ロベルト ビア ジーニ。 ジョー・ビアジーニ

brand | Silvano Biagini

ロベルト ビア ジーニ

〈お断り:このエントリーは、元々2013年12月頃に書こうとしていた『サンフ、、』というエントリーに付属して書こうと思っていたものだが、例によって例のごとく筆が進まず、そしてについて書くなら今のタイミングしかないだろうってことで、先にこっちを仕上げてみた。 1994年のとか2004年のとかヤングリーズとか。 その中でも最も熱狂したチームにリーガを制した1995〜96シーズンのがある。 どのくらい熱狂したかを説明するために、2000年にインターネットを始めた同時に始めた日記サイトの以下の文章を再掲しよう。 (1995-96シーズン) 記録を調べると95-96シーズンに優勝したの総得点はに次いで2位、失点はリーガ最小、ということはすごくバランスの取れたチーム構成だった風に思われるかもしれないが、それは明らかに当てはまらない。 ディフェンスラインの無謀さは広く知られる処だったし、攻撃陣のオプションの無さもかなりのもの。 チーム得点王のペネフは31点でトップのピッツィに遠く及ばない16点で7位だし。 キーパーのモリーナは意味も無く飛び出してくる。 やのようなイロモノではなく、キーパー=スイーパーの概念を確立したといえなくもない。 2部落ちとユーロ2000での屈辱を味わった後、ラコルニャへ移籍。 は右がサンティで左がソロサバル、サンティは当時代表にも選ばれ、その後すぐにクレメンテ代表へ呼ばれるなど若手生え抜き躍進の象徴だったため、2部落ちの今でもクラブに残って頑張っている。 ソロサバルはチーム絶好調時からアンティッチと対立し、翌シーズンにはベンチから外された後、へ放出。 右サイドにはロペス、代表にも選ばれていたのに後半からヘリにポジション奪われ、すぐに消息不明、ヘリは左サイドもやっていたが、2部落ちでへ。 左サイドは下手だけど信頼篤いキャプテンのトニ、右が攻撃的な分ほとんど上がらない。 ヘリが左サイドへ来てからはスタメン落ち、でもキャプテン、クラブが2部に落ちても、ヒル会長の逮捕に抗議する声明を読み上げる時もキャプテン。 中盤の底には、よりディフェンシブな壊し屋ヴィスカイーノとよりオフェンシブな壊し屋「ダーティー」、時代が時代なら今の/くらい「効いていますねえ」を連発してもらえるタイプ。 攻撃的なパンティッチはと以外は何の役にも立たないし、守備もしない、でも一発のパスさえ決まれば全て帳消し、という点で同郷のを彷佛とさせた。 カミネロはワールドカップ94後のドイツやのサッカー雑誌にスペインを代表する選手として載る程の天才、私もこの時期あわてて戦やイタリア戦を見直した。 やる気がない時が多いのも特徴。 ターゲットにペネフ。 キコは背が高いけど、実は足元の上手い2列目アシスト王だったりした。 控えにはあと中盤に代表のロベルトがいたくらいか。 このメンバーで優勝し、翌96-97シーズンは右サイドにヘリよりも(ヘリは左へ)、に代えてベイブル、ペネフに代えてエ、とマイナーチェンジ、のはずだが、ベイブルは移籍当初レギュラーという感じではなかったし、ソロサバルの代わりも思い出せない。 にもかかわらずペネフよりもエの方が記憶に残っている。 記憶の混乱は仕方ない。 資料に拠ると、96-97シーズンははまだいて、ヴィスカイーノの代わりにベイブル、やる気ゼロのカミネロの代わりにを中盤で使うなど。 ソロサバルもまだレギュラーで、翌97-98シーズンにはにアンドレイ/プで、ビエリ/ホセ・マリ/などが加入するが、それはまた別の話。 97年3月、悲劇は訪れる。 リーガで3位以内、国王杯で準決勝、でベスト8と全てに可能性を残したは薄い薄い選手層にもかかわらず、その全てを獲得するべく、週2試合ペースをベストメンバーで挑む。 