日本 プロレス 歴史。 知っていれば楽しさ倍増!日本のプロレスの歴史を簡単チェック|【SPAIA】スパイア

スターが連続離脱の新日本プロレス。繰り返されてきた危機と再生の歴史。

日本 プロレス 歴史

4万5千の大観衆を集めた試合は61分、ノーフォールの引き分けでした。 当時力道山32歳、ルーテーズ41歳。 そして、 1988年3月18日にオープンした東京ドーム。 オープン当初は 「BIG EGG」と呼ばれてましたが、いまはどうなんでしょうか。 そして、当時人気絶頂の第二次UWFが 〇1989年11月29日「U-COSMOS」 を行います。 メインは北斗晶vsアジャ、北斗勝利。 終電を超える全23試合、伝説のズンドコ興行。 新日本プロレス 対 UWFインターナショナル 全面戦争」 平日の緊急開催にも関わらず、当時の動員記録を打ち立てる大ヒット興行に。 *この1997年は 大阪ドーム、ナゴヤドーム、福岡ドームの4大ドーム興行開催。 *この年は福岡ドーム、大阪ドームでも興行。 メインは三沢vs川田、川田勝利。 メインは三沢光晴vsベイダー、三沢勝利。 ジャイアント馬場引退(追悼)セレモニー。 ハンセン引退セレモニー。 メインは川田 健介vs天龍 馳、川田が馳から勝利。 メインは中邑vsボブサップ、サップ勝利。 三沢vs武藤タッグ戦。 メインは小橋vs秋山のGHCヘビー級選手権、小橋勝利。 健介vs小橋が同年ベストバウト受賞。 メインは三沢vs川田、三沢勝利。 こうして並べてみると壮観ですね。 当初は広すぎてプロレスには不向きとされた東京ドームも、いまや完全に定着しました。 それもこれも、あの時に したお陰です。 そしてプロレスではないので除外しましたが K-1 GRAND-PRIXや PRIDEの東京ドーム大会もたくさんありましたし、中には小川直也vsマットガファリ戦 「LEGEND」などのスーパーズンドコ興行もありました。 しかし、東京ドームといえばやはり新日本プロレス。 人気がV字回復、と言われて久しい新日本プロレスですが、かつての4大ドームツアーに比べると、年1開催なのは物足りない気がしてしまいます。 そして試合内容や世界への発信、ネット中継などの進化は目覚ましいものがありますが、かつての UWFインターナショナルとの全面対抗戦、そして90年の鶴田、天龍参戦で大爆発した 「スーパーファイトin闘強導夢」などの伝説の興行を生観戦した私からしたら、もっとヒリヒリしたものを期待してしまいます。 もっとも、2000年代、俗に言う 「暗黒のゼロ年代」のドーム興行は見るに耐えないツラくて寒くて塩過ぎる時期でしたので、よくぞここまで復興した、とも思う訳ですが(笑)。 これからの東京ドーム大会に期待しましょう!(私はもう何年も行ってませんが) 完.

