ヴィーナス の 誕生 作者。 アフロディーテ、通称「ミロのヴィーナス」

サンドロ・ボッティチェリ

ヴィーナス の 誕生 作者

はじめに 今回はウフィツィ美術館所蔵、ボッティチェリの『ヴィーナスの誕生』について解説していきます。 ボッティチェリとは? ボッティチェリとは? サンドロ・ボッティチェッリは、ルネサンス期のイタリアのフィレンツェ生まれの画家で、本名はアレッサンドロ・ディ・マリアーノ・フィリペーピ。 ボッティチェッリは兄が太っていたことから付いた「小さな樽」という意味のあだ名。 主な作品 『プリマヴェーラ 春 』 1477-78年頃、ウフィツィ美術館所蔵 『マニフィカトの聖母』 1483-85年、ウフィツィ美術館所蔵 『煉獄XXXI』 神曲の挿絵 『ヴィーナスの誕生』解説 ヴィーナスとは? 『ヴィーナスの誕生』 ウィリアム・ブーグロー、オルセー美術館所蔵、1879年 ウェヌス(古典ラテン語: Venus -)は、ローマ神話の愛と美の女神。 日本語では英語読みで「ヴィーナス」と呼ばれることが多いです。 『ヴィーナスの誕生』 アレクサンドル・カバネル、1863年、オルセー美術館所蔵 本来は囲まれた菜園を司る神でしたが、後にギリシア神話におけるアプロディーテーと同一視され、愛と美の女神と考えられるようになりました。 一般には半裸或いは全裸の美女の姿で表される。 『ヴィーナスの誕生』解説 ギリシャ神話を基に女神ヴィーナスが成熟した大人の女性として海の泡から誕生した様を描いた本作。 『ヴィーナスの誕生』 1485年、ウフィツィ美術館所蔵 ヴィーナスの表現はダ・ヴィンチやラファエロのような厳格な古典的リアリズムとは一線を画しています。 顕著なのは首が長かったり肩が極端に落ちていたり、左腕が不自然な点。 『受胎告知』 ダ・ヴィンチ、1472-73年頃、ウフィツィ美術館所蔵 ボッティチェリが目指していたのは写実的な正確さではなく、どこまでも優美で繊細な、神聖な美のシンボルであり、理想の姿なのです。 平面性という魅力 固有色を重視し遠近法を無視した平面性が魅力。 のちのマニエリスムにつながるデフォルメされた人体造形は、ともすると不自然さが目立ってしまいますが、 抑えられた陰影表現によって量感が減り、自然に受け入れることができます。 また、浮世絵の類似点、漫画、アニメに通ずる空間表現も日本人の感性に響きます。 お土産 Souvenir ここまで読んでくださり誠にありがとうございます。 『ヴィーナスの誕生』に関するグッズを張っておきますので、良かったらお土産にどうぞ。 複製画 Copy image はがせるポスター Poster 参考文献 画家 大友義博 『一生に一度は見たい西洋絵画 BEST100』 大友義博 美術に苦手意識がある人はこの本から読みましょう。 東京藝術大学 秋元雄史 『武器になる知的教養 西洋美術鑑賞』 秋元雄史 西洋美術の知識が少ない人はまずこの本から読みましょう。 東京藝術大学 布施英利 『パリの美術館で美を学ぶ ルーブルから南仏まで』 布施英利 パリの美術館に所蔵してある作品を基に美術史を解説。 アーカイブ• カテゴリー• 20 プロフィール.

