ホンダ f1 優勝。 F1幻のホンダvs.トヨタの優勝争い。撤退がなければ実現した夢の時間。

Honda

ホンダ f1 優勝

正式名称は、 ホンダ・レーシング・F1チーム( Honda Racing F1 Team)。 以降はエンジンサプライヤーとして参戦している。 母体は自動車メーカーの。 歴史 [ ] ホンダのF1参戦は、シャシー、エンジン含め全て自社製造し体制でチームとして参戦したからの第1期、既存チームにエンジンを供給するという「エンジンサプライヤー」としてのからの第2期、当初エンジンのみを供給し、後にフルワークス体制のホンダF1チームに移行したからの第3期、エンジンと(ERS)をパッケージしたパワーユニットのサプライヤーとしてのからの第4期に分かれる。 なお、厳密にいえば、参戦体制は、第1期・第2期・第4期の参戦は及びによるものであり、2006年以降を含む第3期参戦は本田技研工業により1999年にイギリスに設立された(HRD)社によるものである。 第1期 [ ] (1964年) 1964年にF1参戦した当時のホンダは、を制したものの、単なるオートバイメーカーに過ぎず、四輪車は軽トラックを発売しただけという四輪車メーカーとしては弱小メーカーでしかなかった。 F1参戦の準備は、順風満帆の2輪部門の陰でこっそりと行われ、当初はエンジンサプライヤーとして参戦する予定だった。 からF1の排気量は1. 5Lと決まっており、横置きの1. 5Lエンジンを開発することに決定。 エンジン技術者であるは、開発したエンジンを使ってもらうコンストラクターを探し始める。 とは自社製エンジンを使っているため除外され、ととのうちブラバムにほぼ内定した。 その後ブラバムのシャシーに載せることを前提にエンジンの熟成が進められた。 秋、ロータスのが急きょ来日、ホンダ本社に訪れこう言った。 「2台走らせるのうち1台はエンジンを載せるが、もう1台にホンダを載せたい。 場合によってはにドライブさせてもいい」と。 これを機にコンストラクターはブラバムからロータスに変更され、エンジン開発もロータス・25にあわせて行われた。 ところが参戦を予定していた1964年2月、チャップマンから電報が届いた。 「2台ともクライマックスエンジンでやる。 ホンダのエンジンは使えなくなった。 あしからず」というものだった。 コンストラクターを探す時間は無く、自社でシャシーを造るフルコンストラクターとして参戦することになった。 急きょシャシーを急造することになるが、の問題が発生する。 1960年代のF1マシンは国ごとにナショナルカラーが決まっており、イギリスはブリティッシュグリーン、フランスはブルー、イタリアはレッド、ドイツはシルバーという具合だった。 日本は初出場なためナショナルカラーは決まっていなかった。 宗一郎が好きな色だったゴールドが提案されたがすでに南アフリカが登録済み、日の丸をイメージした白と赤を申し出たがかなわず、アイボリーホワイトに日の丸を入れたものに決定した。 初優勝を果たした(ホンダコレクションホール所蔵) 8月2日の()で初参戦。 チャップマンから絶縁電報を受け取ってからわずか6か月後のことであった。 には全戦出場し最終戦の第10戦でが念願の初優勝を果たすが、これは1. 5Lエンジン時代のF1最終戦での勝利であると同時に、その後F1に参加したタイヤメーカーの中では最多の368勝をあげることになるの初勝利でもあった。 に大幅なレギュレーションの改正が行われ、エンジンの排気量がそれまでの1. 5Lから倍の3. 0Lになった。 ホンダはこのレギュレーションに対応するべく新しいV型12気筒エンジンの開発を行ったが、既存のエンジンを結合したり、スポーツカーレースのカテゴリで使っていたエンジンを流用した他のチームと比べると、大幅に出遅れた。 結局このシーズンは終盤のでようやくエンジンが完成して参戦した。 同年のではホンダエンジンを供給したブラバムが開幕11連勝を達成。 最終戦でシーズン全勝は逃すものの、圧倒的な強さを見せた。 イタリアでの劇的なレースを制した。 このマシンはサーティースの仲介によってがシャーシーの制作に加わった。 にはがチームに加入した。 1964年のワールドチャンピオンの加入はチームに大きな力を与えた。 このシーズンのドライバーはサーティース1人だけだったが、彼はホンダのマシンで優勝1回、3位1回と2回表彰台に昇り20ポイントを獲得、コンストラクターズランキング4位につけた。 特に優勝したは2位のに対してわずか0. 2秒差での勝利で、この1967年の成績が第1期ホンダの最高成績となった。 のワークスマシンは昨シーズンサーティースがイタリアで劇的な勝利をもたらしたRA300の進化版であった。 一方これとは別に、創始者のが固執していた()を搭載したが制作され、この年のに持ち込まれたが、スポット参戦でドライブしたが炎上死する悲劇に見舞われた。 この事故の後、ホンダはF1を撤退するのではないかとささやかれ始めた。 この頃社会問題になっていた大気汚染に対する市販車用低公害型エンジン の開発を理由として、結局1968年シーズン終了後F1活動休止を発表した。 この年は初めてを搭載したマシンがドライバーズとコンストラクターズのチャンピオンになった。 DFVエンジンの登場はグランプリからワークスチームの退場と、プライベーターチームの百花繚乱をもたらした。 第2期 [ ] ターボエンジン・(1988年)。 この年マクラーレンのプロストとセナによってイタリアGP以外のすべてのレースに勝利した によって先鞭が付けられたの登場は、自動車メーカーに対してF1へのカムバックを促した。 ホンダはまずやにエンジン供給を行い、にチームにエンジンを供給するというかたちでF1への復帰を果たした。 その年の最終戦からへのエンジンRA163Eの供給を開始し、翌第9戦でにより復帰後初勝利をあげた。 開発初期にはの解消に悩まされたが、量販車の技術を応用した低燃費・高出力のターボエンジンの開発に成功。 車載センサーからリアルタイムでデータを収集するテレメトリーシステムを導入し、衛星回線を通じて日本の研究所でも分析を行った。 さらに1986年までがなどでウィリアムズシャシーを使ったエンジンテストを行いつつ、ヨーロッパでもホンダエンジンを搭載したでに参戦した。 その後中嶋悟は1987年にロータス(この年からエンジンを供給)から日本人初のフル参戦を果たした。 なお、ホンダは中嶋の個人スポンサーでもあった。 また第2期F1活動中の1980年代後半には、とにはコンストラクターズ・タイトル、1987年にはのドライバーズ・タイトルを獲得した上に、にホンダエンジンを搭載したが16戦中15勝し 、がドライバーズ・タイトルを獲得した。 