サンタ服。 サンタ服【靴下修正版】

サンタクロースの由来や起源!服が赤いのはなぜ?トナカイは何匹?│

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大きな身体に真っ赤な衣装をまとい、 白いあご髭をたくわえた陽気で楽しいサンタクロース。 世界中の人々が知っているだろうこのイメージのルーツは、 何と、「 コカ・コーラ」にありました。 1931年、 コカ・コーラ社とアメリカ人画家が 「真っ赤な衣装と白いあご髭」のサンタクロースをつくりあげたのです。 クリスマスシーズンの風物詩になった赤いサンタクロースと コカ・コーラ社の深い関係。 その知られざる物語をご紹介しましょう。 文=塩沢 槙 今から1700年ほど前の4世紀の初め頃、ローマ帝国の時代に、小アジア半島、現在のトルコにあたる場所に、 セント・ニコラス(Saint Nicholas)というカトリックの司教が住んでいました。 彼はその生涯を慈善事業に尽くし、人一倍の子ども好きとしても知られていました。 この セント・ニコラスが子どもの守護聖人として崇められるようになり、後に伝説となり、貧しい子どもたちにプレゼントを贈るという彼の行動がそのまま習慣化、発展していったのがクリスマス・プレゼントの始まりだと言われています。 この伝説は、時間をかけてヨーロッパ各国へさまざまなイメージとともに語り伝えられていきました。 オランダ人の思い描いたシンタークラウスはパイプをくわえ、煙突から家の中に入ってきていたそうで、いまに繋がるサンタクロースのイメージは、オランダ人のものだったというわけです。 トナカイが引くソリに乗って現れて、毛皮に縁取られた衣装を身につけ……という風貌はどこか北欧的ですから、北方の風土から生まれたということも暗示しています。 サンタクロースの伝説は、 セント・ニコラスが生きた時代から1000年以上の時を経た17世紀になって、オランダ人の入植者たちとともにアメリカへ渡りました。 1822年、アメリカの詩人 クレメント・C・ムーアは自身の作品のなかで「サンタクロースは大きな顔で丸い小さなおなか、元気いっぱいで陽気な、小さな妖精の太っちょおじさん」だと表現しています。 その後100年に渡り、画家たちはこの詩からサンタクロースの姿を着想して思い思いに描いていきます。 その姿の多くは小型の妖精のように描かれていましたが、太っていたり、痩せていたり、青や緑、あるいは白い衣装を着ていたりと、統一されたイメージはありませんでした。 これほど有名なキャラクターであるにもかかわらず、人々が思い描く確固たる共通イメージもないままに1500年以上の時が経っていたのです。 1930年代に入り、 コカ・コーラ社は、より温かみのある人間的なサンタクロースをつくり出し、それをクリスマス・キャンペーンに起用しようと考えました。 そして、その創作を1899年生まれ、シカゴ育ちのスウェーデン系アメリカ人である ハッドン・サンドブロム(Huddon Sundblom)に依頼します。 1931年、サンドブロムの描いた「 コカ・コーラ」サンタクロースが『サタデー・イブニング・ポスト』の雑誌広告に登場しました。 それは、従来のサンタクロースに温かみのある人間的な要素を吹き込み、バラ色の頬、美しい白いあご髭、キラキラ光る瞳、笑い皺のある新しいサンタクロースでした。 人々の人気も上々で、その後、1964年までの30年以上にわたり、 サンドブロムは40点以上の作品を描き続けます。 「 コカ・コーラ」サンタクロースは、あるときは子どもたちを抱きかかえていたり、またあるときはそっと冷蔵庫のなかを覗いていたり、クリスマス・プレゼントを配り終えてブーツを脱ぎ捨ててアームチェアでくつろいでいたり……と、人間味たっぷりの愛すべきキャラクターとして「 コカ・コーラ」のボトルとともに描かれています。 それを裏付けるように、子どもたちがたくさんの「 コカ・コーラ」を冷蔵庫に詰めているところを描いた作品も存在します。 長い間サンタクロースを描き続けたことで、サンドブロム自身がサンタクロースそっくりになっていったという話も残っています。 このようにして、「 コカ・コーラ」サンタクロースのイメージは定着していったのです。 ちなみに「 コカ・コーラ」サンタクロースのモデルは、 ルー・プレンティスという名の引退した営業マンで、 サンドブロムは彼のことを「サンタクロースの精神をそのまま表した人物だった」と語っています。 1976年、サンドブロムは76歳でこの世を去りました。 しかしそれから37年が経った現在も、彼が描いたサンタクロースは全世界の人々が心のなかにそっと思い浮かべるサンタクロースとして生き続けています。 さらに、「 コカ・コーラ」が国境を越えて人々に愛される飲み物になっていくにつれて、そのイメージは国境を越えてひろがっていき、世界中の人々に知られていったのです。

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サンタクロースの服が赤いのは何故?