次の

【あつ森】全43種類 美術品本物と偽物の見分け方 方法 彫刻絵画一覧 あつまれどうぶつの森

ヴィーナス の 誕生 作者

概要 [ ] 本作は、1863年に開催されたに出品されて入選を果たし、芸術の王道であると賞賛され、フランス皇帝が個人的なコレクションのために買い上げた。 これによって、カバネルは名声を確固たるものにした。 本作登場の数年後には、裸体画の製作が非常に流行し、、、、など後世の画家に大きな影響を与えた。 小説家のは、本作について、「乳白色の川に身を浸した女神はさながら官能的なロレット のようだ。 作品 [ ] 本作は、におけるの誕生を下敷きにしている。 海水の白濁した泡から生まれたばかりの美と愛の女神、ヴィーナスが描かれている。 本作完成のおよそ400年前に描かれた、『』では、ヴィーナスは貝殻の上に立っているが、本作では海の波の上に横たわっている。 はるか遠くの水平線の向こうには、が描かれている。 ヴィーナスは、憂鬱そうな視線を鑑賞者のほうに向けている。 ヴィーナスの髪は、褐色をしており、膝のあたりまで伸びている。 ヴィーナスの上では、白色や青色の小さな翼を生やしたが、ホラガイを吹き鳴らしながら飛び回り、ヴィーナスの誕生を祝福している。 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• , p. 高橋愛 2012年3月10日. 2019年6月8日閲覧。 2019年6月8日閲覧。 インターネットミュージアム. 2019年6月8日閲覧。 , p. 女性学研究センター. 2019年6月8日閲覧。 2019年6月8日閲覧。 参考文献 [ ]• 『欲望の美術史』〈〉、2013年5月。 『怖い絵 死と乙女篇』〈〉、2012年8月。 『日経おとなのOFF』、日経BP社、2018年7月。

