トスカーナ 美濃 加茂。 美濃国

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トスカーナ 美濃 加茂

岐阜県加茂郡の位置(1. 坂祝町 2. 富加町 3. 川辺町 4. 七宗町 5. 八百津町 6. 白川町 7. 東白川村 薄黄:後に他郡に編入された区域 薄緑:後に他郡から編入した区域) 加茂郡(かもぐん)は、()の。 46,597人、615. (2020年5月1日、) 以下の6町1村を含む。 (さかほぎちょう)• (とみかちょう)• (かわべちょう)• (ひちそうちょう)• (やおつちょう)• (しらかわちょう)• (ひがししらかわむら) かねて加茂郡全体で同じ生活圏のに編入する構想があり、に美濃加茂市と加茂郡の6町1村が「美濃加茂市・加茂郡町村合併協議会」を設置した。 しかし、 に合併の賛否を問う住民投票が行われた際に美濃加茂市がこれを否決したため、同年末に合併協議会が解散して構想は破綻した。 郡域 (12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、以下の区域にあたる。 の一部(東田原・西田原・小迫間・迫間・迫間台・稲口・大杉・肥田瀬・鋳物師屋・市平賀・平賀町・東新町・東出町・南出 )• の一部(飯地町・笠置町河合)• の全域• の一部(金山町田島)• 坂祝町・富加町・川辺町・東白川村の全域• 七宗町の一部(中麻生・川並)• 八百津町の大部分(伊岐津志・錦織を除く)• 白川町の大部分(坂ノ東を除く) 歴史 近世以降の沿革• 「」に記載されている初年時点での支配は以下の通り。 は美濃郡代が管轄。 () - 幕府領・旗本領が の管轄となる。 (1868年) - 笠松裁判所の管轄地域が の管轄となる。 明治初年 - 領地替えにより名古屋藩領の一部(大杉村)が笠松県の管轄となる。 明治4年• () - により、藩領が 、 、 となる。 () - 第1次府県統合により、全域が の管轄となる。 (1872年) - 峯村・下立村が合併して南戸村となる。 (115村)• 明治5年() - 中之番村・金屋村・瑞畑村・野地原村・南坂村・西洞村・本地村・佐口村が合併して山之上村となる。 (108村)• 明治7年()9月 (102村)• 上牧野村・下牧野村が合併して牧野村となる。 栃井村がを境に分割して西栃井村・東栃井村となる。 若松村・広野村が合併し、改めて広野村となる。 田代山寺村・和泉村が合併し、改めて和泉村となる。 徳田村・成山村・久田島村・室原村が合併して下佐見村となる。 中屋村・須崎村が合併して中川村となる。 明治8年()• 1月 - 以下の各村の統合が行われる。 (90村)• 5月 - 犬地村・上田村が合併して三川村となる。 (89村)• 6月 - 絹丸村・川小牧村が加治田村に合併。 (87村)• 明治12年() - の岐阜県での施行により、行政区画としての 加茂郡が発足。 郡役所が太田村に設置。 町村制以降の沿革• 明治22年() - の施行により、 ( 現存)、 (現・美濃加茂市)、 (現・白川町)、 ( 現存)、 、 、 (現・白川町)、 、 、 (現・八百津町)、 、 (現・恵那市)、 (現・八百津町)、 (現・七宗町、八百津町)、 (現・美濃加茂市、八百津町)、 (現・川辺町)、 (現・美濃加茂市)、 (現・川辺町、七宗町)、 (現・川辺町)、 、 (現・美濃加茂市)、 (現・川辺町)、 (現・美濃加茂市)、 、 、 、 、 、 (現・富加町)、 、 、 (現・関市)、 (現・富加町)、 、 、 、 、 、 (現・関市)、 、 、 、 、 、 、 (現・坂祝町)、 、 、 、 、 、 、 、 、 (現・美濃加茂市)が発足。 それにともない以下の変更が行われる。 (2町53村)• 細目村が町制施行・改称して八百津町となる。 太田村が町制施行して太田町となる。 野上村・牧野村・上飯田村が和知村に合併。 明治26年() - 麻川村が分割し、一部(上川辺)に が、残部(下麻生)に がそれぞれ発足。 (2町54村)• 明治28年() - 加治田村の一部(旧・川小牧村 )が大平賀村に編入。 明治29年() - 下麻生村が町制施行して となる。 (3町53村)• 明治30年() - 以下の町村の統合が行われる。 (4町23村)• 河合村がの一部となる。 明治30年(1897年) - を施行。 2年()7月1日 - 大平賀村の一部(旧・川小牧村)が加治田村に編入。 大正12年()4月1日 - 郡会が廃止。 郡役所は存続。 大正13年() - 古井村が町制施行して となる。 (5町22村)• 大正15年()7月1日 - 郡役所が廃止。 以降は地域区分名称となる。 23年()• 4月1日 - 飯地村の所属郡が恵那郡に変更。 (5町21村)• - 田原村の一部(稲口のうち小字三飛を除く区域)が武儀郡に編入。 昭和24年() - 富岡村の一部(大平賀)が富田村に、残部(市平賀・鋳物師屋・肥田瀬)が武儀郡関町にそれぞれ編入。 (5町20村)• 昭和25年()• - 坂祝村の一部(深田)が太田町に編入。 - 田原村が武儀郡関町に編入。 関町が即日市制施行してとなり、郡より離脱。 (5町19村)• 昭和27年() - 武儀郡 の所属郡が本郡に変更。 (5町20村)• 昭和28年()• 4月1日 - 西白川村が町制施行・改称して となる。 (6町19村)• - 久田見村の一部(川並)が上麻生村に編入。 昭和29年()• 4月1日 (4町13村)• 武儀郡坂ノ東村が白川町に編入。 太田町・古井町・山之上村・蜂屋村・加茂野村・伊深村・下米田村および三和村の一部(廿屋・川浦)・和知村の一部(牧野)が合併して が発足し、郡より離脱。 三和村の残部(鹿塩)が川辺町に編入。 7月1日 - 富田村・加治田村が合併して が発足。 (4町12村)• 昭和30年()• - 和知村が八百津町に編入。 (4町11村)• - 八百津町がと合併し、改めて 八百津町が発足。 - 上麻生村が武儀郡と合併して が発足。 4月1日• 川辺町・上米田村が合併し、改めて 川辺町が発足。 (4町10村)• 白川町の一部(白山のうち田島)がに編入。 昭和31年() (3町4村)• 下麻生町の一部(下麻生)が川辺町に、残部(上麻生)が七宗村にそれぞれ編入。 白川町・蘇原村・佐見村・黒川村が合併し、改めて 白川町が発足。 潮南村・福地村・久田見村が八百津町に編入。 昭和43年()10月1日 - 坂祝村が町制施行して となる。 (4町3村)• 昭和46年()4月1日 - 七宗村が町制施行して となる。 (5町2村)• 昭和49年()7月1日 - 富加村が町制施行して となる。 歴代郡長 代 氏名 就任年月日 退任年月日 備考 1 明治12年(1879年)2月18日 大正15年(1926年)6月30日 郡役所廃止により、廃官 脚注.

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お近くのスポット• 加茂学園• ワンダーランド• 東濃信用金庫美濃加茂支店 認可保育所,認定こども園,幼稚園について 保育所とは 乳児(生後57日目以降)から小学校就学前までのお子さんを,お仕事などで,日中,保育することができない保護者のかわりに保育し,家庭との緊密な連携のもと,お子さんの状況や発達過程を踏まえて,基本的生活習慣や思いやりの心,社会性などを身につけるとともに,お子さんが安心して生活ができるよう,子育てのお手伝いをするところです。 幼稚園とは 満3歳から小学校就学前までの子どもが集団生活での体験や,遊びを通して社会生活をする上でのルールや道徳性など,生涯にわたる人格形成の基礎を培う幼児教育を行うところです。 認定こども園とは 保育所と幼稚園の両方の機能をあわせ持つ施設で,満3歳以上の子どもは,保護者が働いている・いないに関わらず利用でき,入園した後に就労状況が変化した場合でも,引き続き通いなれた園を利用することができます。 また,認定こども園は子育て支援の場として,子育て相談や親子の交流の場を設けており,入園していない子どものいるご家庭も利用することができます。 保育施設について 保育園は、保護者が働いているなどの何らかの理由によって保育を必要とする児童を預り、保育することを目的とする通所の施設。 日本では、児童福祉法第7条に規定される「児童福祉施設」となっている。 本項では、日本の保育所について解説する。 地域によっては、公立を保育所・私立を保育園という形式で分けるところや、施設面積が広いところを保育園・狭いところを保育所とするところもある 『ウィキペディア(Wikipedia)』より.

