大 日本 帝国 憲法 日本 国 憲法 違い。 【欽定憲法とは】民定憲法との違いは?意味・特徴をわかりやすく解説!!

明治憲法と日本国憲法の象徴天皇制はどこに違いがあるのか

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Contents• そもそも憲法ってなに?? そもそものおはなし。 「憲法」とはなんなのでしょうか? 憲法 = 統治の根本規範(法)となる基本的な原理原則に関して定めた法規範 (wikipediaより) ……なんのこっちゃって感じですね。 上の説明、ものすごく簡単にまとめると、次のように表せます。 憲法 = 法律の王様 はい、これだけです。 憲法は、法律を作るときの注意書きみたいなものです。 法律を作るのは、 国会( 立法府と呼ばれます)です。 国会はこの憲法に基づいて法律を作ります。 たとえば、 憲法第23条「学問の自由は、これを保証する」 という条文があります。 国会はこれに注意しながら法律を作らなければなりません。 もし、国会が勝手に「これからは英語の時代だから、日本語研究禁止法を作ろう!」なんて言い出して法律を作った場合。 これでは日本語の学問を行いたい人の自由を奪っている法律ができてしまいます。 つまり、学問の自由が保証されていない状態になってしまうのです。 それが嫌な国民は「それは憲法第23条に違反しているから廃止してよ!」と裁判所を通して訴えることができます。 このように、憲法に書かれていることを守っていない法律は廃止しなければなりません。 逆に言えば、法律は、憲法に書かれていることを守らなければ、作ることができないのです。 これが、 憲法は法律の王様と言われる所以です。 そして、もう一つ。 憲法について覚えておいてほしいことがあります。 それは、 「憲法は、国民が国家 (権力)に対して、発した法律」であるということです。 国家(権力)はしばしば暴走します。 昔は、国家(権力)が暴走したことによって、国民が虐げられていた時代がありました。 そこで国民は、国家(権力)に対して、「これだけは守ってくださいね」と憲法を作ったのです。 つまり、 憲法は国家(権力)が守らなければならない法律となっています。 では、日本の憲法について見ていきましょう。 スポンサーリンク 大日本帝国憲法のなりたち 日本でのはじめての憲法は明治時代に誕生します。 明治維新を経て、それまでの江戸時代から大きく世の中が変化していきました。 そんな時代のなか、日本は近代的な国家としての一歩を踏み出しますが、さまざまな問題が立ちはだかりました。 大きな一つが、当時最先端と言われていたヨーロッパに比べて、国家の仕組みが弱かったのです。 ヨーロッパの国々は、 「そんな不安定な国家に自国民は任せられない( 治外法権の受入)し、貿易もこっちの言う通りにしてもらう( 関税自主権の剥奪)から」と 日本に不平等な関係を求めていました。 当時政府中枢にいた 伊藤博文 らは、「日本をもっと強い国にするためには、政府の形を整えなければならない」と思い立ったのです。 そこで、日本の天皇制と似た制度を有していた、 プロイセン(現在のドイツ)の憲法を参考に、日本独自の憲法を作りました。 それが、日本初の憲法: 大日本帝国憲法 です。 立法を国会が、行政を内閣が、司法を裁判所がそれぞれ担う三権分立の体制を取っていましたが、 そのトップには天皇が据えられ、 天皇中心となる国家体制を定めたのが大日本帝国憲法です。 このように天皇中心の政治体制を 「天皇主権」と呼びます。 1889年2月11日に公布(法律などを発表すること)、 1890年11月29日に施行(法律などの効力がスタートすること)しました。 このように、 大日本帝国憲法は、 伊藤博文らによって、 プロイセン(ドイツ)の憲法を参考に、 天皇中心の国家体制を整えるべく作られました。 