徳永 英明 レイニー ブルー。 レイニーブルー 徳永英明 歌詞情報

徳永英明「レイニーブルー」が伝え続ける昭和の歌詞の美しさ

徳永 英明 レイニー ブルー

概要 [ ] 徳永がバイト先の軽井沢で知り合った大木誠と共に作り上げた楽曲で、デビュー前に参加した自主制作のオムニバスアルバム「We Are Flamingo Generation Volume 1」に収録されていた。 秋谷銀四郎がプロデュース。 レコード化の際に歌詞を一部変更している。 元のバージョンはライブで歌われることがあり、発売のライブアルバム『徳永英明Live』に収録された。 にリアレンジされ「Rainy Blue 〜1997 Track〜」として再リリースされた。 収録曲 [ ] 全作曲:徳永英明 「Rainy Blue」(1986年発売盤) [ ]• Rainy Blue 作詞:、編曲:• 奇跡のようなめぐり逢い 作詞:、編曲: 「Rainy Blue 〜1997 Track〜」(1997年発売盤) [ ]• Rainy Blue 〜1997 Track〜 (5分8秒)• 奇跡のようなめぐり逢い ~Ballade Track~ (4分5秒)• Rainy Blue ~1997 Track~(NO VOCAL EDITION) 編曲: 収録アルバム [ ] 「Rainy Blue」バージョン [ ]• Girl (1986年1月21日) - シングル「Rainy Blue」と同時発売。 INTRO. (1987年12月5日)• シングルコレクション 1986〜1991 (1998年11月21日)• BEAUTIFUL BALLADE (2006年2月22日)• (2008年8月13日) 「Rainy Blue 〜1997 Track〜」バージョン [ ]• (1997年11月1日) - シングル「Rainy Blue 〜1997 Track〜」と同時発売。 シングルコレクション 1992〜1997 (1998年11月21日)• INTRO. III (2001年2月28日) その他のスタジオレコーディング・バージョン [ ]• (1992年12月4日)• セルフカヴァー・ベスト 〜カガヤキナガラ〜 (2003年10月1日)• (2011年1月19日) B面(25th Anniversary Track)として収録(アレンジ)している。 ライブ・バージョン [ ]• 徳永英明Live (1990年7月1日) - 1990年3月16日、第一体育館で収録。 デビュー前と後の2バージョンが収められている。 Live 1994 (1994年9月14日) - 1994年6月3日・4日、で収録。 規格品番はHTCD-001、HTCD-002。 2001年4月7日・8日、で収録。 カバー [ ]• (アルバム『』)• (アルバム『』)• (宝塚歌劇団OGによるカバーアルバム『麗人 REIJIN』。 (アルバム『』)• (中国語バージョン)• (広東語バージョン)• (アルバム『Dancing With An Angel』)• オンユ 2015. 14-3. 15東京ドーム公演 脚注 [ ] [].