次の

ボッティチェリ「ヴィーナスの誕生」3つの秘密

ヴィーナス の 誕生 作者

サンドロ・ボッティチェリ Sandro Botticelli 1445-1510 イタリア 初期ルネサンス 15世紀後半の初期ルネサンスで最も業績を残したフィレンツェ派を代表する画家。 明確な輪郭線と、繊細でありながら古典を感じさせる優美で洗練された線描手法を用いて、牧歌的で大らかな人文主義的傾向の強い作品を手がけ、当時、フィレンツェの絶対的な権力者であったメディチ家から高い信用を得る。 その特徴的な表現は、初期ルネサンスとフィレンツェ派の典型として広く認知されている。 皮なめし職人の子供として1445年に生を受け、生涯独身をとおす。 画僧の元で修行をおこない、当時の花形工房であったヴェロッキオの工房とも関係を持つ。 1470年に制作された商業裁判所のための寓意画『剛殺』が初作品。 以降約20年間にわたり時の権力者メディチ家の支配下にあったフィレンツェで第一線の画家として活躍。 1481年ローマに呼ばれシスティーナ礼拝堂の壁画制作に携わる。 同年代には春(ラ・プリマベーラ)やビーナスの誕生など異教的な神話を題材にした傑作を残すが、晩年はサヴォナローラの宗教的影響を強く受け、硬質的で神経質な表現へと作風が一変。 サヴォナローラの失策もあり人気が急落、ついには画業を止めるに至った。 最晩年は孤独のうちに死去。 享年65歳。 ボッティチェリ初期の傑作『東方三博士の礼拝 』。 技巧や表現的にもボッティチェリの特徴を良く示している本作であるが、最も大きな特徴は権力者であったメディチ家の主だった人物や当時の知識人などが描き込まれている点にある。 聖母マリアの繊細でありながら優美で洗練された線描手法は、ボッティチェリの作風の大きな特徴であり、本作においても登場人物の表現や背景描写などに示されている。 また聖母子の前に跪くコジモ・デ・メディチなどを始めとした絶対的な権力者は、場面においても重要な人物として描き込まれている。 メディチ家の支配によってフィレンツェで隆盛を極めた人文主義的傾向に対する新たなる側面を見出したボッティチェリの、代表的な聖人像作品のひとつ『書斎の聖アウグスティヌス』。 またヴェスプッチ家の依頼により手がけられた本作は、同聖堂内壁画として制作されたギルランダイオによると対をなす作品としても知られており、両作品とも制作年代もほぼ一致という見解がなされている。 関連: ボッティチェリが当時の著名な画家たちと共に手がけたシスティーナ礼拝堂側壁画制作における代表的な作例のひとつ『反逆者たちの懲罰(コラ、ダタン、アビラムの懲罰)』。 中央の場面では司祭アロンに反抗し薫香を捧げようとしたコラの従者が、モーセの放った見えない炎によって焼かれる姿が描かれ、背景には初めてキリスト教を公認した皇帝聖コンスタンティヌス帝の凱旋門が配されている。 また右部にはモーセを石打せんとするダタンの一行が、左部にはモーセによって現れた大地の裂け目に落ちるアビラム等が描かれている。 この律法者モーセによる父なる神への反逆者たちへの懲罰の各場面は、鮮やかな色彩と透明感による三つに分かれた古代風の都市風景に重なり、非常に美を意識させる描写がなされ、人物描写においてもボッティチェリの特徴的な古典を感じさせる優美性を示している。 なお、ボッティチェリは本作のほかにシスティーナ礼拝堂の側壁画としてやを手がけた。 関連: 関連: により題名は付けられた、ボッティチェリ随一の代表作『春(プリマベーラ) 』。 画面中央に配される着衣のヴィーナスは『世俗のヴィーナス』を表わしているとされている(『』に描かれている裸体のヴィーナスは『天上のヴィーナス』を表すとされている。 さらにアグライア(輝き)、エウフロシュネー(喜び)、タレイア(花の盛り)を意味する幾多の画家が描いてきた三美神の描写は、ルネサンス期の絵画作品の中でも特に優れており、の描いたと共に、卓越した表現や図像展開からルネサンスを代表する三美神として広く認知されている。 ボッティチェリ成熟期を代表する作品のひとつ『ナスタジオ・デリ・オネスティの物語』。 本作に描かれる『ナスタジオ・デリ・オネスティの物語』は、恋人パオラ・トラヴェルサーリに拒絶され自身の不幸に沈むナスタジオが、騎士と犬に追いかけられ責め苦を受ける女性を目撃する場面から始まり、この騎士はナスタジオ同様想い人に拒絶され自殺した騎士で、自殺した原因は騎士を拒絶した想い人の残忍さにあるとし、想い人の内臓を引き裂くなど責め苦を与え、ナスタジオが恋人パオラとその家族を招き同場面を目撃させると、恋人パオラはナスタジオに心を許し結婚に同意したという話で、各場面の調和の取れた構成と、豊かな色彩や陰鬱を感じさせる舞台的場面構成が秀逸の出来栄えを見せている。 また『ナスタジオ・デリ・オネスティの物語』の作品群はフェレンツェのプッチ家が約300年間所蔵した後、幾多の人々に渡り現在は第I場面から第III場面までプラド美術館が、第IV場面はアメリカの個人蔵となっている。 