市川いっかさつがい 長女。 天理教 基本教理 天理教教典 2

市川一家4人殺人事件

市川いっかさつがい 長女

::::::::::::::::::::::::V :::::. \:::::::::::::::::V レ'. 41 ID:90xcZSzBp 「人間は、虫、鳥、畜類などと、八千八度の生れ更りを経て、」 八千八度の生まれ変わり。 つまり元一種から多種多様な姿に生まれ変わった。 哺乳類(人類)になる系統だけでじゃなく、 その時代に優れたあらゆる系統に生まれ変わった。 でよろしいのでしょうか? Wikipedia、上部のリンク先より 新口(後口)動物の進化は、脊索はさらに機能的な脊椎に置き換えられて最も優れた運動能力を持った脊椎動物が生まれる。 このなかに魚類、両生類、爬虫類、鰐類、鳥類、哺乳類が含まれる。 魚類、両生類、爬虫類、鰐類、鳥類、哺乳類、昆虫類とすれば、これらは古生代〜中生代〜新生代に繁栄。 トニアン・・・今日と同様に地球上には海と大地が存在した。 しかし構成は同じではなく、現在よりも大気中の酸素含有量は少なかった。 大気上層部にオゾン層がないため、地上まで強い紫外線が降り注いでいたので陸上に住む動物・植物がいなかった。 カンブリア爆発(およそ5億4200万年前から5億3000万年前の間)・・ ・数十数種しかなかった 生物が突如1万種に爆発的に増加。 三葉虫等の節足動物が繁栄。 魚類が出現・種数を増やす。 大気上層部にオゾン層の形成のため、 シルル紀(約4億4370万年前から約4億1600万年前) この時期、生物の本格的な陸上への進出が始まり、陸棲節足動物や最 古の陸上植物が出現する。 両生類の出現(4億年前の脊椎動物の陸上進出)・繁栄。 〕 中生代〔約2億5217万年前から約6600万年前。 恐竜(鳥類の祖先)が生息して いた時期。 爬虫類が出現・繁栄。 鰐類が出現。 〕 又もや皆出直し、最後に、めざるが一匹だけ残つた。 巨大隕石の衝突 K-Pg境界〔約6550万年前の中生代と新生代の境目に相当する。 恐竜を代表とする大型爬虫類やアンモナイトが絶滅したことで有名であるが、 海洋のプランクトンや植物類にも多数の絶滅種があった。 また個体の数では99%以上が死滅した。 〕 新生代〔約6,500万年前から現代まで。 哺乳類と鳥類が繁栄。 〕 サル目(霊長類)の最古の化石は、白亜紀末期の北アメリカ西部から発見されており、プレシアダピス類(偽霊長類)と呼ばれる。 このように、霊長類の進化は約6,500万年前、白亜紀末期頃に始まったと考えられている。 ホモ・サピエンス〔(20万年前)アフリカで出現。 現生人類はホモ・サピエンス種〕 めざる単体で子を産んだ所を見ると、いざなみのみことが三度の宿しこみの中で、 初めに教えられた人間創造の守護によって宿しこみ産むなら、単純にめざるが サル目(霊長類)の猿と同じだと考えにくいのですが、サル目(霊長類)の猿は、 その後他にも亜種が存在してますので。 それならホモ・サピエンス出現をめざるとすれば、その前の皆出直し(大規模な絶滅)がありませんので。 「九億九万年は水中の住居」は、引っかかりますが、ここは、八千八度の生れ 更りを除く合計として途方もない長い年月と解釈しました。 生物の進化論と元初まりの話しをくっつけてしまいました。 う〜ん無理がありますでしょうか? こふき話は、教祖はいづれもよしとされなかったのは、その中のこの世初まりの話が間違っていたのか、 他の話が間違っていたのか、心を見澄ます教祖なら言葉の悟りに対してよしとされなかったのか、 この元初まりの話も「成人しだいに見えてくる」一つなのかもしれませんね。 しかしそれは「生命自然発生的化学反応に抗してエントロピーの増大を抑えていく生命の秩序化エネルギーを受信して生物が誕生し、 今もその生物が存在している以上、現在も宇宙から受信し続けていると考えたほうが自然ではないかと思う。 」 生命の秩序化、心以外は宇宙も世界も人間の体も天の摂理に支配された上での段階移行でしょうね。 ドラゴンボールで言ったら、基本さんは、スーパーサイヤ人ブルー。 私は、兵士A、動きが見えないです(笑)。 バカな質問をする事をお許し下さい。 人間のたねのどぢよが素粒子なら、人間以外の生物のたねもどこから発生したのか納得します。 でも、水素(神)も素粒子からできた物質。 これはどの様に解釈したらよろしいのでしょうか? このよふのはぢまりだしハとろのうみ そのなかよりもどちよばかりや (4-122) このおふでさきを泥の海に素粒子ばかりやと解釈すれば、泥の海以外に存在し ていた物質の素粒子は、どの様に解釈したらよろしいのでしょうか? このものを神がひきあけくてしもて だん/\しゆごふにんけんとなし (4-124) この世は神の体なのに、引き上げ食うとはどの様に理解したらよろしいのでしょうか? 道具が各元素なら元初まりの引き寄せる時の方角はどの様に理解したらよろしいのでしょうか? そのものをみなひきよせてたんぢやい にんけんしゆごはぢめかけたら (6-84) 各元素と談じ合いしたと言う事でしょうか? 157 : 基本。 96 ID:iVmGzIYGR 18さんはおやさまのお言葉の側から思案しないで科学者の側から思案しておられるようですね。 人間の種が素粒子ではなく、物質の種が素粒子で、ということです。 おふでさきでは「はじめ」と「はちめ」の二つがあります。 「この世の 人間始め 元の神 誰も知りたる 者はあるまい」(3.15) これはお筆先では「このよふのにんけんはじめもとの神」です。 このよふをはちめかけたるしんぢつを たれかしりたるものハあるまい 始めははじめ、初めははちめ また澄むと濁る、この違いで悟る事がおふでさきを読むには大切です。 はちめ、はぢめ、はじめ この違いをお悟り下さい。 このよふのはぢまりだしハとろのうみ そのなかよりもどちよばかりや (4-122) 158 : 基本。 57 ID:iVmGzIYGR 、化石人類にはいろいろな種類がある。 それらのほとんどは、現生人類にはつながらない、子孫を残さずに絶滅してしまった種のようである。 不思議なことに、こうした様々な人類はアフリカで誕生して、世界に散らばっていったらしい。 なぜアフリカだけが、新しい人類発祥の地になるのかはわからない。 ジャワ原人、北京原人などはアフリカに起源を持ち、アジアに進出して絶滅したホモ・エレクトスの一種で、彼らが現在のインドネシア人、中国人の祖先というわけではない。 化石は化石であると思案したら、今の人間の先祖ではないとわかります。 アフリカが人類発祥の地ではなく、「にほん」です。 159 : 基本。 28 ID:iVmGzIYGR 縄文人の祖先は、どこから日本列島にやってきたのだろう。 これまで、縄文人の起源が東南アジア、北東アジアのいずれかについての議論が長く行われてきた。 形態的には東南アジア人に近いが、 縄文人のミトコンドリアDNAと現代人のDNAを用いた遺伝学的研究からは北東アジア人に近いという結果が出ていたのである。 今回私たちが得た配列を現代人と比較したところ、 縄文人はいずれにも属さず、東アジア人の共通祖先から分岐したという系統関係になった。 つまり縄文人は、これまで考えられていたより古い時代に他の東アジア人集団から孤立し、独自の進化をとげた集団である可能性が出てきたのである。 縄文人がいつ、どこから日本列島にやってきたのかを知るためには、今後、多くの縄文人と他の地域の東アジア古代人の核ゲノムを解析することが必要である。 ・言語学的に言ってもポリネシアでは魚のことをイオとかイッアとかいい、日本のウオの古語はイオであったそうです。 その他、言語学的特徴が日本語と似ていると言われています。 ・先ほど紹介したバツアヌのエファテ島には「自分たちの先祖は日本から来た」という伝説が今なお残っているといいます。 またペルーの原住民の間には「ナインラップ神伝説」というものが残っているそうです。 ・ナインラップとは太平洋の彼方からやってきた神様で、王国を築いた後に「いつか私は必ず戻ってくる」と言い残して海へ去っていったと信じられているそうです。 ・縄文文化は日本列島だけに限定された文化ではなく、 北は日本湖を跨いで朝鮮半島から満州、沿海州に広がり、 南は太平洋の諸島から南米までに拡がる 世界最古の文化・文明であったらしいのです。 (縄文文化の中心が日本列島にあったことも間違いないそうなのですが。 ) 彼等は羅針盤もない時代に、潮流を知悉し、星を観測してほとんど丸木舟に等しい舟で 太平洋を自由に往来していたらしいのです。 160 : 基本。 27 ID:iVmGzIYGR 丸木舟で太平洋を自由に往来していた日本人。 それが、縄文文化の広がりから見えてくるわけです。 161 : 基本。 29 ID:iVmGzIYGR 、縄文人が南太平洋に進出してポリネシア人の祖先になったという説を唱える者や、 エクアドルで縄文式土器に似た土器(バルディヴィア土器)が出土したことを理由に、縄文人が南米大陸に到達していたという説を唱える者さえも出現した。 基本も縄文人が南米大陸に到達していたという説を正しいと見ます。 29 ID:KqNAlHxUa ご回答ありがとうございます。 基本さんがご回答されたことを改めておふでさきの思案やウィキペディアで調べると頭の中が 系統樹状態になり、パニックで思考停止になります。 それが私の進化なのかもしれませんが。 「はちめ」は、一番最初。 つまり濁ってない綺麗な状態でしょうか? 「この世を初めかけたる」・・・物質を創造(宇宙誕生)でその初まりの元となる種は、素粒子であり、働 きとなる道具は、各元素という事でしょうか? 「はぢめ」は、次の段階。 「この世の初まりだしは泥の海」・・・神が人間創造を思い立ったという時でしょうか(人間を創造する直前)? 「はじめ」は、最後。 「この世の人間始め」・・・人間創造を始められた時で、「どぢよ」「道具」は、初期の多細胞生物でよろし いのでしょうか? このよふをはじめかけたもをなぢ事 ないにんけんをはちめかけたで (15-54) にんけんをはぢめかけたハうをとみと これなわしろとたねにはじめて (6-44) にんけんをはじめだしたるこのをやハ そんめゑでいるこれがまことや (8-37) 人間の「はちめ」「はぢめ」「はじめ」どの様に理解したらよろしいのでしょうか? このよふのはぢまりだしハとろのうみ そのなかよりもどちよばかりや (4-122) 他のお歌は、「どぢよ」とお書きになってあるのに このお歌だけは、「どちよ」とお書きになっているのはなぜでしょうか? おふでさきから悟らなければならなくて、すべて聞く行為は慎まなければなら ないのに、本当に何度も質問してすみません。 40 ID:KqNAlHxUa 引用されているサイトは、 人類の起源と進化(1) これですね。 他 の研究の結果は、アファール猿人が現代人の直接的な先祖ではないことを示唆 している。 サイトの後の文章に 現在のホモ・サピエンスも10万年ほど前にアフリカで誕生して、世界中に広が っていったようである(第2の出アフリカ)。 つまり、現在の人類はアフリカ に起源を持つ単一種ということになる。 ヨーロッパ人が「発見する」よりも前、 ホモ・サピエンスは南アメリカの南端、太平洋の島々を発見して、そこに住み 着いていた。 とありますが。 どうなのでしょうか? 164 : 基本。 85 ID:iVmGzIYGR ですから、おやさまの教えが正しいわけです。 この間、九億九万年は水中の住居、六千年は智慧の仕込み、 三千九百九十九年は文字の仕込みと仰せられる。 答えは、賢いですね。 18さん、人間は天保九年の前3999年は文字の仕込みです。 正解は陸です。 165 : 基本。 51 ID:iVmGzIYGR ではその前の6000年お知恵の仕込みは 水中ですか、陸ですか。 正解は陸です。 すると、今の人間は1億年前から水中から陸に住み替えた。 となります。 10万年ほど前にアフリカにいたのは脳の大きさはあっても、知恵の中身のない人類だった。 1万円ほど前に日本にいた陸住まいの人類は「知恵」があった。 進化を急ぎすぎた「脳が空っぽの」はやく陸に上がった人類は今につながらないのは当然です。 縄文時代(じょうもんじだい)は、約1万5,000年前(紀元前131世紀頃) から約2,300年前(紀元前4世紀頃)、地質年代では更新世末期から完新世にかけて日本列島で発展した時代であり、世界史では中石器時代ないしは、新石器時代に相当する時代である。 旧石器時代と縄文時代の違いは、土器の出現や竪穴住居の普及、貝塚の形式などがあげられる。 縄文時代中期の作とみられ、人の姿を究極まで象徴化しつつ、高い様式美を誇る姿は、学術的にも造形的にも日本を代表する土偶です。 縄文の女神です。 知恵が無かったら「究極まで象形化できますか?高い様式美、芸術。 知性の証拠です。 御柱祭諏訪大社。 茅野市の縄文の女神を代表とする縄文の土偶。 18さん。 おやさまのお言葉が正しいのです。 98 ID:KqNAlHxUa 「六千年は智慧の仕込み、三千九百九十九年は文字の仕込み」は陸上でとは解っていましたが、 初めの「九億九万年は水中の住居」の部分が引っかかていまして、宿しこみから九億九万年水中に いたのなら、八千八度の生れ更りの時も水中にいたのかと思いましたが、「鳥、畜類」と 八千八度の生れ更りの時もめざるの時も陸上に存在していた時期があると思い、 「九億九万年」は果てしもなく長い間と理解して、1万年前より早く陸上に上がっていたと思っていました。 確かにそうです。 一番重要な事ですね。 167 : 基本。 69 ID:7JJ6dThjr 丸木舟で海を越えるには、海洋学と天文学の知識は不可欠です。 人間はその程度はコンピューター無しでできてしまう。 「まさに「ホモ・サピエンス」と神は人間に自白させています。 18さん。 知性が無ければ陽気暮らしは出来ない。 やがて人間になるであろうもの以外は、進化のガラパゴスにはまり込んだ。 天理教でもそうです。 やがて神の用木になるであろうものが、あまりに早く陸に上り知性を磨かず、用木になるものはないとなる。 簡単に言えば今の天理教には知性を磨かずの 馬鹿ばっか、18さんは聞いてくるから賢い。 聞かれなければ言わないは、おやさまのひながたです。 46 このさきハみちにたとへてはなしする どこの事ともさらにゆハんで 47 やまさかやいばらぐろふもがけみちも つるぎのなかもとふりぬけたら 48 まだみへるひのなかもありふちなかも それをこしたらほそいみちあり 49 ほそみちをだん/\こせばをふみちや これがたしかなほんみちである 50 このはなしほかの事でわないほとに 神一ぢよでこれわが事 淵中をとおる、ふちなか、不知なか、まるで何も見えないわからない・・ その9億9万年の水中のの住まいに居て、「たんのう」。 縄文土器は「宇宙人が作った」とか言われます。 いいえ、日本人が創った。 ひのもと 初屋敷の つとめの場所は 世の元や 南無天理王命 南無天理王命 ありがとう私のおやさま。 元の理のいまにあること、ありがとう。 おやさま。 世界中の方々のための、実は私だけのためのおやさま。 感謝申し上げます。 168 : 基本。 こふき話を、高弟たちはアナログとデジタルの理の話と解していなかったからです。 子吹き話は、実数であるというか科学知識がなくおまけに子富貴ばなしが、ご守護話というオカルトが理解できなかったからです。 だから、科学的にも書かれていない。 天理的にも理を明示できていない。 知性のない高弟たちは、世界たすける理はなしとも真理を説いた科学話とも理解できていなくて、 「古記」ちして聞いた。 文字通りの昔話です。 そういう知性のないところを「学・カイン」カインの天理教社会学研究所にカモにされている。 教えを聞いても信じない、おやさまを最高の科学者と思わない、恥ずかしい名ばかりの信者。 おやさまは、現在は、わたしだけのおやさま。 赤衣装の悪魔中山みき様。 みき姉さんと申します。 169 : 基本。 86 ID:7JJ6dThjr ビックバンと言わされています。 バンと爆発した、大爆発でビックバンです。 原子爆弾は英語で 原子爆弾の英語 atomic bomb; A-bomb ABでこの世が始まった。 理性的です。 情緒的です。 アナログのイロハ48文字。 どぢよ お筆先は 音はアナログ、文字はデジタル。 良いではないですか、夢があって日本昔話メルヘン。 物質の初めの存在。 どは陰陽五行「木化土金水」の「土」木は火を生じ、火は土を生じ、土は金を生じ、金は水を生じ、水は木を生ずる。 孔子様は国常立命様で、金属を生じさせるのは「土」。 こんな程度はこふき本真剣に読めば、中学生程度で誰でも説けますが、試してないと説けない。 理を説いてたすける、病助けの体験がいくつもないと、精度に欠けますが、体験が人をつくる。 170 : 基本。 27 ID:7JJ6dThjr 高弟たちは信仰体験はしていたが、中山みきを最高の知性と思っていなかった。 阿呆ですm馬鹿です、間抜けです。 そこに中山みきの模倣者や、天理教団の模倣者が模倣組織が生まれる。 泥の海・・そしてどぢょばかり・・・。 人間になるのかならぬのか、 大日本皇道立教会は天理教をパクリで生まれて創価学会・大本教・PL教、実践倫理佼成会、成長の家は天理教の異端。。 大教会も異端・・。 残念なことです・ おやさまの教えに誰一人耳傾かなくても、この世で基本だけは、みき姉さんの極道の道におとも致します。 竹槍を立てて並べて、待ち構える助臓一派。 中山みきはそこにしずしずとお入りになって、理を諭し、御幣一切を取り払われた。 奈良の金剛院一派と、大立ち回りの後で誰かがおやさまといえどこんなことはお通りになっていないだろうと言った。 森の石松の一子で侠客恩智の楢臓とならした平野楢臓は、針ケ別所での極道の女中山みきを皆に諭して、 おやさまは どんなひな型もお通り下さっていると、皆に諭した。 みき姉さんに命張って、おともできる幸せは、嬉しくて嬉しくて、私一人のおやさまです。 171 : 基本。 28 ID:7JJ6dThjr 縄文人は知性が無い。 日本列島には海のない氷河期以外は渡ってこれないから・・ いい加減におやさまが全て正しいと胸を張って言えませんか。 「泥鰌」が人間の魂かと聞かれたら、 ハイ、泥鰌ですよ人間はと言えませんか? 一言は万巻なのです。 たすかるかたすからないか、それが真理の証明であって、理の分からぬものに言うやないです。 さあ、18さんも、おやさまを独り占めしませんか私と張り合ってみませんか。 それには戦場に出ることです。 誰しも通る道だと思うのですが、 私は、過去、ちょっと勉強したくらいですべて天理教が解ったと勘違いしてい た時期がありまして、後から原典を見ると間違ったと気づき反省と三原典をも っと勉強しようという姿勢に変わりました。 そこで三原典を完璧に理解されて いる方から純粋に学びたいだけです。 しかし体験からしか学べない事があると 言う事は解りました。 173 : 基本。 71 ID:7JJ6dThjr 通らぬ道は道とは言わん。 教理研究は、今からです。 私は完璧に理解しているのではなく必要な時に必要なだけを教えて頂くお願いを日々しております。 そして自分が何一つわからなくてもおやさまとご一緒なら、楽しいのです。 分かることは大切です。 姿勢が大切です。 知性的にふちなかに暮らすことを楽しむことです。 張り合ってください。 おまちします。 174 : 基本。 その海は泥の海だった。 そのどからの人間の序はどぢよだったと、言わされている。 その元は磁 変わらざるもの そして転じ変わる理「てん」 かわるもの という理で、磁が大爆発して磁と転がうまれて時間 日 と空間 月 が生じ「世界」が生まれた。 磁の物質と転じた物質とが融合し天にてはの世界が開始された。 その元の理のままに、生命は「誘う実」 実体誘導する存在」の ミ魚 と誘う岐 分岐なさせる存在 の ギ魚 , うをとみは よく見澄ませば、人間の「かを」であった。 かおぶれ。 他動的意味の動詞が表す動作・作用の向けられる対象を示す。 動作・作用が働いた結果であるものを示す。 地球上には右巻きの渦と、左巻きの渦があり、地球の自転から生じるコリオリの力が北半球と南半球では逆に作用するからであるが、地球上のすべての生物のDNAは右巻き螺旋で、 生命の誕生はただの一回だけの事象であって、、元始まりで右巻き螺旋だったDNAが 「渦を」が 延々と何十億年もコピーされているということの証左となっているようです。 175 : 基本。 おふでさきの止めに、なぜ右回りでなかればならないか、こふき話にあるのは、人間は渦右回りの「うを」 「にん」「げん」 起源とするからです。 皆何でも口で言わす。 いたずら好きのみき姉さんが大好きな基本です。 知性の塊、元の理の数字で天理教の歴史を実現させたかと思えば、実ははるか太古から人間を始めかけるに、DNA素材を、 人間のをやとしてしまう月日したがい、自らの右回り時計回り遺伝情報を、「どぢよ」に記憶させた、人類のおや。 おやさまこそ、誠の親神。 私の、にき姉さんは、渦巻きみき。 忍びの里のただの百姓女です。 176 : 基本。 天罰天災・・神の返しの 赤衣の悪魔から盗作し、天理教を模倣し、国会利用の政治のための新宗教をつくった面々、 大社系 大日本皇道立教会。 大本教、創価学会、PL教 などなど、悪風があって、それが日本に台風をもたらしている原因について100年前の予言の事は 別スレで書きますが、台風も渦が中心です。 天理教会本部の夫人が、異端皇道立教会の生んだ「早起き会」に足を運んでいる状態。。 ・ 舐められてほっておくみき姉さんではない、身上事情は異端者と異端者に足運んだものには確実に返しがでます。 理は知らせました。 33 ID:hZIhUsqF. net 私よりも偉い存在、身分・血筋は日本に存在していない。 世界的にも頂点「天」である。 私に害を加えると家族全員殺害レベルで殺害されているが、国自体が他の国に滅ぼされる事があるので当然である。 <重要>「トウキョウ シティ。 ハヤシダ カツユキ 、 ゲンキン タリナイ。 私が、カメラで撮影する時のポーズ・ムーブ・姿勢・ステップワーク。 カメラの構え方取出しかたをモチーフにした振り。 ULTRA TIGER ULTRA TIGER 地球、世界と日本の王の一角にして、おもちゃショー時代から、カメコをしている私が出現。 漫画「 ワンピース」で云う「 天竜人」。 日本で言う「 殿上人」の頂点の直系子孫・血筋が、SELFI。 GOLDEN TOWER feat. 當山みれい GOLDEN TOWER feat. 19 ID:hZIhUsqF. 俺以外の人は、全員格下なので、外国政府は、俺の命令しか聞かないよ。 なので、日本政府は、いつも、外国の圧力に屈している。 11m53s 菊が沢山出現 私が昔出した「」と同じ。 扇子〜先巣、センスを所持。 19m27s 青男・桃女の後ろに大きな扇子(後ろの金屏風と同じ意味)。 扇子の柄は、扇子の家柄(王族、皇族)を示す。 (俺が事前に出してる画像 俺「林田」の血筋の毛髪でもある) 24m45s 仙人の武術と言われる太極拳。 白装束は、「白」で生まれたとされるから。 皇族は白の王。 26m45s 黄色い橋の道、シルクロード(シルクは白)、黄金の砂漠の道。 26m50s バレエも同じ技術、皇族が発祥とされる。 湖でして居るので、白鳥の湖。 白い橋の下、ロイヤルアーチの加護の下。 50m28s 水を高く上げるのは、いささか難しい。 内力・内功の具現化。 人間噴水。 噴は下から出て持ち上げる。 汲み取るもの。 52m50s 下から持ち上げられて出てきた、青い山(俺が居る地区のシンボルマーク)。 名前は「G20」(俺は、GolDen ハッチ・カ。 20はハツカ)。 色は俺の画像の服の色に合わせてる 53m20s 花火は、俺の口ひげの色と形(ロンドン五輪2012、リオ五輪2016でも、同様なのが出ている) 53m41s 「ホタルの光」は、俺が昔住んでいた、パチンコ屋の閉店時に流れる曲。 これは俺が「天皇」なので、天皇を讃える儀式という事になっている。 天皇は、日本だけで崇められている、讃えられている存在ではない。 方言みたいに同じ意味でも名称・名前が少し変わっているのだが、世界的に讃えられている。 理解はある程度の知識が必要ですが「一言説いたら、百巻の書物に出来る」と 仰るようにその百巻の書物を理解していた教祖、知性の塊には納得します。 その上に予言をされますから、これまた恐れるべしなのですね。 28 ID:RVRglVeT. net 天理教では未婚の母となることは悪いことでしょうか。 どのように教えられていますか。 11 ID:pc3tuGLB. net 気にするな。 キリストの母も未婚で、と伝承されている。 35 ID:pc3tuGLB. net まあ真面目に答えれば、新たな生命が生まれて来るのは素晴らしい事。 大いなる意志があるとすれば、貴女が将来産んで良かったと思えるようになるタネを貰ったと思えばいい。 心から応援したい。 40 ID:ncuvLFLQS 未婚の母になることは悪いことではないと思います。 夫婦となるのは、その人と因縁があるかどうかであり、なければ夫婦ではない。 ただそれだけであり、それよりも二人の心が合わさった結果が子供であり、夫婦であろうがなかろうが子供が出来て生まれるのは神様の世話であり、神様の守護です。 未婚になるから子供をおろす方が罪になります。 大切なのは妊娠中に胎内にいる赤ちゃんに対する愛しみ、そして出産後に愛情を注いで育てていくその姿勢が必要になり、ややすれば母子家庭になるということは、 あらゆる面で大変でマイナス感情が現れやすいですが、そのために覚悟と準備が必要だと思います。 私も野良天さんと同じく応援しています。 79 ID:hkR3wMJq. net ありがとうございます。 「陽気遊山が見たい」 これは、どう悟れば良いでしょうか? 遊山とは、私の解釈では、小旅行・ピクニック程度の認識です。 立教以前、中山みきは使用人達に弁当を持たせて遊山に出させてやったとの話も伝え聞きます。 その「遊山」の前に、「陽気」が付いている。 原典に記されているこの「陽気遊山」という言葉(思想)は現在教内ではほとんど用いられず、もっぱら「陽気ぐらし」という言葉が用いられる。 遊山とは? 陽気遊山とは? 陽気遊山と陽気ぐらしの違いは?同義? 陽気ぐらしの初出は? なぜ現在教内では、原典に記されている陽気遊山という言葉を用いず、陽気ぐらしを多用さる? (「家業第一」なども、おかきさげに記されているのに、教内でほぼ用いられません。 どちらかというと、おつとめ第一、おさづけ第一、お供え第一です。 79 ID:0YEFV1jW. net 相手を好き嫌いという感情があるのは、相手と同じ因を持っているのかな。 気にならなければ相手と縁がないことかな。 62 ID:jV3tZXMU. net KKのガンちゃんです。 96 ID:k4jFt0Bk. youtube. 俺を中心とした俺とかに商品を紹介するために現金を貰って購入してレポートしてるんだよね? その団体は俺にもその現金を振り込め。 俺にも同じ額の現金を振り込め!そうしないと、PS4PROを買えないだろ? エホバの証人 真言宗 天理教 とかが、ワシントン初代大統領やリンカーン大統領よりも上位の血筋である俺に「アメリカ合衆国大統領」に成ってほしくて、 俺から高性能カメラ入手妨害、テレビゲームをさせないようにしているなら大間違い。 盗撮の定義は「普段、見せない、隠している箇所を 無断で撮影すること。 」である。 許可がある、隠してない場所の撮影は無断でも盗撮ではない。 俺がしてるのはスナップショットで合法。 俺を盗撮扱いが虚偽申告で違法。 net 逮捕された、これ!!! 悪口を書いているやつらの、仲間、親友なんだって!!ださいね!!! テレビで、たくさん、ニュースになって、顔をさらされて、笑われてたよ。 外見も、俺より、カッコ悪いね! 金持ち 若すぎる女好き ハンターxハンター 野畑慎(のはた しん 、 ノハタ シン 、 no ha ta shin 「The Rootless(ルートレス)」 「人気アニメ「ワンピース」の主題歌を歌っていたロックバンド「The Rootless(ルートレス)」の元ボーカル、 野畑慎 容疑者(34)が窃盗の疑いで逮捕されていたことが2016年11月16日にわかった。 net いま3分ぐらい前から、私を下痢にさせようとして、かなり冷たい、冷却ビーム攻撃が「マンションの上のフロア」、 もしくはマンション住居の東〜北東から発信されている。 何度も書いているように、これに関しても「100倍」の反撃を依頼する。 25 ID:Vw9Bfbkd. 18 ID:uo7A7kch. net 早く教えてくれ! 反撃の機会を逸してしまう! 194 : 基本。 22 ID:6eS0cXvPr 「陽気遊山が見たい」これは、どう悟れば良いでしょうか? 遊山とは、私の解釈では、小旅行・ピクニック程度の認識です。 陽気遊山、陽気湯参、温泉山行き遊びのことです。 人間の肉体では、お湯の出る泉はみな温泉と教えられています。 映画をみて涙を流すのも温泉遊びです。 旨い物に涎をたらすのも温泉の楽しみです。 男女一の道具が濡れるのも温泉で、仲良く温泉遊びは、お湯が沸くところでできます。 まず人間身のうちの温泉で陽気に楽しむことです。 195 : 基本。 楽しい食事するような小旅行、絶景に涙する。 そこらへんのスーパーでも楽しい食材探しは陽気遊山。 心が陽気になる遊山は、陽気遊山。 しかしレイプして女性の温泉を楽しむのは陰気。 やけくそで食べるのは陰気。 陽気と陰気が、運命の分かれ道です。 196 : 基本。 陰気な景色を見ても陰気になるだけです。 二代審柱が「陽気暮らし」を造語しました。 なぜかというと、「遊山」となると上層部はほんとにやりたい放題で遊ぶから、避けたのです。 陽気暮らしならお金なくてもできます。 遊行費がいらないからです。 楽しめる心、世界で一番陽気くらししている人知っています。 私です。 昨日、私のところに来た神道系の信者の演歌歌手が、車椅子の人がその場で歩いたと「普通なんですよね、それ」と言っていた。 彼は15年前にもそうしたことで地元新聞に出て舞い上がって道に迷ったが今回は、まるで迷っていなかった。 そんなこと普通にあるのだ。 遊山も普通にある。 なにもかもが遊山そのものの人生は楽しい。 197 : 基本。 62 ID:6eS0cXvPr 問題は「山」である。 湯参なら、かわいい彼女と鍋つついて風呂に入ってキスでもしたら、陽気湯参だが、「山」というのは意味が違う。 「山」とはやまい、病気である。 「身上事情は道の花」。 これを遊ぶ遊山が、王道である。 「山」とは権力、権力に支配された中山みきの遊山とは監獄。 さすがにみき姉さんは楽しみの世界が違う。 上層部は「山」、山を楽しむ、山に遊ぶ、いかがでしょう、なさってみたら。 先月11月26日も本部の月次祭に参拝しまして、祭典後の本部員講話を聞いてきました。 私程度ですと、本部員講話を聞いていると、「うーんなるほど」と唸らされる事も多いです。 准員の方の中にはただのボンボンに見える人もいますが。 山を楽しむ、山に遊ぶ、いずれにしても簡単なものではありませんね。 しかしそれが、おやさまのひながたをたどることに繋がるのですね。 おやさまがのぞまれる「陽気遊山」 おやさまが残念がる「大社高山」 いずれにも「山」が付くのは興味深いものがあります。 90 ID:a9Um9q9M. net ノンスタイル井上 1年以内に事故死とかする 2015年12月19日 「 王様のブランチ TBS の再現ドラマ?で、ノンスタイル井上 が、ドラマ中で、女の子に何度も「付き合ってください」みたいに言っていたが。 女の子が、それに最終的に同意しても、それが俺宛の女だった場合は。 男の方は、1年以内に事故死とかするので気を付けた方が良い。 タクシーの運転手は軽傷を負い、井上も逃げたことを認めているという。 同署は当て逃げの疑いもあるとみて、自動車運転処罰法違反(過失傷害)や道交法違反(救護義務違反)の容疑で調べている。 事故が発生したのは、東京・世田谷区の東急松陰神社前駅近くの世田谷通りの交差点付近。 井上は11日午後11時45分ごろ、世田谷区若林3丁目の都道でタクシーと衝突後、通報せずに走り去った。 33 ID:68kPEtB0y 時間のある時で結構ですから、又基本さんに質問したいことがありますどうぞよろしくお願い致します。 おかきさげについて 一般に「又一つ、第一の理を諭そう。 第一には、所々に手本雛型。 諭す事情の理の台には、日々という、 日々には家業という、これが第一。 又一つ、内々互い/\孝心の道、これが第一。 二つ一つが天の理と諭 し置こう。 さあ、これより先永く変わらん事情に。 」の文章が30歳未満の方だけに渡される。 との事ですが、 「家業第一」「互い孝心の道」の「家業第一」に絞っておさしづを調べました。 おさしづの割書で年齢が書いてあるおさづけの理の拝戴者が110人、その中で30歳未満の者で家業第一が 書いてある者が14人、書いてない者が21人。 30歳以上の者で家業第一が書いてある者が4人、書いてない 者が61人と30歳で分けてあると思えないのですが。 おさしづの一例を挙げれば、 明治二十一年十一月一日 山本和三郎三十六才(山城国大瀧郡長谷村周旋方) 「若きの処諭しというは、若き至り、家業第一、又内々互い一つの孝心と、二つ一つの理に治め。 」 このおさしづのお諭しは36歳で若いと親神様は思っておられ、 御教祖は、『神様はな、「五十、六十は、まだ子供や」と、仰りますでな。 』と、御諭しになった。 の 口伝より、50歳60歳も若いとお考えになられているので、平均寿命が延びた現在では60歳70歳も若いと 言うことでしょうか。 ややすれば30歳で区切ると言うことは、そこに誤解を生む恐れがあると思いますが。 そこで30歳未満の方だけに渡せと指示されたお言葉はあるのでしょうか? ただ気になるおさしづで 明治二十三年七月十七日(陰暦六月一日) おさづけ順序の後にて心得のため御話 さあ/\一寸さしづするで。 年齢々々の処、三十才までは第一前々に諭した。 前々の理、これを書き入れ んならんで。 68 ID:68kPEtB0y 間違い訂正 書いてない者が61人ではなく71人です。 93 ID:0c1rwkH3X それともう一つ質問です。 続けてどうもすみません。 祭典日が太陰暦(陰暦、旧暦)から太陽暦(陽暦、新暦)に変更された事について、陰暦日の方が神意が あるような気がしているのですが基本さんの見解をお聞きしたいです。 その前に私なりに調べてみました。 よろしくお願い致します。 年表 日本では、太陰暦(太陰太陽暦)から明治6年1月1日に太陽暦に変更 教祖1年祭 明治21年3月8日(陰暦1月26日) 教祖5年祭 明治24年3月6日(陰暦1月26日)から3月8日 明治二十九年二月二十九日(陰暦正月十六日)夕方 「二十六日は夜に出て昼に治まりた理。 十年祭は後でも先でもだんない/\。 」 教祖10年祭 明治29年3月9日(陰暦1月25日)春季大祭3月10日 戦勝奉告祭3月11日 教祖20年祭 明治39年2月18日(陰暦1月25日)春季大祭2月19日 明治43年文部省の勧告により春季大祭から祭典日を太陽暦に改める (明治42年11月20日「達第十五号」「達第十六号」に、来る43年のお節会並びに1月の大祭を新暦で行なうということが達せられた。 これに準じて月次祭も変わる) 教祖30年祭 大正5年1月25日(陰暦 大正4年12月21日)年祭では、これ以降から太陽暦で勤める。 36 ID:0c1rwkH3X おふでさき おふでさきの年月は表紙に記された年月で、明治七年以降は陽暦と推定される。 第4号 明治7年4月(陰暦2月〜3月) このひがらいつの事やとをもている 五月五日にたしかでゝくる (4-3) おふでさき注釈では、 明治7年6月18日(陰暦5月5日)教組は、前川宅にかぐら面を受け取りに赴かれる。 又山沢良介、山中忠七、 前川たき、これらの人々が5月5日に教組に教えを請い、おたすけに願い出るぞと予め仰せられたのである。 しかし、明治27年7月26日朝のおさしづの「今見えるという」部分とおふでさきの「でゝくる」 部分で日清間事件(戦争への道)の事だと思いますが、そのおふでさきの前後のおふでさき このさきハをふくハんみちがみへてある もふあこにあるこゝいきたなり (4-2) それよりもをかけはぢまるこれをみよ よるひるしれんよふになるぞや (4-4) 「をふくハんみち」「よるひるしれんよふになるぞや 」往還道になり夜も昼も人が集まるのは5月5日から 見えてくると良い事を説いていらっしゃるので、一言の理は万言の理として捉えました。 第4号 明治7年4月(陰暦2月〜3月) たん/\と六月になる事ならば しよこまむりをするとをもへよ (4-5) 明治7年(陰暦6月)証拠守りを一般に下付される。 第3号 明治7年1月より(陰暦 明治6年11月13日より) 十一に九がなくなりてしんわすれ 正月廿六日をまつ (3-73) 明治二十二年三月十日 「正月二十六日と筆に付けて置いて、始め掛けた理を見よ。 87 ID:0c1rwkH3X おさしづ 明治二十年三月二十日(陰暦二月二十六日)午後一時三十分 刻限御話 「一寸正月二十六日、これまで話てある。 さあ/\事を始め。 二月二十六日というは、今初めやで。 」 明治二十三年十二月一日 集会談示の上会長たまへ御結婚日取は二十六日、村方二十八日、掛員家内二十九日、あとぞくさく三十日 に御許しの願 「さあ/\だん/\事情運ぶ/\。 定める処二十六日これ一つ旬順序どうどこう繋ぐよう。 」 明治二十三年十二月七日(陰暦十月二十六日)夜十時 会長たまへ御結婚御盃を本席より御始めなされし際の御話 「さあ/\やれ/\待ち兼ねた/\で。 さあ今日までの日待ち兼ねた。 」 明治23年12月7日(陰暦10月26日)真柱 眞之亮、中山たまへと結婚 明治26年12月3日(陰暦10月26日) 秋季大祭当日、本席御用場に移る。 明治二十六年十二月三日(陰暦十月二十六日)午後十時 本席お引き移りの席にて御話あり 「さあ/\待ち兼ねた/\/\/\。 さあ/\/\、一寸今夜一言話する。 さあ/\始まり/\。 長い間 やったのう/\/\。 さあ/\これから勤めにゃならんで/\。 もうこれから自由々々やで。 」 明治四十年六月六日(陰暦四月二十六日)午前四時半 本席苦痛激しくに付、教長始め一同出席す (中略) 「今日は幾日やなあ。 」 教長より、二十六日と御答え下さる 「あは/\/\/\。 あヽヽヽヽ。 今日は二十六日や。 今日は元初まり一日の日であるで。 」 (中略) 教長初め一同引き取り後又出席の上 「もうこれで結構や。 後はもう一日。 もう結構。 今日は二十六日。 きっしょうや。 13 ID:0c1rwkH3X 教祖ひながた 立教 天保9年10月26日(陽暦12月12日) つとめ場所棟上 元治1年10月26日(陽暦11月25日) 明治7年12月26日(陰暦11月18日)、教祖は、初めて赤衣を召された。 明治8年6月29日(陰暦5月26日)かんろだいのぢば定めが行われた。 教祖は、前日に、「明日は二十六日やから、屋敷の内を綺麗に掃除して置くように。 」 と、仰せられた。 かんろだいの石取払い以後、明治15年10月12日から10月26日まで(陰暦9月1日から9月15日まで)、 教祖自ら北の上段の間にお出ましの上、毎日々々つとめが行われた。 明治16年11月中旬(陰暦10月)御休息所が落成し、11月25 日(陰暦10月26日)夕方、お迎えの人々が 提灯に灯を入れて並び、取次ぎが用意の整ったことを申し上げると、教祖は、「そうかや、用意が出来たかや。 刻限が来たら、移りましような。 」と仰せられ、こうして何時間かが経った。 教祖が、「さあ、刻限が 来た、移りましよう。 たまさんおいで。 」と、孫のたまへに仰しやったのは、真夜中頃であった。 そして、 中南の門屋から「御休息所」に移られました。 net 世界中の人間は、我が身思案に頼って、心の闇路にさまようている。 それは、元なる親を知らず、その心に触れぬからである。 親神を天理王命とたたえて祈念し奉る。 紋型ないところから、人間世界を造り、永遠に変わることなく、万物に生命を授け、 その時と所とを与えられる元の神・実の神にています。 この世は、親神の身体であって、世界は、その隅々にいたるまで、親神の恵みに満ちている。 即ち、有りとあらゆるものの生命の源であり、一切現象の元である。 実に、この世は、理ぜめの世界であって、一分のすきもなく、いささかの遺漏もない。 しかも、親神は、どこまでも、一れつ子供を愛撫される親にています。 人間には、陽気ぐらしをさせたいという親神の思いが込められている。 これが、人間の元の因縁である。 善き事をすれば善き理が添うて現れ、悪しき事をすれば悪しき理が添うて現れる。 およそ、いかなる種子も、まいてすぐ芽生えるものではない。 前生因縁は、先ず自分の過去を眺め、更には先祖を振り返り、心にあたるところを尋ねていくならば、 自分の因縁を悟ることが出来る。 これが因縁の自覚である。 親神が、色々と因縁を見せられるのは、それによって人々の心を入れ替えさせ、 あるいは勇ませて、陽気ぐらしをさせたい、との篤い親心からであって、 好ましからぬ因縁を見せられる場合でさえ、決して苦しめよう困らせようとの思召しからではない。 親神の胸に抱かれ、ひたむきに信仰に進む者は、我が身にふりかかるいかなる悩みや苦しみにも、溺れてしまうことなく、 むしろ素直に成って来る理を見つめて通るから、悩みや苦しみも、かえって喜びに転じてくる。 かくて、真にたんのうの心が治まれば、前生の因縁は納消される。 ひたすら、世の人の上に親神の守護を願いつつ、我が身を忘れて行ううちに、 親神に守られ、その胸に抱かれて、自身もいつしか心は成人して、明るく陽気に救われて行く。 21 ID:zdjsf37h. net 茨城県 茨城 には、「ウエサマ・上様」の、「偽者・ニセモノ」が存在しているので、その関係では? 偽者が、小柄アイドルみたいな女性で、ハーレム、公認浮気、複数の女性を内縁の妻にしている人が存在している。 以前の情報では「実家がアルミ工の消防士」が、偽者。 震度6弱 安部・内閣総理大臣、内閣府、首相官邸、外務省、外務大臣フェイスブックにも、同じ内容を書いているし。 総理のには同じ画像も出している。 エリザベス女王は、俺「林田」の祖母という連絡が来た。 明治天皇・睦仁が、俺の祖父のはずなので、点・点〜天・天(てんてん)なのだろう。 韓国の国旗も私の祖先からの紋章「太極」が使われている。 墓石、ホワイトハウス、椅子、屋敷、天守閣。 30 ID:zdjsf37h. 62 ID:Exsn8rHa. net 初詣は不動関係やアマテラスの神社、仏閣は絶対行ってはいけません!こいつは嫉妬とひがみ でできているので、みんなつぶしあい、引きづり落としあいになりダメにされます。 わかりやすく言うとオーム真理教と同じです。 いくなら月読関係の神社などにしましょう。 02 ID:51tuOjoj. 32 ID:IQF0p4Hr. 83 ID:1IJIdpA1. net 精神医学では、この中山みきのような神がかりというものを「憑依妄想(ひょういもうそう)」と呼び、 人間の主体性が失われて起こる「精神分裂病の一種」としています。 このような精神錯乱・精神分裂の妄想が出発点となっている天理教など、 まともに信ずるに値しませんし、誰もこれで救われることなどありません。 「万物創造の親神」などというものは、単なる中山みきの妄想の産物です。 天理王命なる神は本来は精神病院行きのキチガイ女である中山みきの妄想上の神であり、 現実に地上に現れたことはありません。 従って存在いたしません。 曖昧も何もありません。 ハッキリしております。 陽気ぐらしをするために神が人間をつくったのが本当であるとして、 中山みきが神がかるまでの数百万年の間天理王命は何をしていたのでしょうか。 非常に怠慢でいい加減な神であり、そのような神が人類を救えるはずがありません。 62 ID:N6vBq8vJ. 48 ID:wsErPEJt. net そもそも天理教の場合は教祖が低劣すぎたのが何よりの間違い。 今日における低劣な天理教信者の群れを見れば、それが如実に分かる。 悪い果実を生らす樹木が、そもそも悪いと言わざるを得ない。 