さらににはマクラーレンのが、にはセナが再びチャンピオンに輝くなど、その当時ホンダのエンジンが最も高性能であり、コンストラクターは6年連続、ドライバーは5年連続でホンダエンジン搭載車が獲得したことから、「ホンダエンジンなくしては総合優勝を狙えない」とまで言われた。 またホンダの活躍と中嶋の参戦、による全戦中継が後押しした1980年代後半から1990年代前半にかけての日本国内のでは、当時人気を博したセナと蜜月関係を結び、「F1のホンダ」として大いに知名度を高めた。 には、中嶋が所属するチームに対し、前年マクラーレンが使用したエンジンをベースとしたRA101Eを供給した。 しかし、これは前年のに比べて、重く大きくなったことからマシンバランスを崩すことになり、エンジンパワーの増加による駆動系の信頼性の問題と相まって、のでの予選2位、での決勝2位という散発的な好リザルトは得るも、シーズン通しての好成績には結びつかなかった。 同1991年にには、V型12気筒エンジンRA121Eが搭載された。 そしてにおいてアイルトン・セナがドライブするマシンは深刻なギアボックス・トラブルを抱えていた。 4速を失ったのを始め、続いて3速・5速を失った。 レース終盤にはついに6速のみで走行せざるを得なかった が、セナは母国初優勝を果たした。 このことは彼の秀逸なドライビングテクニックのみならず、ホンダエンジンの高い適応性を示した。 その後、ウィリアムズが優れた空力性能に加えてなどハイテク装備で他チームを圧倒したことや、本田技研工業の世界各国での新車販売不振などにより、第2期F1活動はに終了。 この間ウィリアムズやマクラーレンなど多くのチームにエンジンを供給していたホンダは、1983年~1992年までの間だけで通算69勝をあげ、F1史上空前の強力なエンジンサプライヤーとして君臨した。 F1撤退後のには、かつてライバルだったフェラーリへ技術供与を行っていた。 無限ブランドとしての参戦 [ ] 詳細は「」を参照 1992年には無限(現・)が1991年にティレルに供給されたRA101Eをベースに独自に開発した無限MF351Hで、F1への参戦を開始 するなど、ホンダの撤退後もホンダの技術を元にしたエンジンはF1に参戦し続けた。 にはにて()が無限ブランドとしての初勝利をあげ、この勝利を皮切りとしてではのが優勝、チームメイトのが2位という、無限ブランドとして初(ジョーダンにとっても初)のワン・ツーフィニッシュを飾る。 にはが、にてそれぞれ優勝を飾った。 なお、フレンツェンのF1生涯における3回の優勝のうち、2回が無限エンジンでの勝利であった。 2000年もシーズン終了までジョーダンにエンジン供給がなされる予定であったが、この年からホンダブランドでのために開発したエンジンを投入したことに伴い、シーズン途中からジョーダンにもホンダエンジンとしてのブランドのエンジンが供給されることが決定したため、2000年度をもってこのブランドでの参戦に幕を閉じた。 1992年から2000年にかけての無限ブランドの F1 における戦績は、通算4勝、ポールポジション1回、獲得総ポイント182ポイントであった。 第3期 [ ] シャシー製造への試み [ ] RA099(ホンダコレクションホール所蔵) 第2期活動の終盤、「エンジンだけでなく車体も造ってみたい」という社内有志の希望により、水面下でリサーチカーの試作が行われた。 1991年末にはV12エンジンを搭載するRC-F1 1. 0X(現在所蔵)、1992年にはモノコックを新造したRC-F1 1. 5Xがテスト走行を行った。 さらに、F1活動休止中の1996年にも、ステップドボトム仕様のRC-F1 2. 0X(無限ホンダV10搭載)が製作された。 5Xと2. 0Xは黒一色のボディカラーから通称「カラス」と呼ばれた。 には当時本田技研工業の社長だったの口から「シャシー製造を含めたフルワークスによるF1参戦」が明言された。 その後、イギリスに HRD を設立し参戦準備を進め、デザインを日本で行いイタリアのがシャーシの製作を担当して、にテストドライバーにを起用してサーキット走行を行うところまで準備が進んだ。 しかし、当時テクニカルディレクターを務めていたがでのテスト中に急死したこと、またホンダ社内に根強く残る慎重論などを背景に、結局ホンダはフルワークスによる参戦を断念した。 エンジンサプライヤーとしての復帰 [ ] に搭載されたRA005E に、B・A・Rへエンジン供給と車体の共同開発を行うという形でF1に復帰した。 2000年シーズンはすでにB・A・Rによってマシンが製作されていたため、本格的な車体の共同開発は以降となる。 エンジン供給にとどまらず、からはホンダ独自のの開発が行われた。 当初はギヤなどの内部部品とケーシングの研究が行われた。 マグネシウムケーシングに関しては2002年ので採用されたが、B・A・Rがケーシングの採用を決定したことから開発はそちらに移行した。 内部部品のほうに関しては開発が継続され、から実戦投入された。 には、変速時のパワーロスを無くすシームレスシフト(クイックシフト)を実戦投入した。 2006年以降他チームにも急速に広まっていった。 2001年と2002年にはジョーダンにもエンジン供給を行った。 2000年から始まった第3期では、第2期と異なりなかなか良い結果を残せずにいた。 しかし、は好成績を収めた。 タイヤをからに変更したが、その変更にうまく対応できたで11回表彰台に上り、コンストラクターズランキング2位へと躍進した。 しかし、念願の第3期初優勝には手が届かなかった。 2005年シーズンは、開幕当初レギュレーション変更に伴う影響をマシン設計に十分反映できていなかったことから出遅れ、ようやく、第4戦で3、5位でフィニッシュし復活の兆しを見せたと思われるや、レース後の車検で重量違反が発覚し、その後の裁定でサンマリノGPのリザルト取り消しおよびその後2戦(、)の出場停止となってしまった。 しかし、その後巻き返しを見せて、第8戦でを獲得、第12戦、第16戦ではが表彰台を獲得したが、コンストラクターズランキングは6位に終わった。 フルコンストラクターとしての参戦再開 [ ] (にて) 2007年よりタバコ広告が全グランプリで禁止されることにともない、B・A・Rのメインスポンサーである BAT が2006年限りで撤退することが決まっていた。 そこで、ホンダはBATが保有する残り株式を取得し、38年ぶりに「純ホンダ」のワークスチームとして参戦することを決めた。 ドライバーはB・A・R時代からのエースであるバトンと、フェラーリから移籍の、サードドライバーにはというラインアップ。 またが新たに立ち上げたにエンジンを供給し、ギアボックス等の開発にあたって技術支援も行った。 