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美濃国

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「美濃」の名称 [ ] 美濃国を指すは多く見つかっているが、・・跡など7世紀の木簡はみな「 三野国」と記す。 青野(現・青野)、大野(現・)、各務野(現・)という3つの「野」に由来するという説がある。 そして8世紀初頭の2年戸籍()や同3年()の藤原宮跡木簡に「 御野国」という表記が出てくる。 そして『古事記』には三野と美濃国の両様の表記がある。 美濃の表記は8世紀にやや遅れて登場したようである。 別に、平城宮から出土した木簡には「 美野国」と表記されたものもある。 藤原忠通書状案(天理図書館所蔵文書)には「御庄々、武義( 美乃国)、山上(美乃国)、吉田(美乃国)、保元々年七月」と記載されている。 『』(神事諸家封戸元年牒)にも、「美乃国」とある。 は著書『地名考』で、美濃、耳納、三納など、ミノと読む地名を挙げ、これらは一方が山地で、わずかな高低のあることを意味した地名であるとし、美濃郡、の美濃県 みぬのあがた などを例示した。 当国に美濃郷があり、この本巣郡は両岸を占める山地丘陵地帯で、の本拠とされている。 沿革 [ ] 美濃国は『』によれば、もともと、、の三国、『』によれば、この二国にとを加えた五ヵ国であったとされる。 それぞれの国にはが設置され、また、、の三県にが設置された。 後にこれらの国々と県を統合した結果、美濃国がに成立した。 成立時の範囲は、現在のの南部地域()との南西部地域の一部の()にほぼ相当した。 南隣のとの境はであったが、当時の流路は現在より北で、現在の下流を通っていた。 元年 、席田君邇近(むしろだのきみにこん)と新羅人74家のひとびとを美濃の国に移住させて、席田郡がつくられた(『』)。 大宝2年 702年 の美濃国加茂郡半布(はにゅう)里(現在の羽生)に古い渡来系氏族である秦人・秦人部の姓をもつ人々が多くみられる(『日本書紀』6年10月条)。 に関してはしばしば美濃国と信濃国の間で領有権が争われたが、年中(~)に朝廷は藤原朝臣正範や靭負直継雄らを派遣して国境を鳥居峠とした。 その後平安末期までに木曽はという認識がされ始めており平家物語などは信濃国木曽と記述するようになる。 鎌倉時代には大吉祖荘は信濃、小木曽荘は美濃と書かれる傾向にあった。 室町時代中頃まで美濃国木曾荘という記述が見られる。 美濃国であった全域がになった時期について、のがのの古文書のの中から年代が分かる5点で、には、美濃州恵那郡木曽庄とあるが、には、信濃州木曽荘と書かれていたので木曽が美濃国恵那郡から信濃国へ移ったのはからの間と結論付けた。 14年()に木曽川が氾濫して流路をほぼ現在のものに変えたことをうけて、変更された木曽川の北岸と中洲を尾張国から美濃国に移した。 現在の地図にあてはめると、北岸は岐阜県のうち境川と木曽川にはさまれた一帯、中洲は川島にあたる。 該当するのは、(旧の一部等)、(旧の一部、旧)と、のほぼ全域(、)、のほぼ全域、(旧、の大部分)である。 美濃国は愛知県の一部と祖父江町の一部を含む。 また郡上市の一部(旧)は美濃国ではない。 これらは岐阜県の成立後に行われた隣接県との境界変更において、所属する県が移ったものである。 また、長野県の神坂村も昭和20年代から昭和30年代の期にへの合併で問題となった。 結局、(33年)に大部分が分割されて中津川市に編入され、地区のみが長野県に残ってと合併した。 の際にも、山口村の中津川市への編入が問題となり、という観光地を失うことになる長野県から強い反対があったが、元々山口村は、日本海側であるとの繋がりが浅いため、(17年)に長野県から離脱し、岐阜県中津川市へ編入された。 これは平成の大合併における唯一のであった。 近世以降の沿革 [ ]• 「」に記載されている初年時点での国内の支配は以下の通り(1,561村・654,872石余)。 