ダテに聖書において「果実を見て、その樹木の良し悪しを知れ」という章句があるわけではない。 まあ、偉ければ「だめの教え」とやらの「だめの教え」たる所以を我々に見せてくれたまえ。 ねえ、基本さん。 37 ID:BLmgAMvsC だめの教え=最高の教え、徳がある人が上に立つ。 原典に書いてない事を、 さも天理教の教えだと勘違いしている方がいる。 見える世界はあなたそのもの。 それに、キリスト教徒がすべて良い実で悪い実が一人もいないと断定できるのでしょうか? キリスト教徒による宗教的迫害の歴史を樹木(イエス・キリスト)が悪いと言われるのでしょうか? そこにイエス・キリストが明確に答えを出しておられます。 「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。 わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである」と 中山みき様も 「反対する者も可愛我が子、念ずる者は尚の事。 なれど、念ずる者でも、用いねば反対同様のもの。 」 つまりイエスが言った事、中山みきが言った事を用いるか用いないかの違いによって間違うのです。 スレ違いとあらしばっかり、放置が一番賢明ですが、失礼致しました。 天理教の教理を基本さんと語りましょう。 495 :基本。 汝の隣人を愛せよ。 と、説きます。 天理教は誠を尽くせと、説きます。 愛には、犠牲というものが伴います。 自分を捨てても、捧げるという、精神です。 すばらしく、尊いものです。 しかし、その愛という、至高のものは、それ故に、人も自分も傷つけます。 誠というのは、嘘が無いこと。 そこから始まります。 理と言う言葉で、表現された神が、「天理王」です。 主という言葉で、表現されているのが「キリスト」です。 主の愛によって、祝福され救済を受けるのが、キリストの教えです。 その神の愛の、「福音」を述べ伝えるのが、神の使徒の使命です。 人はイエスにより、神の愛を知り、神の子イエスに導かれて、天国に行きます。 その、神の愛への信仰、神からの愛への信仰をキリスト教と、教えられています。 賛美歌です。 諸人こぞりて祝え祀れ、久しく待ちにし、主は来ませり、主は、来ませり。 久しく待っていた、人々の前に、ナザレの大工の子。 イエスが誕生しました。 聖母マリアは、処女でありながら、イエスを身ごもり、馬小屋にて出産しました。 主は、仰ぎ見る尊い方としてお生まれになったのではなく、正式の婚姻からではなく、 馬小屋の藁の中に誕生しました。 それが、神の愛でした。 旧約の聖書には、兄弟の争いの歴史がつづられていました。 そして、人間の原罪は、アダムとイブの姦淫でした。 それらの罪を、救済するために、イエスは現れて、愛を説きました。 十三人の使徒。 そして、イエスを裏切るのは、十三人の使徒たちでした。 「お前たちは、皆、私の事を知らないと言うであろう」 ユダひとりが、裏切り者であったのではなく、十三人の全員が、イエスの事 を問われて、知らないといいました。 愛はあっても、誠の無い姿でした。 イエスの説いた愛は、誰一人、誠にする人がいないままに、キリストの福音と愛とが伝承され、 それは、権威となって教会が出来、神の国が出来上がりました。 その、神の国は、人間の王が神の代理者として支配するという、現実には、 人による人の支配というものでした。 愛は、裏切られたまま、歴史は刻まれましたが、神の子イエスの愛は、紛れも無く、十字架。 あるとき、天理教祖に十字架を見せて、「これは何ですか」と尋ねたところ、「完成の意義や」と、教祖は お答えになられたそうです。 イエスの愛が、完成するという意義を示していると、天理教祖はお答えになりました。 愛を完成させるものは、それは、まこと。 まこと一つが天の理と、教えられています。 天理教は、イエスの愛を誠という理で、完成させる教えです。 教祖、おおせには 『十柱の神をわすれんように 十字おがませてあるのやで』と。 〔註〕中西牛郎氏の著作中に出ていたと思う。 真言宗とは「真をつなぐ理」は立教の時に、元は密教である加持祈祷をしたこととにより、神が表に繋がった という意味なのでしょうか?それとも経典での「大日経」「金剛頂教」の中につなぐ教えがあるのでしょうか? 密教の教義の中心になるのが即身成仏。 心の成人を説く天理教とは同じであり、それと密教は現世利益の仏教で、 「なれど願う誠の心から見えてくる利益が神の姿やで」を説く天理教も現世利益。 しかも、即身成仏を達成するための修行が三蜜加持〔衆生が身に印を結び 身密 ,口に真言を称え 口密 ,心に本尊を観じる 意密 〕。 天理教では誠〔口と心と手と、この三つが揃う事(正文遺韻抄より)〕と同じ様な意味は確かにあります。 それと「つなぐ」は関係してくるのでしょうか?興味が湧きます。 54 ID:jUCRx4ar. net 貧に落ちきれと言うのなら、上のやつらがまずはホームレスになればいい。 例えば、お金を儲けたなら、余分な分は自分のためじゃなくて世のため人のためにも使えという教ならまだ分かる。 しかし自分の生活を犠牲にして貧乏になってまで献金をするのはおかしいだろ。 献金された上のやつらはそのお金で陽気ぐらしができるから喜ばれているとか、アホらしい。 どの宗教も同じだが、神様に供えても使うのは人間だ。 人は努力して裕福になるべきなのに、最低限度の生活をすべきなのに。 まずは上のやつらが全財産を貧しい人に施して手本を見せてから言え。 15 ID:6NSiwBrx. net 効き目ないのに金だけ巻き上げる天理教。 net お供え持って帰りは千鳥足の布教所責任者。 いいご身分ですね。 net また今度もハイテクテロリスト組織は、地震等天災を起こしてごまかす気かな。 net.。 77 ID:wnbif3PD. net 天理教の教会の子供は親の躾が全くできていない。 一般信者の子供とはあまり接触する機会が無いので、 実態はどうだかわからないが、目糞・鼻糞だと思う。 躾の可否は、受動側の生い立ちで差異が生じるとは 思うが、「人に挨拶をする」という行為は、万人に 共通する最低限の躾というか、躾以前の必須要件と 思う。 年齢・性別を問わず、今だ嘗て子供から先に 挨拶されたことが無い 漏れは某教会に通算で三年 くらい出入りしていて当然子供全員と面識も有るし、 何度も会話したことが有り決して初対面では無い。 ちなみに漏れが出入りしている教会の子供の構成は 長男 大学生 長女 同左 次男 高校生 三男 中学生 次女 同左 及び親類の長女 社会人 長男 高校生 の 計7名である。 教会内や教会関係者 傘下の教会や一般信者全般 が 相手なら百歩譲ってまあいいか 良くないが と思うが、 近い将来、一般社会の「善意の第三者」 漏れも以前は こっち側だったが今は教会の準構成員扱いされている orz と関わるようになったらトンデモな事態になる のは保証してもいい 笑。 まあ漏れの知ったこっちゃ ないが 汗。 DQN扱いされて初めて気付いても遅い。 ここまで書いたら、天理教の工作員に身バレして、 彼らの手で「出直し 命BANの意 」させられるかも 知れないが、そうなった時の遺稿としてここに書き 残しておこうと思う。 長文スマソ。 net 確かに、中山みきは低劣。 58 ID:0ucd1w6C. 48 ID:DXrG9LrQ. 一時期出入りするのやめてた頃もあったが、約半年前から 訳あってまた出入りするようになった。 以前は「朝づとめ」 「夕づとめ」「路傍講演」にも参加していたが今はネット民 として日々忙しいので、お昼の時間帯 三時間くらい 食材 準備 野菜切り全般 の「ひのきしん」をしている。 包丁と 無縁な人生を送ってきたが、何故か刻みモノ担当になって いる 笑。 前フリが長くなったが、日々何をどれだけ切る かは、当然、教会長の奥さんの指示を仰ぐのだが、最近、 「大根サラダ」用に大根を切る様にとの指示が続いた。 83 ID:DXrG9LrQ. しかしカカシ、件の 奥さんは漏れのやり方 世間一般ではこうやってる を全否定 して、大根を輪切りにした上で、千切りにする様にと主張 してくる。 ちなみに漏れの切り方ではサラダとして食えない と言い切る始末である。 想像してほしい。 円形のものを細く 切ったらどうなるかを。 完成品のサイズはバラバラになり、 実に見苦しいということを。 大根の繊維の向きに対して垂直に 切れば確かに繊維に平行に切るよりも、柔らかいのは事実で あるが、それはあくまでも煮物 みそ汁の具を含む の場合で あって、今つくろうとしているのは、見た目に美しくシャキ シャキ感の楽しめる「大根サラダ」であって大根の煮物では ないということを。 92 ID:DXrG9LrQ. 何かにつけて学習しようという姿勢が全く無いということ。 漏れのようにパカッと開くタイプの通話機能とメール機能 しか持ち合わせていない文字通り「携帯電話」と呼ばれる ものと、10年以上も前に購入したウィンドウズXP搭載の ノートパソコン 一度電源を落とすと次に電源スイッチ入れて 立ち上がるかどうかわからないので付けっぱなし でもって どうにか外界と繋がっているヘタレな漏れと違って「スマート フォン」 それも最新機種 なる時代の最先端を突っ走ってる 「文明の利器」を持ってるにも関わらず、電話とLINEくらい しか使ってるのを見たこと無い ネットも使ってると思うが、 「アマゾネス」しか見てないんじゃないかと思う 多分。 彼ら彼女らには、天理教の教義と親様の有り難い教えさえ 有れば他には何もいらない お布施は必須 のだろう 笑。 現に当分教会のHPは、2011年の東北地震の時に自分達が やった事の自慢話の記述以降、全く更新されていないこと からも伺い知ることができる。 以上、長文・乱文スマソ。 20 ID:N8XJv3en. また、 世のため、人のための相応の務めを欠き、あるいは、借りた物を返すのを 惜しんだり、嫌なことを人にさせて自分は楽をしたいという心。 「ほしい」 努力を怠り、十分な働きもしないで金銭を欲しがり、分不相応に良い物を 着たい、食べたい、また、何によらず、あるがうえにも欲しいという心。 「にくい」 人の助言や忠告をかえって悪く取って、その人を憎む。 また、嫁姑など 身内同士の憎み合い。 さらには、人の陰口を言ってそしり、笑い、あるいは 罪を憎まず人を憎むという心。 「かわい」 自分さえ良ければ人はどうでもよい。 わが子への愛に引かされて食べ物、 着物の好き嫌いを言わせ、仕込むべきことも仕込まず、間違ったことも 注意しないで、気ままにさせておくという心。 また、自分のために人を 悪く言うのもほこり。 85 ID:N8XJv3en. 「はらだち」 人が悪いことを言った、意に反することをしたと腹を立てる。 理を立てず、 我を通し、相手の言い分に耳を貸そうとしないで腹を立てるような心。 「よく」 人より多く身につけたい、取れるだけ取りたいという心。 数量をごまかし、 人を欺して利をかすめ、あるいは盗み、取り込むなど、何によらず人の物を ただわが身につけるのは強欲。 また、色情に溺れるのは色欲。 「こうまん」 力もないのに自惚れ、威張り、富や地位をかさに着て人を見下し、踏みつけに する。 また、頭の良いのを鼻にかけて人を侮り、人の欠点を探す、あるいは 知らないことを知ったふりをするような心。 net 解ってきた、通いだが、働いてないが、2ch張り付く時間はあるが、住み込みに文句言う事は 、、、、、正社員は天理よりハードだよ。 若いならキツイだろうが、頑張って朝勤めか、夕勤め か布教所や末端教会の月祭りとか通ったら 段々、事情も良くなるよ。 2chに不平書きたくなるが、、、、、俺も其が課題。 55 ID:cg8w9Yi8. net 余談だが、先日、爆笑問題の田中がやってる番組でバックに不動明王の像を置いてるのを見かけた。 バカかと思う。 不動明王 シヴァー は実は一番中心になって東大震災を起こした張本人といわれている。 こいつによってそうゆう因縁でもないのに不正に障害者にされたものもいる。 また古代から不正にひどい陰謀を たくまれてきた者もいる。 赤不動、青不動、黄色、白、黒とあって、家のは赤だからあるいは白だから大丈夫と 言ってるのもいるが、全部同じで百面相でごまかしただけ。 ひがみの因縁がきれてない。 共産党の悪化したみたい にみんなで引きずり落としあいになってしまう、また何らかの形でからかわれるようにばっかもなる。 そんなものを拝んじゃダメだ。 オーム教と同じ。 56 ID:kmQp6uvB. net ムカムカ状態になった。 これは、誰かが設定で、人間をラジコンみたいに動かしてるのである。 口が動かなく、食事が採りにくい状態が続いている。 これらの改善を求めている。 警察や、自衛隊の幹部などなら知っているはず。 今年の、2月中旬の状態に「健康状態」「体調維持」を戻してもらいたい。 241 : 基本。 61 ID:hAEccNkm. 61 ID:I6uTeRJI. 62 ID:78MnKrv4. net 基本様へ スレ違いスマソ。 「メイド服」というワードに過敏に反応してしまいました 笑。 01 ID:78MnKrv4. net 「今さら聞けない素朴な疑問」 皆さんこんにちは「ROM専卒業」です。 長文NGな方は完全スルー 願います。 ゆっくりしていってね。 疑問その4 : 「天理大学」は2025年に創立100周年 と「天理時報」最新号の1面にデカデカ 載ってるのを見たんですが、天理教の ヒトたちの「ステータス・シンボル」的な 一流大学なのに、どうして「BF」なの? 疑問その5 : 「住み込みのヒト」って、どうしてあんなに 「アホ」なんですか?調べましたが、全然 分かりません。 ぜひ教えてください。 上記1〜5について一応「自己解決」してますが、あくまでも 「 自分勝手な解釈」なので、皆さんの「アンサー」を希望します。 39 ID:St0xvkqz. net 「当板住人の皆様ならびに通りすがりの皆様へ」 皆さん こんにちは「ROM専卒業」です。 漏れの投稿をいつも寛容なお心で御一読いただき有り難うございます。 この度、訳あって自身に課しておりました「リミッター」を「完全解除」させて いただきます。 それに伴い以後の投稿にて、「不適切な表現」が含まれる かも知れませんが、これまで以上に寛容なお気持ちで御一読賜ります様、 宜しくお願い申し上げます。 69 ID:9eU2tcYT. net 『今日の振り返り』 皆さんこんにちは 新生「ROM専卒業」です。 リミッター解除で、「漏れ様、絶頂症!」です。 そもそも「社会人」やめた漏れが「リミッター」 かける必要は最初からないのに馬鹿だろ? 今日は「狂塊頂」以下どこかの「死部」行きで、 過疎ってた。 昼前に「なまぽ」がノコノコ出て 来たが、どうでもいいので「放置プレイ」した。 明日の「落ち葉がえり」の煽りを期待していた が、留守番の「住みゴミA」「狂塊頂腐塵」共、 何も言ってこなくて、正直つまらなかった 笑。 結局今日はキャベツを切って、昼飯喰って、 時報のバックナンバー読んで 眺めて 終了! おかげで、ここに書き込む「ネタ」何にも無い。 26 ID:B2kapNbd. net 『本来の漏れ』 皆さんこんにちは 新生「ROM専卒業}です。 漏れの住んでる所は雲一つ無く晴れ渡った気持ちの良い一日でした。 まるで今の「漏れの心」を映し出しているかのように感じられました。 今日は「落ち葉がえり」で「棲みゴミA+1」のみ留守番していました。 明日は多分「狂塊頂」が、漏れにケンカを売ってくることでしょう。 「漏れさん昨日は何故「落ち葉がえり」に行かなかったのですか?!」 第一声は多分これで斬り込んでくるに違いありません。 以前の漏れ であれば、元「社会人」として「神対応」していたことでありましょう。 しかしながら「リミッター」を完全解除し「本来の漏れ」を取り戻した 今の漏れは「国家と国民全体の利益に反するモノ」に対し相応しい 姿勢で臨むつもりです。 そうすることが漏れに課された「義務」で あり、それによって「狂塊頂」を粉砕する事が国家に貢献する事に 繋がるものと確信しています。 明日を考えると「w k t k」します。 以上、長文・乱文、失礼いたしました。 00 ID:22EXZoWy. ここ暫くあんなコトやこんなコトをググるのに 時間と労力を費やし、今日の振り返りが今日中 にできるか正直言って自信が無い・・・。 なんでそんなものググってんの?については、 本人も、成り行きでそうなったとしか言えない 前振りが長くなりましたが今日も特にやるコト 無く、昼飯に有り付いていた時「なまぽ」曰く 「漏れ君、何でもハイハイ言わないとダメでしょ!」 こいつ「なまぽ」の分際で漏れ様に何言ってんだ 漏れ曰く「自分の意思でNO!と言ってるだけだ!」 「なまぽ」沈黙。 このタイミングで何故か「棲み塵B」 が同A宛の郵便物をAに手渡した。 66 ID:22EXZoWy. ここから漏れのターン! 漏れ:「なまぽさんは医療費タダなんですよね? 笑 」 なまぽ:「そうだよ。 はっきり言ってやった。 「なまぽ」黙らせても自慢に ならないが、社会の最下層のイキモノだと自覚させて やらないと、いくらでも虚勢を張って一般社会が迷惑 する。 漏れはあくまでも「事実」を述べただけですし。 今日はこんなトコです。 以上、長文スマソ。 14 ID:gpyVm0WA. net イスラエルの民の世。 喜び言、全土に響く真理ぞ。 イスラエルの民に印あり。 真実のイスラエルの民、早く開け。 イスラエルの民に花咲く御代 嬉し嬉し、早う光の文路知らせたり。 急ぐ心ぞ。 71 ID:nD5hx0xx. net 皆さん、お久しぶりです。 「ROM専卒業」です。 最近、「ようつべ」のコメント欄への書き込みを始めた為、そちらに時間を取られてしまい、 なかなか「2ちゃんねる」に顔を出せずにいました。 今日は少し時間ができましたので、 ちょっとだけ書き込みさせていただきます。 相変わらず「狂塊頂」とケンカする毎日ですが、 漏れの「娯楽」になりつつあります 笑.。 毎回、同じ「論調」だということが分かってきました。 例えば、「狂塊頂」の質問に対して漏れが 「Aだからです」と回答したとします。 すると「何故Aなのですか?」と言ってくる。 それに対して 「Bだからです」と回答すると、「何故Bなのですか?」となる。 それに「Cだからです」と言うと、 「何故Cなのですか?」以下エンドレス・テープを流しているのと同じ状態になり、こちらが 止めない限り、永遠に続くわけです。 以前は、馬鹿正直に、逐一回答していましたが、最近 「何故?」に対して「何故?」で斬り返してやると、「狂塊頂」が沈黙することに気付きました。 では何故、沈黙するのか考えてみました。 答えは簡単です。 それは「相手の反撃を想定せず、 攻撃する事で頭が一杯だから」です。 何に例えれば皆さんに理解していただけるか自信が ありませんが、第1次大戦初期のフランス軍が「オフェンシヴ・ア・アウトランス たゆみなき 攻撃 」に凝り固まってドイツ軍の「機関銃陣地」に向かって、ひたすら「銃剣突撃」を繰り返して、 死体の山を築いたのと、全く同じ事だと思います。 ここでいう「銃剣突撃」こそ、「狂塊頂」が 「何故」「何故」「何故」「何故」・・・ ry と言う論調なわけです。 漏れにしてみれば、別段、頭を 使うこと無く、敵が全滅するまで、ただ機関銃の引き金を引き続ければいいだけのことです。 皆さんも機会があれば、一度試してみてください。 「効果覿面」ですから 笑。 ちょっとのつもりが 結局いつも通り、グダグダの長文になってしまいました。 申し訳ありませんでした。 以上です。 07 ID:AqDdmA9q. net 『この世では時の神様、時節を忘れてはならんぞ、時は神なりぞ。 何事もその時節来たのざぞ』 『旧九月になったら、いそがしくなるから、それまでに用意しておかんと悔しさが出るぞよ。 いざとなりて地団太ふんでも間に合はんぞ。 04 ID:ydw88yQj. net 「天理教」の奴らは自分達を「人間」だと思っている。 81 ID:PpAIjHOT. 薩摩示現流の「チェーストー!」の精神丸出しではないか。 99 ID:A4uJcZ4Z. net ここ数日、教会に出入りする「なまぽ」の態度が目障り なので、今日、大祭の準備で婦人会やら傘下の分教会の 会長やら大勢いる前で、大声で、はっきり言ってやった。 「おい、なまぽ、お前は俺の納めている税金で喰わせて やってるんだから、税金の分だけ、しっかり働け!」と。 いつもなら、ここで「住み込みB」が「なまぽ」を援護 するのだが、こいつは馬鹿なので「なまぽ」が如何なる モノなのか分かってないので何も言い返してこなかった。 婦人会や分教会の会長がどれだけアホでも「税金で喰わ せてもらってる=生活保護 なまぽ 受給者」という事は 理解できるので、自分が「なまぽ」だということを奴の 代わりに「カミングアウト」してやった。 どれだけ虚勢 を張っても無駄だという「現実」を、突きつけてやった。 久しぶりにスカッとした。 01 ID:oovByq9R. net 北朝鮮は「埃」の国。 26 ID:DUihm3j1. net 【 祝 前会長 出直し 】皇紀2677年8月21日 今までに、これほど「 ヒト 」の死を喜ばしく 思った事はない。 「 人 」と表記しないのは 人に非ざるモノであるが所以である。 当書き 込みに対するあらゆる批判は全て「 激励文 」と 脳内変換させて頂く。 尊敬に値する面も あったが所詮敵は敵である。 先の身内に依る 甘露台の破壊と言い実に喜ばしい事といえる。 この国におわします「 八百万の神々 」に対し これまで自分達がやってきた数限りない非礼 に対する報いを今こそ受けるがいい! 以上。 56 ID:LYYGCsR5. net 最近よく言われるのが、 「天理教の評判を下げることをやっている人間は、 天理教の中のごく一部の人間であるから、 天理教全体を悪く言うようなことはやめるべきだ」である。 気持ちは非常によくわかる。 しかし意地の悪い返事をするのであれば 「あなたはそれを知っているのに声をあげないのですね。 陽気ぐらしというのは、天理教で苦しんでいる人を無視することですか?」 と言いたい。 18 ID:LYYGCsR5. net フォローをするわけではないが、 私がこれまで俎上にあげてきた話題や経験談は天理教の一部の人間によるものである。 だから人を苦しめない天理教人には少しの敵意もない。 むしろ教えに基づく社会貢献をされている方も多く応援したいと考えている。 しかし、私は「天理教は素晴らしい」と言うつもりは全くない。 なぜなら、その一部の人間を生んでいるのは、天理教の構造的欠陥だからである。 つまり、天理教の一部といえども、それが天理教組織の方針であったり、 悪を知りつつ声を上げようとしない天理教人は、 すべて共犯関係にあると私は認識している。 72 ID:LYYGCsR5. net 私がこれほど天理教にコミットするのは、私の知り合いの、 昔から懇意にしてもらっている天理教の方が実際に苦しんでいるからである。 特に若者が天理教に苦しめられていることを知った以上、 力になってあげたいと強く思っている。 最近、以下の天理教掲示板が賑わっている。 書き込まれている多くの方が天理教関係者か、 元関係者だと思われる(天理教被害者の方も含む)。 85 ID:LYYGCsR5. 57 ID:LYYGCsR5. net ここに記載されている体験談や経験談は、 私が経験し発言してきたことと重なることが多い。 もちろん教義の解釈などについては私の理解が追いつかない点も多いが、 強引なお金の取り立てや権力の暴走は複数の方が同じ文脈で発言されていることは 着目すべき点であろう。 これを一部として済ませてしまうのは、臭いものには蓋をしてしまえという 隠蔽の意図が見え隠れする。 天理教の構造的欠陥については、 実の親ではないが「理の親」と呼ばれる信仰上の親の権力性が天理教にはある。 私理解では、この理の親は本部や大教会長や会長を指すことが多い。 この権力性が強いために様々な問題が生じている。 95 ID:LYYGCsR5. net ・若者の婚姻関係にまで第三者である大教会長や会長が意見したり介入したりする。 ・結婚式を教会本部であげさせない大教会長のルールがある。 ・天理教一れつ会という奨学金財団では、信仰上の権力者である 「理の親」(大教会長)の署名を求める。 ・天理教施設である詰所に在籍する天理大学生は天理教行事に参加しないと、 大教会長から退居するように脅迫される。 93 ID:LYYGCsR5. net 上記の事例は、これまで私が証言と証拠とともに集めた事例の一部である。 そしてこれらこそ、天理教本部の組織や、宗教法人天理教教会本部の責任役員の組織 (大教会)でおこなわれていることである。 責任役員ということは、天理教の政治的、法的決定をおこなう中心的幹部である。 このことをもって、私は「天理教は間違っている」ということを の一部の人間で終わらすことは決してしない。 もう一度言う、天理教の構造的欠陥を維持しているのは天理教責任役員でしかない。 法的権力もリーダーシップもない真柱などどうでもよい。 29 ID:fsYvtuU6. net 私はこれまで、上記の事例については、その都度、奈良県、天理市、京都市などの 相談窓口や該当部署に通告している。 話は親身に聞いてくれるが、私が当事者本人ではないということで事例に対して 対応はとれないということであった。 人権窓口は基本的に通告すれば対応の結果まで教えてくれることになっている。 私も当事者に確認の上で対応までは求めていないため、 行政報告という点で留めてもらうように働きかけている。 きちんと声をあげて、 上記のような天理教で頻発する類似のトラブルを知ってもらう段階と考えている。 74 ID:fsYvtuU6. net ただ、行政に報告するだけでは何も事態が進展しないことは承知している。 1年ほど前より、何名かの研究者と連絡を取り合う中で、今後の動きは練っていた。 昨秋には天理教の脅迫的集金方法や天理教責任役員の言動について国にも通報をした。 本来であれば宗教法人の管轄は都道府県や文科省管轄の文化庁であるが、 戦略的に現時点では総務省と消費者庁に相談した。 すると「国としては個別の事象に対応するこは難しい。 国が動くためには一定程度の数の声がなければ動けない」という助言をもらった。 (総務省は消費者庁に比べて少し素っ気なかったが)。 21 ID:fsYvtuU6. net 今月26日には天理教では教祖が亡くなって130年という重要なタイミングである。 ここでどのよな発表があるのかはわからないが、 この前後で天理教の権力の支配と集金方法に大きな改善の動きがなければ、 次の展開に進みたいと考えている。 しかし調べれば調べるほど、天理教全体の構造的欠陥であると感じるようになった。 ノルマ制の集金方法や、 人々に不安を与えて努力を強いる言葉は天理時報に溢れている。 社会から見たときに、このような狂った組織は、 きちんと社会の評価を受けて是正されなければいけないと思う。 集金ノルマを課しているような組織が「ひとだすけ」と言ったところで 誰が信じようか。 75 ID:fsYvtuU6. net 私は以前はおこなってなかったが、 現在では天理教幹部の組織図と人名はすべて把握している。 天理教の名がついたアカウントはすべて監視しており、 天理教という文字がネット上に上がればすべて収集できるようにしている。 これも多くの方々の協力だと感じている。 これらのおかげで天理教の苦しんでいる方の声なき声と、 天理教の異常な組織構造が垣間見れる。 「カインは天理教を潰したいのですか?」と言われるが、まったく違う。 「苦しんでいる人を助けてあげたい」、それだけである。 31 ID:fsYvtuU6. net 天理教の問題は、天理教団の組織の問題であります。 まずもって、組織に民主主義的発想がありません。 組織の構成に、民意が反映されていないことが、そもそも問題であります。 次に、その問題点に物申す場所が、一般信者には与えられていません。 かといって、本部でデモをしてみんなの思いを訴える勇気もありません。 なんとか、みんなの声が届くように、神さまにお願いするしかありません。 46 ID:fsYvtuU6. net 大教会長の不祥事をよく見聞きする。 本部で手を打っておられるようだが、なかなか上手くいかないようだ。 大教会長が不在になったら、大教会内の教会長の中から、 選ばれて大教会長になればいいと思うが、そうはならない。 必ず本部から派遣されて来る。 教区長も教区内の会長の中からみんなで選んだらよいと思うが、 本部の意向が大きく左右する。 何の権限もなく独自性もなく教区の下請けが仕事の支部長だけは支部内で決まる。 支部長といえば何十か所かの教会の長だから、 大教会長ほどの権限があるかと思えば、違う。 支部内の教会のお世話と下働きが仕事である。 我々教会長は、水飲み百姓みたいなもので、元気過ぎるいろいろ物を申したり、 意見する。 死んでしまったらお供えも当番もひのきしんもしてくれない。 元気過ぎず、弱り過ぎない程度に生かしておくのが丁度よい。 そんな感じに思います。 だから、私は元気過ぎて目障りと思われています。 96 ID:fsYvtuU6. net 我々教会長は、水飲み百姓みたいなもので、生かさず殺さずが丁度よい。 元気過ぎるといろいろ物を申したり、意見する。 死んでしまったらお供えも当番もひのきしんもしてくれない。 元気過ぎず、弱り過ぎない程度に生かしておくのが丁度よい。 徳川時代の士農工商の身分制度に似ている。 農は上の立場にあるように見えるが、とても貧しく生きている。 33 ID:fsYvtuU6. 89 ID:fsYvtuU6. net 江戸時代、実際に幕府を動かしていたのは、 将軍様では無く、大老、家老たちだったように、 天理教組織を支配しているのは、真柱ではなく、本部の幹部、役員達なのですね。 そして、我々末端の水呑み百姓たちは、米のほとんどを年貢に納め、 ヒエ、アワを食べながら、日々生きていくだけで精一杯といったところですかね。 江戸幕府が、時代に呑まれ、消えていったように、早く、 この古くさい封建組織に、民主的な改革が起こるよう、 望んでおりますが・・・、いえ、今、改革の種が芽吹きつつあるかもしれません。 28 ID:xhZIWb3C. 20 ID:sQwW6wXq. 84 ID:sQwW6wXq. net 本ブログを管理してくれているM君から、天理教維持財団とは何の組織かと問われたが、 当初私は何のことかわからなかった。 M君いわく、どうやら天理教の組織内に長らく存在していた財務管理系の組織であり、 最近になり解体されたということであった。 その組織が解体された理由は、お供え金の運用を失敗し莫大な損失を出した 疑い(噂)があるということである。 私は初耳である。 ということで調べた。 88 ID:sQwW6wXq. net まず、この「天理教維持財団」について、なかなか資料がでてこない。 私が一部所有している月刊誌「みちのとも」にも見つけられない。 色々な方法で検索をかけていると「昭和11年12月 天理教職員録」という 冊子が出てきた。 この43ページに「財団法人 天理教維持財団(天理教教会本部内)」という 項目があった。 引用してみよう。 22 ID:sQwW6wXq. 78 ID:sQwW6wXq. 24 ID:sQwW6wXq. 32 ID:sQwW6wXq. 73 ID:sQwW6wXq. 93 ID:sQwW6wXq. 65 ID:sQwW6wXq. net 維持財団という名前の組織は以上である。 どうやら、この維持財団という部署が当時の天理教の財務を担当していたようである。 存在は真実のようである。 ただこの冊子は職員録ということで、金額は載っていない。 27 ID:upcLW3tr. 33 ID:bxpqn71n. net 埃の糞キムチ国家北チョンがミサイル発射だってね。 94 ID:EzIMIJUT. 神社と寺は一体だった。 だから、神社と寺が隣接しているとこ多いだろ。 敷地を分けて穢れとされる墓がある部分を寺にしたんだ。 それを朝鮮朱子学に基づき天皇制と連結して作り直したのが儒家神道。 これを元に帰化人系下級武士がやったのが明治維新。 その後、合祀令で馬頭観音とか男根の神様の社を潰し、純化したのが国家神道。 つまり明治維新は宗教革命でもあり朝鮮人による日本乗っとりだったんだよ。 70 ID:EzIMIJUT. 大義名分論を強調した李退渓の学説は、その系統を嗣ぐ姜? (カンハン)という学者が、16世紀末に日本の捕虜となって日本に連れて行かれ、後に京都に招かれて藤原惺窩と交流し、強い影響をあたえた。 藤原惺窩によって取り入れられた朱子学は林羅山らによって江戸時代の公認の学問とされることになった。 そして儒教側からも「儒家神道」と呼ばれる合体論が多く生まれたのである。 江戸初期の朱子学者である藤原惺窩にはじまり、その門人の林羅山によって、 神道と儒教の一致を説く思想が積極的に提唱された。 羅山はその著『本朝神社考』の序文において、 従来の本地垂迹説や神仏混淆説を批判し、「日本が神国であり、神武天皇が天神(あまつかみ)のあとを継ぎ、その道を広めた。 これがすなわち神道であり、王道である」とし、この王道こそはシナの聖賢の道と同一のものであることを唱えた。 この「神道即王道」の観念によって神儒一致論を主張した羅山は、その考えを『神道伝授』において一歩進め自らその神道説を「理当心地神道」と名づけたのである。 94 ID:EzIMIJUT. 「神道は江戸時代に伝統時な日本人の宗教が朝鮮朱子学に背のりされてできた準新興宗教、靖国は新興宗教」。 今の神道は、伝統時な宗教との違いはキリスト教とイスラム教以上にちがう。 祭神が変わっているからだ。 神仏習合の日本の伝統の破壊者だ。 神仏分離だけじゃなく江戸時代半ばから 明治初期に多くの神社で祭神変わっているんだよ。 「合祀令」で検索。 有名なとこでは神田明神なんて平将門は本殿からはずされた。 また、品川神社は江戸時代は牛頭天王が祭神だった。 出雲大社ですら江戸半ばに祭神が変更をされてる。 記紀神話の天皇につながる神でない多くの神は祭神変更されたんだよ。 そして新興宗教の靖国とか作られた。 自分が参拝する神社の古地図をみろ。 名前も祭神も違う可能性が高い。 一般的な神道の知識は改変後の神道を古来の神道とする捏造でしかない。 品川神社が牛頭天王だった話。 神田明神に平将門が居なかった話。 出雲大社の祭神がスサノオだった話。 03 ID:EzIMIJUT. 「招魂」とは神道ではなく、朝鮮朱子学の葬礼儀式だ。 死人の魂をこの世に留めて守り神のような「鬼」として使役するための儀式だ。 「招魂 朱子学 朝鮮」で、ぐぐれ! 「死して護国の鬼になる」と言うだろ。 これが「招魂」の効果だよ。 因みに平安以降日本では死んだ人を招魂することは禁忌だった。 日本では、生者に対してのみ行う術であり、死者に対して行うことは禁止されていた。 禁を破った者は罰せられた(『左経記』1025年8月23日条)。 中国では、『晋書』によれば東海王・司馬越の死に際して、その遺骸が焼かれてしまったため、 その遺族が「招魂葬」を嘆願したという記録がある。 しかし、中宗が「塚は遺体を蔵すものであり、廟は神を安んずるものである。 招魂葬なるものは神を理める行為である。 」という博士の意見を容れて「礼に失する」ということで太興元年(318年)に禁止したとされている。 招魂は、魂を呼ぶ民間の意識である。 ゴボク(皐復)とも呼ばれている。 その投げられた服を屋根からひっくり返したご飯と一緒に母屋の外側に置いておいたり、納屋の隅にたたみ入れたり、 死体の胸の上においたたりする。 これは人が死ぬこと魂が抜けたと信じて、出て行った魂を呼び死者を復活させるせようとする信仰に由来した行為である。 64 ID:EzIMIJUT. net だから招魂したくないから、靖国神社に西郷隆盛や幕府軍、会津軍が祀られていないのか。 明治政府に逆らっただけやと思っていた。 net 殺される日本人が悪い。 17 ID:4l4O2mZ2. 23 ID:4l4O2mZ2. net とふぢんが日本の地に入り込んで、日本の伝統文化を破壊していってることを、教祖はよくご存知だったんだな。 71 ID:mtCoBrTL. net 先日佳子様がアマテラスをおまいりしたというが今は月読を中心におまいりしなきゃならない。 今のアマテラスはスサノオノに術をかけられてからかまともなはんだんができない。 善人を 悪人と間違えて行動してしまう。 ついてるヤタガラス 実はゾロアスター教と言う説もある) の連中もアマテラスをたててるように見せているが実は裏切っていて自分たちが君臨したいだけ。 そのため善人の邪魔をしてくる。 上では 神仏の世界では 指名手配の抹消される 運命ともなっている。 天皇家は天理教およびその関係をおまいりするのではなく月読を拝むべき。 13 ID:GIVHpdsN. 96 ID:RHJcwBvt0 ユン・チホ(尹致昊、1865年1月16日-1945年12月9日)は、韓国の教育者、啓蒙運動家、政治家である。 独立協会、 万民共同会の指導者で、独立新聞の第2代社長で、新民会の指導者だった。 大韓民国第4代大統領を務めた尹ボ善は甥。 ユン・チホの語録 「韓国人は10%の理性と90%の感情で生きている」 「韓国人たちは頭が空っぽなのに、優秀なふりをしたくて体が熱くなる」 「朝鮮人の特徴は、人がモンソクマルイ(人をむしろに巻まいて袋叩きにする刑)をされると、 その人について調べようともせず、みんな一緒に無条件で袋叩きにする。 私がもしそのような 声明書を発表すれば、デモが鎮静化するどころか、むしろより刺激を与えて逆効果になる」 「韓国人たちは、自分の過ちを認めるよりも意地を張って弁明に汲々とする。 39 ID:NtwScS7Z. net だからそんな韓国人気質で韓国人の血統である安倍政権ではダメなんだよ。 26 ID:xxJAcrK9. 04 ID:TLDSA4BR. net 日月神示未来年表 303 : 基本。 92 ID:ukLC5ttD. net 悪しきをはらうてたすけたまえ 南無天理王命 基本です。 留守をありがとぅございました。 道の分からぬというものは仕方ないものですが、全ては万委細は神のお働きであって人の案じ心に浮かぶものとは違います。 2チャンネルが5チャンネルになった、素晴らしいことです。 宗教板というジャンルにいるのはひな形です。 しかし宗教板に居ては道はわからんという事。 大切な思案です。 304 : 基本。 11 ID:ukLC5ttD. net 今の人たちの知っている天理教は大教会初代が構築した「黒衣」の天理教であって、おやさまの教えは「赤衣」。 天理教団の存在の意味は地場があって甘露台があってそこでおやさまのお守りを市し、より来る子供に場所と時間を用意する。 それだけのことであって、説かれている教理は色は黒、そういう中で原典があって教えの基本を保存だけはしている。 「書庫」しょうこ、の役割しか果たせないのが、天理教団の限界です。 しかしこの世におやさまはいて、世界をたすけている。 基本以外にはたすけられている事実に感謝もしないし、 中山みきは存命だとも思っていないのに、中山みきは着実にたすけを推進しておられる。 だから、基本は、おやさまのおかげを語り続けます。 305 : 基本。 84 ID:ukLC5ttD. net 中山みきは「天災」をもって高山を制している。 北朝鮮の高山の核の暴走に対しても天災をもって「山ぐえ」で実験場を使えなくした。 これは福島の原子力発電所を天災が破壊したあとと同様に核施設利用の再開なんて出来るものではないことで明らかなように、 神は天災をもって高山の横暴を制するのです。 3年程前に「次は水」と書いておきましたが、天災は日本各地をおぞっていて、米国には山火事、ハリケーン。 おやさまはきちんとたすけの道を付けておられます。 306 : 基本。 77 ID:ukLC5ttD. net おやさまは、八つ病の根は切れると教えておられます。 医療費がいらない健康な人生は中山みきの世界です。 おやさまは道に学問はいらんと教えられています。 学校教育という教育だから費用が掛かるが、 寺子屋のように「寺」 宗教 が仏の教えのままに基礎教育をするなら小さな施設での家族的な教育だから、 神仏のご加護があって、良い意味での英才教育になるでしょうが、統治のための学校制度は経費が掛かります。 おやさまのお働きさえあれば国の財政の問題も深刻な話ではないわけです。 ちゃんと見ていたらおやさまのお働きが理解されて、陽気暮らしへの道筋が、天理教団なしで見rてきます。 天理をきちんと知ることです。 307 : 基本。 45 ID:ukLC5ttD. 天理教教典講座 再掲します。 2基本。 39ID:0hjtYLw4 :基本。 繁栄国家の高山は、医療と教育を保障し、科学による地上の楽園を説き示して、実はコストを被支配者に多く負担させて支配層の甘い汁になっている。 このカラクリが見えないので高山は膨大な医療費と学資を負担させて、当地の武器としている。 しかし、病がなくなったら、医療費はいらなくなる。 中山みきと高山の力比べは、病の問題において、きちんとなされることになる。 308 : 基本。 46 ID:ukLC5ttD. net 第二章 たすけ一条の道 月日にハせかいぢうゝハみなわが子 たすけたいとの心ばかりで 八 4 親神は、一れつの人間に、陽気ぐらしをさせたいとの親心から、教祖 をやしろとして表に現れ、よろづいさいの真実を明かして、珍しいたす け一条の道を教えられた。 つとめてもほかの事とわをもうなよ たすけたいのが一ちよばかりで 一六 65 この親心から、よろづたすけの道として教えられたのが、つとめ一条 である。 このよふをはじめかけたもをなぢ事 めづらし事をしてみせるでな 六 7 このよふをはじめてからにないつとめ またはじめかけたしかをさめる 六 8 このつとめは、親神が、紋型ないところから、人間世界を創めた元初 りの珍しい働きを、この度は、たすけ一条の上に現そうとて、教えられ たつとめである。 即ち、これによつて、この世は、思召そのままの陽気 な世界に立て替つてくる。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 二代真柱の応法レトリックを解除して原典の部分をきちんと国語で読みましょう。 「つとめ」つとめ【勤め・務め】 1. [務] つとめなければならないこと。 [勤] (雇われて、役所・会社などに通い)仕事をすること。 その仕事。 「一ちよばかりで」とは@ちよ」は 〖叙〗 敍 ジョ のべるである。 順序次第をつける。 順序をたててのべる。 物事の次第。 ついで。 物事のはじまり。 いとぐち。 はしがき。 「序」に同じ。 309 : 基本。 35 ID:ukLC5ttD. net 1881年 4月に予言された、おふでさき16号56は、次の順序で語られていることを心得よう。 月日よりないにんけんやないせかい はじめかけたるをやであるぞや (16-53) そのところなにもしらざる子共にな たいことめられこのさねんみよ (16-54) このたびハこのかやしをばするほとに みなとこまでもしよちしていよ (16-55) けふまてわなにもしらすにいたけれと さあみへかけたゑらいたのしみ (16-56) このみちハどんな事やとをもうかな せかい一れつむねのそふぢや (16-57) この事ハなんの事やとをもている 神のざんねんはらす事やで (16-58) このさきハとこの人ともゆハんてな むねのうちをばみなみているで (16-59) けふからわ月日でかけるはたらきに どんな事をはするやしれんで (16-60) いまからの月日はたらきするのハな どこでするともたれもしろまい (16-61) 高山もたにそこまてもせかいぢう 一れつをみなあゝちこゝちと (16-62) 月日よりせかいぢうをばはたらけば このをさめかたたれもしろまい (16-63) それゆへにこのしづめかた一寸しらす 一れつはやくしやんするよふ (16-64) つとめてもほかの事とわをもうなよ たすけたいのが一ちよばかりで (16-65) つまり天災が発生して誰も対策が打てなくなるから、人としての責務を果たせというが真の意味である。 ひととしての責務とは、「たすかたい」が「一 序」一つ始まりだという意味である。 天災がある その時たすけ一条の道が始まるという事で、1881年 4月から 5つ理を吹く その3乗は5X5X5=125年後に2006年今までなかった天災が発生している。 平成18年7月豪雨とは、2006年7月15日から7月24日にかけて南九州や北陸地方、長野県、山陰地方などを襲った梅雨前線に伴う記録的な豪雨、およびそれによる被害である。 原因は偏西風が蛇行したこと、日本の南の太平洋高気圧の勢力が強かったことが挙げられている。 「蛇」が原因であることには理があります。 明治14年、立憲政治をめぐって政変が起きています。 大隈重信は追放されて長州が政治の中心に位置し国会開設の道を付けた実は帝国主義の開始でした。 おふでさきをきちんと読みましょう。 310 : 基本。 46 ID:ukLC5ttD. net 教典本文に戻ります。 このよふをはじめかけたもをなぢ事 めづらし事をしてみせるでな 六 7 このよふをはじめてからにないつとめ またはじめかけたしかをさめる 六 8 このつとめは、親神が、紋型ないところから、人間世界を創めた元初 りの珍しい働きを、この度は、たすけ一条の上に現そうとて、教えられ たつとめである。