前半戦は成績不振が続き、B・A・R時代から技術部門を率いてきたに替えて、をシニア・エンジニアリング・ディレクターに任命した。 第13戦でジェンソン・バトンが14位スタートながら波乱のレースを制して、優勝し第3期参戦としての初勝利を果たした。 オールホンダとしては39年ぶりの優勝。 後半戦はコンスタントにポイントを獲得して、コンストラクターズランキング4位で終了した。 展示される(2007年にて) 2007年はバトン、バリチェロ共に残留、サードドライバーにスーパーアグリのレギュラーシートを獲得したデビッドソンに代わって前年レッドブルのレギュラードライバーだったを迎えた。 ホンダは2007年に使用するマシンのカラーとしてスポンサーロゴを使用せずに、宇宙から映し出される地球をイメージし、環境問題をテーマとしたカラーリングを発表した。 ただしレギュレーションによって定められているノーズのマニュファクチャラーロゴと供給タイヤメーカーロゴはプリントされている。 このマシンを構成するカラーのピクセルをウェブ上で誰でも購入できるチャリティを展開した。 からは、マシン上にピクセル購入した人の名前が小さな白文字で書かれた(環境問題に賛同すれば寄付金は、必ずしも必要でない)。 リアウイングには「myearthdream. com」とチャリティサイトのアドレスが示された。 ホンダのエンジニアが初めて指揮を執って「低中速域でのダウンフォース向上」を目標にマシン開発を行なったが、シーズンオフのテスト段階からマシンの戦闘力の低さを露呈し、開幕後第7戦までノーポイントと成績が伸びず、事実上のBチームであるスーパーアグリにも遅れを取りチーム史上最悪の低迷期であった。 第8戦フランスグランプリにおいてバトンがようやく初ポイント(8位・1pt)を記録したが、結局獲得ポイントは6点に終わった。 コンストラクターズランキングは8位。 これらをふまえ、各分野での人材補強を着々と進めるため、やフェラーリでの走りを支え、同年は休養していたをチーム代表に迎えることになった。 (にて) 2008年もバトン、バリチェロ共に残留、リザーブドライバー兼テストドライバーに去年までウィリアムズをドライブしたを迎えた。 新代表に就任したロス・ブラウンは「3年計画」というものでの活動を発表した。 なお、バリチェロとは、2005年のフェラーリ以来の同僚となった。 昨年の「my earth dream」を継続した形の「earth dreams」コンセプトを発表。 昨年とは異なる物の地球環境をテーマとしたカラーリングを用い、地球環境問題の意識向上を謳っている。 2008年度のマシンも、開幕前から戦闘力不足が囁かれていた。 予選ではなかなかQ3に進むことができず、決勝でも入賞圏外から離れた位置でフィニッシュすることがたびたびであった。 第9戦では大混乱の雨の中タイヤ戦略が的中し、ルーベンス・バリチェロが3位入賞。 自身3年ぶり、チームにとっても2年ぶりのポディウムとなった。 しかし、その後一度も入賞できず、コンストラクターズランキング9位でシーズンを終えた。 また、5月27日に、ブラックレーのファクトリーがF1チームとして初のを取得した。 サーキット以外でもF1マシンが登場した。 のに白血病の男の子が寝ているベッドの横に並んだ。 撤退とチーム売却 [ ] 2008年シーズン終了後、チームはから搭載が可能になる KERS のテストを進め、来期のドライバーにはバリチェロに代わり、セナの甥であるかを起用すると噂された。 しかし、2008年12月5日、ホンダ社長のが緊急記者会見を行い、2009年以降F1世界選手権シリーズから撤退する方針を発表した。 撤退の理由として、に端を発したによる業績の悪化に伴って、レーシングチームの維持費負担がホンダの経営を圧迫する恐れがあるため、経営資源の効率的な再配分が必要であることが挙げられた。 なお、今回の記者会見では「2008年の成績や今後のレギュレーション変更が(撤退の)理由ではない」ことを明言している。 「休止」ではなく「撤退」という表現を使用したことについては、「自動車産業の新しい時代に対処するというメッセージが入っている」と説明した。 ホンダはチームを解散せず、新オーナーへの売却によりF1参戦を継続することを目指しており、2009年1月12日にが公表したのエントリーリスト には依然名前が残されていた。 3月6日、チーム代表であったロス・ブラウンに全株式を売却したことが発表され、新チーム名は「 F1チーム」となった。 売却額が1ポンド(147円)と報道された ように無償譲渡も同然であった。 として参戦したRA109 ホンダのチーム資産とRA109(改め)を引き継いだブラウンGPは、で初出場、初優勝を遂げるなどし、最終的にはダブル・タイトルを獲得した、翌年からはチーム売却でとして活動している。 なお、F1への投資額に関して、2007年はホンダが全F1参戦チームで最もコストが高かったという。 また、によれば、ロス・ブロウン獲得とその後の「2009年向け開発」を重視しての先行開発費用がさらに増えることから、2008年も最も高いコストをかけたチームとなる模様だと伝えられてきた。 他にもが報じた2005-2009年のメーカー別F1投資額 では、撤退し参戦していない2009年を除き全ての年で最高額を投じている。 さらに「Pitpass」の報じた1950-2009年のF1の全歴史で投じた額 でも、ホンダは17億2000万ポンドでトップとなっている(2位はメルセデスの14億7000万ポンド、フェラーリは8億9100万ポンド)。 撤退後の2009年、当時のホンダ社長であるは「経済的に回復してもF1に復帰することはない」と述べた。 しかし、2014年からF1のエンジン規定が見直されることから、ホンダがF1に復帰するのではないかとの憶測が流れた。 2013年2月の記者会見で、伊東は「F1のレギュレーションも変わりつつあり、一方で我々の事業も安定してきている」「今は一生懸命勉強している最中です」とコメントした。 なお、F1エンジンの開発を担当していた一部エンジニアは、2006年から2008年までF1プロジェクトの技術担当だった中本修平によってへと招聘され、に参戦しているのエンジン及び電子制御システム開発を担当している。 また撤退発表後も、ホンダの栃木研究所においてシャシー開発が引き続き行われていたことが、2012年に明らかになっている(詳細はを参照)。 第4期 [ ] 第2期マクラーレンとのジョイント [ ] (2015年マレーシアグランプリ) 5月16日、ホンダは緊急記者会見を開き、よりパワーユニット(エンジンおよびエネルギー回生システム ERS。 以下、PUと略す)のサプライヤーとしてF1へ復帰すると発表した。 