日本国憲法のなりたち 国内で大日本帝国憲法による政治が行われる中で、日本は日中戦争、太平洋戦争へと突入していきます。 1945年8月、日本はアメリカ、イギリス、中国などの連合国に対して降伏し、アメリカを中心とした連合国軍の管理下に置かれることとなります。 連合国軍総司令部(GHQ)のトップ:マッカーサー元帥は敗戦国となった日本を平和な国として建て直すために、手始めに国内の政治体制の再構築に取り掛かりました。 そのためには、それまでの天皇中心の国家体制を前提とした大日本帝国憲法を、 国民中心の国家体制 = 「国民主権」へと転換することが必要だと考え、新しい憲法の作成を命じます。 そこで困ったのは、作成を命じられた日本政府。 当時国務大臣であった松本烝治を委員長とする 松本委員会が憲法作成を担当したものの、それまで全ての頂点にあった天皇の扱いについて非常に苦労したようです。 松本委員会が製作した憲法案では、天皇を全ての権利の頂点とする大日本帝国憲法の原則はそのままでした。 それを見たGHQは日本政府に任せるのを諦めます。 GHQは自ら憲法を試作し、それを元に憲法を制定するように日本政府に迫りました。 日本政府はそれに従い、新しい憲法: 日本国憲法 を制定したのです。 1946年11月3日に公布、 1947年5月3日に施行しました。 このように、 日本国憲法は、 GHQらによって、 国民中心の国家体制を整えるべく作られました。 二つの憲法の違い、比較してみよう! これまで見てきたように、大日本帝国憲法と日本国憲法はそのなりたちや時代背景も大きく異なっています。 二つの憲法の違いを簡単にまとめましたので、違いを中心に覚えていきましょう。 大日本帝国憲法 日本国憲法 公布日 1889年2月11日 1946年11月3日 施行日 1890年11月29日 1947年5月3日 主権者 天皇 国民 軍隊 天皇直接率いる。 臣民(国民)に徴兵の義務あり。 軍隊は持たず、戦争を放棄。 国民の権利 法律の範囲内において認める。 全ての国民が生まれながらにして、 いかなるものにも侵害されない権利を持つ。 まとめ 大日本帝国憲法と日本国憲法。 二つの憲法を、そのなりたちと違いを中心に見てきました。 それぞれの憲法のストーリーを思い描きながら、違いを理解していきましょう。 スポンサーリンク 社会の勉強が苦手だ! とにかく覚えられない。 参考書を読んでいても頭に入ってこないんだよ! こんな悩みを抱えている方も多いのではないでしょうか。 それは理解しているんだけど… 山の名前、国の名前、偉人の名前… 参考書を眺めていても、想像力が働かなくて ただの文字としてしか頭に入ってきません。 これでは、ただの暗記であって 知識にはなっていないのです。 にもかかわらず、ほとんどの社会の参考書は 大事なポイントが文字でまとめてあるばかり。 社会が苦手な人にとっては、マジ苦痛ですよねw と、まぁ 参考書を眺めてばかりで 一向に理解が深まらなかった私は 社会の学習を半ば諦めていました。 しかし ちょっと学習する方向性を変えてみました。 すると! 楽しいくらいに理解が深まるようになってきました。 参考書では学ぶことができなかった 深い部分までの理解、そして知識のつながりが 頭の中にすっと入ってくるようになったのです。 理解が深まってくると、学ぶ意欲も高まり どんどんと積極的に社会を学ぶようになりました。 こうなってくると、参考書に書いてあった 今まではただの文字としてしか認識できなかった情報も サクサクと理解できるようになってきました。 こちらのスタディサプリという学習コンテンツを利用して 社会の授業を聴くことにしました。 > プロの社会講師が授業をしているので 話が面白い!! 雑学的な感じで、いろんな知識を話してくれるので どんどんと興味がわいてきて 知識欲が深まってきます。