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地球上最後のネアンデルタール人、リアル猿の惑星、リアルドンキーコング、野人……これほど多くの呼び名で愛されたプロレスラーが過去にいただろうか。 2月22日、後楽園ホールで新日本プロレスは「中西学引退記念大会」を開催した。 指定席 はファンクラブ先行販売のみで完売。 なお新型コロナウィルス感染症の流行懸念から、事前申込制のTeam NJPW会員撮影会は抽選当選者にも数日前に中止のメールが届いていた。 当日の客席も多くはマスク姿だ。 今後、世の中がどうなるかは誰にも分からない。 毎日スポーツ新聞を買いにコンビニへ行ったついでに、マスク入荷してねぇかな……なんて思ってしまうセコい自分が嫌になっちまう。 ただ、いつの時代も憂鬱なニュースが多い時ほど、人は日常と非日常の境界線に存在するプロレスを見たくなる。 現在53歳の中西学は1992年バルセロナ五輪フリースタイル100kg級日本代表という輝かしい経歴を持ち、新日本プロレス入団後の同年10月に藤波辰爾のタッグパートナーとしてデビュー(コスチュームはレスリングタイツにヘッドギア)。 身長186センチ、体重120キロの日本人離れした体格を誇るヘビー級レスラーとして将来を嘱望された。 99年のG1決勝戦で武藤敬司をアルゼンチン・バックブリーカーで破った初優勝、09年に棚橋弘至に勝利して掴んだプロ17年目の初のIWGPヘビー級王座、12年10月に両国国技館で中心性脊髄損傷の大ケガからの復帰戦、巡業中にTwitterでアップされるクレイジーな量の朝食バイキング写真モンスターモーニング、なんだかよく分からない中西ランド……と思い出のシーンは数多いが、個人的に印象深いのは2000年代前半の中西の姿だ。 格闘技ブーム真っ只中 の2003年6月29日、K-1 BEAST IIでは「K-1行って来い!」なんつって猪木から闘魂ビンタを食らい、お前はそれでいいや的に雑に送り出されると、元世界アマチュア相撲準優勝者のTOAに滅多打ちにされ前のめりに崩れ落ちる壮絶なKO負け。 現地で試合を見つめる蝶野正洋や永田裕志の「なんでこんなことやらせるんすか……」という表情が印象的だった。 そして2005年1月4日、東京ドームの第7試合「アルティメットロワイヤル 8選手参加U・Cルールバトルロイヤル」。 通常のリング上で2試合同時に総合格闘技の試合を進め、8人トーナメントで優勝者を決める特別ルール。 いまだに暗黒期の象徴と語られるズンドコ大会だが、あれはロン・ウォーターマンvs成瀬昌由と中西学vs矢野通から始まっている。 アーミーパンツ姿のソルジャー中西に対し、矢野はレスリングベースの堅ぇ動きで淡々と戦い敗北。 場内が唖然としていると次の試合の4人が入れ替わりでリングに上がる。 誰だってこんなことをしていたら明るい未来が見えないことに気付くだろう。 その後、中西はフロントチョークであっさりロン・ウォーターマンに負けて、永田は朝青龍の兄ドルゴルスレン・スミヤバザルやブルー・ウルフと戦う。 今、こう書いていても救いようのないカオスだが、このどうしようもない混乱期に新日を支えたのが永田や中西である。 古き良きデカくて強くて信じられないくらい食べて少し天然のプロレスラー。 そして、時代は令和に突入し、その役割を終えた。 2月9日にはプロデビューの地、大阪城ホールの花道を歩いた 中西は愚直なザ・プロレスラーだった 正直、中西がプロレスと格闘技の狭間で苦悩していた頃、当時20代のファンからしたら野人は中邑真輔や柴田勝頼と比べるとどうしても古く野暮ったく見えてしまった。 PRIDEやK-1が隆盛を極めた時代の波に飲み込まれた不器用なベテランに思えたのも事実だ。 でもあの09年にIWGPヘビー級ベルトを獲った時、中西は42歳でセコンドに付いていた永田は41歳だったが、気が付けば2020年の今の棚橋が43歳である。 もちろん、リング上のレスラーたちだけでなく、自分も思いっきり中年男になっちまった。 で、真夜中に柿ピーと缶チューハイ片手に新日本プロレスワールドで、2000年代の中西の試合を見るとまた当時とは違った感想を抱く。 会社の都合に振り回され、それでも男は黙ってリングに立ち、文字通り身体を張り激しい批判も浴び、ボロボロになりながら次の世代に継承した。 それってめちゃくちゃ格好いい生き様ではないだろうか。 今、あの頃の中西の年齢になって、己の青さが身に沁みる。 ガキの俺は何も分かっちゃいなかった。 とてもじゃないが傾きかけた組織の中でそんなハードな役割をこなす自信はない。 で、思うわけだ。 中西学の愚直すぎる27年間のプロレス人生の濃さを。 ゴメン野人、ありがとう上からドン。 だから、様々な感情を乗せ中西の引退試合は特別リングサイドの を買った。 メインイベントは中西を中心に永田、天山広吉、小島聡ら第三世代の4人が集結し、8人タッグマッチでオカダ・カズチカ、棚橋弘至、飯伏幸太、後藤洋央紀組と対戦。 野人は最後に後輩たち4人全員のフィニッシュホールドを順番に受けて派手に散った。 試合後には坂口征二、長州力、藤波辰爾、馳浩らレジェンドが駆けつけ花束贈呈。 リング下で棚橋や柴田といった第三世代からバトンを継承された彼らが涙を堪えているのが印象深かった。 令和2年、ライガーがリングを去り、そして中西もいなくなる。 時計は容赦なく進んでいく。 今後、新日本プロレスはこれまで以上に世界展開へ邁進するだろう。 でも、それを可能にしたのは冬の時代に中西学のようなプロレスラーが必死に歴史を繋いだからだ。 暗黒期に覚悟を決め、消えかかった炎をギリギリで守り抜き、微かな明かりを照らした。 彼もまた平成新日史に残る炎のファイターのひとりだ。 心から、お疲れさまでしたと惜別と感謝の拍手を送りたい。 後楽園ホールで、野人は「一度プロレスをしたからには、死ぬまでプロレスラーやと思ってますんで!」と別れの言葉を残したが、俺らも一度プロレスを好きになったからには、覚悟を決めて死ぬまでプロレスファンであり続けたいと思う。 SPICER.