2015年は第2期のパートナーだったマクラーレンのみと再び組むことになるが 、独占契約ではないため2016年以降は複数チームへ供給する可能性もある。 2015年2月10日には本田技研工業本社(東京都港区南青山)にて本田技研社長伊藤孝紳およびF1プロジェクト総責任者がおよびの両選手同伴でF1復帰に関する記者会見を開いた。 は一年を通じて信頼性やパフォーマンスに悩まされた。 ではチームからの(パワー不足のため)燃料をセーブせよという無線の指示にアロンソが「こんなドライビング、まるでアマチュアのようじゃないか。 僕はレースをする。 燃料のことは後で集中するから」と断り 、ホンダのホームグランプリとなるでもアロンソが無線で「のエンジンかよ! GP2だ!」とパワー不足のエンジンに不満を漏らした。 コンストラクターズランキング9位とマクラーレンは創立以来ワーストの結果となってしまった。 ただ、ここまで戦闘力不足が起きたのは理由がある。 車体設計においては、空力的メリットを得るために車体後部をタイトに絞り込んだ「サイズゼロ」コンセプトを導入したが、そのアグレッシブな設計ゆえに冷却系の問題が発生。 また、エンジン全体の小型化を優先した関係で、MGU-H(熱エネルギー回生)の発電量不足やデプロイメント(エネルギーの使用配分)の問題にも悩まされ 、いわゆるパワー不足の原因となった。 また、2015年のレギュレーションは「シーズン開幕前にエンジンのを行い、それをシーズン中使用する」という規定となっていた。 ただ、この年はトークンシステム によりホモロゲーションは事実上解除されていたが、2015年に参戦したホンダの場合、「新規参入メーカーはシーズン前にすべてのホモロゲーションを行う」という規定の対象となっていた。 最終的にはトークンシステムの利用に基づいて開発した改良型エンジンの投入は開幕戦以降に行うことは認められていたものの、序盤戦は未利用のモデルで戦わざる負えず、前半戦は相対的な戦闘力不足もあった。 ただ、ベルギーGPでの改良型の投入や最終戦では、バトンがホンダPUよりも圧倒的に性能の優れているPUを搭載するのを抑えたり、アロンソがレース中のラップタイムで3番目に速いタイムを出すなど、後半戦では性能の向上を果たしたモデルの投入して、コースによっては一定の戦闘力を発揮した。 しかし、シーズン中にこの問題点が判明したからといっても、ホンダは他のメーカーに比べ使えるトークン数が少ないうえ、エンジン使用数の制限により、かつてのような物量作戦で実戦データを収集して改良するという手も使えなかった。 そのため、時のシーズンで使用しているモデルのユニット別の改良は可能であったが、この制度上、2016年に行われたターボの大型化など のエンジンの再設計を行ったモデルの投入は事実上禁止されていたため(ただし、再設計については他のメーカーも同様である)、2015年度中に抜本的な解決策は不可能であった。 むしろ「サイズゼロ」コンセプトを選んだマクラーレンとそれを受け入れたホンダの失敗 という側面もあった。 ただ、この失敗は実はが犯しており、2014年シーズン後にエンジンのコンパクト化に起因するパワー不足 とパワー不足を埋め合わせるほどの空力的アドバンテージ はなかったと同チームの技術者らがコメントしている。 そのため、マクラーレン側もシャシー設計の方針を誤った面もあり、全ての責がホンダにあるとは言えなかった。 2015年の戦績についてはを参照。 、社長は同年の目標を「安定的に予選10位以内から決勝に臨む」ことに定めた。 に伴い退職する新井康久に代わり、がF1プロジェクト総責任者に就任した。 予選では度々Q3まで進出、決勝でもコンスタントに入賞できるようになりダブル入賞4回を記録。 高速サーキットのではアロンソがを記録し、同系統のコースであるベルギーGPで入賞するなど、ターボの大型化などのエンジンの再設計 やシャシーの見直し により、前年に比べれば戦闘力の向上に成功した。 だが、ホンダの地元では前年同様不調に終わった。 同GPでQ1敗退を喫したバトンは、高速サーキットの鈴鹿はマクラーレン・ホンダにとってカレンダーで最悪のサーキットの一つとコメント し依然として苦戦が続いていた。 表彰台には及ばなかったものの、コンストラクターズランキング6位まで浮上した。 2016年の戦績についてはを参照。 もマクラーレンへ独占供給を続ける。 新車に搭載された「RA617H」はコンセプトを一新し、低重心化と軽量化を図りパワーを向上させたとしている が、プレシーズンテストではトラブルが続出し、パワー不足も露呈してしまった。 ただし、パワー不足については、他メーカーのパフォーマンス改善がホンダを上回っていたと長谷川は語っている。 それでもアロンソは開幕2戦では渾身の走りで入賞圏内を走行していたが、いずれもパワーユニット以外のトラブルによりリタイアに終わった。 そして第3戦は信頼性及びパワーの低さの問題が如実に現れたレースとなってしまった。 がFP1およびFP2それぞれでMGU-Hのトラブルに見舞われ 、予選ではアロンソがMGU-Hのトラブルが発生。 さらにでもフリー走行でバンドーンのMGU-Kが故障し、早くも4戦目で規定を超える5基目のパワーユニット交換を強いられ、予選ではアロンソが再びパワー不足を嘆く無線が流れた。 決勝ではフォーメーションラップでアロンソのパワーユニット(以下PU)に不具合が出てスタートすらできなかった。 でもフリー走行でアロンソのPUにトラブルが発生したが、予選では初めてQ3に進出し7番グリッドを得た。 ではバトン(に参戦したアロンソの代走)とバンドーンが揃ってQ3に進出した。 しかし、高速サーキットので行われたでは、決勝におけるアロンソのスピードトラップトップ317. こんなにスピード差があるのは危険でさえある」とアロンソは酷評した。 それでもアロンソはレース終盤まで入賞圏内の10位を走行していたが、残り2周でエンジンがブローして入賞を逃した。 ここまでマクラーレンはチームワーストの開幕7戦ノーポイントとなってしまった。 しかし第8戦でアロンソが9位に入り、ようやく今季初入賞を果たした。 その後、でアロンソが6位、バンドーンが10位にそれぞれ入賞し、ザウバーを逆転してコンストラクターズランキング最下位を脱し9位となった。 パートナーシップの終焉 [ ] この状況に業を煮やしたマクラーレンは、ホンダとの提携解消を示唆した。 一方、ホンダはマクラーレン以外のチームへのパワーユニット供給を模索し 、2018年からへカスタマーパワーユニットを供給することが決まった。 しかし、ザウバーのチーム代表がからに交代してからは契約の解除が検討され 、7月27日に契約が白紙撤回された (翌28日にフェラーリとの契約を発表 )。 その後、との交渉を行ったが一度決裂した。 