太字は当該郡内にが所在。 国名のあるものは領。 (57村・41,543石余) - (・大垣藩)、、 、、• (41村・20,532石余) - 幕府領(美濃郡代)、旗本領、尾張名古屋藩、高富藩• (63村・21,375石余) - 幕府領(美濃郡代)、旗本領、尾張名古屋藩、陸奥磐城平藩• (32村・14,565石余) - 幕府領(美濃郡代・名古屋藩毛利源内預地)、旗本領、尾張名古屋藩、尾張• (25村・11,750石余) - 幕府領(美濃郡代)、旗本領、高須藩• (77村・26,373石余) - 幕府領(美濃郡代・大垣藩預地)、旗本領、 、大垣藩、尾張名古屋藩、今尾藩• (61村・34,408石余) - 幕府領(美濃郡代・大垣藩預地)、大垣藩、今尾藩、尾張名古屋藩、尾張犬山藩、高須藩• (45村・37,212石余) - 幕府領(大垣藩預地)、旗本領、大垣藩、尾張名古屋藩• (152村・81,850石余) - 幕府領(美濃郡代・大垣藩預地)、旗本領、 、尾張名古屋藩、 、尾張犬山藩、岩村藩• (67村・18,973石余) - 幕府領(大垣藩預地)、旗本領、大垣藩、尾張名古屋藩、• (122村・50,037石余) - 幕府領(大垣藩預地)、旗本領、大垣藩、 、尾張名古屋藩、岩村藩• (71村・35,899石余) - 幕府領(美濃郡代・大垣藩預地)、旗本領、大垣藩、陸奥磐城平藩、尾張名古屋藩• (9村・5,726石余) - 幕府領(美濃郡代・大垣藩預地)、旗本領• (54村・33,795石余) - 幕府領(美濃郡代・大垣藩預地)、旗本領、陸奥磐城平藩、高富藩、尾張名古屋藩、大垣藩• (50村・26,330石余) - 幕府領(美濃郡代)、旗本領、岩村藩、尾張名古屋藩、• (135村・33,827石余) - 幕府領(美濃郡代)、旗本領、尾張名古屋藩、岩村藩、今尾藩• (164村・30,274石余) - 幕府領(美濃郡代)、旗本領、• (116村・42,818石余) - 幕府領(美濃郡代)、旗本領、尾張名古屋藩、苗木藩、今尾藩• (95村・32,444石余) - 幕府領(美濃郡代)、旗本領、尾張名古屋藩• (44村・19,895石余) - 幕府領(美濃郡代)、旗本領、尾張名古屋藩、岩村藩• (81村・35,233石余) - 幕府領(美濃郡代)、旗本領、 、 、尾張名古屋藩 国内の施設 [ ] 国府 [ ] は(現:府中)にあった。 様々な遺構や遺物が発掘され「美濃国府跡」として国の史跡となっている。 国分寺・国分尼寺 [ ] 上記の国府に近い青野ヶ原(現:大垣市)に建立された。 現在の美濃国分寺は江戸時代初期の再興。 国分寺の南西約1km(現:垂井町平尾)に建立されたとされており、平成16年から発掘調査が行われ尼寺建物の基壇の一部が見つかっている。 神社 [ ] 『』には、以下に示す大社1座1社・小社38座37社の計39座38社が記載されている(参照)。 大社1社はである。 多伎神社 (現 、)• (上石津町)• (養老郡養老町)• (養老郡養老町)• 仲山金山彦神社 (現 、不破郡) -。 (不破郡垂井町)• (不破郡垂井町)• 宇波刀神社 - (安八郡)または (安八郡)に比定。 (安八郡)• (大垣市墨俣町)• 荒方神社 - (大垣市墨俣町)または (大垣市墨俣町)に比定。 花長神社 - 花長神社 (現 、谷汲)または (根尾)に比定。 (揖斐郡揖斐川町谷汲)• 來振神社 (現 、揖斐郡)• 方縣津神社 - (曽我屋)、 (岐阜市八代)または (岐阜市佐野)に比定。 (岐阜市)• 比奈守神社 - (岐阜市)または (岐阜市)に比定。 (岐阜市)• 物部神社 - に合祀。 (岐阜市)• (各務原市)• 村國神社二座 (現 、各務原市)• 村國真墨田神社 (現 、各務原市)• (各務原市)• (加茂郡)• 大山神社 - (加茂郡)または (加茂郡白川町)に比定。 (加茂郡富加町)• 太部神社 - (加茂郡)または (加茂郡川辺町)に比定。 (加茂郡川辺町)• (加茂郡)• 中山神社 - (美濃加茂市)または (美濃加茂市)に比定。 