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市川一家4人殺人事件の当時19歳の関光彦の死刑が執行 ネット民「このクズの死刑は当然だね」

市川いっかさつがい 長女

: 標的 事件の1か月前に強姦した女子高生一家5人(を参照) 日付 (4年) - 16時30分ごろ — 9時ごろ 〈・JST〉 概要 1992年2月、組員から200万円を要求された少年(当時19歳)が行きずりの少女を強姦して身分証明書を脅し取った。 その1か月後となる1992年3月、加害者少年はその少女が住むマンションの一室に強盗目的で押し入って住民一家(少女の家族)5人のうち少女を除く4人を次々に絞殺・刺殺した。 その間に少年は金品を被害者宅・勤務先から奪いつつ少女を長時間監禁してさらに強姦した。 攻撃手段 電気コードで首を絞める・柳刃包丁で刺す 攻撃側人数 1人 武器 電気コード・刃渡り22. 5 の1本(平成5年押収第52号の1) 死亡者 4人 負傷者 1人 損害 現金約34万円・預金通帳計9冊(額面合計424万3,412円)・印鑑7個 犯人 少年S(事件当時19歳) 容疑 ・・・・・・ 動機• 侵入の動機 - 暴力団から要求された200万円を工面するため(窃盗目的で侵入)• 作家・(祝康成)が加害者少年と交流して本事件関連の著書(参照)を出版した。 管轄 (県警本部・ ) ・ 市川一家4人殺人事件(いちかわいっかよにんさつじんじけん)は(4年)夕方から翌朝にかけて二丁目(地区)にあるマンションで発生した・・などの事件。 加害者少年S(事件当時19歳)はと女性関係を巡るトラブルを起こし、暴力団から要求された現金200万円を工面する目的で事件1か月前に強姦した少女(事件当時15歳)宅のマンションに侵入して一晩で少女の両親・祖母・妹の一家4人を殺害した。 また、少女の家だけでなく両親が経営していた会社からも金品を奪い、殺害現場で1人残された被害者遺族の少女を強姦した。 平成のでは初の・事件()となった本事件は 日本社会を震撼させ 衝撃を与えるとともに 、その重大性からの在り方などに論議を呼んだ。 加害者・被害者 [ ] 元死刑囚S [ ] S・T (記事中では仮名「S」と表記) 生誕 1973-01-30 ・ 死没 2017-12-19 (44歳没) ・ () 出身校 (1988年3月に卒業) 職業 鰻の加工・販売業(祖父の家業) 罪名 ・・・・・・ 刑罰 (・) 動機 から要求された現金200万円を工面するため 有罪判決• ・(1994年8月8日宣告)• ・側判決(1996年7月2日宣告・死刑判決を支持)• 第二・被告人側棄却判決(2001年12月3日宣告・控訴審判決を支持) - 上告審判決への訂正申し立て棄却決定(2001年12月21日まで)により死刑判決 殺人 被害者数 5人(本件強盗殺人・殺人の被害者一家) 時期 1992年3月5日 - 6日 国 現場 千葉県市川市幸二丁目5番地 (マンション806号室) 死者 4人 負傷者 1人 凶器 電気コード・刃渡り22. 5 の(平成5年押収第52号の1) 逮捕日 1992年3月6日(銃刀法違反容疑で現行犯逮捕) 本事件の加害者少年 S・T(事件当時19歳)は (48年)1月30日・千葉県生まれ。 事件当時は千葉県二丁目在住。 刑事裁判で死刑が確定し、(平成29年)12月19日に・の死刑執行命令(2017年12月15日付)により 先・で(44歳没)。 本項目中では実名の姓に基づくイニシャル「S」と表記する。 18歳時点で身長・体重とも同じ18歳男性の平均をはるかに凌駕するまでに成長しており 、逮捕当時は身長178 cm ・体重80 kg と大柄な体格だった。 生い立ち [ ] の加工・販売業を営む母方の祖父X の長女・母親Yと、Yと結婚して義父Xの店で働き市川市内に在住していた元サラリーマンの父親Z の間に長男として出生した。 出生当時は市川市内に居住していたが、後に両親が同県内に転居したことから同市内で幼少期を過ごし 、Sは(昭和51年)には3歳で幼稚園に入園した。 (昭和54年)4月には転居先の松戸市内の小学校 に入学し、(昭和55年)9月には 東京都に転居したことから 同区内の小学校 に転校したが、父Zが莫大な借金を抱えて義父Xの経営する店に多大な損失を与えた上、暴力団員などによる厳しい借金の取り立てに遭った。 また、Zは結婚後に義父Xから店を1軒任されたが 、生活が落ち着いてくると仕事に精を出さずにギャンブル・飲酒・女遊びなどを優先するようになり 、愛人宅への外泊や妻Yに対する(DV) ・自身や弟への を繰り返したため 、Sは自宅を居場所と感じられなくなっていた。 Sは両親からの虐待に苦しんでいた中で敬虔な の信者だった親友から勧められたことがきっかけで聖書を勉強するようになったが、9歳の時に熱心に読んでいた聖書を父Zから「こんなくだらないものばかり読みやがって」と破り捨てられたことに激昂して初めて父親に歯向かい、殴る蹴るなど一方的な暴力を振るわれつつも復讐を誓った。 (昭和57年)12月 、当時小学4年生だったSは 母Y・弟(5歳年下)とともに夜逃げして のアパートへ移住した。 Sは(昭和58年)1月から に通学したが 、両親の離婚・生活環境の劣化・転校などから学校でを受けるなど、不遇な生育環境で不遇感を抱いて育った。 また、このころには唯一の庇護者だった祖父Xからも見放された ことで劣等感を募らせ 、万引きをするようになったほか 、放課後にはで観光客を標的に・・かっぱらい・泥棒などの非行を繰り返し「世の中は金が全てだ。 貧乏を笑うようなやつらからはいくら金を盗んでもいい」と考えるようになった。 中学時代以降 [ ] (昭和60年)4月には へ入学したが 、体格・腕力ともに大きく成長して同世代の少年を圧倒するようになったため 、それまでのように一方的にいじめられることはなく、やられたらやり返すようになるとともに「たいていの場合には自分の腕力が通用する」と知った。 また当時所属していた少年野球チームではエース投手兼4番打者として活躍していたが 、このころから地元の不良少年たちから喧嘩の強さを褒められ仲間に誘われた ことをきっかけに非行がエスカレートしていき、母親Y・弟への家庭内暴力を加えるようになった。 なおこのころには祖父Xも母親Yと関係を修復し 、Y一家はXから経済的な援助を受けつつ不自由なく暮らせるようになったが 、Sは祖父Xを「一番辛くて寂しい時に俺を裏切って助けてくれなかった」と恨んでおり、以前のように尊敬することはできなくなっていた。 中学卒業後の(昭和63年)4月には 普通科大学進学コースに入学したが 、わずか1年後の(平成元年)5月31日付で 中退した。 高校中退後(1989年11月ごろ以降)は祖父Xの経営していたウナギ加工・販売などの仕事を手伝っていたが 、店の売上金を複数回盗んだほか 、(平成2年)1月17日には祖父Xから盗みの疑いを掛けられたことに激怒し、22時ごろに祖父X宅へ赴き就寝中だったXの顔面を蹴るなど暴行を加え 、Xの左目を失明させる事件を起こした。 また鰻屋の同僚には不良が多く 、同僚たちから非行や喧嘩の方法を教わったほか 、自分を挑発してきた同年代の同僚に対する暴力沙汰も起こした。 また母や弟への ・仲間らとの徘徊行為・・を行うなど生活は荒れていった。 家庭内暴力に耐えかねた母親YはSを別居させるため 、1991年6月から契約金58万円余りを出して船橋市本中山のアパート で一人暮らしさせたが 、その後も近隣住民とのトラブルを起こしていた。 事件直前には本事件の被害者一家宅を知るきっかけとなった強姦事件を含め傷害・強姦・強姦致傷・恐喝・窃盗など多数の事件を起こしたほか 、このころには鰻屋も無断欠勤して辞めていたためほぼ無職の身だった。 女性関係 [ ] 中学生時代から女性経験があり 、中学3年時からは同級生の少女と交際していたが 、互いに深夜まで出歩いたり親の財布から金を抜き取るなどしていたため、高校中退後の秋になって少女の両親がSの母親Yに「うちの娘はSにたぶらかされたせいで悪くなった。 警察に訴えてやる」と苦情を入れてきた。 結果、互いの親同士が協力して2人を別れさせることになったが 、Sは少女の父親が彼女を自分から引き離そうと東北地方の親戚宅に預けたことに激怒し、ナイフで少女の父親を脅迫して少女を連れてくるよう迫ったことで違反に問われに書類送致された。 またアパートで独居を開始してからは3人の女性と同棲生活を試みたが、いずれも短期間で相手に去られたため長続きしていなかった。 その後、その女性とともにフィリピンまで赴いて1991年10月31日に正式に結婚し 、日本へ連れ帰って自宅アパートで同居していた。 しかし妻は姉の病気を心配して事件直前(1992年1月22日ごろ)にフィリピンへ帰国して 二度と日本に戻らなかった。 女性の帰国は夫Sの了承の下だったが、Sは「妻がいなくなったことで鬱屈した気分になった」ことから「新しい女性を引っ張り込もう」と考え、それが凶行の遠因となった。 被害者一家 [ ] 被害者一家は市川市幸二丁目の新興住宅街に建つ9階建てマンションに住んでいた。 千葉地裁 1994 は判決理由で被害者一家について「慎ましくも平穏な暮らしを営んでおり、本来ならば娘2人の成長を温かく見守りつつ会社の経営を盛り立てて平穏に生活できたはずの家庭」と述べている。 被害者男性Aは事件2年前の1990年ごろに寄稿していた料理雑誌『月刊食堂』()の元編集長・玉谷純作に対し「のペンションを買いたい。 ベルギーならにもにもすぐに行ける。 (事件の発生した)1992年にEC()統合があるのであちらに拠点を持って活動したい」と話していたが、その夢はSの凶行により断ち切られた。 被害者一家4人の葬儀を仕切ったは『東京新聞』記者の取材に対し「被害者4人の遺骨はA・Dそれぞれの親族に引き取られた」と証言した。 男性A(死亡) - (昭和25年)8月10日生まれ (41歳没)。 事件当日(1992年3月5日)21時40分ごろ(帰宅直後)にSにより背後から左肩を刺されて致命傷を負い、翌日(3月6日)0時30分ごろに再び包丁で背中を刺され出血多量で死亡した。 のカメラマンとして働いていた1985年(事件7年前)には写真週刊誌に掲載された()のプライベート写真を撮影したことがあったが 、結婚後は年ごろの娘を持つようになったためにそれまでの風俗関連から離れ 、事件直前まで妻Dと共に料理雑誌・旅行雑誌の仕事を中心にして レストラン・温泉地などの写真を撮影していた。 1986年ごろから後述の女性Dと同居を開始し 、(昭和62年)3月にDと結婚して継子の少女Bを養子にした。 同年8月には妻Dとともに行徳駅前のマンションを事務所として 雑誌の出版・編集などの業務を行う株式会社を設立して取締役を務めており 、社員を数人抱えていた。 少女B(負傷) - (昭和51年)3月19日生まれ (事件当時15歳)。 女性Dの長女で事件当時は船橋市内の県立高校1年生だった。 一連の事件では一家殺害事件から1か月前(1992年2月12日)に加害者Sのアパートまで拉致されてSに2回強姦され 、事件当日(3月5日)の帰宅直後から翌朝(Sが逮捕されるまで)までSにより自宅に監禁され、帰宅前に殺されていた祖母Cを除く家族3人(母D・父A・妹E)を目の前で惨殺されたほか、自身もその間に計3回 (事件前を含めて計5回)にわたり強姦される被害を受けた。 千葉地裁 1994 は判決理由にて被害者Bについて「目の前で家族を皆殺しにされ、自らもその凄惨な現場で被告人Sのともいうべき獣欲の犠牲に供されて凌辱され、Sの一挙一動に肝を潰して神経を擦り減らし、泣訴哀願して幸いにも一命をとりとめた、身も凍るような筆舌に尽くしがたい恐怖と戦慄を味わった」と述べている。 男性Aとは血縁関係はなく、母Dが離婚した前夫との間にもうけた子で 、DがAと再婚した際にAと養子縁組した養女だったが 、義父Aからも我が子同然に可愛がられていた。 共働きの両親に代わり10歳以上離れた妹Eを朝夕と保育園に送迎するなど 優しい性格で 、通学していた県立高校では演劇部・美術部などに所属してクラスの副委員長も務め 、将来は美術関係の大学進学を希望していたごく普通の女子高生だった。 事件後は両親の知人の下へ身を寄せ、事件1年後の1993年にの母方の実家へ引き取られた。 高校卒業後は故郷の熊本を離れて美術系大学へ進学(2000年春卒業)した。 (本名および旧ペンネーム:祝康成)の取材に対しては「事件のことは忘れないと前に進めないからもう忘れた。 (当時死刑判決を受け上告中だった加害者Sが)どんな刑を受けようとまったく関心はないが、極刑は当然だと思っている」と、知人に対しては「母のようなキャリアウーマンになりたい」と話していた。 その後、永瀬 2004 は女性Bのその後に関して「Sの死刑確定後の(平成16年)春に以前から交際していた男性と結婚して日本を離れ、生前の両親の夢であったヨーロッパで暮らしている」と述べている。 女性C(死亡)- 1908年(41年)7月4日生まれ (83歳没)。 男性Aの実母かつB・E姉妹の祖母で、事件当時は現場マンションにて息子夫婦・孫2人と同居していたが、高齢のため散歩に出るとき以外は玄関北側の自室で過ごしていたことが多かった。 事件当日16時30分ごろに自宅でSに首を絞められて窒息死し、一連の事件で最初の犠牲者となった。 女性D(死亡) - (昭和30年)6月19日生まれ (36歳没) ・出身。 事件当日19時ごろ、長女Bとともに帰宅した直後に室内に隠れていたSから襲撃され、Bの目の前で包丁で刺されて出血多量で死亡した。 地元の高校を卒業後に隣町の男性と恋愛結婚したが、その前夫は仕事に身が入らず遊び惚けていたため、長女Bを出産した直後に(当時20歳で)離婚した。 しかし前夫には慰謝料・養育費とも要求せず、誕生直後の娘Bを連れて「(Bは)自分1人で立派に育てる」と上京して証券会社事務職・建設会社経理職・ダンプカー運転手・水商売などと職を転々とした。 同居中にAとの第一子を妊娠するが流産してしまったため、後にEを妊娠した際にはAから「仕事は二の次でいいから体を大切にしろ」と注意されていた。 そして(昭和62年)3月に幼女Eを出産して男性Aと結婚(再婚)し 、1987年8月にはAとともに雑誌の出版・編集などの業務を行う株式会社 を設立して代表取締役に就任し 、1988年8月に夫Aとともに現場マンションへ引っ越し 、家庭ではB・E姉妹を養育していた。 幼女E(死亡) - (昭和62年)3月17日生まれ (4歳没)。 1992年3月6日6時30分ごろに姉Bの目の前でSにより包丁で刺され出血多量で死亡した。 A・D夫妻の長女だが 、Aには既に養子(Dの長女B)がいたため報道では「次女」とされることが多い。 姉Bの異父妹で、事件当時は市川市内の保育園に通う保育園児だった。 事件前の暴力的犯罪 [ ] Sは一家殺害事件前年の(平成3年)10月19日16時50分ごろ、愛車のロイヤルサルーン を運転して東京都の道路(祖父Xの経営するウナギ料理チェーン店の支店付近)を走行していた際、自分の前を走行していた車両(運転手:当時34歳男性)に対し「速度が遅い」と立腹した。 男性の車が赤信号に従って停車すると、Sはその車の運転席側へ駆け寄って「とろとろ走りやがって、邪魔じゃないか」などと怒鳴りつけ、開いていた窓から手を差し入れてエンジンキーを回しエンジンを停止させた。 男性が車を降りるとSは突然その顔面を拳で複数回殴りつけ、男性を支店の建物内へ連れ込み、店の厨房内に置かれていた鰻焼台用鉄筋(長さ約112 cm)で男性の背中・左肘を1回ずつ殴りつけ、男性に全治3週間の頭部・胸部・左肘への打撲、挫創の怪我を負わせた( 罪状その1・傷害罪)。 祖父Xは1992年1月ごろ、Sから危害を加えられることを避けるために店舗内で寝泊まりしていたが、Sはその店舗の窓ガラスを割って店内に侵入し、就寝中のXを起こし現金110万円などを奪い取った。 1992年2月6日、Sは市川市内のスナックバーに勤めるフィリピン人のホステスを連れ出して店に無断で自宅アパートに泊め 、このホステスと性的関係を持ち、ホステスをマンション自室に閉じ込めて負傷させた。 その2日後(1992年2月8日)、店に帰ったホステスがこのことを店の関係者に泣きながら訴えると、激怒した店の関係者が暴力団に「落とし前」を依頼したため、それ以降Sは暴力団に追われる身となった。 1992年2月11日4時30分ごろ 、Sは東京都に住んでいたバンド仲間のアパートからクラウンに乗って帰宅しようとしていた際 、の路上でアルバイト先から帰宅途中の当時24歳女性が1人で左側歩道上を歩いているのを見つけ、「鬱屈した気分を晴らすために女性を殴ろう」と考え、道を尋ねるふりをして女性に近づいた。 その直後、突然女性の顔を拳で思い切り数回殴りつけるなど暴行を加えて全治3か月半の傷害(鼻骨骨折・顔への擦り傷)を負わせた( 罪状その2・傷害罪)。 Sは座り込んだ女性の顔を見たところ「意外に若い」と思ったために「この女性を強姦しよう」と考え、女性の髪の毛を鷲掴みにして引っ立てると「車に乗れ」と脅して女性を抱きかかえるようにクラウンの後部座席に押し込み車を発進させた。 そして女性に対し「病院に連れて行く」などと言いつつ車を走行させ、船橋市本中山の自宅アパートに連れ込み、6時30分ごろに自室アパートで女性を全裸にして強姦した( 罪状その3・強姦罪)。 しかし同日夜、前述のホステスの件で自宅アパートに暴力団組員7人が押し掛けたため、Sはクラウンに乗車して逃げたが 、店から依頼されていた外国人ホステス斡旋業者らがSを車から引きずり降ろそうとクラウンの後部窓ガラスを叩き割った。 検察官は罪状2. および3. の傷害・強姦事件に関して「Sは当初から女性に対する強姦の犯意を抱いていたため、女性への一連の犯行は全体として強姦致傷罪の一罪に該当する」と主張したが、千葉地裁 1994 判決は「被告人Sは捜査段階・公判を通じて『女性に暴行を加えた後、顔を見て『意外に若い』と思ったから俄かに欲情を催して強姦の犯意を抱いた』と主張している。 その供述に反する証拠は見当たらず、客観的状況も供述と矛盾しない」ことを理由に「被告人が強姦の犯意を生ずる以前の傷害罪・その後行われた強姦罪の2罪がそれぞれ別々に成立する」と事実認定している。 被害者少女を強姦・脅迫 [ ] Sが通りすがりの女性を強姦してから約22時間後(1992年2月12日2時ごろ) 、夜遅くまで勉強していた少女Bは途中でシャープペンシルの替え芯が切れたため、替え芯を買いに自転車で自宅マンション付近のコンビニエンスストアへ行き、買い物を終えて帰宅しようとしていたところだった。 当時クラウンを運転していたSは帰宅途中だったBを見つけ、マンション前の狭い路地で背後から近づき、自転車の後輪にクラウンの左前部を衝突させた。 Bは自転車ごと路上に転倒して路上に投げ出され、右膝に擦り傷を負った。 車から降りたSはBに「病院に連れて行く」と優しく声を掛けた上で と訴えられないようBを車に乗せて内の救急病院で治療を受けさせた。 Bは当初こそSを警戒してはいたが、治療をさせてもらった後で「自宅まで送り届けてもらう」と約束されたことで安心した。 しかしSはBを自宅に送るために市川市・船橋市方面に向けて車を走行させていた途中でにわかに劣情を持ち 、人気のない路肩に停車し 、刃渡り約6. 7 cmの折り畳み式ナイフ(平成5年押収第52号の2)をBに突き付けた。 Sはナイフの刃をBの手の指の間にこじ入れてこね回しながら「黙って俺の言うことを聞け」と脅し 、抵抗したBに対し 左頬・左手を切り付けて顔面挫創・左手挫創の傷害(全治約2週間)を負わせた。 SはBをそのまま自分のアパートまで拉致し 、同日3時ごろ - 6時ごろまでの間に自室アパート内で2度にわたりBを強姦した( 罪状その4・強姦致傷罪)。 Sはその後、Bの手足を縛って抵抗を抑圧した上でBの所持品を物色して現金を奪ったが、その時にBが通っていた高校の生徒手帳を見つけ、住所・氏名を控えた。 しかしBはSがいったん外に出てから部屋に戻るまでの間に自力で逃げ出した。 その後、この同級生らから被害届を出すよう説得されたため、Bは1992年2月末ごろに() へ被害届を提出したが 、Sは顔見知りではなかったことなどから捜査線上に浮上しなかった。 彼女(ホステス)が在留期限を待たずに帰国したら店の損害は200万円になる」などと遠回しに金員の支払いを要求され、このトラブルに関して「それなりのことをするつもりだ」と答えてその場を辞去した。 しかし当時のSはいまさら暴力団員に支払う金員を祖父X・母親Yから出してもらうわけにはいかず、他に金策する当てもなかったため 、暴力団の取り立てを恐れてを続けており 、事件当日ごろには所持金も底を尽きていた。 Sは暴力団に脅されてから事件当日までの約20日間「このままだといずれ暴力団に殺されるかもしれない」と恐れていた一方、交通トラブルで2度の暴力・恐喝事件を起こした。 1992年2月25日(火曜日)5時ごろ、Sはクラウンを運転して旧道(市川市河原6番18号先)を走行していたところ、後ろを走っていた乗用車(運転手:当時22歳男性)から ために激昂し、クラウンを急停車させ 相手の進路を絶った。 後続車が停車した直後、クラウンを降車したSはトランクから鉄筋 (鰻焼台用鉄筋:全長約122 cm) を取り出して右手に握り、その鉄筋を威嚇するように1, 2回振り回してから後続車のドアを開け 、相手車の運転席に近づいて「煽ってんじゃねえよ」などと男性を恫喝し、空いていた運転席側の窓から手を差し入れて男性の車のエンジンキーを抜き取り 、相手の退路を絶った 上で自車に戻った。 これに激昂した男性はエンジンキーを取り戻そうとSに追いすがったが、Sは鉄筋で男性の左側頭部を1回殴りつけた。 男性は血まみれになり、両腕で頭を抱えてうずくまったが 、Sは男性に対し「お前のせいでブレーキパッドがすり減った」などと怒鳴りつけながら 男性の左半身を多数回殴打し、安静加療約10日間を要する頭部挫創の傷害を負わせた( 罪状その5・傷害罪)。 さらに男性から金品を恐喝しようと考えたSは暴力団組員を装って男性の車の運転席に乗り込み、同日5時過ぎごろ - 6時ごろまでの間にトラブルの現場から市川市二丁目31番地先の路上を経由して再びトラブル現場(市川市河原6番18号先)まで車を運転し、「俺たちの相場ではこういう場合は7, 8万円だ。 金曜日(2月28日)までに用意しておけ。 免許証はその時まで預かっておく」などと男性を脅迫して金品・運転免許証を出すように脅して金員を要求し、男性名義の自動車運転免許証1通を脅し取った( 罪状その6・恐喝罪)。 その2日後(1992年2月27日0時30分ごろ)、Sはクラウンを運転して(現:)東町一丁目7番26号路上を走行していたところ、乗用車(運転手:当時21歳の男子大学生)に追い越されたため立腹し、付近で赤信号のために停車した大学生の車の前方にクラウンを停車させて行く手を阻んだ。 そして大学生が降車すると「ヤクザ者をなめるな」などと脅迫しながらズボンのポケットから前述の強姦事件で使った折り畳みナイフ(平成5年押収第52号の2)を取り出して「これで刺してもいいぞ」と言い、大学生の左太腿を突き刺した。 その上でSは大学生の車の運転席に乗り込み、大学生を助手席に座らせ、自ら大学生の車を運転して岩槻市大字加倉1943番地路上まで移動した。 その間、Sは大学生に対し「お前が滅茶苦茶な運転をするから俺の車のタイヤが擦り減った」などと恫喝したが、脅迫の手ごたえがなかったことに激昂して「お前の親父のところに連れて行け」と大学生を脅迫したほか 、車内で大学生の身体20数か所(左右の大腿部・右肩・腕・背中など)をナイフで突き刺したり切りつけたりして全治約6週間を要する傷害(全身刺創・全身切創、右手第三指〈中指〉および第四指〈薬指〉伸筋腱断裂など)を負わせたが( 罪状その7・傷害罪)、大学生は血まみれになりながらも命からがら自分の車から逃げ出した。 Sは大学生の車で相手を追いかけようとしたが「轢き殺すとまずい」と思ったために断念し、後日金を脅し取ることにした上で 、大学生が逃げ出した後の同日1時20分ごろには岩槻市東町一丁目7番24号先路上に大学生から奪った車を移動させ、「住所・氏名を確認する目的」で車内にあった大学生名義の運転免許証1通・大学生の父親名義の自動車検査証を窃取し( 罪状その8・窃盗罪) 、大学生の車を運転して前述の現場に残した自車に戻った。 しかしSは暴力的な恐喝を繰り返しても暴力団から要求された額(200万円)を得られず、金の工面に困り恐怖・焦燥感を抱えていたため 「パチンコ店を襲おうか、強盗しようか」などと思案した末に、2月12日の強姦致傷事件の際に住所・氏名などを知っていた少女B宅に侵入して金品を盗むことを思いついた。 Bを強姦した事件以降、SはB宅の在宅状況を探る目的で時間を変えてB宅の電話番号へ何度か電話をかけた結果 「午後は留守か老女(殺害されたBの父方の祖母C)が1人でいる」と確認していたほか 、2月下旬・3月1日の2度にわたって現場マンションに赴き、マンションのエレベーターを使用して8階まで上がった上で「B宅は806号室にある。 マンション1階のエレベーターホールには防犯カメラが設置されている」ことなどを確認した。 事件当日 [ ] 現場マンション侵入 [ ] Sは事件当日(1992年3月5日)、既に所持金がほとんどなかったが朝からパチンコ・ゲームセンターで時間を潰したり、午後遅くに中華そば屋でラーメン1杯を食べたりした。 その後「B宅に侵入して現金・預金通帳などを窃取する」意思を最終的に固めた上で市川市幸のB宅に向かったが 、この時には「ついでにBを再び強姦すれば暴力団からの追い込みで鬱屈した気持ちも晴れるだろう」とも考えていた。 事件現場一帯はSの母方の祖父母の家(母親Yの実家)の付近で、幼少期によく祖父母宅に泊まっていたSは当時まだ空き地だった現場一帯で凧揚げをしたり自転車を乗り回して遊んだ記憶があったため一帯に土地勘があった。 現場付近にはさらに新しい高級マンションもあったが、Sはこのマンションで金を得ようと考えた。 Sは16時ごろ、クラウンを運転してマンション付近に赴き 、マンション近くの前にクラウンを駐車した上で付近にあった公衆電話を使用してBの自宅に電話を入れた。 当時、実際には後述のようにBの祖母Cが在宅していたが、電話に誰も出なかったためSは「留守だ」と思い 、クラウンをマンション近くの公園の脇に停車して下車し、Bの自宅マンションに入った。 Sは防犯カメラが設置されていた1階エントランスを避けて外階段を使い2階まで上ったが、2階 - 8階(B一家が在住していた806号室)まではエレベーターを使用した。 そして806号室玄関前に着くと部屋のインターホンを鳴らしたが、この時もインターホンへの応答がなかったため改めて「留守だ」と思い 、806号室の玄関口ドアを「試しに開けてみよう」と考えて ドアノブを回したところ 、ドアは意外にも施錠されていなかった。 ドアが開いたため「誰かがいる」と焦ったSはすぐにその場を離れたが 、エレベーター横の階段に座って20分ほど様子を見ても家人の気配がなかったため、16時30分ごろに玄関口から再びドアを開けて806号室に忍び入った。 当時は「この普通のマンションに現金は200万円も置かれていないだろう」と考えていたため、貴金属類・預金通帳を見つけたら家人に気付かれる前に速やかに逃走するつもりだった。 Sは自分の靴をベランダに隠し 、玄関突き当りにある居間に入って現金・預金通帳・貴金属類などを物色したが、目的とする金目の物はなかなか見つからなかったため、「Cを脅迫して現金などを強奪することに如くはない」と決意し、この時点での犯意を有した。 洋間に踏み込んだSは 就寝中だったCを脚を蹴り上げて起こした。 目を覚ましたCは「見ず知らずの男が目の前にいる」ことに驚いたが 、寝込んでいたところを突然起こされた上、高齢のため抵抗もままならなかった。 SはCに危害を加える気勢を示しながら 預金通帳・現金を出すようすごんだが 、Cは同室出入り口付近にあった棚に置かれた財布から現金8万円を取り出し 、それをSに渡して 毅然とした態度で帰るように諭し 部屋から逃れようとした。 これに対し「バカにされた」と逆上したSはCの後襟首につかみかかってCを引き戻し、再び通帳を出すよう要求して危害を加える気勢を示したが 、Cは頑なに応じなかった。 Sはこの時に緊張して尿意を覚えたため、Cに「通帳を探しておけ」と言い置いた上でトイレに行って用を足したが、トイレから戻ったところ 、Cが隙を見て居間に出て電話の受話器を取り上げ、警察に110番通報しようとしていたため 、とっさにCに体当たりしてCを仰向けに突き倒し、右尺骨および右脛骨を離開骨折させる重傷を負わせた。 SはそのままCに「何をするつもりだったんだ」と問い詰めて 殴り掛かろうとしたが 、Cから顔面に唾を吐きかけられたために激昂し 、Cを頭ごと激しく床に叩きつけたが、CはなおSに抵抗し、爪を立ててひっかいた。 これに逆上したSは殺意を持ってCに馬乗りになり 、近くにあった電気コードを抜き取り 電気コードをCの頸部に一周させて前頸部で交差させた上で、電気コードの両端を両手で持って引っ張ることでCの首を絞めつけた。 SはCの脈拍を調べて死亡を確認すると、Cの遺体の首に巻かれていた電気コードを抜き取った上でCの遺体を引きずって北側洋間に敷かれていた布団に寝かせ、家人が帰宅した際に就寝中だと思わせるように偽装工作した ほか、いったん外に出て付近の自動販売機でタバコ・ジュースを購入し 、約30分後に現場806号室へ戻った。 室内に戻ったSは、家人から金員を強取する目的で帰宅を待ち受けた一方、その間もさらに室内を物色し、Cの遺体を放置していた北側洋間内の出入り口付近にある棚に置かれていたバッグ内にあったCの財布から現金約10万円を強取し、その後も引き続き居間の中で金品を物色していた。 少女Bはこの時、学校帰りに父親Aの会社に寄り、母親Dと買い物をして家路に向かっていた。 被害者Dを殺害 [ ] 19時過ぎごろになって少女B・母親Dが買い物から帰宅したが、当時室内を物色し続けていたSはこの時までに家人の帰宅に備え、予め台所流し台の下から数本の包丁を冷蔵庫の上に移して隠していた。 Sは2人が帰宅すると冷蔵庫の上に隠していた包丁のうちの1本である柳刃包丁1本(刃渡り22. そして、何も気付かずにそのまま居間に向かおうとしたB・D両名を待ち伏せて台所から飛び出し 、2人に退路を断つようにして立ち塞がって包丁を突き付け「静かにしろ。 あまり騒ぐと殺すぞ。 ポケットのものを全部出せ」などと申し向けて脅した。 しかしDは包丁を手にしていたSに対し怯えることもなく、逆にSを「どうしてここにいるの」と厳しく問い詰めてきたため、SはDの「頭の切れそうな態度」に半ば恐れを感じて「騒ぐと殺す」と怒鳴りつけた。 Sは「女とはいえ2人を一度に相手にすることは無理だ。 もし別々の方向に走って逃げられたらどちらか1人は確実に逃げる。 2人が走って逃げ出し大声でも上げられたら終わりだ」と考えたため 、「伏せになれ」と2人を脅して居間の床に並んでうつ伏せにさせた。 その上で、既に殺害した祖母Cについて「睡眠薬で眠っているだけだ」と嘘を述べ 、2人のポケットの中に入っていた所持品をすべて出させた。 包丁で5回刺されたDは致命傷を負って 仰向けに倒れ、激痛・苦痛でうめき声を上げて身をよじって仰向けになったが、脚で床を蹴りながら約1 m ずり動いて床に置いてあったSのジャンパーに近づき、やがて失禁した。 しかしSはDへの救命措置を講じようとせず 、自分が脱ぎ捨てたジャンパーにしがみつく姿を見て「血が付くだろう」と言いつつ 、Dに容赦せずその脇腹を足で蹴ってダウンジャケットから遠ざけた。 そして「(刺されたDを)帰ってくる家人に見られてはまずい」と考えたため 、少女Bに瀕死の母親Dの足を持たせ、絶命寸前のDの体を居間から南側洋間に運び入れ、Bに床に残ったDの大量の血・失禁の跡を拭わせ、自らもそれらを拭き取って証拠隠滅を図った。 被害者Aを殺害 [ ] この時点でBは母親Dを自分の目前で刺され恐怖していたが、後に父親Aも同様に目前で刺され 、そのショック・恐怖で茫然自失状態に陥った。 また(別の部屋で既に殺害されていた)祖母Cについてもその死を知らず 、(寝かしつけられた妹Eも含めて)その身に危害を加えられることを恐れていたため 、妹Eを目の前で刺殺されるまではSに抵抗できない状態だった。 そのため、Bは(Eが保母に連れられ帰宅した際、および父親の会社へ預金通帳を取りに行かされた際に)外部の人間と接触したにも拘らず、助けを求めることができなかった。 SはDを殺害した直後から警察が突入してくる翌朝まで現場室内にBを監禁した。 Dを殺害してから15分後には保育園児の妹Eが保母に連れられて帰宅したが、Bがドアを開けてEを部屋に入れた。 SはBに命じて夕食の準備をさせてB・Eとともに3人で食事を摂り、食後にEを絞殺された祖母Cの部屋に追いやってテレビを観せた。 一方で少女Bから「父親は23時過ぎに帰って来る」と聞かされたために「金品を強取するためにその帰宅を待とう」と決意するとともに「気分転換のためにBを強姦して気を紛らわそう」と考え、21時20分ごろには先ほどDを刺した包丁で少女B を脅して 寝室に連れ込み 、その上でBに対し「服を脱げ」などと迫ったが 、Bは目の前で母親を惨殺されて恐怖に震えていたためにうまく手が動かず 逡巡していた。 しかしSの予想より早く21時40分ごろ(強姦行為の最中)に父親Aが帰宅したため、Sは慌ててBの身体から離れ、服を着てカウンター付き食器棚の上にいったん隠していた柳刃包丁を手に取り、食器棚の陰に隠れた。 男性Aがその状況に気付かず居間に入り、ベッドで横になっている娘Bを見て「寝てたのか」と声を掛けたところ、Sは金品を強奪する意図でAの背後から左肩を包丁で一突きして反抗を抑圧した。 Sは負傷して動けなくなったAに暴力団組員の名刺を突き付けて脅すとともに、組員を装い「お前が取材して書いた記事で(自分の)組が迷惑している」と架空の事実を突きつけて因縁を付け、「通帳でも現金でもなんでもいいから200万円くらい出せ」と脅迫した。 Aはまだ「妻D・母Cが目の前の男に殺された」とは知らず、「家族を守ろう」と必死だったため、Sに母親の通帳のありかを教えてしまい、娘Bに指示して宅内の現金16万円を集めさせた。 なお、現場806号室の真下の部屋に住んでいた住民は捜査本部の聞き込みに対し「同日23時30分ごろに上の部屋で『ドスン』と大きな音がした」と証言している。 Sはこの時点で致命傷を負っていたAから「勤務先の会社に行けば別の預金通帳・印鑑がある」と訊き出したためにそれも強取することを考え 、Bに命じて事務所に電話を掛けさせた。 SはBをして職場に残っていた社員へ「これから通帳を取りに行く」と伝えさせ、日付が変わった1992年3月6日0時30分ごろには居間で動けなくなり横たわっていたAを806号室に残し、Bを連れて同室を出た。 そしてエレベーターでBとともにいったん1階まで下りたが 、「Aをこのまま生かしておけば警察に通報される恐れがある」と考えてAを殺害することを決意し、Bを1階に残して806号室まで引き返した。 1992年3月6日0時30分ごろ 、Sは既に預金通帳などの所在場所を訊き出し、無用の存在となっていた被害者A を「後顧の憂いを断つため、即ちとどめを刺して口封じをする目的」で殺害した。 SはAにとどめを刺した後、反抗を抑圧されたBをクラウンに乗せて道案内させて行徳駅前の事務所に向かった。 会社の金を奪う [ ] 1992年3月6日0時40分ごろ、SはA・D夫妻の経営していた会社の事務所があった千葉県市川市行徳駅前所在のビル前に赴き、Bに「人がいるとヤバい。 俺はここで待っているから、お前が行って来い」と命じて事務所に向かわせた。 Bはビル204号室 にあった事務所に向かい、事務所内で寝泊まりしていた同社従業員の男性に「ヤクザが来ていて『お父さんの記事が悪い』とお金を取りに来ている」と告げ、事務所内から会社名義及びA・D夫妻名義になっていた預金通帳計7冊(額面合計63万5,620円)・印鑑計7個を持ってSが待っていた自動車内まで戻った。 Sはその後、それら通帳・印鑑をBから受け取ることで強取したが 、Bが事務所に行っていた間に空腹を覚えたため 、近くのコンビニエンスストアで菓子パンを買って食べていた。 SはBが事務所に現れてから約20分後に事務所へ現れたが 、その際にBに「おい、行くぞ」と声を掛け 、2人で印鑑・通帳を持って行った。 Sがビル1階にいた一方、Bは20分間にわたりビル2階の事務所にいたが、前述のように祖母C・妹Eに危害を加えられることを恐れていたため 、この時は特に従業員に助けを求めることはなかった。 一方でBの行動を不審に思った従業員は派出所に連絡し、1時30分ごろに葛南警察署員 とともに806号室に出向いた上で 部屋のドアを叩いたり室内に電話をかけたりしたが 、この時は部屋の照明が消えており応答もなかったため、署員は「不在だ」と思い引き揚げた。 なおこの時点ではいずれも前述したようにBの両親(A・D夫妻)および祖母Cの3人は既に殺害されていたが、寝かしつけられていた妹Eはまだ生存していた。 通帳・印鑑7組を奪ったSはそのままBをクラウンに乗車させて市川市塩浜三丁目にあったラブホテルにBを連れ込み、このホテルの5階501号室で一夜を過ごした。 Sはこの間、ラブホテル室内で30分ほどかけて通帳の額面を調べたり、印鑑・通帳の印影を確認したりしていた上、ここでもBを強姦した(4度目)。 そして4時間近く熟睡し、目覚めてからBに5度目の強姦を行った。 被害者Eを殺害 [ ] 3月6日6時30分ごろ、SはBとともにマンション806号室へ戻り 、既に一家3人が死亡していた部屋でしばらく時を過ごしていたが 、寝室で寝かせていたBの妹Eが目を覚まして 泣き始めていた。 Sは「Eが両親・祖母の死を知って泣き叫べば、近隣住民にその声が聞こえて犯行が発覚する」と恐れたため、その発覚を免れる目的でEを殺害することを決意し、6時45分ごろになって食器棚のカウンター上においてあった前述の柳刃包丁(A・D夫妻を殺害した際の凶器)を右手に持って寝室に入ると、自分に背を向けて布団の上に上半身を起こして座っていたEに近づき、その背後から左手でEの顎のあたりを押さえつけながら、殺意を持ってその背部を包丁で1回突き刺した。 この刺突行為は包丁がEの幼い体を貫通し、刃先が胸まで突き抜けるほどのもので 、Eは「痛い、痛い」と弱々しく声を出してもがき苦しんだ。 SはBに対し「妹を楽にさせてやれよ。 Bはこの時までに目の前で家族を皆殺しにされ、自らも複数回陵辱されたことで心身ともに打ちのめされていたが 、目の前でEが殺害された直後(6時50分ごろ)に「どうして妹まで刺したの!」とSに食って掛かった。 しかしSは「突然のBの反抗」に逆上して包丁を振りかざし、Bの左上腕・背中を切り付け全治2週間の怪我(左上腕切創、背部切創)を負わせた( 罪状その14・傷害罪)。 結果的に室内でのSの犯行は5日16時30分ごろ(侵入・Cを絞殺) - 6日6時50分ごろ(Bへの傷害)と約14時間に及び、一晩で家族4人を失った被害者Bは帰宅(19時過ぎ) - 警察出動(6日9時ごろ) まで監禁され続けた。 一家4人の人命が奪われたこの事件でSに強奪された被害総額は現金合計約34万円・預金通帳計9冊(額面合計424万円余り)に上り 、後に被告人Sと文通した『』()社会部記者・瀬口晴義は「検察官による冒頭陳述書を読んで『凶悪・凄惨という形容詞が陳腐に思えるほど残酷な場面』の連続で吐き気を催したほどだ」と述べた。 捜査 [ ] 一方でA・D夫妻の会社事務所に勤めていた男性社員は深夜にBが訪問してきたことを不審に思っていたが 、3月6日早朝に自宅の電話に再びBから「金の工面を求める電話」を受けたため 「社長宅の様子がおかしい」と不審に思い、同日8時過ぎになって マンションに電話を入れた。 社員からの電話に出たBは「おはよう」と言ったきりそのまま電話口で押し黙ってしまったが 、従業員が「脅している奴が部屋にいるのか」と尋ねるとうなずいた。 従業員はBの対応が不自然だったことに加え 、部屋を訪ねてもドアの鍵がかかっており呼んでも返事がなかったことを不審に思い 、9時ごろになって近隣の葛南警察署 行徳駅前交番に「知り合いの社長の娘から不自然な電話があった。 家族が刺されたらしい」と110番通報(Sが事務所に来た直後以来2度目)した。 その後、従業員が派出所の警察官とともに部屋の玄関前へ駆け付けたが、玄関は施錠され呼んでも返事がなかった。 そのため署員が隣の部屋からベランダを伝って窓から806号室に踏み込んだところ 、室内の壁などに血が飛び散り 、一家4人がそれぞれ別々の部屋で死亡していた。 また、室内では警察官が現場に駆けつけるまで十数時間にわたってBを監禁していたSがBとともに呆然と立ち尽くしていた。 Sは警察官が現場に踏み込んできたころ、冷蔵庫の上に置いてあった文化包丁を取ってBに持たせ 、Bが犯人であるかのように仮装して逃亡を企て「俺は逃げるから、俺を脅しているように(包丁を)持て」などと言っていたが 、9時30分ごろになって通報を受けて駆け付けた警察官たちが現場から逃走しようとしたSを取り押さえて現場へ連れ戻し 、Sがナイフを所持していたことから違反容疑で現行犯した。 一方、Bは警察によって保護された。 千葉県警捜査一課・葛南署は 殺人事件として本事件の捜査を開始し 、1992年3月6日夕方に捜査本部を設置した。 その上で捜査本部は長女Bと少年Sを それぞれ参考人として任意同行し、2人から前夜からの行動などについて 詳しく事情を聴取した。 警察が(結果的には被害者と判明した)Bに対しても嫌疑を向け、重要参考人として取り調べた理由は「事件当時、Bは少なくとも2度(妹Eの帰宅時・両親の部下の下へ預金通帳を取りに来た際)に外部へ助けを求める機会があったにも拘わらず助けを求めなかった点」に関する理由が判明せず、その点を疑問視していたためだった。 この時点で既に銃刀法違反容疑で現行犯逮捕されていたSは 取り調べに対し当初、事件への関与を否定して「先月にBと知り合い、A宅の住所と電話番号を聞き出した」「Bとは一緒にコンサートに行った」などと虚偽の供述をした一方で、被害者のBはショックのためか取り調べに対しても何も話すことができなかった。 千葉県警捜査本部は当初、Sの虚偽の供述を真に受けて「S・B両名を殺人容疑で取り調べている」と発表したが 、その後も丹念に真偽を調べた末にそれらを「Sの虚言」と突き止めた。 同日深夜、Sは一転して犯行を認め 、具体的な動機に関して「交際していた女性のことで暴力団組員から脅されており、200万円ぐらいの金が欲しくてやった。 806号室に盗みに入ったところCに見つかったので絞殺し、帰宅した家人を次々と刺殺してBを監禁していた」と供述した。 そのため、捜査本部は銃刀法違反容疑(前述の現行犯逮捕容疑)についていったん釈放の手続きを取った上で 、強盗殺人容疑で被疑者Sを逮捕した。 