次の

徳永英明「レイニーブルー」が伝え続ける昭和の歌詞の美しさ

徳永 英明 レイニー ブルー

あの傘、あの傘は…。 雨の日は切ない恋の思い出がナゼに元気なの? 金曜日の朝、ベッドから見た窓の外は、ぼぅと煙るような霧雨だった。 (せっかくの花金なのに…。 ) ーと呟く暇もなく、なんの予定もない今の自分には、無意味な言葉であることは知っている。 あり合わせの朝食を少しばかり残して、佐和子は青い雨傘をさして家を出た。 (この傘、捨てられずにいる…。 ) 思い出の青い雨傘が良くなかったです 午後3時になっても、雨は止まなかった。 (あと2時間…。 ) ワープロを叩きながら、濡れた窓ガラスに目をやった。 (新しい傘を買っておけば良かったね…。 ) 表参道にある傘の専門店で買った大きめの青い傘。 相合傘ができる雨の日は嬉しくて、肩寄せ合って公園通りを歩いた思い出が脳裏をよぎった。 今となっては、大きな傘が恨めしい。 昭和女子の優柔不断っぷりが炸裂中です 心の中から、あなたの影をそっと追い出そうとしていた。 夕暮れが近づにつれて、佐和子はいつも心の準備をする。 思い出を追い払おうとするたびに、あなたの思い出が蘇ってくる。 (どうしたら、いいの…。 ) カレのことは、もう追いかけてもムダ。 (あの頃には戻れないの?) 胸の奥でもう一人のワタシが、苦しげに涙をこぼした…。 ワタシ気分重視の昭和系女子 その時、熱いものが太ももにポタリと落ちて、すっーと流れた。 佐和子は慌てて目頭をぬぐうフリをして、ワープロの画面を睨む。 予定のない雨の花金は、今のワタシにはツラすぎる。 人知れず濡れているジブンが哀しい。 (今日は定時で帰ろう…。 ) 昭和系女子の恋愛ツールは公衆電話です 壁の時計は午前0時を指そうとしていた。 もう一度会えるような気がして、電話をかけようと思った…。 (もう、ムリよ…。 ) そんな声が聞えたが、気がつけば、霧雨の歩道を100円玉を握りしめ電話ボックスを目指して歩いていた。 裸足にサンダルをひっかけたまま、傘もささずに…。 Jポップ史上最後のダイヤル式公衆電話 電話ボックスに飛び込むと、掛け慣れたカレの電話番号を回しかけたが、市内局番のところで、ふと指を止めた。 (やっぱり、ダメよ…。 ) もう壊れてしまった二人の関係は、修復できない気がした。 ーお客様のお掛けになった電話番号は、現在使われておりません…。 自動音声が流れるまで、指は止まったままだった。 ーガチャン。 受話器を戻すと、背中でのろのろと扉を押し開けるようにして外に出た。 霧雨はすでに小雨と変わり、佐和子の前髪をすぐに濡らしはじめた。 歌のまとめ• 自宅通いの真面目なOL(事務系仕事女子を指す昭和言葉)が主人公• 活動範囲が狭く、交友関係も居住地近隣を中心としたローカル性が特徴• 異性と知り合える機会は少ないため、一人の男性に気持ちが集中する傾向がある• 男女のコミュニケーションは、もっぱら公衆電話ボックスからの長電話• 10円玉と100円玉をたくさん用意して、日ごと夜ごとに異性にアタックした この歌は単なる失恋Songではありません。 主人公は女性です。 そして今でも彼を愛しています。 そう、彼は死んでしまったのです。 あまりのも突然に去ってしまった彼のことがまだ信じられないのです。 彼女が今居る場所は、彼の住んでいた街、そして彼がいつもこの道を通って帰って来る交差点の近くの電話ボックス。 彼は雨の日にこの交差点で事故に遭いこの世を去ってしまったのです。 突然の死で、彼女は塞ぎ込み今は居ない彼の家に電話をしようとして、ふと、もう居ない事に気づきダイヤルから指を止めたのです。 電話ボックスから出た彼女は雨に打たれながら交差点に差し掛かり、事故の悲しい出来事を想い出し立ちすくみました。 幻想でもいいからと彼氏の白い車を探そうとしますが、現実から逃避したく瞳を塞ぎました。 もう全て終わってしまったのに、どうしても彼の背中が目にこびり付いて追ってしまっているのです。 彼女は彼氏と過ごしたこの街に別れを告げ、一人ぼっちになっても前に進もうとしています。 なので、単純な失恋Songではないのです。

