ランボルギーニ イオタ。 ランボルギーニ・ミウラの歴史を振り返る!元祖スーパーカーのモデル変遷、イオタとレプリカの違いは?

ランボルギーニ イオタ (J 1969):オリジナル1台は焼失。伝説のスーパーカー

ランボルギーニ イオタ

夢を叶える、憧れを現実にする。 それは多くの場合、容易なことではない。 その高いハードルを実現させるために、さまざまな犠牲を払うこともあるだろう。 あくまでも個人的見解だが、夢や憧れを現実にできるかどうかの指針のひとつに「本気度」があるように思う。 それがモノであっても、職業であってもいい。 万難を排してでも現実のものとしたいのか?そこまでではないのか?その答えは自分の中で既に出ているはずだ。 これに「運」がプラスされて、初めて夢や憧れが現実に一歩近づくように思う。 例えば、宇宙飛行士になりたいとしよう。 本人にその素質と適正があったとしても、JAXA 宇宙航空研究開発機構 が募集していなければ、そのタイミングを待ち続けるしかない。 しかし、年齢を重ねていけばそれだけ体力は落ちるし、身体も衰えてくる。 憧れを現実にするには、運を味方につけることも大切な要素だ。 しかし、このスズキ・CARAのオーナーは、憧れを「自ら造り上げることで」現実にしてしまった人だ。 この個体がパーキングエリアに滑り込んできたとき、「何だあれは!? 」と、周囲が一斉にざわついた。 見た目は明らかに日本の軽自動車サイズなのに、佇まいはランボルギーニ・イオタSVRそのものだ。 その場に居合わせた誰もが目を丸くしたに違いない。 そんな騒ぎをよそに、ランボルギーニ・イオタSVR仕様のスズキ・CARA 実はオーナーに伺うまではマツダ・オートザムAZ-1だと思っていた が停車すると、あっという間に人だかりができた。 隣に停まっているのは、美しく磨き上げられたフェラーリ348だが、存在感では互角か、それ以上かもしれない。 さっそくオーナーに声を掛けてみた。 マツダ・オートザムAZ-1が発売されたのは1992年秋のことだ。 翌年の1993年より、OEM車としてスズキから「キャラ」という車名で発売されたのがこのモデルだ。 エンジンは、当時のスズキ・アルトワークスとほぼ同じで、排気量660ccの3気筒ツインカムターボを搭載。 軽自動車で駆動方式はミッドシップ、2シーター、さらにガルウイングを装備していたAZ-1は、まさに異色の存在だった。 このパッケージのクルマは、日本だからこそ実現できたモデルといえるだろう。 特にキャラは、生産台数が1000台にも満たないため、現在はもちろん、当時からレアなクルマとして、マニアの間では知られた存在だったのだ。 そんなキャラが、現在のようにランボルギーニ・イオタSVR仕様へと変貌を遂げるまでには、何らかのきっかけがあったはずだ。 その点をオーナーに伺ってみた。 「私は現在、56歳です。 スーパーカーブームを受けた世代の人たちより、少し上の世代になります。 実は、小学生のときに1歳年上の女の子に恋をしました。 男子なら誰もが憧れるような美人でしたね。 その子の苗字が「三浦」だったんです。 結局、この恋は叶うことなく終わりましたが、中学生のときにランボルギーニ・イオタSVRのベースとなるミウラの存在を知ったんです。 あっ、三浦さんと同じ名前のクルマだ!と 笑。 そこからですね。 ミウラに興味を持ったのは。 大人になってから、そのミウラの頂点に君臨するのはイオタSVRだということが知ったんですね」。 「ステージ1では、フロントカウルを中心にカスタムしました。 このカウルは、知り合いの板金工場に依頼して、マツダスピード製をベースにワンオフで作成してもらいました。 この仕様をベースにして、ステージ2へと進化していきます。 ここではフロントカウルを左右フェンダーと一体化させ、チルトカウルへとカスタム。 さらにリアカウルの幅を広げ、全長も伸ばしました。 そして現在はステージ3という位置付けです。 ヘッドライト位置を横に広げて、リアも一体化させ、チルトカウルにしました。 SSRのホイールを組み込み、念願だったディープリム化は、クルマのカスタマイズで知られるART OF WORK アートオブワーク にお願いしました。 ある旧車イベントでミウラSV用のテールランプを破格値で入手し、装着しました。 これは密かな自慢ですね」。 驚くことなかれ、このランボルギーニ・イオタSVR仕様は、大枚をはたいてカスタムショップに依頼して造らせたものではない。 一部を除き、その多くはオーナー自らが造り上げた「作品」なのだ。 絶妙なバランスで成り立っているボディワークも、オーナーの感覚値で生み出されたものだというから、もはや脱帽するしかない。 リアのルーバーも、一部の加工はプロに依頼しているが、12気筒エンジンをイメージさせるファンネル これはもちろんダミーだ をはじめとして、基本的にオーナーの自作だ。 もちろん、日本の法規に合致するように製作された「フル公認車」であることは言うまでもない。 「現在のステージ3の完成度は90%といったところでしょうか。 残りの10%は、フロントフェンダーとタイヤのすき間が大きいことが気になる点です。 しかしそこを煮詰めるとなると、フロントカウルを新たに造らなければなりません。 今の雰囲気が気に入っていますし、敢えてこのままでもいいかなと思っています」。 高速道路のパーキングエリアなどで本物のランボルギーニ ミウラに遭遇したときは、意図的に隣のスペースにこのキャラを停めて、オリジナルのディティールを観察させてもらうのだそうだ。 もちろん、ミウラのオーナーも興味津々でこのキャラをじっくり観察するのだという。 何とも微笑ましい光景だ。 もはや、ランボルギーニ社がイオタSVRのレプリカとして公認してもいいのではないか?とすら思えてくる完成度とオーナーの情熱が込められたこの個体だが、もし、同じ仕様を造ってくださいと依頼が来たらどうするのか尋ねてみた。 「これはあくまで趣味で造ったクルマです。 もし依頼が来ても断るでしょうね。 僕は決してプロではありませんから」 取材の合間にも、気さくなオーナーの周囲にはこのクルマの写真を撮らせて欲しいという、観光客の姿が後を絶たない。 日本人はもちろん、外国人の姿も多いが、1人1人丁寧に対応している姿が実に印象的だ。