その後、Sは現場マンションで犯行を決行した理由に関して「マンションの近くまで行ったことがあり『この家ならやりやすい』と思った」と供述したため、捜査本部は本事件を「Sが金に困った挙句、標的を絞り下見をした上で実行した計画的な犯行」と推測してSを追及した。 1992年3月7日9時30分ごろから現場検証が行われた結果、現場から血液の付着した凶器の包丁が発見され、捜査本部は包丁の柄などから採取した指紋を鑑定するなど裏付け捜査を行った ほか、事件当時Sが住んでいたマンションを家宅捜索して書類など数点を押収した。 捜査本部は1992年3月8日に被疑者Sをへし 、1992年3月9日・10日両日にで殺害された被害者4人の遺体をした。 その結果、絞殺された祖母Cを除く被害者3人(刺殺されたA・D・E)の死因は「胸を刺されたことによる失血死」 、Cの死因は「首を絞められたことによる窒息死」と確認された。 1992年3月12日、(市川市)で殺害された被害者4人の葬儀が営まれ、被害者Bが喪主を務めた。 葬儀の最後に喪主のBに代わって親類代表としてAのいとこが 本事件に関して「平和な家庭を一夜にして奈落の底に突き落とした信じがたい出来事。 悪魔の所業だ。 このような犯罪が二度と起こらないよう、犯罪防止に努めてほしい」 「学識者・マスコミが中心になってこんな惨劇が二度と起こらないように努めてほしい」と挨拶した。 『中日新聞』1992年3月15日朝刊は後述の問題に言及して「その言葉は千葉県警・マスコミに厳しい課題を課した」と報道した。 千葉県警の発表・報道 [ ] 千葉県警は前述のように事件当初は加害者Sのみならず、結果的に被害者と判明した少女Bに関しても嫌疑を向け 、S・Bの両者を 重要参考人として取り調べていた。 また県警はマスメディアに対し、事件判明直後(1992年3月6日)の発表の際には少年Sが銃刀法違反容疑で現行犯逮捕されていた事実を発表しなかった一方 、「室内には長女Bのほか、自称19歳の『Bの男友達』がいた。 2人から参考人として事情聴取している」と発表した。 結果的に3月6日付新聞夕刊の一部・テレビニュースでは「長女・男友達から事情聴取」という報道が流れ、最終的には被害者と判明したBについて「『犯行に関与しているかもしれない』という警察・記者側の予断に基づいた、読者に誤解を与えかねない記事」による報道がなされ 、事件解決後に新聞各紙・関係者から問題提起がなされた。 新聞各紙夕刊の見出しは以下表の通りで、記事内容の概要はいずれも「市川市内のマンションで家族4人が血まみれの状態で倒れて死亡していた。 県警葛南署は4人の遺体に刺し傷があったために殺人事件として捜査を開始した上で、現場にいた高校1年生の長女(B)と『長女の友人の若い男性』(=加害者少年S)の2人から事情聴取している」というものだった。 1992年3月6日・7日付新聞各紙朝刊における被害者一家5人の実名報道状況 新聞名 3月6日夕刊見出し 死亡被害者4人 被害者B 備考 『』 「一家4人殺される 市川のマンション 部屋に高一の養女 男友達も、事情聴く」(東京夕刊) 実名 匿名 『』 「一家4人刺殺される 長女・友人から聴取」(東京都内版) 「一家4人殺される 市川」(千葉県内版) 全国版の社会面では県警から発表された事実が反映され「19歳の少年逮捕へ」という見出しに修正されたほか、千葉市以西に配達された朝刊でも朝刊段階で「事件はSの単独犯」という内容に修正された。 一方で県南部・北東部向けの朝刊早版では修正が追い付かず、3月7日付朝刊地方面では「数カ月間深夜に物音」「詳しい事情聴取 長女と男友達から」という見出しになっていた。 『』 「マンションで5人家族の一家4人、刺殺される--千葉・市川市」(東京夕刊) 「一家4人、刺殺される 高1長女無事、男友達も--千葉・市川」(大阪夕刊) 『』 『』 「家族4人殺される 千葉のマンション 長女と男性から事情聴く」 5人全員匿名 社会部長・稲田幸男は「両親の名前を書けば生き残った長女Bが特定されてしまう虞があったため家族全員を匿名とした。 社内では『実名報道の大原則に反する』と反対意見も出たが、今回の判断はそれを侵すものではないと考えている」と説明した。 『』 (発行せず) Sが強盗殺人容疑で逮捕された後の3月7日朝刊が第一報。 『』 「一家4人殺される? 千葉・市川のマンション」 5人全員実名 編集局次長・橋本直はBの実名報道に関して「第一報の段階ではBも千葉県警から嫌疑を掛けられていた状況だったため匿名にしたが、7日の朝刊作成段階で『Bは完全な被害者』と判明したため、それを明確に示すためには実名報道の方が適切と判断した。 しかし被害者にとっては陰惨で気の毒な事件であり一刻も忘れたいことだろう。 今後の報道の方法は考えたい」と説明した。 『』 「一家4人刺殺される 長女と男友達から聴取 千葉のマンション」 同日17時には千葉県警が2回目の記者会見を行ったが、県警はこの時にも同様に「B・Sの2人から事情聴取している」と発表したほか、「警官が現場に駆けつけた時、SとBは室内で呆然と立っていた」と説明し、これも現場の記者たちの予断に追い打ちをかけた。 夕刊発行後の21時30分になって 同日3回目となる記者会見が開かれ 、千葉県警は報道陣に「本事件はSの単独犯行であり、Bは全くの被害者である」という事実を発表したが 、『朝日新聞』では地域版によって修正作業が追い付かず、上の表で示したように全国社会面と千葉県版地域面で整合性を欠く記事が掲載された。 このほか『朝日新聞』の報道検証記事では「一部スポーツ新聞がBが養女である点(事件の主旨とは特に関係ない)に注目したり、裏付けを取らないまま被害者一家の生活ぶりを報道したほか、事件3日後(1992年3月9日)の朝にで放送されたワイドショー番組『』ではBの同級生へのインタビューの際にリポーターとその質問に答える同級生がBの実名を口にし、その問答がそのまま放送された」ことも指摘された。 事件解決後、千葉県警刑事部長は3月6日夜に「Bが最大の被害者だった」とコメントしたほか、Bが当時通っていた県立高校の担任教諭は事件後に「昼間に千葉県警が『長女B・少年Sの両者から事情聴取している』という発表があったにせよ、マスコミの取材はBを犯人扱いしていた」と批判した。 差別を受けやすい養子・養女には配慮が必要だと思う。 マスメディアには『』がないよう最大限の配慮をしてほしい」という読者からの発言が掲載された。 精神鑑定・起訴 [ ] 被疑者Sは逮捕直後、「ならどんな犯罪でもにより処罰は軽くなる」と考えていたため、自分が死刑になる可能性は考えておらず「これでも俺も行きか」程度にしか考えていなかった。 その考えの背景には当時、S自身が少年犯罪への刑罰ついてあまり知識を有していなかったことに加え 、「死刑になる者は過去に殺人を犯しておきながら、刑期を終えてからか無期懲役の仮釈放中に再犯するような者ぐらいだ。 同事件の加害者少年たちと自身の犯行を比較して「自分の犯行はコンクリート事件ほど長期間ではなく、(事件前に)凶器を準備していない」とも考え 、逮捕後には自身の出所後の生活設計のため、面会に訪れた母親Yに頼んで高校時代に使っていた教科書・参考書・辞書類を差し入れさせていた。 千葉地検は送検後の1992年3月25日、勾留期限満期(1992年3月27日)を前にのため被疑者Sを1992年3月26日から鑑定留置することをに申請した。 この間に教授(当時)・が半年間にわたり精神鑑定を行い 、千葉地検は鑑定結果を踏まえて「Sはカッとなると歯止めが効かなくなるが、完全ながあった」 と結論を出し 、1992年10月1日に強盗殺人・傷害など5つの容疑で被疑者Sを「刑事処分相当」の意見書付きでに送致した。 その後、千葉家裁(裁判官)は4回にわたるを経て1992年10月27日に被疑者Sを千葉地検にした。 千葉地検は1992年11月5日にSを強盗殺人・傷害など5つの各罪状で千葉地裁へした。 また、1991年10月19日に東京都内で起こした別の傷害事件(前述)に関しても同日付で被疑者Sを起訴したほか 、公判開始後の翌(平成5年)2月17日までに「一家殺害事件前の余罪3件(いずれも前述)」に関して傷害・恐喝・窃盗・強姦致傷の計4つの罪状でSを千葉地裁へ追起訴した。 起訴内容は以下の通り。 1992年2月11日4時30分ごろ、被告人Sが東京都内の路上での女性に折り畳みナイフを突き付け、殴るなどの暴行を加えた上、手を切り付けて脅迫し、自宅に連れ込み強姦した容疑(強姦致傷罪)。 1992年2月25日、被告人Sが市川市内で通りすがりの会社員男性に因縁をつけて鉄の棒で頭を殴り、自動車運転免許証を奪い金を要求した容疑(恐喝罪)。 1992年2月27日、被告人Sが埼玉県岩槻市(現:さいたま市岩槻区)内で通りすがりの大学生の顔を殴り、ナイフで全身数十箇所を刺すなどして全治6週間の怪我を負わせ、運転免許証や車検証などを奪った容疑(傷害・窃盗罪)。 刑事裁判 [ ] で被告人Sは強盗殺人・強盗強姦・恐喝・窃盗・傷害・強姦・強姦致傷と7つの罪に問われ「1991年10月から一家殺害事件直後に逮捕されるまでの約5か月間に計14の犯罪を繰り返した」と認定された。 第一審・千葉地裁 [ ] に関しては主に被害者への殺意の有無・程度や強盗の犯意が争点となり、検察官側は「被害者4人全員に確定的殺意があり、全員に対し強盗殺人罪が成立する」と主張した一方、被告人Sは被害者4人のうち女性C(被害者少女Bの祖母)以外の3人については強盗殺人罪の成立を否認した。 各被害者に対する殺意・罪状の認定 被害者 の選択 適用罪状 殺意の事実認定 検察官の主張 被告人Sの罪状主張 被告人Sの殺意主張 祖母C 無期懲役 強盗殺人罪 確定的 強盗殺人罪 殺意は確定的 強盗殺人罪 殺意は未必的 母親D 死刑(実際に適用) 未必的 傷害致死罪 もしくは 強盗致死罪 殺意なし 父親A 確定的 強盗致死罪 妹E 殺人罪 殺人罪 殺意は未必的• 被害者Bへの強姦致傷罪・強姦罪 - いずれも有期懲役刑を選択• その他各種余罪 - いずれも懲役刑を選択 各罪状における量刑選択の内訳は以上の通りであったが、刑法第51条()の「死刑を執行すべきときは没収を除き他の刑を執行しない」という規定により、実際に適用された刑は「犯情の最も重い妹Eに対する殺人罪への死刑」と「押収された折り畳みナイフ1丁(平成5年押収第52号の2)の」のみで、それ以外の刑は科されなかった。 また犯行当時の被告人Sのについても争点となり、検察官は(起訴前)・(公判中) による2度の精神鑑定結果を踏まえ「2度の鑑定でも精神病の兆候は認められず、自己の行為の是非・善悪を弁別する能力に障害はなかった。 被告人Sには完全な責任能力がある」と主張した一方、弁護人は福島による精神鑑定の結果に基づき「被告人Sは爆発型精神病質・類転換病質で、犯行当時は心神耗弱状態だった」と主張した。 しかし千葉地裁は「2度の精神鑑定から『心神耗弱だった』と断言することは困難。 『爆発的精神病質者』との鑑定があるが、責任能力に支障をきたすほどではなかった」として「責任能力は問題なくあった」と結論付けた。 千葉地裁は事実認定に関しても被害者Eに対する罪状(強盗殺人罪ではなく殺人罪を適用)および被害者Dに対する殺意の程度(未必的殺意)を除き、大筋で検察官の主張を採用し 、死刑を適用した。 初公判 [ ] 1992年12月25日に千葉地裁刑事第1部(裁判長)で一連の事件の初公判が開かれた。 前述のようにこの時点では余罪の追起訴が未完了だったため、検察側はこの日の冒頭陳述は見送り、次回公判(1993年3月3日)までに追起訴した上で改めて冒頭陳述・追起訴状の罪状認否を行うことになった。 罪状認否でSは 、被害者B宅を知るきっかけとなった強姦事件などについて全面的に起訴事実を認めた一方で 、殺意などに関しては上記表のように争った。 弁護人も被告人Sと同様に「外形的な事実関係」は認めたが、犯意・目的などの点に関する起訴事実を一部否認し 、公判後の記者会見では「被告人Sが千葉地検に逆送致される際、千葉家裁は我々の主張にほぼ沿う判断をした。 検察側が殺意を確定的と主張すれば全面的に争う」と話した上で、被告人Sについては「『被害者に何とかお詫びをしたい』といつも言っている」と話した。 第2・3回公判 [ ] 事件から1年を前にした1993年3月3日に千葉地裁刑事第1部(神作良二裁判長)で第2回公判が開かれ 、被告人Sは同年1月に追起訴された計4つの余罪(傷害・恐喝・窃盗・強姦致傷など)に関する罪状認否でそれらの起訴事実をほぼ認めた。 その後行われた冒頭陳述で検察側は「被告人Sは暴力団員から要求されていた金以外にも遊興費など欲しさから一家4人を次々に殺害して現金約34万円・残高約420万円の預金通帳を奪った」などと主張し 、事件の引き金となった暴力団員とのトラブルなど様々な新事実を明らかにした。 この時点では弁護人側は「検察側による精神鑑定の結果には疑問があるが、被告人Sの責任能力は争わず、再度の精神鑑定は求めない」という考えを示した上で 「今後は被害者に対する反省の態度など『情状面での立証』に全力を挙げたい」と表明していた。 そのため千葉地裁は当初、次回公判(第3回公判・1993年5月19日)で・被告人質問を、第4回公判(1993年5月26日)で弁護人側の情状立証公判を行い、進めた上で1993年6月中に結審 することを予定していた。 しかし、次回公判までにそれまでと方針を一転させ、「1993年2月に追起訴された傷害・恐喝など別事件に関してはいずれも常人の理解を超えている」と主張し 、千葉地検が起訴前に小田へ依頼して半年間実施した精神鑑定の結果に対し「精神的な面が主な観点であり、犯罪心理面からの鑑定が必要である」と異議を唱えた。 第3回公判で弁護人がその方針を改めて表明したのに対し、千葉地検は「起訴前に半年間にわたって詳細な精神鑑定を実施しており再鑑定の必要性はない」と反対意見を述べたが、弁護人側の請求を受けた千葉地裁はいったん休廷して3人の裁判官による合議を行った。 その結果、神作裁判長は弁護人からの請求を認めて心理学教授(当時)・に委嘱し、約半年間にわたり再度の精神鑑定を実施することを決めた。 そのため、結審間近の公判中に別の角度から再度の精神鑑定が行われる異例の展開となったほか 、1993年6月21日に予定されていた論告求刑公判期日も取り消されたため、公判の長期化は必至となった。 第3回公判では被告人質問も行われ 、被告人SはC・E両被害者に対する殺意をそれぞれ認める供述をした一方 、A・D両被害者への殺意に関しては「その時は殺すつもりはなかった。 背中を刺して死ぬとは思わなかった」と否認したが、「なぜこんな事件を起こしたのか」という質問に対し「短絡的でした」と反省の言葉も述べた。 弁護人は同日に情状証拠として「被告人Sが被害者遺族の関係者宛てに書いた謝罪の手紙」「A一家とは別の事件被害者に対して支払った50万円近い被害弁償を証明する領収書」などを証拠申請した。 2度目の精神鑑定とその後の公判 [ ] 弁護人側の申請を受けて1993年5月 - 11月まで約半年間にわたり、福島による2度目の精神鑑定が行われ 、1993年11月20日までに福島は「被告人Sの母親Yが妊娠中に流産予防のため黄体ホルモンを約2か月間服用したが、出生したSはその『胎児に対する男性化作用』により攻撃的な性格になり、突然感情を爆発させる『間欠性爆発性精神病質』で『周期性気分変調』と診断される。 軽度の脳器質障害も見られ『興奮状態になる精神的な不安定さ』を有しているが、こうした心理・精神状態は中高年(30歳代)で矯正可能である」とする新たな鑑定結果を千葉地裁に提出した。 福島も小田鑑定と同様に「被告人Sは精神疾患ではなく刑事責任は問える」と評価したが、一方で「被告人Sは心身成熟過程にあり精神的に不安定な性格異常である。 しかし19歳は心身の成熟過程にあり、今後人格の改善の可能性がある」という見解を示した。 一方で千葉地検は精神鑑定中の1993年8月(事件から1年5か月)に「被害者Bに対する期日外尋問」を行ったが、Bは尋問に対し「他の人が手に包丁を持ったまま振り向いたりすると『刺されるんじゃないか』と思って恐怖を感じる。 夜はほとんど1人では出掛けなくなった」と供述し 、量刑などに関しても被告人Sに対し極めて厳しい意見を述べた。 1993年11月22日に第4回公判が開かれ 、福島による再度の精神鑑定結果に加え、検察官が提出した被害者遺族の尋問調書などが証拠として取り調べられた。 同公判後、弁護人は記者会見で「被告人Sは通常時・犯行当時ともに精神的には正常であり性格に偏りがあるにすぎないが、値が高いという体質的要素から『自分の感情をコントロールする能力』・『刺激に寄って我を忘れやすくなる性格』が結びついている。 これまでの司法判断で言えば刑事責任能力は取れるが、今回は体質的な要素や、その要素は年齢を重ねるにつれて改善されるものであることを考慮して被告人Sのをすべきである」と述べた。 また同日には次回第5回(1994年1月31日)以降の公判予定も改めて指定され、千葉地裁は第6回公判(1994年2月23日)で論告求刑・1994年3月に最終弁論を行って結審し、1994年4月に判決公判を開くことを決めた。 (平成6年)1月31日に開かれた第5回公判で証人尋問が行われ、弁護人側の情状証人として出廷した被告人Sの母親Yは前回公判で弁護人側が提出した精神鑑定の結果に関して「『妊娠中に常用していた黄体ホルモンの影響で息子Sの性格が攻撃的なものになった』と聞いて驚いた。 家庭の事情による度重なる転校で学校でのいじめもあったようだ」と証言した。 同日、被告人Sは被告人質問で「犯行当時は自分の行動が理解できなかった。 今は(当時の収監先)内で聖書を読むなどして心を落ち着かせている」と述べた。 一方で次回公判(1994年2月23日・第6回公判)では当初予定していた論告求刑ではなくそれぞれ最後の被告人質問・証拠調べを行った上で、1994年3月14日に改めて検察側の論告求刑を行うこととなった。 1994年3月14日に第7回公判が開かれ、千葉地裁は論告求刑公判の予定を再び変更して被告人質問を行ったが、被告人Sは「犯行に至った経緯・心境」「取り調べ状況」などについて質問を受けて「事件当初は空き巣目的で計画的な強盗ではなかった」などと強調した。 同日をもって証拠調べは終了し、次回公判(第8回公判・1994年4月4日)で検察側の論告求刑を行うこととなった。 死刑求刑 [ ] 千葉地検は論告求刑を前に上級庁であると慎重に協議を行い 、1994年4月4日に千葉地裁(神作良二裁判長)で開かれた論告求刑公判(第8回公判)で 被告人Sに死刑を求刑した。 少年犯罪に対する死刑求刑は異例で 、当時は1989年1月・の第一審()以来だった。 同日の論告で検察官は殺害された被害者4人全員への確定的な殺意・強盗殺人罪の成立を主張した上で完全責任能力があることを主張し 、尋問調書でBが述べた被告人Sへの極刑適用を望む言葉も読み上げた。 「今でも両親らとの楽しかった思い出を夢に見る。 私から大切なものをすべて奪ったSが憎くてたまらない。 Sをこの手で殺してやりたいし、Sはこの世に生きていてほしくない。 Sは許されていいはずがない。 優しかった父母や祖母、自分に『お姉ちゃん』と甘えてかわいかったEをなぜ殺した。 家族を返せ」 — 被害者少女B、永瀬 2004 p. 93 そして、量刑理由については「一連の犯行は全て被告人Sの単独犯行で、少年犯罪にありがちな『』とは事情が異なる」 「で示された死刑適用基準をすべて満たしていることから明らかなように被告人Sの刑事責任は誠に重大で、情状酌量の余地はない。 罪刑均衡・犯罪予防の見地から命をもって罪を償わせ、今後このような凶悪犯罪が起きないようにすることが司法に課せられた責務だ」と主張した。 公判後に記者会見した被告人Sの主任弁護人・弁護士は「生育環境など同情すべき事情や矯正可能性を評価しておらず、最近の死刑廃止の動きに逆行する求刑だ。 被害者や遺族には申し訳ないと思うが、当時少年のSには矯正の可能性があり、死刑は少年法の精神からして厳しすぎる」と述べた。 前述のように逮捕直後「少年犯罪なら死刑にはならない」と考えていた被告人Sはこの論告求刑公判で死刑を求刑されたことで「後の死刑判決宣告以上に」大きな衝撃を受けた一方、検察官に対しては嘲笑・に近い感情も抱いていた。 結審 [ ] 1994年4月27日の第9回公判では当初弁護人の最終弁論が行われる予定だったが、弁護人側は同年4月15日までに「事件当時少年の被告人に対して行われた死刑求刑に対し『死刑制度の是非』という大局的な見地で判断を仰ぎたい」との考えから、同公判で死刑制度の是非そのものについて問いかける内容の弁護人側立証を行うことを決めた。 千葉地裁もその方針を認めたため、予定されていた最終弁論は延期され 、追加の被告人質問・証拠調べが行われた。 弁護人は起訴前に精神鑑定を行った小田が鑑定前に事件について言及した週刊誌記事 や被告人Sの母親Yから提出された情状酌量を求める上申書2通などに加え、超党派国会議員による『』の発足を報じる新聞記事 などを証拠として提出したほか 、被告人Sは被告人質問で死刑求刑に関して「自分の犯してしまった罪の重さを痛切に感じている」と述べた。 1994年6月1日に開かれた第10回公判で改めて弁護人の最終弁論が行われ、同公判をもって第一審公判が結審した。 弁護人は検察官の「被害者4人への確定的殺意・C以外3人への強盗殺人罪の成立」をいずれも否認し、「犯行当時、被告人Sは心神耗弱状態だった」と主張して死刑回避・無期懲役刑の適用を求めた。 情状面に関して以下のように主張した。 被告人Sの母親Yは各余罪の被害者に対しいずれも誠意ある謝罪をした上で、所有するマンションを売却するなど可能な限りの方法で資金を作り以下のように示談をした。 1991年10月19日の江戸川区内における傷害事件の被害者男性に対し、示談金45万円を支払って示談が成立した。 1992年2月11日未明の中野区内における傷害・強姦事件の被害者女性に対し、示談金155万8,475円を支払い示談を成立させた。 1992年2月25日未明の市川市内における傷害・恐喝事件の被害者男性に対しては示談成立に至らなかったが、治療費・休業損・慰謝料の内金として50万円を現金書留郵便で送付した。 2月27日未明の埼玉県岩槻市内における傷害・窃盗事件の被害者男性に対しても同様に合計50万円を送付するなどして被害弁償に努めた。 被害者Bとの接触は拒否されたが、A一家の菩提寺へ被害者の墓参りに訪れたほか、供養のための喜捨をするなどして被害者の冥福を祈った。 死刑廃止は先進国際社会の常識で、死刑制度がある先進国は日本以外ではの一部州のみである。 少年法で18歳未満の少年への死刑適用は禁じられているが、被告人Sは犯行当時19歳で18歳とわずか1年1か月しか違わない。 事件は計画的ではなく、被告人Sは不幸な生育環境にあり当時精神未発達の少年だったが深く反省しており、矯正する可能性が高い。 被害者はSの犯行の合間に警察に通報する機会があった。 最後に被告人Sは、神作裁判長から「何か言いたいことはあるか」と問われて「大変な事件を起こして申し訳ない。 これから生きていく中で少しでも償うように過ごしていきたい」と述べた。 しかし『千葉日報』は公判中の被告人Sの態度に関して「心情を吐露することなく、被告人質問における供述も相手任せだったり、自分の言葉で深い心情を語らなかったりと、自らの生死を決する裁判の進行もまるで他人事と受け止めているかのような姿勢に終始していた」と述べている。 死刑判決 [ ] 1994年8月8日に判決公判が開かれ 、千葉地裁刑事第1部(神作良二裁判長)は検察側の求刑通り 被告人Sに死刑判決を言い渡した。 犯行当時少年への死刑判決は(108号事件)における1990年の第三・第二次上告審判決(差し戻し控訴審の死刑判決を支持して被告人・の上告を棄却)以来であり、第一審では1989年の・判決(控訴審で破棄・無期懲役が確定)以来であった。 理由で千葉地裁は「国際的にみるとそれぞれの国の歴史的・政治的・文化的その他の事情から、現在は死刑制度を採用していない国が多く、我が国においても一部に根強い死刑反対論がある」と述べたが 、永山事件における1983年の「」を引用した上で 、以下のような理由から「深く反省していることや、事件当時精神的に未熟な少年だったこと、不遇な家庭環境など被告人Sに有利な情状を考慮しても罪刑均衡・一般予防の見地から極刑をもって臨まざるを得ない」と結論付けた。 「各種の結果などが示している通り『いくら人を殺しても加害者本人の命は保証される結果になる』死刑廃止には多くの国民が疑問を抱いている。 死刑制度が存置している現法制下で死刑は極めて抑制的に適用されており、生命は尊いものであるからこそ犯した罪を自己の命で償わなければならないケースもある。 これは少年犯罪についても異なることではない。 何の落ち度もない被害者一家4人の命を奪った犯行は『意に沿わないものは人の命でも奪う』という自己中心的・反社会的なもので、残虐・冷酷で身勝手だ。 殺害ぶりも終始冷静・冷酷非道で社会に与えた衝撃は計り知れない」• 「犯行当時少年とはいえ、被告人Sは犯行当時は上成年とみなされる19歳の年長少年で、肉体的にも十分成熟して社会経験も積んでおり、知能も中位で酒やたばこを常用するなど、生活習慣も成年と変わらない。 被告人Sは深く反省して被害者の冥福を祈るなどしており、更生の余地がないとは言えないが、目の前で家族を次々に殺され一人遺された被害者Bの被害感情は峻烈で、被害者一家に対する被害は回復不可能だ」 判決への反応・控訴 [ ] 本判決に関して犯罪事件研究倶楽部 2011 は「死刑廃止を求める議論が活発になっていた当時、世論の注目の中で犯行当時少年の被告人に死刑判決が言い渡された本事件判決はその後の刑事裁判にも影響を与えるものだった」と 、永瀬 2004 は「被告人Sは死刑判決を受けたことで初めて一家4人殺害の罪の重さを受け止め『犠牲者の苦痛と身も凍る恐怖』を知ることとなった」と述べている。 また(当時)・は被害者の立場から本判決を「自己目的の完遂に他人の犠牲をいとわぬ犯行で19歳への死刑適用は合法であり当然だ。 家族すべてを失いただ一人生き残った長女Bが『あんな男は生きていてほしくない』と語ったように、被告人Sを死刑にしなければ被害者遺族はさらに苦しむことになる」と評価した一方、日本支部・は「死刑廃止論が高まっている現状においてあえて少年に死刑を科するならば裁判所はその理由を積極的に示すべきだ」と述べ、死刑判決に否定的な見解を示したほか、弁護士・ も「被害者感情から死刑判決を出すことは簡単だが、そこから社会が学ぶものは何もない。 10回の公判で大人社会が少年を絞首刑にする結果となったが、法廷で少年が心を開いたとは思えない。 犯行へ至る心のひだを解明すべきだ」と指摘した。 千葉地検次席検事・三谷紘は「一部の点(次女Eに対する単純殺人罪認定など)で主張と異なる事実認定がされたが、こちら側の主張をほぼ認めた判決であり、量刑も求刑通りで妥当だ」と述べた一方 、被告人Sの弁護団(主任弁護人・奥田保)は閉廷後の記者会見にて「犯行時に被告人Sが未成熟だったことなどを否定し、世界的な死刑廃止の潮流に逆行して被害の重大性のみに目を奪われた量刑であり極めて遺憾だ」と本判決を批判した。 その上で被告人S・弁護人は判決を不服として、閉廷後の同日午後にへした。 控訴審・東京高裁 [ ] にて開かれた控訴審で弁護人側は以下のように「被告人Sの殺意は『未必の故意』もしくは存在しなかったにも拘らず、原判決は『確定的な故意がある』と事実誤認をしている」と主張した。 祖母C(確定的殺意・強盗殺人罪)および妹E(確定的殺意・殺人罪) - 殺意は未必である。 母親D(未必の殺意・強盗殺人罪)および父親A(確定的殺意・強盗殺人罪) - 殺意はなく強盗致死罪が成立するに過ぎない。 また第一審における「爆発的精神病質者」という主張に関してはアメリカ合衆国の心理学者 ・ライニッシュの論文を添えて補強した上で 改めて完全責任能力を否定する主張を展開したほか 、「世界的な死刑廃止運動」「18歳未満への死刑適用を禁じた少年法の趣旨」 を強調した上で「死刑判決を破棄して無期懲役刑を適用するのが相当である」とする旨を主張した。 しかし(平成8年)に開かれた控訴審判決公判で東京高裁刑事第2部(裁判長) は第一審・死刑判決を支持して被告人S・弁護人の控訴をする判決を言い渡した。 東京高裁は「犯行当時少年で、年齢を重ねれば教育によって改善の可能性はある」と被告人Sに対して有利な情状も認定したが 、以下のような様々な情状の認定により死刑を回避するには至らず「犯した罪の重大性を見ると犯行は卑劣・残虐であり生命に対する畏敬の念を見い出せない。 その罪の重大性から死刑に処すのはやむを得ない」と結論づけた。 被害者の傷の深さ・犯行後に救命措置を考えていないことなどから原審の殺意認定は正当である。 弁護人側の主張する『黄体ホルモンの影響による心神耗弱』の根拠である学者の研究はあくまで「性格的な傾向を見る」にとどまり、攻撃性の異常な増加を示してはいない。 また弁護人は被告人Sが犯行当時「爆発的精神病質者」であったことを主張しているが、被告人Sは犯行当時異常な心理状態にあったとは考えられない。 被告人Sは本事件前から粗暴な犯行を重ねており「自己の衝動・攻撃性を抑制しようとしない危険な傾向」が顕著である• 「自分より強い者には衝動を抑制し弱い者には抑制しない」など自己の攻撃行動を区別している。 一家殺害事件の際もむしろ「状況に応じた冷静な行動」を取っていたため、行動制御能力に著しい減退はなかったことが認められる• 犯行動機・殺害方法・殺害された被害者数に照らして責任は誠に重大で、特に幼くして命を奪われた幼女(E)には深い哀れみを禁じ得ない。 被告人Sの弁護人側は判決を不服として同日付でへした。 上告審・最高裁第二小法廷 [ ] 第二小法廷(裁判長)は事件発生から丸9年となる(平成13年)3月5日までに被告人Sの上告審公判開廷期日を「2001年4月13日」に指定して関係者に通知した。 2001年4月13日に最高裁第二小法廷(亀山継夫裁判長)で上告審口頭弁論公判が開かれ、弁護人は死刑回避(原判決破棄)を、検察官は上告棄却を求めた。 被告人Sは犯行を深く反省しているほか、死刑は残虐な刑を禁じたにするもので、特に少年への適用は許されない」と主張した。 一方、検察官は「弁護人の主張は量刑不当・事実誤認で上告理由として認められない。 なんら落ち度のない被害者ら自分より弱い者に対する冷酷・残虐な犯行は許されず、被害者遺族も極刑を望んでいる」として上告棄却を求めた。 結審当初は「2001年夏までに判決が言い渡される見通しだ」と報道されていたが 、「最高裁で弁論が開かれた段階」で新たに弁護人に就任した弁護士・が他の弁護人2人とともに「事実認定を全面的に洗い直す必要がある」として最高裁第二小法廷に弁論再開の申し立てをした。 しかし申し立ては認められず、安田は上告審判決を前に被告人Sと面会した際に「とにかく生き延びよう。 生きるために戦い続けよう」と約束した。 2001年11月13日までに最高裁第二小法廷(亀山継夫裁判長)は上告審判決公判開廷期日を「2001年12月3日」に指定して関係者に通知した。 『東京新聞』(中日新聞東京本社)の記者から取材を受けた関係者は上告審判決直前の被告人Sについて「死刑確定を覚悟してはいたが、判決までの数日間は落ち着かない様子だった」と述べている。 2001年12月3日に最高裁第二小法廷(亀山継夫裁判長)で上告審判決公判が開かれ、同小法廷は一・二審の死刑判決を支持して被告人S・弁護人側の上告を棄却する判決を言い渡したため 、被告人S(当時28歳)の死刑がすることとなった。 同小法廷は判決理由で「被告人Sは暴力団関係者から要求された金銭を工面するために強盗殺人を犯しており、その動機に酌量の余地はない。 犯行は冷酷かつ残虐で、自らも被害者となった遺族Bの被害感情も非常に厳しい。 4人の生命を奪った刑事責任は極めて重大で被告人Sの犯行当時の年齢などを考慮しても死刑はやむを得ない」と述べた。 犯行当時少年の被告人に言い渡された死刑判決が確定する事例は1990年に最高裁で死刑が確定した永山以来で、最高裁が統計を取り始めた1966年以降では9人目で 、平成に入って発生した少年犯罪では初めてであった。 被告人S・弁護人は上告審判決を不服として最高裁第二小法廷(亀山継夫裁判長)に判決訂正申し立てを行ったが、この申し立ては同小法廷が2001年12月21日までに出した決定で棄却されたため、犯行当時少年としては永山以来となる死刑判決が正式に確定した。 少年犯罪に関しては死刑適用について判断が分かれる傾向が強いとされるが、本事件は第一審・控訴審・上告審と一度も死刑が回避されることなく確定する結果となった。 これにより死刑囚Sは戦後日本で37人目(永山への最高裁判決以降、および平成の少年事件では初)の少年死刑囚となった。 死刑執行まで [ ] 被告人Sは最高裁上告中の1997年から『東京新聞』(中日新聞東京本社)社会部記者・瀬口晴義と文通しており 、瀬口は死刑執行後に生前の被告人Sの人柄について「手紙・面会では『獄中生活で体重が120 kgを超えた』と嘆く一方で大腸がんを患った私を本気で気遣うなど、礼儀正しい性格で、その印象と残虐非道な犯行の差が最後まで埋まらなかった。 Sが口にした懺悔の言葉が本心からなのかどうは今でもわからないが、自分の命をもってしても償いきれない罪の大きさを自覚していたとは思う」と振り返った。 Sと瀬口が文通を開始したころにはを受けて少年法改正論議が沸騰していたが、被告人Sは瀬口宛の手記で「大人と同じように刑罰を下したところでいじめ・恐喝・殺人などなくならないどころか『これまで以上に陰湿なやり方』が増えるだけだ。 仮に少年法を改正しても凶悪少年犯罪が減少することはない」という考えを示したほか、「凶悪な少年犯罪を生む素地は『大多数の負け組の上に、一握りの勝ち組が君臨する社会構造』にある。 現代は『金か能力のある者』だけが『正義』と持て囃されて勝ち誇る社会だ。 子供でも一部の裕福で恵まれた人間以外は夢も希望も見ることもできない。 自分は『己の罪深さを恥じ真に償いを求める』ならば将来を求めてはいけないと思う」と述べていた。 また上告審判決期日(2001年12月3日)までに中日新聞社へ手記を寄せ、同判決を報じた『中日新聞』・『東京新聞』両紙の2001年12月4日朝刊記事で以下のような内容が掲載された。 この手記は上告審判決から9年後(2010年11月28日)に「ので初めて犯行当時少年の被告人(当時18歳)に死刑判決が言い渡された」と言及した『中日新聞』・『東京新聞』両紙朝刊コラムにてそれぞれ引用された。 「千葉地裁・東京高裁と二度の死刑判決を受けたことで『生き恥を晒し続けて自分の家族にさえ迷惑をかけるくらいなら早く死んで消えてなくなりたい。 早く生まれ変わって新しくやり直す方が楽だろう』と自暴自棄な考えに陥っていたころもあったが、自分を見た多くの人から『生きて償うべきだ』と言われたことで『生きていなければ感じられない苦しみを最後の瞬間まで味わい続けよう』と改めて決意した。 最後まで生き抜いて罪を贖える方法を模索したい」• 住職は中日新聞社の取材に対し「面会した当初は犠牲者の無念を思ってアクリル板越しに被告人Sへ怒りをぶつけたくなったこともあったが、第一審で死刑判決が言い渡されて以降は『生と死の境に立ち、命の重みを考え始めたのかもしれない』と思うようになった。 その後もSと面会するたびに被害者の供養を頼まれ、『Sは罪の大きさに苦しんでいる』と思ったが、被害者遺族の悲嘆を目の当たりにすれば死刑執行は因果応報だとも思う」と述べている。 なお「死刑廃止の会」(2006年当時)による 「1993年3月26日以降のについての調査(2006年9月15日付)」によれば 、に死刑囚Sは 2005年8月1日 - 2006年9月15日までの間に千葉地裁へ請求を起こしていたことが判明した。 第一次再審請求では死刑確定後に上告審で弁護人を務めていた弁護士が「犯行当時、死刑囚Sは心神喪失状態だった」と主張し 、弁護団はMRI検査のやり直しなども請求したが、死刑執行までに2度にわたり再審請求棄却が確定していた。 また弁護人・ は最高裁で弁論再開を申し立てた他の弁護人2人とともに 「事実関係の面に関しても未解明の部分がある」として、事実面における係争を含めて想定した上で次期再審請求のための準備を進め、死刑執行直前に再審請求書を作成していた(主張要旨は以下の通り)。 被害者の遺体に残された刺し傷と凶器(柳刃包丁)の形状の違い• 死刑囚Sは事件現場を長時間にわたって離れており(被害者Bを連れ出していた間)、その間に第三者が関与した可能性がある点• 被害者の遺体に残された刺し傷の場所・各被害者の死因などから、被害者4人全員に対する殺意の有無• 弁護団の主張する「重要参考人」が行方不明となっているため、弁護団は「死刑囚Sとは別にその人物が事件に関与している可能性がある」として行方を捜していた。 またSは死刑執行まで作家・と数十回にわたり面会を続けていたほか 、弁護士・一場順子 と約2か月おきに面会していたが、一場に対し「事件の情景がフラッシュバックし、殺害された被害者4人が自分に『お前を許せない』と言っているようで苦しい」と打ち明けたこともあった。 事件発生から四半世紀(25年) ・死刑確定から16年後の死刑執行で 、犯行当時少年だった死刑囚()への死刑執行は(108号事件)の死刑囚・の死刑が1997年に執行されて以来20年ぶりだが 、法務省が死刑執行について事案の概要などを公表するようになった2007年12月 以降では初の事例だった。 死刑執行当時、死刑囚Sは第三次請求が棄却されたため即時抗告中で 、Sは処刑直前に弁護人・一場順子宛の遺言として「裁判記録は(一場)先生の元へ」とだけ言い残していた。 当時は「再審請求中の死刑囚に対する死刑執行」は避けられる傾向が強く、近年では1999年12月17日 以来途絶えていたが、同年7月にの死刑囚(当時・在監)に対し法務大臣の命令で死刑が執行されて以来、2回連続で再審請求中の死刑囚が執行されたケースとなった。 同日に上川は記者会見で死刑執行を発表した際「再審請求中だからといって(死刑を)執行しないという考え方はとっていない」と述べた上で、犯行時少年に対する死刑執行に関しては「個々の死刑執行の判断に関わるため、個人的な考え方については発言を控える」と述べた。 同日、死刑囚Sの母親Yは出先の病院で東京拘置所から死刑執行の連絡を受け、同拘置所に向かったが、いったんは東京拘置所職員から「『遺体を引き取る』と意思表示する必要がある」として遺体との対面を拒否されたため、最寄り駅(・)ホーム上で待機していた。 その後、弁護人・安田 と合流したYは遺体を引き取るか否かに関係なく息子Sの遺体との対面を許可されたが、納棺されたSの遺体に触れることはできず、遺体の顔を覗くことしかできなかった。 安田は死刑囚Sの執行前は「弁護人とともに再審請求中の死刑囚に対する死刑執行はまずあり得ない」と考えていたが、この執行を「法務大臣から我々死刑囚の弁護人に対する『弁護人がいようが自力だろうが今後は再審請求中でも死刑執行する』という意思表示なのだろう」と受け止めたほか、「おそらく『第1次再審請求の結論が出るまでは死刑執行を見送るが、それ以降は見送る理由にはしない』ということだろう」 「今回の死刑執行は国家が自らの権力を見せつけるような『これまでの死刑執行とはまったく様相の異なるもの』だ。 いかなる躊躇・抵抗をも排除して有無を言わさずに死刑を執行する、すなわち国家からの『死刑執行に対する強固かつ積極的な意思表示』だ。 今後行われるだろうのら死刑囚13人への死刑執行を見据えた『地ならし』でもあるだろう」とも推測していた。 また安田は2018年1月25日に開かれた死刑執行抗議集会にて 「死刑執行から数日後に別の死刑囚・及び別の収容者1人と東京拘置所で接見した際『死刑囚Sは死刑執行よりかなり前から刑場へ連行される際も目立たない一番端の独房に収容されていた。 死刑執行当日の朝に独房から連れ出された 際には特に暴れたりせず、ごく普通の形で独房を出ていった』と伝えられた」と明かした。 死刑執行に対する反応 [ ] 事件当時少年でかつ再審請求中だった死刑囚Sの死刑執行を受け、「死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム'90」(フォーラム90)は同日付で「まだ成長過程にあり更生の可能性のある少年への死刑執行は許されてはならない。 また、再審請求中の死刑執行は決して許されてはならない」などと抗議声明を発表したほか 、(日弁連)も同日付で会長名義の「死刑執行に強く抗議し、改めて死刑執行を停止し、2020年までに死刑制度の廃止を目指すべきであることを求める会長声明」を発表した。 また千葉県弁護士会(会長:及川智志) および駐日(EU)代表部もそれぞれ死刑執行への抗議声明を出した を発表した。 一方で「犯罪被害者支援弁護士フォーラム」(VSフォーラム)は同日付で共同代表の・両弁護士名義で「被害者遺族からすれば歓迎すべき死刑執行であり強く支持する。 死刑制度はで合憲とされている制度で、法律に従って死刑を執行するのは当然のことだ。 再審請求中および犯行当時少年であっても死刑執行を回避すべきではない」とする声明を発表したほか 、「少年犯罪被害当事者の会」代表・武るり子はの取材に対し「少年であっても罪に合った罰を受けることが犯罪抑止力につながる」と話した。 また元学長・(被害者学)は「『少年の更生可能性』という非科学的・曖昧な基準で死刑執行を回避するのは相当ではなく、事件の重大性・遺族らの被害者感情・社会影響を考えると今回の死刑執行は当然だ。 死刑執行の先送りを目的とした再審請求も多いため、再審請求中でも死刑執行対象から除外すべきではないが、法務省は死刑執行において『の可能性がないこと』を具体的に説明する必要はあるだろう」という見解を示した。 『』()は2017年12月20日付コラムで「死刑囚Sの判決確定は16年前でむしろ遅すぎた。 更生の機会に関しては刑事裁判の場で争われるものであり、法相にはその確定判決の是非を判断する職責はない。 法相の個人的信条で死刑執行の有無が決まるなら『』に著しく抵触するため、死刑が確定した以上は法相は粛々と死刑執行を命じるべきだ。 今回の死刑執行を契機に『国民が少年法改正の問題を考える』論議を提起することが望ましい」と主張した。 『週刊新潮』1992年3月19日号(3月12日発売)は「時代遅れ『少年法』でこの『凶悪』事件をどう始末する」というタイトルの特集記事を組み、記事中でSの実名を掲載した上で「被疑者Sの中学時代の顔写真」「Sが事件当時在住していた船橋市内のマンションの写真」を掲載した。 同記事は複数の識者意見を掲載して「少年法に対する問題提起」を目的に執筆・編集されており、実際に少年法の改正を訴える論調の記事となっている。 また『週刊新潮』は2001年12月13日号(同年12月6日発売)でも被告人Sの死刑が確定することとなった上告審判決について(当時・本名の「祝康成」名義)のインタビューを交えて報じたが、この際も被告人Sの実名・中学時代の顔写真を掲載した• 『FOCUS』1992年3月20日号はSの実名に加え、Sが千葉地検に送検される際の写真(当時の『FOCUS』記者・が撮影)を掲載した。 事件当時の実名報道に関して当時『週刊新潮』編集部次長であった宮沢章友は『産経新聞』・『朝日新聞』などの取材に対し以下のように回答したほか、千葉地裁で死刑判決が言い渡された際に『千葉日報』記者の取材に対し「無辜の人を冷酷に殺していく犯罪に『少年だから』という理由で保護すべき要素は微塵もない」と述べている。 「少年法が制定された当時と1992年現在では『肉体的・精神的ともに社会からの刺激が多い』という点で『少年』の概念が変わっているにも拘らず、『旧態依然とした少年法に従って20歳以下なら一様に実名を伏せる』ことは好ましくない。 犯行そのものも帰宅した家族を次々と殺害するなど凶悪で、少年法で保護すべき範囲を逸脱している。 実名報道するかどうかの判断はケース・バイ・ケースで、(ライバル誌の『』()が加害少年らを実名報道した)の際は『犯人グループのうち誰がどう手を下したのか』がはっきりしなかったために実名報道は見送ったが、今回は犯人が(Sの単独犯と)はっきりしているからこそ(実名報道という形で)問題提起をしやすかった」• 「今回の犯行は未熟な少年が弾みで起こしたようなものではなく、少年法で保護しなければならない『少年』の枠を超えている。 