと見るがいい」 「生きていることが辛いなら 嫌になるまで生きるがいい」 「生きていることが辛いなら くたばる喜びをとっておけ」 と繰り返されます。 最後まで聞いて、ようやく冒頭の「いっそ小さく」が、 重要な意味を持つことがわかります。 「小さく死ぬ」とは、TVに出ている役の自分が死んでみる=番組から降りる、 しばらくタレント活動を休止する、を休んで社会的に消える等、 幾らでも選択肢があったのではないでしょうか。 それが気づけないほど、 心が傷みつけられていたと思うと、本当にいたたまれません。 最近、再放送され話題になっているTVドラマ『逃げ恥』と同じです。 どんなに恥ずかしくても、「生きることが辛いなら」逃げることは有益です。 もしも自分の近くに「生きていることが辛い」と思っている人が居たら 本人はそれを必死に隠そうとしているでしょうが、もし気付くことが出来たなら みっともない姿を晒して貰ってもいいから、好きな場所から離れて悲しくても、 人から笑われてもいいから、馬鹿にされてもいいから、すべてを無くしてもいいから それでもここに少なくとも一人は、貴方のことを見ている人が居るから 嫌になるまで生きろ、と言ってあげたいと思います。 Sankei0727 今から4年前、2016年()4月17日深夜、ラジオ番組の終わりの挨拶の言葉です。 今日は私 、月イチ 、休みたい気持ちでした。 日本中の皆様ご存じのとおり 、今 、・を中心に 、 大きなが続き 、災害が発生しています。 亡くなられた方々もあり 、怪我をされている方々 、 病気の治療もままならない方々 、避難を余儀なくされている方々も多くて 、 救援もまだまだ届ききれない 、この状況で、 冗談を言ったり笑ったりするというのは 、いかがなものかと 、考えてしまいました。 (中略) 今 、不安な現場でラジオを聴いていらっしゃる方も 、おいでのようです。 弱っている方々にあてて 、もっとガンバレとは 、わたくし 、申し上げられません。 けれど 、悲しいことですが 、弱っている時ほど 、それを狙って 、 心ない人というものは 、襲いかかるものです。 盗み・詐欺・暴力・性暴力 ・・・・・・・・・・・・・ 身を守る力も弱っている方々に 、せめて体力の残っている方々は 、 目を配ってあげて下さい。 でも直接に手を貸すには 、 技術を持った人の力も 、必要です。 目を配って 、そういう技術のある人に 、早く知らせて下さい。 目配りして 、気を張り続けると 、やはり疲れて息抜きもしたいです。 そんな時 、の冗談ばなしで 、少し 、笑って下さい。 この番組は 、生放送です。 2時間 、お送りしてまいりました。 の月イチ。 ありがとうございました。 たぶん、諦めらめの悪い人です。 今、自分が居る場所で、出来ることをやる。 まずは声を出してみることから、始めようと思います。 Sankei0727 みゆきさん、こんばんは。 わたしは中学を出てすぐに働いて2年になる17歳の女の子です。 この間わたしの勤めている店で、店の人がわたしのことを 「あの子は中卒だから、事務は任せられない」 と言っていたのを 聞いてしまいました。 わたし、悔しかった。 悔しくて悔しくて泣きたかった。 中卒のどこが悪い、と言いたかった。 わたしだって高校行きたかった。 だけどうちのこと考えたら、 私立に行くなんて言えなかったし、高校に入る自信もなかった。 なのにこんな風に言われるなんて、ひどい。 ごめんなさい、愚痴を書いてしまって。 またお便りします。 ーム「わたしだって高校行きたかった」さん これは、今から38年前に、あるラジオの深夜番組で、読まれたハガキです。 その曲は、さんの『ファイト!』です。 単なる応援歌と言うよりは、逆境に負けるな!闘え!挑戦し続けろ!と 自らを鼓舞し、奮い立たせる歌だと思います。 己の力だけではどうしようもないことや、 理不尽な扱いを受けた時に、 周りの空気を読んで、 闘わず、 流されてしまった方が間違いなく 楽な筈です。 しかし、後になって、諦めて迎合したことを、たぶん後悔することでしょう。 それが嫌ならば、自分が環境を変えるために闘 うと、決め るしかありません。 有事の時ほど明らかになります。 ただ黙々と歯を喰いしばり、冷たい水の中を 震えながら、 昇って行くだけです。 余談ですが、38年前に17才ということは、ちょうど同年代です。 今、どうしているのでしょうか?夜学や通信教育で大卒になっているかもしれません。 あるいは、ベテラン事務員になって、大卒新人を厳しく教育しているかもしれません。 Sankei0727 「焦るんじゃないよ。 相葉君には『』があるでしょ。 ドラマは3か月で終わるけど、『志村どうぶつ園』はずっと続くからね。 俺が続かせるからね」 今日、放送された4チャンネルの番組『』の中で、嵐の相葉くんが、さんに言われた言葉だと、話していました。 嵐のメンバーの中で、相葉くんだけがドラマや映画への出演オファーがないことに、励ましたエピソードとのことでした。 その他にも、さんの主演者や番組スタッフ、スタジオに観覧に来た視聴者への気配り、人を笑わせて楽しませるエンターテインメントへの真摯な姿勢が紹介されました。 さん、自身が高校卒業間際に、さんの自宅に押し掛けて、弟子入りを志願。 24才での新規メンバーでデビューするまで6年間、さんやさんの付き人などをしたそうです。 途中、あまりに辛くて逃げ出したり、コンビを組んだりもしました。 に加入してからも、すぐに人気が出た訳ではなく、『』がブレイクするまでの2年間は、まったくギャグが受けずに辛抱したそうです。 そして、昭和の人気番組『』が終わるころには、さんとの不仲との噂もありました。 「人を笑わせてあげたい」その姿勢や心は、必ずや相葉くんにも引き継がれて行くことでしょう。 そして10年後、20年後になっても、世代を超えて人々から愛されて、番組がずっと続けているのは、もしかすると嵐のメンバーの中では相葉くんだけかもしれませんね。 テレビやネットで紹介されるさんの写真や映像は、どれも素敵な笑顔ばかりです。 最後にもう一つ、さんの言葉です。 なんの仕事にしてもそうだと思うけど、本当に嫌だったら辞めればいい。 でも、辞めないってことは、自分が好きで選んだ道だということだし、やり遂げる責任も負うことになる。 だから少々嫌なことやつらいことがあっても、それは自分が我慢すればいいことじゃないかな。 Sankei0727.