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【動画】世界に一台、日本人オーナーの「ミウラ・イオタSVR」が米イベントに登場!ランボルギーニのデザイナーもそのサウンドに心奪われる

ランボルギーニ イオタ

ランボルギーニ イオタとは? イオタは、ランボルギーニの製品として正式なプロジェクトで開発された車ではなく、カタログにラインナップされた車でもありません。 当時ランボルギーニの開発メカニックであったボブ・ウォレスの指揮のもと、FIAの国際競技コードのJ条に則った実験車として、1969~70年における約11ヶ月という短期間で制作された一台でした。 社内では「ボブのおもちゃ」「ボブの車」と呼ばれていました。 その後、3万kmほどの走行実験後に売却されました。 上記のJ条からイオタ JOTA と命名されました。 見た目は、スーパーカーの「祖先」や「始まり」と言われている「ランボルギーニ ミウラ」によく似ています。 ミウラの最大の特徴と言ってもいい、ポップアップ式のヘッドライトではなく、固定式のヘッドライトが採用されました。 であるV12気筒エンジンは、ミウラと同じく横置きのレイアウトでした。 イオタ誕生の秘話! イオタの誕生には、諸説あります。 ひとつは、ボブがミウラのテスト走行中に事故にて全損してしまったそのミウラをベースとして製作したという説です。 もうひとつは、最初からJ条に則った実験車の制作のために一から製作という説です。 前者の方がドラマチックで、伝説の始まりを予感させるストーリーではありますが、後にボブが確かに事故はあったが、それは他の車 350GT であり、ミウラではなかったと語っています。 オリジナル イオタの 製造 No. は、イオタと命名され出荷される際に付けられています。 またイオタのシャシーはミウラのそれとは異なりオリジナルですので、事故とは全く関係のないものです。 イオタの名称 イオタの名称には何種類かあります。 イオタの正式名称は「ランボルギーニ ミウラ コンペティシオーネト」です。 ですが一般的には「ミウラ・イオタ」もしくは「ミウラSVJ」という言い方の方が通っています。 SVJとは、ミウラのオーナーがイオタに改造して欲しいという要望に応えるために付けられた名前です。 イオタに改造するには最終型であるSVにアップデートし、SVをベースにしてJOTAに改造することからミウラSVJと呼ばれます。 ランボルギーニ ミウラSVに関連するおすすめ記事はこちら 「イオタ」復活の噂についてはこちら 幻の一台!それが本物のイオタ クローン イオタ オリジナル イオタもしくはリアル・イオタと呼べるのは、ボブが最初に製作した最初の1台のみです。 (写真はオリジナル イオタを再現したクローン イオタです。 「 ミウラ コンペティシオーネト」と呼べるのこの1台だけです。 ミウラのように見えるボディですが、ミウラと共通した部品はルーフだけであり、他のボディ部品は全てイオタのためにワンオフで製作された特別なものでした。 内装もミウラのそれとは全く異なるデザインが採用されました。 製品ではなく、あくまでもレースカテゴリーに合致した車ですから豪華さではなく、軽さを優先してデザインされました。 余計なものは何もなく、走りに徹するためのコクピットに仕上がっています。 オリジナル イオタのスペック エンジン種類 V型12気筒 排気量 4. 0L 圧縮比 11. 全長 全幅 全高 4,390 1,780 1,000 車両重量 乗車定員 2,505 900 2 [単位]全長・全幅・全高・ホイールベース:mm 車両重量:kg 乗車定員:人 イオタ消失! オリジナル イオタは既に存在しません。 1971年4月28日、当時のオーナーであったインテルアウトというディーラーを経営していたエリンコ・パゾリーは、助手席に同ディーラーのジョパンニ・ペデリネリを乗せ、テスト走行に出かけました。 クラッシュが原因で出火し全焼、オリジナル イオタは無残な姿になってしまう結果となってしまいましたが、奇跡的に両名とも一命をとりとめました。 生き残ったイオタオリジナル エンジンの行方 V型12気筒エンジン(ランボルギーニ ミウラ) オリジナル イオタの残骸はが回収しました。 回収といっても有料でその全てを引き取るという形であり、事故の詳細は一切発表されていません。 無残に散ったオリジナルイオタの残骸がその後どうなったかは不明です。 