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サンタの服はなぜ赤いのでしょうか?雪の中で目立つから?赤は、クリスマスのシンボルカラーのひとつだから? きっとどちらも、正解です。 でも、サンタの服は「赤」と決まるまでに、実は青や白。 紫色の服を着たサンタがいたことも、事実です。 ちょっと文章が長いかもしれませんが、今の私たちが抱いているサンタクロースのイメージが、いつ頃出来たのかを調べてみました。 画像と共にご紹介いたしますので、どうぞごゆっくりお読みになってみてください。 このページのタイトルの "Wherever I go"というのは、コカ・コーラ社が1943年に作った広告用看板に、サンタの絵と一緒に書かれていたキャッチコピーです。 つまり、世界中どこにでも出かけるのは、サンタクロースだけではなく、彼が手にしたコカ・コーラも一緒だという訳なのです。 そして、これを巨大な資本力と特有の広告戦略で全米へ、さらには全世界へと広げていった結果が、今の私たちが持っている、サンタクロース・イメージになったといえるでしょう。 サンタクロースのモットーは、「『子供のいるところだったら、どこへでも出かけるぞ』。 そして、「人間のいるところだったら、どこへだって売りに出かけるぞ」が、コカ・コーラ社の目標です。 1892年に設立されたザ・コカ・コーラ・カンパニーですが、会社設立初年度にして、すでに広告費は1万1400$にも及び、原材料費の半分を超えていました。 しかし、それだけの広告費を投入しても、なかなか開拓できない市場がありました。 そう、女性と子供たちです。 当時、コカ・コーラには麻薬(コカイン)や多量のカフェイン、アルコールが入っているという、暗くて悪い危険な飲料としてのイメージが、強くまとわりついていました。 この、イメージを払拭して、子供市場を開拓するために起用されたキャラクターがありました。 それが、サンタクロースだったのです。 それまでにも、詩や小説、木版印刷物、それに1918年に、雑誌としては初めて発売部数が200万部を超えた、「ザ・サタデー・イヴニング・ポスト」の表紙などで紹介される事で、徐々にサンタクロースのイメージは出来上がってきていました。 ですので、おそらくコカ・コーラ社が宣伝に利用しなくても、私たちが抱いているサンタと、それほど大きく違わないイメージには、なったことと思います。 しかし、『決定的に・世界中に・爆発的に・ヴィジュアル優先で』広まった功績というのは、やはりコカ・コーラ社のおかげだといえるのではないでしょうか? 聖ニコラウスのイメージ サンタクロース伝説の主人公は、聖ニコウラス(英語読みでは「ニコラス」)です。 かつて、ミュラと呼ばれたギリシア人の町(現在のトルコのデムレ)の司教を勤め、271年(あるいは280年)から、342年12月6日まで生きていたと伝えられますが、あまり詳しい事は分からないようです。 ただ、様々な伝説を持った守護聖人であり、興味を惹かれるものがありますので、またいつか、別のページでご紹介したいと思います。 今は、とりあえず聖ニコラウスが、サンタクロースの原型となったのだと、ご理解ください。 上の画像は、セント・ニコラウス祭の模様(だと思う)ですが、白くて長いヒゲの聖ニコラウスに、私たちの抱いているサンタのイメージを重ねることが出来ます。 様々な色のコスチュームをまとったサンタクロース 1800年代から、1900年代初頭にかけてのクリスマスカードは、サンタ情報の宝庫です。 ここにも5枚を、ご紹介しましたが、私たちの知っているサンタとは、かなり違っているのではないでしょうか?• 上左・・・白の服に、赤いガウンをまとい、手には子供たちへのプレゼントを持っています。 