加害者の人権に比べて被害者の人権が軽視されており、少年による凶悪事件が増加している現在において『20歳未満ならばどんな犯罪を犯しても守られる』現行の少年法は時代遅れであり、それを問題提起する意味で実名報道した」• 「」 これらの実名報道に対しては(会長)が1992年3月25日付で「少年法の趣旨に反し人権を損なう行為だ」として「『良識と節度を持った少年報道』を求める要望書」を新潮社に郵送し 「マスコミが少年を裁くようなことをしていいのか」と問題を提起した。 一方、過去にの加害者少年4人を実名報道した『週刊文春』は本事件時は実名報道を見送り匿名報道としたが 、編集長・はその理由について「事件を受け編集部から『今回も実名報道すべきではないか』という意見が上がったが、以前の実名報道の動機である『少年法への問題提起』は以前の報道・それによって起こった論議から既になされたため、最終的に自分の判断で見送った。 しかし、今回も少年法に対して問題があるという姿勢は崩していない」とコメントした。 死刑執行後 [ ] その一方で新聞各紙は2001年12月の死刑確定時も被告人・死刑囚Sを実名報道せず匿名で報じ 、新聞・テレビの報道では2017年12月19日の死刑執行まで死刑囚Sの実名報道はなされていなかった。 しかしその後は「少年犯罪でも死刑が確定する場合については死刑執行前の判決確定段階で『更生可能性が消えた』として実名報道に切り替える例」が主流になりつつあり 、マスメディアは2017年12月の死刑執行を受けて「更生や社会復帰の可能性がなくなった」「国家によって人命が奪われる死刑の対象は明らかにされるべき」「事件の重大性を考慮」などの理由からそれぞれ実名報道に切り替えた。 『』() - 2004年に少年死刑囚の実名報道を是認する方針を決め 、「『国家によって生命を奪われる刑の対象者は明らかにされているべきだ』との判断から実名報道に切り替えた」と説明した。 (NHK)は2017年12月19日正午のにて死刑囚Sの実名を含めて死刑執行のニュースを報道したが、その際に「少年事件について『立ち直りを重視する少年法の趣旨』に沿って原則匿名で報道しているが、凶悪・重大な犯罪で社会の関心が高く、死刑が執行され社会復帰・更生する可能性がなくなったことから実名で報道した」と説明した。 『』()は「『国家が人命を奪う死刑の執行対象が誰なのか』は重大な社会的関心事であるため」 、『』()は「死刑執行により更生の機会が失われたことを考慮した」 、『』()は「事件の重大性・死刑が執行されたことを踏まえて実名報道に切り替えた」とそれぞれ説明した。 『』()はそれまで少年死刑囚について死刑確定時点でも匿名で報道してきたが、今回の死刑執行を受けて実名報道に切り替え、その理由を「確定時点では『再審・恩赦による社会復帰の可能性』などが残されていたことから『健全育成を目的とする少年法の理念』を尊重し匿名で報道してきたが、死刑執行によりその機会が失われたことに加え『国家による処罰で命を奪われた対象が誰であるかは明らかにすべき』と判断した」と説明した。 また同様に少年死刑囚を死刑確定時点でも匿名で報道してきた『』()・『』()も今回の死刑執行を受け「更生可能性がなくなった。 国家が人命を奪う究極の刑罰である死刑の対象者の氏名は明らかにするべきである」と説明した上で実名報道に切り替えた。 永瀬隼介と加害者Sの交流 [ ] (平成10年)10月から作家・(当時、本名の「祝康成」名義で活動)は本事件についての書籍出版を目的に東京拘置所で被告人S(当時最高裁上告中)と面会・文通を重ね 、2001年12月に死刑が確定するまで の約3年間にわたり事件の様々な関係者(Sの家族・被害者遺族・Sと結婚したフィリピン人女性の家族ら)への取材活動も含めてSの人物像・事件の詳細を調べた。 Sは永瀬宛の手紙で「完全に枯れ切ってしまう前に、潔く終わりにしたいと思います」と述べていたが、永瀬はSの態度について「当初は終始、誠実な姿勢は変わらなかったが、拘置期間が長引くにつれて感情の起伏が激しくなっていき、1999年12月17日に東京拘置所・で計2人の死刑囚の死刑が執行された 直後の1999年12月下旬からは様子が一変して精神的に不安定になった」と述べている。 また、被告人Sは幼少期に苛烈な虐待を加え、一家離散の引き金を引いた父親Zに対し「生まれつきの詐欺師」「他人の精神的苦痛など一顧だにしない奴」「一緒に死刑台に吊し上げてやらないと気が済まない」などと激しい憎悪の念を書き記していたほか 、女手一つで働きながら自分や弟の生活を支えていた母親Yや 幼少期に自分を溺愛していた祖父Xに対しても同様に憎悪の念を向け 、自身を「常識人の範疇を超えて偏った人格を持ち合わせた両親から生まれるべくして生まれた死刑囚」と評していた。 また被告人Sは永瀬宛の手紙で以下のように綴っているが、初めて永瀬宛の手紙を東京拘置所から送った際にはその手紙に香水を付けていたため、永瀬は「『独房で書き上がった手紙に香水を振りかけている大量殺人犯』とはどこか歪んでいる」と表現した。 「残された少女Bのために毎日祈り・お詫びの言葉をつぶやいてみても何にもならないどころか、自分勝手で独善的この上ない行為だ。 加害者側の自分がいくら熱心に経文を唱えようとも結局は『自分自身が自己満足するための儀式』でしかない」• 「最高裁で死刑判決(上告棄却)を受けて死刑囚となっても当分は生かされていることになるが、死刑とは『文字通り死ぬことで刑になる』から、刑務所で受ける懲役刑とは違い、労役などで罪を償うこともできず、ただ鉄格子の中で過ごすだけだ。 確定から何年か過ぎて平静を取り戻したころにいつか必ず死刑執行の日が来るが、それが決まっているのに毎日死の足音に怯えながら暮らさなくてはならない。 想像するのも嫌な生活だ」• 「これから先は何年も外界から一切遮断された獄中で誰とも会えず、希望も抱けずに平静を保って生きていく自信がないし、『死んでいくためだけにどうやって生きていけばいいのか』もわからない。 『死ぬことが怖くない』と言えば嘘になるが、それ以上に先のない毎日を怯えながら生きていかねばならないことの方が怖い」• 「次こそは絶対に真っ当な人間に生まれ変わりたい」 (平成12年)春に面会した永瀬が被告人Sに対し、手紙の内容に言及した上で「あなたにとって『本当の意味での反省』とは何か」と尋ねると、Sは「本当に謝るべき人々(被害者4人)を殺しておいて、今でも『反省して何にもならない』と思っている。 今でもどうやって反省していいのか分からない」と答えた。 また「手紙の中で殺害場面が記された箇所に入った途端、それまで整然としていた筆跡が『まるで別人が書いたかのように』突然大きく乱れていた。 殺害現場を書くこと・当時の自分を直視するのが怖いのか?」と質問されると「みっともない」と返したが、「『あのような事件を引き起こした自分が人間としてみっともない』ということか?」という質問に対しては曖昧な返答になったため、「『みっともないことをした自分を直視するのが嫌だ』ということになる。 『みっともない自分』を正面から捉えないで反省しても仕方ないだろう」と指摘された。 「自分の人生を振り返って何か言いたいことはあるか?」という質問には「それまでのことをすべてをなかったことにしてほしい。 自分という人間は『存在そのものが最初からこの世にいなかった』ことにできれば一番いい」と答えたが、永瀬 2004 はSのこの言葉に関して「この言葉を耳にして強い脱力感に襲われた。 Sはこの期に及んで『自分の人生の全てをなかったことにしたい』と口にするが、その真意は理解不能だ。 Sが抱える心の闇は私の想像よりはるかに大きい」と述べた。 永瀬は過去に(1996年発生)の死刑囚など殺人犯を取材した経験はあったが、Sについては「口では『切腹して死にたい』「潔く終わりたい」と殊勝に語るが、実際は生へのエネルギーが涸れない底知れぬ生命力の塊だ。 過去に取材したどの殺人犯よりもはるかに深い桁外れの闇を抱えていたため、その人物像を理解しようと接近を試みてはさらにその闇の中に巻き込まれていった」と形容している。 永瀬はSと面会など交流を重ねるにつれて次第に「このままではすまない。 手痛い代償を払わされるに違いない」と考えるようになり 、著書出版準備を進めていた2000年初夏には慢性的な精神的ストレスからを発症し、満員電車で帰宅していたところ気分を悪くして途中駅で下車した直後に意識を喪失し、プラットホームへうつ伏せに転倒したことで顎を強打し骨折・歯が砕けるほどの重傷を負った。 永瀬は当時の心境に関して単行本『19歳の結末 一家4人惨殺事件』()のあとがきで「私はSとの面会・本の差し入れ・文通など交流を重ねるうちに、Sに対し『悔恨と反省に満ちた真っ当な心』による懺悔の言葉などを期待していたが、4歳の幼女まで刺殺した悪鬼の所業の前ではどんな悔恨・反省も虚しい。 この本を書き終えて虚脱感・徒労感に支配されている」と述べている。 永瀬は2000年9月にそれまでの取材結果をまとめて新潮社から単行本『19歳の結末』を出版し 同書を獄中の被告人Sに差し入れたが、Sはその内容について同月中の永瀬との面会で「虚偽の描写が含まれている」と反論した。 Sがこの記述に憤慨した理由は、同書を読んだ弁護士から「『お前は(事件前に)こんなこともやっていたのに隠していたのか』と責められたため」だったが、永瀬 2004 は「自分がSに求めていたものは『同書に記されていた被害者や遺族の悲しみ・怒りの感情に触れ、それに対しどんな感想を述べるか』であってこのような些末なことではない。 許されるならばあの時、私は『お前が言うべきはそんなことじゃないだろう』とSの胸倉を掴んで揺さぶり諭してやりたかった。 その後も永瀬はSとの交流を続けたが、翌10月の面会中にはSが被害者Bを愚弄し「彼女は自分のことをすべて知っているのに本当のことを言わないし、あなた(永瀬)の取材にもまともに答えないとんでもない人間だ」などと発言したため 、永瀬は改めてその態度に失望し「『とんでもないのはお前だろう』と怒鳴りつけたくなるほどの激情に駆られたのをなんとか耐えた。 『この男は反省していない』と改めて実感した」と述べている。 永瀬とSの最後の面会は(平成13年)1月下旬(前年12月以来約2か月ぶりで、Sは「面会できることは世間との接点があって嬉しい。 これからもどんどん本を読みたいしあなた(永瀬)とも会いたい。 面会できなかった場合を含めて本を差し入れてもらってありがたく思っている」と感謝の言葉を述べ、永瀬から「どんな本が読みたいか?」と質問されると「『』(・)を読みたい」と返答した。 永瀬は「次回の面会時に『永遠の仔』を差し入れる」と約束し、それ以降も面会を試みたが、結果的にはこれが最後の面会となった。 それ以降、上告審口頭弁論が開かれ死刑確定が近くなったことから永瀬は「それまでに可能な限り話を聞こう」と考えたが、しばらくは手紙にも返信がなかったため「Sは精神的に動揺して返信できないのではないか?」と懸念したが、上告審弁論から約8か月後の2001年10月末になって久々に届いたSからの手紙では懸念していた「精神的な動揺」は感じられず「永瀬への挨拶・面会ができないことへの謝罪の文言・永瀬が定期的に差し入れていた『』(新潮社)に関する言及」が記されていた。 それから約20日後の2001年11月下旬には被告人Sから永瀬宛に再び手紙が届いたが、それ以降Sから永瀬への手紙は来なかったため、結果的にこれが「被告人Sが生前最後に永瀬宛に出した手紙」になった。 加害者親族のその後 [ ] 祖父Xの反応 [ ] 永瀬隼介(祝康成)の取材に対し、Sの祖父X(1999年当時76歳)は 獄中にいた孫Sについて「生きていても苦しい事ばかりで何もいいことはないしもう死にたい。 なぜSが今でも生きていられるか不思議だ。 自分がそのような事件を起こしたら耐え切れずに自殺する。 Sはろくでなしだとわかっていたが、4人も人を殺すなんて思っていなかったから事件当時はかなりショックだった。 あいつとはもう関わりたくないし、法に従えばいい」と述べたほか 、Sの父親(娘婿)であるZについて「自分はZを初対面の時から『人相が良くないし、真面目に働くような顔ではないから娘Yと結婚させたくない』と思っていたのに、Yは自分の言いつけをちゃんと聞いてくれなかった。 もしYが言いつけを聞いてくれていたらSはこの世に生まれていない。 いっそSはZ・Yが離婚した時にZにくれてやればよかった」などと述べた。 また事件後には店に客が来なくなり、事件後に複数店舗を閉店・売却したが、それでもXの借金は増える一方だった。 しかしその一方で「Xはアパートの家賃、犯行に用いた車の購入費のほか、ギター・オーディオの購入費なども祖父Xから代金を援助してもらっていた」 「Sは中学校に入学したころから祖父・母親に多額の現金をせびっていた。 Xは鰻屋の従業員の前で『また夜遊びか』と笑いながら、Sに1万円札数枚を手渡すこともよくあった」という報道もある。 XがそのようにSを甘やかしていた理由について、は「家業につなぎ留めておくため」と述べている一方 、『週刊文春』は「Yが息子Sを独居させた理由は家庭内暴力から自身や次男(Sの弟)の身を守るためだった。 Xが400万円以上するクラウンをSに買い与えた背景にも、単なる溺愛ではすまない事情があったのだろう」と述べている。 なお伴侶としてXと苦楽を共にし 「Sを最もかわいがっていた」という祖母(Xの妻)は被告人Sが控訴中の1995年に他界したほか 、跡継ぎになるはずだったXの長男(Sの叔父)は事件の3年前(1989年)にくも膜下出血で倒れ、44歳で死去している。 永瀬隼介は「(1998年 - 1999年にかけての)『の吹く時季』」にYが次男とともに暮らしていた家を取材したが、この時に応対したSの弟は顔・体格ともに兄Sと似てはいたが、永瀬に対し終始丁寧に応対していた。 その後、永瀬は母Yの帰宅を待って取材しようとしたが、Yは嗚咽しながら「あの子も今は反省しているのですからもうそっとしておいてください」と取材を断った。 識者などの分析・考察 [ ] 『中日新聞』は加害者Sの性格やその形成経緯について、Sの家庭環境などを踏まえながら「Sの『他人への思いやりを知らない本能むき出しの人間像』が形成れた背景には複雑な家庭環境があるのだろう」と報道した。 またはの著書『少年犯罪論』(1992年・)に寄稿した本事件の記事で、Sについて「ひと昔前なら確実に職人として成長できただろう境遇に生まれ、一度はその方向に進みかけたが挫折し、それが事件の誘因となった節がある」と考察したほか 、Sの生い立ちや鰻屋の同僚 の証言を踏まえ、Sが200万円を得るために一家4人を殺害した背景について「Sは父親が億単位の借金を作ったことにより両親の離婚を経験し、何度も転居・転校せざるを得なくなった。 それが体験の幻影のようにSの心の底にこびりつき、後に暴力団から追い詰められ『強大な他者の幻影』を見たことで自身を見失った。 (外部に助けを求められなかった)被害者BもまたSの怯えが伝染するかのように、Sの操り人形のように動いてしまったのだろう」と考察している。 『』1992年3月27日付記事はSの母親Yが元夫Zと離婚後も関係を断絶していなかったことにSが反発していた点に関して言及し、「別れたはずの両親がその後も付き合っていたことがさらに少年の心に屈折感を生んだようだ。 『祖父の愛情と父親への反発』という点ではの・を思い起こす。 (本事件と宮崎の事件)2つの事件を同列には論じられないが『複雑な家族関係が事件に与えた影響』は大きい」と述べたほか、ノンフィクション作家・は同記事にて「1988年にで当時中学生の少年が起こした両親・祖母の計3人殺害事件もそうだが、父母の愛情が何らかの要因で欠落すると『バランスを失った祖父母の愛情』で『抑制の効きにくい子』を育てることもあるのではないか」と述べた。 『週刊新潮』1992年3月19日号の記事などでは以下のような識者意見が掲載されている(肩書はいずれも当時)。 ・教授 - 「この事件は死刑に値する犯行。 残忍さではの(108号事件)と同等で、犯行の悪質性は以上ともいえる」• 板倉は第一審で死刑判決が言い渡された際にも『千葉日報』記者の取材に対し「1人で次々と4人を殺害した残虐性を考慮すれば犯行当時19歳の少年だったとしても死刑はやむを得ない。 もしこれが死刑でなければ最高裁の基準(永山基準)を無視することになる」と指摘している。 ・教授(後に被疑者Sの精神鑑定を担当)• 「もしSを死刑にできないようならばにすべき」• 少年法に詳しい弁護士 - 「現在は死刑廃止に向かっている時代だ。 少年の場合は『殺人が行われやすい環境だったかどうか』が争点になるため、この事件でも死刑は求刑段階ですら難しいだろう」• 元・ - 「現代は20歳未満だからといって甘やかしていられる時代ではないだろう。 運転免許でも18歳で取得できるのだから、凶悪犯罪を犯した少年が5歳や10歳の子どもと同じ扱いにされることはおかしな話だ」• 教授(刑事法)・ - 「死刑を選択しないぎりぎりの決断を期待していたが、裁判官は死刑廃止が世界的潮流となっていることを無視し、『量刑基準』から機械的に死刑判決を言い渡した。 死刑に凶悪犯罪への抑止力はなく、加害者Sを抹殺しても被害者感情を満足させる結果にはならない」• 少年事件研究会を主宰していた教授・(刑事法) - 「本件のような事件が発生すると『少年事件全体が凶悪化しており、厳罰化が必要だ』という論調が生まれ本質を見失いやすい。 しかし被害者の立場を考えれば死刑回避の決断は容易ではない。 裁判官の勇断を期待するためには死刑適用基準の1つである『被害者の処罰感情』を緩和することが必要で、国を挙げて思い切った被害者救済制度の確立に取り組むことが必要不可欠だ」 関連論文 [ ]• 「」『千葉敬愛短期大学紀要』第17巻、・、1995年2月15日、 22a-7a、。 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• 事件後の1995年に浦安警察署(葛南警察署から改称)から現場一帯を管轄するが分離発足し、2019年現在は行徳署が現場一帯を管轄している。 『D1-Law. com』収録の上告審判決文によれば地は東京都江戸川区・居住地は東京都。 家賃は7万円 (共益費込みで約10万1,000円)で 、1991年秋に家賃を滞納して以降は母親が代わりに振り込んでいた。 部屋には家具はほとんどなかったが「男1人暮らしの割にはきれいに片付いていた」状態だった。 なお、実名・イニシャルを掲載している一部文献で実名の漢字が誤読され読みが「S・M」となっている文献があるが正しくは「S・T」である(を参照)。 後の獄中生活により体重は120 kgを超え 、弁護人・はその体格を「自分の体の横幅を2つぐらい並べたほどの大きな体格」と表現した。 安田はSについて「あれだけ体が大きければ死刑執行の際にも刑務官はSの体を死刑台の上に持ち上げられないだろうし、絞首刑執行用の絞縄もその体重に耐えられないだろう」と考えたため、Sに対し「死刑執行回避のために体を大きくしろ」と提案していたが 、死刑執行後(2018年1月25日)に開かれた死刑執行抗議集会で 「体重に耐えられるほどの絞縄を用意した上で予行練習を周到に行って死刑執行に臨んだのだろう。 国家による周到な用意の元に実行された計画的な殺人だ」と批判した。 Sの母方の祖父Xは生まれつき視力が弱かったために兵役を免除され、直後の青年時代に東京都(土手沿い)でウナギの卸売業を興して周囲から「仕事の鬼」と呼ばれるほど猛烈に働き続けて事業を順調に拡大し、千葉県市川市・東部を中心に10軒近くの鰻屋を構える鰻屋チェーン店のオーナーとなった成功者だった。 チンピラと一緒だ」と快く思っておらず結婚に猛反対した。 しかし2人は駆け落ち同然で結婚して松戸市内にあったZの実家に新婚所帯を構え、なお結婚に反対していたXに初孫として産まれたSの顔を見せに行くと、祖父となったXは不本意ながらも結婚を認めた。 Yは息子Sが歩けるようになった直後からスイミングスクールに通わせ、小学校入学後からはピアノ・英会話を習わせた。 松戸市立和名ヶ谷小学校。 当時小学2年生。 祖父Xの援助で購入した高級マンションで、有名企業の社員・医者・実業家など高額所得者が多数在住していた。 (サラ金)だけでなくにまで手を出すようになったため 、借金は約3億円に上り 、• 浮気を責めた妻Yを殴る蹴るなど。 やがて夫ZからのDVでストレスを溜め込んだ母親YもSを虐待するようになった。 「何時間も正座をさせる」「食事を与えない」「徹底した無視」「真冬の夜中に外に放り出す」など。 一方で祖父Xや祖母はSをかなり寵愛していたため、Sは毎週末のように祖父X宅に泊まっていたほか、Xを「いつも怖いだけの父親とは違う、お金持ちで頼りになる働き者。 自分も祖父のように強くて立派な大人になりたい」と心から尊敬していた。 エホバの証人は過激なほどの徹底的な純粋性からキリスト教内部でも異端視されていたが、Sは「愛と平和を高らかに説く教え」に魅了された上、常に自分を温かく出迎えてくれては丁寧に教義を教えてくれた信者一家のことも気に入っており「聖書の教えを真剣に学べばいつか自分の両親もわかってくれる。 彼(この友人)の家のように『笑顔の絶えない平和な家になる』」と信じていた。 Sは永瀬宛の手紙で両親・祖父を忌み嫌い激しい言葉で非難していた一方、この友人やその家族に対しては「別人のように思えるほど優しく柔らかい描写」をしており 、エホバの教義を学んでいた日々について「(獄中生活を送るようになった現在も)無駄だったとは思っていないが、中途半端なまま引き離されてしまったことが惜しい。 純粋に神を信仰・崇拝していた当時の気持ちを踏みにじられなければ後の『神をも恐れぬ所業の数々』も少しは抑えることができたのではないか?と思った」と述べている。 永瀬宛の手紙でSは父Zに聖書を破られたことを「聖書・経典を破られたことは『神に背く裏切り行為』。 信者なら誰でも気が狂うほどの大罪だ」と述べた。 後にSは非行を繰り返していた中学時代に「自分は何のために生きているのか?」と考えた末に再びキリスト教に帰依しようとしたが、このころには既に「神に祈っても幸せにはなれない」と考えるようになっており、教会通いもすぐにやめた。 母Yは1983年3月に父Zと調停離婚してSとその弟の親権を引き取るとともにイニシャル「S」姓に復氏した。 当時は両親の離婚後に改姓していたことを周囲から好奇の目で見られ、転校先の担任教師が電話連絡網を作るためにクラス全員の前でSから電話番号を聞いた際、Sが「電話はうちにはありません」と答えてクラスメートばかりか担任にまで大笑いされた。 Sは『東京新聞』記者・瀬口晴義宛の手紙で「義務教育の9年間は一度も無邪気にはしゃいだ記憶がなく、尊敬できる先生にも出会えなかった。 小学校高学年時代はいじめを受け痣だらけにされて過ごした辛い時期だった。 人生をやり直すならそれより前まで戻らないと同じことをしてしまうと思う」と述べている。 Yは2人の息子とともにしばらく祖父X宅に身を寄せたが 、Sを溺愛しておりSからも慕われていた祖父Xも全財産を吐き出してZの莫大な借金を清算せざるを得なかったために業を煮やし、娘Yに絶縁を言い渡したため、SもX宅を訪ねることはできなくなった。 その一方で「不良のレッテルを張られると損をする」と考えていたため、地元ではおとなしい真面目な少年を装っており 、中学時代に住んでいたアパートの大家夫妻は「無駄口をたたくことがない礼儀正しい子供。 弟思いで本当にできた長男」という印象を抱いていた。 不良仲間たちの誘いに乗った理由は「他人に必要とされることが何より心地よかった」ためだった。 また、母親Yが家庭崩壊の元凶となった父親Zを「教育のため」と称して自分や弟たちに逢わせるようになったこともSの反抗的な態度を強める要因となったが 、Sは年齢を重ねるにつれてその忌み嫌っていた父親Zに似るようになったことを自覚し、それについても嫌悪感を抱いていた。 しかし、祖父Xの鰻屋で働いていたころにXから将来を心配され「お前は顔も声もZに近くなってきた。 このままだとあいつのようになってしまうぞ」と諫められた際には意に介していなかった。 高校受験を控えた中学3年生時には学習塾に通い「野球が強くて大学進学率も悪くない普通高校」を志願していたが 、志願していた・はいずれも不合格に終わったため、祖父Xの援助を得て堀越高校に入学した。 を目指していたが を志願したが、同校野球部の練習用グラウンドは 遠方の内にあったため 「通いきれない」という理由で断念し軟式野球部に入らざるを得なかったほか、学級のレベルも低く感じられたことなどから次第に高校生活に対する意欲を失い、繁華街を徘徊するなど不登校状態になっていった。 2年生進級直後に他校生徒への恐喝事件への関与が発覚したため停学処分になったが、自宅待機を命じられたにも拘らず無断外出・外泊を繰り返していたため、母親Yが高校側に退学を申し入れた。 働き始めた動機は将来を真剣に考えた末の決断ではなく「祖父Xの猛烈な働きようを見て『仕事はそんなに面白いものなのか?』と興味を覚えたから」に過ぎず 、親類からすれば働きようは「手伝いの真似事」程度でしかなかった。 また夕方過ぎからの出勤・無断欠勤も多く 、「タレを扱う仕事は汚い」と嫌がり、店の備品を足蹴にしたり猫を放り投げるなどした。 祖父Xを失明させる事件の1か月前(1989年12月ごろ)に店の金庫から6万円がなくなる事件があり、その事件でXから疑われたことでXを失明させる事件を起こした。 また1992年2月上旬には夜間に店のドアを破って侵入し、売上金の現金120万円を盗んだ。 Sの足の親指がXの眼球に突き刺さり 、Xは水晶体脱臼・硝子体出血の傷害を負い へ約2か月間入院した。 祖父Xは親交のある信用金庫職員・商工会関係者から「面倒を見てほしい」と頼まれ、少年鑑別所・少年院収容歴のある者や暴走族現役メンバーのほか、暴力団事務所に出入りしていた者も雇っていた。 高校入学後から以前に増して家庭内暴力が深刻化したため、母親Yは「Sに個室を与えれば収まるはず」と考えて一人部屋を与えたが、Sはさらに増長したためその目論見は裏目に出た。 母Yは耐え切れずにSを連れて警視庁の少年相談室へ相談に赴くなどした一方 、Sがトラブルを起こす度に、怪我をした相手の家に謝りに行き治療費・見舞金を払うなどしていた。 たばこは1日にラーク5箱程度を常用していたほか、酒はウイスキーを特に好み、ボトル半分程度を適量としていた。 また鰻屋の仕事を辞めてからは不良仲間たちとともに・・などさまざまな薬物を乱用するようになった。 後に著者(永瀬本人)と面会した際に「他人の血を見ることは興奮する。 暴力をふるううちに相手が弱り、自分に従うようになる姿は勝利の象徴だった」 「ひとたび強烈な傷害事件・強姦を成功させたことで変な自信を持ち『もう一度やってみよう』とエスカレートした」と述べている。 1990年9月に母Yが80万円で購入したオートバイで交通事故を起こし、肋骨8本を骨折して以降は治療が長引くうちに怠け癖がつき仕事を休みがちになった。 中学2年生だった(昭和61年)に同年齢の少女(中毒でほかにも複数の少年と関係を持っていた)と「愛情などなく性的快楽を得るためだけ」の性行為を経験し 、後に中学の同級生と交際するようになるまではとして関係を続けていた。 少女は当初自分の父親に対し「Sとは真剣に付き合っている。 彼はそんな悪い人じゃない」と弁明していたが、やがて父親の説得を聞き入れてSを遠ざけるようになり、これに激怒したSが少女宅に押し掛けたため、少女の両親は娘を親戚宅に預けた。 Sは永瀬宛の手紙で「交際相手の少女はとても寛容で、当時喧嘩に明け暮れていた自分をありのまま受け入れてくれたおかげで『本音をぶつけ合える相手』とともに平和に暮らしていた。 それなのに彼女の両親が『Sが娘に財布から金を盗ませるなどして誑し込み、弄んでいる』と因縁をつけて仲を引き裂いたせいで、殺伐とした世界に逆戻りさせられた。 『一応は彼女の親だから』という理由だけで躊躇したが、今思えば『あの時に感情に任せて彼女の両親を殺しておいた方がよかった』と後悔すらしている。 そうすれば(後の一家殺害事件のような)無関係な人間ではなく『正当な理由・動機付けのある殺人』で済んでいたはずだ」と述べている。 美容師・フリーターの女性と同棲を経験したが、Sによる暴力が原因でいずれも1,2か月で別れていた。 「東南アジア最大のスラム街」とされるマニラ近郊地区出身だった。 それ以前にもSは女性から結婚を持ちかけられたが、当時は「長期滞在が目的だろう」と考えて断っていた。 しかし女性の必死の懇願に折れたことに加え「彼女は家事が上手くできる上に自分に尽くしてくれる。 一緒に生活したら楽しいかもしれない」と考えて結婚を決意したが、母Y・父Zともに猛反対したため、両親の反対を押し切り1人で結婚手続きを取った。 Sは英字新聞を購読しており、取り調べに対し「英語・は不自由なく話せる」と供述していた。 永瀬 2004 は「1992年1月ごろに女性の妊娠が判明したが、女性は言葉が通じにくい日本の産婦人科を嫌がり『マニラの母親の下で産みたい』と訴えたため、1月26日にフィリピンへ帰国した」と述べているが 、女性の母親は永瀬の取材に対し「娘は妊娠していなかった」と答えている。 現場マンションは(現:)から南東約2 km に位置し 、に面していた(付近)。 千葉地裁で可能な限り公判を傍聴してきた被害者Aの元同僚は被告人Sに死刑判決が言い渡された直後、『千葉日報』記者の取材に対し「Aは仕事熱心でいい人だった。 小さい子(次女E)まで殺した被告人Sを許せない。 極刑にしてもらいたい」と怒りを露わにしていた。 夫婦仲は良好で、近隣住民は『読売新聞』記者の取材に対し「夫婦揃ってカメラボックスを抱えて事務所に出入りする姿を見ていた」と証言した。 母Dを目の前で殺害された直後に1回 ・父Aを殺害されSにラブホテルに連れ込まれた際に2回。 『読売新聞』は「Dは前夫との娘Bとともに出身地・熊本から市川市に転居して行徳駅前のマンションに部屋を借り写真の勉強をしていた」と報道している。 同居開始前後からは東京都で編集プロダクション会社を経営していた。 Dが第一子(後の次女Eとは別)を妊娠した際、夫Aは「子供は何人いてもいい。 立派な子供を産んでほしい」と喜んでいた。 Dは雑誌会社で「中村小夜子」のペンネームを用いて活動し フリーランスのライターとして料理雑誌などのコラムなどを担当していたほか 、幼いEを連れて取材に出たこともあった。 保育園の職員は事件直後、Eについては同じ保育園に通っていた園児たちに対し事件のことを伏せ「遠くに引っ越した」と伝えた。 事件1年前の1991年2月に自動車学校の合宿講習で運転免許証を取得、翌月(1991年3月)に母親Yの援助を得て433万円余りでクラウンを購入した。 ローンは4年間48回払いで、頭金50万円はそれまで乗っていた400 ccのバイクを売却した上でアルバイトで貯めた金を足して払ったが、ローンの支払いが遅れると母親Yが代わりに払っていた。 トランクの中には常に暴力事件で凶器として使用した鉄筋を柄に滑り止めのテープを巻いた上で3, 4本隠し持っていた。 Sは後述のように暴力団組員から200万円を要求されていたため 、『』()はこの点に関して「Sは『自分の車を売ればそれなりの金は工面できる』とは考えず盗みに走った結果一家4人を殺害することとなった」と報道した。 『週刊文春』ではこの110万円窃盗事件に関して「1992年2月上旬にXの鰻屋から売上金120万円をかっぱらったほか、同月下旬には親類宅に合い鍵で侵入して従兄弟(当時高校3年生)の大学進学準備金110万円を盗んだ。 親類は合い鍵で侵入されたことから『犯人はSに間違いない』と確信して所轄警察署に被害届を出したほか、Xも弁護士を帯同して千葉県警に『Sが犯人だ』としたが取り合ってもらえなかった」と報道しており、後述の親戚は事件後に同誌記者の取材に対し「この事件の時点でSを社会から隔離し拘束していればこんな凶悪犯罪は起きなかったかもしれない」と証言している。 永瀬 2004 は「Sはこの時にそれまでの鬱屈した気分が晴れ、『強姦は性欲の解消以上に(自分に)優越感・自信を与えてくれる』『セックスと暴力は繋がっている』と思った」と述べている。 また本事件で逮捕された後にこの強姦事件についても取り調べられたが、その当時は「どうせ捕まって同じ罪(強姦罪)になるなら学生時代に好きだった女の子を強姦しておけば本望なので納得できた」などと考えていた。 丸山 2010 は「Sは『(Bを)このまま帰すのはもったいない。 強姦してやろう』と考えた」と述べている。 また、この時にはBの自転車と衝突する前から割れていた車の窓ガラスについて「お前が割った」と言いがかりをつけている。 『フライデー』によれば当時Bは特に深刻そうな様子ではなく「身分証明書を見られた」などとは話していなかったほか、顔の傷に関しては別の友人に対し「高校で先輩にやられた」と話して友人たちから「負けずにやり返してしまえ」とけしかけられていた。 また、Sに切り付けられたBの頬の傷跡は第一審判決時点でも完治していなかった。 当時は平日の夕方近くだったが、SはB宅に入室するまで誰ともすれ違わなかった。 永瀬 2004 は「Sは当時『仮に誰かがいたとしても、それがB以外だったら彼女の知人のふりでもしておけばいい』と考えた」と述べている。 Sは永瀬宛の手紙で「今思えば預金通帳ならまだしも、ほんのわずかな現金を奪う目的で被害者一家に執拗にこだわり、自分の一生を捨ててまで犯行を成し遂げる価値があったとは思えない」と述べている。 Sは永瀬宛の手紙で「『年寄り1人が相手なら力で負けることはない』と短絡的思考を抱いていた」と述べている。 永瀬 2004 は当時のSの心境について「『少し痛い目に遭わせて力関係をわからせてやろう』と考えた」と述べている。 被害者Cの遺体の頸部には首の周りを一周する索溝が形成され、舌骨が左大角の中央部・右大角の中央部において骨折していたほか、右大角付着部においては広く出血を伴い、さらに甲状軟骨の左上角も骨折し、広く周辺に出血を伴っていた。 重度のだったSはCからかけられた唾液を汚らしく思い 、洗面所で頭・顔・首・手を何度も洗ったが 、「生まれて初めて人を殺めてしまった」という実感よりも「唾液を吐きつけたCに対する怒りや嫌悪感」の方が強かった。 予備のジュースを購入したのは「長期戦を覚悟して」のものだった。 その後、SはA・D夫妻の会社へ赴く前に室内を物色して小銭類を収集し、いつでも持ち去ることができるようにビニール袋に入れていた。 この包丁はその長さに加えて先端が鋭く尖っていたことから「十分な殺傷能力を有する物」だった。 Sは当時のDの態度を「何も持っていなかったら噛み付かれそうなぐらいの勢いだった」と回顧している。 創洞の長さは約4. 6 - 11. 3 cmに達し、左肩甲部3か所の刺創(刺し傷)は左肺に達していた。 また司法解剖時の所見によれば遺体の左胸腔内には凝血を含む血液約1200 ccが入っていた。 Sは後に捜査段階でEを刺殺した動機を「前夜テレビの前に座らせたらおとなしくじっと見ていたため、そのままにしておいたら眠った。 しかし自分がBとともに明け方に戻ってきたら泣きわめいていたので殺した」と供述した。 少女Bは当時、母親Dが目の前で刺されたのを見て極度に畏怖し、抵抗不能な状態に陥っていた。 Aは左肩甲下部を1回刺されたことにより左肺下葉を貫通し左肺上葉を損傷する創洞の長さ約15. 8 cmの刺創(十分致命傷になる刺し傷)を負った。 また長女Bは捜査段階において当時のAの様子について「床上に横たわり、起き上がろうとしても起き上がれない状態で苦しそうな様子」と述べていた。 Sは永瀬宛の手紙でAを刺した当時の感触を「人間の体は自分の予想以上に簡単に力が入っていった。 むしろ『鰻を捌く時の方が力が要る』と思った」と述べている。 郵便貯金総合通帳1冊(額面257万6,055円)および銀行総合口座通帳1冊(額面103万1,737円)。 司法解剖を担当した鑑定人・木内政寛は当時の被害者Aについて「ほとんど運動能力はなく瀕死状態で、立ち上がることはおろか会話することもできない状態だった」と推定した。 この時の刺創(刺し傷)は創洞の長さ約12. 7 cmで、左肺を貫通・損傷して心嚢・大動脈をも刺切するもので、身体の最枢要部分に1回目の刺創よりさらに重篤な損傷を生じさせるものだった。 ビル2階。 この時のSの態度は「他人の目を欺こうとした」ためとされ 、当時留守番をしていた知人従業員も「SがBの名前を呼ぶ声から『2人は友人だ』と思い込み、その時点では疑いを持たなかった」と証言している。 妹Eを刺殺する前後、Sは現場806号室から友人に電話を入れ「取り留めもない話」に興じていた。 遺体の傷は「右肩甲下部に刺乳創を形成し、右第六肋間・第七肋骨上縁を損傷して右肺の下葉・中葉・上葉を貫通し、更に胸郭前面で右第三肋骨・第三肋間を損傷して右胸部の刺出口に至る貫通刺創を形成し、創洞の長さは約12. 3 cmで、胸腔内には凝血を含む血液約200 ccを貯留していた」ほどの重篤な傷害だった。 この前後、Bは高校で同じクラブに入っていた近所に住む同級生の少女宅に「今日は休む。 部室の鍵を持っていけなくてごめんね」と電話していた。 Aは居間、Dは6畳の和室、EはDが死んでいた和室の隣の6畳の洋室、CはEとは別の7畳の洋室。 永瀬 2004 によればSはこの時「俺に殺されたいか、それとも一緒についてくるか」とBを脅迫して包丁を持たせようとしたが、Bは放心状態のまま床に座り込んで動かなかった。 また、この時Bに握らせた包丁は検察官による冒頭陳述で「家族3人を刺殺し、3人の血液が付着した凶器の包丁」とされている。 Sはその際に「俺はやっていない」と叫んでいた。 千葉県警広報課は事件当時、『朝日新聞』記者の取材に対し「県内で一般の家族4人が殺されたケースはいずれも(前)からなどに限られており、近年では例がない」と証言した。 なお県警の「被疑者Sが被害者B宅を狙った理由」に関する発表内容は当初「今月2月中旬、SがBを車に連れ込んで乱暴した際に住所・電話番号を聞き出した」というものだったが、その後「脅して身分証明書を奪った」というものに変わった。 事件解決後に『読売新聞』・『千葉日報』はそれぞれ3月11日付朝刊で「Sは警察官が踏み込んだ直後に逃走を図ったが、ナイフを所持していたため銃刀法違反容疑で現行犯逮捕され、署に連行された」と報道した。 10時30分になって千葉県警本部(千葉市中央区)の記者クラブに「市川市内のマンション一室で9時ごろ、家族4人が死亡しているのが発見された」と第一報が伝えられたが、捜査本部の取り調べに対しSは「Bとは昔からの友人」と虚偽の供述をした一方、完全な被害者であったBはショックで何も話せない状態だったため、捜査本部はSの供述通り「2人は友人」と判断した上でマスメディアに向けて発表した。 『朝日新聞』は後の検証記事で当時の状況について「県警からの発表を受けて『長女(B)も事件に関与か』という予断を持ったまま、午後から現場マンションで住民への聞き取り取材を開始したが、『夫婦仲は良かった。 長女Bは普通の女の子』という予断とは異なる回答が返ってきた。 しかし結果的には、『長女(B)の男女関係はどうか、素行はどうだったのか』という(県警発表に基づく)予断に基づいた質問に終始してしまった」と述べている。 この時に「強盗殺人容疑で少年Sの逮捕状を請求する予定だ」と説明されたが、逮捕状請求前の段階で逮捕が発表されることは異例の措置だった。 捜査幹部の1人は事件解決後に『朝日新聞』記者の取材に対し「2人が無関係と分かってからは逮捕前にその事実を発表するなど、報道陣に誤解を与えないように発表することを心がけたが、県警にも予断があったことは認めざるを得ない」と述べた。 同番組プロデューサー・は『朝日新聞』記者の取材に対し「今回はBを匿名で報道すべきケースだったが、VTRの編集で消し忘れた」と回答したが、他局プロデューサーは「編集の時間が足りないことはあっても、インタビューを撮る前に相手に対し『仮名で呼ぶので実名を言わないようにしてください』と念を押すなどの工夫が必要だ」と指摘した。 永瀬宛の手紙では「もし当時20歳だったら本事件(およびそのきっかけとなった傷害・強姦事件を含め)このような犯罪を犯すことはなかっただろう」と述べている。 また『東京新聞』記者・瀬口晴義宛の手紙では「犯行当時は少年法など熟知しておらず、法律など眼中にない衝動的な犯行だった。 もし少年法や死刑などについて考えながら事件を起こしていたなら、指紋が残らないように軍手をはめるなどしている」と述べている。 実際にはSに限らずらの死刑囚13人・()、()、宅間守()・加藤智大()など過去に殺人前科のない初犯で死刑が確定した死刑囚は多数存在する。 「永山基準」が示されて以降「殺害された被害者が1人でかつ無期懲役刑に処された前科がない場合」でも(殺人前科なし)・(殺人前科はあるが有期懲役)など最高裁で死刑が確定したケースが存在する。 コンクリート事件の約1年前(1988年2月)に発生したでは第一審(1989年6月・)で事件当時19歳少年に死刑・17歳少年にも(死刑相当の)無期懲役といった極刑が宣告されていた(最終的には両者とも無期懲役が確定)。 しかしSは永瀬宛の手紙では同事件について言及していない。 は著書『生身の暴力論』()にて「本事件の前後(1980年代後半から1990年代前半)にかけてはコンクリート事件(1988年11月 - 1989年1月発生)・(1988年2月発生)、(1994年9月 - 10月発生)など『想像を絶するようなあまりにも残虐な凶悪少年犯罪』が集中して発生した」と述べた。 千葉地検次席検事・甲斐中辰夫は『千葉日報』記者の取材に対し、その理由を「『被疑者Sの精神状態に異常がある』とは考えていないが、本事件の凶悪性・残虐性など事件内容を考慮して慎重を期した。 今後、被疑者Sの犯行当時の精神・心理状態や刑事責任能力の有無を分析する」と説明した。 なお当初の鑑定留置期間は90日間(1992年6月25日まで)の予定だったが 、千葉地検は1992年6月16日までに「鑑定期限を1992年9月上旬まで延長する」と申請した。 小田の精神鑑定に先んじて加害者Sに対し2度の精神診断が行われたが、心身鑑別の際に健康診査を担当した医師・今津清はSについて「精神分裂病の罹患は否定でき、薬物乱用による精神病やそれに等価の状態は認められないが、爆発的・惰性欠如および意志の持続性欠如を要素とする人格障害が認められる」という趣旨の判断を下した。 また捜査段階では医師・原淳が簡易鑑定を担当したが、原もSについて「意識清明で知能低下は認められず、感情の表出・疎通性も比較的良好だが、意志欠如・軽佻・抑鬱・情性希薄・気分易変などを呈する。 これが性格異常に基づくものなら情性欠如型・意志欠如型・爆発性精神病質で完全責任能力が認められるが、Sは高校中退直後から性格変化を来しており、精神分裂病の欠陥状態・前駆状態および同疾患の辺縁型当の疑いもなくはなく、さらにより詳細な鑑定が必要だ」と診断し、小田は原の診断結果を踏まえて精神鑑定を行った。 小田は精神鑑定の結果、加害者Sについて「正常な知能を有する反社会性人格障害の診断基準にほぼ合致する爆発性・冷情性精神病質者だが、犯行当時も現在も精神病またはそれに等価の状態に陥ってはおらず、器質的精神障害の存在も認められない。 意識状態は終始清明だった。 よって犯行当時は事理を弁識し、その弁識に従って行動する能力は喪失しておらず、その能力が著しく障害された状態とも認められない」と結論付けた。 逆送致の理由は「事件は社会を震撼させて世間に多大な影響を与えた。 被疑者Sは成人に近い年長者であるため、刑事罰を加えることにより規範意識を覚醒させることが必要だ」というものだった。 祖母Cが被告人Sへの咄嗟の抵抗としてSの顔に唾を吐きかけたことに対し、被告人Sが逆上したことで誘発された「偶発的犯行」と認定され 、Cへの強盗殺人罪についてのみ死刑ではなく無期懲役刑が適用された。 「Sは捜査段階・公判において一貫して『Cが抵抗しなくなるまで首を力の限り絞め続け、脈を調べてその死亡を確認するなどの行動を取っていた』ことを供述している。 