しかし、のフリー走行1回目の後に、供給されることが発表され 、同時に2015年から供給を行っていたマクラーレンとの契約を2017年いっぱいで解消することが発表された。 契約解消発表後は入賞回数も増加し、アロンソは終盤3戦でポイントを獲得した。 シーズン終了後に長谷川F1プロジェクト総責任者が退任、運営体制も変更され、を担当する執行役員が研究開発をリードし、レース・テスト運営も統括する。 また、F1プロジェクト総責任者のポジションは廃止され、現場の指揮に専念するテクニカルディレクターを新たに設置した。 初代テクニカルディレクターはが務める。 この3年間に関して、元FOA会長のは「毎日毎日、彼らは協力して働くのではなく、あらゆることで戦いをしかけていた。 愚かなことだ」とマクラーレン側の態度を批判した。 また、マクラーレン側がホンダに対して理不尽な態度を何度も繰り返した事を批判する声 、アロンソが政治的駆け引きからホンダを一方的に批判していると指摘する者 もいるなど、ホンダに対して同情的な声も聞かれた。 後年、当時ホンダのモータースポーツ部長を務めたが、契約解消した経緯の一部を明かしている。 しかし、マクラーレン側は今シーズンの不振を補填する目的で、オプションから更に延長した3年契約を要求。 これにホンダ側は難色を示したため、マクラーレンは正規のオプションも行使せず解消に至ったと説明している。 また、本来であれば契約解消でホンダの契約先が無くなる不利な立場であったが、それ以前に関係者と水面下で接触しており、との締結を進めていた秘話を明かしている。 2017年の戦績についてはを参照。 レッドブルグループ勢とのジョイント [ ] はトロ・ロッソへ単独供給を行う。 開幕前のテストではPUに関するトラブルはほとんど見られず順調に周回をこなしたが 、開幕戦で早くものMGU-Hにトラブルが出てリタイア 、はタイヤのトラブルに2回見舞われた影響で最下位の15位完走に終わり、厳しいスタートとなった。 その後、第2戦でガスリーが4位入賞を果たし第4期における最高記録を更新したが、結果的にそれが唯一の見せ場となってしまい、マシントラブルの減少やQ3進出回数ではマクラーレンを上回っているなど明るいニュースも見られたが、テクニカルディレクターのの離脱によるシャシー開発の停滞、チーム戦略やドライバーのミス、などにより十分な結果を残せず苦戦。 また、マシン自体もマシン開発が後半の段階でのPU変更であったため、ホンダPU用に改設計する余裕がなく、全体的な戦闘力不足も生じた。 そのため、トロ・ロッソとしてはコンストラクターズ9位と前年より後退し、かつてのパートナーだったマクラーレンを逆転するには至らなかった。 トロ・ロッソの親チームであるが、との関係悪化からホンダへパワーユニット供給元を変更する噂が各所から流れていたが 、6月19日にホンダと2019年から2年間の供給契約を締結したことを正式に発表した。 トロ・ロッソへも引き続き供給を行う。 レッドブルチーム代表のは「今シーズンのホンダには大きな進歩が見られた。 カナダGPで投入されたルノーとホンダの各新パワーユニットへの調査の結果、パワーユニット変更への決心が付いた」「純粋に技術的な理由により、これが将来に向けて正しい動きであるという結論に達した」 「初めて自動車メーカーと緊密に連携することになり、当初から車体とパワーユニットの融合を考慮したマシン造りができる」 とコメントしている。 なお、レッドブル側はとのタイトルスポンサー契約は継続する意向を示し、日英の自動車メーカーの名前が「1つのチームに並び立つ」ことになる。 更にターボチャージャーの開発・製造に関わる技術協力体制を強化すべく、とテクニカルパートナーシップ契約を締結した。 2018年の戦績についてはを参照。 はレッドブルとトロ・ロッソの2チームに供給。 レッドブルのが開幕戦で3位に入賞し、レッドブルとのパートナーシップ初戦で以来、のF1復帰後初の表彰台を獲得した。 メルセデスが開幕から連勝を続ける中で迎えた第9戦でフェルスタッペンが優勝を果たし、ホンダにとってはの以来、2015年のF1復帰後初優勝となった。 さらに第11戦では雨で大波乱となったレースでフェルスタッペンがシーズン2勝目をあげ、さらにトロ・ロッソのも3位に入り、の以来となるダブル表彰台を獲得した。 さらに第12戦では、フェルスタッペンがメルセデスのと名勝負を繰り広げた。 しかし、惜しくも終盤でタイヤがもたず、賭けに出たハミルトンに抜かされてしまった。 第20戦ではフェルスタッペンがシーズン3勝目をあげ、さらにトロ・ロッソのが2位に入り、の以来、2015年のF1復帰後初となる1-2フィニッシュとなった。 2019年の戦績についてはを参照。 拠点 [ ] 2018年現在は日本(HRD Sakura)とイギリス(HRD Milton Keynes)の2拠点体制となっている。 2拠点間の時差を利用してほぼ24時間体制で開発が行われているという。 HRD Sakura に所在。 の一部門であり、F1以外にや等の車両・エンジンの開発も行っているが 、全従業員の8割以上がF1に関わっているという。 主にパワーユニット(PU)の基礎開発などを担当する。 HRD Milton Keynes イギリス・のに所在。 主にレースの運用部門のエンジニアが常駐し、PUのメンテナンスを担当するほか、バッテリーパックの開発なども行っている。 F1での戦績 [ ] 年 シャーシ エンジン タイヤ ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 ポイント ランキング RA271E 1. 5L 0 9位 Ret Ret Ret RA272E 1. 5L V12 11 6位 Ret 6 Ret Ret 6 14 7 1 ロニー・バックナム Ret Ret Ret Ret 13 5 RA273E 3. 0L V12 3 8位 リッチー・ギンサー Ret NC 4 ロニー・バックナム Ret 8 RA273E 3. 0L V12 20 4位 3 Ret Ret Ret 6 4 1 Ret 4 RA273E 3. 0L V12 RA301E 3. 0L V12 RA302E 3. 4L V8 86 4位 15 10 7 10 5 7 4 10 Ret 6 Ret Ret 4 8 6 6 12 7 4 3 10 7 Ret 6 11 Ret 9 Ret Ret 4 1 4 5 4 4 3 RA807E 2. 4L V8 6 8位 ジェンソン・バトン 15 12 Ret 12 11 Ret 12 8 10 Ret Ret 13 8 Ret 11 5 Ret ルーベンス・バリチェロ 11 11 13 10 10 12 Ret 11 9 11 18 17 10 13 10 15 Ret RA808E 2. 