米津玄師 lemon 歌詞 意味。 米津玄師『Lemon』歌詞の意味は?ハイヒールが意味する理解されない想いとは?ドラマ「アンナチュラル」主題歌

米津玄師 Lemon

米津玄師 lemon 歌詞 意味

ドラマ内容が「不自然死研究所」を舞台とする「死」を扱ったものであることと、米津さん自身が雑誌インタビューにて「この曲を作っている最中にうちのじいちゃんが死んだんです。 それで今まで自分の中で作り上げてきた『死』に対する価値観がゼロになった。 結果、『あなたが死んで悲しいです』とずっと言ってるだけの曲になりました」と語っていることから、 「大切な人との死別を歌った曲」と考えている方も少なくないようですね。 また、この曲が当初より「アンナチュラルの主題歌」という決定ありきで作られたものであることも、やはり「死別」がテーマだと推測する根拠になっているようです。 しかし、歌詞に登場する二人のストーリーについて、私個人の考えは少し違います。 なぜなら、この楽曲の歌詞には、想いをつづった対象者が現在進行形で存在していることが示唆されているからです。 ただ、たとえ二人が生きていて互いを想い合っていたとしても、さまざまな理由から「永遠の別れ」が訪れることはありますね。 それは、物理的な距離が離れた場合かもしれませんし、どちらかが「完全なる別の未来」を選択したときかもしれません。 ですからこの曲は、米津さんが「身内の死」にインスパイアされた、「永遠の別れ(その原因は死と限定されていない)」を主軸に置いた曲であると考えます。 スポンサーリンク? においに関する記憶は色あせにくい 次に、楽曲名でもあり、歌詞の中にも登場する「Lemon」についての考察です。 「においに関する記憶は色あせにくい」という事実をご存知でしょうか? ヒトの嗅覚に関するシグナルは、視床を通らずダイレクトに大脳へ流れ込むため、何らかの香りを伴った記憶は、心にとどまりやすいんだそうです。 私にも経験があるのですが、ある特定のにおいを嗅いだときに、瞬間的に同じにおいをまとっていた知人との思い出がフラッシュバックされた…なんてことがないですか? おそらくこの歌の主人公は、彼女(全体の流れから察するに、私はこの曲は恋愛の歌だと思っています)との思い出に「レモンの香り」が紐づいていたのでしょう。 歌詞では「あなたとの思い出=レモンの匂い」という関連性が示唆されていますから、彼女がレモンや柑橘系の香水を好んでいたのかもしれませんし、レモンティーをよく飲んでいた、なんてこともあり得るかも。 そのため、今もふとレモンの香りを嗅ぐと、彼女のことが胸に浮かんでしまうのではないでしょうか。 また、「1/2の林檎」という話があるように、二つに切り分けられたフルーツなどは、「別れてしまった運命の二人」の象徴として比喩表現に使われる場合があります。 歌の主人公は、「本来一つのものであったほどに大切な片割れ」との永遠の別れを憂い、そこから進むことができないでいるのかも知れませんね。

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感想『Flamingo/TEENAGE RIOT:米津玄師』面白みに溢れた曲たち