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米津玄師

痛みは消えないままでいい

5月のGW明けから、上智大学グリーフケア研究所主催「グリーフケア講座」を受講しています。 昨年春から3季目です。 昨日(6月27日)の講座は、ホスピスについてでした(毎回、講師は替わる輪講形式です)。 *国立病院機構 豊橋医療センター緩和ケア部長 佐藤健医師 がん患者で、進行しているケースでは、場合によって痛みが出てしまうことがある。 その痛みを我慢しているよりも、モルヒネなどを投与し、「痛み」を軽減することは大事。 そのほうが治療の成果も出やすい、といった話がありました。 佐藤医師が紹介した事例にこんなものがありました。 他の病院で治療してきたが、転移により痛みも出てきてしまい、相当苦しい状況になった患者が豊橋医療センターにやってきた。 「まずは、痛みを取る治療を始めましょうか」と相談し、どのタイミングで開始するかとかいつ入院するかなど話し合ったといいます。 次にその患者が来院したとき、こういったそうです。 「先生、痛み消えちゃったみたい」・・。 長年彼を苦しめていたがんの痛みが、すっと消えたというのです。 佐藤医師は、「こういうこと、よくあるんですよ」とおっしゃいます。 きっと(安心感)がそうさせるのだろう、とも。 痛みに耐えて耐えて、耐えて・・・しているときは、痛みから自由になれない。 けれど、「明日からモルヒネ開始して、痛みを軽減する治療に入りましょう」といわれ、自分も「その方針でお願いします」と決意、医師にお願いした。 すると、その途端に痛み自体がなくなってしまう。 それは、きっと「安心感」だろう、とのことです。 私ごとで恐縮ですが、似た経験を持っています。 12年ほど前のことになりますが、8月10日、朝、顔を洗おうとかがんだら腰が痛いことに気が付きました。 その日を境に、なんと90日間の腰痛に苦しめられることになったのです。 座ると痛い、立っていても痛い。 1週間、2週間ずっと痛い。 途中からは、右足の側面が全体的にぴくぴくとして、しびれ始めます。 仕事を変わってもらえるめどがなかったので、とにかく頑張りました。 10月末のある日。 呼吸困難になるほどの腰痛になり、もうダメお手上げ、ととうとう、上司に言いました。 「もう仕事できない。 研修、替わってほしい・・・・」 他部署に移動していた人にピンチヒッターになってもらい、私はすぐさま大きな病院へ。 レントゲンとり、異常なし。 では、MRIやりますか? 予約しましょう・・・。 で、2日後くらいにMRI予約のために病院に到着すると、驚いたことに息もできないほどの腰痛が、すーーーーーーーーーーーーーーっと消えていったのです。 何の治療もしていないのに。 あまりに不思議な経験でした。 (以後、腰痛は再発してません。 ) この時思ったのです、私の腰痛は、「痛い」と言えない、「休みたい」と言えないことでどんどん悪化していったと。 「休みたい」「仕事できない」と白状したら、すーっと消えてしまった。 がん患者の痛みとはレベルが違うけれど、「痛み」というのは、肉体的な痛みだけではなく、心が感じる痛みもあるのだなぁ、と身を持って知りました。 ところで、「痛み」は本当に我慢しないほうがよくて、終末期医療に限らず、治療の初期段階でも、痛み対応はするのが今の医療だそうです。 モルヒネなども使っていくとのこと。 (だから、緩和ケア=ターミナルケア、ではないのですね。 ターミナルでなくても、緩和ケアは行う) 佐藤医師は、こうもおっしゃっていました。 「痛みの治療は、早ければ早い方がいい。 我慢して、我慢して、我慢する傾向があるけれど、我慢している期間が長いと、脳が痛みを覚えてしまう。 そのあと、痛みの治療をしても、ほんの少しの刺激で、痛みを感じるようになってしまい、対処も大変になる。 痛くない人ほど、穏やかに過ごせるし、治療にも効果が出る。 結果的には長生きするようだ」 「痛いこと」は我慢しなければ、と思ってしまう傾向があります。 たとえば、手術を受け、まだ麻酔が効いているうちは、いいのだけれど、夜中に麻酔が切れて、突然痛くなる。 でも、その痛みは「手術を受けたのだから痛いのは当然」と思ったり、「痛いけれど、まだ耐えられなくはない」と考えたり、して、なぜか耐え忍んでしまう。 「どこが我慢の限界かわからない」というのも痛みで、「まだ、大丈夫」「まだ、なんとかなる」と思い、かなり長く我慢してしまう。 私もそうなので、よくわかります。 でも、佐藤医師が、「痛みなんか我慢しないほうがいいし、痛みを取り除くだけでも、治療はだいぶ楽になる」とおっしゃっていました。 我慢することが美徳、というのは、日本人的かもしれません。 痛いときは痛い。 つらいときはつらい。 そう言ってしまった方が、結果的には、治療効果も見込みやすい。 必要以上には「頑張る」ことないんですね。

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