恋 は デジャ ブ。 「恋はデジャ・ブ」 ― 繰り返す同じ一日の中に何を見出すか

「恋はデジャ・ブ」 ― 繰り返す同じ一日の中に何を見出すか

恋 は デジャ ブ

2月2日の、日本でいえば啓蟄、節分は、アメリカではグラウンドホッグ・デイという。 グラウンドホッグつまりウッドチャックは、マーモットの一種、まあネズミかモグラみたいな動物である。 2月2日にグラウンドホッグが地上に出てきて、晴れていると自分の影が映るので、びっくりして穴に戻ってしまう。 曇っていればそのまま出てくる。 つまりグラウンドホッグが冬眠から覚めて春がくるのは、晴れていると遅くなる、という占いみたいなお祭りである。 発祥はドイツらしい。 ビル・マーレイはテレビで人気の天気予報官で、このお祭りの取材のため、ペンシルバニアの田舎町にやってくる。 自分はスターであると思っているかれは、傲慢に周囲をバカにしている。 ひとりで高級ペンションに泊まり、プロデューサーのアンディ・マグダウェルとカメラマンは、ビル・マーレイが罵倒する安ホテルへ。 ところがかれは、穴にもどってしまうグラウンドホッグのように、永遠にこの日から出られなくなってしまい、冬に閉じ込められたままになる。 朝6時の目覚ましを止めて起きると、毎日2月2日。 2月3日が来ないのである。 前の日にやったことは、朝起きるとすべてチャラ。 振り出しにもどっている。 シナリオではかれはこれを、3000回くらい繰り返したことになっているらしい。 10年間ずっと同じ1日を繰り返した、ということである。 最初は何をやってもいいんなら羽目を外せと、線路の上で車を走らせ、警察につかまって留置所に入れられる。 朝起きるとまた自分のベッドに戻っているので、最初かれはやった、と思う。 つぎは女性を口説きまくるのだが、そうしているうちにじつは、好きなのはアンディ・マクダウェルだ、と気づく。 そこで今度は彼女を口説き、1回ごとに彼女の好きなもの、嫌いなものを学習していくが、どこまでやっても嘘くささが抜けなくて、彼女にビンタされて終わる。 絶望したかれは何度となく自殺をくりかえすが、次の朝になるとまたベッドで起きている。 死ぬこともできないのだ。 スター気取りの自己中男も、同じ日を3000回も繰り返していると、さすがにいろいろ学んでくることがある。 かれはピアノを習いはじめ、ゼロからジャズピアノまで弾けるようになる。 他人に関心のなかったかれが、人助けを始め、おばあさんたちの乗った車のパンクをなおし、ホームレスのおじいさんにお金をあげたり、ごはんを食べさせてあげたり、病院にかつぎこんだりするようになる。 つまりどんどんいい人間、いい男になっていくわけである。 策略ではなく、自分そのものの中身が変わっていくことによって、アンディ・マクダウェルはどんどん、かれに首ったけになってくる、というわけ。 ハロルド・ライミスはこの映画のアイディアを、ニーチェの永劫回帰の思想から得たという。 来世で救済されるために、いま我慢するのではない。 いまこの瞬間を、日々を、充実したものにしていなくては、日々の繰りかえしに耐えられない。 あとでくる救済への担保としての人生ではなく、いまを生きる、ということ。 永遠に現在というものしかないのだ。 同じことの繰りかえしとは、じつは多くの人が生きていることである。 ビル・マーレイがやっていることは、その誇張された戯画にすぎない。 同じ日ではないけれど、同じような日々。 日々の単調な繰りかえしを、受動的にではなく、主体的に引き受ける。 箱の中から出るエネルギーは、一期一会にいまを生きる日々の、気づきと行動のつみかさねによって、つくられていく。 という哲学を、日々実践に落としこむのは、もちろんたいへんなこと。 この映画ではビル・マーレイが、3000回くらいやればジャズピアノも弾けるようになるし、人格もよくなり、アンディ・マクダウェルも落とせるよ、と言ってくれている。 恋はデジャブ.

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恋はデジャ・ブ:自分の箱から出るための方法|田中ちはる|note