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【2020年】現存する日本のプロレス団体一覧〜都道府県別〜

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スポンサーリンク 新日本プロレスワールド、テレプロレスリング、ユニオーネスペシャル見ると新日本プロレスの歴史を感じます。 アポロ55やノーリミット、邪道外道と今でもトップで活躍しているレスラーがジュニアで戦っていたの頃があったのでだと改めて感じました。 10年前の新日本プロレスは暗黒期と言われながら試合のクオリティは高い ユニオーネスペシャルを見ると今の新日本プロレスと遜色ないレベルをしていると思います。 ユニオーネスペシャルではユニオーネがジュニアのため、ジュニアの試合の配信でした。 配信する試合を見ると、ジュニアのレベルは高いように思います。 この時代を見てから今の新日本プロレスを見るなんとも面白い景色になります。 最近ファンになった人はまさか内藤と裕次郎が組んでいたなんて思わないでしょうね。 ユニオーネに関してはタイチが解説するときにはちょくちょくユニオーネのネタを言うので昔組んでいたのかなと思う人はいるかと思います。 まぁ今回のユニオーネスペシャルは匂わせの部分に焦点を当てたものになってはいると思います。 タイチにとって田口は意識する存在 タイチと田口は同い年のデビュー年も一緒と本人が語ってました。 田口はヤングライオンから中邑を除けば期待をされた選手で、順調に正統派の道をたどってきて、実績を積んできました。 それに比べてタイチは川田の弟子入りしデビューをしましたが、良い実績もなく、川田とともに全日本プロレスを退団した後は他団体に参戦し、新日本プロレスに入団しました。 田口とタイチの実績を比べると田口の方が実績があるのは間違いないところであります。 今はノアの参戦でのGHCジュニアヘビーのタイトルやヘビー級転向での活躍もあり、タイチ自身のプロレスラーの価値は上がったと思います。 しかし、先ほど述べたように田口の方が先にレスラーとして実績を積んでいったので、そこはタイチ自身が言っていたように意識はすると思います。 このタイミングでユニオーネスペシャルを行ったことで、レスラーの過去を知ることができ、プロレスを見方を変えることができ、プロレスを見て考える可能性が広がったと思います。 この企画は純粋楽しめました。

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