知床 番屋。 ヒグマ

番屋

知床 番屋

— 2019年 6月月30日午後2時48分PDT テレビで漁師のすぐ横をヒグマが通っている光景を観たことがある、という人がいます。 そういった映像の多くは、この 19号番屋で撮られています。 漁師がサケやマスの収穫を狙って、定置網を仕掛けます。 ヒグマもまた、それらのエサを求めてここにやってくるわけです。 ヒグマというと、人間からは危険視されていて、目撃すれば罠などで捕らえたり、処分の対象となったりします。 しかし、ここ19号番屋では、午後3時頃から漁師が外作業をし、そのすぐ横でヒグマがエサを採っている、という光景がみられます。 あまりにも小屋に近づいて来たら、「ここは人間の場所だ。 向こうへ行け」という趣旨の言葉を、同じ単語を用いて繰り返します。 発信機をつけたり、タグを付けたり、といった管理方法は採られません。 若い漁師は最初こそ近くにヒグマが来ると怖がるものの、言葉を伝えて遠ざかるヒグマを見て、徐々に安心を覚えていきます。 この地では昔は銃殺が黙認されていたが、それが行われなくなり5年もした頃、ヒグマも人間を気にせず山から下りてくるようになりました。 ヒグマの憩いの場所 19号番屋の一帯は視界が開けているため、 ヒグマ同士はその遭遇を回避できるメリットがあります。 若いヒグマや母子が、そのエサを採る場として、ヒグマの間で暗黙の了解が取られています。 その証拠に、 単独のヒグマが母子を確認すると、山に引き返す様が何度も目撃されています。 19号番屋近辺では、サケやマスがヒグマのエサになるだけではなく、海藻や草類、木の実や鹿なども得られます。 特にエサを採りに来る他、番屋裏手の林で休息を取ったり、小グマが水遊びをする場としても用いられています。 特に 6月~11月の時期は、1日に何頭もヒグマの姿がみられます。 観光船で見るのが気軽 ヒグマとの共存をなしえている19号番屋ですが、それでも一般人にとっては、ヒグマの多発地帯に 知床の自然をかいくぐって徒歩で向かうのは肉体的にも精神的にもかなりハードルが高いです。 そのため、 番屋の姿やルシャの全景、そこで動くヒグマを見たい多くの方は、知床の観光船を利用します。 ルシャまではウトロ港から1時間程度です。 定置網が仕掛けてある関係上、小型船でも接近することは難しいです。 望遠レンズを駆使して撮影を試みる人が多くいます。 Information 名称 19号番屋 住所 北海道斜里郡斜里町大字遠音別村 電話番号 0152-22-2125(知床斜里町観光協会).

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19号番屋はヒグマと共存している日本でも珍しい場所

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獰猛さゆえ、恐れられる一方、アイヌの人達に山の神キムンカムイとして崇拝されてきたヒグマは知床の象徴です。 エゾヒグマ。 Brown Bear。 日本最大の陸上肉食動物。 オスの成獣で200から350キロ。 メスの成獣で100から150キロ。 春4月から5月初、雪解けとともに冬眠からさめます。 オスは単独ですが、メスは2年に1度の割合で冬眠中に仔グマを産み母親となって冬眠明けを迎えます。 ヒグマは本来臆病な動物といわれています。 知床は世界でも高い密度で ヒグマが生息し、人との遭遇が多い地域です。 森の王者ヒグマが生息していることは、四季にわたって豊かな自然が残されていることの証です。 ヒグマにとって知床は最後の聖域なのです。 知床番屋 知床半島には、半島の根元から先端にむけて番屋が点在しています。 冬の間、番屋は閉ざされ、春の雪解けとともに番屋暮らしが始まります。 番屋の近くにはサケマスが遡上する川が流れ、ヒグマのみならず 多くの野生動物の餌場になっています。 また周りにはフキなどの春の山菜があり、冬眠明けのヒグマがこれを食べに集まってきます。 しかしここでは、ヒグマと漁師がお互いの存在を無視するかのよう暮らしています。 網の繕いをするそばで山菜を食べたり海岸で遊ぶヒグマがいたりと理想的な共存関係を作りだしています。 この関係は一朝一夕につくられたものではありません。 番屋のあるところは一般の人が出入りできない事に加え、番屋の漁師が 「ヒグマの餌付けにならないように」と残飯などのゴミの処理に気を使っています。 決してお互いの領域を越えないようにと、十数年という長い歳月をかけてルールを築いたのです。 アラスカのヒグマ アラスカ・マクニール州立動物保護区には、世界最大のヒグマを間近に見ることの出来る観察場があります。 しかし、誰でもここに入れるわけではありません。 抽選により1日10人。 人数制限のほかヒグマについての学習や徹底した人間の管理システムがとられています。 厳しい人間教育により初めて遡上するサケを食べるヒグマを目の当たりに出来るのです。