しかし、エンジンブロックは生き残り、再生可能な状態でした。 ミウラへの搭載 オリジナル イオタが消失したその日にオーダーされた1台のミウラSVがありました。 その時点ではまさか伝説を引き継ぐ1台にあるとはオーナーは知る由もなかったことでしょう。 そのミウラ No. 4878 には、によって回収・購入されたオリジナル イオタの残骸から取り出された心臓部、すなわちエンジンが移植されたのです。 ボブ自身がエンジンのみ再利用したことを証言しているので間違いのない事実でしょう。 ランボルギーニ イオタの価格 当時 ミウラの新車が800万リラで、SVJが1300万リラでした。 現在、ミウラSVは1億円以上しますので、SVJは更に高い値がつくのは明らかです。 イオタが売りに出ることがほとんどありません。 数年前に日本でSVRが売りに出ましたが、価格はASKとなっており時価でした。 2015年のRMオークションでは約190万ドル 2億1500万円 で落札されていますので、この価格がひとつの基準になります。 ミウラの価格が毎年上がっていますので、SVJの価格は確実にそれ以上ということにあるのは間違いでしょう。 ランボルギーニ イオタのレプリカたち ランボルギーニが認定しているイオタは9台のみ! がイオタに改造した車のみを正式なイオタとしてカウントするのであれば、現在明確に認定されているイオタは9台です。 イオタの中にはランボルギーニ以外で改造された車も多く、それらはイオタとは認定されません。 その台数も含むとなると一体何台になるのかはつかめていません。 この正式な台数は、10年程前までは6台だと言われていましたが、その数は徐々に数が増えてきています。 今後もランボルギーニで改造された記録があるミウラが発掘されるかもしれません。 ランボルギーニ イオタSVR No. 3781 日本に存在するイオタSVRです。 ミウラSをベースとしていて、ドイツ人からの依頼でに持ち込まれイオタに生まれ変わりました。 当時、西ドイツでランボルギーニのディーラーであったフーベルト・ハーネが依頼したと語り継がれていましたが、それは本人が否定しています。 日本でイオタと言えばこのSVRのことであり、SVJはレプリカと思われていた時代もありました。 ランボルギーニ イオタSVJ No. 4088 1981年にのオーナーになったパトリック・ミムラン自身が持ち込んだミウラSがベースのイオタSVJです。 オーナーのイオタであったため、ランボルギーニに広報写真にイオタとして使用されていたことで有名なイオタです。 ランボルギーニ イオタ SVJ スパイダーモデル No. 4808 1971年のジェネーブショーで、ミウラSとして出品された車そのものです。 このSVJは唯一のスパイダーモデルで、が製作しています。 見た目はスパイダーには見えず、手動でハードトップを取り外すことができます。 ランボルギーニ イオタ SVJ No. 4860 ドイツでのディーラーだったフーベルト・ハーネが持ち込んだミウラSVがベースのSVJです。 SVJ1号車と呼ばれている車でもあります。 ランボルギーニ イオタ SVJ No. 4934 イランのパーレビ国王が依頼したミウラSVがベースとなったSVJです。 1997年にハリウッドスターのニコラス・ケイジが所有していたことからニコラス車として有名でした。 現在はその手を離れています。 ランボルギーニ イオタ SVJ No. 4990 フェルッチオ・の旧友で、ハイチで高級ホテルの経営者アルベルト・シルベラが依頼したSVJです。 ミウラSVをベースにしています。 ランボルギーニ イオタ SVJ No. 5084 長い間、オリジナル イオタと言われていたシャシーナンバー。 イタリア人のオーナーによって依頼されたSVJです。 ランボルギーニ イオタ SVJ No. 5090 フェルッチオ・の友人であるフランス人から依頼された新車から製作されたSVJです。 他のSVJとは異なり動力性能も向上されており、ドライサンプのエンジンを搭載されていると言われています。 ランボルギーニ イオタ SVJ No. 5110 最後のイオタと言われているSVJです。 は、テスト中にクラッシュしたNo. 4956 SV を弁償し、代わりにNo. 5110を納車しました。 現在、No. 4956は No. 5100と同じ場所にあり再生中です。 