4L V8 14 9位 ジェンソン・バトン Ret 10 Ret 6 11 11 11 Ret Ret 17 12 13 15 15 9 14 16 13 ルーベンス・バリチェロ DSQ 13 11 Ret 14 6 7 14 3 Ret 10 16 Ret 17 Ret 13 16 11• 太字は、 斜字は。 ホンダエンジンを搭載したチームとドライバー [ ] 第2次ワークス体制最後の表彰台を獲得した 右• ホンダ 1964 - 1968 , 2006 - 2008 (3勝)• 1964 - 1966• 1965 - 1966 (1勝)• 1967 - 1968 (1勝)• 1968• 1968• 1968• 2006 - 2008• 2006 - 2008 (1勝)• 1983• 1983• 1983 - 1987 (23勝)(1986 , 1987コンストラクターズチャンピオン)• 1983 - 1985 (3勝)• 1983 - 1984• 1985 - 1987 (13勝)• 1986 - 1987 (7勝)(1987ドライバーズチャンピオン)• 1987• 1987 - 1988 (2勝)• 1987 - 1988• 1987 (2勝)• ネルソン・ピケ 1988• 1988 - 1992 , 2015 - 2017 (44勝)(1988 - 1991コンストラクターズチャンピオン)• 1988 - 1989 (11勝)(1989ドライバーズチャンピオン)• 1988 - 1992 (30勝)(1988 , 1990 , 1991ドライバーズチャンピオン)• 1990 - 1992 (3勝)• 2015 - 2017• ジェンソン・バトン 2015 - 2017• 2015• 2016 - 2017• 1991• 中嶋悟 1991• 1991• 2000 - 2005• 2000 - 2003• 2000• 2001 - 2002• ジェンソン・バトン 2003 - 2005• 2003 - 2005• 2005• 2001 - 2002• 2001• 2001• リカルド・ゾンタ 2001• 2001• 2002• 佐藤琢磨 2002• 2006 - 2008• 佐藤琢磨 2006 - 2008• 2006• 2006• 2006• アンソニー・デビッドソン 2007 - 2008• 2018 , 2019 ベルギーGP -• 2018• 2019 -• 2019 オーストラリアGP - ハンガリーGP• 2019 - 3勝• 2019 - 3勝• ピエール・ガスリー 2019 オーストラリアGP - ハンガリーGP• アレクサンダー・アルボン 2019 ベルギーGP - ギャラリー [ ]• ワークス(1964年 - 1968年, 2006年 - 2008年)• シャーシおよびエンジンの型式名 [ ] ホンダでは伝統的に「RA」で始まる型式名としているが、これは第1期のF1参戦時において、すでに実績を残していた2輪と区別する意味において、「Racing Automobile」を示す意味で付けられたもの。 なお、その後に付けられる数字については参戦時期において下記のように異なる意味が込められている。 第1期 系統だった命名規則はなかった模様。 最初に作られた試作エンジンの「RA270E」については、「最高出力270馬力(最高時速270kmという説もある)を目標とする」というところから「270」とつけられたと言われている。 1967年の「RA300」以降については、シャシーの開発体制を日本の研究所が中心だった旧体制からイギリスの現地部隊中心の新体制に改めたことから、新たな飛躍を目指す意味で当時の監督だったが番号を一新することを決め、きりの良いところで「300」とした。 第1期• 1963年 (試作シャシー)、RA270E(研究目的の試作エンジン、1. 5L )• 1964年 (シャシー)、RA271E(エンジン)• 1965年 (シャシー)、RA272E(エンジン)• 1966年 (シャシー)、RA273E(エンジン、レギュレーション改定に伴い排気量が3. 0Lとなる)• 1967年 RA273, (シャシー、ホンダとの共同開発によるマシン。 通称 Hondola)、RA273E(エンジン)• 1968年 RA300, , (シャシー)、RA301E, RA302E(エンジン、RA302Eは)• 第2期• 1983年 (80度 1. 5Lエンジン、用エンジンをショートストローク化した上でを付加した)• 1984年 RA164E• 1985年 RA164E、RA165E(完全新設計、ロングストローク化)• 1986年 RA166E• 1987年 RA167E• 1988年• 1989年 RA109E(ターボエンジン禁止により3. 5L NA・エンジンに移行)• 1990年 RA100E• 1991年 RA121E(エンジン、に供給)、RA101E(V10エンジン、に供給)• 第3期• 1999年 (シャシー)、MF301HD(エンジン) - フルコンストラクター参戦準備のテストに使用された。 2000年 RA000E(3. 0L V10エンジン)• 2001年 RA001E• 2002年 RA002E• 2003年 RA003E• 2004年 RA004E• 2005年 RA005E• 2006年 (シャシー)、RA806E(エンジン、レギュレーション改定に伴い2. 4L V8へ移行)• 2007年 (シャシー)、RA807E(エンジン)• 2008年 (シャシー)、RA808E(エンジン)• 第4期• 2015年 RA615H(1. 6L V6ターボ)• 2016年 RA616H• 2017年 RA617H• 2018年 RA618H• 2019年 RA619H• 2020年 RA620H 関連人物 [ ]• 第1期• - 第1期 1964年 - 1968年 断続的 監督。 同時期、監督と市販四輪車開発を兼務した。 - 1965年に短期ながら監督を務めた(埼玉製作所の所長と兼務)。 のちの第2代本田技研工業社長。 - RA302のエンジン設計者(当時は川本の上司)。 のちの第3代本田技研工業社長。 - RA300・RA301のエンジン設計者であり、第2期参戦当初(1983年~1984年)のチーム監督でもあった。 のちの第4代本田技研工業社長。 - RA273のエンジン設計者。 入社まもない設計者だったが中村達に抜擢された。 後のホンダ副社長、元セガ(後の)社長。 第2期• - 第2期前半 1984年 - 1987年 総監督。 - 第2期後半 1988年 - 1990年 プロジェクトリーダーを務める。 後にマクラーレン、、に在籍。 - 元社長。 本田宗一郎の長男。 1992年から2000年まで「無限-ホンダ」としてエンジン供給し、実質的にホンダ不在の間を埋めた。 第3期• - 2000年の第3期F1参戦開始時に指揮を執る。 のちの第6代本田技研工業社長。 2008年の撤退会見も社長として行うこととなった。 - 第3期前半のHONDA F1総監督。 第2期はアイルトン・セナやアラン・プロストの担当エンジニアを務めた。 - 2005年より2007年7月までB・A・Rおよびホンダのスポーティングディレクターを務めた。 - ホンダ・レーシング・F1チームの。 - 2007年 - 2008年にチーム代表を務めた。 第4期• - 2015年のF1プロジェクト総責任者。 - 2016年 - 2017年のF1プロジェクト総責任者。 - 2018年以降のテクニカルディレクター。 2019年以降は現場統括責任者を兼任。 第2期は、のエンジニアを務めた、• - 2018年までのモータースポーツ部長。 2019年以降はF1専任のマネージングディレクター。 - 2018年以降から技術研究所「 Sakura」の開発責任者および執行役員。 - 2018年以降の副テクニカルディレクター。 2019年以降は担当チーフエンジニアを兼任。 - 2019年以降の担当チーフエンジニア。 脚注 [ ]• それまで同社にエンジンを供給していたコヴェントリー・クライマックス社が、ロータスと当時協力関係にあったに買収され、ロータスも引き続きコヴェントリー・クライマックスのエンジンを使わなくてはならなくなったためとされる• 後に一部車種で設定されたスポーツグレード「」では、当時のマシンのアイボリーホワイトを彷彿とさせる「チャンピオンシップホワイト」が専用色として設定された。 「ホンダについて特筆すべきは、車自身のユニークさよりも、それがフルに開発される以前にグランプリ・レースの渦中に躍り出たという事実にある。 ダイムラー・ベンツのような会社だったら、少くとも勝つチャンスがなければ決してその製品をレースに出したりはしないに違いない。 しかしホンダは彼らの実験を大観衆の眼前で行うことを少しも恐れない。 仕事を早く仕上げるためにはレースカレンダーの要求に勝るものはないのを知っているかのようだ。 ホンダがモーターサイクル・レースに現われたときも然りだった。 最初の数シーズンはひどく素人くさかったのに、ごく短期間に世界のトップランクにのし上がった。 」 1964 F1グランプリレーサー デイヴィド・フィップス1965年2月号• F1から撤退後に誕生したのがである• でセナと接触しホンダエンジン16戦全勝を阻んだは、1968年にホンダRA302で事故死したジョー・シュレッサーの甥であり、ホンダにとって皮肉な巡り合わせとなった。 エンジンサプライヤーとしての最多勝利は1995年にルノーが上回るまでホンダが保持していた。 そのときの彼を捉えたオンボードカメラでは、シフトチェンジをせず終始ステアリングをから手を離さずに周回している映像が記録されている• エンジンのカムカバーには「HONDA」のロゴがつけられたほか、エントリー名も「無限ホンダ」だった• モビリティランド. 2013年1月15日閲覧。 『モーターファン・イラストレーテッド F1のテクノロジー3』、2011年、p. 『モーターファン・イラストレーテッド F1のテクノロジー3』、2011年、p. 『モーターファン・イラストレーテッド F1のテクノロジー3』、2011年、p. 『モーターファン・イラストレーテッド F1のテクノロジー3』、2011年、p. Carview. (2005年10月4日)2013年1月15日閲覧。 F1-Gate. com. (2008年11月13日)2013年1月15日閲覧。 ホンダ 広報発表 Press Information 2008 2008年12月5日閲覧• レスポンス. (2008年12月5日)2013年1月15日閲覧。 2010年1月6日, at the. (時事通信)• レスポンス. (2009年4月10日)2013年1月15日閲覧。 2004年にがF1から撤退した際にも、をへ1ドルで売却したといわれる。 MOTOR AUTHORITY 2008年11月17日閲覧• 撤退済みの2009年もフェラーリの倍・ルノーやBMWの半額程度を投じている。 これは、報じられた「餞別」「手切れ金」「撤退補償金」的な意味合いのものと思われる。 Topnews 2009年7月14日付け、2010年12月18日閲覧• オートスポーツ. (2013年1月12日)2013年1月15日閲覧。 オートスポーツ. (2013年2月8日)2013年2月8日閲覧。 F1-Gate. com 2013年5月16日• 日本経済新聞 電子版. 2013年5月16日. 2013年5月16日閲覧。 TopNews. 2014年4月18日. 2014年4月18日閲覧。 ESPN F1. 2013年5月16日. 2013年5月16日閲覧。 2015年2月11日付、P9右下• - F1-gate. com・2015年6月8日• - F1-gate. com・2015年9月27日• ""オートスポーツweb 2015年8月6日 2020年2月15日閲覧• F1-Gate. com. 2015年10月15日 2020年2月15日閲覧• スポーツナビ. 2015年9月24日 2020年2月15日閲覧• F1-Gate. com 2015年06月06日 2020年02月15日• ESPN F1. 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ホンダ、F1開発を率いる浅木泰昭氏が技術解説。「最低限メルセデスと対等の勝負、その上でチャンピオンを狙う」

ホンダ f1 優勝