米津玄師 lemon 歌詞 意味

米津玄師 の「Lemon」について書いてみたい。 なお、新曲についてこちらに書いたので、読んでみてください。 関連記事: スポンサーリンク 前置き この歌は、ドラマ「アンナチュラル」に書き下ろされたもので、「アンナチャラル」は死んだ人の解剖をする話らしい。 で、「Lemon」も別れの歌なので、そんな切ない作品とリンクするところがたくさんあるわけだけれど、その辺も汲んだり汲まなかったりしながら、個人的な視座で歌詞の意味を考えてみたい。 わたしとあなたの関係性について 「自分が思うより恋をしていた」とあるように、わたしとあなたは恋人関係にあったように思われる。 わたしは今でもあなたのことを特別に思っているが、何か理由があって、わたしはあなたにもう二度と会うことができないし、話すことすらできない状態であることがわかる。 記憶の中でしか出会うことができないあなたへの歯痒くも強い感情をレモンに喩え、歌うわけである。 ところで、この歌、他の歌詞を考察されているサイトをみていると、わたしがあなたに会えなくなったのは「死別である、という筋書きをしている人が多いように見受けられた。 確かにドラマもそういうテイストだし、こんなに想いあっている二人がもう二度と会えないなんて「死別」しかないって判断もわからなくはない。 この場合、死んだのはあなたであり、あなたのことを想い続ける残された側のわたし、って路線で考える人が多いとは思うんだけど、その筋書きには個人的に「むむむむ」と感じるところがある。 「死んだのは誰だ?」 例えば、二番のサビ。 「どこかであなたが今 わたしと同じ様な涙にくれ 淋しさの中にいるなら わたしのことなどどうか 忘れてください」とあるが、これはあなたがどこかで生きていて、生活をしているから出てくるフレーズだと思うのだ。 死んでいる相手に「忘れてください」は変だと思う。 もちろん、天国でわたしのことを想っていることを想定して、って話なのかもしれないけれど、あなたが天国にいるなら、「もしかしたらわたしには見えないかもしれないけれど、実はあなたはわたしの近くで微笑んでくれているかもしれない」みたいなポジティブな考え方もできるけれど、このフレーズはそういう可能性を一切否定している。 いなくなったあなたを想像するなら、そういう考え方だってできるけれど、それは決してしない。 かといって、もうあなたの意識なんてこの世界にはないんだ、って決めつけてるなら「忘れてください」はやっぱり変で。 となれば、あなたはどこかで生きてる、って考える方が個人的には納得がいく。 けれど。 もしあなたが生きていて、わたしが死んでいるのだとしたら、わたし側からの「忘れてください」は成立すると思うのだ。 だって、死んだわたしのことを想ってあなたが泣いているならば早く忘れてください、って願いは、すごく切実だけど理解できるはずだ。 別れた恋人できる最後の優しさって、一刻も早く相手を前に向かせ、次の恋に向かわせるようにすることだと思うから。 わたしが死んでるなら幽霊のわたしはあなたに会いに行けばいいじゃん、って話もあるけれど、それは天国なり地獄なりに掟があって、そう容易いものではない、という考えでとりあえず納得して頂きたい。 で、もしわたしが死んでいるのだとしたら 「昏い過去が昏いまま」なのも納得できるし、 「きっとこれ以上傷つくことがないこと」にも納得できるし、 「雨が降り止むまでは帰れない」というのも納得できる。 要は成仏できないことの言い換えと捉えられる だって、わたしには気持ちが変化する未来がないわけで。 だから、こんなにも時間が止まったままのような言葉が並べられるのである。 過去曲との関連性 なんでこんな話をするのかといえば、それなりの理由がある。 米津の歌で、他に「檸檬」というフレーズが出てくる歌といえば「あたしはゆうれい」というものがある。 この歌でも、なんとも言えない切ない感情を「檸檬」と表現しているのだが、この歌はタイトルにもある通り「主人公がゆうれい」になっている歌である。 勘のいい人なら言いたいことがわかると思う。 感情を檸檬で比喩するということがイコールで繋がるのならば、主人公がゆうれいという等式も成り立つのではないか?という話。 もちろん、この考えが少し強引なのは承知であるが。。。 ところで、今回の歌は、他の米津の過去曲と似たようなモチーフを扱っているように感じる。 例えば「アイネクライネ」。 この歌では 「今痛いくらい幸せな思い出がいつか来るお別れを育てて歩く」というフレーズが出てくるが、これは、恋には絶対終わりがくることを知っていて、今が幸せであればあるほど、終わりの悲しみが大きくなることを知っている人生観が投影されている。 また、「大切な人であっても本音を隠して生きることを選んでしまう主人公像」も描かれている。 どちらも「Lemon」の世界観と通底する価値観である。 そう言えば、米津は以前、なにかのインタビューで「自分は素直に自分の気持ちを、例えば『好き』という気持ちをちゃんと相手に伝えることができなかったから、疎遠になってしまった人が何人もいた」と語っていた。 