いちげん さん。 訪日客バブルと日本人の京都離れ コロナで回帰「いちげんさんお断り」の哲学【#コロナとどう暮らす】(京都新聞)

「一見さんお断り」の店は本当にある? 知っておきたい京都人の考え方

いちげん さん

『 京都に行く前に知っておくと得する50の知識 - 初心者からリピーターまで、京都に行くならどっち!?』(柏井壽著、ワニブックス)の著者は、生粋の京都人。 現在は京都市北区で歯科医院を開業するかたわら、京都の魅力を伝えるエッセイを執筆したり、京都や旅をテーマにしたテレビ番組や雑誌の監修も務めているのだとか。 そんな著者は、京都について次のように記しています。 京都は迷う街である。 と言っても、道に迷うという意味ではなく、いつ行くべきか、何を見るべきか、どう動けばいいのか、何を食べるのか、どこに泊まればいいのか、などなど、旅に出る前に迷い、京都についてからも迷い、そして帰ってからもまた迷う。 そんな迷いである。 (「はじめに」より) しかし迷うことがたくさんあるのは、それほど京都が奥深く、幅広いから。 さほど大きくない街のなかに、旅の愉しみがぎっしりと詰まっているということです。 そこで本書では、京都人としてのバックグラウンドに基づき、旅行者が迷ってしまいがちなポイントや、ありがちな悩みに対して「二者択一」形式で回答しているわけです。 きょうはそのなかから、なにかと気になる京都人の「人あたり」に関するトピックスを抜き出してみたいと思います。 京都には一見さんお断りの店が「たくさんある」「滅多にない」どっち? 祇園あたりの店を表現する際に、「一見(いちげん)さんお断り」という言葉がよく使われます。 いうまでもなく、紹介者がない状態で、初めて訪れると断られるお店のこと。 それは、「あるとも言えるし、ないとも言える」のだそうです。 祇園を筆頭に、著名な料亭や割烹は基本的に予約制をとっているもの。 いきなり飛び込みでそうした店に行き、入れてもらえたとしたら、よほど幸運だと思ったほうがいいわけで、そういう意味でなら「一見さんお断り」の店はたくさんあるということ。 しかし、店に予約の電話を入れたとき、「馴染みでないから」と門前払いするような店はほとんどないはずだといいます。 「評判を聞いて」とか「雑誌の紹介記事を見て」などと付言して頼めば、紹介者がいなかったとしても受け入れてくれるのが京都の店だというのです。 そういう意味では、「一見さんお断り」の店はほとんどないということになります。 ただし、唯一「一見さんお断り」を貫いているのが花街のお茶屋さん。 それはお茶屋遊びの花代、飲食費、交通費など、すべての料金を客に替わってお茶屋が立て替えて払うシステムだからで、信頼関係のない初見客を受け入れないのは当然の話。 料理屋とは仕組みが違うわけです。 とはいえ、「せっかくの京都なのだから、お茶屋遊びも経験したい」というのなら、(もちろんそれなりの出費は覚悟する必要があるものの)宿泊先のホテルや旅館から紹介してもらうという手もあるそうです。 あるいは、一軒でも京都に馴染みの店があれば、そこの主人やお上から紹介してもらうのもひとつの手。 数珠つなぎ的においしい店を巡るというのは、料理屋同士が親しくしている京都ならではのことだといいます。 京都の家でお茶漬けを勧められたら、「食べる」「食べない」どっち? 京都人の性格を表すエピソードとして有名なのが、「京のぶぶ漬け」です。 時間はちょうどお昼前後。 と、京都人からお誘いがあった。 「お茶漬けでもどうです?」。 と、しかし、これは早く帰れという意味で、実際にお茶漬けなど用意されていない。 なぜかといえば、京都人なら食事どきによその家を訪ねたりはしないから。 用件があって訪ねる際は、必ず事前に連絡し、どの程度の時間を要する話かをそれとなく先方に伝えておく。 