でも、ちょっとスマート過ぎますね。 足元は、どうも短靴のように見えます。 上中・・・毛皮で縁取りされた、青のコスチューム。 ブーツを履いているのはいいのですが、プレゼントがカゴに入っているというのは・・・、ちょっと幻滅? なんだか、「小人のおじいさん」のようにも、見えますね。 上右・・・紫のコスチュームが、ちょっとカッコ良いかな? プレゼントが、ラッピングされているところが、見ようによっては、買い物帰りのおじいさんに、見えなくも無いですね。 下左・・・抱えているツリーでよく分かりませんが、縁に毛皮のボアをあしらった、青のコスチュームですね。 下右・・・こちらは、毛皮で上から下までコーディネート? 左手にバスケットを持っていますが、ちゃんとプレゼントを入れる袋を、肩にかついでいますね。 破れて中身が見えているのは、ご愛嬌でしょうか? 服の色が違うのはともかく、それ以外でちょっと違和感を感じた方も、おられるかもしれませんね。 あの福福しいというか、ビア樽のように太った体型や、おじいさんのはずなのに、その瞳には子供の心が宿っているような輝きがあるはずなのに、この5枚のカードの中のサンタには、それがあまり感じられません。 間違っても、「Ho!Ho!Ho!」とは、言いそうにありませんものね・・・。 そう、あの突き抜けたような、明るさが感じられないのが、この違和感の正体なのかもしれませんね。 サンタの服が赤いわけ クリスマスの前の夜のことです。 家の中では、ネズミさえ寝入って、物音ひとつ聞こえません。 煙突のそばには、きちんと靴下がつるされて、聖ニコラスの到着を今か今かと待っています。 *中略 降ったばかりの雪の上に出た月が、あたりを真昼のように輝かせていました。 その時、不思議そうに見つめる私の目に映ったのは、小さなソリと八頭の小さなトナカイでした。 *中略 まるまると太った、本当に陽気なおじいさん小人で、その姿に、私は思わず笑ってしまいました。 ウインクして見せたり、首をかしげて見せたりで、少しも怖がる必要などないと、すぐに分かりました。 聖ニコラスは、黙々と仕事に取りかかりました。 どの靴下にもプレゼントをいっぱい詰め込んで、くるっと向きを変えました。 鼻の横に指を当てると、こっくりとうなずいてから、煙突を上っていきました。 聖ニコラスはソリに跳び乗ると、トナカイたちに口笛の合図を送り、アザミの綿毛のように飛び去っていきました。 でも、彼の姿が消えた時、大きな叫び声が聞こえてきました。 「皆さん、ハッピー・クリスマス。 すてきな夜になりますように。 」 上の詩は、1822年にニューヨークに住む神学者クレメント・クラーク・ムーア(1779〜1863)が、自分の子供たちのために作ったと伝えられる、「聖ニコラスの訪問」です。 この詩の中で聖ニコラスは、初めて八頭ものトナカイがひく、ソリに乗って空を飛ぶこと。 まるまると太ったおじいさんであることが、語られました。 この中では、まだ「小人」として登場していますが、それ以外は私たちが、サンタクロースと聞いて思い浮かべる、やさしくて気のいいおじいさんの姿や、トナカイソリのイメージがそのままかかれています。 そう、サンタクロースのイメージは、このムーアの詩によって生まれ、広く定着していったのです。 その後、アメリカは南北戦争(1861〜1865)を経て、飛躍的な経済成長をとげます。 この時代に活躍した画家に、トーマス・ナスト(1840〜1902)がいます。 ナストは政治イラストレイターとして活躍するかたわら、サンタクロースの絵を描くという、別の顔も持っていました。 ナストのサンタクロースは、1863年に「ハーバーズ・イラストレイテッド・マガジン」誌上に登場し、その後さまざまな雑誌に掲載されて、最終的には「トーマス・ナストのクリスマス絵画集(1890)」として、編集出版されました。 