坂本神社 - ()または (中津川市)に比定。 (中津川市)• 惠奈神社 (現 、中津川市) ・以下• 総社:不詳• の位置にあったとされる。 (不破郡垂井町)• 一宮:• (不破郡垂井町)• 二宮:• (不破郡垂井町)• (不破郡垂井町)• 三宮:• (養老郡養老町)• (岐阜市) 関所 [ ]• (不破郡関ケ原町) 地域 [ ] 郡 [ ]• -富上郷、物部郷、垂穂郷、立野郷、有田郷、田後郷、佐伯郷、建部郷• -桜樹郷、山埼郷、大庭郷、建部郷• -三桑郷、野上郷、高家郷、藍川郷、新居郷、袁佐郷、栗原郷、荒埼郷、眞野郷、山本郷、有寶郷、文部郷、駅家郷• -那珂郷、太田郷、物部郷、安八郷、服織郷、長友郷• -額田郷、壬生郷、小島郷、伊福郷、春日郷、池田郷• -大神郷、明見郷、三桑郷、上秋郷、下秋郷、郡家郷、志麻郷、太田郷、石太郷、栗田郷、七埼郷、駅家郷• -鹿立郷、遠市郷、安堵郷、美濃郷、穂積郷、物部郷、船木郷、栗田郷• -美和郷、磯部郷、那珂郷、名太郷• -村部郷、大唐郷、鵜飼郷、方縣郷、思淡郷、駅家郷• -市俣郷、川邊郷、厚見郷、郡家郷、三家郷、皆太郷• -村国郷、各務郷、那加郷、芥見郷、三井郷、大榛郷、駅家郷• -出石郷、大神郷、片野郷、三田郷、大桑郷、餘部郷• -御佩郷、跡部郷、生櫛郷、有知郷、白金郷、大山郷、稲杇郷、菅田郷、揖可郷• -郡上郷、安郡郷、和良郷、栗栖郷• -埴生郷、生部郷、井門郷、小山郷、曰理郷、神田郷、中家郷、川邊郷、志麻郷、駅家郷• -可兒郷、郡家郷、曰理郷、大井郷、矢集郷、池田郷、駅家郷• -日吉郷、楢原郷、異味郷、土岐郷、餘部郷、駅家郷• -淡気郷、阿岐郷、竹折郷、坂本郷、絵下郷、絵上郷 以下三郡は、により移管された。 江戸時代の藩 [ ] 美濃国の藩の一覧 藩名 居城 藩主• :5万石、1601年 - 1616年(豊後日田藩6万石に移封)• :2万石、1616年 - 1624年(信濃5万石に移封)• :5万石、1624年 - 1633年(播磨5万3千石に移封)• :6万石、1633年 - 1635年(伊勢11万3千石 に移封)• :10万石、1635年 - 1871年(廃藩置県) 大垣藩支藩 畑村陣屋• :1万石、1688年 - 1871年(廃藩置県)• :5万石、1692年 - 1697年(4万7千石に移封)• :3万8千石、1697年 - 1758年(等のため改易)• :4万8千石、1758年 - 1871年(廃藩置県)• :10万石、1601年 - 1632年(無嗣断絶)• :5万石、1632年 - 1639年(播磨7万石に移封)• :7万石、1639年 - 1711年(山城6万石に移封)• :3万2千石、1711年 - 1871年(廃藩置県)• :2万石、1601年 - 1638年(遠州3万5千石に移封)• :2万石、1638年 - 1702年(越後1万石に移封)• :1万石、1600年 - 1871年(廃藩置県) 高富陣屋• :1万石、1709年 - 1871年(廃藩置県)• :2万石、1600年 - 1610年(伯耆2万3千石に移封)• 徳永家:5万石、1600年 - 1628年(不始末改易)• :2万2千石 1640年 - 1691年(越前勝山藩2万2千石に転封)• (尾張藩支藩):3万石、1700年 - 1870年(本藩に吸収)• :4万石、1600年 - 1610年(伯耆6万石に移封)• :2万5千石、1600年 - 1601年(遠州5万石に移封)• :1万2千石、1681年 - 1684年(江戸城内でを刺殺後、自らも殺害される) 関陣屋• :1万8千石、1600年 - 1604年(没後子孫に領地を分配し、それぞれ旗本に) 清水城• :1万2千石、1600年 - 1607年(素行不良のため改易) 岩滝陣屋• :1万石、1705年 - 1709年(高富藩に移転) 徳野陣屋• 平岡家:1万石、1604年 - 1653年(家督争いを咎められ改易)• :1万石、1600年 - 1631年(無嗣断絶)• :1万石、1617年 - 1635年頃(分知のため旗本に)• :1万石、1615年 - 1632年(不始末改易) 人物 [ ] 国司 [ ] この節のが望まれています。 