ホンダがインディカーレースで彼と共に戦うことを断ったのも不思議はないね。 つまり尊敬と感謝だよ。 もしメルセデスとフェラーリとの差が近くなかったら、ホンダにも同じようにするだろう。 自分を過大評価してる。 ゴールにたどり着くまで絶対に止まらない。 つまり、マシンにフィットするエンジンを作らなければならない、ということだよ。 レッドブルはホンダに、あなたたちが本当に最高だと思うエンジンを作ってくれと言ったんだ。 こちらはそれに合わせてマシンを作るから、と。 これは本当に大きな違いだよ。 最高の食材をもとにして料理を作る。 その逆はいつだって難しい。 これが大きな違いだよ、シャシーじゃなくてね。 マクラーレンはルノーエンジンで大きく改善した。 ホンダは現在さらに改善していっているが、レッドブルとマックスがマシンのパフォーマンスをはるかに向上させているのもまた事実。 アロンソが車の性能以上のポジションを獲得できていたようにね。 ガスリーは表彰台からはるかに遠ざかっているし、トロ・ロッソも全く輝いていない。 今ではマクラーレンの内部は変わって、結果も出してきてるね。 アロンソは公の場でホンダを叩き続けた。 俺は君がマクラーレンの内部事情を知ってるとは思わないしね。 レッドブルとルノーの関係性のようにね。 セナを息子のように可愛がってたんだよ。 天国の本田宗一郎氏はきっと喜んでいるでしょう….. 少なくとも3回4回は勝ってなきゃいけないのに。 ホンダはハイレベルで戦うことを恐れていない。 これがホンダのDNAだ。 2017年にホンダは新しいエンジンを作らなければならなかった、そしてホンダのプロジェクトが始まるってときにマクラーレンはパートナーシップを終わらせた。 ホンダのポテンシャルを認識して、ホンダに必要だった自信を与えたレッドブルには称賛を送りたい。 日本人ファンもやっていたことです。 喝を入れるというのもありかもしれませんが、結果が出ないときも応援するの一番良いのではないでしょうか。 レッドブルホンダ、優勝おめでとうございます。

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F1で13年ぶり優勝 ホンダの八郷隆弘社長がコメント「万感の想いです」

ホンダ f1 優勝

ドライバーズチャンピオンを獲得したドライバーは32人いる。 そのうち2年連続で獲得したドライバーは9人おり、3年以上連続はファン・マヌエル・ファンジオ、ミハエル・シューマッハ、セバスチャン・ベッテル、ルイス・ハミルトンの4人だけである。 チームの国籍でチャンピオン獲得回数が1番多いのはイギリスで33回。 次がイタリアで16回だが、16回全てをフェラーリが獲得している。 連続獲得回数最多は6回、フェラーリ(1999年~2004年)とメルセデス(2014年〜2019年)が記録したものである。 最年少優勝: - 18歳227日()• 最年長優勝: - 53歳22日(フランスグランプリ)• デビューから最速優勝: - 1戦目(フランスグランプリ) (注)F1最初のレースのため全員がデビュー戦となるは除外• デビューから最遅優勝: - 132戦目()• 年間最多優勝: - 13勝()• 最年少ポールポジション:セバスチャン・ベッテル - 21歳72日()• 最年長ポールポジション: - 47歳78日()• デビューから最速ポールポジション:、ジャック・ヴィルヌーヴ - 1戦目(、) (注)F1最初のレースのため全員がデビュー戦となるは除外• デビューから最遅ポールポジション:マーク・ウェバー - 132戦目()• 年間最多ポールポジション:セバスチャン・ベッテル - 15回()• 最年少ファステストラップ:マックス・フェルスタッペン - 19歳45日()• 最年長ファステストラップ:ファン・マヌエル・ファンジオ - 46歳209日()• デビューから最速ファステストラップ:ジャック・ヴィルヌーヴ、ニコ・ロズベルグ - 1戦目(、) (注)F1最初のレースのため全員がデビュー戦となるは除外• デビューから最遅ファステストラップ: - 206戦目()• 年間最多ファステストラップ:ミハエル・シューマッハ()、キミ・ライコネン(、) - 10回• 10戦以上 順位 回数 ドライバー 1 323 2 313 3 312 4 307 5 306 6 269 7 256 8 252 9 250 10 246 11 240 12 229 13 215 14 210 15 208 16 206 17 204 18 201 19 199 20 194 21 187 22 183 23 180 24 177 25 176 27 175 28 171 30 164 31 163 32 161 36 158 38 156 39 152 40 149 41 146 44 144 45 139 46 134 47 132 49 128 51 123 53 118 54 116 55 115 56 114 59 112 61 111 63 110 64 109 65 108 66 107 67 105 69 104 70 102 73 99 74 98 76 97 78 96 80 95 83 94 84 93 86 92 87 91 88 90 89 86 90 85 91 83 92 81 94 80 95 79 96 76 98 75 99 74 103 72 105 70 107 69 109 67 111 66 112 64 114 62 116 61 117 60 118 59 121 58 122 57 124 56 127 55 128 54 129 53 132 52 133 51 134 50 137 49 142 47 147 46 153 45 155 42 159 41 164 40 165 39 168 38 172 37 174 36 180 35 184 34 187 33 189 32 193 31 195 30 198 28 204 27 209 26 212 25 218 24 223 23 228 22 230 21 238 20 243 19 248 18 256 17 261 16 266 15 273 14 281 13 291 12 304 11 323 10• 最年少出走: - 17歳166日()• 最年長出走: - 55歳292日()• 最多連続完走: - 41回( - )• デビューから最多連続完走: - 27回( - ) コンストラクター [ ] 終了時• 20戦以上 順位 回数 チーム 1 991 2 863 3 744 4 491 5 430 6 394 7 392 8 383 9 340 10 326 11 291 12 286 13 268 14 260 15 250 16 210 17 203 18 197 20 149 21 139 22 132 23 131 24 128 25 118 26 117 27 104 28 99 29 91 30 89 31 88 32 85 33 83 35 78 36 77 37 73 38 71 39 70 41 60 42 57 43 56 45 53 46 52 47 49 48 47 50 40 51 39 52 38 54 33 56 32 58 31 59 30 62 28 64 25 65 23 67 22 68 21 70 20 エンジン [ ] 終了時•

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