そして、これ以降、サンタクロースは一気に知名度を高め、雑誌広告やデパートの売り場で、活躍を始めることになります。 では、ナストが描いたサンタクロースとは、どのようなものだったのでしょうか?ナストのサンタクロースは、全身を毛皮服で包んでいます。 もともと、ムーアの「聖ニコラスの訪問」の中でも、サンタは毛皮の服を着ていたのです。 そして、ナストのサンタクロースが着ている毛皮服には、注目すべき特徴があります。 現代のサンタクロースのガウンが赤いのと同様に、ナストの毛皮服も赤っぽいという点です。 そして、サンタクロースのモデルである、聖ニコラウスがキリスト教の司教であり、古来、司教服がつねに赤かったことも、知っておくべきかもしれません。 この司教の赤色は、自らの身体や命をなげうってでも、信者たちの幸せのためにつくすべき司教の覚悟。 すなわち彼が流す血の色を示すと言われます。 もっとも、司教服の赤は、どちらかといえば紫に近い赤色ですから、光の加減によっては、青に近い色に見えることがあったかもしれませんね。 そうして、始めにご紹介したコカ・コーラ社の手により、広く世界中に、広がる事になった訳です。 もっとも、ナストから始まり、ジョゼフ・C・ライエンデッカー(1874〜1951)、ノーマン・ロックウェル(1894〜1978)が「ザ・サタデー・イヴニング・ポスト」の表紙に描いたサンタクロースと、コカ・コーラ社のサンタクロースを描いた、ハドン・サンドブロム(1899〜1976)のサンタには、決定的ともいえる違いがあります。 それは・・・ サンドブロムのサンタクロースは、『あどけない童顔である』という点です。 細かいことを言えば、ライエンデッカーのサンタとは、「帽子の先に金色の鈴が付いている」、「ガウンにも金色のボタンが付いている」、「靴が紐靴からロングブーツになった」という違いがありますが、それ以上に大きな違いとして感じられます。 そして、それは「家族で過ごすクリスマス」という生活様式の変化のシンボルとして、女性層を中心に好意を持って、受け入れられることにつながっていったのでした。 (ライエンデッカーのサンタは、同じように太っていて、赤い服を着ていますが、「陰気」に見えたため、全ての人に歓迎されるまでには、至りませんでした。 ) 今の私たちが「サンタクロース」に対して持っている、様々なイメージは、実にこのサンドブロムの手によって、創造されたといっても、決して過言ではありません。 誰にでも、それこそ国籍・人種を問わず、文字が読める読めないにかかわらず、浸透できたのは、ひとえにコカ・コーラ社の広告宣伝力によるものだと、いえると思います。 青や紫、白の服を着たサンタクロース。 きっとあなたは、「そんなサンタがいる訳がない」と、初めはお感じになったことでしょう。 でも、歴史の中にちゃんと存在していたのが、お分かりいただけた事と思います。 そして、何人ものクリエイターの手を経て、私たちが良く知っている、サンタクロースのイメージが形作られていきました。 そして、もっとも大切な事は、一般の大衆が「喜んで受け入れることの出来るイメージであった」という、点にかかっているのだと思います。 もしもコカ・コーラ社が、キャラクターとして採用していなければ? ひょっとすると、まだ様々な色の服を着たサンタクロースが、世界中を飛び回っていたのかもしれませんね。 」なんていう、流行情報もあったりして・・・。 (それはそれで楽しいかも?) 長い文章にお付き合いいただき、ありがとうございました。 2001. Webmaster hide.

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サンタクロースの服が赤いのは何故?