関連: 関連: 関連: フィレンツェ派の画家ボッティチェリによるトンド(円形)形式の代表作『柘榴の聖母』。 ルネサンス期に制作されたトンド(円形)形式の中で、巨匠の『』と共に、最も有名な作品として人々に広く認知されているフィレンツェ派の画家ボッティチェリの代表作『マニフィカトの聖母』。 本作で用いられる卵形をした聖母マリアの穏やかで慈愛と優しさに満ちた表情は『書物の聖母』に見られるそれと大変酷似しており、場面の空間構成や各天使たちの表情、繊細で豊かな色彩は『柘榴の聖母』の表現手法を強く感じさせる。 このようにボッティチェリの典型的な特徴が随所に示される本作の表現には師であるの影響が指摘されているも、金を用いた豪華な表現や牧歌的な遠景表現など画家の成熟した独自性を感じることができる。 ボッティチェリの最も有名な祭壇画作品のひとつ『サン・マルコ祭壇画(聖母戴冠と4聖人)』。 この主題となる聖母マリアや父なる神、諸聖人を大きく描く伝統的な人物描写が用いられた本作では、写実的な表現を用いながらも場面の雰囲気や世界観などは明瞭な色彩も手伝って極めて幻想性に富んでおり、画家ボッティチェリの様式のみならずルネサンス芸術におけるひとつの頂点を成す重要な作品と捉えることができる。 本作はの美術家列伝など当時の書物にも記されるよう制作当時から相当な著名作品であったが、サン・マルコ修道院サンタロー礼拝堂から司際室、アカデミア美術館など様々な環境を経てウフィツィ美術館に収蔵された経緯を持ち、長い歳月によって一時は剥離など著しく損傷を被ったものの1921年にファブリツィオ・ルカリーニによる約10年間の修復作業や1989年のフォルテッツァ・ダ・バッソのピエトレ・ドゥーレ工房による修復によって現在の状態まで回復した。 また1921年の修復の際に本作における最も特徴的な戴冠部分の複雑は維持することができるも、剥落した天使部分の色彩を緑色に塗り替えるなど画面の変形や、ボッティチェリ独特の運動性は損なわれてしまったと言われている。 なお極めて写実性に富んだが同美術館に所蔵されている。 関連: 15世紀フィレンツェ派最大の巨匠ボッティチェリの代表的な神話画作品のひとつ『ヴィーナスとマルス』。 ヴェスプッチ家の依頼により寝台の装飾画として描かれたと推測される本作に描かれているのは、ギリシア神話のアフロディーテと同一視される愛と美と豊穣の女神ヴィーナスと、主神ユピテルと正妻ユノの子でありギリシア神話におけるアレスと同一視される軍神マルスの蜜月関係と考えられている。 女神ヴィーナスの流麗な曲線で描かれる輪郭線や品位を感じさせる白地を用いた肌や衣服、軍神マルスの男性的な身体描写など最高潮に達した画家の優れた力量が存分に示されているが、本作において最も注目すべき点はメディチ家によって統治されるフィレンツェを支配していた人文主義的な表現にある。 不和と戦の象徴である軍神マルスは疲れ果て横たわる姿で描かれているのに対し、愛と美の象徴である女神ヴィーナスは今は動かない不和と戦の象徴を一抹の憂いを感じるかの如く見つめ、それらとは対称的に森の神ファウヌスが嬉々として女神ヴィーナスと軍神マルスの周りを囲戯れる姿で描かれている。 なお一部では女神ヴィーナスはシモネッタ・ヴェスプッチを、軍神マルスはジュリアーノ・デ・メディチをモデルに描かれたとする説が唱えられている。 ルネサンス期に活躍した15世紀フィレンツェ派を代表する巨匠ボッティチェリ随一の傑作『ビーナスの誕生』。 画面中央で貝殻に乗り海から誕生した裸体の美の女神ヴィーナスは、一般的に『天上のヴィーナス』を表現したものとされている(『』に描かれている着衣のヴィーナスが『世俗のヴィーナス』だと解釈される)。 なお本作は1987年に修復作業がおこなわれた。 フィレンツェ派最大の巨匠サンドロ・ボッティチェリが晩年に手がけた特異的寓意画作品『誹謗(ラ・カルンニア)』。 本作は古代ギリシアの画家アペレスが描いた失われた作品『誹謗』を、初期ルネサンスの人文主義者でレオン・バッティスタ・アルベルティの「絵画論」に基づき再現した作品である。 本作はその頃に制作された作品で、かつて(1480年代)のボッティチェリ独特の甘美性を携えるルネサンス的な表現は消え失せ、神秘的な瞑想と緊張感に溢れる硬質的な表現が最も大きな様式的変化として本作に示されている。 関連: フィレンツェ派最大の巨匠サンドロ・ボッティチェリ晩年の代表作『神秘の降誕』。 画面上部にはギリシア語で謎めいた銘文が以下の内容で記されている。 「私アレッサンドロはこの絵画を1500年の末、イタリアの混乱の時代、ひとつの時代とその半分の時代の後、すなわち聖ヨハネ第11章に記される3年半の間悪魔が解き放たれるという黙示禄の第2の災いの時に描いた。 この銘文は友愛の精神と祈りによって罪悪が裁かれることを意味しており、画面全体を支配する激しい感情性や宗教的古典表現などの多様性は、フィレンツェ派の中で孤高の画家となったボッティチェリの内面における瞑想の表れである。 なお本作は画家の作品中、唯一年記がされる作品でもある。

次の