訪問を受ける側はそれに合わせ、玄関先で済ますか、座敷にあげるか、食事を用意しておくかなどを検討する。 訪ねる側も訪ねられる側も、そのあたりを心得たうえで応対するので、「玄関先で長話」という状況にはならないというのです。 ましてや仮にそういう事態に陥ったとしても、「ぶぶ漬け」を持ち出すことはないといいます。 もし切り上げたいときには、「主人に頼まれたことを忘れてた」など「用事」を使うものだから。 互いを傷つけることなく、嫌な思いもせずに済ませるための方便だということ。 京に都が定められて千年以上ものあいだ、しばしば京の街は戦の場となってきた。 時の為政者たちが、あるいは天下人たちが、京の街を我がものにしようとして戦いを続けてきた。 そこに巻き込まれてきたのが、都人だ。 戦争や戦乱は、敵味方が一定することはなく、昨日の敵は今日の友、という言葉どおり、敵味方が入れ替わり、あるいは入り乱れ、その都度、都に住む人々は戦々恐々として暮らしてきた。 (181ページより) だからこそ京都人は、「なによりの方策は、敵味方を明らかにしないこと」だと気づき、曖昧な言葉遣いをして、旗色を明らかにしてこなかった。 それが現代にも残っているため、「京都人の言葉には裏がある」とされるのだそうです。 (178ページより) 歓迎されているのは「おいでやす」「おこしやす」どっち? 京都を訪れる旅人が知っておきたい京言葉のひとつが、「よろしいな」という相づちだといいます。 たとえば割烹店のカウンターで夜の食事をしていたとき、店の主人との会話のなかで、「昼ごはんは、ある料亭で食べた」という話をしたとします。 そして、いくらかの自慢の気持ちも込めて「とってもおいしかったです」と言ったところ、店の主人の口からは「よろしいな」との返答が。 この場合の「よろしいな」は肯定ではなく、ましてや羨んでいるはずもないでしょう。 京都の店で、他の店のことをとやかくいうことは慎みたい。 店の主人としては肯定も否定もできないからで、それを話題にすることは避けてほしいという意味で「よろしいな」を使ったというのです。 とはいえ「よろしいな」が、まったく違った意味で使われる場合も。 いい例が、京都人同士の知人がばったり出会ったような場面。 「お出かけですか?」 「ちょっとそこまで」 「よろしいなぁ」 どこへ行くのか尋ねながら、答えを期待しているわけでもなく、曖昧な返答にもかかわらず「よろしいな」と相づちを打つ。 どんな答えが返ってきても、「よろしいな」。 つまり本音は、「どうでもよろしい」だというのです。 そして、同じように聞こえて、微妙にその使われ方が異なる京言葉も。 「おいでやす」と「おこしやす」がそれにあたるのだそうです。 「おいでやす」は、店に入ってきた客すべてに掛ける言葉。 「おこしやす」は、ようこそよく来ていただきました、という歓迎の言葉。 ふたつの言葉は、どちらも歓迎しているように聞こえるところがミソ。 「おいでやす」という言葉をかけられて気を悪くする客はいない。 しかしそこには明確な区別があり、「おこしやす」とは言ってもらえないのだ。 (185ページより) 京都の店で差別を受けることはないものの、区別されることはあるといいます。 しかし、その区別を客に気づかせないという配慮は、いかにも京都らしいと著者。 このような細かい区別をするため、京都人は「イケズ」だと言われることもありますが、決してそういうわけではないというのです。 それは、相手を傷つけることなく、自分も傷つかずに済む方便を練り上げてきた結果。 そこを理解しないと、京都人気質の本当のところはわからないし、場合によっては京都嫌いになってしまうかもしれないそうです。 (182ページより) 「見るべき場所」「食べるべきもの」なども含め、京都人だからこそ伝えることのできる情報満載。 京都へ旅行するのなら、ぜひとも読んでおきたい1冊です。 (印南敦史).