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【19号番屋】漁師がヒグマと共存する場所|観光船が気軽

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シリエ・トク北の先住民が「地の果て」と呼んだ知床は我国最後の秘境と言えようか。 2005年、白神山地、屋久島に次ぎ国内3番目の世界遺産となる。 道が無く、熊がいるため守られていると云われる自然には、エゾ鹿、シマフクロウ、オジロワシ、キタキツネ等が生息する。 年間200万人を超える観光客が訪れているが、そのほとんどは半島の西側(オホーツク海側)のウトロを中心にしており羅臼側は観光客とは無縁である。 かつてウトロ側を1回、羅臼側を4回訪れた坪井は羅臼側の無人の浜に強く惹かれる。 小学生の頃から「ロビンソンクルーソー」「15少年漂流記」「家族ロビンソン」等の本を夢中になって読んでいた。 いつか自分も無人島でサバイバル生活をしてみたい・・・。 長じてからその様な思いは当然ながら意識の底に埋没していた。 2013年10月黒部川下ノ廊下で滑落事故を起こし骨盤骨折。 ヘリコプターで信州の病院に運び込まれ、当初は担当医(田舎の凡庸な医師であった)から一生車椅子の可能性もほのめかされる。 治療としてはコルセットで固定して3ヶ月程寝ているだけと、誠に消極的な事を言う。 1週間ほどで茅ヶ崎の病院に移ると、優秀な整形外科の先生が担当医となり、即手術。 ピンを5本打ち込み、それを結束して骨折部を合わせ自然接合を待つと説明を受ける。 真に分り易く説得力があった。 翌日の手術となり、術後の第一声が「理論的には今日からでも歩けます。 後はしっかりリハビリをして下さい」であった。 積極的にリハビリに取り組み、事故後2ヶ月での退院となる。 その間ベッドの上では色々な事を考える。 特に強く思ったのは元気で過ごせる残り時間についてである。 自分は常々棺桶に片足突っ込んだ時に「自分の人生はそこそこだった」と思える様に日々を生きたいと考えて来た。 退院して復帰出来たら優先順位を良く考え悔いを残してはいけない。 そこで急浮上して来たのが「無人島サバイバル生活」である。 ムーーー 魅力的なテーマである。 しかしながら問題は山ほどある。 全国に無人島は数多いが生活可能な場所となると限られる。 ここで過去4度訪れた事のある知床の化石浜に思い至る。 あの無人の浜なら理想的かも知れない。 廃屋となってから20年以上も経つ漁協の施設(鉄骨モルタル造)内にテントを張れる。 そばに沢水が流れ、流木が沢山ありマキに困らない。 近くの旧波止場、岩礁地帯では獲物が獲れそうである。 本気になって検討を始める。 約1年の時間をかけて計画を練り込んだ。 自分なりに充分と思われる準備をした。 トレーニングもした。 時は満る。 舞台は整った。 館の入口 7月3日、晴れ、相泊から化石浜へ5時間 3:30起床、知床は日本の東端にあるせいか3時を回ると明るくなって来る。 茅ヶ崎より1時間位は早いであろうか。 昨夜からの雨は2:00頃に止む、助かった。 ずぶ濡れのテントを畳み、熊鈴を鳴らして出発する。 30分程歩くと電信柱が無くなり、いよいよ文明果てる世界遺産に突入である。 大きな岩場に行き当たり左にロープがある。 ここだ、第一難関である観音岩の高巻である。 約40mの直登だ。 最初はゴツゴツした岩が手がかりとなる。 半分以上登るとロープ以外に手がかりは無い。 両手でロープを掴む。 荷が重い。 雨上がりの地肌がヌルヌルしている。 ズルッ足が滑る。 全重量をロープに託す。 ズルッまた滑る、肝を冷やしながら何とか頂きに立つ。 側に大量の熊の糞・・・ いよいよ彼等の領域である。 首から下げた笛を吹く。 第二難関の崖下のヘツリ、第三難関の三段跳び(普段は海中に没していて干潮時にだけ水面に出る数個の岩)も無難にこなし、広い岩礁地帯に出る。 前方に廃棄された番屋(漁師の作業小屋)が見える。 化石浜はもう直ぐだ。 9:00化石浜に着く。 テント、フライ、銀マット、エアマット、シュラフを乾す。 石3個でかまどを作り、2食分の飯を炊く。 出来はまずまずである。 塩昆布で食べる。 