その結果は、の準々決勝戦のセカンドレグ、エがPKを決めればほぼ勝利という中で外し、延長での若手ダニに決勝ゴールを決められてまさかの敗戦、当時はで放送しており、人に頼んでこの映像を見、ショックで立ち直れなかった。 その後の国王杯ではに5対4くらいの滅茶な試合で大逆転を食らい、敗退。 強行日程の中、リーガの方も大事な試合を落として結局全てパー。 崩壊のきっかけはここにある。 レギュラー以外のメンバーが落ちる中、制も存在しない、まさに「ウルトライレブン」で3冠を狙うバカがいた牧歌的な時代を忘れてはならない。 改めて読むと、事実誤認もあるだろう。 さて、あれから約20年、回想してからでも約15年が経過し、実際どのくらい過密日程だったのか、どのくらい固定メンバーだったのか、どのくらいしたのか、調べてみようかと思った。 あの頃よりネットの情報も充実し、便利になった。 調べに使ったのは()と()。 サイトの情報が正しいかは分からないけど、まあアバウトなスペイン人もサッカーに関しては真剣だろう。 私が記憶を基に便宜上付けた。 この勝利で4位に浮上、首位まで勝ち点10差。 日程の3分の2を消化した頃だし、まだまだ3冠のチャンスあり。 ホームで勝ちたかった処だが、まあ御の字の結果か。 重要なとの間だから当然。 これで勝ちは大きい。 しかしアルファロとカルロスは全く当時の記憶にないな。 ネットによると、アルファロがDF、カルロスがFW。 思惑通り。 をMF起用、カミネロをFW起用だったのかな。 アウェイのだから相手に合わせたフォメにしたのかもしれん。 なおプは1997年1月に前年のCLで対戦したから引き抜いたのでのCLでは出られない国内戦専用。 ちなみにこのシーズンのとは、リーグ戦でもアウェイ3-3、ホーム2-5と、完全にバカ試合製造カードになっている。 でも後半からとカミネロ投入って事はやはり勝ちたかったのだろう。 割り切って休ませれば、戦のコンディションも違っただろうに。 多分トニをCBで起用。 2つ目の撤退。 俺の知っているベストメンバーで玉砕。 この印象がずっと残っているのは確か。 っていうか、週半ばに120分戦っておいてほとんど同じメンバーっておかしいだろ。 GKはモリナ固定、両SBはトニ/ヘリ/ロペス/でローテ。 CBはサンティ/プがレギュラー、控えにソロサバル。 後ろMFはベイブルと、控えにビスカイーノ。 前のMFにカミネロとパンティッチ、控えの汎用MFにロベルト。 FWはキコとエ、控えのFWと前MF兼用にパウノビッチとビアジーニ。 控えFWにフアン・カルロス。 1試合のみのパブロ・アルファロを入れて計20名。 SBはまあまあ豊富。 ビスカイーノとロベルトは計算が立つ。 パウノビッチとビアジーニは汎用性が高くて重宝したけど、レギュラーよりは格落ち。 後は正直数合わせ。 はしているけど、層が厚いとは言えない。 こんな感じかな。 ついでなので、当時の日記を引っ張り出してみた。 日記には基本的に見たテレビのタイトルと観に行った映画のタイトルしか書いていなかった。 が96〜97シーズンの放映権をこの時期にようやく手に入れたからなのか、1997年1月から怒涛の放送を始めた記憶がある。 4か月前の試合を放送するのだから、牧歌的な時代。 実はあの頃代表ももベイブルも好きだけど、のベイブルには良い印象がなかった、というか前年度のチームが、そしてビスカイーノが好きだったからベイブルの加入には複雑だったが、このゲームに関しては素直に褒めている。 当時の俺の心境や如何に。 あの頃のCLはスカイTVだかパーフェクトTVだかだかで放送してて、それが全部映るケーブルテレビに加入しているオサレなマンションに住む社会人の先輩にビデオテープへの録画をお願いしていた。 記憶にないが文字情報か何か。 まだネット環境はなかったし、大学の図書館でジャパンタイムスのスポーツ欄だけ見て粗筋を確認したのかもしれない。 余談だが、私の1997年3月といえば大学卒業が決まって就職が決まっていない時期。 