次の

徳永英明『レイニーブルー』歌詞の意味は古き良き昭和系失恋女子の優柔不断っぷりだ

徳永 英明 レイニー ブルー

天性の歌声を持つボーカリスト徳永英明とは? ひとたび聴けば彼の声だと誰もがすぐにわかるほど、徳永英明は他の人にはない天性の歌声を持っています。 長年ファンを魅了し続けている天才、徳永英明とはどのようなボーカリストなのでしょうか? 徳永英明のプロフィール 徳永英明は1961年2月27日に福岡県柳川市で生まれ、兵庫県伊丹市で育ちました。 1987年にリリースした4枚目のシングル『輝きながら…』がオリコンチャート4位になり、1990年にリリースした『夢を信じて』が年間ランキング1位を獲得する大ヒットとなっています。 高い歌唱力と唯一無二の歌声で、2005年には女性シンガーのみの楽曲をカバーした『VOCALIST』というアルバムが話題になりました。 翌年には『VOCALIST 2』をリリースし、第48回の日本レコード大賞にて企画賞を受賞しています。 コアなファンはもちろん、老若男女問わず愛されているトップボーカリストです。 1994年にファッション雑誌「ViVi」でモデルをしていた高野ゆみと結婚しており、2人の子どもがいます。 徳永英明がCDデビューするまで 徳永英明が音楽を志したきっかけは、中学3年生の頃に聴いた井上陽水の『氷の世界』という楽曲でした。 表現することに魅せられた徳永は、通っていた大阪の観光専門学校を中退した後19歳で上京しています。 彼の父親は保険会社の営業マンで、25歳までにデビューしなかった場合は自分と同じ職につくように言われていました。 音楽事務所の近くにあった飲食店でアルバイトをしながら、そこで繋がった音楽関係者にデモテープを渡していたそうです。 オーディションテレビ番組スタ誕こと「スター誕生!」に出演したこともありましたが、その時は特にスカウトされることもありませんでした。 彼の才能が見出されたのはTRFのSAMも受けていた、ロックミュージカルのオーディションです。 SAMと主演の座を競った結果、徳永が選ばれ1985年10月、10日間の公演に出演しています。 そのことが話題になり1986年、徳永が24歳10ヶ月の時にアルバム『Girl』とシングル『Rainy Blue』をリリースしメジャーデビューを果たしました。 徳永英明は病気で活動休止していた 徳永英明は2001年5月にもやもや病を患ったため、活動を休止しています。 もやもや病は脳底部の血管網が煙に似た状態になるところから由来している病名であり、脳血管の異常から失神・脱力発作を起こす病気です。 翌年の11月には復帰し、活動を再開しています。 2016年2月には、もやもや病が影響して発症しやすくなるといわれている脳梗塞予防の手術も受け、万全な態勢をとっているようです。 しかし同年7月には咽頭喉頭炎を患ってライブを一部延期し、2018年9月には脳梗塞を発症しています。 軽度だったため早期に退院しましたが、4か月後の12月には疲労による過換気症候群を起こしていたようです。 徳永英明の楽曲でおすすめ3選 徳永英明は自身で作曲をつとめ、歌詞も手掛けています。 彼の儚げでスモーキーな歌声は極上で、特にバラードに定評があるようです。 抜群の表現力で楽曲の世界観を彩る徳永英明の中でも、ファンが一押しする代表曲を厳選して3つ紹介します。 1997年11月1日に『Rainy Blue 〜1997 Track〜』として、再録音されたものも発売されています。 作詞は大木誠が、作曲は徳永英明本人が手掛けました。 1986年版の編曲は作曲家・音楽プロデューサーでもあり、KinKi Kidsの『全部だきしめて』や斉藤由貴の『卒業』の編曲もつとめている武部聡志が担当しています。 1997年版の編曲はアレンジャー・シンガーソングライターであり、かぐや姫の『なごり雪』や中島みゆきの『時代』も手掛けている瀬尾一三が担当しました。 〜 Official Video 作詞はちあきなおみの『Again』や西城秀樹の『一万光年の愛』を手掛ける大津あきらが、作曲はギタリストでありハイ・ファイ・セットの『浪漫鉄道』や中森明菜の『DESIRE-情熱-』なども手掛ける鈴木キサブローが担当しています。 この曲ははじめ『BIRDS』というアルバムの中に収録されていた楽曲で、リカットシングルとして1987年7月5日にリリースされました。 この曲が大ヒットしたことをきっかけに、徳永は当時大人気音楽番組だった「ザ・ベストテン」「歌のトップテン」の両方に出演しています。 フジカラーのCMソングに起用されており、さらにリリースから10年後には福岡県にある西鉄大牟田線という鉄道路線の、柳川到着時に車内に流れるチャイムとしても使用されました。

次の