公判でも『Cを殺してしまおうという気持ちがあったと思う』など、殺意の存在を認める趣旨の供述をしている」として確定的殺意の存在を認定した。 また、量刑理由でもCがSの顔面に唾を吐きかけたことに関して「Cはこの時Sに突き飛ばされたことで重傷を負っていたため、せめてもの抵抗として顔面に唾を吐きかけたことも理解できなくはなく、これだけの理由で『Cが危難を自ら招いた』とのみ評価することはできない」と事実認定した。 検察官は妹Eについて「Sは事件現場でC・D・Aを順次殺害して金品を強取し、その後でAの会社から預金通帳などを奪うためにいったん現場を離れたが、それは現場に再び戻ることを予定しての行動だ。 現にそれ以前に発見・収集し、ビニール製手提げ袋に入れておいた小銭類を現場に残していたため、一時現場を立ち去ったことを『強盗の現場を離脱した』と解釈することはできず、むしろ犯行を完遂するために現場に戻ったものにほかならない。 強盗殺人などの犯行が発覚することを阻止するためにEを殺害したことなどを見れば、E殺害も強盗の機会になされたもので、強盗殺人罪が成立する」と主張した。 被害者Cについて弁護人は「SにはCに対する確定的殺意は認められず、唾を吐きつけられたことに激怒して冷静さを失いとっさに首を絞めた。 この時『Cが死亡するかどうか』について考える余裕は全くなく、せいぜい『死ぬかもしれない』という未必的殺意があったにすぎない」と主張して確定的殺意の存在を否認した。 「刃物で突き刺すことでDが死亡することを認識・予見しながら、単に犯行の通報などを阻止するにとどまらず、進んで金品を強取する目的で敢えて刺突行為に及んだ。 無抵抗になったDを数回鋭利な包丁で突き刺し、刺されたDが大量に出血して苦しむ姿を見ても何ら救命措置を講じておらず、その後もDが既にいないことを前提に行動していた」として「被害者Dの死を意欲していた(=確定的殺意があった)とまでは認められないが、死に至る危険性は十分に認識・予見していたため、未必の殺意が認められる」と事実認定した。 冒頭陳述では「逃げ出されると思い刺した」と主張し、殺意だけでなく「金品強取の目的」も否定した。 弁護人は「Dへの刺突行為は金品強奪のための手段ではない」とも主張した。 最終弁論では父親Aと同じく強盗致死罪の成立を主張した。 Sは捜査段階ではDへの殺害行為に関して「Dが死亡するかもしれないとは思ったが、激情のまま敢えて意に介さず突き刺した」と供述したが 、公判では「Dが警察に通報するなどすることを防ぐために刺した。 当時は殺意までは持っておらず、突き刺すことによってDが死亡することも予見していなかった」と主張した。 また精神鑑定の際、この時にDのみを刺した理由に関してSは「Dは『頭が働くずる賢そうな人』のようなタイプだったので『伊達に年を取っていないから知恵が働くだろう』と思ったから」と述べた。 Aへの殺害行為については「十分な殺傷能力を有した柳刃包丁を使い、瀕死状態のAを敢えて再び刺突した。 その後Aの安否を心配した様子はなく、捜査段階でも(妻Dと同じく)『被害者が死亡するかもしれないことを認識しながら激情の赴くままに敢えて意に介することなく突き刺した』と供述しているため、被害者Aへの確定的な殺意が認められる」と事実認定した。 またEへの殺害行為に関しても「十分な殺傷能力を有する包丁を用い、刃先がEの身体を突き抜けるほどの強さでEの身体を突き刺し、Bに『首を絞めるとかして妹を楽にさせてやれよ』などと言い放ったことに加え、公判でも「刺した時には『もう死んでしまっても仕方ない』と思った」と供述したことなどに照らし「Eの泣き声などにより、一連の犯行が露呈することを恐れて確定的殺意を有した上でEを殺害した」と認定した。 弁護人は「殺意はないため強盗殺人罪ではなく強盗致死罪が成立するにすぎない」と主張した上、被告人S自身も「柳刃包丁で突き刺した時は「Aが死ぬかもしれない」とまでは考えなかった」と主張した。 弁護人はEの殺害について「朝起きて騒ぎ始めたので、事件の発覚を恐れて驚いて刺した。 強盗目的もない」と単純殺人罪を主張した。 千葉地裁は「Bが両親の会社から持ってきた通帳・印鑑を奪って以降はそれ以上金品を物色する行為に出ておらず、Bをラブホテルに連れ込み、806号室に戻ったのは会社に向かってから5時間近くが経過した6時30分ごろだった。 Sが前夜に収集してビニール袋に入れておいた小銭類はSが収集した時点で既にSに移転していたため、強盗殺人行為は遅くとも(小銭類の強取を含め)「会社の通帳・印鑑を奪った時点」ですべて終了したものとみるべきである。 よって被告人SはC・B・A各被害者に対する各強盗殺人の行為が終了した後、それとは別の機会に一連の犯行の発覚を阻止するという動機から新たな犯意に基づいて被害者Eを殺害したことが認められる」として「別個独立の殺人罪を構成する」と認定し、被告人Sの弁護人の主張を認め強盗殺人罪ではなく単純殺人罪を適用した。 罪状認否に先立ち弁護人は、検察側に対し「起訴状に記載されている殺意は、確定的殺意か未必的殺意か」と説明を求めたが、検察官は「立証段階で明らかにする」と回答した。 同月21日に検察側の論告求刑公判を行う予定だった。 起訴前に検察側の依頼で行われた小田の鑑定と異なり、福島の鑑定は被告人Sの矯正可能性に重点を置いた点が特徴だった。 精神鑑定を担当した福島は、被告人Sと直接面接した際の印象について「率直で正直な態度で、素朴な好青年と感じた」と表現した上で「被告人Sは事件について強い後悔・羞恥心を持ち、被害者に対する哀悼の気持ちを抱いていると感じた」と評価した。 千葉地裁 1994 は「その察するに余りある精神的衝撃の一端を窺わせる供述」と認定している。 本文で述べた通り論告求刑公判は最初の予定では1993年6月21日だったが 、1994年2月23日 、同年3月14日 、そして同年4月4日と結果的に3度にわたり予定が変更された。 弁護人は「小田は精神鑑定前から『死刑を適用すべき』と言及するなど偏見があり、その鑑定結果は信憑性がない」と主張した。 「死刑制度の是非を問う社会的な潮流がある」ことを主張するために証拠として提出した。 同連盟(会長:)は死刑判決が言い渡された際、事務局長名義で「少年法の精神に則り『被告人の今後の生きるべき指針となる判決』を期待したが、死刑判決には失望を禁じ得ない。 この判決を機に被害者遺族への補填・救済の在り方を見直すとともに、死刑存廃問題について真正面からの議論を期待したい。 そのために死刑に関する情報を公開し死刑執行を一定期間停止するを制定すべきだ」と声明を発表した。 『読売新聞』は「死刑事件では初めて死刑制度を巡る国内外の議論について言及した」と報道している。 安田は当時の被告人(第一審で死刑判決を受け控訴中、後に無期懲役が確定)の主任弁護人を務めており 、後に本事件上告審・再審請求審で本事件の被告人・死刑囚Sの弁護人を務めた。 「被告人Sの犯行当時の精神年齢は18歳未満で、少年法の精神に照らせば死刑を適用することはできない」と主張していた。 神田は退官後の2008年に『毎日新聞』の記者から取材を受け「人命が奪われるのだから(死刑でよかったとは思わない。 被告人Sに憎しみは持たないし、持ってはいけないと思う」と述べている。 、(被告人3人中2人)、といった死刑が確定した少年事件でも下級審(第一審・控訴審)では無期懲役判決が言い渡されていた。 永山事件以降(および平成)に発生した少年犯罪では「第一審から上告審まで一貫して死刑判決が支持されて確定した事件」は(平成28年)にの最高裁判決(一・二審の死刑判決を支持)が言い渡されるまで本事件のみだった。 この住職はSの母親らから説得を受けてSと交流するようになった。 住職は死刑執行翌日(2017年12月20日)に死刑囚Sの供養を行ったが戒名は与えなかった。 2016年時点では「死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム'90」(フォーラム90)が実施している。 Sの死刑確定以降には2002年5月10日 、2003年5月末 、2004年7月末 、2005年7月31日と 、「死刑廃止の会」が計4回にわたり確定死刑囚について調査を行ったが、いずれもSについて再審請求をした旨の記述はない。 当時、新証拠として挙げたものは「(確定判決で問題となった)上智大学教授・福島章の精神鑑定結果」「死刑囚Sの成育歴・脳のMRI検査結果を考慮して再度行った精神鑑定結果」であった。 安田は死刑執行後に「月命日には被害者4人への謝罪の祈りをして冥福を祈っていた。 Sの獄中生活の長さ(逮捕 - 死刑執行まで25年)を考えればもう生き直したも同然だから死刑執行の是非を再検討する機会があっても良かったはずだ」と述べている。 一場は上告審から弁護団に加わり、死刑確定後も再審請求担当の弁護人を務めていた。 Sが生前最後に一場と面会したのは2017年10月末で、一場は死刑執行直後に産経新聞などの取材に対し「死刑囚Sは死刑執行まで新聞をよく読んでいた」と述べている。 もう1人の死刑囚は1994年にで3人(交際女性とその両親)を殺害して殺人罪に問われ、1999年に最高裁で死刑が確定した死刑囚。 一場は死刑執行を受けて『中日新聞』の取材に対し「解離性障害の可能性から責任能力の有無を争って再審を請求していた」と証言したが 、法務省関係者は『読売新聞』の取材に対し「死刑囚Sは(過去に棄却された再審請求と)実質的に同じ理由で請求を繰り返していた」と証言した。 法務大臣の死刑執行命令により、に収監されていた長崎雨宿り殺人事件の死刑囚が処刑された。 翌2018年7月、のら死刑囚13人に対し「7月6日に麻原ら7人・26日に残る6人」と2度に分けて死刑が執行されたが、うち麻原を含む10人は再審請求中だったため、4回連続で「再審請求中の死刑囚に対する死刑執行」がなされた。 安田は同日、偶然用事のために東京拘置所に向かっていた中で死刑執行を知った。 実際、後に行われたオウム事件死刑囚13人に対する死刑執行においては・・(以上2018年7月6日に死刑執行) ・・・・(以上2018年7月26日に死刑執行)の計7人が死刑執行時点でへの第一次再審請求中、および東京地裁の請求棄却決定に対する東京高裁への即時抗告・最高裁への特別抗告中だった。 この時には理由を「面会か何か」と伝えられたとされる。 日弁連死刑廃止検討委員会事務局長・は『中日新聞』の取材に対し「犯行当時少年の場合は判断能力が成人より劣っている上、家庭環境・社会の影響も強く受けている。 事件の責任を個人に負わせるのは相当ではなく、死刑を執行すべきではない」「死刑確定者も『犯人性への疑い』だけでなく『責任能力の問題』『量刑不当』など様々な論点で再審を請求しているため、そのような人々から裁判で争う機会を奪うのは問題だ」と意見を述べた。 同会副会長・藤岡拓郎は『千葉日報』の取材に対し「死刑制度自体の問題・犯行当時少年に対する死刑執行への反対姿勢」を明確にした上で「死刑を執行すべきではなく極めて遺憾だ」と非難した。 東京に大使館を置く26加盟国・・大使館が共同でに対し「死刑は残酷かつ非人間的で犯罪抑止効果は全く証明されておらず、(裁判の)誤審も免れない」として死刑執行停止を促す声明を出した。 同誌は1992年3月19日号・3月26日号と2週連続で組まれた特集記事でSを「牧和雄」の仮名で報じ 、後者でSの生い立ち・少年時代の自画像、中学時代の卒業文集などを掲載した。 の上告審判決(2011年3月10日)に関する報道が同方針の初適用例となった。 その際は『読売新聞』・『産経新聞』・『日本経済新聞』の3紙および各テレビ局も『朝日新聞』と同様の対応を取った一方、全国メディアで唯一『毎日新聞』は死刑確定時点でも匿名報道を継続した。 それ以降の少年死刑事件である・両事件でも各メディアは各々の対応を踏襲している。 死刑が確定すると面会は親族・弁護士に限定され、外部の人間との接触は原則として不可能になる。 (東京拘置所)および長崎雨宿り殺人事件(福岡拘置所)の死刑囚で、後者は当時請求中だった。 永瀬から「Yから取材を拒否された」と伝えられた際には「Yがとんだ無礼を働いて申し訳ない。 Yは自分たちの置かれた立場を理解していない」と述べている。 永瀬との面会で「本当に生まれ変われると信じているのか?」と質問された際には「生まれ変われると信じている。 そう信じていないと目標がなくなる(自分の場合は判決は目標にならない)」と答えている。 この事故の直後に病院で検査をした際「転倒の衝撃で顎の骨が割れている」と判明したため、永瀬はその治療のために3週間入院し、その間は東京拘置所にも通えなかったが「側頭部・後頭部からではなく顎から倒れ、砕けた歯・顎がクッションになったから助かった。 『顎が割れた程度で済んでよかった』と思う」と回顧している。 退院後に再び東京拘置所へ通うようになった永瀬は最初の面会で被告人Sに「怪我と入院で面会に来られなかった」という旨を説明し、Sから「人間は健康第一ですから身体には気を付けてください」と労われた。 同書に対しては同業者のライター・編集者から「よく取材した」と好意的な意見もあったが「読後感が悪い」と否定的な声もあり、「今後のためにもっと建設的な仕事をした方がいい」とも指摘された。 その内容は「1991年10月、当時フィリピン滞在中だったSは結婚相手の女性の兄(義兄)とともにマニラのカラオケスナックに来ていたが、その場で現地の警察官を殴って拳銃を突き付けられた」という記述で 、永瀬がフィリピンでSの義兄に対し直接取材した事実を基に帰国後、Sと面会して直接確認した上で記述したものだったが 、Sは「もしフィリピンで警官に暴行など加えていたら自分は今ごろ現地の刑務所に入っている。 その警官が金をせびってくるやつがいたから『うるさい』と腕で振り払ったら拳銃を突き付けられただけだ。 義兄は永瀬のことを自分の身内とでも思っていただろう」と述べている。 永瀬からその暴言を咎められると一転して「もっと早くあなた(永瀬)に出会っていればよかった。 塀の外で会っていれば自分も変わっていたと思うが、自分にはあなたのように叱ってくれる人間がいなかった」と発言した。 「永瀬と面会できない理由」に関しては「死刑確定までの時間が限られているので平日はほぼ毎日、修道会の方・関係者の方々と交代で面会するスケジュールを組んでいるため」と説明されていた。 Sは弟について「自分とは正反対の人間」と述べており、実際にSの弟と対面した永瀬も彼に対しては同様の印象を抱いていた。 朝倉の取材を受けた鰻屋の同僚は「XはSに鰻屋を継がせようと思っていたなら『自分の孫と思わず、厳しく鍛えてやってくれ』と現場に手配りをすべきだったが、実際にはその逆だった。 しかしSは叱られた際はいつも素直で、一度ウナギを焼かせてやった時は一人前に扱ってもらえたことが嬉しかったのか、そのことをあちこちで吹聴していた。 だから、Sは自分がきちんと面倒を見て厳しく指導していればあのような事件を起こさずに済んだはずだ」と証言し、朝倉はその同僚を「相手が誰だろうと歯に衣を着せず、筋を通す姿勢が身についていた」と評している。 1990年代初期当時は死刑執行(死刑執行一時停止)期にあり、・・・と4代にわたり法務大臣による死刑執行命令が出されなかった。 1993年3月26日、(警察官僚出身)が「法秩序、国家の基本が揺らぐ」(国会答弁)として死刑執行命令を発したことにより、3人の死刑が執行されたことでこのモラトリアムは終わった。 出典 [ ] 出典• 183. , p. 148. 147. 2017年12月19日閲覧。 の2017-12-19時点におけるアーカイブ。 2017年12月19日閲覧。 の2017-12-19時点におけるアーカイブ。 「」『産経新聞』産業経済新聞社、2017年12月19日。 2017年12月19日閲覧。 の2017-12-19時点におけるアーカイブ。 147. 148. , p. , pp. 15-16. , pp. 18-19. , p. , pp. 17-20. , p. , pp. 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『中日新聞』1992年11月6日朝刊社会面31頁「一家4人殺害の19歳少年を起訴 千葉、公開法廷へ」(中日新聞社)• 『読売新聞』1992年11月6日東京朝刊社会面31頁「千葉・市川の一家4人殺し 19歳少年を起訴」(読売新聞東京本社)• , pp. 175-176. 『朝日新聞』1992年12月26日朝刊社会面23頁「2人について殺意を否認 市川市の『4人殺害』事件公判」(朝日新聞社)• 『産経新聞』1992年12月26日東京朝刊社会面「2人について殺意否認 千葉の4人殺し少年の初公判」(産経新聞東京本社)• 『読売新聞』1994年4月3日東京朝刊京葉版地方面24頁「市川市の会社役員一家4人殺害、あす求刑公判 当時19歳極刑求刑か 検察側『残酷で刑事責任大』」(読売新聞東京本社・京葉支局)• 『中日新聞』1994年4月5日朝刊第二社会面26頁「『少年』に死刑求刑 千葉地裁 一家4人強殺で検察側」(中日新聞社)• 『朝日新聞』1994年4月5日朝刊第一社会面31頁「検察、死刑を求刑 19歳少年の一家4人強盗殺人 千葉地裁」(朝日新聞社)• 『日本経済新聞』1994年4月5日朝刊社会面35頁「少年(当時)に死刑求刑 千葉・市川の一家4人殺害 検察『身勝手、残虐な犯行』」(日本経済新聞社)• 『読売新聞』1994年4月5日東京朝刊京葉版地方面24頁「市川の一家4人惨殺 当時19歳に死刑求刑 『一命をもって償うべきだ』 犯行厳しく糾弾 検察側 "死刑存廃"揺れる中」「『意外な求刑』と弁護側 『国際社会への挑戦』『攻撃性の矯正可能』」「"最悪事態"も予期?被告は頭を垂れたまま」(読売新聞東京本社・京葉支局)• , p. , pp. 186-187. 『中日新聞』1994年8月8日夕刊一面1頁「一家4人殺害事件 19歳少年(当時)に死刑判決 千葉地裁『犯行は残虐で冷酷』」(中日新聞社)• 『朝日新聞』1994年8月8日夕刊第一総合面1頁「犯行時19歳の被告に死刑 一家4人殺人 千葉地裁、罪刑の均衡重視」(朝日新聞社)• 『読売新聞』1994年8月9日東京朝刊京葉版地方面20頁「一家4人殺害死刑判決 深々頭、こわばる被告 傍聴の母、口を結び涙 住民言葉少な『思い出したくない』」(読売新聞東京本社・京葉支局)• 『産経新聞』1994年8月8日東京朝刊社会面「市川の一家4人殺害、求刑死刑にきょう判決 千葉地裁」(産経新聞東京本社)• 『産経新聞』1994年8月8日東京夕刊社会面「市川の一家4人殺害 19歳被告(犯行時)に死刑判決 少年に適用10人目」(産経新聞東京本社)• 『読売新聞』1994年8月8日東京夕刊一面1頁「犯行時19歳少年に死刑判決 市川の一家4人殺害 未成年、5年ぶり 千葉地裁」(読売新聞東京本社)• 『日本経済新聞』1994年8月8日夕刊一面1頁「少年(当時)に死刑判決 市川の一家4人殺害 千葉地裁『冷酷非道な犯行』」(日本経済新聞社)• 『産経新聞』1994年8月8日東京夕刊社会面「市川の一家4人殺害 『罪刑均衡の見地から』 残虐犯行に極刑の断」(産経新聞東京本社)• , p. , p. 187. 『朝日新聞』1994年8月9日朝刊第一社会面23頁「死刑判決受けた被告が東京高裁に控訴 市川の一家4人強殺事件」(朝日新聞社)• 『中日新聞』1994年8月9日朝刊第二社会面22頁「死刑判決の被告控訴」(中日新聞社)• 『読売新聞』1994年8月9日東京朝刊社会面23頁「千葉の一家4人殺害事件 死刑判決の被告が控訴」(読売新聞東京本社)• 『』2008年3月23日東京朝刊第二社会面30頁「正義のかたち:裁判官の告白/3 重荷背負う、死刑判決」()• 『産経新聞』1996年7月2日東京夕刊社会面「市川の一家4人殺害 当時少年、二審も死刑 東京高裁判決『罪の重大性から相当』」(産経新聞東京本社)• 『読売新聞』2001年3月6日東京朝刊第二社会面38頁「千葉・市川の一家4人殺害事件 最高裁、来月に弁論」(読売新聞東京本社)• 『朝日新聞』2001年3月6日朝刊第二社会面38頁「市川の殺害、来月弁論 最高裁」(朝日新聞社)• 『毎日新聞』2001年3月6日東京朝刊社会面31頁「千葉・少年の死刑事件 来月13日に弁論 最高裁」()• 『産経新聞』2001年3月6日東京朝刊社会面「市川の一家4人殺害 最高裁が4月に弁論」(産経新聞東京本社)• 『朝日新聞』2001年4月14日朝刊第二社会面38頁「最高裁で弁論 市川の一家殺害事件」(朝日新聞社)• 『』2001年4月14日朝刊第二社会面24頁「一家殺害上告審『幼児期の虐待影響』犯行時少年被告 弁護側、死刑回避訴える」()• 『毎日新聞』2001年4月14日朝刊社会面27頁「千葉・市川の一家殺害 死刑判決の元少年、最高裁で審理」(毎日新聞社)• , pp. 223-224. , pp. 224-225. 141. 『読売新聞』2001年11月14日東京朝刊京葉版地方面30頁「市川の一家4人殺害事件 上告審判決、12月3日に=千葉」(読売新聞東京本社・京葉支局)• 『産経新聞』2001年11月14日大阪朝刊社会面「来年3日に判決 市川の一家4人殺害上告審」(産経新聞大阪本社)• 『産経新聞』2001年11月14日東京朝刊社会面「来年3日に判決 市川の一家殺害上告審」(産経新聞東京本社)• , 主文. 『千葉日報』2001年12月4日朝刊社会面23頁「市川の一家4人殺害 後絶たぬ凶悪少年犯罪 死刑判決や厳罰化でも」(千葉日報社)• 『東京新聞』2001年12月4日朝刊第一社会面27頁「早く消えたい…自暴自棄にも 今は生き抜き罪あがないたい 僕の経験が反面教師になれば 『死刑確定』の当時19歳、心境赤裸々に 市川4人殺害 本紙に告白手記 今なおいえぬ遺族の心の傷」(中日新聞東京本社)• 『朝日新聞』2001年12月4日朝刊社会面33頁「『適用基準』改めて確認 市川の殺人、未成年の死刑確定<解説>」(朝日新聞社)• 『読売新聞』2001年12月4日東京朝刊第二社会面38頁「千葉・市川の一家4人殺害の元少年死刑 『冷酷、残虐』と極刑選択/最高裁」「3日の千葉・市川の一家4人殺害事件の判決要旨」(読売新聞東京本社)• 『産経新聞』2001年12月4日大阪朝刊一面1頁「一家4人殺害 当時、少年の死刑確定へ 永山元死刑囚以来 最高裁が上告棄却」(産経新聞大阪本社)• 『産経新聞』2001年12月4日大阪朝刊社会面「当時少年の死刑確定へ 『何をやったか考えて』 被害者の会『当然の判決』」(産経新聞大阪本社)• , 理由. 『中日新聞』2001年12月31日朝刊県内版14頁「【愛知県】事件ファイル2001(下) 連続リンチ殺人判決 木曽川・長良川事件 元少年のA KM 被告に死刑 3被告全員を検察側控訴 遺族の強い不満後押し」(中日新聞社 社会部記者・吉枝道生) - 大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件の関連記事• 『朝日新聞』2001年12月22日朝刊第二社会面30頁「市川の一家殺害で死刑判決が確定 最高裁、申し立て棄却」(朝日新聞社)• 『中日新聞』2001年12月22日夕刊社会面10頁「当時19歳の死刑確定」(中日新聞社)• 『日本経済新聞』2001年12月22日西部朝刊社会面17頁「当時少年の死刑確定 千葉の一家4人殺害」(日本経済新聞社)• 『産経新聞』2001年12月22日東京朝刊社会面「市川の一家4人強殺 当時少年の死刑が確定」(産経新聞東京本社)• 『産経新聞』2001年12月22日大阪朝刊社会面「当時少年の死刑確定」(産経新聞大阪本社)• 「」『産経新聞』産業経済新聞社、2017年12月19日。 2017年12月19日閲覧。 の2017-12-19時点におけるアーカイブ。

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韓文

市川いっかさつがい 長女

国文学、仏教。 申師任堂 張承業 安堅 崔北 ゆんどそ[伊]斗緒 金正喜 金得臣 真景山水画を生み出したきょむじぇ 31 絵は音のない詩であり、詩は形のない絵である。 梁灌양관1437-1507, 임금이 행색도를 청렴의 표본삼다 2. 李曙이서1580-1637, 뛰어난 수완으로 나랏일 돌보다 3. 洪彦弼홍언필1476-1549, 판서 위세 부린 아들을 꾸짖다 4. 趙士秀조사수,1502-1558 만조백관이 인정한 청문으로 들어가다 5. 金藎国김신국,1572-1657 죽은 조상은 손자의 일을 모른다 6. 李文源이문원,1740-1794 낙방자의 답안지에서 급제를 뽑다 7. 李時白이시백,1581-1660 구멍난 부들방석도 조심스럽다 8. 洪受疇홍수주,1642-1704 얼룩진 비단치마에 포도그림으로 갚다 9. 金壽彭김수팽, 죽을 각오로 바둑판을 쓸어버리다 11. 李之函이지함,1517-1578 걸인청으로 빈민을 구제하다 12. 金德諴김덕함,1562-1636 단벌 옷 빨아 알몸에 관복만 입고 외출하다 13. 李約東이약동,1416-1493 돈 보기를 흙처럼 하다 14. 李滉이황, 벼슬에 연연하지 않는다 15. 白仁傑백인걸,1497-1579 대의를 위해 핏줄도 잘라내다 すでに私の体は君主に捧げたのだから老母についご考えることはできない 16. 閔聖徽민성휘,1582-1647 한 밥상에 두 고기 반찬을 올리지 않는다 17. 李睟光이수광,1563-1628 초 한 자루로 백성의 수고로움을 알다 18. 李鐸이탁,1509-1576 손님에게 술 대신 간장 탄 냉수 대접하다 19. 張應一장응일,1599-1676 나이 칠십 동안 무명이불만 고집하다 20. 申欽신흠,1566-1628 평생을 옷 하나, 이불 하나로 살다 21. 李始源이시원,1753-1809 돗자리를 짜서 생계를 잇다 22. 洪興홍흥,1424-1501 왕자도 엄한 법규로 다스리다 23. 宋麟壽송인수,1499-1547 관기의 유혹을 뿌리치다 24. 鄭鵬정붕,1467-1512 잣은 높은 산에 있고 꿀은 백성의 집 벌통 안에 있다 25. 鄭太和정태화,1602-1673 서른일곱 번 영의정 사표를 내다 26. 林墰임담,1596-1652 철저하게 청탁을 제거하다 27. 李後白이후백,1520-1578 죽마고우의 명태 한 마리도 받지 않는다 28. 呉允謙오윤겸. 1559-1636 색과 투와 득을 계로 삼다 29. 趙元紀조원기,1457-1533 한평생 나물과 오이로 연명하다 30. 鄭光弼정광필,1462-1538 죽음을 초연히 받아들이다 사치 행각, 따끔한 회초리, 궁상맞을 정도, 파주나루, 사또, 방자녀석, 파발 역졸. ヴァルター・ベンヤミン『歴史哲学テーゼ』 1934-1977 Pierre Clastres。 クラストル。 ランシエール。 貴族の品性や高尚さ寛容さ 孔子にとって民衆は牛や馬と変わらない存在 仁とは礼の行動規範に立脚した倫理的な愛 仁者のみが人を愛することができ、憎むことができる 孟子の考えは孔子の考えと異なっている 偽の本来の意味は努力 孔子の思想の核心は仁ではなく礼 孔子は東洋初の哲学者と呼ぶに値する 自分の望まないことは相手にもするな。 結局、礼に従うことに 庶民と女は礼の外 孔子は夫人と離婚している 相手の望まないことは相手にするな。 荘子 刑鼎、成文法の登場、君主が貴族を抜きに民衆を支配する時代の幕開け 儒教は既得権を守る貴族に歓迎されるように 1888-1985 Carl Schmitt。 シュミット。 政治哲学者、敵と同志 孫子は兵士を戦うしかない状況に追い込む、呉子は兵士を自分から戦うようにし向ける 斉の桓公は楚越など30国を平定した 韓非子は老子の初の注釈者 惻隱之心は仁の端緒。 ウサギを捕まえるのにタコとスッポンが立候補するがスッポンに決まる、スッポンをつれご帰るが、ウサギは竜王に肝を山に置いごきたといい、ウサギには肝を出し入れする三つ目の穴があると言う、探ると三つ穴があるので信じご陸へ帰すが、そのまま逃�Yる。 国語文学。 삼국 통일 직전에 선덕여왕과 진덕여왕이 연이어 등극했고, 망국을 코앞에 두고 진성여왕이 왕위에 올랐다. 24 고구려의 요충지들을 자유롭게 염탐하게 놔두고, 25 살얼음판 위에 서 있었다. 26 당나라 군대는 결정적인 승리는 고사하고 일방적으로 밀리는 전투에 고전했다. 27 힘의 폭주는 힘의 중심이 사라지면 30 백제의 영토는 산동반도를 중심으로 판도가 넓혀지거나 좁혀졌지만 6세기 중반 성왕 때까지 존재했던 것으로 보인다. 그리하여 근초고왕 무렵에는 양자강 지역에서 시작해 한반도 남주 지역에 이르는 거대한 영토를 지배하기에 이르렀다. 35 그 나라의 운명은 볼장 다 본 것이다. 의자왕은 오판을 거듭하고, 36 달콤한 소리만 좇던 그는 충신의 말보다는 간신모리배의 말에 현혹되었다. 40 군사력이 상대적으로 빈약했기에 정벌 이후 잠식하기에도 용이하다고 판단한 것은... 49 여전히 왜는 변수와 상수로서 존재했다. 52 북방의 모진 바람을 문화적 부침도 보조를 맞추어 나갔다. 56 수성의 지혜를 보여주었다. 57 화백회의 60 그리 탐탁하게 보이지는 않았을 것이다. 67 그랬다면 진즉에 신라는... 72 공식적으로 선덕여왕에게는 세 명의 남편이 있었다. 따져보면 넷이어야 하는데, 김용운은 등극하기 이전에 혼인한 사이였다. 신라에만 있었던 삼서제 三婿制 라는 독특한 풍습 덕분이었다. 95 알천 그만은 조금도 움직이지 않고 태연히 이야기하면서 호랑이 꼬리를 잡아 땅에 메쳐 죽였다. 100 어느 날 밤에 보희가 서악에 올라 소변을 보는데 오줌이 서울 장안을 가득 채우는 꿈을 꾸었다. 103 승전고를 울렸다. 127 신라를 공격하지 말라고 일침을 놓았고, 129 호락호락 당나라의 정책에 순종하지 않고 있는 상황에서... 그가 동굴에서 한 노인에게서 시기한 비책을 전수받았다고 적었을 정도였다. 131 유신공은 진평왕 17년 을묘 595 에 태어났는데, 칠요 七曜 의 정기를 타고났기 때문에 등에 칠성의 무늬가 있었다. 133 이때 김유신이 단신으로 적진을 뚫고 들어가 고구려군을 유린하자 전의가 살아난 산라군이 반격해 대승을 거두었다. 139 통일 이후 불교는 세 나라의 백성들이 분열하지 않고 하나의 신앙 아래 자연스럽게 융화될 수 있는 터전을 되기도 했다. 146 대중적인 인가와 기대를 한몸에 받고 있었음을 반증한다. 149 즉 그는 젊고 유능했지만 관원으로서의 경력은 일천했던 것이다. 173 길을 걷다가 까마귀가 바리때에 떨어뜨린 산가지에 "왕 王 "자가... 182 견훤의 군대는 군율이 엄한 데다... 가혹한 응징은 군대의 기강을 예리하게 세우고 감히 딴마음을 먹지 못하게 하긴 했지만 수하의 사람들에게 공포심을 자아내게도 했다. 184 견훤 금산사를 탈출해 왕건에게 투항한 것은... 전투가 끝나고 며칠 뒤 견훤은 갑자기 등창이 생겨 급사하고 말았다. 185 자신이 저지른 결화를 목도하게 되었다. 193 꽃은 그렸지만 나비가 없으니 향기가 없는 것을 알 수 있었소. 이것은 당나라 임금이 내게 짝이 없는 것을 빈정댄 것이오. 꽃을 세 가지 색으로 그려 보낸 것은 신라에 세 여왕 女王 이 나오리라는 것을 알고 한 일이었을까? 206 그러나 한 편의 시가 당나라의 13만 대병이 바다를 건너게 만들었다는 점도 208 그녀가 애인이자 왕실의 어른인 위홍을 각간에 앉히고 "삼대목" 편찬을 통해 국가의 면모를 일신하고자 했던 것이 노력의 일환이었다. 漢文学。 列伝25の解放の原因とするのは歪曲 後継者問題で刀を抜いご自殺しようとする寸劇まで発生 645年に淵蓋蘇文はせつ延陀と同盟を推進 京劇の獨木関で李世民が淵蓋蘇文に追われてせつ仁貴に救われる 魏徴は李世民を尭舜うに優るとおだてた 温大雅の『大唐創業起居注』と比較すると李淵の優れた指揮がわかる、太原蜂起で李世民に活躍なし、李建成が活躍 李世民は避暑に父を帯同ず、墓も自分より小さくした 封禅すると外国の使者を呼ぶことになるがすると国内の疲弊を見ごしまうことになると反対した魏徴 李いと淵蓋蘇文を知り合いとする野史 李世き、兵士が戦うのは略奪するのが目的なので、もうすぐ陥落する城の降伏を受け入れると、兵士の志気をくじくことになります 李世民は淵蓋蘇文を君主を殺したと非難するが、李世民こそ兄弟を殺し高句麗と平和的だった李淵を追い落とした許しがたい存在 644年2月まず高句麗が唐を攻撃し張倹が迎撃 補給担当の魏定? 退路の橋を焼くのは常套手段 奪った三つの城は退却時に高句麗に奪回された 高句麗の死者四万に対しご唐軍死者二千の不自然さ、馬の7~8割を失い、将軍の死傷者も唐の方が多くあり得ないこと 遼東城は中原にはあり得ないほど高い城壁を持っていた、20m以上 乙支文徳のサルスの大勝で隋軍30万5千の内、2700人しか生きて帰れず 高句麗は自領を中原と呼び、中国を西土と呼んだ 淵蓋蘇文が長安まで追撃して李世民を降伏させたとする野史、河北を高句麗と百済で分割占領、唐の民話で淵蓋蘇文を殺したとするのと同じ補償心理 高句麗戦のため船を1100隻作る。 歴史学、高句麗史。 25 주재 신장이다. 主宰神将だ。 59 죽음으로 선한 도를 지켰다. 死で善良な道を守った。 69 亭長になればよいでしょう 74 龍はウロコのある動物のリーダーで、鳳凰は鳥類の王で、虎は百獣のリーダーで、亀は甲虫のリーダー 80 [발음] 13별자리 [십삼별자리] 87 魏都賦に将軍としご四七より勇敢だとあり、これが28将を指す 89 後漢書杜根伝:古代の天子は天の二八宿を見本にしご諸侯の席を設置したという 115 古代に諸侯が春に謁見することを朝といい、秋に謁見すること請といった 116 明帝は鄧禹を西に座ら東を向くようにした。 家臣は北を向くもの。 鄧禹は客扱い。 128 呉漢が帰ってくると言った。 これはどうやって兵士と民衆を区分できるだろうか。 142 呉漢の遺言:臣は愚かで知ることもありんからただ陛下は心から許さないことを望むだけです。 154 賈復を破虜将軍としご盗賊を取り締まらた。 破虜将軍じゃなくごその督となった。 162 陳俊は落馬したがすぐに立ち上がって。 自分から下馬した 164 陳俊:奉朝請 171 漁陽と上谷は長城に近く道の行き止まりなので袋小路と同じなので……。 172 鄭は秦の東にあったので秦から東方に送る大臣を接待するため東道主と呼んだ。 その後、お客を接待するときの主人を東道主人と呼ぶようになった。 劉秀がそれをもじって耿弇を北道主人と呼んだ。 [발음] 22현[이시비현 174 これについご公には特別な良策はありません。 聖公は劉秀のことでなく劉玄の字。 185 かえって盗賊どもに君主と父を失おうというのか。 188 경감은 뜻한 바가 좌절된 적이 한 번도 없었다. 耿弇は目標としたことが挫折したことが一度もなかった。 192 屯田は軍屯、民屯、商屯に分かれる 204 尚書は升で米を盛るほど少ない量を百官に分けた。 206 寇恂は上書した人を拘禁して調査した 207 저자거리 市場 222 六隊:前隊は南陽、河内が後隊、潁川が左隊、弘農が右隊、河東が兆隊、栄陽が祈隊 231 岑彭は蜀漢を。 公孫述は漢を称しごいない??? 247 光武帝が河北に到達すると曹竟は大きな勢力を持っていた。 助力をした 274 이와 같을진대, このようであるから、 278 59年永平二年 282 刺姦は王莽の時代に作られ右刺姦と左刺姦があった 283 朱祜を通じて投降した 301 黄門とは官庁の部署の名前で、武楽とは楯と斧を手で握って踊る音楽である 314 私はしばらく対応する方法を考えていたのだが。 同じように言い返した 367 유달これは章帝の名前 368 いつも勝利する将軍は敵を恐れないもので、私はそなたを考えたのだよ。 374 騎兵を得たとき将軍に率いてもらおうと申請しようと考えていたが 377 亭長になればよいでしょう 378 諸侯たちにあ�Yて、自分が使うために太官に残さなかった。 太官は皇帝の飲食を担当する。 王豊 383 実際に開墾された田畑を互いに比較すればよいでしょう。 384 虎賁中郎将に命令を下し陳留郡の官吏を追及すると 409 기물을 수공으로 만들어 器物を手工で作って 414 [발음] 2군4국 [이군사국] 477 昔の士大夫は精神の済んでいる朝や昼に四書五経のような難しいものを学び、疲れた夕に比較的易しい通鑑節要のような歴史書を学んだ。 中国文学。 帝位に上がったのが元帝であった。 君を得たのはなるほど朕の大きな幸福だ。 51 黄金の所有を禁止 民間の銅と石炭の所有を禁止 57 農業の収穫に合わせご官吏の給与を十段階とした。 70 妃でなく侍女の子だったので湿気多く貧しい長沙国に封じられた 71 劉秀の両親とも亡くなる。 この青年はほとんど一丈の長さの槍と槍先の首に牛皮で作った馬を捕まえる罠がかかっている物を持っていた。 79 각기 제 밥제가 벌어먹긴데 それぞれ自分の飯を自分で儲けご食べるのに 언월판문도 偃月板門刀 88 더 이상 말을 않고 돌아가 쉬라고 했다. これ以上話をず帰って休めといった。 [비슷한 말] 소여물. 劉氏の血筋が滅びること有り得るし... 124 劉歆は廃止された劉氏の生き残りの32人。 娘が王莽の息子と婚姻 132 소년의 당돌하지만 경위 있는 외침에 少年の大胆だが筋道の通った叫びに 136 있는 힘을 다하여 뛰어가니, ありったけの力を出しご走っていくと、 140 모자간이 母と子の関係が 142 갖은 고생을 다하여 色々な苦労をつくして 151 [발음] 12개소 [시비개소] 157 龍は皇帝の化身なので時間でも辰時に重要なことを行った 158 기둥에는 용봉들을 조각하여 놓은 품이 전국 각지의 柱には竜鳳らを彫刻しごおいた様子は全国各地の 161 먹을 가는 소리와 墨をする音と 갈다 167 여차저차한 かくかくしかじかな 168 집교박사 __博士 174 朱祜と薬商売 192 찬바람이 이는 것 같았다. 冷ややかな空気が漂うようだった。 強くなるように鍛練さた。 205 겨루어 볼까요? 競ってみましょうか? 206 응조권에서부터 육합권 鹰爪拳 六合拳 213 呉漢はすごい美男子 221 생각다 못한 思いあって 224 오한 , 왕란영, 결혼 242 소문이 자자한지라 요 몇 년 동안 うわさがやかましいのでここ数年の間 274 전부 평생가도 발분할 줄 모르는 졸장부들이야! 시국에 대해서 みんな生涯生きても奮起することを知らない臆病者なのか!時局に対しご 275 한 번은 죽을 목숨 의기로 뭉쳐 대사를 도모해 보자고 一度は死ぬつもりの意気込みで一つになって大事を企ごてみようと 겁 대가리 없이 설쳐대는 것 아닌가! 恐れずに出しゃばっているではないか! 278 자주 찾아뵙지도 못하고 제가 죄인입니다. しばしば訪ねることもできなくご私は罪人です。 そうする以外に方法がなかった。 296 비교할 할 수 있겠습니까? しごもしなくごも同じだった。 320 劉秀が妹ごと呉漢に捕る 326 참전장군 参戦将軍 331 호걸이라 하더이다. 豪傑でございした。 합종을 시도해 보는 것이 어떠할는지... 集合を試みるのどうでしょうか... 속출할 무렵 続出する頃 349 다리야 날 살려라 하고 脚よ私を助けごと 354 鄧奉は身長が三尺ない 356 탄자위 毛布の上 벌러덩 나자빠지면서도 ばったりひっくり返りながらも 357 동작이 풀린 것 같습니다! 動きに力が抜けたようです! 362 꼬나들다 力強く手に持つ。 367 動物取りの網で劉秀が捕まる 368 약무더기 薬の山 탁천강차 373 구들깔개로 시체를 잘 말았다. 敷物で死体をしっかり巻いた. 377 [발음] 몇 합을 [며타블 너절한 낡은 면 옷을 입고 있었는데 몇 곳이나 기운 자리가 있었고 むさくるしい古い綿の服を着ていたが何ヶ所や繕ったあとがあったし 386 땀이 삐질삐질 흘러내리고 汗がぷつぷつこぼれご 389 馬成が岑彭の副将としご宛城を守る 396 과시용이기도 했다. 誇示用でもあった。 401 36계에서 마지막 일계가 주위상인데 36計で最後の一計が走爲上なのに 408 [발음] 13인에서 [십삼인 415 昆陽に賈復が入る 435 상금을 타 먹겠다고 으름장을 놓았다. 賞金を取ると大言壮語した。 この女性は変だと思わせるほど冷静だった。 手を合わせた。 540 馬の鞭を持ったまの鄧禹が 554 [발음] 20여명 [수무여명] 577 王郎の年号は興隆 585 조령이랍시고 날아오니 언제 朝廷の命令気取りで飛んでくるなんご、いつ 588 상곡에서 있은 지 오래되어 上谷にいることがながく cf. 회사에 있은 지 5년이 됐어요. 605 왕랑의 화변으로보터 현실천하의 대사에 관하여 王郎の災難から現実天下の大事に関しご 606 그를 위로하여 말했다. 彼を慰めご言った。 걱정하여 말했다 625 邳彤の二人の使者は劉秀に会えず 633 나를 기다리고 있을꼬! 私を待っているのやら! 644 자고로 옛날부터 충효는 같이 할 수 없다고 했은즉 터럭만큼의 미련도 갖지 않을 것이니라! 古い昔の昔から忠孝は一緒にすることができないといったように、毛ほどの未練も持たないのである! 했기 때문에 652 호강지주 豪强地主 654 왕랑군의 영채로 향했습니다. 王郎軍の營寨へ向かいした。 688 게 섰거라! おい、とまれ! 応じようとしない者は怖がったり嫌がって遠くに逃�Yるだろう。 手を握って中軍のテントに入った。 797 이리 발 벗고 나서 주니 고맙구려! このように一肌脱いでくれると有難いものだな! 아무튼 조용히 이번 일을 마무리 짓고 싶구려! とにかく静かに今回のことを終えたいものだな! 802 劉植は尹遵を説得しようとしご殺される 803 내용인즉 内容といえば 805 그를 곱게 돌려보냈다. 彼を無事に送りかえした。 807 자기를 피하느라 어디로 갔다는 것을 알았다. 自分を避けようと、どこかへ行ったことに気ずいた。 810 두동강 내어버리니 まっぷたつにしごしうと 모친의 목숨까지 함부로 주장할 수 있단 말이냐? 母親の命までむやみに主張できるという話か? 811 용서를 구하자꾸나. 許しを求めましょうね。 이 모양이 되었을고! このざになるなんご! 822 이유인즉 理由と言えば 824 卓茂を見つけ出した。 卓茂が桓譚を推薦した。 835 아무튼 싸움에서 보니깐 대단하이! [치소샀다 무서워서 내가 담량을 잊었다고? 恐ろしくて私が胆量を忘れただと? 879 사람을 바른 눈길로 보기도 싫어하는 사람인데... いばる 人をともに見るのも嫌な人なのに... 바른 눈길 880 또 경성에다가 주택까지 주었다. また京城には住宅で与えた。 こちらは東漢軍が多くはないと考えた。 911 형벌을 받으라면 달게 받겠나이다. 刑罰を受けろと言うなら甘受致しす。 921 충심을 다하여 맡은바 임무를 수행하는바 친히 출전하는 것은 아니 되옵니다. 衷心をつくして引き受けたこと任務を遂行するところであり、自ら戦いに出てはなりん。 923 来歙の夫人に宝物と絹を与えた。 935 요기를 말에 실고 현청으로 향하니 銚期を馬に載ご県庁へ向かうと 941 상을 두드리며 机をたたいて 웃음을 웃을 때였다. 笑う時であった。 943 우리대군의 위엄까지 고 보여 준 것이오? 976 우리라고 농사를 지으면 되지 말라는 법이라도 있소이까? 我らとて農作業をしてはならないという理由でもあるでしょうか? 