まああの頃はその後に困難な人生を送るロスジェネになるとは思いもしないで呑気していたし、のんびりサッカー見て楽しんでいたはず。 ソロサバル(1969生)ロペス(1969生)(1969生)ヘリ(1969生)モリナ(1970生)の世代は代表で主力になる程にはならなかった。 プ(1972生)ベイブル(1972生)キコ(1972生)エ(1973生)サンティ(1974生)も華々しかったデビュー時に比して実績を残したとはいえない。 ロベルト(1973生)ビアジーニ(1977生)パウノビッチ(1977生)は若き可能性のまま終わっちゃった感。 のを読むと「ヒルは潤沢なをに投下し強化を推進」とか「ヒル会長の行った大型補強の成果」(ちなみに1998シーズン後に残っているのは20名中7人、2000年シーズンの降格後にはモリナ、ロペス、ベイブルが去り、サンティ、トニ、、キコの系4人しか残っていないので、元々傭兵感漂う選手構成だったのは否めない)と書いてあるので、当時それなりに評価の高い選手たちだったはずなのに、移籍先で活躍した話もあまりなかった。 結局、濃密すぎるシーズンを過ごして、みんな真っ白に燃え尽きちゃったんだろう…1人を除いて。 1970年4月28日生まれのあの男を除いて。 を去った後も、のようなビッグクラブでプレー水準を維持し、2度のワールドカップにも出場したあの男を除いて… というわけで、この思い出話が2014年のリベンジマッチ・復讐譚に繋がるのである。

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プラート

ロベルト ビア ジーニ

経歴 [ ] プロ入りとジャイアンツ傘下時代 [ ] の26巡目(全体807位)でから指名され、プロ入り。 に傘下のA-級 ()でプロデビュー。 A級 ()でもプレーし、2球団合計で23試合(先発21試合)に登板して2勝8敗、防御率5. 42、99奪三振を記録した。 はA級オーガスタでプレーし、20試合に先発登板して7勝6敗、防御率5. 03、79奪三振を記録した。 01、103奪三振を記録した。 はAA級でプレーし、23試合(先発22試合)に登板して10勝7敗、防御率2. 42、84奪三振を記録した。 ブルージェイズ時代 [ ] 2015年12月10日にでから指名され、移籍した。 シーズンは開幕に残り 、4月8日の戦でメジャーデビューを果たした。 この試合でメジャー初奪三振をから記録した。 ルーキーイヤーながらチームのリリーフ陣の中心格となり、チーム2位 の60試合に登板。 4勝3敗1セーブ、防御率3. 06を記録した。 5月24日の戦でメジャー初打点を記録した。 この年は先発で18試合、リリーフで26試合に登板したが、3勝13敗1セーブ、防御率5. 34と振るわなかった。 はブルージェイズが先発5番手としてと契約したため、オプションでAAA級バッファローで開幕を迎えた。 4月17日の戦のダブルヘッダーの第2戦で、先発としてメジャーに昇格した。 試合後、AAA級バッファローに降格した。 メジャーに昇格した後は、ブルージェイズのブルペンに顔を出すことが多かった。 レギュラーシーズンでは、50登板(4先発)で72回を投げ、4勝2敗で防御率は6. 00と前年よりさらに悪化した。 アストロズ時代 [ ] 7月31日に、金銭とので、、と共にへ移籍した。 詳細情報 [ ] 年度別投手成績 [ ] 60 0 0 0 0 4 3 1 9. 571 295 67. 2 69 3 19 1 5 62 3 0 28 23 3. 06 1. 30 44 18 0 0 0 3 13 1 10. 188 517 119. 2 125 15 42 0 2 97 6 0 78 71 5. 32 1. 40 50 4 0 0 0 4 7 0 5. 364 328 72. 0 96 14 24 0 6 53 8 0 50 48 6. 00 1. 67 50 0 0 0 0 3 1 1 10. 750 212 50. 