本音を隠してしまう心情と、それに対する後悔を誰よりも知っているからこそ、歌詞に色濃くそれが投影されるのかもしれないし、「Lemon」の世界観がリアリティーを持って表現されるのは、そんな米津の人生観があるからこそなのかもしれない。 悲しみと苦しみについて 「Lemon」という歌が奇妙だなーと思うのは、わたしとあなたとの間に「幸せなエピソード」がちっとも出てこないところである。 確かにわたしがあなたのことをすごく想っているのはよくわかる。 そして、もう会えなくなってしまったことが受け入れられず、ひどく後悔していることもよくわかる。 けれど、サビをみてもわかるとおり、あなたとの想い出は「悲しみ」や「苦しみ」とともにあるし、昏い過去云々のくだりや、あなたとの想い出を「苦いレモン」で形容していることからもわかるとおり、「楽しい」とか「幸せ」からは、すごく距離のある回想をしていることがわかる。 単純に仲の良いカップルだったならば、楽しいだらけの日々だったからこそ今は寂しい、みたいなテイストになるはずなのに、「Lemon」にはそんな光の描き方がされることはない。 それでも、わたしにとってあなたは「光」だったのだから、きっと良い思い出もたくさんあったはずだとは思うけれど。 気になるのは、サビでいう「悲しみ」と「苦しみ」は何を指すのかということ。 それは、あなたが個人的に抱いていたものなのか、あなたとの生活で生まれたものなのか。 それによって、一連の歌詞の読み方は変わってくるわけだが、これ自体が歌詞で説明されることはないので、あとは個人の想像力に任せるしかない。 もし、これがあなたとの生活で生まれた「悲しみ」だとすれば、読み方によっては、あなたはひどい浮気癖があって、それでいつも悲しませてばかりいた、みたいな話に置き換えることだってできる。 「何をしていたの 何を見ていたの わたしの知らない横顔で」なんて、浮気を想像する女の図が浮かんできそうだし、 「言えずに隠してた昏い過去」なんて、まさしく浮気をしていたことのようにも考えられるし。 流石にこの解釈はちょっとアレだけどさ スポンサーリンク 死別じゃなくても、大切な人に会えなくなることはある 結局、死別したのかしていないかは、この歌ではわりとどうでも良いことなのだと思う。 大事なのは、大切な人に会えなくなったそのときの「気持ち」の部分である。 会えなくなった理由は死別だろうが、浮気だろうが関係ない。 会えなくなってしまった悲しみをどう考えるのかが大事なのだ。 SNSが発達したこの世なので、繋がろうと思えばたくさんの人に繋がれるし、その気になったら自分の気になった人が何をしているのかの探りも入れやすくなったわけだけれど、不思議なもので、一旦ただの他人だった人が「特別な人」に昇格して、その後に「違う人生」を歩むことになってしまうと、もう二度と会うことも連絡をとることもできず「古びた思い出の埃を払う」のように、ときどき夢の中で会うだけの存在になってしまったりする。 恋人になるなんて、まさしくその典型で。 「言えずに隠していた昏い過去」をさらけ出せる存在であっても、「あんなに側にいた」としても、恋人であることを止めてしまえば、そのあとに、お互いがどんな気持ちを心の中に留めていたとしても、本当は言いたいことが幾つかあったとしても、他人よりも遠い存在になってしまう。 それはある種、死別よりも遠い距離を生きることを意味する。 恋愛ってすごく二人の距離を近づけるものだけど、その距離が近くなればなるほど、その恋が終わってしまえば、近かった分、すごく遠い存在になってしまう。 ただの「他人」なら疎遠になったとしても疎遠になったことすら気づかないんだけど、恋人の場合、そういうわけにはいかないわけで。 一度切り分けた果実が、くっ付いてひとつになることは二度とないように、お互いが別々の道を歩んでしまったら、その二人が交わることはもうないのだ。 例えそれがどれだけ「大切な人」だと胸をはれる人なのだとしても。 その事実をちゃんと「悲しみ」として感じとれるならあなたは立派な人で。 だからこそ、悲しみをちゃんと悲しみに感じ取れるという事実に確かな希望を託すため、米津はこの歌の末尾は「そんなあなたが光であること」を何度も繰り返し断言しているのかもしれない。 別れた過去と悲しみがただの過ちではなく、未来へと繋がり、確かな希望に転ずることに期待しながら。 ちなみに米津本人の言葉として 『Cut』のインタビューで彼は 「この曲を作っている最中にうちのじいちゃんが死んだんです。 それで今まで自分の中で作り上げてきた『死』に対する価値観がゼロになった。 結果、『あなたが死んで悲しいです』とずっと言ってるだけの曲になりました」と語っている。 歌詞の意味に対する回答という意味では、この言葉で全て完結していて、だからこそ「大切な人を失う悲しみ」がここまで悲痛に響くわけである。 ただ、米津がこう語りながらも、そんな曲ができたのは、前作のアルバムでたくさんの人とコラボしたからだとも語る。 菅田将暉、Daoko、池田エライザ…。 合理的なものからの逸脱。 それが一番美しいんだろうなあっていう価値観は、菅田(将暉)くんやDAOKOちゃんや(池田)エライザから教えてもらったような気がします。 とのこと。 人との出会いと別れがあったから生まれた曲、ってまとめるとすごくエモく響くなーと思ったりする次第。 スポンサーリンク.