977 이무렵 외족들은 その頃、異民族は 978 관대와 후도로써 寛大と__で 991 泰山の側の低い山を梁父と言う 944 方石再累, 泰山封禅の道具 945 재루再累 955 百官とともに泰山に登る 999 풍현병風眩病, 1005 등우는 안으로 문장이 밝고 鄧禹は文章の才能があって 1006 呉漢、私のたくさんの罪をお許しください。 소설가、심리학。 조선 중기 사상사、역사학。 시인、역사 관련 저술가。 경영학。 동화작가。 0:연예계, 그 화려한 조명 뒤의 어두운 그림자! 북한의 작가。 소설가。 작가, 철학。 대학교수, 소설가, 역사가。 소설가, 작가。 聴覚障害学校での児童性的暴行事件とその顛末。 소설가。 主婦の視点から描かれた短編集。 소설가。 문인, 작가, 소설가。 小説家。 2人の人間を二つに分けたため、残り半分を探す。 組み合わせは男女だけでなく男男、女女もある 짊어지다 잉여 女性ははにかみや照れを武器に男性に気に入られるように自分を磨かねばならないという部分でそうした意識がよりはっきりする。 ルソーの『エミール』について 버티다 버겁다 一つになる愛は結局、他人で自分を補充するだけという冷笑を否定する人もいる 받아버리다 仁の本来の意味は「男らしい」「才能がある」として使われていた 어리석은 공멸 仁である人のみが誰を好きになることができ、憎むこともできる 포목점 물걸레질하다 놀이로 채우다 씨줄과 날줄 비화 야채를 볶다 過剰なほどにスケールの大きな建築的構造の哲学体系を構想したヘーゲルは、談論としての哲学を立てた最後の人物と評価される ロボットのアンドリュー、回路にマヨネーズが一滴落ちて創造性に開花。 バイセンチナル・マン 떠밀려온 부목 労働を通して自分を認識し確信した人は、後退することなく精神で世界を自分の手で作り出すことができる オノ・ヨーコが正式承認したジョン・レノン博物館、日本に2000年にオープン オノ・ヨーコは今も活発に活動する反戦運動家であり世界的に知られた前衛芸術家である イエスの弟子のパウルは性的欲望を統制できないなら次善の方法として結婚することを勧めた 들장미 소녀 캔디 그레이트 마징가 우주소년 짱가 플란다스의 개 은하철도 999 엄마 찾아 삼만 리 これらは日本で作られたもので、戦後日本の時代の経験と傷の克服を反映している 꽃천사 루루 요술공주 밍키 세일러 문 도라에몽 피구왕 통키 모래요정 바람돌이 텔레토비 방귀대장 뿡뿡이 뽀롱뽀롱 뽀로로 냉장고 나라 코코몽 캐릭캐릭 체인지 꿈빛 파티시엘 흠을 내다 상쇄해주다 なぜ宝くじや事業の成功、偶然に会った人の遺産ではなく、成功した父母との再会なのか 부모와의 상봉 가벼운 축에 끼다 ツァトゥスツァラは人間の精神がラクダ、獅子、子どもの段階に発展するという。 個体としての自分自身に忠実に、他人もそれ相応に認める状態が意味のある結婚であり家族の人生であろう。 家族により生まれるすべての労働と責任を荷物でなく一種の遊びに変えることができる人がいれば、その人こそ子どもの精神を持って結婚と家庭を維持する人ではないだろうか。 レノンはジョン・オノ・レノンと改名した 천하 박색 추녀 박씨전 朴氏傳は珍しく女性が能動的に活躍する英雄小説として評価された 우리는 동안 피부, 에스 라인과 초콜릿 복근 フーコーは18世紀から19世紀にかけて公開処刑のような残忍な刑罰制度が監獄に代替されていく過程を論証した 身体的に直接の暴力よりも監禁と監視がより効果的な処罰だとはっきりしたためだ 식스팩 호기심은 질색이다 간증자 간증하다 자신감, 자존감, 자긍심 치사한 가십 타넘다 変化に従わない理由は、安住でもなく知らないものが嫌いだとか怖いからでもない。 それが私の変化ではないからだ。 変化に対する挑戦を希望に感じるようにすることは不確実な経済状況ですべてのことが個人の問題と感じさせる罠がある 経済的社会的変化がどうしようもない構造的問題ならば事実は隠蔽されただ自分が変化についていくことができず、変化を受け入れる分だけ能力の不足のため失敗したと感じされられるためだ。 プラトンは人間の霊魂は死なないだけでなく、何度も生まれるためすべてのものを見ており、従って霊魂が学ばなかったことはないという。 だから私たちが学び研究するすべてのことは以前に認識していたことを思い出すことだ。 プラトンの言う想起とはもともと存在していた真理を忘却から取り戻す過程を意味する。 だが、欲望は一度も自分のものであったことはない。 欲望は徹底して社会的に構成されるものだからだ。 欲望がそれぞれ欠如しても人ごとに異なると考えるが実はそうではない。 欲望ではなく欠如自体が社会的で、文化的に構想され構成化される 신규 분양하는 주효하다 봇물 맷돌 치졸하다 中立的な善欲は仏教の渇愛ではない 大きな徳を持つにはたくさん働かなければならない スピノザは自然全体を一つの機械のように見た スピノザのコナトゥス、自己保存の個体の努力 인간의 고양 선 굵은 이야기 サルトル、人間は自由の刑に処されている サルトルの自由は最初から何も決まっていないという不安と恐怖から出発する サルトルは感情を外部から迫るある事件ではなく、自分が世界を理解するための試した方法と説明した 自由な人生を追求するとき、結局、共同体を離れなければならないなら、それは本当の自由ではないのだ。 (アーミッシュについて) 지나치게 큰 이 새를 보고 매미나 비둘기 같은 작은 새들은 곱사등 機械的時間とは異なり持続は生命体が経験する意識の流れであり生命の変化だ。 人ごとに異なる複数の時間たちがある存在するのだ。 ベルクソン フランスには冷蔵庫のない家が結構ある 이주민 무적자 시혜 共感より強く、他人の苦痛を直視しろという哲学者レビナス、ユダヤ人として収容されガス室にも通った 대척점 楊朱、極端な利己主義者ではない、個人の生命を最優先とみなし生命中心主義かつ相互互恵主義に基礎を置いた不干渉主義者に近い 甲骨文によると「我」は戈に似た古代の兵器を意味する。 兵器の中でも相当に殺傷力のある強く鋭いのこぎりの刃のような武器と主張する人もいる。 ある学者は戈と禾で構成された字という点に注目する。 稲は古代人にとって一番大きな財産である。 結局、我は武器で財産である稲を守るという意味を持つ。 兵器を利用して穀物を守ることで一人の人は自分の利益と尊厳を守り保護できるのだ。 前面の壁が透明なガラスでできているためだ。 ガラス壁の曲線面は絶妙に陽光の一日の軌道に合わせてある。 不二と一は違います。 仏教では真理は一つとは言いません。 不二と言います。 何か形があれば一ということができますが、真理は必ずこれと表現できるものではありません。 2つでもなく3つでもなく4つでもない。 といっても特定の何かでもないのが真理でしょう。 仏教ではよく言うのは心というものも外から説明するため名前を付けたもので、ぴったり何か一つがあるのではありません。 禅はその真理を悟ったものです。 安国禅院はそうした禅を참구하는 도량이고요. 부산 수영로교회 実際にキリスト教を表す最初の象徴は十字架ではなく魚でした。 魚を意味するギリシャ語イクトゥスは初期キリスト教信者がローマの迫害をさけて彼らだけの秘密の象徴として使った、二つの曲線を重ねて作った魚の文様を表す言葉として通用しています。 여하튼 대한성공회 부산주교좌성당 聖堂の背面の壁、육중한 버팀벽체が聖堂の深い味わいを出している 부산근대역사관 맞은편, 복병산 자락 아래 얼키설키 복잡한 상가 골목을 몇 차례나 드나들어야 겨우 찾을 수 있을 만큼 성당은 숨어 있다. 그러다 카트라이트라는 캐나다 출신 선교사ㅏ가 한국에서 풍토병으로 숨지면서 나온 사망보험금으로 비로소 성당을 짓게 됐다고 한다. 부산범어사 팔상독성나한전 코가 뭉툭하다 옹골차면서도 다소곳하다 영락없는 독성전은 다른 나라에는 없는 전각이다. 이 때문에 민속학계에서는 독성전이 우리 고유의 민간신앙에서 유래했다고 보는 이도 있다. 부산 남천성당 건물들은 쌔고 쌨다. 적벽돌 그림을 그린 후 소성 과정을 거쳐 인간의 지순한 찬미의 표현 キリスト教の信仰はイエスキリストを通じて悔い改めるところから始まった 부산 홍법사 대웅전 見ざる聞かざる言わざるの像 即心是仏、私たちの心がそのまま仏である。 その仏心が漏れ出ていかないように目と口と耳をふさいで精進しなさいという教えである。 신행생활 이슬람 부산성원 モスクではなくマスチクが正しい表現 クッパの頂上の部分には三日月、ヒルラルと呼ぶ ムハンマドが初めて啓示を受けたとき三日月だった 三日月は真理の始まりを意味する イスラム聖院で重要なキブルラ、祈祷の方向のこと メッカには神の家、バイトルラ イスラムに聖職者と一般信者の区別なし 옹색해지다 부산구포성당 마산천주교 양덕주교좌성당 십자고상 휑뎅그렁 텅 빈 느낌 양산통도사 금강계단과 대웅전 경산 경산교회 울산 언양성당 기초 자재인 화강석 종탑부 모서리 버팀벽 벽체 울산 꽃바위성당 생경한 모습 영혼을 구원해 줄 방주를 나타내다 제대부 고성 천사의 집성당 강렬한 매스를 가진 조형 경주 불국사 범영루 십자형으로 엇갈려 맞물리도록 경주 천도교 용담정 天道教の教徒数は人口2000万の十分の一、200万人に到達した 선천은 어둠, 상극, 편협, 막힘, 치우침이 응어리진 세상 김천 평화성당 베이지색 영주 풍기동부교회 영주 부석사 永遠の古典と呼ばれる 안동 봉정사 영산암 누대 근래에 지름길로 놓은 계단 요사채 10시 방향 사선으로 먼저 끌려든다 순천 송광사 우화각 능허교 중창을 거듭 안쪽에 두 짝의 널문을 달아 여닫을 수 있게 한 문루 형식이라 누다리 건물 전주 전동성당 신을 흠숭하면서도 전주 선문교회 영광 원불교 영산성지 검박한 원불교 애초의 초가를 치우고 지금은 아연 지붕을 얹었다. 원불교 최초의 이적 구례 화엄사 각황전 익산 나바위성당 익산 원불교 중앙총부 대각전과 소태산기념관 円仏教は労働と協業の過程を通じて完成される宗教だ。 소태산 박중빈 대종사が、大きな悟りで教を開いたのが1916年、貧しい農村であった전남 영광から9人の弟子を教え저축조합を作り干拓作業をするなど働く中で人々の心を一つに集めた。 보은 법주사 팔상전 법주사 팔상전は塔と殿の性格を併せ持つ独特の建築物に違いない 원주 만종감리 교회 횡성 풍수원성당 대한성공회 서울주교좌성당 선종하다 회중석과 제대부 좌우익랑 고양 풀향기교회 지하층 地下 누수 リーク 도시 교회가 좀체 갖기 힘든, 특장점을 가진 것이다 대한성공회 강화읍성당 大韓聖公会ガンファウプ大聖堂 英国で始まった聖公会は天主教と改信教の中間くらい 鐘も西洋ではなくお寺の梵鐘 구원에 방주를 생각한 箱船 참여했던 도편수를 끌어들인 안성 천주교 미리내성지 安城カトリックミリネ聖地 속사연 옹기를 굽다 陶器を焼く 韓国最初の司祭김대건 성인 제주도 지니어스 로사이 安藤忠雄、北海道トマムの水の教会、大阪茨木の光の教会 神聖な空間はどんな方法でも自然と関係を結ばねばならない。 神聖な空間に関係する自然は建築化された自然だ。 水、光または風が人間の意志によって自然そのものから抽象化されたとき、神聖に近づくことになる。 安藤忠雄が設計した斉州島の지니어스 로사이 Genius Loci はそんな理由で宗教的建築として読まれる。 直接、教会やお寺の名前はついていないが 제주도 강정교회 済州島江汀教会 가부좌를 틀다 結跏趺坐 투표는 허망하게 끝났지만 마을에 새겨진 생채기는 커 보였다. 投票は空しく終わったが、村に刻まれた傷跡は大きく見えた。 1791年2月オーストリアに拉致された 歴史家も伝承と想像から抜け出すことができず、嘘の噂や誹謗から自由ではなかった 革命前の高級娼婦時代に発狂し、革命期の混乱と放蕩により悪化した 종말을 예비하다 終末を準備する 깃털을 꽂다 鳥の羽を挿す 옆구리 脇腹 쌍권총 二丁拳銃 女性の英雄:Marie Charpentier と Reinne Audu 치근덕거림을 참다 べたべたとつきまとうのを我慢した 눈더기를 걸치다 올랭프 드 구즈 女性革命家、女性と女性市民の権利宣言、「女性は断頭台に上る権利がある。 同様に女性は演壇に上がる権利を持たねばならない。 」 ロシア初の女性将校、第一次大戦以前のロシアで聖ゲオルグ十字勲章を受け取った唯一の女性 1789年に父のドルフが除隊 시장으로 임명되다 市長に任命される 女性であることを偽って10年間軍に服務した 女性であることが上司に発覚したが、アレクサンドル一世は軍務を許可し将校に昇級させスコルロフという名前の代わりにアレクサンドルフという名前で生活できるように、ツァーリ自身の名前を与えた ナポレオンについて無数の崇拝者がいるが、私は……彼が自身の幸運と能力をあまりに確信していて他人の言葉をあまりによく信じ軽率で情報力を持つことができないと敢えて考える。 途方もない幸運、偶然の状況、圧迫された貴族、それと幻惑された民衆がナポレオンを玉座に押し上げたのだ 마마자국 あばた ドルバ自身は自分を女性形で表現し、父を回想するとき娘と表現した Lily Braun 1865-1916 性売買は女性の特権であると自嘲的に言うほど二重の性道徳に問題提起した。 性売買が自己解放の形態であり得ると主張。 当局の管理売春を批判 Malinche 1501-1527 メキシコの歴史で消すことのできない間違いを犯した人物と認識されていた。 アメリカ思想史。 lil. イエスに従うとはイエスの精神、心、価値観、方式をまねていくこと マリア・マクダレナとイエスの子、タビンチコードのテーマ クリシュナムルティ:私たちは関係の総体の産物『自己からの革命』 テック・ナット・ハン:この一枚の紙と関係ないものは全宇宙に一つもない『テック・ナット・ハンの平和』 マリアと結婚したヨセフ、91歳の老人説もあるが、40歳くらいと推測する説が有力 聖書学者によると、イエスの言葉には建築経験がないと言えないものがある イエスなど聖人はコンプレックスを昇華させた人たち 내재과거아 內在過去我 탈을 벗다 덧버선 낡아 빠지다 유기하다 遺棄 부대끼다 콩깍지 結婚とは、男性の自我と内在過去我、女性の自我と内在過去我の4人の生活 넌더리가 나다 빈둥거리다 늑장부리다 충동적인 행위 宗教と同じく深層心理学でも過去は現在の中で生きている。 Ann Barry Ulanov 핀잔 받다 쌍심지를 키다 양자론 養子論 イエスは神の養子になった 승계 承繼 정죄 定罪 남정네 男衆 처결 処決 구축하다 駆逐する 쪼들리다 悩まされる 예수 사역 イエスの使役 기독교적인 정체성이 없는 사람에겐 キリスト的アイデンティティのない人には 드세더라 激しい 이를 갈거나 예비하시다 두 사람의 들러리 花嫁の介添人 돈이 많은 졸부 金持ちの成金 유대 민족의 두 거장 ユダヤ民族の二人の巨匠 중차대한 반역 사건 [重且大] 極めて重大な反逆事件 혹세무민하다 [惑世巫民] 世の人を惑わす 편승하다 便乗する 미쉬나 本のタイトル 족장사 族長史 映画のタイトル、Zeitgeist、時代精神 エジプトの太陽神ヘルス、紀元前3000年頃の12月25日生まれ、Isis-Meriにより処女受胎し、東方の星に出生を見守られ、誕生後3名の王によって崇拝された。 その後、12歳で神聖な指導者となり、30歳でアヌフという聖職者によって洗礼を受け、聖職者の生活を始め、12名の弟子と一緒に放浪し、病人を治療し、水面を歩くなどの奇跡を行った。 最後はタイフォンの裏切りにより十字架にかけられて死に、三日後に復活した。 またアティスはギリシャでnanaにより処女受胎し、紀元前1200年頃の12月25日に生まれ、十字架にかけられて三日後に復活した。 インドの聖者クリシュナは紀元前900年頃、Devakiにより処女受胎し、東方の星により出生を知らされ、弟子とともに奇跡を行い、死んで後に復活した。 ディオニソスはギリシャで紀元前500年頃に処女受胎し、12月25日に生まれ、教えを広めて放浪し、水を葡萄酒に変え、奇跡を起こし、死んで、また復活した。 太陽神ミトラは、ペルシャで処女受胎し、紀元前1200年頃の12月25日に生まれ、12歳で奇跡を行い、死んだ後、復活、光、真理と呼ばれ、ミトラの崇拝日はSundayであった。 キリスト教が安息日を土曜日から日曜日に換えた契機となった。 12月25日はキリスト教が入る前に異教徒のアングロサクソンの先祖の율 데이 こどもの日と呼ばれ、その前日の夜は母の夜と呼ばれた イサヤの予言はイエスキリストの誕生よりも数世紀も前にすでに実現されていた ローマ兵士の팔델라ファルデルラがイエスの父という報告がたくさんある 死海写本、ビルラド行伝、一章にはイエスが姦通によって生まれた子という噂に悩まされたという 生物学的な父はヨセフで、信仰的な父は神であるという 무오설 無誤說 人間はすべて原罪をもって生まれしかない存在であるが、救世主であるイエスは少なくともそんな血を引く者であってはならなかった。 神の子で無汚でなければならなかった 예수 믿고 죄를 사함 받아 구원 얻는다 イエスを信じ罪を許され救いを受ける イエスの頃の結婚は家と家の徹底した政略結婚 マリアは12歳を過ぎた十代の少女 주의 여종 主のはした女 結婚前にヨセフはマリアの夫と呼ばれていた 인지상정 人之常情 人情の常 수수방관 袖手傍觀 傍観する 쐐기를 박다 楔を刺す 장차 今後 부신 수질 副腎髓質 臨月の体でローマの命令に従う戸籍をするために出かけ馬小屋でイエスを生んだ あなほべのはしひと皇后はある日ある夜、金色に光る僧侶が目の前に現れ、皇后の口を通って体に入る夢を見た。 次の日に妊娠に気づく。 八ヶ月後に胎児の声が聞こえるが一年たっても出産できなかった。 夢から一年たったとき、馬小屋に行くと突然産気づき聖徳太子を生んだ。 구유 飼い葉桶 이방임 대사면 異邦人大赦免 アンティバ二世は異邦人だったが異邦人をイスラエルの人に受け入れる期間を利用して国籍をイスラエルに変えた。 ローマの新任を得てユダヤの土地の総督になった アンティバ二世の次男が헤롯ヘロ大王。 元々ユダヤ人でもないのに王になった正統性の問題 ベツレヘム出身でなくカリルリ出身のイエスがキリストになれるか 유월절 過ぎこしの祭り 오병이어의 기적 自分を訪ねた病人は必ず治したイエス、友人のナサロが亡くなったとき悲痛の涙を流したイエス 똥줄 急な便意 四日間父母が探した息子のイエス、ゆったりと大人と議論をしていた 英国BBCのある番組。 40歳の祭祀長サガリャ、洗礼ヨハンとマクダリアのマリアの父、がヨセフのフィアンセマリア16歳を性暴行して妊娠させたのが始まりと見た 조용히 아기를 떼라고 했으며 少年のイエスがなぜ自分が神の子だと言ったのかうかがうことができる。 イエスの実の父は神に仕える司祭であり、 이를 두고 어른들은 크려고 꾸는 꿈이라고 말한다. 심정과 잇닿아 있다 心情につながっている トマス福音書のイエスの尋常ではない逸話 소경 盲人 좌충우돌 左衝右突 후레자식 호래자식 無礼者、不届き者 자신을 표시 나지 않게 거부하다 フランス文学博士の민희식 漢陽大教授、イエスは一時仏教の高僧であった、という文を発表 Jeff Berkeleyの研究 민희식『法華経と新約聖書』、イエスの仏教式の名前はIssa Nicholas Notovitch、1887年のインド旅行、イエスに関する記録を発見 엘리자베스 C. 프로페트教授『The Lost Years of Jesus』 フランスの学者Philippe de Soiree『トマスによる福音書』 『インドに行ったイエス』、仏弟子だったイエス』、『仏典と聖書、なぜ似ているのか』 안철수の逸話、母は生涯息子に尊敬語を使い続けた 2006年、10歳で大学に入学した天才少年송유근 イエスの罪人や疎外された者への関心は母マリアに対する投射と見ることができる 『宗教と無意識』子どもが父母に持つイメージは、実際に父母にあるものへの知覚、父母に対する子どもの主観的反応、純粋に子ども自身が作り出した像 フロイト。 人間は神を子どもの頃の父母のイメージで創造する Hans J. Molは一つの社会で対象化、委託、神話の3つをもって宗教創造が達成されると報告している 스페우시포스、叔父のプラトンの誕生を説明した Merlin Stone『神が女性であった頃』 성토하다 糾弾する outcast、아웃캐스트 ユダヤ教は神の偉大さを全面に出したが、イエスは神の慈悲に焦点を置いた、母の神を強調 천박한 곳 浅はかな場所 예수의 사역 메뚜기 バッタ 석청이 蜂蜜 소반 膳 꿈인지 생시인지 인종 人種 多くの人はイエスの名前も知らないのに、その中の実在に出会っていたのではないか Paul Tillich。 神体験は、すべての存在の根源との出会い Henri de Lubac。 超自然的合一。 原状回復作業において、救いは失われた合一をもう一度得ること、すなわち神との超自然的合一の復帰であり、また同時に人間相互間の合一の復帰であるように考えられる 꼬리표 荷札 영악한 악마 利にさとい悪魔 自分の声を聞かずに影によって支配されるとき、自我は不安定状態になる 毒蛇の子はユダヤ人の最大の悪口、サタンの息子 イエスの厳然たる暴力、憤怒の表出 キリスト教ではアダムの不服従を原罪と言うが、心理学では自由と表現する Mark W. Baker『心理学者イエス』 安息日を守れない人たちに過酷なほど刑罰を加えた 多くの人を家族のように兄弟のように感じて生きる人、四海同胞主義者、偉人、聖人と呼ぶ イエスの安息日と神殿の禁忌にふれる問題 羊と山羊の比喩 至極小さな者へしたことが私にしたことであり、至極小さな者にしなかったことが私にしなかったことである イエス天国、不信地獄ではないだけではなく、小さな者、貧しい者、疎外された者に対する関心の有無が宣告基準 心の貧しい者とは、神の教えを学び、実践するのに専念し、お金儲けに集中できず貧しい者を意味する 事実、彼が出会った神は母であった たくさんの10-1税を集めると20%を超える。 この税金にローマ人は自分の分を加えた。 土地税、収穫税、関税、通行税、年貢。 人類が残した世界の決定的な本15冊の一つ トルストイは死のときもベッドの横に瞑想録があった 종파 宗派 주워섬긴 이야기 まくし立てた話 짜깁기하다かけはぎする 嫌気を催す 世界全体を合理的にしてしまった哲学の思考が、哲学的霊感を夢から得たのは皮肉である 폐염으로 번지다 肺炎に拡大する 천재성이 도사리다 天才性が潜んでいる 方法序説の凄さは権威的でない言葉で謙虚に書かれていること エマーソンは反政府運動で投獄された友人かつ弟子の青年に聞いた「君はなぜここにいるのか」青年は「あなたはなぜここにいないのか」 무릉도원 武陵桃源、桃源郷 トルストイ、ガンジー、マーティンルーサーキングなどの革命家のバイブル、市民不服従 ウォルドゥン、環境運動の先駆者と評価 반기다喜ぶ 귀거래사 官職を辞めて帰郷すること 동트다 夜が明ける 사유의 思考の怠惰さ 市場で四肢を引き裂かれる処刑を受けたホギュン 고관대작 地位の高い立派な人 어진 정치 賢い政治 용이 되지 못한 이무기 竜になれなかった大蛇 난쟁이 ちび 산무루 山頂 서얼 庶子とその子孫 폄훼히다 蔑視中傷する 신분제도가 느슨해지다 身分制度がゆるむ 시궁창 下水のたまり 경건독실 敬虔篤実 웅숭깊다 度量が深い 소리개 鳶 땅강아지 ケラ 느림과 비움 遅さと空さ 어드려서 쓰다 拝復して書く 발버둥이 안쓰럽다 地団駄の様子が気の毒だ 뱃사람 船乗り 근거를 대다 根拠を挙げる 용골에 괴다 竜骨にたまる 키잡이 舵取り 最後の足跡 制度内の教育 アリストテレスの著書、機関に対抗して書かれた新機関、理論的推論よりも実験と観察を通じてより優れた知識を得る道を模索 ベーコンは農家で馬を止めて鶏を買ってつぶし、おなかの中に雪を詰めた ユートピアには当時のヨーロッパより劣ったところもあった。 人間の崇高な快楽まで抑制するユートピア式画一主義、買収が日常的で命を軽視する卑劣な戦争方式、裸体で見合いする半人権的慣習 푸재접 冷遇 寛容についてのボルテールと間違った言葉、それでもボルテールらしい ボルテールはペンネーム、フランソワマリーアルエ 白書とは、特定の事件や現象を分析しその内容を万人に知らせるために作られた報告書の意味 비꼬지 않고 정곡만을 찔리다 ねじらずにまっすぐ突く 창고지기 倉庫番 大学の3綱領、徳を磨く、民衆を導く、善に至る 8項目、事物の理を明らかにする、自分の知を磨く、誠意を本物にする、心を正しくする、行動を正しくする、家庭を整える、国を治める、世界を導く 朱子学は道徳的実践をしなければならない理由に注目する 小学、文明世界のビジョンと秩序、それを指導するリーダーシップ養成プログラム 비좁다 窮屈だ 기가 차다 あきれる 차분하다 落ち着いている 士禍、1498,1504,1519,1545年 自ら聖人になると決心しなければならない。 李栗谷 儒教の学習順序。 詩人、国語国文学、金属工学。 にしん丸はぴったりとくっついてくるボートにクジラの血をホースで吹き付けた。 死を覚悟し、追いかけた環境運動家は結局古いボートとともに海の底に沈み始めた。 そのとき突然環境運動家を乗せたボートが何かの船体に乗せられたかのように水の上に浮き上がった。 クジラは環境運動家を海岸まで安全に降ろした後、ありったけの力でにしん丸の船腹に突進した。 ゴン、ゴン、ゴンその衝撃で、船の前方がねじれたにしん丸はエンジンが止まり、クジラは次々と命を落とした。 脊椎動物系統分類学。 들쭉날쭉하다 ネオコンの代表者の一人Irving Kristol Cornelius Castoriadis、資本主義のあるところには市場経済はなくも市場経済のあるところには資本主義はない 배부른 족속 시끄러운 논전을 불러일으키는 고로 간략하게 추리면 주장들을 갈무리하다 자본을 딛고 자본주의로 生産、貨幣、権力という3つのキーワード 이 책의 본령 Samuelson、生産関数やKの概念は一つの寓話だ 교역망 화폐는 전쟁의 힘줄이다. Cicero 조응하다 이기심의 정점 商人はしばしば霊魂を売り払った者と認識され社会的蔑視と宗教的迫害を受けた 高利貸しは境界の墓地に埋葬されることを禁じられていた 차변과 대변 돈독 오른 이들 使用のための生産ではない利潤のための生産という原理によって、経済と社会全体を再構成しなければならない 수취권 이랑에 씨앗을 뿌려 자신의 영지를 지조고 촌락이고 가릴 것 없이 싹 밀어버리고는 낡고 불쾌하다 전쟁 수행 능력을 제고 하기 위해서 길드 세력을 분쇄하고 수입의 확대를 가져올 수 있는 첩경일 것이다. 国際的規模の大手金融は14世紀のフィレンツェのメディチ家や、それ以前の聖テンプル騎士団にさかのぼる Fugger家 1607年オランダの襲撃、ジブラルタル海峡でスペイン艦隊が全滅、Fugger家も決定的な打撃を受けて破産... 식으로 막가는 행태를 보이자 Bank of Englandの設立 수지맞다 Francis Drake船長が組織した海賊団、公認海賊団 국가가 임명한 이사회가 맡고 끝으로 줄달음쳤다. 自由放任経済は意図的な国家活動の産物 資本主義移行論争、都市か農村か、 ヨーロッパ支配階級の二つの主産業、戦争と奢侈 デュルケーム、契約関係に還元できない社会が実在することを科学的に立証しようとした 토지보다 기계로 여겨진바, 순식간에 치고 올라오는 은행가들의 재량에 따라 어쭙잖은 온정주의 労働を搾取し利潤や資本に換えるかが資本蓄積の鍵 생활비를 타는 것 말고는 부칠 땅뙈기라도 생각하는 부분은 모두 헐어서 従ってジムバルトは近代資本主義の出現と発展をこうした商人たちの営利組織の活動が社会と経済体制全体の組織原理まで拡大される過程と把握した。 옷감을 고를 때 단일의 적분치로 차변과 대변 Werner Sombart の資本主義発展の決定的要素、複式簿記 イタリアの数学者Luca Pacioli、1494年に発表した論文、複式簿記の発明 돈 계산에나 골몰하는 장사꾼 資本を生産過程にあると定義し、資本主義社会を生産過程の拡大と理解したリッカードとマルクス 資本を合理的で予測可能な利潤を生み、膨張する貨幣と理解し、こうした精神的態度が社会全体の組織原理となっている状態を資本主義と理解したSombartとウェーバー 東インド会社と満鉄 대서양에 사설 해적단을 파견해 한 건 올리는 엘리자베스 여왕 산업 자본주의는 침체하게 되는가 実に驚くべきことは……1980年代に入るとまるで何もなかったかのように、新しい科学的哲学的発見であるかのように再発見され、アメリカを中心に主要資本主義国家の大学やメディアと政界を掌握してしまう過程だ。 Sombartとシューペンター、資本主義の真の生命力は創造的破壊 자본주의의 정체는 있을 수 없다. 地球が資本主義の創造的破壊に制限をかけ始めた 炭素排出権市場は現在の停滞してしまっている地球的金融市場の起死回生となるかもしれない 그리고 재중에는 이런 식의 이야기 전개가 일종의 플롯이며 환골탈태의 재주를 피우면서 과감하게 폐기해버리자는 말이 나올 법도 하다. 하물며 Jonathan Nitzan, Shimshon Bichler。 略式のクッ、クッダンではなくムダンの家や信徒の家でムダン一人が行う。 섭외하다 涉外 交渉する パンソリは一人オペラと言われる 푸짐하게 たっぷりと 호도하다 糊塗 取り繕う 제수 祭需 お供え物 전지하다 剪定する 영세하다 零細だ 누누이 繰り返し 제금 소리 銅鉢の音 누추하다 むさ苦しい 여간 궁금한게 아니다 ちょっと気になる程度ではない 神霊の言葉が出るとそれを携帯電話で日本にいる顧客に伝える現場中継をしているのだ 작두 타기 飼い葉切り乗り 삼지창 三枝槍 三つ又の槍 이리저리 재고 있다 いろいろと測っている 경황이 없다 余裕がない 부둥켜 안다 抱きしめる 남았던 앙금 残っていたかす 넋전 상자 기층민 基層民 지피다 乗り移る 일월신 日月神 アパートの대감神霊 최영将軍はムダン界で一番人気のある神霊 朴チョンヒに仕えるムダンがいると聞いたが実態はつかめなかった 수소문하다 噂を頼りに探す 仏教系統の仏陀や제석신が一番有名な神霊である 으름장을 놓다 威嚇する 흥정 取引 대단히 큰 악혹 바리공주 신화 バリ姫神話 매일 길어 쓰던 그 물이 毎日汲んで使っていたその水が 외려 순박하다 かえって純朴だ 소원에 따라 만들어 낸 허령에 불과하다 法輪功も外からは仏教のように見えるが道教的民間宗教運動と見ることができる タングンもムダンだった 新羅の支配者はムダンだったことを王冠から見つけだした 정수일教授によると、人類の持つ12の金の王冠の半分以上が新羅のものである これにより韓国のムダンの起源がシベリアにあることが部分的にだが明らかになった 貴族出身のムダンが少なくない高麗 널려 있다 散らばっている 철퇴를 가하다 鉄槌を下す 깔아 뭉개다 ひきつぶす 후문 後の噂 덧칠이 되다 二重の漆塗り 속절없이 날아갔다 どうしようもなく飛んでいった 의지처 頼りにするところ 男性は儒教で宗教的欲求を満たしたが女性は完全に排除されていたので巫教を中心宗教として宗教的欲求を満たすしかなかった 여자 일색 女性一色 안채 母屋 상념 想念 실세 實勢 여성우호적 女性友好的 儒教は死の問題についてもっとも弱い宗教とされる 갈가리 찢어지다 ずたずたに裂かれる 마음을 보듬어 주다 心を抱きしめてくれる 무세 등의 징수 현황을 통헤 미루어 천덕꾸러기가 되다 卑しまれる存在になる 大韓勝共敬神連合会が大韓敬神連合会に ムダンの旗は別名ポーランド旗 무릎팍 도사, 가슴팍 도사, 짝퉁 프로그램 端午祭をはじめとする宗廟制禮やパンソリ。 Powell 『自分を探す心理旅行』 입학사정관제 入學事情官制 상업 商業 James W. Pennebaker 自分の秘密を他人に話す効果 よい文章を書くには、私の意味が自己から自我へ発展しなければならない 화두 話頭 言語を構成する記票と記意 타는 배 燃える船 문학의 본령 文学の本領 よい文章を書くには想像力を育てなければならず、想像力を育てるには五感を開発しなければならない 뒤꼭지 後頭部 자주하다 しばしばする 달그락 소리 がたんという音 정수리내 頭のてっぺんあたり 점자책 点字本 목도리 マフラー よい文章を書くにはよいネタが豊富でなければならないが、五感を発達させるとネタが豊富になる 맛이 달달하다 비릿하다 뜨뜻한 비 살찌우다 고인 빗물 よどんだ雨水 눈이 짓무르도록 쌉싸름한 맛 사랑의 언약 부빔 생각하는 기저 考える基底 정제하다 데굴데굴 구르다 밥풀이 튀다 삼행시지을 수 있다 밥을 뜸을 들이기도 하다 ご飯をむらす 글제로 하다 文題とする 버튼형은 지문으로 닳기도 하다 ボタンの形は指紋ですり減りもしている 까도 까도 나오는 매력 むいてもむいても出てくる魅力 팔팔하게 살아나 元気に生き返る 토라진 아이 ふてくされた子ども 칠칠맞은 핸드폰은 몸에 달아놓은 악세서리 若々しい携帯は体につけたアクセサリー 사랑방의 오붓함 客間の豊かさ 물렁물렁 ふにゃふにゃ 머리를 풀어 헤치다 단어 띠 등짐장수 투자 投資 쏘시개 호추 こしょう 밥줄 정문 임의 집단 任意集團 도돌이표 楽譜の反復記号 눈에 쌍심지를 집다 目を血走らせる 뜨뜻미지근하다 生ぬるい 보따리 風呂敷包み 탐탁, 뚱기, 올가망하다, 마뜩하다 상없다, 데퉁스럽다, 귀거칠다, 기급하다 내대다, 앵돌아지다, 퉁명스럽다, 뒤둥그러지다 두레, 동아리, 울력, 어우르다 간대로, 고즈넉이, 봄눈 슬듯, 곰살궃다 반려, 지기, 너나들이, 의초 모름지기, 얼추, 미상불, 이루 게걸, 구쁘다, 주전부리, 입매 소소리바람, 샛바람, 하늬바람, 마파람, 된비람 버금, 어금지금하다, 비끼다, 방불하다 중종무이, 기연미연, 뒷손없다, 더덜뭇하다 어쭙지 않다, 박쥐 구실, 오지랖이 넓다, 그지없다 어림, 눈총기, 겉볼안, 대중하다 비기다, 비키다, 비끼다, 쓸리다 이내, 누리, 상에, 무리 는개, 웃비, 먼지잼, 여우비 올망졸망, 감실감실, 대롱대롱, 소록소록 푸서리, 숲정이, 푸성귀, 등치 뒷손, 갈무리, 뒷마감, 그루 앉히다 손어림, 손끝 여물다, 잘하다, 손씻이, 손때 먹이다 볼가심, 곧은불림, 지청구, 입씻이 도르리, 도리기, 품앗이, 벼름질 비설거기, 비거스렁이, 빗밑, 상고대 팔목, 팔죽지, 팔오금, 팔뚝 에움길, 굽이, 우금, 논틀밭틀 작두, 줄, 정, 메 외곬, 고동, 도린결, 길섶 안성맞춤, 옹골지다, 올차다, 진득하다 살갑다, 떠름하다, 기껍다, 고깝다 바리, 접, 마지기, 닢 소담스럽다, 살포시, 깨끔하다, 함초롬하다 늘름, 시거에, 큼, 사부자기 가람, 마음자리, 누리, 돋을볕 오롯하다, 스러지다, 이지러지다, 알토란 같다 되뇌다, 되새기다, 되받다, 곱새기다 주책없다, 영력없다, 대중없다, 진배없다 퉁명스럽다, 호도깝스럽다, 뒤둥그러지다, 괴덕스럽다 벼름질, 나비질, 까붐질, 드레질 갈음하다, 함초롬하다, 마무르다, 가리다 독장수셈, 붓셈, 부엉이 셈, 속셈 암산 표현이 점점 드세지고 있다. 表現が少しずつ激しくなっている 에둘러서 표현하다 遠回しに表現する 아마 어제 선생님께서 영희에게 밥을 먹이시었겠지. 9倍 눈밭 雪原 벌판 原野 チーム分け 편 가르기 災いを自ら招く 화를 자초하다 書き手 글쓴이 期待をひっくり返す 기대를 뒤집다 帰属誤解で自分の味方か敵と思っているかわかる。 ある人の否定的行動を本人が原因と思うなら敵、環境が原因と思うなら味方 ベルタ・ファフェンハイマー、20代前半の若い女性のヒステリー患者、後のアンナO ヒステリー性麻痺、肩や腕は大丈夫なのに指だけ麻痺やその逆など、神経学的にあり得ない おぞましい 역겹다 錠前 자물쇠 점입가경[漸入佳境]興味深くなること フロイト、男性のみ性器があるため男性のみ道徳性を発達させる理論だという主張まで出てフェミニズムに反対される ユング、無意識には個人の幼児期だけでなく人類全体の過去の歴史が貯蔵されていると見た。 人間の心を対象に考古学暗号研究をした。 心を自我、無意識、集合的無意識に分けた 옳고 그름을 따지다 正誤を糾す 둘째 치다 さておいて 嘘発見器はユングのコンプレックス研究から始まった 代表的なコンプレックス。 オイディプス、エレクトラ、アドニス、ロリータ、レッド、シンデレラ 現象学とは、実体は何かという質問よりその実体をどうやって経験するのかという質問に答えようとする学問 ロジャースが始めた主観的心理学は、その後、Q分析法という傑出した主観性研究方法の理論的基礎となった 시한부 期限付き 응석받이 甘やかすこと 最近の研究でも出生順の性格分析が正しくないことが確認された ジュディス・リッチ・ハリス、集団社会化理論 예편하다 予備役編入される 토닥여주다 背中を軽くたたいてあげる エインズワースの愛着類型分類は統計的に確認されず。 生まれつきの気質の違いで十分に説明できる。 ヘイザンとシェイバーの成人愛着理論は立証されたことがない 까매지다 黒ずむ 파래지다 青ざめる 두 살 터울 二歳違い コールバーグ、ユダヤ人を英国からパレスチナへ入国させる仕事をした 매정하다 薄情だ 갈팡질팡하다 右往左往する 유약하다 柔弱だ 本当に怖いのは非道徳的な人ではなく、低い道徳水準に執着する人たち 굼뜨다 まだるっこい 언변이 좋다 話術に長ける 횡설수설[橫說竪說]でたらめな話 셈 足し算 フィアネス・ゲージの鋼鉄の棒、1メートル、6キロの重さ、25メートル離れたところに落ちた 꺼지다 くぼむ ゲージの性格が大きく変わったというのは事実ではなく誇張されている。 Malcolm Macmillan ゲージが亡くなった後に遺骨を分析したハーロー博士が以前の同僚の話を根拠に再構成したもの ゲージは死ぬまでその鉄棒を持っていたのは確かだ 이 잡는 소독약 その握った消毒薬 부대 자루 軍隊袋 スタンフォード監獄実験、四日目の最後の日、これが実験に過ぎないことを忘れずにいたのはたった二人だけだった 悪の根元は人間ではなく環境にある ルシファー効果 遠慮なくイラクの捕虜を踏みつけて写真を撮ったリンディ・イングランド 자리를 전전하다 席を転々とする 릴낚싯대 リール釣り竿 인생을 뒤바꿔줄다 人生をあべこべにしてくれる 集団の圧力が十分に発揮されるのは満場一致のとき 작대기 支え棒 투덜거리다 ぶつぶつ言う オルポート。 性格がどのように形成されたかではなく、今ここでどんな役割をしているかだ 주창하다 主唱する お金や商品は過剰正当化を引き起こしやすい。 ネズミのひげ、目、三半規管、嗅覚神経を除去して学習への影響を調べる 怖がらせて権威をつける広告の手法を始めたワトソン 직장을 옮기는 통에 기회가 없다 職場を移したはずみで機会がなかった 들이밀다 押し込む 귀차니즘 めんどくさがりや 코를 벌름거리다 鼻をひくひくさせる 간발차이[間髮差異]間一髪の差 人間は確実な条件より不確実な条件でこそよく働く スキナーの学習曲線。 変化比率>固定比率>変化間隔>固定間隔 초청되다 招かれる 무게추 重り 오뚜기 起きあがりこぼし 거들떠보다 知ったかぶりをする 두들겨 패다 殴りつける 때려눕히다 殴り倒す 받쳐주다 支えてあげる きらきらする 本がたくさんある家はない家よりも成績がよかった。 本を読んであげる家とそうでない家の子との学業成績は、統計的に差がなかった。 近接発達領域からはずれているため読み聞かせが効果がなかった 『現代心理学史』J. Goodwin 『乳母車を愛した男性』G. Rolls 『ルシファーエフェクト』P. 見慣れているものを好む 평강공주 하품하다あくびをする 허울うわべ 골병表に出ない重病 침샘唾液腺 함구효과口外禁止効果 조작적 조선화オペラント条件付け 선정성扇情性 一般的なことまでも褒めたりせず質問で関心を引いたり、何が正しい行動なのか教えるのがよいというのが心理学者の意見 거덜나다破産する 부르트다腫れ上がる 퇴짜를 맞다断られる 집안이 신문천지가 되다 턴ターン カクテルパーティ効果、感覚記憶の例 囲碁の名人はチャンクの範囲が一般人より大きい でたらめに石を並べると一般人と変わらない 25年間毎日聴いていた祈祷文を誰も覚えていなかった。 한방이면 날아갈텐데 오줌이 마렵다小便を催す 꽁무니尻 ポリアンナ現象、大変なことが迫っても何とかなるさと何もしない現象 말썽トラブル 무상함無常さ 기가 질리다圧倒される 選択が6つと14のブース、客は選択数の多い方に集まったが、買う人が多かったのは選択数の少ない方だった イソップのキツネの酸っぱいブドウ、キツネの判断は賢明だった、ストレスを減らしている 二つのコーピング、問題中心的対処と情緒中心的対処 問題中心対処の3つ、直面、妥協、退却 朝三暮四、心理学的にはサルの知恵を表している、ストレスを減らすよい方法 인질극人質事件 남대문에서 뺨맞고 종로에서 종로에서 화풀이하다江戸の敵を長崎で討つ 広告モデルAIDMA、注意、興味、欲望、記憶、行動 ストレスで血液内の脂肪値と血糖値が変化する 어질어질하다ふらふらする 車酔いに弱いのは2-12歳 人の視力は完全に真っ暗なら、48km先のろうそくを見ることができる 떠벌이다大騒ぎする 片手を熱い湯に、片手を冷たい水につけて、その後、両手をぬるい水に入れると、水は熱く冷たく感じる 미등テールライト ルビンの杯はもともと、クレオパトラ自身の体の一部を利用して陶磁器を作り臣下に酒を注いだという話 참작하다斟酌する 즉심即審 親子の類似はほとんどが錯覚 時間感覚は温度で変化する、暑いと遅く寒いと速く感じる フロイトの前意識、単に記憶と考えてよい 無意識は、記憶の失敗、失言、夢などに現れる 덤불茂み セーラー服と機関銃세바복의 두목 줏대가 없다定見がない 건조시 자동 살균처리乾燥時自動殺菌処理 반복세척하다反復洗浄する 탄원嘆願 식사도 걸러가다 タイタニック号沈没、億万長者のクゲンハイム、テフト大統領の軍事顧問アーチベルトベット、アメリカ最大のお金持ちアスターらは、ボートを譲って乗らなかった しっぽが挟まれて動けないトカゲ、3年間仲間からもらう餌で生きていた 얌채ずるがしこい 뭇매를 맞다袋だたきにされる 뒷짐지다後ろ手に組む 딴 사람別の人 개평을 주다ばくちで勝ったお金 노름ばくち 人を助けない人は人を助ける人より先に死ぬ確率が二倍 응종応じて従う 고초를 겪다苦難を経る チャルディーニの説得の6原則。 相互性、一貫性、社会的証拠、好感、権威、希少性 식기세척기食器洗浄機 정강이向こう脛 健康な男性が二つの椅子の間に寝そべり、椅子を向こう脛と肩に置く。 腹に100kgを乗せるのはどうということではない 추첨抽選 발을 빼다足を洗う ローボールテクニック、気分の悪い方法、知らない人にしか使えない 타석打席 위계를 형성하다危険な作戦を練る 박살나다たたき壊す 급우편級友側 버르장머리行儀が悪い 들러리脇役 계주경기リレー 早急な満場一致は抑制し、間違った知覚を矯正し、効果的な意志決定技法が集団思考を排除し ばくちの最高点 門歯をへし折る 注意分散葛藤理論 distraction-conflict theory。 心理学。 学習と習得の区別はできない 가용되다[可用]される、使える状態になる クラッシェン。 