他のイオタとは明らかに異なるオーラを発するSVRは、日本に存在します。 SVRという表記はに正式に記録されている名称であり、世界に1台しかない特別なイオタなのです。 エンジン種類 V型12気筒D 排気量 4. 誰もがSVRこそがイオタであり、イオタはSVRだと信じ込んでいました。 しかしSVRはレプリカの1台でした。 それでもSVJにはない目立った特徴があり、やはり特別なイオタとして君臨しています。 SVRの4つの特徴 そのSVRの大きな特徴は4つあります。 これはイオタへの改造を依頼時に依頼主から持ち込まれたメッシュで極太なBBSホイールを収めるために特別に作られた部分であり、SVJにはないデザインです。 これもSVJにはないSVRだけの装備で角度調整が可能です。 フロントタイヤのアーチまで伸びたそのデザインは独特で、カナードを兼ねているようなデザインです。 SVJのシートはミウラに準ずるものですが、SVR には5点式シートベルトを装備した専用バケットシートが奢られています。 クローン ランボルギーニ イオタ それはの創立40周年記念、ランボルギーニの本社で開催されたイベントにて現れたのです。 オリジナル イオタが、現代にタイムスリップしてきたのではないかと思わせるその姿に誰もが驚いたその車こそが No. 3033のイオタ、通称クローン イオタです。 ここまでオリジナルにそっくりなイオタですが、ランボルギーニが製作した正規のイオタではないことに人々は改めて驚くことになりました。 それはイギリスで制作された! イギリスの田舎町にある「ザ・カー・ワークス」で製作されました。 クローン イオタの製作には、11年の歳月と25万ポンド以上の資金がつぎ込まれました。 残されたオリジナル イオタの写真と一部の設計図を元にオリジナルを忠実に再現したのがクローン イオタです。 よって、ミウラから流用した部品はオリジナル イオタと同様、ルーフだけなのです。 あのボブ・ウォレスも関与 エンジンなどメカニカルな部分は、アメリカのアリゾナ州フェニックスにある「ボブ・ウォレス・カーズ」、あのボブ・ウォレスが担当しました。 オリジナル イオタを作成した本人によって、再び組まれたエンジンは正にクローンと言えるでしょう。 ランボルギーニ イオタとは何なのか? イオタはなぜこんなに神秘的なのでしょうか? まだ、世の中に認知されていないミウラSVJは、何台かありそうです。 クローン イオタのようにランボルギーニ製出なくてもイオタSVJ以上のクオリティを持った個体もあるかもしれません。 既に存在が明らかになっている個体であっても、その素性が明確でないイオタはやっぱりミステリアスです。 これからもランボルギーニファンに限らず、車好きなら目が離せない車、それがイオタではないでしょうか? ランボルギーニの新型車に関連するおすすめ記事はこちら ランボルギーニに関連するおすすめ記事はこちら.

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【スーパーカー年代記 109】アヴェンタドール SVJはイオタの頭文字「J」を受け継ぐ最強&最速ランボルギーニ

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ディアブロ スーパーカーのDNAをもつスポーツカー 名車カウンタックの後継モデルとして1990(H2)年に誕生したディアブロ。 跳ね上げ式のドアやV12ミッドシップなどランボルギーニの旗艦モデルらしく君臨したが、初期モデルのスタイルは当時の親会社クライスラー社の意向によってかなりマイルドになっていた。 初期モデルには5. 7Lの492psエンジンを搭載。 その後1993(H5)年に4WDモデルのVT、同年525psの限定車SE30、さらに1995(H7)年にはVTのオープンモデルを追加。 そして1996(H8)年には5. 7Lながら500ps以上を発生するシリーズ最大のヒット作SVへと進化した。 1999(H11)年には80台限定の575psの6L搭載のGTをリリースし、2000(H12)年には6Lをシリーズ化した550ps+4WDの最終モデル6. 0へと至った。 ちなみにランボルギーニがアウディ傘下となったのは1998(H10)年のことだった。 (1998. 11).

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