美濃守 [ ]• は3年()7月から4年()10月まで14年間にわたって美濃守を務め、美濃と信濃をつなぐ「岐蘇山道」(きそのやまみち)(「吉蘇路」)を開削した。 (従五位下):8年()任官• (従四位下):天平宝字8年(764年)任官• (従五位下):25年()任官• (従五位上):2年()任官• (従四位下):大同3年()任官• (従五位下):大同3年(808年)任官• (従四位下):大同3年(808年)任官• (従四位下):大同3年(808年)任官• (従四位下):大同3年(808年)任官• (従四位下):大同5年()任官• (従五位下):3年()任官• (従四位下):弘仁9年()任官(権守)• (従三位):3年()任官• (従四位下):5年()任官• (従四位下):承和7年()任官• (従五位上):承和8年()任官• (従四位上):承和9年()任官• (従五位下):承和13年()任官• (従五位上):承和15年()任官• (従四位下):2年()任官• (従五位上):嘉祥2年(849年)任官• (従五位上):3年()任官• (従五位下):3年()任官• (従五位下):元年()任官• (正五位下):2年()任官• (従五位上):貞観2年(860年)任官• (従五位下):貞観4年()任官• (従五位上):貞観7年()任官(権守)• (従五位上):貞観8年()任官• (従四位下):貞観10年()任官• (従五位上):貞観10年(868年)任官(権守)• (従四位上):貞観10年(868年)任官(権守)• (従四位上):貞観12年()任官(権守)• (従五位上):貞観14年()任官• (従五位下):貞観16年()任官(権守)• (従四位上):貞観18年()任官• (従五位上):貞観18年(876年)任官(権守)• (従四位上):4年()任官(権守)• (正四位下):元慶5年()任官(権守)• (正四位上):元慶6年()任官• (従四位上):元慶9年()任官• (従四位下):3年()任官(権守)• (従四位下):仁和3年(887年)任官(権守)• (従三位):仁和5年()任官• (正五位下):4年()任官(権守)• (従四位上):寛平9年()任官(権守)• (従四位上):2年()任官(権守)• :5年()任官• (従四位上):延喜10年()任官• (従四位下):延喜13年()任官(権守)• (従四位下):延喜14年()任官• (従四位下):延喜14年(914年)任官• (従五位上):延喜17年()任官(権守)• (従四位上):延喜17年(917年)任官(権守)• (従五位上):延喜22年()任官(権守)• (従三位):2年()任官• (正四位下):承平4年()任官• (従五位上):承平4年(934年)任官(権守)• (従四位下):3年()任官• (従四位下):天慶5年()任官(権守)• (正四位下):天慶10年()任官• :4年()任官(権守)• :天暦6年()任官• (従四位上):天暦6年(952年)任官(権守)• (従四位上):9年()任官(権守)• (従四位下):天徳2年()任官(権守)• :天徳4年()任官• (従四位下):3年()任官(権守)• (従四位下):4年()任官(権守)• :康保5年()任官• (従五位上):2年()任官(権守)• (従五位上):3年()任官• (従五位上):天禄4年()任官(権守)• (正五位下):3年()任官(権守)• (従四位上):2年()任官(権守)• :元年()在任• (正三位):永延2年()任官(権守)• (正四位下):3年()任官(権守)• (正四位上):正暦4年()離任• :正暦4年(993年)任官• (正四位下):正暦5年()任官(権守)• :3年()任官• :3年()任官• :5年()任官• (従三位):寛弘6年()任官(権守)• :寛弘8年()在任• :4年()任官• :長和5年()任官• (従五位下):5年()任官• :元年()任官• (従四位下):2年()任官• (従四位下):万寿4年()任官• (従四位下):5年()任官• (従五位下):長元8年()任官(権守)• :長元9年()任官• :4年()任官• (従五位上):2年()任官(権守)• :3年()任官• :7年()在任• :5年()在任• :4年()在任• (正四位下):3年()在任 