0 50 8 17 3 1 50 2 0 22 21 3. 78 1. 34 13 0 0 0 0 0 1 0 1. 000 69 14. 2 21 6 9 0 0 10 1 0 13 12 7. 36 2. 05 '19計 63 0 0 0 0 3 2 1 11. 600 281 64. 2 71 14 26 3 1 60 3 0 35 33 4. 59 1. 50 :4年 217 22 0 0 0 14 25 3 35. 359 1421 324. 0 361 46 111 4 14 272 20 0 191 175 4. 86 1. 2019年度シーズン終了時 年度別守備成績 [ ] 年 度 球 団 試 合 2016 TOR 60 3 11 2 0. 875 2017 44 8 13 2 0. 913 2018 50 1 6 1 0. 875 2019 50 0 6 2 0. 750 HOU 13 0 0 0 0 ---- '19計 63 0 6 2 0. 750 MLB 217 12 36 7 0. 873• 2019年度シーズン終了時 背番号 [ ]• 31(2016年 - 2019年7月30日)• 29(2019年8月3日 - ) 脚注 [ ]• MLB. com (英語) 2017年8月24日 2017年8月27日閲覧• Gregor Chisholm 2015年12月10日. MLB. com. 2016年7月25日閲覧。 Shi Davidi 2016年3月30日. 2016年7月25日閲覧。 Ben Nicholson-Smith 2016年4月9日. Sportsnet. 2016年7月25日閲覧。 - Baseball-Reference. com 英語. 2016年10月4日閲覧。 MLB. com (英語) 2017年5月24日 2017年5月28日閲覧• Moritz, Amy 2018年4月4日. boffalonews. com. 2018年4月25日閲覧。 tsn. ca 2018年4月17日. 2018年4月25日閲覧。 2018年12月6日閲覧。 MLB. com 2019年7月31日. 2019年8月2日閲覧。 関連項目 [ ]• 外部リンク [ ]• 選手の通算成績と情報 、、、、、• MiLB. com (英語).

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アトレティコ・マドリード、1997年3月

ロベルト ビア ジーニ

〈お断り:このエントリーは、元々2013年12月頃に書こうとしていた『サンフ、、』というエントリーに付属して書こうと思っていたものだが、例によって例のごとく筆が進まず、そしてについて書くなら今のタイミングしかないだろうってことで、先にこっちを仕上げてみた。 1994年のとか2004年のとかヤングリーズとか。 その中でも最も熱狂したチームにリーガを制した1995〜96シーズンのがある。 どのくらい熱狂したかを説明するために、2000年にインターネットを始めた同時に始めた日記サイトの以下の文章を再掲しよう。 (1995-96シーズン) 記録を調べると95-96シーズンに優勝したの総得点はに次いで2位、失点はリーガ最小、ということはすごくバランスの取れたチーム構成だった風に思われるかもしれないが、それは明らかに当てはまらない。 ディフェンスラインの無謀さは広く知られる処だったし、攻撃陣のオプションの無さもかなりのもの。 チーム得点王のペネフは31点でトップのピッツィに遠く及ばない16点で7位だし。 キーパーのモリーナは意味も無く飛び出してくる。 やのようなイロモノではなく、キーパー=スイーパーの概念を確立したといえなくもない。 2部落ちとユーロ2000での屈辱を味わった後、ラコルニャへ移籍。 