20年以上前に廃屋となった漁協の施設は、1Fの窓ガラスが割れ、屋内に散乱している。 割れた窓から雨が吹き込むのか、窓際の床は水浸しである。 中央部を掃除してテントを張り虫除けを吊るす。 館の中央にも虫除けを吊るし、入り口に風鈴(熊除け)を吊るし鹿角を飾る。 雨天に備えて屋内にもかまどを作る。 流木を集め、ノコギリで切り、ナタで割り乾す。 干し物用に細引きロープを張る。 忙しい一日が終わり、夕食は昼に炊いたご飯に塩昆布である。 一杯飲みぐっすりと寝る。 7月7日、曇り、魚をゲット 4:00起床、お湯を沸かし紅茶と乾パンの朝食。 この地の特性なのか朝はガスが多い。 その日が晴れるのか、曇りなのかしばらくははっきりしない。 今朝は波が高いので魚介類捕獲ネットの点検を午後にする。 ややや何か入っている。 30cm近いクジメ(アイナメ科、アイナメより浅い所に住む)である。 館に戻りウロコを取り、腹を割くとカニが出て来る。 昨日餌としてセットしたものだ。 夕食はクジメの塩焼きである。 しみじみと美味い。 夕方から強風となる。 館内のテントが大揺れである。 外で野営していたら大変であった。 活躍する道具 魚貝捕獲ネットで大漁 金網は長さ30㎝ 7月10日、晴れ、デカ魚ゲット 朝食後のネット点検、なーんと45cmオーバーの魚が入っている。 ウロコが無く、顔面にはイボイボがあり、まるでエイリアンである。 これがグネグネとネットの中で暴れている。 どーするんだ、とてもクジメの様に手で掴む気にはならない。 持っていた手網をネットの中に入れエイリアンを外に出す。 グネグネ、ドタドタと暴れ、小さな手網から脱走しそうである。 手網の上から昆布でフタをして、押さえつけながら館まで運ぶ。 さて処理である、坪井は釣り歴40年、大抵の魚は捌いてきたが、このエイリアンだけは・・・。 まず頭を落してしまう。 あのイボイボの顔さえ無ければ普通の魚である。 2枚に下ろし、半身は塩焼き用に、残りは味噌煮用にと分ける。 見てくれの悪い魚は美味い、と云うから期待である。 出来た、どれ味は? 淡白でありながら旨味がある。 ウツボの味に近いかなー(ウツボは美味しいのであるが高知人しか食べない様である)。 続けて作った味噌煮も上出来である。 残念ながらこれで味噌、日本酒が無くなる。 熊の巨大な足跡 7月17日、晴れ、ウニをゲット 昨日収穫して茹でておいた花咲カニを解体。 米にツブ、シッタカ、鶏がらスープの素、乾燥ニンニク、塩を入れて炊き込む。 もう言う事はありません的な美味しさのパエリアである。 ネットの点検、収穫なし。 波打ち際にあった海鳥の死骸の一部をナイフで切り取りネットの餌にしてみる。 館から30m程の砂地に熊の巨大な足跡が、その先50mには大量の糞。 昨日は無かったので昨夜~今朝未明と云う事になる。 気をつけよう。 右浜に行きウニ、シッタカ、ツブをゲット、パエリアが美味しかったので、明日の3食分を作り置きする。 ネットで魚が獲れなくても、シッタカ、ツブ、ウニ、カニ等で何とかなりそうである。 天気が良いのでズボン、シャツ、パンツ、靴下の洗濯、身体の清拭、シャンプーをする。 7月30日、晴れ、児童33人 10時頃急に浜辺が賑やかになる、子供達が大勢歩いて来る。 「知床探検隊」と云い地元羅臼小学校、羅臼中学校、春松小学校、春松中学校の生徒計33名(小学生は3年以上の希望者)が5泊6日の行程で岬を往復する。 それに先生、父兄、サポーターが37名、総勢70名の大部隊である。 毎年行っており今年で33回目であると云う。 父兄、サポーターの大部分は船で今日の野営地(モレイウシ川)に先回りして、テント設営、炊事、ドラム缶風呂の準備等を担っているようだ。 海老と貝のパエリア いくつもに別れた小集団が、途切れ途切れ1時間に渡って通り過ぎる。 壮観である。 全国にはキャンプ、登山、長距離歩行など、生徒を鍛えるため様々な行事が行われているが、この規模大きさは全国一ではないだろうか。 しかも33年も続けて来た、関係者の熱意には頭が下がる。 (茅ヶ崎に帰ってから、応援の手紙を出すと、春松小学校の佐藤玲子校長先生から丁寧な返事がある).

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