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大きな身体に真っ赤な衣装をまとい、 白いあご髭をたくわえた陽気で楽しいサンタクロース。 世界中の人々が知っているだろうこのイメージのルーツは、 何と、「 コカ・コーラ」にありました。 1931年、 コカ・コーラ社とアメリカ人画家が 「真っ赤な衣装と白いあご髭」のサンタクロースをつくりあげたのです。 クリスマスシーズンの風物詩になった赤いサンタクロースと コカ・コーラ社の深い関係。 その知られざる物語をご紹介しましょう。 文=塩沢 槙 今から1700年ほど前の4世紀の初め頃、ローマ帝国の時代に、小アジア半島、現在のトルコにあたる場所に、 セント・ニコラス(Saint Nicholas)というカトリックの司教が住んでいました。 彼はその生涯を慈善事業に尽くし、人一倍の子ども好きとしても知られていました。 この セント・ニコラスが子どもの守護聖人として崇められるようになり、後に伝説となり、貧しい子どもたちにプレゼントを贈るという彼の行動がそのまま習慣化、発展していったのがクリスマス・プレゼントの始まりだと言われています。 この伝説は、時間をかけてヨーロッパ各国へさまざまなイメージとともに語り伝えられていきました。 オランダ人の思い描いたシンタークラウスはパイプをくわえ、煙突から家の中に入ってきていたそうで、いまに繋がるサンタクロースのイメージは、オランダ人のものだったというわけです。 トナカイが引くソリに乗って現れて、毛皮に縁取られた衣装を身につけ……という風貌はどこか北欧的ですから、北方の風土から生まれたということも暗示しています。 サンタクロースの伝説は、 セント・ニコラスが生きた時代から1000年以上の時を経た17世紀になって、オランダ人の入植者たちとともにアメリカへ渡りました。 1822年、アメリカの詩人 クレメント・C・ムーアは自身の作品のなかで「サンタクロースは大きな顔で丸い小さなおなか、元気いっぱいで陽気な、小さな妖精の太っちょおじさん」だと表現しています。 その後100年に渡り、画家たちはこの詩からサンタクロースの姿を着想して思い思いに描いていきます。 その姿の多くは小型の妖精のように描かれていましたが、太っていたり、痩せていたり、青や緑、あるいは白い衣装を着ていたりと、統一されたイメージはありませんでした。 これほど有名なキャラクターであるにもかかわらず、人々が思い描く確固たる共通イメージもないままに1500年以上の時が経っていたのです。 1930年代に入り、 コカ・コーラ社は、より温かみのある人間的なサンタクロースをつくり出し、それをクリスマス・キャンペーンに起用しようと考えました。 そして、その創作を1899年生まれ、シカゴ育ちのスウェーデン系アメリカ人である ハッドン・サンドブロム(Huddon Sundblom)に依頼します。 1931年、サンドブロムの描いた「 コカ・コーラ」サンタクロースが『サタデー・イブニング・ポスト』の雑誌広告に登場しました。 それは、従来のサンタクロースに温かみのある人間的な要素を吹き込み、バラ色の頬、美しい白いあご髭、キラキラ光る瞳、笑い皺のある新しいサンタクロースでした。 人々の人気も上々で、その後、1964年までの30年以上にわたり、 サンドブロムは40点以上の作品を描き続けます。 「 コカ・コーラ」サンタクロースは、あるときは子どもたちを抱きかかえていたり、またあるときはそっと冷蔵庫のなかを覗いていたり、クリスマス・プレゼントを配り終えてブーツを脱ぎ捨ててアームチェアでくつろいでいたり……と、人間味たっぷりの愛すべきキャラクターとして「 コカ・コーラ」のボトルとともに描かれています。 それを裏付けるように、子どもたちがたくさんの「 コカ・コーラ」を冷蔵庫に詰めているところを描いた作品も存在します。 長い間サンタクロースを描き続けたことで、サンドブロム自身がサンタクロースそっくりになっていったという話も残っています。 このようにして、「 コカ・コーラ」サンタクロースのイメージは定着していったのです。 ちなみに「 コカ・コーラ」サンタクロースのモデルは、 ルー・プレンティスという名の引退した営業マンで、 サンドブロムは彼のことを「サンタクロースの精神をそのまま表した人物だった」と語っています。 1976年、サンドブロムは76歳でこの世を去りました。 しかしそれから37年が経った現在も、彼が描いたサンタクロースは全世界の人々が心のなかにそっと思い浮かべるサンタクロースとして生き続けています。 さらに、「 コカ・コーラ」が国境を越えて人々に愛される飲み物になっていくにつれて、そのイメージは国境を越えてひろがっていき、世界中の人々に知られていったのです。

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