美濃介 [ ]• :18年()任官• :3年()任官• :2年()任官(権介)• :3年()任官(権介) 守護 [ ] 鎌倉幕府 [ ]• 1187年~1211年 -• ?~1221年 - ?• 1252年~? -• 1285年~? - 北条氏• 1296年~1300年 -• ?~1333年 - ? 室町幕府 [ ]• 1336年~1339年 -• 1339年~1342年 -• 1342年~1387年 -• 1387年~1389年 -• 1390年~1394年 -• 1395年~1414年 -• 1422年~1465年 -• 1468年~1495年 -• 1495年~1519年 -• 1519年~1542年 - 戦国時代 [ ] 戦国大名 [ ]• :美濃守護。 1552年頃が家臣のに追放され、没落• :美濃守護代。 長井規秀(斎藤道三)が名跡を継承、主家を乗っ取り美濃一国の大名となる。 1567年、道三の孫のがにを攻略され、実質滅亡 織豊政権の大名 [ ]• :斎藤氏の家臣であったが、の美濃侵攻時に織田方に加担し、本領を安堵された• :、1567年 - 1580年(信長に追放される。 本能寺の変後、再起を図るが敗北・自決)• (卜全):、1567年 - 1571年(伊勢で戦死、が跡を継ぐ)• :1576年に信長から織田家の家督と美濃東部・尾張国の一部を譲られる。 1582年、で父と共に討ち死に。 :1582年、兄・信忠の領地であった美濃国を与えられるが、と結んだため、翌1583年、に攻められ降伏・自害• :本城は父池田恒興の大垣城、1582年 - 1584年(で戦死)• :13万石、1584年 - 1590年(三河吉田15万2千石に移封)• :1591年 - 1592年(朝鮮出兵中に病没)• :1592年 - 1600年(関ヶ原の戦い後に改易)• :1571年 - 1583年(死亡、家督は弟のが継いだが、美濃三塚1万5千石に移封)• ・輝政:13万石、1583年 - 1584年(岐阜城へ移動)• :3万石、1585年 - 1589年(6万石に移封)• ・:3万4千石、1589年 - 1600年(関ヶ原の戦い後に改易)• その他• ・:4万石、1582年 - 1600年(信濃川中島に移封)• :4万石、 1600年 - 1600年(関ヶ原の戦い後、改易)• :4万石、1594年 - 1600年(関ヶ原の戦い後、本領安堵に)• :美濃高松3万石、1583年 - 1600年(関ヶ原の戦い後、美濃5万石に移封)• :3万石、1600年 - 1600年(関ヶ原の戦い後、本領安堵に)• :美濃太田3万石、1598年 - 1600年(関ヶ原の戦い後、自害・改易)• :2万石、1585年頃 - 1600年(関ヶ原の戦い後、美濃3万石に移封)• :福束城2万石、1589年 - 1600年(関ヶ原の戦い後、改易)• ・:上有知2万石、? - 1600年(関ヶ原の戦い後、改易)• :三塚城1万5千石、1583年 - 1590年(伊勢桑名2万2千石に移封)• ・:清水1万2千石、1588年 - 1600年(関ヶ原の戦い後、本領安堵に)• ・:今尾1万石、1563年 - 1600年(関ヶ原の戦い後、2万石に加増、に)• :1万石、1600年 - 1600年(関ヶ原の戦い後で戦死、改易)• :苗木1万石、1599年 - 1600年(関ヶ原の戦いで戦死、改易)• :北方1万石、1595年 - 1600年(関ヶ原の戦い後、大垣城で殺害、改易)• :高須1万石、1592年 - 1600年関ヶ原の戦い後、改易) 武家官位としての美濃守 [ ] 江戸時代以前 [ ]• 美濃守護• :第8代当主。 