は右がサンティで左がソロサバル、サンティは当時代表にも選ばれ、その後すぐにクレメンテ代表へ呼ばれるなど若手生え抜き躍進の象徴だったため、2部落ちの今でもクラブに残って頑張っている。 ソロサバルはチーム絶好調時からアンティッチと対立し、翌シーズンにはベンチから外された後、へ放出。 右サイドにはロペス、代表にも選ばれていたのに後半からヘリにポジション奪われ、すぐに消息不明、ヘリは左サイドもやっていたが、2部落ちでへ。 左サイドは下手だけど信頼篤いキャプテンのトニ、右が攻撃的な分ほとんど上がらない。 ヘリが左サイドへ来てからはスタメン落ち、でもキャプテン、クラブが2部に落ちても、ヒル会長の逮捕に抗議する声明を読み上げる時もキャプテン。 中盤の底には、よりディフェンシブな壊し屋ヴィスカイーノとよりオフェンシブな壊し屋「ダーティー」、時代が時代なら今の/くらい「効いていますねえ」を連発してもらえるタイプ。 攻撃的なパンティッチはと以外は何の役にも立たないし、守備もしない、でも一発のパスさえ決まれば全て帳消し、という点で同郷のを彷佛とさせた。 カミネロはワールドカップ94後のドイツやのサッカー雑誌にスペインを代表する選手として載る程の天才、私もこの時期あわてて戦やイタリア戦を見直した。 やる気がない時が多いのも特徴。 ターゲットにペネフ。 キコは背が高いけど、実は足元の上手い2列目アシスト王だったりした。 控えにはあと中盤に代表のロベルトがいたくらいか。 このメンバーで優勝し、翌96-97シーズンは右サイドにヘリよりも(ヘリは左へ)、に代えてベイブル、ペネフに代えてエ、とマイナーチェンジ、のはずだが、ベイブルは移籍当初レギュラーという感じではなかったし、ソロサバルの代わりも思い出せない。 にもかかわらずペネフよりもエの方が記憶に残っている。 記憶の混乱は仕方ない。 資料に拠ると、96-97シーズンははまだいて、ヴィスカイーノの代わりにベイブル、やる気ゼロのカミネロの代わりにを中盤で使うなど。 ソロサバルもまだレギュラーで、翌97-98シーズンにはにアンドレイ/プで、ビエリ/ホセ・マリ/などが加入するが、それはまた別の話。 97年3月、悲劇は訪れる。 リーガで3位以内、国王杯で準決勝、でベスト8と全てに可能性を残したは薄い薄い選手層にもかかわらず、その全てを獲得するべく、週2試合ペースをベストメンバーで挑む。 その結果は、の準々決勝戦のセカンドレグ、エがPKを決めればほぼ勝利という中で外し、延長での若手ダニに決勝ゴールを決められてまさかの敗戦、当時はで放送しており、人に頼んでこの映像を見、ショックで立ち直れなかった。 その後の国王杯ではに5対4くらいの滅茶な試合で大逆転を食らい、敗退。 強行日程の中、リーガの方も大事な試合を落として結局全てパー。 崩壊のきっかけはここにある。 レギュラー以外のメンバーが落ちる中、制も存在しない、まさに「ウルトライレブン」で3冠を狙うバカがいた牧歌的な時代を忘れてはならない。 改めて読むと、事実誤認もあるだろう。 さて、あれから約20年、回想してからでも約15年が経過し、実際どのくらい過密日程だったのか、どのくらい固定メンバーだったのか、どのくらいしたのか、調べてみようかと思った。 あの頃よりネットの情報も充実し、便利になった。 調べに使ったのは()と()。 サイトの情報が正しいかは分からないけど、まあアバウトなスペイン人もサッカーに関しては真剣だろう。 私が記憶を基に便宜上付けた。 この勝利で4位に浮上、首位まで勝ち点10差。 日程の3分の2を消化した頃だし、まだまだ3冠のチャンスあり。 ホームで勝ちたかった処だが、まあ御の字の結果か。 重要なとの間だから当然。 これで勝ちは大きい。 しかしアルファロとカルロスは全く当時の記憶にないな。 ネットによると、アルファロがDF、カルロスがFW。 思惑通り。 をMF起用、カミネロをFW起用だったのかな。 アウェイのだから相手に合わせたフォメにしたのかもしれん。 なおプは1997年1月に前年のCLで対戦したから引き抜いたのでのCLでは出られない国内戦専用。 