恋 は デジャ ブ

恋はデジャ・ブ あらすじ 主人公のフィル(ビル・マーレイ)はお天気キャスター。 尊大で自己チューで、思い上がったいやーな野郎… 2月2日、聖燭祭(GROUNDHOG DAY)の取材をしに、ペンシルバニアの田舎町を訪れる。 宿で眠り、目を覚ますと再び2月2日の朝だった。 目覚めるたびに何度も何度も同じ一日がやってくる。 繰り返し続ける時間の中で、同行の美人ディレクターを口説こうとするフィルだけど… 恋はデジャ・ブ。 それにしてもすごすぎる邦題だ! たしかに恋だし…デジャ・ブはわかりやすい言葉だけど、さ。 ウッドチャックという生き物だそうです。 後楽園ゆうえんちのドンチャックみたいでぷりぷりしてかわいい! 目覚めるとまた同じ日。 永遠に繰り返す中で変わっていく主人公。 目覚めると2月2日。 夜が来て眠り、目覚めるとまた同じ2月2日。 そんな不思議ループのなかに入ってしまった主人公。 周りの人に状況説明をしても信じてもらえず、だんだん死にたくなって自殺しても、また同じ2月2日。 いろんなことを試してそこから抜け出そうとするけど、できません。 毎朝同じ台詞でフィルに話しかける町の人、広場でダンスを踊り、カフェで食事をする人たち。 悪夢のようにくり返す同じ場面だけど、彼らにとってはごく普通の新しい一日! 1人ポツンと取り残された主人公フィルの混乱や怒り、絶望からなんとか希望を見いだそうとする姿を、やさしい視線で描きます。 うふふと笑わせます。 いやあ、面白いなあ。 ふてぶてしさ全開のビルマーレイ! 悔い改めるビル・マーレイといえば「3人のゴースト」も 同じビル・マーレイ主演の1988年の映画「3人のゴースト」は、 チャールズ・ディケンズの『クリスマス・キャロル』を現代風にアレンジした、悔い改めて改心する物語。 頻繁に悔い改める男、ビル・マーレイ。 クリスマス・キャロルは、過去・現在・未来の人生と向き合うことで、善く生きることに目覚める物語でした。 永遠に繰り返す1日を、どう生きるか 「恋はデジャ・ブ」では、自分のことしか考えていない男が、閉ざされた時間のなかで、絶望したり、自暴自棄になったりしながらも、自分の愚かさや、心と向き合うことに。 どうにもできない状況を受け入れ、閉ざされた時間をどうやって充実させるか?と視点を変えたときに、絶望が希望へと変化します。 「永遠に繰り返される一日を、どんな日にするか。 いかに生きるか」そこから、より善く利他的に生きることに目覚めていきます。。 尊大だったフィルのふてぶてしい顔がだんだん可愛く見えて来て、さりげなくもホッとするラストシーンがやってきて… しみじみとした終わり方に思わず感激。 こういう地味な佳作って貴重だなあ。 変な邦題だけど、しみじみ良いのでおすすめです!.

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恋はデジャ・ブ:自分の箱から出るための方法|田中ちはる|note

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2月2日の、日本でいえば啓蟄、節分は、アメリカではグラウンドホッグ・デイという。 グラウンドホッグつまりウッドチャックは、マーモットの一種、まあネズミかモグラみたいな動物である。 2月2日にグラウンドホッグが地上に出てきて、晴れていると自分の影が映るので、びっくりして穴に戻ってしまう。 曇っていればそのまま出てくる。 つまりグラウンドホッグが冬眠から覚めて春がくるのは、晴れていると遅くなる、という占いみたいなお祭りである。 発祥はドイツらしい。 ビル・マーレイはテレビで人気の天気予報官で、このお祭りの取材のため、ペンシルバニアの田舎町にやってくる。 自分はスターであると思っているかれは、傲慢に周囲をバカにしている。 ひとりで高級ペンションに泊まり、プロデューサーのアンディ・マグダウェルとカメラマンは、ビル・マーレイが罵倒する安ホテルへ。 ところがかれは、穴にもどってしまうグラウンドホッグのように、永遠にこの日から出られなくなってしまい、冬に閉じ込められたままになる。 朝6時の目覚ましを止めて起きると、毎日2月2日。 2月3日が来ないのである。 前の日にやったことは、朝起きるとすべてチャラ。 振り出しにもどっている。 シナリオではかれはこれを、3000回くらい繰り返したことになっているらしい。 10年間ずっと同じ1日を繰り返した、ということである。 最初は何をやってもいいんなら羽目を外せと、線路の上で車を走らせ、警察につかまって留置所に入れられる。 朝起きるとまた自分のベッドに戻っているので、最初かれはやった、と思う。 つぎは女性を口説きまくるのだが、そうしているうちにじつは、好きなのはアンディ・マクダウェルだ、と気づく。 そこで今度は彼女を口説き、1回ごとに彼女の好きなもの、嫌いなものを学習していくが、どこまでやっても嘘くささが抜けなくて、彼女にビンタされて終わる。 絶望したかれは何度となく自殺をくりかえすが、次の朝になるとまたベッドで起きている。 死ぬこともできないのだ。 スター気取りの自己中男も、同じ日を3000回も繰り返していると、さすがにいろいろ学んでくることがある。 かれはピアノを習いはじめ、ゼロからジャズピアノまで弾けるようになる。 他人に関心のなかったかれが、人助けを始め、おばあさんたちの乗った車のパンクをなおし、ホームレスのおじいさんにお金をあげたり、ごはんを食べさせてあげたり、病院にかつぎこんだりするようになる。 つまりどんどんいい人間、いい男になっていくわけである。 策略ではなく、自分そのものの中身が変わっていくことによって、アンディ・マクダウェルはどんどん、かれに首ったけになってくる、というわけ。 ハロルド・ライミスはこの映画のアイディアを、ニーチェの永劫回帰の思想から得たという。 来世で救済されるために、いま我慢するのではない。 いまこの瞬間を、日々を、充実したものにしていなくては、日々の繰りかえしに耐えられない。 あとでくる救済への担保としての人生ではなく、いまを生きる、ということ。 永遠に現在というものしかないのだ。 同じことの繰りかえしとは、じつは多くの人が生きていることである。 ビル・マーレイがやっていることは、その誇張された戯画にすぎない。 同じ日ではないけれど、同じような日々。 日々の単調な繰りかえしを、受動的にではなく、主体的に引き受ける。 箱の中から出るエネルギーは、一期一会にいまを生きる日々の、気づきと行動のつみかさねによって、つくられていく。 という哲学を、日々実践に落としこむのは、もちろんたいへんなこと。 この映画ではビル・マーレイが、3000回くらいやればジャズピアノも弾けるようになるし、人格もよくなり、アンディ・マクダウェルも落とせるよ、と言ってくれている。 恋はデジャブ.

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