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大日本帝国憲法とは?条文の内容や特徴と日本国憲法との違いについても解説

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現行憲法が明治憲法(大日本帝国憲法)と違う3つの点 前言を翻すようで恐縮ですが、現行憲法と明治憲法(大日本帝国憲法)の違いと言ってもそれをすべて挙げることはネット記事の都合上差し支えがありますので、ここでは現行憲法と明治憲法で大きく違う3つの代表的な点に絞って解説していくことにしましょう。 つまり、国の主権者が「天皇」から「国民」に変更されたという点です。 明治憲法では天皇を「神聖」なもの「侵すべからざる」ものと定義したうえで、「統治権を総攬」するものとして国を統治(政治)する権限、すなわち「主権」が天皇にあることが明文の規定で明確化されていました。 【大日本帝国憲法(抄)】 第1章 天皇 第1条 大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス 第2条 皇位ハ皇室典範ノ定ムル所ニ依リ皇男子孫之ヲ継承ス 第3条 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス 第4条 天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ (以下省略) 明治憲法では、絶対的・普遍的・不可変的な存在とされた天皇が主権者であるとされていたわけです。 しかし、その絶対化された天皇の主権(統治権の総覧者たる地位)が一部の国家指導者や軍人などに利用され、またそれに少なからぬ国民が同意を与えて(もちろん天皇もその同意を与えた一人だったわけですが…)迎合・熱狂し、先の不毛な戦争が引き起こされてしまいました。 明治憲法(大日本帝国憲法)でも一応は議会制民主主義の体裁だけは整えられていましたが、主権は国民になく天皇にありましたから、それは外見上の見せかけに過ぎない民主主義であり、その憲法上における民主主義の欠陥が軍国主義を拡大させてしまったのです。 そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。 これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。 われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。 (以下省略) 【日本国憲法第1条】 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。 このように、現行憲法では、天皇主権主義を採用し天皇を絶対的・普遍的な存在としていた明治憲法とは異なり、明確に主権が国民にあることを宣言し、その国民主権原理こそが「人類普遍の原理」であり絶対的・普遍的なものであることを明確に規定したところが大きな特徴であり、明治憲法と根本的に大きく異なっていると言えます。 (2)明治憲法で不十分だった基本的人権の保障が確立されたこと 明治憲法(大日本帝国憲法)から現行憲法への改正で大きく変更された点の2つ目は、基本的人権の保障が確立された点です。 この点、基本的人権については明治憲法(大日本帝国憲法)においても「第2章 臣民権利義務」以降の条文で一定の保障は明文化されていましたから、明治憲法でもその範囲で基本的人権の保障は確立されていたということもできます。 しかし明治憲法では、その基本的人権の保障については「法律ノ定ムル所ニ従ヒ…」「法律ノ範囲内ニ於テ…」「法律ニ依ルニ非スシテ…」あるいは「臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ」などと法律や臣民義務の留保が付けられており、また「天皇大権ノ施行ヲ妨クルコトナシ」とすることで戦争等が発生した場合は天皇の名において自由に基本的人権の制限が可能なものとされていました。 これは、明治憲法における人権が「天皇によって臣民に与えられるもの」に過ぎないと考えられていたからです。 【日本国憲法第11条】 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。 この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。 すなわち、明治憲法では「天皇から与えられるもの」に過ぎず国家権力が恣意的に制限することができていた不安定な基本的人権を、現行憲法の日本国憲法では「ただ生まれただけで与えられるもの」という自然権思想に立脚し「人類普遍の原理」であり「侵すことのできない」かつ「永久の権利」と定義して、絶対的・普遍的なものとすることで基本的人権の不可侵性を確立させたわけです。 このように、現行憲法の日本国憲法では、明治憲法で不十分だった基本的人権の保障を絶対的に侵すことができない権利として定義し、その人権保障(基本的人権の尊重)を確立させたところに大きな特徴があると言えます。 (3)明治憲法にはなかった平和主義が実現されたこと 現行憲法と明治憲法の大きな違いとして挙げられる3つ目は、現行憲法では明治憲法になかった平和主義の理念が明確に宣言されているという点です。 【大日本帝国憲法第11条】 天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス 【 大日本帝国憲法第55条】 第1項 国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス 第2項 凡テ法律勅令其ノ他国務ニ関ル詔勅ハ国務大臣ノ副署ヲ要ス そうした憲法上の欠陥が国家権力を掌握した指導者や軍人に利用され、また少なからぬ国民がそれに熱狂・迎合しその権力行使に同意を与えた(もちろん天皇もその同意を与えた一人ですが…)ことで天皇の名において東アジアと太平洋に軍隊を派遣し侵略の戦果を拡大させてしまったのが先の戦争です。 これは、戦後の日本が武力(軍事力)ではなく、積極的な外交努力によって日本を他国から「攻められない国」に、他国から「武力によって紛争解決を図られないような国」にしていくことで国民の安全保障を確保することを述べたものであり、これこそが現行憲法における平和主義の根源的な思想と言えるでしょう。 このように、現行憲法と明治憲法では、その平和を求める思想に根本的な違いがあり、明治憲法ではもっぱら「武力(軍事力)」によってその実現が望まれていた反面、現行憲法では「国際社会における信頼構築と世界平和実現への積極的な外交努力」によってその実現が要請されている点に大きな違いがあると言えます。 明治憲法(大日本帝国憲法)と現行憲法(日本国憲法)を「憲法の違い」として論じることに意義はない 以上で説明したように、現行憲法(日本国憲法)は、憲法の三原則として採用された「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」の三つの基本原理がすべて明治憲法(大日本帝国憲法)にはなかったものであり、憲法の基本原理が180度転換されたものであることが分かります。 憲法が国家権力の権力行使に歯止めをかけるためのものであることを考えれば、明治維新は単なるまやかしで、明治憲法(大日本帝国憲法)は「憲法」などではなく薩長幕府が作った武家諸法度に類似する法規範に過ぎず、先の戦争が終結したときにようやく昭和維新が成立し、1947年5月3日の現行憲法施行によってはじめて日本で「憲法」が制定され議会制民主主義が実現されたと考える方が正確なのかもしれません。 そのように考えれば、明治憲法(大日本帝国憲法)と現行憲法(日本国憲法)を「憲法の違い」という側面で比較して論じることはあまり意味のないことのようにも思えます。