ちなみにこのシーズンのとは、リーグ戦でもアウェイ3-3、ホーム2-5と、完全にバカ試合製造カードになっている。 でも後半からとカミネロ投入って事はやはり勝ちたかったのだろう。 割り切って休ませれば、戦のコンディションも違っただろうに。 多分トニをCBで起用。 2つ目の撤退。 俺の知っているベストメンバーで玉砕。 この印象がずっと残っているのは確か。 っていうか、週半ばに120分戦っておいてほとんど同じメンバーっておかしいだろ。 GKはモリナ固定、両SBはトニ/ヘリ/ロペス/でローテ。 CBはサンティ/プがレギュラー、控えにソロサバル。 後ろMFはベイブルと、控えにビスカイーノ。 前のMFにカミネロとパンティッチ、控えの汎用MFにロベルト。 FWはキコとエ、控えのFWと前MF兼用にパウノビッチとビアジーニ。 控えFWにフアン・カルロス。 1試合のみのパブロ・アルファロを入れて計20名。 SBはまあまあ豊富。 ビスカイーノとロベルトは計算が立つ。 パウノビッチとビアジーニは汎用性が高くて重宝したけど、レギュラーよりは格落ち。 後は正直数合わせ。 はしているけど、層が厚いとは言えない。 こんな感じかな。 ついでなので、当時の日記を引っ張り出してみた。 日記には基本的に見たテレビのタイトルと観に行った映画のタイトルしか書いていなかった。 が96〜97シーズンの放映権をこの時期にようやく手に入れたからなのか、1997年1月から怒涛の放送を始めた記憶がある。 4か月前の試合を放送するのだから、牧歌的な時代。 実はあの頃代表ももベイブルも好きだけど、のベイブルには良い印象がなかった、というか前年度のチームが、そしてビスカイーノが好きだったからベイブルの加入には複雑だったが、このゲームに関しては素直に褒めている。 当時の俺の心境や如何に。 あの頃のCLはスカイTVだかパーフェクトTVだかだかで放送してて、それが全部映るケーブルテレビに加入しているオサレなマンションに住む社会人の先輩にビデオテープへの録画をお願いしていた。 記憶にないが文字情報か何か。 まだネット環境はなかったし、大学の図書館でジャパンタイムスのスポーツ欄だけ見て粗筋を確認したのかもしれない。 余談だが、私の1997年3月といえば大学卒業が決まって就職が決まっていない時期。 まああの頃はその後に困難な人生を送るロスジェネになるとは思いもしないで呑気していたし、のんびりサッカー見て楽しんでいたはず。 ソロサバル(1969生)ロペス(1969生)(1969生)ヘリ(1969生)モリナ(1970生)の世代は代表で主力になる程にはならなかった。 プ(1972生)ベイブル(1972生)キコ(1972生)エ(1973生)サンティ(1974生)も華々しかったデビュー時に比して実績を残したとはいえない。 ロベルト(1973生)ビアジーニ(1977生)パウノビッチ(1977生)は若き可能性のまま終わっちゃった感。 のを読むと「ヒルは潤沢なをに投下し強化を推進」とか「ヒル会長の行った大型補強の成果」(ちなみに1998シーズン後に残っているのは20名中7人、2000年シーズンの降格後にはモリナ、ロペス、ベイブルが去り、サンティ、トニ、、キコの系4人しか残っていないので、元々傭兵感漂う選手構成だったのは否めない)と書いてあるので、当時それなりに評価の高い選手たちだったはずなのに、移籍先で活躍した話もあまりなかった。 結局、濃密すぎるシーズンを過ごして、みんな真っ白に燃え尽きちゃったんだろう…1人を除いて。 1970年4月28日生まれのあの男を除いて。 を去った後も、のようなビッグクラブでプレー水準を維持し、2度のワールドカップにも出場したあの男を除いて… というわけで、この思い出話が2014年のリベンジマッチ・復讐譚に繋がるのである。

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