南北朝時代・室町時代の武将• :第9代当主。 南北朝時代・室町時代の武将• :第10代当主。 室町時代の武将、守護大名• :第11代当主。 室町時代から戦国時代の武将• :第14代・第16代当主。 戦国時代の武将• その他• :平安時代末期・鎌倉時代初期の武将、御家人。 伊勢・伊賀・越前・美濃・丹波・摂津(惣追捕使)• :室町時代中期の武将、執事、越前・遠江守護代• :戦国時代の武将、美濃の戦国大名。 :戦国時代の甲斐の武将。 の一人• :戦国時代の甲斐の武将。 の一人• :戦国時代の武将、太田資正の父• :戦国時代・安土桃山時代の武将• :戦国時代・安土桃山時代の武将、の父• :戦国時代・安土桃山時代の武将・大名。 の弟 江戸時代 [ ]• :宗家3代。 相模第2代藩主・老中• :宗家5代。 下総第2代藩主、山城初代藩主• :宗家6代。 山城第2代藩主• :宗家10代。 淀藩第6代藩主• :宗家16代。 淀藩12代目藩主・老中• 岡部家• :美濃第2代藩主、播磨主、摂津主、和泉初代藩主• :岸和田藩第3代藩主• :岸和田藩第5代藩主• :岸和田藩第7代藩主• :岸和田藩の第8代藩主• :岸和田藩第9代藩主• :岸和田藩第11代藩主• :沼田藩第3代藩主• :沼田藩第5代藩主• :沼田藩第7代藩主• :沼田藩第11代藩主• :第5代藩主• :第6代藩主• :第7代藩主• :戦国時代・安土桃山時代の武将。 の五男• :初代藩主、北条氏規の子• :第2代藩主• :第4代藩主• :第6代藩主• :武蔵主・甲斐主・• :大和郡山藩第2代藩主。 :郡山藩第4代藩主• その他• :摂津第8代藩主• :麻田藩第12代藩主• :第2代藩主• :大和第11代藩主• :近江第6代藩主、和泉主• :三河第3代藩主。 :上野第4代藩主• :小幡藩第7代藩主• :備中第6代藩主• :筑前第11代藩主• :下総第2代藩主• :美濃第11代藩主• :苗木藩第12代藩主• :信濃第3代藩主• :岩村田藩第5代藩主• :陸奥14代藩主• :信濃第12代藩主• :伊勢第2代藩主、播磨初代藩主。 の長男• :三河第5第藩主・老中• :下総第2代藩主• :常陸主、• :豊後第9代藩主• :播磨第7代藩主 美濃国の合戦 [ ]• :、軍(大海人皇子)x軍()• :、軍() x 反平家軍()• :、鎌倉幕府軍(・) x 朝廷軍()• :、南朝方() x 北朝方()• :、 x• :、 x• :、・ x ・• :、 x• :篠脇城の戦い、 x• :、 x• :、 x• ~:、 x• :・ x 斉藤軍()• :織田軍(・・) x 斉藤軍• :、織田信長 x 斎藤龍興• :武田信玄の• 、武田軍((信友)) x ・・• 、武田軍(秋山虎繁) x 織田軍()• :、織田軍() x 軍(秋山虎繁)• :、 x• :、・ x ・• 、 x• :、東軍(他) x 西軍(他)• 、東軍(・等) x 西軍()• 、東軍 x 西軍• 、東軍(・ x 西軍(・)• 、東軍 x 西軍• 、西軍(・) x 東軍(・・)• 、東軍(・・・) x 西軍(等) 脚注 [ ]• (作州)との重複を避けるため二文字目を用いるが、古くは「美州」とも呼ばれた。 「のうしゅう」と読むのは江戸時代後期以降(「」のは「じょう」で、「のう」と読むのはとされる)。 舘野和己「『古事記』と木簡に見える国名表記の対比」、『古代学』4号、2012年、20頁。 角川地名大辞典 21 岐阜県. 角川書店. 昭和55年9月20日 1980• 筧敏生「古代国家の形成と美濃・飛騨」 松田之利・谷口和人・筧敏生・所史隆・上村恵宏・黒田隆志『岐阜の歴史』山川出版社 2000年 52-53ページ• 宝賀寿男『古代氏族系譜集成 中巻』 関連項目 [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。

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