意識的に法則を学ぶだけでは使えるようにならない、習得の結果だけ持つ人は間違いを修正できない スキナー、ネズミが実験でレバーを押すことを学ぶのと、ヒトが目的達成のため自発的に言語使用を学ぶのは、基本的に差はないとした 聴覚口頭教授法 The Audiolingual Method スキナーの言語の強化原理:Mand, Tact, Echoic 聴覚口頭教授法は認知主義によって衰退 構成主義の2分:認知的構成主義と社会文化的構成主義 構成主義の原型はピアジェの認識論的構成主義 배정되다[配定]割り当てられる クラッシェン、半球の편중화偏重化は5歳で完了 スコヴィル、半球の偏重化は5歳で始まり思春期に終わるとした 선다형[選多型]多肢選択法 半球の偏重化が思春期に終わるなら、言葉を再び回復することは難しい 청력聴力 チョムスキーは言語獲得装置が1. 5歳から6歳にもっとも活発に活動すると仮定し、13-14歳に活動終了する 外国人の英語発音の流ちょうさは、アメリカでの居住期間に関係なく、ただ何歳のときにアメリカに来たかで決まった 自然順序仮説 natural order hypothesis。 第一言語を習得する児童は言語形態や規則を共通の順序で習得する。 第二言語でも同じ 二つの言語を同時に学ぶ子どもは、一つの言語を学ぶ子どもより概念形成が容易であり広い思考範囲を持つ 身体的条件のため発音習得に子どもが有利、認知的側面では成人が有利 二つの言語適性検査:Modern Language Aptitude Test, The Pimsleur Language Aptitude Battery 認知スタイル:場依存スタイルと場独立スタイル 行動主義の動機:強化と補償 認知主義の動機:探求、操作、活動、刺激、知識、自我向上 Horwitzの不安の3区分:特性不安 trait anxiety、状態不安 state anxiety、特異的状況不安 specific anxiety Scovelの促進的不安 facilitating anxiety と妨害的不安 debilitationg anxiety すべての不安が言語学習の障害になるわけではない。 9、上級者6. 7、ネイティブ8. 0 조음루프音韻ループを循環する速度で記憶できる量が決まる。 であるから私が死んだら東海の海に埋葬するようにせよ。 歴史家、ルネサンスはイタリアを中心に始まったギリシャの学問と芸術の再生運動 近代科学の始まりと終わりを知らせる事件:始まりは1543年コペルニクス『天体の運動について』。 終わりは1687年ニュートン『自然哲学の数学的原理』 질주疾走 1900-1979 バターフィールド Herbert Butterfield。 歴史家、科学革命はルネサンスより遙かに重大 ラファエロのアテネ学堂、絵、バチカン美術館の壁面装飾 1483-1520 ラファエロ Raffaello。 プラトンは幾何学が持つ驚くべき整合性をイデアという真理世界を照らす灯りと見た アリストテレスは、プラトンのアカデメイアを受け継ぐかわりにリュケイオンを設立 プラトンの学校は数学的真理に重きを置く反面、アリストテレスの学校は生物学的関心を新たに引き寄せた 現在残っているアリストテレスの著書は大部分がリュケイオンの講義ノート 1637-1714 Sebastien Le Clair。 画家、アテネ学堂の改作『科学アカデミーと美術アカデミー』 1499-1557 Niccolo Tartaglia。 数学、三次方程式の解法の発見 1300-1358 Jean Buridan。 スコラ哲学、内的な力、impetus 1316-1390 Albertus de Saxonia。 強制運動と自然運動の統一 カウガメラの戦い、ヨーロッパ科学史の中心移動 古代ギリシャ人は自らヘレンの子孫という意味のヘレネスと呼んだ。 ヘレニズムはここに由来する ムセイオンには数百万巻に及ぶ当代の書籍を保有するアレクサンドリア図書館によりさらに活性化された 土地測量こそ幾何学の語源 ユークリッド。 幾何学に王道なしと王に答える 275-194 エラトステネス Eratosthenes。 数学、地球の円周を計測 287-212 Archimedes. 凹レンズで船を沈める 유체정역학流体静力学 세태世態、世のありさま 手足の インド旅行中の人が見たヨガ修行中の人々。 手足頭の付き方が変な人間の記録 보기 좋게痛快に 평가절하平価切り下げ キリスト教が科学発展の大きな障害物になったという考え。 真実とは異なる 잠식蚕食 발상지発祥の地 죄의 사함을 받다罪を赦免される 中世文化の多くの新しい発見は修道院から始まった 뇌관雷管 담금질焼き入れ 965-1040 Ibn al-Haytham。 イスラム最大の物理学者、目が見えるのは物体が反射した光線が目に入るためと説明『光学の書』 맞춤 번역オーダーメイドの翻訳 universityはラテン語のuniversitasより、教師と学生が結成したギルド的結合を意味する 自由学芸とは言葉通りに自由人になるための教養として学ばなければならない科目をいう 序文の記載の効果で、コペルニクスの本は、1616年までバチカンの禁書目録に載らなかった 310-230 Aristarchos。 太陽中心説 ルターもカルバンもコペルニクスの太陽中心説をあざ笑った ベーコンはコペルニクスの太陽中心説を受け入れなかった ベーコンの帰納法 『大革新』の第二部はアリストテレスの著書『機関』をねらったことで有名な『新機関』である ベーコン、自然は第二の聖書 엄습하다奇襲する 전장戦場 장의터葬儀場 1517-1590 Ambroise Pare。 血管を糸で結ぶ止血法を開発 公開解剖は映画のようなショーと見なされるようになった せむし ヨーロッパ各地では解剖を専門に扱う劇場が次々と登場し始めた 1537-1619 Hieronymus Fabricius。 静脈の中のバルブの発見 1628-1694 Marcello Malpighi。 生物学、カエルの毛細血管の発見 収縮 対物凸レンズ 間を掃いて行く 振り子時計 1632-1723 Christopher Wren。 『数学的魔術』、1648年 足をすぼめることになる。 꼽추 수축 불록대물렌즈 사이를 쓸고 가다 진자기계 발을 오므리게 되다 ニュートンは万有引力が何なのか答えないのみならず、磁石の運動について生気論の支持者の側に立っていた。 地球は巨大な天然磁石だというギルバートの主張を、天体運動に導入したのがケプラーである。 명민하다 수석총 접안렌즈 오목렌즈 구면 수차 색 수차 取り調べする姿 暴走する 破格的 西洋ろうそく ハツカネズミ ラボアジェの『科学命名法』 琥珀を意味するギリシア語Elektronが電気のElectricityに 毛皮 こする 格子 副次的 真鍮の鉤 積み重ねる 1535-1615 ポルタ Giambattista della Porta。 『自然魔術』 共感帯 1794-1866 ヒューエル William Whewell。 Scientistを初めて使う 海蟹 ラマルクの『動物哲学』を出版した年、ダーウィンが生まれた 整える ウォリスは生物学者というより冒険家 ヘッケル。 進化論の伝道師を自認 加藤弘之『人権新説』で民権思想を社会進化論を使って批判 ヘッケルの優生学はナチスにも利用された 生まれつきの ざわめかせる 陰電荷 縮まる 青色 [強粒子]ハドロン 1868-1934 ハチスに忠誠を誓ったフリンツ・ハーバー。 科学史。 カウンセリング。 Becker。 経済学、人的資本論の創始者 private vice, public virture、バーナード・マンデビル 全員が自分の戦略を変えない状態、ナッシュ均衡 맞대응하다 正面対応する Elinor Ostrom。 Galeano。 ウルグアイのジャーナリスト、小説家『収奪された大地』 湯浅誠と雨宮花淋? 、 中進国は人の行動がお金で説明できる 方法論的個人主義、methodological individualism 方法論的全体主義、methodological holism 1834-1910 Leon Walras。 現代的一般均衡論の始祖 1899-1992 ハイエク Friedrich August von Hayek。 新自由主義の思想的父 1842-1924 Alfred Marshall。 経済学、部分均衡論の創始者 1915-2009 Paul Anthony Samuelson。 経済学、厚生経済学、アローの法則 レヴィ・ストロース。 人間は基本的属性は同じ、どんな構造を持つ社会に生まれるかで異なる属性を持つ 構造主義は変化を説明するのが難しい 経済的個人主義と構造主義の中間の試み 1857-1929 Thorstein Veblen。 社会学、『有閑階級論』ベブレン効果 協約主義 conventionalism 神がいるという命題は犬が吠えるという命題より意味がない 1891-1970 Rudolf Carnap。 ひどいな…… マルクスの理論、利潤率の傾向的低下法則が重要 나방 蛾 1913-2005 Paul Ricoeur。 現象学、解釈学、象徴とテキストによる意味論 1833-1911 Wilhelm Dilthey。 社会自体が変化するため 『なぜ80が20に支配されるのか?』 『地方は植民地だ』 Nicolai Kondratiev。 長期波動 銀行の不動産担保貸出 経路依存性 path dependency ゲイ指数の高い都市ほど創造性の高い都市。 Richard Rlodida『The Rise of Creative Class』 目的論的歴史観 telelogy 1884-1942 Bronislaw Malinowski。 機能主義人類学を創始。 歴史から分析へ 1902-1985 Femand Braudel。 歴史学、アナール学派の指導者、長期持続、時間の非均質性 1789-1846 Friedrich List。 ドイツの経済学者、経済発展段階論、kicking away the ladder 모기지 매몰비용 サンクコスト、sink cost 目的論を捨てると進歩の意味がなくなる 날 선 칼날 研ぎ澄まされた刃 オレンジ族 ヤタ族 インディペンド 1901-1991 Henri Lefevre。 構造存在論、形象哲学、ヘルメス智 1923-2003 H. Rombach。 ハイデガーの存在論を継ぐ ロムバッハの哲学を整理して紹介する本 기능주의적인 에움길 機能主義的な曲がりくねった道 精神はここでは世界や全体に該当する造語とみてよい 概念的でテキスト的な哲学は根本哲学に依存している二次的現象に過ぎない 추후적으로 最終的に 高揚解釈 이해방식의 상투성 理解方式の常套性 洞窟絵画の時代の文化は忘我境の文化 현존재 기투 現存在企投 점증하다 漸増する 촌철살인적인 寸鉄殺人的な 살판나다 幸運に暮らす すべてを生きているものと見るロムバッハは、すべての文化で万物の母とされる大地も、もちろん固有の生命と世界を持っていると見る 預言者と賢者、考える人という3種の精神状態 この類似性についてなにも知らなかったはロダンは、みなが考える人として知っている人物を、ミケランジェロの作品から審判者としてキリストが占めている場所へ配置した。 ヘルメス智とは排他的関係にある解析学もその名前の起源はヘルメスにある ロゴスによって屈服されたミュトスを通じて 얼개 仕組み 근절하다 根絶する 강보 おくるみ 황금 투구 黄金の兜 잉걸불 おき火 된서리를 맞다 ひどい災難に遭う ハイデガーは自身の全生涯を存在一般の根源的意味を明らかにすることに捧げた ハイデガーは科学は思考をしないと発言した 古代ギリシャ以後、ヨーロッパの精神史を実体、体系、構造という三つの言葉で表した 古代哲学と中世哲学、近代哲学は立地も哲学に関する状態も異なる ギリシャの思考が出会う方式は対話である 中世は論争もしくは討論 近代思考の立地は生でも信でもない自己の智、一般学と呼ばれる新しい学問 代数学が扱う抽象的な数概念は英知界に属し、幾何学の扱う図形は感性界に属していた。 哲学、天文学。 Horowitz、突然変異により酵素を得た、従属栄養生物から独立栄養生物への進化 S. Fox、プロテノイド説、タンパク質が核酸より先にできた T. Cech、RNA説 M. Gause ガウスの法則:二つの生物種が同じ生態的地位を持つことはない 家族family、群れherd、集団population 植物集団colony、鳥類集団flock、魚類集団school 雑種強勢の代表例、トウモロコシ 王冠バト、排泄物を埋める習性、果物の種が繁殖する 共生関係:相利共生mutualism、便利共生commensalism、寄生parasitism 外部共生ectosybiosis、内部共生endosymbiosis 中立、競争 便利共生、相助共生synergism、相利共生 偏害作用amenssalism、捕食predition、寄生 全的寄生obligate parasite、便宜的寄生facultative parasite 草食動物は微生物によりタンパク質を得るが、ヒトにはないので動物性の食べ物からタンパク質をとる 牛は子どもに唾を口移しで与える、反芻に必要な微生物を与えるため 石炭の廃棄物で荒廃した土地の回復にクローバー、Rhizobiumという根粒菌を利用 東洋ランは一株ずつ、西洋ランは数株ずつ 生物が多種に乗って移動するのを随伴移動phoresisと呼ぶ サン族の女性のお尻の円周は身長と同じぐらいに キツツキは一秒に15-16回つつく、時速4000kmの速さ しっぽの長いツバメはダニに強い 両性動物は卵巣と睾丸の両方を備えた卵精巣を持つ 遺伝子の調節過程:分化differentiationと調節coordination ウォロミ松、根の面積は1ha、樹齢15000年、3-4万年説も クレオソート松、樹齢11700年 永遠に死なない方法がないわけではない。 微生物、ウイルス、農生物学。 君が何をするにしごも、それの永遠回帰する方式でそれを維持せよ 今の人生をもう位置と完全に同じように生きてもいいという気持ちで生きよ! ペルソナをはがしてもまた別のペルソナを見つける 素顔が健康であれば多様なペルソナを使う力を得ることができる 李卓吾の『焚書』 50歳まで一匹の犬のように生きた李卓吾 禅で棒に執着せず現在に心を開いたら、棒打ちを受けない答えはほとんど無限大に存在する 現在の生を多い隠すときは、自身の観念の中の仏陀、祖師、羅漢、父母、親戚を殺せということ 山は山でなく、水は水ではない、という徹底した否定の末に、山は山であり、水は水であるという肯定を見つけることができる 儒教の形而上学、濁った心と澄んだ心を区別しようとしご成立したもの 氷のような固体の心、水のような麗落? の心の状態の区別 自性とは不変の自己同一性を表す仏教用語 心を鏡のように磨こうというシンスの考えは強迫観念の支配を受けているにすぎない 朝鮮時代は血の形而上学が支配した時代 1813-1900 Felix Lacher Ravaisson Mollien ラヴェッソン。 哲学『習慣論』 自己同一性の第一原理は習慣といっても過言ではない 環境の不一致。 突然の悟りの後に少しずつ修行しなければならない 知訥に従えば心と修行についご理論的展望を獲得してもそれは解脱を達成したのではない 1928- Humberto R. Maturana。 哲学 ケインズの手紙の一節、神が到着した!。 神=ウィトゲンシュタイン ウィトゲンシュタインが嫌悪したこと。 語り得ないことを他人にむやみに語る虚栄と自己顕示欲 論理哲学論考で言葉の意味を指示とした、指示のみが正しい言語の用法とした 「私は君が何を考えているかわかる」というのは正しい。 そしご「私は自分が何を考えているかわかる」というのは誤りである。 「私が規則に従うとき、私は選択しない。 私は規則に盲目的に従う」という 尽人事待天命、胡寅が三国志演義から引用 西洋人は神に祈祷する、東洋人は天命を待つ いつか落ちてしまう恐怖のために美しい姿と香りをなおざりにする花を見たことがあるだろうか? カントは人間のような自律的存在を目的と呼び、自動車のような他律的なものを手段と呼んだ 1941- 柄谷行人。 カントの他人を目的としご接せよを土台に反資本主義共同体を模索 英語の責任、response-ability、対応したり反応することが可能の意味 レビナス。 集団性を「他者を自身と顔を合わせる存在としご見ることではなく、ただ自身と並んで立つ者と認識すること」と規定 サルトル。 椅子などは存在、人は無と話した。 人を対自と規定した。 人間は事物と違い自分に対する存在 愛に落ちた者が望むことは愛される者が自分自身を絶対的に選ぶこと 孔子の恕、孔子が儀式のとき管理人に一つ一つ確認したのは相手への配慮のため 朱子は側隠之心、羞悪之心、辞譲之心、是非之心が、仁義礼知という種から出た芽だとした 丁若庸は反対に側隠之心などが原因で、仁義礼知が結果とした アレント。 人生において思考は権利ではなく義務であると強調した デリダは、プレゼントをあげた事実を忘れようという意志のみがプレゼントをプレゼントにすると強調した 1032-1085 程けん。 仁は何よりも苦痛への共感を意味する すべての人の苦痛を自分の苦痛のように感じる人は聖人である パスカル。 人間の心には心情と理性の二つ 女性は若い他者を十ヶ月も共存する イリアガイは女性のための言葉を作ろうと執拗に努力した 他者を愛するとき、愛する心をのぞくいっさいを心を空にしなければならない アラヤ識を切り落とせば揺れる心をあるがままの心へと変えることができる 仏教が内部から揺れる心を否定しようとする本当の理由は、他者に対する繊細な感受性を回復させるためだった 悟れる者の心は澄んでいる。 複製技術には本物のオーラがない 1863-1941 Werner Sombart。 経済における奢侈 バタイユ。 二つの世界大戦も過剰な経済エネルギーの爆発の例 王充、会者定離 1483-1540 王こん。 ホイジンガ。 遊びはいつでも延期したり中止したりできるもの 人の適性とは隠れた能力ではなく何をしごいるとき遊びの状態に近いか 1940- Jaccques Ranciere。 政治哲学、合意の圧力と不平等 シュミット。 敵と味方 1804-1872 Ludwig Feuerbach。 哲学、荘子哲学。 キャンベル。 世界の神話はすべて一つ、momo-myth 神話は過去ではなく時空を超越する永遠の現在を扱う。 古代の精神遺産を探索することで、現在を豊かにし未来を開く展望を読みとろうと思う。 済州島。 道教では心は欲望や苦の根元、気が生成の実体。 儒教の理こそ本当の根本 理気論の理一分殊説、万物が理を備える、精神的なものが第一原理、朱子や李滉 趙光祖1482-1519。 精一之功、君臣共治 金時習1435-1493。 迹佛儒心 己和1376-1433。 道教:何もしないのにすべてしごいる、気。 仏教:静かでありながらすべてを照らす、性。 儒教:静かでありながらいつも感じ取る、心 山林儒:徐敬徳1489-1546と廟堂儒:李滉、李粟谷 老論と少論 李滉。 理気は論理ではなく道徳的概念、天理の理、人欲の気、努力すれば理がやってくる、理が道徳心の四端、気が感情の七情になる 李粟谷。 四端も七情も気が発動したもので理が乗っている 宋子烈。 小中華意識、正統を重視することこそ本当の人倫秩序、明に続く文明の朝鮮、唯一の文明国 真景時代 朱子、事物の理知を考えさせ、認識の幅を広く、志を真実にする、心を正しくさせると明るい徳を輝かせることができる ゆにゅ1617-1680。 真実と誠敬、思考の過程を経れば事物の理知が心に感通するのが格物だとした 空疎、萌芽、曲直 陽明学。 客観世界のすべての存在者は、はじめから価値が決まっているのではなく、それに関係する主体との実践的な場で決まる。 心即理 朱子学。 心は真理や価値をわかる機能を持つだけ、心の中の本当の性のみが真理 中国では陽明学は広く庶民まで、儒教を民衆層に広げる役割を果たした 仏教、三処伝心 韓国性理学の二大論争:四端七情と人物性同異 李[シ翼]1681-1763。 実学 丁若[金庸]1762-1836。 実学の集大成者 参同契、先天真一之気、内丹説と易 東学、侍天主、人乃天 甑山教、東学の後継を自認 大[宗]教 圓佛教、佛教ではない新興宗教 大同教、孔教 韓龍運1879-1944。 佛教の改革、僧侶教育に基礎、師範、外国留学。 労働と妻帯を主張 申采浩1880-1936。 韓国哲学、西洋哲学。 禿頭、カツラにサングラス マリー・アントワネット。 母はオーストリア帝国の女帝マリア・テレジア、父は神聖ローマ帝国の皇帝、夫のルイ・オーギュスト、趣味や気質の不一致に性不具 Faber。 ショッピング中毒は強迫的購買 Scherhorn。 買い物中毒、否定的感情をなくすため肯定的結果を得ようとしご発達 Milt。 憂鬱、不安、緊張に継続的に苦しめられているときの解消法としごの買い物中毒 愛着関係は子どもだけでなく成人にも重要 すべてが夫の同情と関心を引きつけるための行動だった ゴーギャン。 35歳のとき芸術家の道へと踏み出す ビント・アルトビティ。 ラファエロの自画像かと論争 ゴーギャンとゴッホ、自分が何者か徹底的に探求 ユングのペルソナ、社会に適応するための演劇的仮面 少女が笑っているかは目尻を見ればわかるが、フェルメールの少女の絵ではぼかしてある 当時一番高価な青色の絵の具を多く使っている点が目に付く 自己ユーモア感覚、人生の逆説的側面を鋭く捕まえ楽しみ他の人たちを笑わせる能力 ユーモアは他の人に不快な刺激を与えずに葛藤を語ることができる ユーモアは観察的要素がないと使えない ユーモア感覚のある人は人間関係と不完全さをよく知っているだけではなく、受容し許すことができる ユーモアは逆境に直面したときに誘発される否定的感情に対処する防衛機制としごも機能する場合もある マックス・エルンスト。 哲学派画家 トラウマは事前に予測、準備、逃避、回避ができない 透視、自画像、卵を見ご鳥を描く絵。 レネ・マグリット デフェイズマン技法。 超現実主義、追放すること、日常的な関係から事物を追放し、異常な関係の中に配置すること 社会同体感理論、social idnentity theory。 社会関係は、個人と個人の関係、集団内個人と個人の関係に分けられる モナリザ、ジョコンダというフィレンチェの富裕商人の妻の肖像画、未完成のためダ・ヴィンチが所蔵しごいた。 女性の二つの本質、貞淑と放蕩、聖女と悪女、貴婦人と処女という相反する要素が結合しごいる 同時代の人は、ダ・ヴィンチを性的欲求や活動が明らかに低い人間と見なされていた ユングのエロスの4段階。 性的エロスと子供を生む生産性を象徴するイブの段階、美的でロマン的段階のヘレナの段階、宗教的献身にあがったマリアの段階、すべてを知恵で観照するソフィアの段階 アメリカ初の黒人画家バスキア ナ・ヘソク、羅恵石、1896-、韓国女性としご初めて油絵を専攻 美術治療によく使われるフリーダ・カルロの絵 幸福は、生活での小さな楽しみや大きな喜びに至る感情または欲求に誘発される比較的連続的な安楽状態。 満足は、欲求の達成に対する個人の主観的な感情の状態 ミレーの晩鐘、足下の駕籠には亡くなった赤ちゃんが入っていご祈祷するシーン ドイツの精神医学者、Wilhelm Naecke。 ナルシズムを提唱 ナルシズムは消費社会や社会雰囲気など素早く変化する現代社会の特性に適応できない現代人に現れる防衛機制 ジャングルの法則、強者に弱く、弱者に強い ヌードの肉体に描かれた等高線、脂肪除去手術では体に線を引くことから発案 タマラ・ド・レンピカ 著者が美大に通っていた頃 配偶者を選ぶとき周囲には私をお姫様のようにあがめる男性がたくさんいた 美術治療で特定の色ばかり使うのはその人の生活が均衡を保つことができないことを意味する ユング。 内なる闇を敵にしごはいけない 家庭生活がうまくできない女性が勉強することがまだ多いという心理学教授の発言 Bieling。 神経生物学。 2008年11月、土星探査船カッシーニ号が撮影しご送ってきた写真にはその衛星の北極地域の海から吹き出す巨大な液体の超音速水しぶきを捕捉し、微生物などの生命体が存在する可能性を提示した。 9 ヨーロッパの天文学者たちも2007年4月に天秤座で20. 5光年の赤色わい星クリス581星の周囲に13日周期で好転する地球質量の5倍の惑星を発見した 10 宇宙重力レンズ現象を利用した系外惑星探査 25 最古のSF作品の中の一つに数えられる紀元前2世紀の Lucien de Samosateの実在物語varae Historiaeもまた別世界を完璧に描いている。 27 1810年にドイツの物理学者Joseph von Fraunhoferが光のスペクトラムを分析する分光器を発明した事件がそれである。 28 Carl F. Gauss。 1822年、シベリア平原に一辺25kmの直角三角形の小麦畑をもみの木で囲む、月からでも見えるように サーチライト、thamzhodeng 31 1959年、Philp MorrisonとGiuseppe Cocconi、ネイチャーに星間通信を探しご、論文掲載 36 アメリカカルフォルニア大学のSERENDIP、Search for Extraterrestrial Radio Emissions from Nearby Developed Intellligent Population 43 外系生物学者カール・セーガン Charles Messier。 天文学、103の星団、星雲、銀河の目録を作る。 メシの目録 タイタンに着陸したホイヘンス号には地球人数百万人の署名が記録されたコンパクトディスクを載せた Joshua Lederberg。 遺伝的再合成、遺伝物質に関する発見 Xavier Bichat。 死を耐え抜く活動の総体 Jacques Monod。 一つの計画を与えられた物質の特性 Leslie Orgel。 複雑な情報を再生、変更させることができ、自然選択に従い進化する個体 Andre Brack。 自ら複製し進化できること Christian de Duve。 生命体と外部を区分する透過性の膜、自己複製を司る遺伝物質、生命体の機能を担当し空間的構造を形成するタンパク質 Friedrich Wohler。 化学、尿素の人工生成 nucleotide。 アミノ酸より複雑 タンパク質はL型アミノ酸から作られ、核酸はD型糖類から作られる 人間も従属栄養動物 Hermann Richter。 生命は宇宙から来たかもしれない William Thomson。 物理学、ケビン卿 Svante Arrhenius。 電解質、ノーベル賞 ミラーの実験、天地創造と同じ七日目に結果を確認した オパーリンのコアセルベート、Sidney Fox、アミノ酸を乾燥させたproteinoid 宇宙塵、直径0. 05-0. pH0. 7の強酸性に耐える 10億パスカルに耐える好圧性菌 地獄菌、地中3kmの深さに生息 南極の氷の地下のボストーク湖、3kmの氷を掘って到達 Jose Comas Sola。 タイタンの大気を指摘 Gerard Kuiper。 タイタンにメタンを確認 タイタンにアルゴンがあることは地質学的活動が活発であることを意味する タイタンの数十km地下に、水と15%のアンモニアの数百kmの深さの海が存在すると予想される エンケラドス。 悟浄は本来の心を悟る、仏教の八つの戒 三人合わせご、戒、定、慧に対応する 空はsunya、意味はふくらむ、何かが見える。 二つ目の意味に関連する インド数学のゼロもsunya 大乗仏教では自我の非実在性についご無我よりも無自性をよく使う 大乗仏教は法も実体がないと宣言するが部派仏教ではそこまではいわない すなわちこの二重否定が、中または中道と表現される 大乗仏教の百科事典、『大智度論』 『中論』の要約と言える偈頌、八つの不 不生、不滅:実在論の立場の発生と消滅を批判する 不常、不断:結果が発生するとき原因が結果としご変わらず持続するのでもなく、原因が結果と完全に断絶しご発生するのでもないという話 不一、不異:同一と差異への挑戦 不来、不去:原因から結果へ進行するのではなくだからといってでたらめに結果は発生するのでもない 帰謬法:プラサンガ、prasanga 空は存在と非存在を抜け出した第三地帯ではない 『中論』の注釈者、青目piNgalaぴんからは賢い人は事物が発生するとき非存在の見解を除去し、事物が消滅するとき存在という見解を除去するという 朱子は空を『老子』のいうあるようでないような境地であるとか、未分化の始原程度に誤解しごいる 根源性をもった非存在は古代中国に蔓延しごいた空についごの一つの理解であった 今はそれを科学的に解釈するといって場理論やエネルギーの概念と比較する。 実はこれも存在と非存在の論議枠にとらわれごいる もう一つの誤解は世界の土台としごの空や無である。 存在と非存在の共通基盤である場所である。 こうした否定的同一性は煩悩菩提、生死即涅槃という方式で紹介される 現在の中間を現在と考えると現在は過去と未来に二分される カントは空間より時間がより根本的な地点で作動するとした 宇宙論や存在論ではない。 慣れた思考に対する異議 論理的誤謬と文法的誤謬の指摘 主語と述語が縁起する。 それでは老子の道と同じになる 存在論ではなく認識論に近い 青目piNgalaぴんからは戯論は愛論と見論があるとした。 仏教学。 コルサコフ病 クレパレード Edouard Claparede。 明示的記憶、暗示的記憶 ミルナー Brenda Milner。 Mの研究 タルビング Endel Tulving。 エピソード記憶と意味記憶の区別 スクワイア Larry Squire。 陳述記憶と手続き記憶の区別、記憶定着の標準理論 記憶のリボーの法則 発達期記憶喪失症 developmental amnesia 海馬損傷の子ども、ただしほぼ正常に育つ ある特定の語と概念のみ喪失する症状、蜂についご説明を聞いても思い出せない アルツハイマー病はリボーの法則に従う 前頭葉精神錯乱、法則なし 側頭葉精神錯乱、リボーの法則の反対 PET、Positron Emission Tomography、陽電子放出断層撮影 MRI、Magnetic Resonance Imaging、磁気共鳴映像法 エピソード記憶の初期研究では海馬が登場せず シャクター Daniel Schacter。 神経学者、アルツハイマー病とコルサコフ病の記憶障害。 神社の巻属。 稲荷神社のキツネ。 ケガレからハレの状態へ戻る段階、神を迎えて神を受け入れ神と人間が直接間接的に交流して神人合一、カレからケ屁戻ること。 건드리지 않는 신에 동티나지 않는다, 제물을 좇아서... 日本神道と神楽 47 尹光鳳 演劇、戯曲、国語文学。 韓国のまん、ちゅん、さくに似る 能:観客が俳優に、彼は何もしないときが最高だというときがある 間が緊張感と美を作る。 間が不十分だと印象が弱くなる ばち音:三味線のばちが本体の皮に閉まる音? さわり音:三味線の首のでっぱりの第一弦に当ごながら摩擦音を出す 神楽歌、久米歌、東遊などの歌 篝火は神の降りる場を示す 琴のしずがきとはやがき はやリズムでは2拍と3拍の間、4拍と1拍の間が広がる さいばらは、せぼるに通じる、せぼるは新羅のこと 二の句が継げないの二の句は雅楽の二の句 和琴:長さ190cm、幅15-25cm 琴:長さ180cm、幅25cm 琵琶:4弦、4柱 琵:下から上に弾くこと 琶:上から下に弾くこと ひちりき:18cm、竹、前に7後ろに2つの穴 神楽笛:45cm 龍笛:40cm 高麗笛:36cm 笙:吹く息でも吸う息でも演奏できる、息継ぎ不要、演奏前には火鉢で暖める 笙、ひちりき、龍笛はそれぞれ、天地空を表現する楽器 笏拍子:長さ35cm、幅3. 狂言は口語体~でござる 文楽は上村文楽軒の劇団文楽座より 傀儡師、流行歌を歌いながら人形を操作する人たち 義太夫は歌うでなく語る 左遣いは左手で人形が舞台で使う小道具を扱う 足遣いは拳で女性の膝を表す 主遣いは20-50cmの舞台用の下駄をはく 人形の背は1. com。 エリアス『文明化過程』 文化と文明を区別し文化の概念を意識した最初の人物がカント 自然と対立する概念としごの文化 ドイツ語圏では文明は二流で外部と派生的なもの、文化は物質的文明はもちろん政治、経済などをのぞく人間の純粋な精神的活動の産物を称する 文化二種: 精神陶冶としごの文化:外面的物質的文明に対しご 民族的共同体的生の形式の文化:普遍的人類文明に対しご 人間の自然性は文化化の過程で廃されるべきものではなく、人間の人間性を展開さ��るのに不可欠な要素であり、文化化過程の試金石。 ルソー 実は「自然に帰れ!という有名な命題はルソーの著作には存在しない J. Herderは文化を人間精神産物、たとえば言語、歴史、風習、宗教など客観的、超個人的、普遍妥当なものと見た マルクスはスラブ農業構造の東洋的共同体を人間の自己実現の条件の主人としご生きる、追求するべき共同体の原型と考えた ゲマインシャフト、共同社会 ゲゼルシャフト、利益社会 1880-1936 Oswald Arnold Gottfried Spengler。 シューペングラー『西洋の没落』 ギリシャの魂は文化、ローマの知性が文明 Doris様式 文化は「なぜ」はない。 文化には発生の根拠はあっても普遍的正当性がないため。 人権のような普遍的な価値は「なぜ」があり「なぜ」がなければならない 文化は善し悪しの問題、人権は正しさと誤りの問題 文化の交流自体が多文化と出会い先立つ文化を力動的に変化さ��るだけでなく、融合されたまた別の文化を生み出さ��る。 Welsh 文化理論、文化哲学、文化科学、文化学 文化科学:文化理論学、文化社会学、文化歴史学、文化心理学 C. Geerts:解釈学的文化人類学 ウェーバー:人間は自分が作った意味の蜘蛛の巣にからめとられた存在、文化は蜘蛛の糸 エロスは現実原理であるアナンケの中で 自我はイドと外部世界との媒介者 自我の重要な機能はイドの調整 1897-1990 N. Elias。 エリアス。 文明理論の先駆者 ホイジンガ。 外的な生活様式、日常儀礼、礼法がその時代の社会的精神的生とどれほど密接な関係があるかを示した ウェーバー。 国家は正当な暴力の独占と把握 つばをはく動作すら社会的タブーが内在化した習慣としご自律統制された結果 リッケルト『文化科学と自然科学』1926、自然科学の方法では決しご文化に接近することはできない。 意味と価値の学から、価値連関的な世界観を成立させる学としご文化科学を作らねばならない カッシーラーの文化科学は独立した一つの専門科学ではなく、言語学、宗教学、芸術学などの総体的概念『象徴形式の哲学』文化を象徴形式の有機体の総体と見た 文化を人間学的観点、人間の本性についごの哲学的観点 文化を歴史的発生と変形の運動過程から展望 文化についご合理的研究方法論を通して人文科学の 文化を社会構造、理念、価値観から批判的に シュラー、哲学的人間学しご始める O. Bollnow。 人間の本質的特性から文化を理解、人間学的還元 ディルタイ。 客観的な人間の産物から人間を理解 文化は遺伝より保存でありそれが伝統だ。 ラントマン シューペングラーの8大文明:エジプト、バビロニア、インド、中国、古代ギリシャとローマ、アラビア、メキシコ、西洋 文化から文明への移行:ギリシャローマは4世紀、西洋は19世紀 文化科学は単純な経験事実科学でも価値論的形而上学でもない 鉄道文学 1929-2007 J. Baudrillard。 ポストモダン理論家、simulationシミュラシオン、原本も事実生もない実在、派生実在をモデルとしご作り出す作業、マスメディアのイメージ、シミュラクル、実在の人為的な大体物 1918-1990 L. Althusser。 アルチュセール。 マルクス主義構造主義 1891-1937 A. Gramsci。 グラムシ。 イタリア共産党設立者 主体はイデオロギーが作った効果。 アルチュセール 1903-1969 Th. Adorno。 文化産業は人間の成熟した解放を妨害しごいる。 独 1915-1980 R. Barthe。 Campbell。 神話は集団の夢、夢は個人の神話、詩はその接触点 神話と詩の共通性は表現形式からわかる 愛があるときは裸でも恚ずかしくなかった 知恵の木の実を食べて恥ずかしがるようになった Levi-Strauss。 神話から意味ある要素とは矛盾そのもの 光武帝の頃、西暦42年、亀旨の変な音、加耶の始祖首露王の話 イザナギとイザナミ、知恵、悪知恵の男女の意味 洪水と酒 木の箱に乗ご子を川に流す、モーセ、拾ったの意味 羊水の破裂を洪水と認識したのではないか 金ユシンと金春秋、蹴鞠で知り合う、着物のひもをわざと踏んで家で相談しようとした シンデレラの核心のモチーフは、履き物で主人公の正体が分かること 継母が服を出そうと首を入れると、ふたを閉じて首の骨を折って殺した シンデレラの長女、足を入れるため指を切り落とす、次女はかかとを切り落とす 宇宙の踊りを踊るシバ エドモンド・リーチ Structuralist Interpretations of Biblical Myth 新約聖書にはマリアという名前の女がたくさんいる、みなイエスの復活を目撃 宇宙の子宮 迷宮の話 和泉雅人 全南地方の採録された巨人の伝説、洪水により北の人は南に流され、南の人は海を越えて日本に流された マタイ福音書はギリシャの翻訳本に依存したため誤訳した、処女ではなく若い娘 シンデレラの継母が実は怖い実の母だったという結論 愛の論理の元では死も春のひとときの眠りだ 私たちは愛の力で奇跡を起こす。 国文学、詩人、評論。 アメフラシ、条件反射 フロイトの最初の理論はAffect-Trauma Theory、二番目がTopographical Theory、三番目がStructual Theory 集団的防衛機制、Scapegoating 防衛機制、隔離、Isolation フロイトは二番目の理論を放棄したとき無意識という用語をなくし他の言葉に変えなければならなかったのに、そうしなかった イドと同じく原始的で非理性的なのが超自我、なぜなら両親が人間だから 理念や価値は超自我に対する恐れに由来する偽善とフロイトは考えた 超自我は気まぐれな暴力が生み出す恐怖で権力を維持している暴君である フロイトはすべてが欲望に由来すると考えた クラインは欲望より恐怖が重要と考えた 精神分析の主流2派、アンナ・フロイトの自我心理学とクライン派 クラインの幻想、Phantasy クラインの悪い対象理解に最適な映画エイリアン 人は人に記憶としご残るのではなく、心の一部としご残るのだ p130 投射的同一視:自分の信念を相手に投射し、その人を仮定し、そういう傾向が出るように誘導し、自らの信念の正しさを確信する。 1889-1964 W. Fairbaim。 ブルーナー。 オットー。 神学者、比較宗教学、numinous。 独 1886-1965 Paul Tillich。 ティリッヒ。 神学者、実存主義哲学。 独 ジェームスの神秘体験の4要素:不可形言性ineffability、知恵の特性noetic quality、受動性passivity、一時性transiency 子どもは表層的信仰、大人は深層的信仰に 少数の仏教人は六道を現在の心の状態と見る 『笑っているイエス Laughing Jesus』ティモシー・フリーク オ・カンナム『イエスはいない』金髪青い目のスウェーデン人のイエスではないように、今まで信じごいたイエスは本物か問うた本 深層に入った人は特殊認識能力の活性化に至った人 トマ福音、1945年エジプトで農夫が発見、そのイエスは信じろも従えも言わない 1904-1984 Karl Rahner。 ラナー。 カトリック神学 1260-1327 Meister Eckhart。 エックハルト。 独 エックハルトは匿名の仏教徒とも呼ばれた Seven Story Mountain トーマス・マトン 懺悔よ。 天国は近い。 他の存在とは質的に異なる何かという意味。 道家で無といい、仏教の空で言う キリスト教の象徴の魚、イクトス、イエスキリスト神様の息子救世主の頭文字を取るとichuthsとなるため選ばれた、iesous Christos Theou Huios Soter 十牛図:最後は町へ出て人助けに隣人に奉仕に出る チベット出身のチョガムトゥルンパTrungpa、弟子たちと性関係、アルコール中毒に インドのムクタナンタSwami Muktananda、アメリカで未成年者と性関係に クェーカーの祈り、一時間瞑想しご内面の光を待つ、浮かんだ考えをお互いに分け合う 21世紀の霊性、深層宗教とは祈祷と瞑想を取り戻すこと アビラのテレサ『霊魂の城』 変成意識状態 ASC: Altered States of Consciousness 神秘的意識状態 MSC: Mystical States of Consciousness 高揚した意識状態 HSC: Higher States of Consciousness 意識に上ることができない前段階と意識を超えた超越段階の区別ができない前超誤謬 pre-trans fallacy。 ウィルバー 非正常的な退行regressionと超越的な次元の体験の区別が必要 カトリックの悪魔の弁護人 devil's advocate 奇跡の地へ派遣されて検証する 経典の読み方の四種:文字的表面的、比喩隠喩的、ミドラッュmidrash式、神秘主義的 1824-1864 チェ・ジェウ、水雲。 東学を創始 人乃天:人はすなわち神、同一性の主張 侍天主:神の内面奥深くに仕える 事人如天:他人を神としご尊敬する 1901-1933 イ・ヨンド。 改新教の牧師。 復興会 1890-1981 多夕、柳永模。 Jeremy Rifkin シュバイツァー博士、アフリカで窓を開けず、ランプで虫を殺すのを心配した、治療時に細菌を殺すことも罪悪感を感じた にゃにゃ主義と、とど主義 蛇は悪い意味を持つが、立っている蛇はとてもよい意味とされる トマス福音書では神の国は心の中にあると言う リュヨンモ先生は宗教は死をなくすものと言う 一つしか知らないものは何も知らないのだ。 マックス・ミューラー 自分の宗教を知るためには他の宗教を知らなければならない 宗教や哲学がギリシャやユダヤだけが考えたと思うのは形而上学的帝国主義者。 ハンス・クーン Terror that Comes in the Night 夜に訪れる恐怖 David J. Hufford Life Together 信徒の共同生活 Dietrich Bonhoeffer マルティン・ブーバーは荘子に心酔しごいた The Heart of Christanity キリスト教の心臓 Marcus J. Borg Spiritually Named Compassion 霊性 慈悲の力 Matthew Fox Interior Castle 霊魂の城 Teresa of Avila Out of My life and Thought 我が生涯と思想 Albert Schweitzer Zen Budhism and Psychoanalysis 西洋哲学と禅 Erich Fromm The Case of God 神のための弁論 Karen Amstrong The Seven Story Mountain 七層山 Thomas Merton The Imitaion of Christ キリストを見習いて Thomas a Kempis Always Pilgrim 東洋的キリスト教霊性 Thomas G,Hand Jesus Mysteries イエスは神話だ Thimothy Freke, Peter Gandy Introducing Theologies of Religions 宗教神学入門 Paul F. Knitter Dynamics of Faith 信仰の力動性 Paul Tillich If God is Love 慈悲のない世の中で神をもう一度探す Phillp Culley, James Mulholland Chiristanity キリスト教 本質と歴史 Hans Kung Gandhi Interprets The Bhagavadgita 平凡な人たちのためガンジーが解説したバガバッ.

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