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大日本帝国憲法と日本国憲法との違いは? | 日々是好日

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大日本帝国憲法と日本国憲法の違い 〇大日本帝国憲法 公布 1889年2月11日 施行 1890年11月29日 憲法の性格 欽定憲法 主権者 天皇 天皇の地位・権限 神聖不可侵、元首、統治権の総攬者、議会の許可なしに行使できる各種大権(統帥、外交、独立命令、緊急勅令) 人権 天皇の恩恵による「臣民の権利」、法律の留保 国会 天皇の協賛機関、衆議院と貴族院 内閣 憲法の規定なし、各国務大臣は天皇を輔弼、天皇に対して責任を負う 裁判所 天皇の名において裁判 軍隊 天皇の軍隊 非常事態 緊急勅令、戒厳令、非常大権、財政上の緊急処分 改正 天皇の発議により議会が議決 〇日本国憲法 公布 1946年11月3日 施行 1947年5月3日 憲法の性格 民定憲法 主権者 国民 天皇の地位・権限 日本国および日本国民統合の象徴、政治上の実権なし 人権 永久不可侵の基本的人権として保障 国会 国権の最高機関、衆議院と参議院 内閣 議院内閣制、国会に対して責任を負う 裁判所 司法権独立、違憲立法審査権 軍隊 戦争放棄、戦力不保持 非常事態 なし 改正 国会の発議により国民投票 は明治政府によりドイツの憲法を参考にして作成されました。 民間からの憲法案であるが出されましたが、政府は参考にすることなく独自で憲法を作成したため、欽定憲法と言えます。 欽定憲法とは君主が君主主権に基づき、自己の意思によって制定した憲法です。 一方の日本国憲法はを作らせました。 その過程で民間のを参考にしており、手続きは日本政府が憲法改正案として、選挙で選ばれた衆議院の議会にて可決された民定憲法となっています。 GHQが草案を作成、政府が憲法改正案を作り議会で承認という民主主義のプロセスを取っています。 大日本帝国憲法では主権は天皇にありましたが、日本国憲法では主権は国民にあります。 人権に関しては、大日本帝国憲法では「法律の範囲内」にて認められていました。 と言います。 つまり『悪法もまた法なり』という言葉の通り、や高等警察の設置など人権を激しく制限する法律ができた場合は、基本的人権は無いに等しいものだったのです。 日本国憲法では人権はに基づいており、犯すことができない生まれながらの権利とされています。 自然権という考えは、国家が存在する前から人間が生まれた時から持っている権利です。 国会、内閣、裁判所は大日本帝国憲法では天皇のための機関でしたが、 日本国憲法では三権が分立してそれぞれの権力が規定されています。

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