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Josip Lazić

いちげん さん

古都・京都は新型コロナウイルス感染拡大前、多くの外国人観光客であふれ「外貨」を稼いだ半面、混雑など「観光公害」に悩まされていた。 コロナ感染拡大で祇園などを行き交った訪日客の姿は激減し、19日に都道府県間の移動自粛が解除されても、回復の未来図はまだ描けない。 ポストコロナの観光をどう見据えるのか。 そのヒントは、京都の花街・祇園に息づく「いちげんさんお断り」の哲学にあった-。 (京都新聞社) 大通りから一歩入った細い路地。 宵闇の中を、つなぎ団子模様のちょうちんがぼんやりと光る。 350年の歴史を持つ京都の花街・祇園。 大仰な看板や装飾はなく、古くから続くお茶屋や飲食店が静かに軒を連ねる。 そんな祇園のお茶屋で、営業自粛を強いられていた4月中旬、新たな試みがあった。 祇園甲部のお茶屋「大ヌイ」の若女将・村上斗紫(とし)さん(34)が親交のある人たちの協力を得て、パソコンやスマホのビデオ会議アプリ「Zoom」を使った「Zoomお座敷祇園チャンネル」を試験的に開設。 「オンライン飲み会」とは一線を画し、無償で、参加者は画面越しに舞妓の舞踊や花街文化にまつわる語らいを楽しんだ。 参加者はかねてからの顧客で、村上さんがSNSで友だち認証した人たちだ。 若女将が認めた人だけへの「限定公開」。 京都特有の「いちげんさんお断り」はオンラインでも踏襲した。 「もちろん女将さんたち、芸舞妓さんが培ってきたお座敷が何物にも代えられない、一番大切なもの。 でもコロナで京都に来られない状況が起きてしまった。 これまでのお客さまを大切にしつつ、どう花街の文化をつなげていくのか、ネットとの付き合い方も考えざるを得ないのでは」。 祇園の伝統をポストコロナの状況下でどう守るのか、村上さんは模索している。 「いちげんさんお断り」というと、京都以外の人は京都人の「いけず」なイメージを思い浮かべるかもしれない。 テレビのバラエティー番組のデフォルメされた宣伝効果もあり、京都人にはどこか「排外主義」的な印象がつきまとう。 コロナの感染拡大前、祇園は多くの外国人観光客でにぎわっていた。 インバウンドにより宿泊施設や飲食店などが潤った一方、文化の違いによるマナー違反も発生。 ごみや騒音、芸舞妓の無断撮影などだ。 「道沿いの玉垣に寄りかかる」「軒先などの私有地に入る」「巽橋・新橋の欄干に腰かける」…こんな行為はNG!と、祇園新橋地区の景観づくり協議会はチラシやホームページなどでマナー違反の具体例を挙げて啓発。 外国人観光客に理解を求めてきた。 祇園町南側地区の地元協議会は、英語や中国語に対応できる警備員を配置するなど、観光公害対策に腐心してきた。 昨秋は私道での無許可撮影に「1万円申し受けます」と記した高札を設置した。 一方、こうした取り組みに対し、ネット上では「京都はいちげんさんお断りだから」「観光でもうけているのに、排外主義だ」との批判も散見される。

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いちげんさん : 作品情報

いちげん さん

解説 京都の四季のうつろいの中に、外国人留学生と盲目の日本人女性の愛と別れを描出するラヴ・ストーリー。 監督は『ONCE in TIME』の森本功。 第20回すばる文学賞を受賞したデビット・ゾペティによる同名小説を、森本監督が脚色。 撮影監督にピーター・ボロッシュがあたっている。 主演は、「仮面の男」のエドワード・アタートンと「Lie lie Lie」の鈴木保奈美。 第1回京都シネメセナ助成作品。 2000年製作/122分/日本 原題:Ichigensan 配給:メディアボックス ストーリー 1989年、古都・京都。 大学で日本文学を学ぶスイス出身の留学生「僕」は、町でガイジン扱いされることにうんざりしていた。 ある日、彼は盲目の女性・京子に本を読んで聞かせる「対面朗読」なる仕事を引き受ける。 対面朗読は『舞姫』から始まった。 朗読の合間、ふたりは様々な会話を楽しみ、町へ出ていくことも多くなった。 やがて、深く心を通わせるようになったふたりは恋に落ち、結ばれる。 季節は巡り、卒論を仕上げた僕にフランスのテレビ局の通訳の仕事が舞い込んだ。 その仕事の成功により、パリで就職先を紹介して貰った彼は日本を離れることを決める。 一方、独立心の強い京子もまた就職を決めていた。 それぞれの人生の転機を迎えたふたりは、桜の花びらが舞う夜の円山公園で別れた。 白い杖を手にひとりで歩いていく京子の後ろ姿を、僕はいつまでも見送った……。 「デスカムトゥルー」 C IZANAGIGAMES, Inc. All rights reserved. 「ソニック・ザ・ムービー」 C 2020 PARAMOUNT PICTURES AND SEGA OF AMERICA, INC. ALL RIGHTS RESERVED. 「エジソンズ・ゲーム」 C 2018 Lantern Entertainment LLC. All Rights Reserved. 」 C 2019 Sony Pictures Television Inc. and CBS Studios Inc. All Rights Reserved. 「ドクター・ドリトル」 C 2019 Universal Pictures. All Rights Reserved.

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