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米津玄師「Lemon」はなぜ人気があるのか?大ヒットの理由は?|Moriの音楽ラボ

米津玄師 lemon 歌詞 意味

米津玄師さんの3rdアルバム 『 Bremen』収録されている楽曲です。 MVはアニメーションでの構成になっていますね。 この『 メトロノーム』、シングルカットはされていないのにも関わらず、かなりの人気がある楽曲になっています。 理由はその 歌詞の切なさと、その 世界観を本人が描いたアニメーションの MVにあります! 「メトロノーム」MVの画像イラストは200枚! 1人の女の子がメインに描かれたMV。 その作画は 米津さんご本人によるものなんです! これだけでもびっくりなプロモーションなのですが、その画像イラスト枚数は 200枚! そして 「徳島国際短編映画祭」でも上映されるなど MVの枠を超えた作品になっています。 楽曲のみならず、MVまで自分で作っちゃうその拘りの強さ! 私も見習わないといけません…(笑) それにしても、このMVの中で出てくる少女。 その姿が一瞬怖い姿に何度も変わるんです。 これはこの歌詞の世界と何か関係があるんでしょうか… アルバム「Bremen」にはCMソングも収録。 米津玄師「メトロノーム」歌詞の意味を考察 先ほど「 切ない歌詞」と少しフライング気味に話しましたが(笑)この曲はゆっくりとしたテンポで作られています。 手拍子が印象的な曲は、 閉じられた目が涙を流す一枚のイラストから始まります。 この1枚目のイラストの意味する物語の内容とは・・。 何かが起きた後のことを少し悔いているような、そんな感じがします。 「出会い」は幸せの始まりに感じますが、同時に「終わり」をも意味するものです。 それが決まっているとは思いたくはないですが、必ず来るその瞬間をすでに感じているような一節です。 タイトルでもあるメトロノームが一つ、 寂しげに時を刻んでいるシーンが目に浮かびます。 最後に 「去り行く裾さえも掴めないでいた 弱かった自分だ」と言っていますね。 これは別れを連想させますが、お互いに別々の道を歩くことにした別れなのか、それとも最期の別れを意味しているのか… 今の時点では分かりませんが、深い後悔のような、自分に対する無力さを強く思っているように感じますね。 この時の二つのメトロノームは、すでに違うテンポで動いていたんでしょうね。 後悔って、取り返しがつかなくなってからしてしまいますよね… 大事なものほど当たり前になってしまうと、その大きさに気づかなくなってしまうものです。 この物語の彼は、 そんな自分は笑われてもいいから、もう一度何かを取り戻したいと言っているように思えますね。 好きな人と食べる味と、1人で食べる味って違う味に感じる時ありませんか? よく 「料理は誰と食べるか」なんて言いますが、全く同じはずなのに1人だともの寂しく感じてしまいますよね。 この場面も言ってしまえば元に戻ってしまっただけなのに、それが逆に不自然に感じてしまっている、ということなんでしょうね。 メトロノームを二つ並べた時に 自然とテンポが変わってくる現象って実際にあるんです。 理由はたくさんあるんですが、作られたメーカーが違ったり、同じメーカーでも誤差の範囲でも長時間動かしていると段々とズレてくるそうです。 そして、 一度落としてしまったメトロノームは、もう二度と同じテンポを刻むことができなくなるそうです。 ちょっと女々しいような気持ちにも見えますが… 違うテンポを刻んでしまったメトロノームは、もう二度と同じテンポには戻れないのでしょうか。 同じテンポに見えていただけで、そもそも違うテンポで動いていたのか。 そんな気持ちの中でも相手の幸せを願う切ないシーンに見えます。 違うテンポになってしまっても、元から違うテンポだったとしても、自分が今まで通り変わることのないテンポ(気持ち)でいたらもう一度また同じテンポで生きていけるんじゃないか。 物語はラストシーンに入ります。 どうしても忘れられないから、恥を覚悟でももう一度やり直したい。 また同じテンポを刻みたい。 物語の終わりから始まりましたが、最後までその思いは叶わぬまま…という感じがしますね。 そこがこの歌の切なさを助長させますが、 同時にこの先の二人も気になる終わりにも思えます。 そうすると最後の『 あなたがいてほしいんだ』の言葉が、今から少しづつまた同じテンポを刻む二人を想像させるように感じます。 米津玄師「メトロノーム」歌詞の意味は? まとめ 米津玄師さんの『 メトロノーム』。 いかがだったでしょうか? アルバムの収録曲なのに本人がアニメーションのMVを作ってまで伝えたかった強い思い、感じていただけましたでしょうか? 途中、「 メトロノームは同じテンポをもう刻むことが出来ないのか?」と書きましたが、実はメトロノームは違うテンポから同じテンポに『 同調』してくる時があるんです。 その条件は、同じ場所にいる事が大前提なんです。 上下の振り子が揺れて一定のリズムを刻むメトロノームは、その 立つ台にも力が働いているんです。 揺れているメトロノームの横に、もう一つのテンポの違うメトロノームを置いたとしましょう。 同じ台に働く力がメトロノームの振り子の遠心力に少しづつ作用し、二つがだんだん同じ力に揃ってくるという原理だそうです。 理系ではない私には理解が難しい話ですが(笑) きっと 意図的にこのメトロノームの原理を この物語の二人にも重ねているのではないでしょうか。 一度違うテンポ(気持ち)になってしまったとしても、どちらかが変わらないでいることで長い年月は必要になるけれど、きっとまたピタッと合う時が来る。 それを恋愛に例えた歌だったのではないでしょうか。 だとしたら、やはりこの歌の終わりの言葉にはきっと明るい未来が待っているように感じますね。

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